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沖縄ピラミッドツアー 3 今帰仁

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沖縄本島の北部にある「本部町(もとぶちょう)」は、現在では、「沖縄美ら海水族館」が、全国的にも有名ですが、40年前の1975年に、「沖縄国際海洋博覧会」が、開催された場所でもあります。

子供の頃、大好きで、よく家族旅行で行きました。


現在になって、振り返ってみると、本部町という小さな町で、世界的な万博が、開催されたというのも、不思議な話です。

他での開催は、もっと大きな市や街で、開催されています。

当時、本部町のように、交通の不便な町で、あれだけの規模のイベントが、半年くらい開催されていました。

しかし、前回書いたように、この町が、地球文明にとって、大事な拠点であり、「本部(ほんぶ)」だと思えば、納得です。




さて、沖縄旅行中は、ここを、拠点にして、いろいろまわったのですが、最初に紹介するのは、世界遺産にも登録された、「今帰仁城跡(なきじんじょうあと)」です。


一般的には、13世紀頃に、建造されたと言われていますが、私は、もしかしたら、もっと古い超古代の時代にも、この場所は、重要な場所として、使われていたような気がします。

今の城が建造される、はるか昔に、似たような建造物の原型が、あったかもしれないということです。

どのくらいの古い時代か、わかりませんが、1万年以上前かもしれません。

いろいろ調べると、

「もしかしたら、地球文明に影響を与えた宇宙人グループが、ここも、拠点にしていたかもしれないな?」

と思えてくるのです。




まずは、今帰仁城跡の写真です。

城壁は、中国の「万里の長城」にも似ていますが、ペルーの「マチュ・ピチュ遺跡」にも、似ている気がします。


150519_141057.jpg



堅牢な造りですね。


150519_141006.jpg



沖縄のお城は、だいたい、このような建造になっています。


150519_164831.jpg



早朝などの霧の中では、本当に、マチュ・ピチュ遺跡のような景色になるようです。


150519_164304.jpg




ご存じのように、ペルーの「マチュ・ピチュ遺跡」には、部屋のような建物に、屋根がない部屋ばかりです。






昔は、この屋根については、

「当初は存在していたのだが、後から、天災などの理由で、無くなったのではないか?」

と言われていたようですが、最近の新説では、

「ペルーのマチュ・ピチュ遺跡には、最初から、屋根がなかったのではないか?」

という意見も、ちらほら出てきているようです。

「では、それは、どうしてなのか?」

ということですが、

「当時、宇宙人たちが、人間たちを、何らかの理由で、その場所の囲いの中に、拘束していたのではないか? そして、これも、何かの理由で、必要な時に、上空から、UFOで引き上げていたのではないか? そのために、屋根が、邪魔だったために、無かったのではないか?」

こんな意見も、出てきているようです。

要するに、

「マチュ・ピチュ遺跡というのは、古代の時代、宇宙人たちが、人間を、奴隷や家畜のようなかんじで、飼っていた場所だったのではないか?」

という仮説です。

宇宙人たちにとって、地球の「動物園」や「遺伝子実験場」のような場所だったかもしれないということですね。

繰り返しになりますが、その動物とは、モチロン、「人間」です。




私には、「マチュ・ピチュ遺跡」に似ている、この「今帰仁城跡」が、太古の時代にも、似たような城壁のような建造物が、すでにあって、そこで、宇宙人たちが、動物園や実験場の動物として、人間を、囲っていたような気がするのです。

それから、何らかの理由で、そこが無くなり、13世紀頃に、人間が自力で、再び、お城として建造した。

このようなビジョンが、見えるのです。




以前にも、書きましたが、宇宙考古学的には、「アヌンナキ」という宇宙人は、重要な存在です。


太古の昔から、たくさんの宇宙人グループが、地球を訪れていたようですが、このアヌンナキのファミリーが、地球の歴史に、一番影響を与えたのかもしれません。

アヌンナキは、いわゆる、爬虫類人(レプティリアン)だっと言われています。

性別でいえば、男性だったそうですが、彼が、大昔に、地球の将来の大まかなプランを、つくったようです。

地球の歴史のほとんどが、彼が、創作したイメージどおりに、ずーっと長いこと、進行していたということです。

だから、「歴史」のことを、英語で、「history」、つまり、「his story(彼のつくった話)」というそうです。




アヌンナキだといわれている壁画です。






もしかしたら、この宇宙人が、現在の沖縄の今帰仁城跡のあたりで、人間を囲って、動物園や実験場のようなものを、つくっていたのかもしれません。




あまり、確かではありませんが、ほんの少しだけ、地名に、痕跡が残っていました。

ネットで調べてみると、面白いことが、わかりました。

「今帰仁」と書いて、「なきじん」と読むのですが、

「どうして、こういう読み方をするだろう?」

と思って、調べてみました。



すると、沖縄の地名には、「東江(あがりえ)」や「西表(いりおもて)」など、沖縄県外の人には、読みにくい、漢字の当て方がされている地名や人名が、たくさんあるのですが、その多くは、沖縄の古い言葉に、漢字の意味を当てたものです。

たとえば、前述の「東江(あがりえ)」や「西表(いりおもて)」という地名は、沖縄では、東は、太陽が上るので「あがり」、西は、沈むので「いり」と言うそうです。


しかし、「今帰仁(なきじん)」という地名の由来は、謎で、学者たちによる定説が、まったくないそうです。


…ということは、古い沖縄の言葉よりも、さらに古い時代の言葉の可能性があるということですね。


そこで、最初は、「泣き人」や「亡き人」なのかと思って、いろいろ考えていたのですが、シックリきませんでした。


しばらくして、閃きました。

「なきは、ナキで、じんは、神だったんじゃないかな…?」

「なき」は、「アヌンナキ」の「ナキ」だったんじゃないかということです。

「じん」は、「神」ですね。

「今帰仁=なきじん=ナキ神=アヌンナキ」

という等式が、成立するかもしれないと、思ったのです。

「今帰仁城跡=太古の時代に、アヌンナキが、治めていた場所」

かもしれないということです。



どうですか?

ちょっと、関係ありそうな気がしてきませんか?

実は、アヌンナキのさらなる痕跡を、今帰仁城跡の近くに見つけたのです。

彼の二人の息子たちである、「エンリル」と「エンキ」の痕跡があったのです。

さらに、彼らが、人類の誕生に関わった、「エデンの園」、つまり、「アダムとイブの住んでいた場所」が、前回の青森県の旅と同じように、この今帰仁城跡の近くにもあったのです。




次回に続きます。






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