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神は弱さの中にあり

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先週、NHKで、素敵な番組を放映していました。

「こころの時代 ~宗教・人生」という番組でした。

素晴らしい内容で、引き込まれ、最後までみました。

その時のテーマが、「神は弱さの中にあり」でした。




同志社大学教授の木原活信先生という方のお話しでした。

木原先生の話を、簡単にまとめると、

「世の中は、通常、強いこと、物事を行う能力の高いことが、評価される。しかし、人間は、もともと弱い存在であり、その弱さを認め合うことで、生きやすい世の中に、多少なりともできるのではないか」

という内容でした。


木原先生は、長年、社会福祉に携わってきたそうで、その根底にあるのは、キリスト教の信仰だったそうです。

番組の中では、終始、

「自らの弱さを認める」

ということの重要さを、説かれていました。



私は、10代~20代にかけて、ずーっと、「強さ」を追求してきました。

それで、いきついたのが、究極の強さ比べである、「パワーリフティング」という競技でした。

その競技の選手として活躍し、いろいろな大会でも、勝ちまくっていました。

肉体もそうでしたが、精神的にも、とても強くなりました。


その時の信条は、

「人間は、強くなれば、強くなるほど、幸せになれる!」

でした。

だから、その対極にある考え方、

「人間は、弱くてもいい…」

というような人生哲学は、受け入れられませんでした。



しかし、それからあと、30代~40代で、さらに、いろいろな経験を積んでからは、

「人間って、あまり強くなりすぎても、ダメなんだな… 強すぎると、人の痛みや苦しみに、鈍感になるんだな…」

と、少し反省しました。


一時期、付き合っていた彼女から、それを、何度も指摘されました。

「トーマさんは、人の痛みに、鈍感ですね。私が気が付いたのは、その鈍感さは、強さからきているということです。皆、あなたほど、強くはないんですよ。誰もが、そんなに簡単に、逆境を乗り越えられたり、すぐに、立ち上がることなんて、できないんですよ」

何回も言われたので、さすがに、

「そうかな…?」

と思い、自分の行いを、振り返ってみると、たしかに、思い当たることが、たくさんあり、それからは、なるべく、弱い立場に立たされている人の気持ちにも、配慮するようにしました。


正確には、その後、自分も、そういう弱い立場に立たせるという体験をして、初めて、そういう人たちの気持ちが、わかったということです。

さらに、自分が、「強さ」に、とても憧れて、追い求めていたのは、心の奥底に、「弱さ」が、あったからだとうことにも、気が付きました。


あるチャネラーさんからは、

「トーマさんは、誰よりも、弱いんですよ。魂の奥底に、一番弱い部分があるから、誰よりも、強くなれたんですよ。一番弱いから、一番強くなれたのです」

と、言われて、

「なるほど…」

と、思いました。




番組の中でも、木原先生が、話していましたが、たしかに、人間というのは、調子のいい時や勢いのある時、それから、なにもかもが、うまくいっているときには、

「自分は、万能だ! 天才だ! 無敵だ!」

と、自信に満ち溢れているものです。

でも、人生において、こういう状況が、ずーっと続くことは、あまりないと思います。

どこかで、思ってもみなかった事態に、遭遇したります、

それが、病気だったり、事故だったり、事件だったりします。

その時に、絶対絶命のピンチに追い込まれ、自分の力だけでは、どうしようもないと思ったとき、初めて、

「神様、仏様、助けてください…」

という気持ちが、湧き上がってくるのです。

その時は、自然に、両手を合わせて、拝むような姿になることが、多いです。

場合によっては、勝手に、ひざまずき、首を垂れる姿勢になることもあります。


この無力感を、感じた瞬間に、謙虚になり、自然に手を合わせる行為が、本来の「信仰」なのかもしれません。




人間という存在は、全てがうまくいっていて、何の問題もない時には、「神」を、必要としないのです。

結果として、信仰心は、生まれないのです。

何もかも、やりつくしして、

「もうダメだ…」

と思った時に、祈りたくなるのです。

そして、そういう時こそ、本当に奇跡が起こったりするものなのです。



アメリカに住んでいた時に、特に、それを感じました。


ご存知のように、アメリカは、日本と違って、犯罪も多いです。

ある時に、真夜中に、ロサンゼルスの一番ヤバイ場所で、車が故障した時がありました。

周囲に、黒人などのギャングのような連中が、たくさんいて、こちらに、近づいてくるのがわかりました。

どんなに、私が、腕力が強くても、拳銃には、勝てません。

「今夜、ここで、死ぬかもしれないな…」

と、覚悟した時に、目の前に、車が停まりました。

やさしそうな白人のカップルでした。

「こんな時間に、そこで、何をやってるんですか? 車が、停まった? 危ないから、はやく、この車に乗りなさい! 家まで、送っていってあげますよ」

こう言ってくれたのです。

そのカップルは、ちょうど、親戚の家に、向かうところだったようですが、住所を聞いて、ビックリしました。

なんと、私の家の隣の隣くらいの住所だったのです。

それで、無事に、家まで送ってもらいました。


あの時に、そのカップルの車が、助けてくれなかったら、ギャングたちに、撃ち殺されていたかもしれません。

その車の目的地が、私の家の近くだったなんて、

「神様が、助けてくれた」

これしか、考えられません。

その時は、家に着いたとたん、自然に、手を合わせて、神に感謝していました。



こういう経験は、長く生きていると、誰でも、一度や二度は、経験すると思います。

そして、その時だけでは、「神」に、感謝するのです。

その後は、しばらくすると、

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

という格言通り、その出来事を、忘れてしまいます。

まあ、それでも、いいのかもしれませんが、たまには、そういうことを思い出し、神様への感謝の気持ちを、忘れないようにすることも、大切だと思います。




番組の中では、他にも、心に残る話がありました。

木原先生は、ある時期に、

「どうしても、人を愛せない…」

と思って、苦しんだ時期があったそうです。


おそらく、キリスト教の「隣人愛」の教えを、実践しようとしたのだと思います。

キリストの教えでは、全ての人を愛することが、良いことだという意味の教えが、たくさんあります。

しかし、これは、本来、「理想」なのだと思います。

現実社会では、全ての人を、好きになれたり、仲良くできたり、愛することは、人間には、難しいのです。

その時に、木原先生が、気づいたのは、

「愛することができない」

という自分の本質の部分だったそうです。

それから、まず、そういう自分を、愛そうと思ったのだそうです。

つまり、

「愛せないというダメな自分を、なによりも先に愛そう」

こう思ったそうです。



これは、私も、悩んだことがあったので、とても共感しました。


スピリチュアルなことを、たくさん学んでいると、誰でも、大きな愛をもった人間に、なりたいと思うと思います。

しかし、世の中には、それに反して、どうしても、愛せないような酷い人間が、山ほどいます。

その時に、

「自分には、こういう人たちを、愛することができない。自分は、なんて、ちっぽけな人間だったんだろう…」

こう思って、ショックを受けたことも、何度もあります。

その時に、まずやることは、

「なによりも先に、そういうちっぽっけな自分を、愛してあげる」

ということです。

これで、だいぶ気持ちが、楽になります。

必要以上の罪悪感に、縛られなくなるのです。




「愛する」を、「許す」に、言い換えてもいいと思います。



今でも、たまに、学生時代やサラリーマン時代の嫌な思い出が、蘇ってくることがあります。


魂の奥底では、全部は、まだ、清算できていないのかもしれません。

未だに、

「あれは、まだ、ゆるせないな…」

と思うことも、あります。

そういう時は、無理やり、

「いや、もう、あれは、終わったんだ。ゆるしてやろう…」

と思っても、ますます、ゆるせなくなったりします。


そういう時は、まずは、自分から、ゆするということです。

特に、

「ゆるせないという気持ちを、自分が、もってるという事実。そして、人を、ゆるせなくてもいいんだという気持ちを、まずは、ゆるそう」

と思うことです。


「ゆるせない」という自分の意識を、まずは、ゆるすということですね。

「ゆるし」は、ここから、スタートすると、いいみたいです。


「ゆるせない」という醜くて、ちっぽけな自分を、まずは、ありのままに受け止め、認めてあげる。

そして、

「でも、そのままでいいんだ」

と、ゆるしてあげる。

そうすると、だいぶ気持ちが、楽になるのです。



「ゆるす」の語源は、「ゆるます(緩ます)」なのだそうです。

人を、ゆるせると、人生そのものが、ゆるくなり、呼吸も楽になり、生きやすくなります。

そして、それには、まず、ありのままの自分を、ゆるすのが、コツだということです。

「ゆるすと、自分の人生がゆるみ、楽になる」

というこです。



これは、逆も、できると思います。

つまり、

「心がゆるむと、身体もゆるむ」

のであれば、

「身体をゆるませれば、心もゆるむ」

ということです。


身体を、温泉、マッサージ、ストレッチ、ヨガなどで、ゆるませると、心も、リラックスできて、相手や自分など、いろいろなことを、ゆるせるように、なってきます。

ぜひ、日常の中に、身体や心を、「ゆるませる」という機会を、たくさん、つくってみてくださいね。




ほとんどの大企業や大きな組織では、人間の仕事の能力だけを重視し、

「あいつは、仕事ができねえ! あいつは、使えない!」

などと、酷い言葉で、一人の人間の存在を、全否定したりします。

これは、「地獄の世界」、もしくは、「修羅の世界」です。

こういう弱肉強食の世界では、強くないと生きていけません。

これも、この世界の一面の真実だと思います。

しかし、人間は、こういう世界を、変革するために、この時期に、地球に生まれてきたのでは、ないでしょうか?



人間は、この地上で、様々な経験を通して、

「自分は、弱い存在だったんだ」

と、気づいた時に、初めて、神様を、感じることができるようです。

ある意味、この意識が、成熟した大人の魂と、呼べるのかもしれません。

自分の中の弱さに気がつくことで、他者の弱さにも、気がつくことができます。

皆が、お互いの弱さに気がつき、全員が、それぞれの苦しみを、共感しあい、助け合い、励ましあう世界が、「神の国」と表現される社会なのだと思います。


私は、いつかは、この地上も、そういう世界になるだろうと、信じています。




キリスト教の「神の愛」というのは、

「一番強い者の気持ちに、目を向けるのではなく、一番弱い者の気持ちに、寄り添う」

そういう愛のことみたいです。

神は、一番弱い存在を、一番かわいがってくれるのです。

人間には、そういうことは、できません。

もしかしたら、今の段階では、人間は、そこまで、やらなくてもいいのかもしれません。

だからこそ、その愛は、「神の愛」と、呼ばれるのです。




オマケの話です。



何回か、紹介したことがありますが、大学4先生の頃、生涯の師匠だと思える、素晴らしい先生との出会いがありました。

宮城先生という方だったのですが、木原先生の話を聞いていたら、久しぶりに、宮城先生のことを、思い出しました。



新学期が始まって、しばらくした頃、宮城先生が、講義の時間に、こう言いました。

「私の講義では、必ずコンパをすることにしています。全員出席を強制します。これは義務です。来なかった生徒には、単位はあげません。」

初めて聞く、「教師による強制コンパ」でした。


疑問に思いながらも、当日の夜、大学の近くの居酒屋に行きました。

先生をはじめ、全員集まっていました。


私は、どうしてもこの「強制」という言葉が気になったので、先生に質問しました。

「先生、このコンパの本当の目的は何ですか? どうして強制してまで、コンパなんかやる必要があるのですか? どういうことですか、これは?」

すると、先生は、やさしく微笑みながら、こう答えました。

「トーマ君、いい質問だ。君は、学生が、講義に来なくなる本当の理由が何か、わかりますか?」

こう聞くので、

「わかりません。授業が面白くない。もしくは、授業についていけないからではないでしょうか?」

こう答えると、先生は、首を横に振って、

「違います。それもあるのですが、講義に来なくなる生徒は、その講義のクラスに、友達がいないというのが、一番の理由なのです」

続けて、

「そういう生徒は、最初は、後ろの席に座るようになります。そして、遅刻をしはじめます。それから欠席しがちになり、そのうち講義に来なくなります。私は、そういう生徒のために、このコンパをつうじて、なんとか友達をつくってもらいたくて、それで、全員出席にしたのです。私は、こういうことが、実は、一番大切なことだと思っています」

こう言ったのです。

その時の感動は、30年以上たった今でも、覚えています。

「なんて、高いところから、教育問題を考えている先生だろう!」

こう思って、感動しました。

本当の「やさしさ」をもった人物でした。


今、考えると、これこそが、「キリストの愛」だったのですね。

宮城先生は、いろいろな人生経験を経て、キリストの意識に、到達していたのだと思います。






「これらの小さな者を、一人でも軽んじないように、気をつけなさい。人の子は、失われたものを救うために来た。あなたがたは、どう思うか? ある人が、羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を、山に残しておいて、迷い出た一匹を、捜しに行かないだろうか? はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを、喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が、一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」


「マタイによる福音書 18章10-14節」


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