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沖縄ルーツツアー 9 沖縄戦

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ご存知のように、私の旅行は、いつも、大まかなテーマは決めるのですが、あとは、現地に行って、気の向くまま直観で行動する、「行き当たりバッチリ」が基本方針です。


ブログを書く時も、それと同じで、大まかなテーマを決めたら、あとは、適当に書き進めていって、出来上がったら、最初に思っていたのと、まったく違っていたなんてことが、ほとんどです。

一種の「セミコンシャス・チャネリング」のような意識で、ブログは書いています。

だから、どういう旅行記が、書きあがるのは、作者の私にも、わからないのです。

知識と経験は、たしかに、私のものですが、全体の構成や話の流れは、何か大きな存在が、導いているような気がします。

今回の旅行記も、まさか、「アヌンナキ」や「エンリル」と「エンキ」の話を、これほど書くとは、思っていませんでした。



よく、「面白いブログの書き方」のような講座やセミナーが、たくさんありますが、そういうテクニックにはしるよりも、もっと根本的に、大切なことがあります。

「面白いブログを書こうと思ったら、何よりも、自分自身が、自分のブログの大ファンであること」

ということです。

次のブログ記事を、一番楽しみにしているのは、他でもない、作者の自分自身なのです。

「次は、どんな記事になるのかな?」

と、ワクワクしながら、書き始めると、面白い記事が出来上がるのです。


義務感で、ビジネス目的だけで書いていると、面白くありません。

自分が、面白く感じない記事は、読者は、もっと面白くないのです。

あと、自分が理解できないような難しい内容だと、読者は、もっと難しくて理解できないのです。




さて、今回は、いよいよ、私の父方の祖父母の話です。

だんだん、ファミリーヒストリー風な話になってきます。

前半は、地球全体や日本や沖縄の歴史だったのですが、後半は、私の個人的な話が、多くなります。



父の祖父は、沖縄県の北部のあたりで、生まれ育ったようです。

何回か、引っ越ししたようですが、最終的には、本部町のあたりを、拠点にしたようです。

ただし、戦前の沖縄は、とても貧しかったので、当時多かった、「移民」の道を選んだようです。

沖縄からは、ハワイやカリフォルニア、ブラジル、ペルー、ボリビア、アルゼンチンなど、たくさんの国へ、移民した人がいたようですが、私の祖父が選んだ新天地は、「ペルー」だったそうです。



写真は、沖縄の港から、南米に向かう船の様子です。


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祖父が、ペルーで、土地の開拓や農業を始めて、しばらくしてから、祖母が、沖縄から、結婚する目的で、後を追うようなかたちで、沖縄からペルーに向かったそうです。

この話を、父から聞いて、驚きました。

当時、沖縄からペルーに移り住むといったら、現代に例えると、地球から火星に移住するくらいの覚悟がいたと思います。

その時代には、「お見合い写真結婚」というものがあって、移民先の沖縄の男性が、故郷の沖縄に、自分の写真を送ったら、沖縄で、その写真を見て、気に入った男性がいた女性は、その移民先の男性の家に、嫁いだらしいのです。

一度も会わずに、写真だけですよ!


父から、その話を聞いた時に、

「会ったこともない人に、写真だけ見て、結婚を決めて、それから、ペルーに向かったの?」

と訊いたら、

「その当時は、それが、普通だったんだよ」

という答えが返ってきました。


現在の感覚では、信じられないですね。

「結婚」というものに対する認識や感覚が、現代とは、根本的に違っていたと思います。

もしかしたら、昔の人は、現代よりも、頭で、ゴジャゴジャ考えてなかったのかもしれません。

魂のレベルで、感じることのほうが、得意だったかもしれません。

父の両親、つまり、私の祖父母は、現代風な表現をすると、もしかしたら、本当の「ソウルメイト」だったのかもしれませんね。




これは、余談ですが、「ペルー」という土地は、ご存知のように、「宇宙文明」の痕跡が、たくさん残っています。



「マチュピチュ遺跡」もありますね。


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他には、「ナスカの地上絵」もあります。


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もしかしたら、祖父母も、宇宙的な存在たちに呼ばれて、ペルーに行ったのかもしれません。

そういえば、私が、小学4年生の頃、初めて、UFOを見たのですが、その時も、父が、

「UFO? なんだ、日本では、まだ珍しいんだね。ペルーでは、たくさんの人が見ているよ。南米では、あたりまえだよ」

こう言ったのを、覚えています。


私の祖父母から、宇宙文明に、関わっていた可能性もあると思います。



私が、子供の頃、最初に見たUFOです。

最近では、集団で飛んでいるのが、よく動画で撮影されていますね。


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祖父母、それから、その親戚たちは、言葉も通じなく、荒れた大地の南米で、奮闘していたようです。

沖縄から行った移民たちは、とても過酷な労働を経験した人も、多かったようです。

特に、ペルーに行った人たちは、途中で、病気などで亡くなる人も多く、大変だったそうです。

私の祖父母も、父が生まれて、4年くらいしたら、病気で亡くなったようなのです。




父は、4歳の時に、両親が亡くなったので、兄や姉と、日本に帰ってきたそうです。

ペルーで生まれ育ったので、日本語もしゃべれず、スペイン語だけで、しゃべる子供だったそうです。


ペルーから、日本の東京湾に、船で着いた時に、いきなり、ラジオ放送が流れて、

「この船は、日本に上陸できなくなりました。東京は、今、緊急事態になっています。だから、しばらく、東京湾で停泊します」

ニュースで、こう告げられたそうです。

父たちは、どうしていいかわからずに、ただオタオタしていたそうです。


「大雨の中で、船の甲板の上で、皆で、呆然としたのを、覚えているよ…」

父は、懐かしそうに、こう話しました。


その緊急事態とは、有名な「二・二六事件」だったそうです。

1936年(昭和11年)2月26日に、、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校たちが、たくさんの下士官や兵を率いて起こした、クーデター未遂事件ですね。


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凄い時に、日本に初上陸したのですねー!

それから、東京で、当てもなく、皆で、ブラブラしていたら、親戚のオジサンが、

「ワシが、面倒をみてやるから、ウチヘ来い!」

と言って、自宅に泊めてくれたのだそうです。


後日談があって、私が、大学を卒業して、東京の会社に勤めていた頃、立川営業所で、とても不快な体験をして、心身ともに、ボロボロだった頃、同じ苗字の先輩がいました。

この先輩だけは、親切でやさしかったので、いろいろ相談していました。

この人がいなかったら、あの頃、どうなっていたか、わかりません。

もしかしたら、自殺していたかもしれません。


この先輩も、祖父が、沖縄出身とのことだったので、二人で、

「親戚かもしれないねー!」

なんて話していたのですが、去年の夏、沖縄の実家で、家系図を見て驚きました。

なんと、その先輩の祖父が、ペルーから帰国したばかりの父たちを、東京の自宅に泊めてくれた親切なオジサンだったのです。

「うわー! 先祖から、サポートされていたんだ…」

ビックリして、鳥肌が立ちました。



父は、その後、両親がいなかったので、孤児のようなあつかいになり、沖縄の教会で、親切な神父様に、育てられたそうです。

沖縄に初めて本格的にできた教会があって、そこの第一期生のようなかんじだったそうです。

いろいろとコンプレックスがあったようですが、子供の頃から、負けん気が強く、勉学に励んだそうです。

それから、小学校高学年くらいの頃に、太平洋戦争がはじまり、沖縄でも、地上戦が始まったそうです。



戦争中、親戚など10人くらいで、かたまって逃げたそうですが、リーダー的な存在に、「ノロ(沖縄の巫女さん)」の人がいて、その女性が、父たちのグループを、導いていたそうです。

神様から、メッセージを受ける人で、

「ここの防空壕は、明日の朝、攻撃されるから、夜中に、ここを出ますよ!」

「あそこの防空壕は、安全だから、三日間は、あそこに滞在しましょう!」

などとアドバイスをしながら、逃げていたそうです。

不思議なことに、そのアドバイスは、100%の確率で、当たったそうです。



戦争の末期には、父たちは、本島南部の「摩文仁ヶ丘」まで、追い詰められていたそうです。

現在は、観光地にもなっている、「沖縄 平和記念公園」のある場所です。


もう心も体も、限界まで疲れ果てていいて、何も考えられなくなっていたそうです。

人間は、究極まで追い詰められると、生死にこだわらなくなるそうです。

「夜は、隣の死体を枕にして、眠っていたよ…」

と、よく戦争の話をしてくれました。



父は、ある日、防空壕の中で、いつもなら、激しい爆撃の音がする外が、急に静かになったのを、感じたそうです。

それから、防空壕のすぐ上で、英語の話声がするから、

「ああ、アメリカ兵が、この上にいるんだな。味方の兵が、ここにいるから、砲撃してこないんだな…」

と思ったそうです。

すると、

「ニホンノミナサン、センソウハ、オワリマシタ。デテキテクダサイ!」

という片言の日本語が聞こえたので、降伏して出て行ったそうです。

そこで、アメリカ兵たちが、待っていて、それから、ボートに乗せられて、海の沖まで、連れていかれたそうです。

父は、

「ああ… 自分たちは、沖合で、機関銃で射殺されて、殺されるんだな…」

と、死を覚悟したそうです。

「不思議と恐怖感はなかったね… もう疲れ果てて、何も考えられなかったからね…」

と言っていました。


幸運なことに、父は、射殺されないで、ある港で、下船させられたそうです。

鉄骨で造られた、その仮説の港が、現在、米軍基地移設で話題になっている、「辺野古岬」だったそうです。

「ニュースで、辺野古の映像を見るたびに、あの時のことを、思い出すよ…」

去年の夏、遠いところを見るような目で、私に、話してくれました。




今回の沖縄旅行では、父の体験した「沖縄戦」を、私も感じたいと思って、南部をまわりました。

高校の頃からの親友のT君が、車を運転してくれて、それから、同じ高校の先輩であるTさんと私の3人でのドライブでした。



このあたりが、父が、防空壕で終戦を知った場所です。

70年以上前に、そんな出来事があったことが、嘘のように静かな場所です。

波の音が聞こえるだけです。



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平和記念公園には、たくさんの慰霊のための記念碑があります。



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記念撮影です。


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平和記念資料館です。

資料が、充実しています。

建物のつくりが、順路を回っていると、暗い戦争時代から、明るい現代の平和の時代が、実感できるように、なっています。

資料を見終わた後、海を見渡せる展望室に、感動しました。

平和のありがたさを、強く感じました。

ぜひ、行ってみてくださいね。


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恒久平和を祈念して建造された、高さ45m、七角形の堂塔です。


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沖縄戦で亡くなった人々の名前が、人種、民族、敵・味方に関係なく刻まれた記念碑「平和の礎」です。

その氏名の数は、実に約24万人です。

現在も刻銘は続いているようです。


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こうやって、改めて、「沖縄戦」を振りかえると、

「あの戦争は、本当は何だったのか?」

ということを、もっと知りたくなってきます。

おそらく、宇宙人たちも、あの戦争に、間接的に関わっていたと思いますが、彼らが、どういう気持ちで、それを見ていたのかも、気になります。

いつか、直接会って、いろいろ質問してみたいと思っています。




さて、父の話に戻します。


父は、戦争が終わった後、収容所で、しばらく暮らします。

これは、1945年7月に撮影された、現在の辺野古にあった捕虜の収容所です。


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ここでも、たくさんの方が、亡くなったそうですが、父は、逞しく生き抜きます。


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父が、戦争の話をするときには、不思議と悲壮感や暗さがないのです。

「脳が、自動的に楽しかった記憶だけを、残しているんじゃないかな?」

思ったこともあります。

人間の脳には、悪い思い出は、なるべく早く忘れて、いい思い出だけを、長く覚えていたいという特徴があると、何かの本で読んだことがあります。

「収容所では、米軍から支給された缶詰と辞書しかなかったから、その缶詰に書かれている英語の単語を、辞書で覚えるのが、楽しみだったよ、それで、英語を覚えて、収容所の大人たちから、重宝されたよ」

こんなことを、楽しそうに自慢するのです。(笑)




父は、両親がいなくて、教会で育てられたにも関わらず、宜野座高校から、那覇高校に転校したあと、その高校で、トップの成績をとるまでになったそうです。

猛勉強したそうです。

あまりにも成績がよかったので、父の学費などは、日本の政府がだしてくれたそうです。

沖縄から、新潟大学医学部に入学して、そこの大学院の博士課程を終えて、卒業しています。

あの時代に、「医学博士」になるというのは、とても優秀だったのだと思います。

大学院の時代に、「第二水俣病」の患者を治療したり、「新潟地震」で、大変だった話なども、よく話してくれました。


私の母とは、大学院時代に、見合い結婚したそうです。

母は、当時、アナウンサーでした。

今風に言うと、女子アナですね。


息子の私が言うのも、なんですが、母は、若い頃、大変な美人でした。

女優さんみたいな容姿で、小学校の授業参観日に、母がやってくると、

「誰のお母さんだ? 美人だなー!」

と、皆が言うのが、自慢でした。

高校の頃、友人たちが、よく家に遊びに来るので、私が人気者なのかと思っていたら、

「オマエの母ちゃんに、会いたくてきたんだよ!」

なんて、たくさんの友人に言われて、ビックリした思い出もあります。(笑)



父は、極貧の子供時代から、一代で、自分の病院を建てたので、いわゆる成功者だと思います。

とても賢くて、今でも、実家に帰ると、教養のある会話を、楽しめます。

ただし、成功者の男に特有の子供っぽさも、もっていました。



高校生の頃の話です。


いつも、父は、家での夕食の後、酒を飲むのですが、子供時代の昔話を、始めました。。

話の内容は、どうやら、小学校の頃、クラスで成績が、ずば抜けて一番だったのに、学芸会で、主役がもらえなかったことが、とても悔しかったという話でした。

「クラスに金持ちの息子でいてねー 医者の息子ですねー その子が、成績が悪いくせに、主役をもらったんだよ…」

よっぽど悔しかったのか、目に涙を浮かべながら、その時の話を、酔っぱらって始めたのです。

私や姉と妹たち、弟と、5人の子供に囲まれて、泡盛を飲みながら、その思い出を語っていました。

ふっと、私が、小学校2年生の頃、学芸会で、主役をもらったことを、思い出し、父にそれを話しました。

「お父さん、そういえば、自分は、成績がよくなかったのに、お父さんが、お医者さんだという理由で、先生から、主役をもらったことがあったよ」

すると、父は、驚いた顔をして、

「そうなの?」

と言いました。

そのあと、姉と妹たち、弟まで、

「そういえば、自分も、お姫様の役をもらったし、主役をやったよ」

と言い出しました。

なんと、私の姉と妹たち、弟、皆、主役をやっていたのです。

私が、

「お父さんが大人になって、金持ちになったから、その子供たちは、皆、主役になれたんだよ。お父さん、凄いね。5倍にして、世の中に、仕返してやったね!!」

こう言ったら、なんと、父が、目から嬉し涙を流しながら、泣いたのです。

「そうか、そうか、お父さんの子供たちは、皆、主役をもらっていたのか…」

その時に、父のトラウマが癒されて、魂が喜んでいるのが、わかりました。

「お父さん、癒されたんだな…」

こう思って、皆、なんともいえない気持ちになりました。


父にとっては、異国の地で、両親が亡くなったことや沖縄戦で、苦労したことよりも、小学校の頃、家柄で差別されて、学芸会で、主役がもらえなかったこともほうが、傷ついて、苦しんでいたようだったのです。



父は、現在も、腰の調子はよくないものの、元気です。

私は、父が大好きで、とても尊敬しています。




次回からは、母方の先祖、それから、祖父母と母の話をしようと思います。

お楽しみに!





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