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信頼

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私のキネシオロジーの師匠の本間先生が、現在、ロサンゼルスから、来日していて、連日、東京で、キネシオロジーのセミナーを、開催しています。

先日、空いている時間に、本間先生のセミナー会場に、顔を出しました。

本間先生にも、挨拶しましたが、セミナー受講生たちとも、ちょとだけ、おしゃべりしました。

皆、感激して、

「素晴らしいセミナーです。たくさんの気づきが、ありました!」

と、感想を、述べてくれました。

本間先生の周りは、いつも、こうやって、愛の波動に満たされた空間に、なるんですよね。




昔のエッセイでも、何度か、書きましたが、本間先生との出会いは、1998年の春くらいだったと、思います。

ロサンゼルスのリトル東京にある、先生のオフィスで、友人の紹介で、出会いました。

知りあってから、初日に、すぐに、仲良くなったのですが、それから、1ヶ月くらいしてから、ある事件が、起こりました。

私が、ロスのダウンタウンで、交通事故を、起こしてしまったのです。

詳しいことは、省略しますが、事故に遭ってから、警察のパトカーとレッカー車で、車の整備工場のようなところに、誘導されました。

いろいろな法律の手続きもあって、車を、そこに、置いておかなくては、いけなくなったのです。

幸い、怪我も、まったくなく、身体は、無傷でした。

そこまでは、いいのですが、そこから、自宅に帰ろうとしても、時間が、夜の11時過ぎていたので、タクシーもバスも、走っていせんでした。

しかも、その場所は、ロスでも、一番治安の悪い場所で、遠くから、拳銃の銃声が、聞こえるような、かなりヤバイ場所でした。

まだ、ロスに来たばかりなので、英語も、満足に話せず、手持ちのお金も、ほとんどなく、近くに、自動販売機もないので、喉が渇き、お腹もペコペコでした。

ポケットから、小銭を、取り出し、何人かの知り合いの英語学校の日本人の友人に公衆電話から、電話して、

「とても、困っているんだけど、ここまで、車で、来てくれない?」

と、頼んだのですが、皆、一様に、

「ごめんなさい… 今、忙しくて、そこまで、行けないです…」

と、冷たい返事が、返ってくるばかりでした。

たしかに、そんな夜遅くに、ロスで、一番危険な場所に、わざわざ、来るような人は、誰も、いません。

これは、しかたないことだと、思いました。

この時は、大げさかも、しれませんが、

「もしかしたら、自分は、今夜、ここで、ギャングに、撃たれて、死ぬかもしれないな…」

なんて、弱気になりました。

本当に、困り果ててしまいました。

その時に、財布の中から、本間先生のクリニック、「ベストクリニック」の名刺が、出てきました。

そして、なんと、名刺の裏には、先生の自宅の電話番号が、書いてありました!

「本間先生か… でも、まだ、知りあって、1ヶ月くらいだし、数回しか、会ってないけど、ダメもとで、電話してみるか…」

こう思って、先生の自宅に、電話してみました。

これが、最後の頼みの綱でした。

これが、ダメだったら、諦めようと、思っていました。

そうすると、本間先生の奥様が、最初に出て、その後、本間先生の声が、受話器の向こうから、聞こえてきました。

事情を話すと、いつもの優しい声で、

「トーマ君! それは、大変だったねー。わかった。ちょと、待っててね。今から、そこに、行くからね!」

とても、明るい声で、言ってくれました。

なんの迷いもなく、近くのコンビに、出かけるような、軽いかんじで、返事してくれたのです。

それから、1時間くらいしてから、本間先生が、フリーウエイを、車で、飛ばして、その場所に、来てくれました。

「ゴメン、ゴメン、遅れちゃったよ…」

と、申し訳なさそうに、謝りながら、車から、降りてきました。

奥様も、子供さんも、一緒でした。

小さな子供さんを、家で、寝かせておくことが、できなかったようで、本間先生の家族総出で、迎えにきてくれたのでした。

「お腹が、すいたでしょう? おにぎりを、握ってきたんで、食べてね!」

と、奥様から、おにぎりを、いただき、口に、ほおばりながら、目から、涙が、出てくるのを、感じていました。

「なんて、心の優しい人たちなんだろ。こんな人たちも、世の中には、いるんだな…」

と、感動しました。

「トーマ君、大変だったね…。アメリカで、交通事故に遭ったら、その後も、面倒だよ。いい弁護士、知っているから、裁判になったら、また、相談してね」

こういう暖かい言葉も、かけてもらいました。

「本間先生、このご恩は、一生忘れません…」

こう固く、心に誓いました。

しかし、それから、数年してから、私が、懐かしそうに、その時のことを、語ると、本間先生自身は、ほとんど、そのことを、覚えていないのです。(笑)

「ふーん。そういう事も、あったかな…?」

くらいに、思っているみたいなのです。

「この先生は、本当に、ああいうことが、自然に、できる人なんだな… あれが、先生の普通の行動なんだな…」

と、改めて、先生の愛の大きさに、気がつきました。

この交通事故の日から、13年くらいの年月が、経っていますが、本間先生に対する、信頼は、まったく、変わっていません。

本当に、本間先生とは、いい信頼関係で、人間関係が、続いていると、思います。




最近、「信用」と「信頼」について、考えることが、多いです。

この二つの単語は、似ているけど、微妙に、ニュアンスが、違います。

定義は、人によっても、違うと思うので、私が、個人的に、感じていることを、書いてみますね。

「信用」という単語は、どちらかというと、「社会的なもの」のニュアンスを、感じます。

仕事などの関係で、重視されるようなものだと、思います。

「あいつは、信用できる奴だ!」

というような表現には、その人の「能力」や「行為」に対する感想を、述べたものが、多いと思います。

「あの会社は、信用できるから、引き続き、取引を、続けよう」

というような表現には、

「あの会社は、納期を、守る。支払いも、キッチリしている。そうやって、約束を、守るから、信用できる」

という意味を、含んでいると、思います。



それに、対して、「信頼」という単語は、どちらかというと、「人間性」のニュアンスを、感じます。

プライベートや遊びの関係で、重視されるようなものかも、しれません。

「彼は、信頼できる!」

という表現には、その人の「人柄」や「個性」に対する感想を、述べたものが、多いかもしれません。

「彼は、信頼できる男だから、今度の飲み会で、他の友人たちにも、紹介しよう」

というような表現には、

「彼は、本当に、いい人だ。ぜひ、彼の魅力や人間性を、たくさんの友人に、知ってもらいたい」

という意味を、含んでいると、思います。



「信用」というものは、努力したり、がんばったりしても、得られるような気がします。

ただ、失うときは、一瞬で、失ったりもします。

それに対して、「信頼」というものは、その人の素の部分に、惚れたりすることが、多いので、努力などで、得られるものでは、ないような気がします。

だからこそ、それは、なかなか、失われにくいものだと、思います。

「信用を、無くす」

という表現は、ありますが、

「信頼を、無くす」

という表現は、あまり、使いませんようね?



たとえば、ある人が、何かの事件で、逮捕され、それが、報道された時に、信用を、大事にしていた人は、

「いい人だと、思っていたのに、実は、そういう人だったんですね…」

と、言われたりします。

でも、信頼されていた人は、

「あの人が、そんなことを、するはずはない。仮に、そういうことを、やったとしても、なにか、理由が、あったはずだ」

と、言われると、思います。



もっと、簡単に言うと、信用されている人は、

「あの人は、能力があるから、次のプロジェクトは、あの人に、任せよう!」

と言われるような人です。

他にも、別の人に、

「彼は、キッチリ仕事を、やりますから、その仕事は、彼に、頼むと、いいですよ」

と紹介できる人です。

一方、信頼されている人は、

「あの人が、この職場に、いるだけで、皆が和むし、癒されますね。あの人、なんとなく、いいかんじの人ですね」

と言われるような人だと、思います。

あとは、飲み会などの席で、

「あれっ? 今日は、あいつ、来てないんだ… あいつが、いないと、なんか、つまらないな… よし、ちょと、電話して、もう一度、呼んでみるか?」

と言われるような人です。



会社で、一緒に仕事を、やっていて、安心して、仕事を、任せられる人は、信用できる人です。

会社を、辞めた後、お互いに、肩書きが、なくなっても、会って、楽しくおしゃべりできる人は、信頼しあっていた人だと、思います。



「信用」と「信頼」は、どちらも、大事なのですが、長続きする関係は、「信頼関係」のほうだと、思います。

ビジネスの関係でも、そうだと思いますが、特に、夫婦関係では、いろいろ契約みたいな取り決めが、多くて、しっかりと、お互いの役割や仕事を、やっている夫婦は、「信用」で、結びついている間柄だと、思います。

一方で、あまり、そういう役割分担には、こだわらず、お互いに、素のままで、暮らしている夫婦は、皆から、

「あの夫婦、いつも、仲がよさそうで、いい感じですね…」

と、言われます。

このような二人は、だいたい、「信頼」で、結びついている間柄だと、思います。




これからの時代は、どちらかというと、「信用」よりも、「信頼」のほうが、重視されてくるような気がします。

「信用」というのは、築きあげるのに、時間が、かかります。

そして、無くすのも、一瞬です。

ただ、これは、大人に、なってからでも、心がけ次第や努力で、今日からでも、積み上げていけるものです。

一方、「信頼」というのは、築きあげるのに、もっと、時間が、かかります。

ただ、一度、築きあげたら、なかなか、無くなりません。

これは、子供の頃から、積み上げてきた、「人間力」みたいなものなので、大人になってから、築こうと思っても、なかなか、難しいです。



「信用」を、得ることが、うまい人は、普段から、まじめに、コツコツと、人のために、行動している人です。

一方、「信頼」を、得るのが、うまい人は、こういうことを、考えてもいない人みたいです。

「ただ、今、目の前にいる人を、大切にする」

これだけを、続けていて、気がついたら、いつのまにか、周囲から、信頼されるような人に、なっていた。

こういう人が、信頼される人です。

「信頼」

これが、ある人は、すでに、人生の達人であり、確実に、幸せな人生を、生きている人だと、思います。





PS 本間先生の10月に開催されるセミナー、まだ、残席があります。受講希望者は、下記のサイトから、私、トーマまで、メールください。

詳細です。 ↓

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-10944852293.html





☆「信頼関係」を、築くのは、大人より、子供のほうが、得意かも、しれません。大人の社会が、「信用」を、大事にするのに対して、子供の社会は、「信頼」のほうが、大事にされているような気がします。

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トーマ

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