私のファミリーヒストリーで、「母の巻」を書こうと思ったのですが、ここで、「幕末」の話を、書いておきます。
沖縄と日本の近代において、この話は、重要だと思うからです。
沖縄では、小学校の社会科の時間に、黒船で有名な「ペリー提督」が、日本の浦賀沖よりも先に、沖縄に来ていたことを習うので、沖縄の人からすれば、当たり前の話なのですが、沖縄以外の人に、その話をすると、
「えー? ペリーって、沖縄に、最初に来ていたんですか?」
と、ビックリされます。
それどころろか、日本の「幕末」というのは、沖縄から始まったと言っても過言ではないくらい、「琉球」が最重要地だったことを、歴史マニアの方も、案外知りません。
ここで、ちょうどいい機会なので、沖縄から始まった幕末の話を、紹介します。
まず、この絵です。
首里城の建物の中に掲げてある絵です。
ペリーが、黒船で沖縄に上陸して、首里城に登城した時の様子です。
ちなみに、このペリー提督は、当時のアメリカの「フリーメーソン」の最高位の人物です。
「エンキ」のグループですね。
この時に、ペリーは、沖縄本島を測量してまわっています。
その時から、米軍基地を置くことは、計画していたのです。
現在の沖縄の基地問題は、戦後から始まっていたわけではないのです。
この頃からです。
江戸時代後期で、西暦では、1853年です。
現在、地球全体を管理しているのは、今までに何回も書いてきたように、人間よりも、遥かに優れた科学力を持っている「宇宙人」や「神々」と呼ばれている存在たちです。
彼らは、「ムー」や「レムリア」、そして、「アトランティス」など、超古代文明の時代には、直接、政治などに関わっていたようですが、人間たちが、あまりにも神格化して、甘えたり頼ったりしすぎたために、人間の自立を促すために、その後は、歴史の表舞台には、あまり登場しなくなったようです。
だから、近代から現代にかけては、宇宙人たちは、人間の中で、優秀な人たちを選んで、間接的な統治や支配をするように、なっています。
いわゆる、「フリーメーソン」や「イルミナティー」と呼ばれている、「秘密結社」のグループですね。
一般的には、陰謀論などで、ネガティブなイメージができあがっていますが、とりあえず、今回は、善悪の基準では論じません。
歴史を語る上で、「善悪」や「正邪」という人間のモノサシは、しばしば、判断を歪めることがあるからです。
これらのグループたちの先祖は、かなり昔から、世界中に存在していたようですが、数百年くらい前から、彼らは、活動の場を、主にヨーロッパやアメリカに移したようです。
とても複雑な構造なので、こちらも、あまり詳しいことは書きません。
彼らが、本格的に、アジアに進出してきたのは、1840年頃の「アヘン戦争」の時みたいです。
この頃から、中国をはじめとして、アジアを、植民地や属国にする計画が、あったみたいです。
ここで、勝利した彼らは、その後に、矛先を、「日本」にしたようです。
彼らは、その前から、宣教師たちを使って、日本の内情を、探っていたようですが、直接、トップクラスの人と、日本人が、ファーストコンタクトしたのは、諸説ありますが、やはり、「幕末」だったようです。
数年前にも、NHKのドラマで、「龍馬伝」などが放送され、幕末や明治維新が、あらためて注目されていますが、ここで問題です。
「幕末における、最重要人物は、誰だと、思いますか?」
坂本龍馬や勝海舟、西郷隆盛などが、思い浮かんだ人も多いと思いますが、私の意見は、違います。
それは…
ジョン万次郎です。
彼が、幕末、そして、日本の近代史の最重要人物なのです。
ご存じのように、1841年に、ジョン万次郎は、手伝いで漁に出て嵐に遭い、漁師仲間4人と共に、遭難しました。
5日くらいの漂流後、奇跡的に、太平洋に浮かぶ無人島、鳥島に漂着して、143日間生活したようです。
そこで、アメリカの捕鯨船、ジョン・ハウランド号に、仲間と共に救助されました。
日本は、その頃、まだ、鎖国していたため、漂流者のうち、年配の者達は、寄港先のハワイで、降ろされたようですが、船長のホイットフィールドに、頭の良さを気に入られた万次郎は、本人の希望から、そのまま、一緒に航海に出たようです。
ジョン万次郎は、生まれて初めて、世界地図を目にし、世界における日本の小ささに、驚いたようです。
この時、「ジョン・マン(John Mung)」の愛称を、アメリカ人から、つけられたそうです。
実は、この船長のホイットフィールドという人物が、アメリカの支配者のトップの一人だったそうです。
ジョン万次郎が、船に救助されてから、わずか数年で、英語がペラペラになったのに、まず驚いたそうです。
さらに、彼が、ただの漁師の次男坊で、当時の寺小屋にも、通っていなくて、ほとんど日本語の読み書きも、できない男だったことに、腰が、抜けるくらい驚いたそうです。
「日本人って、なんて、頭のいい民族なんだろう… この国の潜在能力力は、底知れないものがある!」
こう思ったそうです。
それから、アメリカに、連れて帰って、養子にしたそうです。
学校にも、通わせたそうです。
そしたら、そこでも、ジョン万次郎は、才能を発揮して、なんと、並みいるアメリカのエリートたちを、押しのけて、現在でいえば、防衛大学のような学校を、首席で卒業したのだそうです。
船長の「ホイットフィールド」と、冒頭で紹介した、黒船で日本に来る、「ペリー提督」、そして、アメリカで、一番の麻薬商人だった、「デラノ」という人物の3人が、当時のアメリカの支配者のトップ3だったそうです。
この3人と万次郎は、よく食事をしていたそうです。
それから、万次郎は、アメリカと日本の間で、さまざまな活動をしているのですが、おそらく、彼の心の中は、複雑だったと思います。
日本人だから、日本の心も、持っています。
でも、アメリカにも、命を助けてもらい、育ててもらった恩もあります。
凄く苦しかったと思います。
ただし、いろいろ調べてみると、最終的には、自分の立場を、最大限に活用して、日本とアメリカの親善、それから、未来の国際社会のために、活躍したようです。
詳細は、凄い人物だったみたいです。
詳しことは、この本が、オススメなので、読んでみてくださいね。
○「ジョン万次郎に学ぶ ー自立と共生の理念に生きた男ー」 平野貞夫 著 イプシオン出版企画 1600円
この本を読み終わっての、私の感想です。
個人的な見解ですが、宇宙考古学的な視点で見ると、やはり、万次郎は、普通の人間ではなかったような気がします。
下記は、万次郎の故郷の近く、高知県土佐清水市にある、「唐人駄場公園」にある巨石群です。
いろいろな研究から、ここは、宇宙文明の跡だということが、わかっています。
万次郎は、子供の頃、ここで、よく遊んでいたようです。
私の想像ですが、おそらく、彼は、子供の時に、宇宙人たちと、頻繁にコンタクトして、いろいろなことを、あらかじめ、教わっていたのではないでしょうか?
ジョン万次郎は、その後、琉球を経由して、薩摩や長崎、江戸から、故郷の土佐に、帰るのですが、
「どうして、幕末の舞台は、薩摩や長崎、土佐などが、でてくるんだろう? 江戸や京都はわかるが、どうして、地方都市から、幕末の士気が、高まったのだろう?」
という素朴な疑問を、もったことは、ないですか?
そうです。
幕末の舞台に、なったのは、皆、ジョン万次郎が、立ち寄った場所なのです。
彼が、各地の大名たちに、
「アメリカという国は、素晴らしいですよ。民主主義が、発達していますよ。もう、日本は、変わらなくてはいけませんよ」
と説いていたのです。
私が、ジョン万次郎が、幕末の最重要人物というのは、そういうことなのです。
「ホイットフィールド」と「ペリー提督」、そして、「デラノ」という人物の3人が、アメリカのトップ3だったと書きましたが、実は、この「デラノ」という人物も、日米関係の最重要人物の一人です。
アメリカの第32代大統領、「フランクリン・D・ルーズベルト」というのは、この「デラノ」という人物の孫なのだそうです。
正式な名前は、「フランクリン・デラノ・ルーズベルト」なのだそうです。
このルーズベルト大統領が、有名なハワイの「真珠湾攻撃」にも、関わっていたようです。
幕末から太平洋戦争、沖縄の米軍基地の問題まで、全部、幕末の万次郎の頃から、始まっていたのです。
ジョン万次郎の故郷、足摺岬に建っている銅像です。
手には、コンパスと三角定規を持っています。
この三角定規は、ご存知のように、「エンキ」のシンボルですね。
万次郎も、やはり、ペリー提督のように、「エンキ」のグループだったのですね。
ジョン万次郎は、ペリー提督が、黒船で沖縄に来る、2年前に沖縄に上陸しています。
1851年で、「大度海岸(糸満市)」から上陸したそうです。
「平和記念公園」の近くですね。
琉球王府に滞在を命じられ、日本本土への帰国までの約半年間、現在の現豊見城市に、滞在していたようです。
万次郎の故郷の「土佐」と「琉球」は、同じく、海洋民族だったせいか、すぐに、意気投合して、楽しく交流していたそうです。
今回の沖縄旅行では、ここにも、どうしても行きたくて、行ってきました。
ここです。
ここから、日本の幕末が、始まったのです。
資料館など、特になく、横断幕だけがありました。
日本の新しい時代が始まった、歴史的な場所で、記念撮影しました。
この海岸から、万次郎は、「アドベンチャー号」というボートで、上陸したそうです。
なぜか、亀の石像が、ありました。
このあたりには、ウミガメがいるそうです。
近くの海岸からは、真水が、湧きだしていました。
海水なのに、塩辛くないのです。
実は、ここも、隠れたパワースポットでした。
湖のように、水草が生えていました。
とてもいいエネルギーが、充満していました。
実は、この近くに、「地下ダム」があったのです。
昔から、地質の構造上、地下水が溜まる構造だったみたいです。
こんなところがあったなんて、初めて知りました。
「命水」と書かれていますね。
ここから、地下に降りていくようです。
あとから、知ったのですが、ここは、江戸時代から、海外の捕鯨船の船長たちの間では、有名で、航海の最中、たくさんの外国船が、ここの沖で、船の錨を下して、この地下ダムから、真水を補給していたそうです。
ここの海岸を見物した後、八重瀬町東風平にある、「5次元研究所」という所に、おじゃましました。
ここは、沖縄で、知る人ぞ知るの有名な所みたいですが、今回、初訪問しました。
私は、知らなかったのですが、この日は、「タンポポ先生」という有名な方も、たまたま、いらしていて、とても面白い話を聴きました。
1990年代に、故・船井幸雄先生が、本で紹介したくらい、凄い能力をもっている方だそうです。
「5次元研究所」の皆さんと、記念撮影しました。
「タンポポ先生」とのツーショット写真です。
次回から、いよいよ、私の母方の先祖の具体的な話をしていきます。
お楽しみに!
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