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補陀落渡海ツアー 1 平和憲法

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お待たせしました~! 

久しぶりの旅行記です。

 

ご存知のように、今年になってから、「古代日本オリジナルツアー」、「古代日本パイオニアツアー」、「古代日本ピースツアー」、「沖縄ニライカナイツアー」など、立て続けに旅行記を書いています。

 

そして、裏の日本史において最重要だと思われる、「補陀落渡海」について調べています。

これは、直接、現地に行って、自分の脚で、歩き回って、自分の目で確かめているという意味です。

 

 

古代において、西日本で虐げられ、弾圧されていた人々が、理想の新天地を目指して、「黒潮」という流れを利用して、「小舟」で東日本を目指したという、現代でいう、「亡命」のような脱出劇があったのです。

その驚愕の古代史を、突き止めたのです。

 

 

今回は、主に、その人々が、東日本に辿り着いた痕跡を辿った旅になります。

 

 

 

実は、「補陀落渡海」という単語を、最近まで知りませんでした。

 

今年の1月に、大阪府の堺市に、数日間の間、滞在したのですが、その時に、ある友人から、素敵な本を紹介されたのです。

それが、この本です。

 

〇「全ての生命は日ノ本から 日本が地球を救う」  著者:豊受の界 印刷:サンメッセ株式会社 2000円

 

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自費出版だと思いますが、最高に素晴らしい本です。

 

私は、この本は、現代の聖書だと思います。

星の数ほどの歴史書や古代史を読み漁りましたが、その中でもダントツの存在です。

 

「人類への神からのメッセージ」

 

こう言われている、「預言書」や「チャネリング」の本は、山ほどありますが、ほとんどの情報元は、「神」というよりは、人間のちょっと上からの「超自我」、いわゆる、「天使」や「ハイアーセルフ」からものが多いです。

 

しかし、この本は、本当に、宇宙の根源の「創造主」のような存在から、直接、届けられたメッセージという気がします。

 

私は、普段から、膨大な読書をこなしているので、そのレベルの高さや完成度が、すぐにわかるのです。

 

去年から、存在は知っていたのですが、書店などにも置いてなくて、なかなか手に入らなかったのですが、不思議な御縁で、私の手元に届きました。

 

それから、夢中になって、むさぼるように読みました。

10回以上精読していますが、内容が凄すぎて、未だに全部は理解できません。

 

 

 

何度か紹介していますが、去年に読んだこの本がありましたね。

 

〇「超古代の黙示録」 著者:後藤まさし たま出版 1429円

 

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この本は、上記の本の内容を、シンプルにして、一般の方でも、わかるような表現にした内容だと思います。

 

私は、最初に、この一般向けの「超古代の黙示録」を読み、それから、本格派向けの「全ての生命は日ノ本から 日本が地球を救う」という本を読みました。

この流れのほうが、理解しやすいかもしれません。

 
 
去年に、「超古代の黙示録」を読んで、この中で、たびたび紹介されている、K先生という方の存在を知りました。
 
「日本には、凄い方がいるんだな…、いったい、どんな方なんだろう?」
 
こう思っていたら、フェイスブックで、K先生をよく知っている方たちと繋がることができて、インターネットを通じで、K先生のことを、間接的に知ることができました。
 
そして、加古藤市先生というお名前だということも、その時に初めて知りました。
 
 
それから、前述したように、今年の1月に、「全ての生命は日ノ本から 日本が地球を救う」という本を購入して、精読しているうちに、加古先生が、御病気で入院中だということを知りました。
 
その時は、フェイスブックの投稿を、いくつか読んでいるうちに、お元気で回復している様子を知ったので、
 
「加古先生に、いつかお会いしたいな…、直接、いろいろなお話を聴いてみたいな…」
 
こういう気持ちが、徐々に膨らんでいました。
 
しかし、先日の4月9日、先生は、今世でのお役目を終え、光の世界に、帰られたそうです。
忙しくて、お葬式などでにも、行けなかったのですが、その日は、遠くから合掌させていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。
 
 
 
人間関係というのは、インターネットの登場で、大きく変化しました。
 
会ったことが無い方でも、ネット上だけで、深い会話をすることができたり、その人の価値観や思想が、自分の人生に、大きな影響を受けたりすることもあります。
 
場合によっては、たったの1回だけ、メールでやりとりしただけで、人生が劇的に変化することもあります。
 
一方で、職場などで、毎日、顔を合わせて、日常会話をしていても、表面的な会話だけで、まったく深い内容の話をしないで、お互いに相手が、本当は、どういう人間なのかを知らずに、終わる関係もあります。
 
最近では、家族や親戚でもしないような、深い内容の会話を、ネット上で、やりとりすることもあります。
 
 
現代社会では、血縁関係よりも、もっと深い関係を、築くようになってきているのです。
それは、霊的な関係と表現してもいいかもしれません。
「ソウルグループ」という単語を使ってもいいでしょう。
 
 
私にとって、上記の2冊の本は、間違いなく、人生の分岐点に立ったと思えるほどの衝撃の内容でした。
そして、2冊も、メッセージの送り手が、加古先生だったのです。
 
一度もお会いできませんでしたが、私の人生の中では、大恩人です。
この本との出会いが、私の人生を、とても豊かなものに、変えてくれたのです。
 
 
そして、この本、「全ての生命は日ノ本から 日本が地球を救う」の中に、「補陀落渡海」の話が書かれていたのです。
 
わずか数行ほどの記述でしたが、私には、なぜか本能的な勘で、
 
「この内容は、とても重要である!」
 
と確信することができて、それから、いろいろ調べ始めたのです。
 
調べれば調べるほど、「補陀落渡海」の奥深さ、それから、古代から現代にまで、日本という国家に影響を与えている、最重要な史実だということを、知ったのです。
 
 
 
では、いつものように、初めて旅行記を読む方たちのために、前回までの内容を、思いっきり駆け足で、再掲載しますね。
 
 
上記の2冊の本を、私なりの解釈で、さらに、シンプルにまとめますね。
詳しいことを、お知りになりたい方は、ぜひ、本を読んでください。
 
 
 

宇宙には、生命を創る元のエネルギーのようなものがあり、それは、「丹(に)」と呼ばれているそうです。

太陽で創られ、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元になっているそうです。

 

そして、宇宙空間にあり、目に見ない、「障壁賀」という、宇宙の子宮のような所があり、ここに、「生(しょう)」と呼ばれる別のエネルギーのようなものが、充満しているそうなのですが、ここで、二つが合体するそうです。

 

そして、「丹生(にしょう)」というエネルギーが、生まれるそうです。

 

「丹(に)」+「生(しょう)」=「丹生(にしょう)」

 

「丹生」とは、「丹生遺伝子」の意味で、生命そのものを表現するのだそうです。

このエネルギーが生まれた後、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中では、「植物」、「動物」、「人間」の三つに、区分けされるそうです。

 

太古の大昔、最初に、「植物の丹生」が、地球に降り立ち、次に、「動物の丹生」が、最後に、「人間の丹生」が、降り立ったそうです。

三つとも、月を経由して、地球に来たそうです。

 

最初に、「植物の丹生」が降り立ったのが、現在の日本の京都府与謝郡峰山町にある、「藤社(ふじこそ)神社」だそうです。

それから、「動物の丹生」が降り立ったのが、同じく京都府与謝郡峰山町の「比沼麻奈為(ひぬまない)神社」だそうです。

 

太古の昔は、「与謝郡」と「与謝の海」を合わせた場所を、「与謝津(よさかい)」と言って、ここだけが、地球上で、唯一、生命を導き、育てることが、許されていた場所だったそうです。

 

そもそも、「丹波」のように、「丹」がつく土地は、「丹(に)の波動を出している土地」という意味なのだそうです。

 

 

肝心の「人間の丹生」が降り立った場所ですが、それが、現在の「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」なのだそうです。

720万年前の話だそうです。

 

最初の「人間の丹生」は、「零迦児(むかご)」として、風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。

それは、なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。

 

それから、その、「零迦児」は、巣と一緒に、海に落ちて、しばらく、与謝海を漂ったそうです。

何度も何度も、脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。

その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように、見守っていたそうです。

 

昔から、世界中に、「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」という話がありますが、これが由来だそうです。

 

 

「舞鶴」という地名も、元々は、「コウノトリが、舞い戻った」ということから、できた名前だそうです。

おそらく、この「零迦児の入った巣」を、海に漂っている途中で、危なくて見てられなくなり、口で咥えて、舞鶴の地へ運んだのだと思います。

 

 

最終的には、「零迦児の入った巣」は、舞鶴の「丹生川」の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら、育ったそうです。

 

 

丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。

「久久比神社」という名前です。

 

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こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。

先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。

 

 

 

何度も書いていますが、中近東を拠点にした、シュメールの文明の神々、「アヌンナキ」のファミリーは、50万年前に、故郷である、「二ビル星」から、UFOでやってきたそうです。

 

しかし、その「アヌンナキ」の王である「アヌ王」、その子供になる、「エンキ」と「ニンフルサグ」の二人が、それよりも古い、720万年前に、なんと、宇宙の根源からダイレクトに、日本の丹後半島に、降臨していたということです。

 

念のために、再度書いていますね。

 

この神々の正体です。

 

エンキ」=「イザナギ」

「ニンフルサグ」=「イザナミ」

 
こうなるのです。

 

 

二人は、月を経由してやってきて、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た、「繭(まゆ)」のような姿の生物として、成長したようです。

それからも、何度か脱皮を繰り返して、人間として成長したそうです。

「瓢箪(ひょうたん)から駒」という表現の語源は、このあたりに由来しているそうです。

 

 

一説によると、天橋立から、ちょっと離れた冠島で、完全な人間の姿になったそうです。

 

「眞名井神社」です。

「三つ巴」の紋章は、「植物」と「動物」と「人間」の遺伝子も、表現しているのだと思います。

 

この「三つ巴」のシンボルマークは、大切なキーワードになるので、よく覚えておいてくださいね。

 

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「イザナギ」と「イザナミ」の二人ですが、最初の頃は、中近東にあった、「エデンの園」に住んでいた、もう一組の人祖である、「アダム」と「イブ」のように、周囲には、植物と動物以外には誰もいないという環境で、二人っきりの童児と童女として、寄り添いながら、生きていったそうです。

 

小鳥たちや小動物たちしか、遊び相手はいなかったのです。

 

ある日のこと、小鳥やリスが、交尾をしているのを見て、童女の方が、顔を赤らめたそうです。

 

それから、童女は、童児に、

 

「これからは、寝屋を別にしましょう」

 

と言ったそうです。

 

お互いに、異性を意識するようになったということです。

 

童児も、それに同意して、それが、きっかけで、二人は別々の場所で暮らすことになったそうです。

 

しかし、永遠の別れというわけでもなく、二人の約束は、

 

「ある程度の年齢になったら、また再会しよう!」

 

というものだったそうです。

 

現在の福井県小浜市にある、遠敷川の「鵜瀬」で、二人は、一旦、涙の別れをしたそうです。

 

童女のほうは、その後、現在の滋賀県の琵琶湖にある、「竹生島」で、初潮を迎えたそうです。

後世、成人した女性を守る、「弁天様」は、ここから発生しているそうです。

そういえば、多くの祠は、池の中にあったり、赤い鳥居や赤い祠、赤い橋などですね。

あれは、童女(イザナミ)が、琵琶湖に囲まれた竹生島で、赤い血を流したことが、始まりだそうです。

 

それから、童女は、滋賀県犬上郡多賀町のあたりで、しばらく暮らしたそうです。

 

「イザナミ」は、その後は、三重県の員弁、それから、三重県の麻生田でも、3年間ほど生活していたそうです。

 

それから、「イザナギ」と再会を約束していた場所、現在の伊勢市宮後町にある、「伊勢神宮」の外宮の別宮、「月夜見宮」に行ったそうです。

そこで、二人は、お互いに成長した姿で、久しぶりの再会をしたそうです。

そして、ここで、結婚式を挙げたそうです。

 

 

そこでは、「イザナミ」が、麻生田で織った、「白妙」を二人とも纏って、誓いの言葉を神に述べたそうです。

 

「絶対に争ったり、殺し合ったりせずに、助け合います」

 

というのが、その誓いの言葉だったそうです。

現在でも、天皇が結婚する時にやる、「大嘗神祇祭」という儀式では、これをやるそうです。

 

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この誓いの言葉の理由は、最初の人祖である、この二人が、「人間の元」の状態で、地球に来る前に、その宇宙の根源のような世界、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中が、とても調和がとれていて、争いごとの全くない、素晴らしい世界だったために、その理想の世界を、この現実世界でも再現しようと思ったようです。

 

考えてみたら、現在の日本の「平和憲法」は、この時に、すでに出来上がっていたのです。

 

 

「絶対に戦わない」

 

この姿勢は、戦後、GHQから押し付けらたものではなく、なんと、そもそも、この世界に、人類が最初に誕生した頃からの、神との約束だったのです。

 

「平和憲法」というのは、気が遠くなるほど、遠い遠い、超古代からの「尊い教え」だということです。

 

「日本」だけでなく、「地球」そのものを救うための教えだったのです。

 

 

 

それから、イザナミは、自分が子供の頃に住んでいた滋賀県犬上郡多賀町のあたりが、とても気に入っていたので、そこでの定住を決めたようです。

 

二人は老化もせず、若い身体のまま、数千年生きたそうです。

そして、その間に、子供を、たくさん産んだようなのです。

 

子供たちは、男女合わせて38人いたそうです。

男児が19人、女児が19人だったそうです。

 

38人の子供たちが、ある程度育ち、それから、さらに、その38人も、たくさんの子供を産み、大勢の子孫に恵まれたそうです。

 

それで、ある程度、落ち着いた頃を見計らって、二人は、元来た天に、戻ることにしたそうです。

 

その場所は、滋賀県米原市にある、「醒ヶ井」という所にある、「武奈山」と「比婆山」を、二人のお墓に決めたそうです。

この二つの山は、距離にして、3キロくらい離れているそうです。

 

最初に、「イザナギ」が、「武奈山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、本質である霊体は、

 

プシュー!

 

と、天高く飛びあがり、そのまま、「金星」に向かって、天に飛んでいったそうです。

 

しばらくして、今度は、「イザナミ」が、「比婆山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、また、霊体が、

 

プシュー!

 

と、「イザナギ」の後を追うように、同じく、「金星」の方角に飛んで行ったそうです。

 

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」が生んだ、38人の子供たちは、それそれ、男子が19人、女子が19人で、それぞれ、カップルになり、結婚して世帯をもったそうです。

19組のカップルだったのです。

 

その中でも、最初の長男と長女のカップルは、別格の扱いになったそうです。

この夫婦は、「大丹生・皇(おにゅうけ・すめら)」という名前が付けられ、後に、この子孫が、「天皇家」の家系になったそうです。

 

長男の名前が、「別雷尊(わけいかずちのみこと)」という名前だったそうです。

 

とても元気な身体で、拳を振り上げて、生まれたそうです。

そして、宇宙の源のエネルギーである、「丹生」の波動で、身体が輝いていたそうです。

それが、まるで、雷でも落ちて、発光していたように、見えたのかもしれません。

現代風の表現では、「凄いオーラをまとった身体」だったのだと思います。

 

長女の名前は、「玉依姫(たまよりひめ)」と名付けられてそうです。

「玉のように美しい」という表現がありますが、ここからきていると思います。

この一族の中では、美しい女性の美称として、この表現を使っていたそうです。

 

 

この長男と長女の名前も、あとから、大切になってくるので、おぼえておいてくださいね。

 

〇長男 → 「別雷尊」

〇長女 → 「玉依姫」

 

この二人の夫婦が、「大丹生家(天皇家)」の始まりだそうです。

 

 

他の18組の夫婦は、「丹生家(にゅうけ)」となり、「天皇家」を補佐するグループになったそうです。

 

まとめると、「38人の子供」の中で、長男と長女の2人は、「天皇家」になり、残りの36人は、「補佐の役割」になったということです。

 

 

この最初の日本人の数を表現している、「三十八」という数字は、実は、とても特別な数字であり、日本の古代史の中で、様々な形で、暗号として隠されて、伝えられてきたようです。

 

 

たとえば、後世になって、人がたくさん集まる場所は、「都」と呼ばれるようになるのですが、この名前には、

 

「三(み)」+「八(や)」+「子(こ)」=「都(みやこ)」

 

という意味が隠されてたそうです。

 

「38人の子供が、最初に住んでいた土地」

 

というのが、「都」の隠された意味だったのです。

 

「京都」は、もちろんのこと、「東京都」、「宮城」、「三ノ宮」、「都城」、それから、沖縄県の「宮古島」など、「みやこ」の文字が入る地名は、全部、この38人の子供に、関係ある土地なのかもしれません。

 

 

 

この後、この38人の子供たちと子孫は、滋賀県の多賀大社の辺りから、三重県いなべ市に引っ越して、三代に渡り、ここに滞在したそうです。

 

「いなべ市大安町石榑」という土地が、日本初の「都」になったそうです。

 

 

38人の子供たちの痕跡は、日本中に、いくつか残っています。

 

福井県福井市には、「三十八社町」という町があります。

 

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滋賀県の「石山寺」の境内にも、「三十八社」の文字の書かれた鳥居があります。

 

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次回に続きます。

 

 

 

 

 

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