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聖徳太子ツアー 1 実在問題

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12月になりましたね。

さすがに、「師走」と言われるだけあって、いろいろと忙しくなり、ブログの更新が、なかなかできなくなっていました。

 

久しぶりの旅行記です。

 

10月の末に、大阪で、あるビジネスミーティングをしたのですが、その時のメンバーたち、それから、仲のいい友人たちを集めて、「聖徳太子」の足跡を辿るツアーをしました。

その時の旅を、まとめてみますね。

 

「聖徳太子」を知らない日本人はいないと思います。

昭和の時代には、1万円札にも描かれていました。

 

しかし、最近では、学校の教科書から、この人物の存在を、削除しようとか、名前を、「厩所王子」に変えるとか、いろいろな動きもあるそうです。

 

また、一部の学者の間では、

 

「そもそも、聖徳太子など、存在しなかった」

 

という意見がでてきたりもしているようです。

 

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まずは、この「実在問題」について、一緒に考えてみましょう。

 

 

私は、マニアックな精神世界の話も、やろうと思えば、いくらでもできますが、どちらかというと、精神世界に、興味を持ち始めたばかりの人にも、わかりやすい文章を、いつも心がけています。

 

4年くらい前からは、「宇宙考古学」や「古代文明」の話題が、増えていますが、これらについても、なるべく、シンプルに考えるようにしています。

 


では、最初に、「宇宙人」について、あまり詳しくない人にも、なるべくわかりやすいように、説明しますね。



「宇宙人」という存在を、根本から整理して、考えてみましょう。

生命体を、「知的生命体」に、限ってみます。
「意識」というものを、持っている生命です。

「自分とは、何者か?」

というような哲学的に、思索する能力を、持っている生命体ということですね。



最初に、「実在問題」です。

「宇宙人は、いるのか?」

という素朴な疑問ですが、これは、基本的には、

「0か? 1か?」

という問題では、ありません。

つまり、「1」は、すでに存在しているのです。

そうです。
私たち、地球人が、「1」なのです。

だから、この問題は、

「1か? 2か?」

という問題なのです。

「1以外にも、他の場所に、2以上が、存在しているのか?」

ということです。


さらに、これを、論理的に考えてみましょう。

全てのことに言えるのですが、存在について、「肯定」することと、「否定」することでは、後者の存在を、否定するのは、とっても難しいのです。

たとえば、

「ネッシーなどの恐竜の生き残りは、地球上に存在するのか?」

ということを論議する場合、これを否定するのは、とっても難しいのです。

地球上のあらゆる場所を、同時に調査しなくてはいけないからです。

全ての場所をチェックして、はじめて、

「ネッシーのような動物は、いない」

という証明ができるのです。

これに対して、肯定するのは、比較的簡単です。

誰かが、1頭でも捕獲して、見せればいいわけです。


宇宙人の問題も、同様です。

宇宙にある全ての惑星を、それこそ宇宙の果てまで、くまなく調査して、はじめて、

「地球以外の惑星には、知的生命体は、存在していない」

という証明ができるのです。

これに対して、肯定するのは、比較的簡単です。

誰かが、宇宙人を、一人でもいいから連れてきて、テレビ局などで、インタビュー番組を放送すればいいのです。


「では、宇宙人が、地球に来ているのか?」

という問題は、これも否定するのは、大変です。

これを、簡単に否定する人たちもいるようですが、これは大変な作業です。

太古の大昔から、存在している壁画や出土品、神話、書物など、宇宙人に関する、全ての資料を否定しなくてはいけなくなるのです。

この作業をやらないで、

「宇宙人なんかいるわけがない。いたとしても、地球まで来ることはできない」

という意見を言う人は、かなりの思考停止状態に陥っていると、思ったほうがいいと思います。

アメリカの裁判などでは、どんな事件に関しても、目撃者が、1万人いた場合、自動的に、

「それは事実である」

と認定されるそうです。

「1万人という人数が、ウソをついたり騙されたり、幻覚を見ることは不可能だ」

というのが、その根拠なのだそうです。

そのとおりだと思います。

「今までに、世界中で、宇宙人との遭遇者の数が、いったい、どれくらいになるのか?」

これを考えただけでも、否定することは、ほとんど不可能なのです。

 

 

 

だから、前述したような、

 

「聖徳太子など、存在しなかった」

 

という証明は、至難の業なのです。

 

それこそ、タイムマシンに乗って、その時代に行き、ありとあらゆる場所を、同時に探して、そこでいなかった場合だけ、

 

「聖徳太子は、やはり、いなかった」

 

という結論を下すことができるのです。

 

これをやった人など、今までに誰もいないのです。

 

 

 

何年か前に、映画、「ザ・ライト」を、DVDで観ました。

とっても怖かったです。
久しぶりに、怖い映画を観ました。
「こわ~い系」が、苦手な人は、観ないほうがいいですね。

子供の頃、「オーメン」や「エクソシスト」を、テレビで観て、とても怖かった記憶があるのですが、そんな感覚を、久々に、味わいました。
実話だというから、よけい怖いですね。
「The Rite」というタイトル名で、これは、「宗教的な儀式」というような意味だそうです。


この映画の中で、主人公の男性が、

「悪魔の存在など、科学的に証明されていない。だから、僕は信じない」

という発言をしたら、先輩の悪魔祓いの人が、

「悪魔という存在は、ライトに照らされているような明るい場所には、けっして現れない。闇に隠れる。また、人間ごときに、簡単に、見破られるようなマヌケな存在ではない。私は、悪魔が、科学的に証明したり、実証できないことが、存在しているという証拠だと考えている」

 

と言ったのです。

私は、このセリフが、一番印象に残りました。
 

「存在が証明できないことが、存在の証明になっている」

 

と言っているのです。

 

 

これは、とても深い洞察です。

 

何度か書いていますが、日本人には、「神学」の知識や視点が欠けています。

「神」というものを、科学的で論理的に、考える癖がないのです。

 

日本では、「神」という存在は、「自然」と、ほぼ同じ意味として捉えていまっていて、「感じる」ものであって、「考える」という対象にしないのです。

 

それに対して、欧米人は、積極的に、「神」について、議論したり、考えるようです。

 

 

前述のセリフは、とても深い視点だと思います。

 

同時に、これは、「悪魔」だけでなく、「宇宙人」や「天使」、「妖精」、「精霊」、「龍神」などにも言えることでしょう。

そして、歴史上の偉人たち、「キリスト」や「マリア」、「聖徳太子」、「卑弥呼」、神代の「天皇たち」にも、言えることだと思います。

 

つまり、

 

「これらの神々たちは、人間ごときに、簡単に理解できるような存在ではない」

 

という大前提で、考えなければいけないのです。

 

 

人間の学者は、文献などを読み、歴史を調べて、その矛盾点に注目します。

 

それから、

 

「これほどの長い距離を、馬や船で、移動できるわけがない。だから、いなかったのだ」

 

という短絡的な発想をします。

 

しかし、そもそも、神様のような聖人や神人たちは、時空間に束縛されないので、現代でいう、テレポーテーション、タイムスリップ、シェイプシフトなど、いくらでも、自在に動けるので、人間のモノサシでは測れないような活動ができたようです。

 

こういう視点で、考えなくてはいけません。

 

「そんなこと、ありえない。だから、そんな人物は、いなかった」

 

こう考えるのではなく、

 

「そんなこと、あえりない。そういう出来事を、奇跡といい、そして、それを、いとも簡単に、やってみせる人物が、聖人であり、神人なのである」

 

こういう視点で、古代史は、考えないといけないのです。

 

 

 

宇宙考古学や古代史の最近の流行として、

 

「共通項を探す」

 

という動きがあります。

 

数学でいえば、それまで、「違い」を探して、どんどん、「展開」していった流れから、現在は、「共通項」を探して、「因数分解」するような作業に、流れが変わっているのです。

 

時代や土地、それから、神話や伝説、また、人間と神々など、時空間や存在に関わらず、「似たような人生」、「似たような名前」、「似たようなシンボルマーク」、「似たような服装」など、どこかが似通っていたら、それらの複数の人物たちは、とりあず、「同じ魂のグループ」、もしくは、「生まれ変わり」だと見なすのです。

 

このやり方だと、面白いことがわかったり、意外な事実に気が付いたりして、最高に面白い作業になります。

 

 

 

たとえば、事実かどうかは、とりあず横に置いて、一般的な伝承によれば、「キリスト」は、「馬小屋」で生まれたと言われています。

 

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同様に、「聖徳太子」も、「馬小屋」の近くで、生まれたと言われています。

 

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このことから、

 

「キリストと聖徳太子は、同じ魂の生まれ変わり、もしくは、同じソウルグループのメンバーだった可能性がある」

 

こういう仮説が成り立つのです。

 

「キリスト」=「聖徳太子」

 

だということです。

 

 

他にも、こういうものもあります。

 

 

ロシア正教の宗教画には、「キリスト」が、不思議なハンドサインをして描かれているものがあります。

 

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そして、京都の広隆寺にある、「弥勒菩薩半跏思惟像」も、同じようなハンドサインで、彫られています。

 

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よく見ると、この二人の人物の指の形が、同じですね。

 

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このことから、

 

「キリストと弥勒菩薩も、同じ魂の生まれ変わり、もしくは、同じソウルグループのメンバーだった可能性がある」

 

こういう仮説も、また成り立つのです。

 

「キリスト」=「弥勒菩薩」

 

だということです。

 

つまり、いつの時代でも、画家や彫刻家が、いろいろな作品を作るのですが、意識しているか無意識かに関わらず、天界の神々が、未来の人々に、いつの日か、神の世界のカラクリを、解き明かしてくれる日のために、暗号のように、様々な仕掛けをしていたということです。

 

 

 

4年くらい前から、「宇宙考古学」や「古代文明」の探索を始めたのですが、4年間の間に、国内だけですが、なんと、100ヵ所以上も、まわっています。

 

最初は、一人でまわっていたのですが、少しづつ、同志や仲間が増えていき、去年あたりから、多い時には、15名くらいで、まわったりしています。

 

ただ旅するだけでなく、旅の合間に、皆でお茶しながら、いろいろな感想をシェアする時間は、至福のひとときです。

 

 

 

今回も、二日間という短い時間でしたが、急遽集まったメンバーと、楽しい時間を過ごしました。

 

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今回の大阪の旅で、最初に訪れたのは、「玉造稲荷神社」と「森ノ宮神社」でした。

ここは、昔、広大な敷地の神社があり、この二つの神社は、同じ敷地内にあったそうです。

 

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この二つの神社は、とても歴史も古く、「聖徳太子」が、どういう人物だったのかを知ることができる、足跡が、たくさん残っていました。

 

次回から、いよいよ、本格的な旅行記になります。

お楽しみに!

 

 

 

 

 

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トーマ

 




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