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昨日の昼間は、都内の大田区で、またまた、マイブームの「補陀落渡海」の痕跡を辿っていました。

自分の近所の神社や寺にも、たくさんの痕跡があったことを発見して、毎回、驚嘆しています。

 

JR大井町駅から大森駅の近辺を、いくつか、まわったのですが、まわった中で、特に印象的だったのは、「大森山王熊野神社」です。

 

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とてもいい氣が充満している、パワースポットでした。

何回も通いたくなる神社ですね。

 

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やはり、「三つ巴」ですね。

 

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詳しいことは、今月くらいに、旅行記で、まとめて書きますね。

もうしばらく、お待ちください。

 

 

 

 

去年から今年にかけて、私の周囲で、何名かの友人や知人が、亡くなりました。

病気や交通事故の方もいれば、他の複雑な理由で、亡くなった方もします。

 

それまで、会おうと思ったら、会えた人が、ある日を境に、会えなくなるというのは、やはり、寂しいものです。

 

 

 

今回は、「死」について、考えてみましょう。

 

いつも思うのですが、学校での教育でも、家庭での教育でも、本当に大切なことは、子供に教えていないという現状があります。

これは、現代において、その中でも、特に戦後に著しい傾向だと思います。

 

 

大人が、子供に教えなくてはいけない、一番大切なことは、

 

「人生を、どう生きるのか?」

 

ということだと思います。

つまり、「人生哲学」のようなものです。

 

こういう核心を突かずに、

 

「テストで、いい成績をとって、いい学校に入れば、いい就職先に入れて、いい結婚ができる」

 

このような薄っぺらなことだけを教える教師や親が、まだまだ多いのが現代社会だと思います。

 

そして、「人生哲学」を説くには、その対極にある、

 

「死んだら、どうなるのか?」

 

これが、わからないと、本質的な話ができないのです。

 

「死んだらお終いだ…」

 

こういう世界観をもって生きている人と、

 

「死んだ後にも、新しい別の世界が待っている!」

 

こう信じて生きている人では、生き方が、全く違ってくるのです。

 

そして、この一番大切な「死」について、本当に理解している大人が、とても少ないのです。

 

 

私は、幸いなことに、23歳の頃に、ある教師に出会い、その方から、

 

「死とは、どういうことなのか? 何の意味があるのか? 死んだらどうなうのか?」

 

ということを、教えていただきました。

それからは、人生観や世界観が、180度変わりました。

 

 

 

前述したように、人生において、「幸福」の問題を考える時、どうしても避けて通れない問題に、「老い」と「死」の問題があります。

この中でも、特に、自分なりの答えを、なるべく早く、もっておいた方がいいのが、「死」についてだと思います。

これをクリアにしておかないと、本当の幸福感は、もてないと思うのです。

 

 

 

私が、最初に「死」を意識したのは、小学校低学年の頃でした。

 

夜寝ている時に、自分が死んだ夢を見たのです。

家の前で、自分の遺体が棺おけの中に入れられ、友達が泣きながら見ているのがわかりました。

とても悲しくなって、ワンワン泣いて、涙を流しながら、目が覚めた覚えがあります。

とてもクリアで、明確な夢でした。

 

 

その後、20歳の頃、8年間飼っていた、「ヤマト君」という雄の犬がいたのですが、このヤマト君が病気で死んだ時、とても悲しくて、また泣きました。

 

このヤマト君は、私が、精神的にまいっていた時、人間不信に陥って孤独だった時、一番の大親友でした。

いつも、一緒にランニングをしたり、小学校の校庭で、私が、鉄棒で懸垂したり、逆立ち歩きしたりしている時、ヤマト君だけが、応援してくれていました。

私の一番最初のトレーニングパートナーであり、コーチでした。

犬っていいですね。

たまに、人間よりも彼らのほうが、霊的に優れているのではないかと、思うこともあります。

 

 

また、ちょうどそれと同じ頃、隣の家の床屋さんのおじさんが、夜、酒に酔って、

 

「チクショウー! チクショウー! コンチクショウメー!」

 

と気違いのようにわめいているのを、夜見たことがありました。

 

子供の頃から、よく髪を切ってもらって、とてもやさしくしてもらったおじさんの、あまりの変わり果てた姿に、ビックリしました。

あんなに温厚で、紳士だったおじさんが、怒鳴りちらし、電信柱などを殴っていたのです。

 

それから、1ヶ月ほどして、そのおじさんが、癌で亡くなったと知り、なんともいえない気分になった覚えがあります。

たぶん、医者から癌の告知を受けたのだろうと思います。

「死の恐怖」が、人間をあんなに苦しめるものだということが、そのおじさんが取り乱している姿を見て、よくわかりました。

 

 

 

お釈迦様も、よく弟子たちと、「死」について、議論していたようですが、あまり詳しくは話してくれなかったという説が、有力だそうです。

 

 

ある日、お釈迦様のところへ、

 

「息子が死んだ」

 

と言って、嘆き悲しんでいる母親がやってきて、この苦しみを和らげてくれるように、頼んだことがあったそうです。

 

すると、お釈迦様は、ただ、

 

「それでは、死人が一人もでなかった家を探してきなさい」

 

という宿題を出したそうです。

 

その母親は、言われたとおり、いろいろな家を訪ねるのですが、どの家も、

 

「おじいさんが、去年死んだ」

「お母さんが、、3年前に死んだ」

 

などという答えが返ってきて、その時にようやく、その母親は、

 

「そうか、死というものは、どの家でも起こる、きわめて当たり前のことだったのだ。誰にでも、訪れることだったのだ。私の息子だけではなかったのだ」

 

ということを悟り、お釈迦様のこの宿題に感謝したのだそうです。

 

そうなのです、

 

「死」は、きわめて当たり前のことであり、日常茶飯事の出来事なのです。

 

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ヤマト君と床屋のおじさんの死の後、1年経った、21歳の頃、私は今度は、祖母の死を目の当たりにしました。

私は、この祖母と仲良しでした。

 

その頃、祖母は67歳だったのですが、病気がちで、いつも病院と家の入退院を繰り返していました。

 

その後、家に帰ってきて、自宅療養していていました。

 

その間、母がずっと介護していたのですが、排泄器官が悪くなり、すぐに大小便を垂れ流すようになり、母も私たち家族も、皆、介護に疲れ果てていました。

 

「もう、このままでは、私のほうが、ノイローゼになってしまうよ…」

 

母が、毎日こう言って、苦しんでいました。

 

だんだん、頭もボケてきて、いろいろなことを言うようになりました。

 

「ねえ、どうして、この家に川が近づいてくるの? 一日ごとに、川の流れる音が、大きく聞えるようになっているよ」

 

「どうして、去年死んだ犬のヤマト君が、部屋の中のに入ってくるの? 私のベッドの周りで、元気に走り回っているよ」

 

こんなことを言うようになりました。

 

でも、今考えると、ボケていたというよりは、本当に見えたり、聞えたりしていたのだろうと思います。

 

 

「昨日、死んだ私のお父さんが、迎えに来たよ…」

 

こんなことを話していたある日、急に、祖母は息をひきとりました。

 

救急車が来た時には、もう完全に心臓が停止していました。

とても安らかな死に顔でした。

すぐに死後硬直が始まり、遺体が固くなったのには、驚いたのですが、それ以外は、眠っているような顔でした。

 

親戚を呼び、通夜が行われ、私は一晩中、祖母の遺体と部屋で一緒にいました。

酒を飲みながら、歌を歌ったりして、一晩明かしました。

いろいろな思い出が蘇ってきました。

 

「イタル、男は文武両道だよ。頭だけ良くてもダメだ。体だけ丈夫でもダメだ。学問もやって、体も鍛えて、はじめて本当の男なのだよ。文と武は両輪のごとしだよ。忘れないでね」

 

私に、口癖のように、いつも言っていました。

今でも、この言葉は、私のライフスタイルに、強い影響を及ぼしています。

 

 

翌日、火葬場に行く時、家の前で、近所の人がたくさん集まって、私たちが棺おけを運ぶのをみていたのですが、

 

「あれ? この場面、以前にも一度体験した気がするぞ…」

 

という「デジャブ」を体験しました。

もしかしたら、私が子供の時に見た、「自分が死んだ夢」と何か関係があったかもしれません。

 

火葬場で遺体を焼き、煙突から、祖母の遺体が煙とともに、空に上っていくのを、ボンヤリ見ていました。

 

「ああ、この煙の細かい粒子が、また海や土に降りてきて、魚の口に入ったり、植物の肥料になったりするんだな…」

 

などと考えていました。

自然界の摂理を少しだけ垣間見たような気がしました。

 

 

それから一週間ぐらいの間、家の中で夜、祖母の杖の音が、ずーと聞えていました。

歩き回っているようでした。

それから一週間目の夜に、私の部屋に、人が入ってくる気配がしました。

 

「あっ、おばあちゃんだな…」

 

とわかりました。

とてもやさしい波動を感じたからです。

私の体をやさしく触り、どこかに行くのがわかりました。

 

また、四十九日の前日、夢の中で、祖母に会いました。

とてもクリアな夢でした。

 

「ほーら、見なさい、イタルがやっぱり、一番最初にここに来ると思っていたよ」

 

もう一人、知らないおばあさんがいて、その人に、私のことを紹介しました。

祖母は、とても艶やかな紫色の着物を着て、幸せそうでした。

 

「あばあちゃん、そんなに元気だったら、こっちの世界でも、100年以上は、生きられそうだな!」

 

こう言って、祖母の膝を触りました。

その触った感触は今でも覚えています。

あの場所が、いわゆる「あの世」という場所だったのではないかと思っています。

 

 

私は、祖母にも、犬のヤマト君にも、また会えるだろうと信じています。

再会が、今から楽しみです。

 

 

 

「死」というものは、やはり、魂の成長の一つのプロセスに過ぎないと思っています。

昆虫が、さなぎから成虫になるようなものかもしれないと、私は考えています。

 

今は、死に対する不安はほとんどありません。

今も幸せだし、死後もやはり幸せだろうと、思っています。

 

「自分が、元いた場所に戻るだけの行為」

これが、私の考える「死」の定義です。

 

 

 

昔、「死」について、ユニークな考えを、本で読みました。

 

 

1972年に、「アポトーシス」という現象が発見されたそうです。

これは、細胞が自殺するという現象だそうです。

 

ある種のたんぱく質が、生命体の全身のために、特定の細胞に、「死んでください」という指令をだすことが、科学的に確認されたのだそうです。

 

その指令を受けた細胞は、みずからの命を絶つそうです。

 

例えば、体が傷ついた時、その傷口には、潰れた細胞があるのですが、二通りの潰れ方があるそうです。

一つは、血管が萎縮して、血液が回らずに輪郭が崩れて死んでいく細胞。もう一つは、輪郭を維持しながら、秩序正しく死んでいく細胞。

この後者の「秩序正しく死んでいく細胞」が、遺伝子の指令で死ぬ細胞なのだそうです。

 

「全身のために、これらの細胞は、死んだほうがいい」

 

と遺伝子が判断して、指令をだし、これを受けて細胞が死ぬのだそうです。

 

例をあげると、おたまじゃくしの尻尾の細胞が死ぬ時は、この指令がでているそうです。

この「尻尾の細胞」が死ぬことによって、「おたまじゃくし」という全身が、「カエル」という全身に変身するのだそうです。

 

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よく、「生き甲斐」について、私達は考えますが、逆の「死に甲斐」について、考えてみることによって、より世の中が、明確に見えてくることもあると思います。

 

 

「全ての死は、人類全体の発展、進歩のためなのではないか?」

 

と、一度、大きな視点で考えてみるのも、いいのではないでしょうか?

 

枯葉が落ちて、それが、その木の養分になるように…

 

 

 

別の本の中で、「死」について、興味深い表現が書かれていました。

 

要約すると、

 

「私達の世界は、人生老死号という名前がついた列車に乗って、皆で旅をしているようなもの」

 

だというのです。

 

老いと死に向かって、まっしぐらに進んでいく列車で、各駅停車で、駅に着くたびに、新しい乗客を乗せて走っていく列車なのだそうです。

 

「新しい乗客」が、新しく生まれてくる「赤ちゃん」だそうです。

 

この列車に終着駅はなく、どこまでも走り続けるそうです。

誰がどこで降りるかというと、じっと耳をすましていると、神様の声が聞こえてきて、それぞれが、

 

「私は、皆さんと一緒に、楽しい旅をさせていただきました。私は、次の駅で降ります。では!」

 

と皆にお礼を言って、各駅で降りていくのだそうです。

 

降りる人がいるから、誰かが、降りる人の席に座れる。

立ったままの人もいるが、立っている人も、一人でも降りれば、それだけストレスが、小さくなるという話です。

 

乗る人だけだったら、確かに大変です。

満員電車になってしまいます。

 

ここでの「各駅停車」が、「生死」なのだそうです。

 

 

人類は、地球上において、長い長い歴史の中、常に、生まれて、老いて、それから、死んでいくという行為を、繰り返してきています。

 

それは、あたかも、人類全体が、古い細胞をそぎ落として、新しい細胞が生まれてくるという、新陳代謝を繰り返し、成長し続けている、「大いなる超生命体」のようなものなのかもしれません。

 

 

 

 

PS この話を書いていたら、久しぶりに、アニメの「銀河鉄道999」が、頭に浮かんできました。(笑)

 

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☆ 23歳の時に、出会った恩師、宮城先生の話です。

まだ読んでいない方は、ぜひ読んでみてくださいね。

 

〇「マスター編」

 

http://www.tomaatlas.com/master.htm

 

 

 

 

 

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