今年になってから、1月中旬に、滋賀県の「石山寺」にも行きました。
ここは、2回目の訪問なのですが、どうしても見たい所があったのです。
「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいですね。
文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。
そして、前回書いたように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派」を、弾圧していたようです。
歴史に登場する、「聖徳太子」や「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。
「空海」は、うまく助けていたようです。
「天照派」の一部を、四国に逃がして、四国八十ハ箇所に、見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。
一方で、「聖徳太子」は、死後に、助けていたことが、バレてしまい、法隆寺を焼かれたり、子孫を殺されたりしたそうです。
「天照派」の子孫たちは、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に、活用したようです。
たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。
おそらく、滋賀県の「石山寺」も、その隠れ家の一つだったのだと思います。
今回の旅では、小雨の降る中、「石山寺」に行きました。
ここが、年末から年始にかけての旅の最終地になりました。
参道を歩き、本堂のあたりを目指しました。
手水舎には、龍がいました。
「エンキ」ですね。
本堂の前に、「毘沙門天」を祭っている摂社がありました。
詳しい説明は、長くなるので、割愛しますが、
「毘沙門天=エンキ」
なのです。
ここにも、「エンキ」が祭られていたのです。
「天照派」を陰から助けていた、「空海」も祭られていました。
「御影堂」という名前は、「影ながら応援していた人」という意味だと思います。
「空海」です。
本堂です。
その横に、「紫式部」の人形が置かれていました。
実は、「天照派」のルーツである、「丹生家」のシンボルカラーが、「紫」なのです。
実は、さりげなく、ここが、このグループの本拠地だと示しているのです。
本堂の前に、たくさんの石で造られた人工の山があります。
これが、「石山寺」の名前の由来だそうです。
ここには、昔、「三十八の神様」を祭る、大きな社殿があったそうです。
今でも、少しだけ、当時の痕跡が残っています。
まずは、当時は、大きな社殿の中の「拝殿」だった建物ですが、現在は、「蓮如堂」という違う名前になっています。
この窓から、参拝するみたいです。
中には、誰かわからない人物の絵が置かれていますが、本当のご本尊は、これではありません。
本当に大切なものを、祭っている場合、こういうダミーを用意するのだと思います。
本当のご本尊は、窓の近く、目の前にありました。
私には、すぐにわかりました。
ハイ!
わかりましたね。
「運命の赤い糸」です。
もしくは、「DNA」です。
もっと言いますね。
日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」です。
本物の天皇家の流れである「丹生家」のシンボルカラーである、「紫色」の布に包まれていますね。
そして、今でも、二人仲よく寄り添うように、ここに置かれていたのです。
これに気が付いて、目から涙が出てきました。
この建物の裏を見て、ビックリしました。
「ええっ!」
一人で声を出して、驚きました。
普通ならば、「主祭神」や「由緒」などが、書かれているはずの案内板に、何も書かれていません。
日本中、星の数ほど、神社や寺を見て回りましたが、こんな案内板は、初めて見ました。
そうです。
現在でも、「天照派」への「神武派」の弾圧や攻撃は、続いているのです。
だから、こうやって、目立たないようにしているのです。
しかし、ここまで、目立たないようにすると、反対に、超目立ってしまいますね。
この板を見ていると、なんともいえない複雑な気持ちが、湧き上がってきました。
そして、この拝殿だった所の前、石組で造られた、石山の上に、日本の正真正銘、本当の「オリジン」である神様、「イザナギ」と「イザナミ」、そして、その子供たちを祭っている、本殿があるのです。
これです。
この鳥居に、文字が書かれていますね。
「三十八社」の文字が、光り輝いていますね。
この文字を見たら、また、目から涙が出てきました。
大感動です。
本殿です。
近くに行って、参拝しました。
見てください!
質素な造りだと思いましたが、それどころではありません。
この本殿の案内板にも、何も書かれていないのです。
日本人の「オリジン」である聖地が、何も書かれていないということは、どういうことでしょうか?
しばらく考えて、私なりに答えを出しました。
おそらく、ここは、誰にでも来てもらいたい場所ではないということです。
とことん、日本の古代史を猛勉強して、心の目が開いた人だけに、この本殿の価値がわかるようにしているのだと思います。
私には、今までにまわった、どんな立派な神社や寺よりも、この質素な社殿が、光り輝く、豪華な宮殿に見えます。
見る人が見れば、こんなに素晴らしい聖地はないのです。
720万年という気の遠くなりそうな長い年月の間、
「戦わない」
「争わない」
この姿勢を貫き通したグループの気高さと勇気、それから、本物の強さを感じ、ここでも、目から涙が出てきました。
この神社を見ていたら、久しぶりに、「聖書」の言葉が、頭に浮かびました。
狭い門からはいりなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこから、入って行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
にせ預言者たちに、気をつけなさい。
彼らは、羊のなりをして、やって来るが、うちは貪欲な狼です。
あなたがたは、実によって、彼らを見分けることができます。
ぶどうは、いばらからは、取れないし、いちじくは、あざみから、取れるわけがないでしょう。
同様に、良い木は、みな良い実を結ぶが、悪い木は、悪い実を結びます。・・・
こういうわけで、あなたがたは、実によって、彼らを見分けることができるのです。
有名な「狭き門」の話ですね。
「狭き門」という表現からは、一般的には、大学受験などで、よく使われ、がんばって勉強して、難関大学に合格するようなニュアンスを、感じる人が多いと思います。
でも、本来の聖書の意味は、「人目につかない」という意味で、使われていたようです。
イエス・キリストは、
「まことの救いは、人目につかなく、地味で目立たないところに、入り口がある」
と言っていたようです。
「人目につかない」とは、何を指すのでしょうか?
その事を、説明するために、イエスは、にせ預言者の話を、例にあげたようです。
ある本に書いてあったことを、そのまま掲載しますね。
にせ預言書の心は、貪欲であり、彼らは、羊のなりをして、獲物を狙っている。
表向きは、羊のような良い行いをし、良い様相をしているが、心の中は、自らの欲(ほめられたい、認められたい、偉くなりたい等)に、満ちているということです。
イエスは、当時、
「にせ預言者に、気をつけなさい」
と、繰り返し言っていたようです。
にせ預言者かどうかを、見極めるには、良い実をならすかどうかで、わかると言われ、良い実をならすなら、良い木につながっている証拠だと、言っていたようです。
ここでいう良い木とは、神のことみたいです。
神につながると、神からの実がなるので、判別できるというものです。
この神からの実のことを、「御霊の実」といい、聖書に、九つ書かれています。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」
ここに書かれている実は、全て、心の中に、なるものですね。
もし、本当に、神とつながっているなら、この様な実が、心の中に、なっていくというのです。
イエスが言った、「人目につかない」とは、心の中を指していたようです。
心の中は、人目につかないが、心の中に、こうした実がなると、自然と行いにも、変化が生じてくるというのです。
要するに、
「本性が良い人は、世の中に良いことをするし、本性が悪い人は、世の中に悪いことをする」
ということです。
言っていることよりも、やっていること、そして、その人が、最終的に残した結果で、判断しなさいと言っているのです。
たしかに、現代の世の中でも、派手な人や目立つことには、本物は、少ないかもしれません。
私が、今までの人生で出会った、「本物」の人物は、地味で謙虚で、人目につかない場所で、ひっそりと普通に生きている人が、多かったです。
そして、そういう人は、たしかに、
「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」
といいう九つの実を、心の中に、宿していました。
ここの「三十八社」は、まさに、聖書の「狭き門」だと思います。
いったい、これまでの間に、どれだけの人が、この建物の真実の価値に、気がついたんでしょうね?
高校生の頃、アンドレ・ジイドの「狭き門」を読んで、
「いつか、自分にとっての狭き門を、この目で、見てみたいな…」
と思っていたのですが、その後、いろいろな勉強をして、心の目が開いたら、いろいろな所に、こういう隠れた宝物があったことに、気が付きました。
この日、この神社でも、その宝物に出会えました。
本殿の裏に、階段があり、その上に、また、社殿がありました。
この位置に、昔は、宮殿や奥宮のような建物があったのだと思います。
この建物も、見事なまでに、何も書かれていません。
腰掛石という所が、建物の床下にありました。
これは、母親である、「イザナミ」が、38人の子供を産んだ、象徴として置いてあると思います。
この建物の裏に、二つの石塔が建っていました。
おそらく、「イザナギ」と「イザナミ」の象徴だと思います。
ここが、日本の「オリジナルゴッド」、つまり、「人祖」を祭っている聖地だったのです。
旅行記を書いているうちに気が付いたのことです。
宇宙考古学的に考えてみれば、地球の表の王様だった、「エンリル」と違い、そもそも、「イザナギ」と「イザナミ」の正体である、「エンキ」と「ニンフルサグ」は、裏の王様と王妃だったわけだから、こうやって、表に出ないようにして、ひっそりと祭られているのが、本来の姿なのかもしれません。
しかし、これからの新しい時代は、この隠れていた、裏の神様のグループが、いよいよ、地球の表舞台に登場してくるような気がします。
「日本」という国は、太古の時代、元々は、「丹ノ国」という名前だったそうです。
これからは、宇宙のエネルギーの根源である、「丹」のエネルギーが、日本から世界に広がる予感がします。
ふーっ!
今回で、「古代日本オリジナルツアー」は、最終回です。
どうでしたか?
楽しんでいただけたら、嬉しいです。
この旅行記は、私が、4年間で、宇宙考古学を学んだ総集編みたいになりました。
もうすぐ、私の本も出来上がります。
この本も、ぜひ読んでみてくださいね。
詳細は、また後ほど、告知します。
では、恒例の締めの一言です。
やはり、今回は、もう一度、これを書いて終わります。
狭い門からはいりなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこから、入って行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
「新約聖書 マタイの福音書」
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