旅の最終目的地、「天橋立」に、やってきました。
本当は、もっと訪れたい場所が、たくさんあったのですが、今回は、時間の関係上、ここが最後でした。
駅から、少し歩くと、天橋立の入口の近くに、お寺がありました。
「三人寄れば文殊の智恵 」で、有名な「智恩寺」だそうです。
立派な門です。
こういう建物の上には、塔のようなものが、伸びていますが、最近では、この部分は、旧約聖書の創世記に出てくる、エデンの園の中央に植えられた、「生命の樹:Tree of Life」じゃないかともいわれていますね。
「命の木」とも訳され、
「この樹の実を食べると、「神に等しき永遠の命を得られる」
とも言われているそうです。
そういえば、このあたりの丹後地方にも、「徐福伝説」が、伝わっていますね。
ここは、「不老不死」の神々がいた土地だったのかもしれませんね。
去年、お隣の福井県や滋賀県を訪れた時に、子供を抱いている狛犬を見たのですが、ここの狛犬は、なんと、子供が親元を離れて、一人立ちしている様子になっています。
興味深いです。
天橋立を歩きました。
天橋立自体が、籠神社への参道になっているそうです。
ずいぶん長い参道ですね。
「参道」は、「産道」でもあるそうです。
「自分が、新たに生まれ変わる儀式をやる場所」
という意味です。
実は、ちょうど30年前、19歳の頃、一人旅で、ここを訪れたことがありました。
高校を卒業して、予備校で浪人生活をしていた時に、気晴らしに、ここまで旅してきたのです。
舞鶴市の親戚の家に泊まり、それから、この天橋立を、一人で、トボトボと歩きました。
当時は、人生に絶望していて、しかも、これから先の展望が、まったくわからないという五里霧中の状態でした。
「ああ… これから先、どうやって生きていったらいいだろう…?」
こう呟きながら、暗い表情で、ここを歩いていたのです。
現在でも、いろいろ悩みはありますが、あの頃に比べてたら、だいぶ楽になりました。
今は、具体的に、やりたいこともあるし、ずいぶん幸せになったと思います。
今回の旅行で、ここを歩きながら、
「自分は、やはり、30年の間に、かなり成長したんだな…」
と、実感できました。
天橋立の途中に、「天橋立神社」がありました。
ここにも、参拝しました。
いよいよ、橋を渡り切り、「元伊勢 籠神社」に到着です。
鳥居が、素敵な形と色でした。
ここでも、参拝しました。
それから、ここの奥にある、「眞名井神社」に、向かいました。
籠神社の奥宮である、「眞名井神社」は、別名を、「久志濱宮(くしはまのみや)」とも云うそうです。
「くし」とは、「霊妙なる不思議なパワーの源」を意味するそうです。
着きました。
とうとう、旅の最終地点に到着です。
最初の鳥居は、柱ではなく、紐のようなものでした。
「真名井神社」と彫られたこの石碑は、地中に埋まっていたものを、有志が掘り起こして、新しくしたそうです。
真名井神社の由緒が、彫られているのですが、建立当初は、上部に、「籠目紋(六芒星)」が刻まれていました。
一説によると、これは、「籠神社」の裏社紋らしいのですが、籠目紋は、「ダビデの星」とも呼ばれ、イスラエルの国旗にも描かれているマークであったため、大騒ぎになったそうです。
それ以来、いわゆる、「日ユ同祖論(日本人とユダヤ人の祖先は同じであるとする論)」を扱った書籍等では、伊勢神宮の灯籠と並んで、「日ユ同祖の証拠」として、取り上げられる事となったようです。
私も、昔、そういう本は、たくさん読みましたね。
その後、風評があまりにも大きくなったせいなのか、現在では、籠目紋は削り取られ、籠神社の表社紋である、「三つ巴紋」に変更されています。
昔の石碑です。
現在の石碑です。
次の鳥居は、普通の鳥居でしたが、両側の狛犬が、「龍」でした。
しかも、珠を、二つも抱えているのです。
もう片方も、二つ抱えているから、合計4個の珠が、鳥居の前にありました。
この岩からは、不思議なパワーを感じました。
階段を上って、参拝してきました。
ふーっ、以上で、京都で、まわりたかった所を、全て見終わったのですが、実は、時間があったら、もう一か所、近くまで行きたい場所がありました。
「眞名井神社」のさらに、「奥の院」のような所だそうです。
それは、「冠島」です。
ここは、「天橋立」から、船で数分のところです。
「海の奥宮」とも、呼ばれているそうですね。
ただし、無人島で、立ち入りも禁止だそうです。
「冠島」は、真名井神社・籠神社・難波野遺跡から見ると、「艮(うしとら)」の方位にあたり、 一方、真名井神社・籠神社・難波野遺跡は、冠島から見ると、「坤(ひつじさる)」の方角になります。
表鬼門と裏鬼門の関係になるようです。
周辺の遺跡や発掘された考古資料から、天橋立の北側の一帯は、古代から祭祀が行われた、特別な聖地であったと考えられています。
「籠神社」の近くの若狭湾に、「冠(かんむり)島」と「沓(くつ)島」が並んで、浮いているのですが、「神仙思想」によると、
「仙人は、天に戻る時、自分の冠と沓(靴)を、地面に置いていく」
とのことです。
天から降りてきた仙人が、冠を置いて行く場所が、「冠島」。
沓(靴)を置いて行く場所が、「沓島」ということですね。
「冠島」です。
「沓島」です。
2009年の6月に、このあたりで、凄い発見があったそうです。
なんと、この「冠島」の近くの海底で、「海底神殿」が、見つかったそうです!
「与那国島の海底遺跡」のようなものが、「天橋立」の海底にも、眠っていたのです。
明らかに人工的に、カットされた階段なども、見つかっています。
こういう話、大好きです。
このあたりの海底に、まだ知られていない、謎の古代王国が、眠っていたということです。
ロマンがありますねー!
冠島一帯には、1300年前に水没したとされる幻の大地、「凡海郷(おおしあまごう)」の伝説があるそうです。
階段状の岩があるのは、正確には、舞鶴市沖、約12キロの冠島近くにある通称「トドグリ」と呼ばれる岩礁だそうです。
水深約8メートルの海底に、高さ約2メートル、幅約60センチの人が、歩けるような段差が、発見されています。
奈良時代の「丹後風土記」には、凡海郷という村が、701(大宝元)年、3日続きの大地震で、海に沈み、山頂だけが海上に残って、「冠島」と「沓島」になったとの記述があるそうです。
次回、「京都ヒストリーツアー」、フィナーレです。
<オマケ>
☆「冠島」の海底遺跡の動画です。
○「冠島の古代海底遺跡」
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