沖縄は、海に囲まれています。
だから、昔から、琉球王国は、中国や日本本土から侵略されないように、特に海側に対して、いろいろな警備をしていたと思います。
沖縄の昔のお城を訪ねると、そのほとんどが、遠くの水平線まで見渡せるような高台に、建築されています。
今回は、読谷村にある、「座喜味城跡」に、行ってきました。
子供の頃から、いろいろな城址公園に行ったのですが、ここには、行ったことがなったので、この機会に、立ち寄りました。
入口です。
頂上は、とてもいい眺めです。
近くにある、資料館にも行ってきました。
「沖縄のロゼッタストーン」が、置いてありました。
皆で、有名なお店、「鶴亀堂ぜんざい」に入り、「紅芋黒糖ぜんざい」を食べました。
美味しかったです。
帰りに、有名な精神科医である、「越智啓子先生」のお店に立ち寄ったら、越智先生に、バッタリ会いました。
憧れの越智先生と、初めて会えて、嬉しかったです。
忙しそうだったので、ご挨拶と記念撮影だけしました。
お店の庭には、シーサーが、たくさん並んでいました。
こんなに可愛いシーサー、初めて見ました。
現代のシーサーは、こういう愛に溢れたシーサーに、進化していくかもしれませんね。
さて、沖縄の歴史の話に戻ります。
今回は、「空手」の歴史から、沖縄を見てみましょう。
沖縄には、素晴らしい文化が、たくさんあります。
沖縄料理、琉球舞踊、琉球空手、歌、楽器、伝統工芸、陶器、着物など。
その中でも、「空手」は、ユニークな文化だと思います。
外国に行った時に、「OKINAWA」と言っても、わからない人のほうが多いです。
「JAPAN」は、知っているけど、「OKINAWA」は、知らないのです。
でも、「空手(KARATE)」と言えば、たくさんの人が、知っています。
座喜味城を見てもわかるように、沖縄は、外からの防衛に対して、常に気を付けていました。
しかし、これだけ、島中に城を築き、監視の目を光らせていたのに、関ケ原の戦が終わって、しばらくしてから、1609年に、琉球国王の居城である首里城が、薩摩軍に占拠され、島津藩の支配下に置かれます。
細かい記述は省略しますが、島津藩は、当日の琉球に対して、豊臣秀吉がやったように、「検地と刀狩」をやったそうです。
つまり、琉球の人たちは、武器を持てなくなったのです。
琉球には、かなり昔から、「手(てぃ~)」と呼ばれた、沖縄古来の武術があったようです。
ある時期から、琉球王国と中国との進貢貿易によって、中国から伝わった中国拳法と融合して、「唐手」となったと言われています。
その後で、薩摩藩からの刀狩によって、武器を取り上げれたために、ますます、その技術に、磨きがかかったようです。
それが、「空手」の始まりだと言われています。
薩摩藩には、手足を武器にしていることが、わかると処罰される可能性もあったために、空手を学ぶ人たちは、夜中に、こっそり修練していたようです。
巻き藁なども、隠れて突いていたようなのです。
場合によっては、空手を修練していることを、家族にも内緒にしている人たちもいて、空手家の集団は、沖縄における、「秘密結社」のようになったようです。
武器も、刀以外の農耕器具が、使用されたそうです。
代表的なのが、「ヌンチャク」ですね。
これは、ブルース・リーが、映画で披露したために、中国の武器だと思っている人も多いようですが、もともとは、沖縄の武器です。
「トンファー」というのは、一般の人は、よく知らないと思いますが、「T」字の形の木製の武器です。
30年くらい前に、アメリカの警察で、警棒として、正式採用されてから、世界中に広がりました。
何度か書いているので、ご存知の方も多いと思いますが、私自身も、18歳から22歳まで、「空手」をやっていました。
沖縄の空手だったのですが、「剛柔流」という流派でした。
私の母方の曽祖父、宮城長順先生が、体系化した空手でした。
前回の「謝名親方」は、私の母の父方の先祖です。
この長順先生は、母の母方の先祖なのです。
宮城長順先生です。
強そうでしょう。
ちょっと読みにくいのですが、書いてある言葉は、
「人に打たれず、人打たず、事なきを、もととするなり」
で、これは、長順先生の遺訓だそうです。
最近では、「ジャッキー・チェン」が、リメイク版で主演していますが、もともとの映画、「ベストキッド」の中に、沖縄出身の空手家、「ミスター・ミヤギ」という人物がでてきますが、この人物のモデルでもあります。
ある意味、世界的には、とても有名な日本人だと言えると思います。
ただし、このミスター・ミヤギのモデルである、長順先生のことは、あまり知られていません。
武道や格闘技のマニアの中では、有名人ですが、一般の人は、ほとんど知らないと思います。
懐かしいですね~
長順先生は、私の祖母の父だったのですが、祖母から、いろいろな武勇伝や怪力話を、よく聞きました。
子供のころ、一番聞いて驚いたのは、祖母が、銭湯で見せてもらったそうですが、空手の型をしながら、睾丸を身体の中に、腹筋の力で、埋めて見せることができたそうです。
ほかにも、牛の肉を、凄まじい握力で、握ってちぎり取った話など、興味深い話が、たくさんありました。
この長順先生は、当時の沖縄の人たちから、「ブサー・マーグスク(武士の宮城)」と、呼ばれていたそうです。
本当の武士の心をもった、武道家だったようです。
沖縄に住んでいる方は、那覇市の那覇商業高校の隣に、松山公園という場所があり、そこの公園の中に、宮城長順先生の石碑が建っているので、時間があったら、見てみてもいいと思います。
20歳くらいのころ、その石碑の除幕式があり、ひ孫である、私が幕を開けました。
大勢の人の見ている前で、とても誇らしかった思い出があります。
ただ、先祖に、こういう偉人がいると、心理的に、プレッシャーになるというのも事実です。
「よし、自分も、ひいおじいさんに、負けないような男になるぞ!」
こう思った記憶が、あります。
前回紹介した、「福州園」のすぐ近くにあります。
今回の旅では、ここにも立ち寄りました。
見えてきました。
「東恩納寛量」という方が、中国で修行した憲法を、「宮城長順」という私の曽祖父が、沖縄や日本で広めたという意味の記念碑みたいです。
私の曽祖父の称号のようなものに、「拳聖」と刻まれています。
たくさんの武道家や格闘家の中で、この称号が刻まれている人は、いないと思われます。
凄い武道家だったようです。
「武」という文字は、
「戈を止める」
という意味だそうです。
「戈」というのは、「矛(鉾)」のことです。
「槍」や「銛」の意味も、あるみたいですね。
要するに、「武器」です。
つまり、
「武とは、理不尽な暴力や権力を止める行為」
という意味が、込められているそうです。
だから、「格闘技」と「武道」は、違うのです。
「格闘技」が、どちらかというと、ボクシングやレスリングのように、一定のルールのもとで、公平に闘い、技や勝敗を競うことに対し、「武道」は、闘うことが、目的ではなく、あくまでも、無法者や無礼者などの理不尽な横暴や暴力を、止めるための心構えや技を、磨くための道なのです。
自分や社会を、よくしていこうとする道だと、言ってもいいですね。
だから、空手などの武道では、昔から、
「空手に先手なし」
という言葉があるのです。
「なるべく、ギリギリのところまでは、争いごとは、避けるようにする。そして、自分からは、絶対に喧嘩など、吹っかけない。だが、いざ、闘わなければいけない状況になったら、なるべく、自分も相手も、被害を、最小限にし、さらに遺恨を残さないように、すみやかに、戦いを終わらせる。そのためには、一撃必殺の技を、普段から、身に着けるように稽古する。ただ、その技は、一生に一度、使うことが、あるかどうかである。使わないに、こしたことはない。それを、一度も使わないのが、いい人生である」
こういうニュアンスの意味だと、思います。
格闘技が、勝負に勝つことを目的に、訓練するのに対し、武道は、そもそも勝負自体を、人間の哀しい行為だと、考えるものなのだそうです。
だから、もし勝負で勝っても、ボクシングのように、
「アイ アム ア チャンピオ~ン!」
などと、ガッツポーズなどして叫ばずに、負けた相手にも礼をして、しっかりと礼儀をつくし、もし、相手が、亡くなった場合も、供養もするというのが、武道なのです。
今でも、スポーツや格闘技なども、大好きですが、やはり、「武道」という言葉には、どこか、特別な尊敬や哀愁を感じます。
宮城長順先生については、祖母から、いろいろ話は聴いていましたが、書籍などの記録には、特別に豪快な武勇伝は、残っていません。
若いころは、少しムチャをやったり、暴れたりしたこともあるみたいですが、武道家として、名前が売れてからは、喧嘩をしたりしたことが、ほとんどなかったみたいです。
ただ、長順先生の孫弟子に、「極真カラテ」の創始者、「大山倍達」などの達人がいることなどからも、相当な達人だったことは、予想がつきます。
考えてみたら、若いころはともかく、武道家としてある程度の立場になったら、くだらない喧嘩などしないのが、本来の姿だと思います。
武道家で、武勇伝が、たくさん残っているということは、もしかしたら、それだけ、無益な争いが、多かったということではないでしょうか?
たとえば、居酒屋で、酔っぱらったヤクザに絡まれても、このヤクザをと喧嘩をして、やっつけるのは、同じようなチンピラだと思います。
格闘技の選手だったら、一発ぶん殴って、終りにするかもしれません。
ただ、これが、武道家だったら、すぐにお辞儀をして、お詫びをして、その場から、すみやかに、立ち去るでしょう。
または、ニコニコ笑いながら、相手にも周囲にも、わからないように、痛くないように、やさしく、技をかけて、眠らせるかもしれません。
ヤクザを、ぶん殴ってやっつけたら、武勇伝が残り、周囲から注目されたり、自慢ができるかもしれませんが、お詫びをして、その場から立ち去れば、目立たないし、武勇伝は残りません。
でも、本当の武道の達人は、こういう目立たない行為が、できる人たちばかりだったと思います。
さらに、本当に賢い武道家だったら、そもそも、そのようなヤクザが、絡んでくるような居酒屋には、行かないと思います。
少し高くても、上品で、礼儀をわきまえている人たちが集まるような店で、お酒を飲むかもしれません。
もしくは、酒場など行かずに、家で、奥さんや娘と晩酌するかもしれません。
もっと凄い達人になると、健康に悪いと思ったら、お酒そのものを、意志力で、やめてしまうかもしれません。
こういう地味な強さは、わかりにくのです。
でも、私は、こういう強さに、憧れるし、これが、本当の強さだと、思うのです。
前述の長順先生の
「人に打たれず、人打たず、事なきを、もととするなり」
というのは、弟子たちへの最後の遺訓だそうですが、それが、人間の生き方の理想だと、思います。
祖母から聴いた話によると、長順先生は、空手の試合や稽古よりも、気をつけていたのは、なんと、「戸締り」だったそうです。
空手そのものよりも、家の戸締りに、一番注意していたそうです。
おそらく、当時、
「長順先生を、負かして、有名になっってやろう!」
という喧嘩自慢や腕自慢が、たくさんいたためだと思われます。
そういう無益な争いを避けるため、家族に危害が及ばないために、一番気を配っていたのかもしれません。
これが、「武道」だと思います。
臆病さから逃げるのではなく、あくまでも、無益な争いは、その3歩くらい手前で止める。
これができる人が、武道の達人なのだと思います。
昔からの諺でも、
「君子は、危うきに近寄らず」
と言いますね。
私も、空手をやめてから、パワーリフティングを、やっていた頃、武道家では、なかったのですが、いつも、「武道」の心構えが、頭から、離れなかったです。
私の場合は、
「なるべく、人間関係で、もめごとが起こっても、強い腕っ節で、解決しないようにする。できるだけ、穏やかな話し合いで、解決するようにする」
こういうこだわりが、ありました。
なんか、一番得意な腕力で、問題を解決するのは、とても恥ずかしいことだという意識が、どこかで、あったのです。
「武道」というものを、別の言葉で、言い換えると、
「美学をもって、生きる生き方」
と言っても、いいかもしれませんね。
「ダンディズムのある人生」
と、言ってもいいかな?
国で考えたみた場合、世界中のほとんどの国は、悲しい事に、まだ、「チンピラ」の段階です。
発展途上国のほとんどは、「チンピラ」か、「腕自慢」や「喧嘩自慢」です。
アメリカやヨーロッパなどの先進国は、「格闘家」のような気がします。
そういう中、日本という国は、唯一、世界でも、「武道家」の国だと思います。
憲法第九条などの平和憲法は、「武道家の精神」を、見事に表しています。
いろいろ改善点も、多いかもしれませんが、これは、武道家の心構えです。
よく、否定的な意見で、
「口先だけで、平和が守れるか?」
という意見を、聞きますが、そうではなく、憲法第九条というのは、
「口先だけで、平和を守ってみせる!」
という決意の表現なのだと、思います。
逆に言えば、口先だけで平和を守るには、よっぽど強くなくては、難しいということです。
あと、ずば抜けた賢さも、同時に必要になってきます。
これは、推測ですが、日本という国は、戦後70年以上、
「アメリカの属国だ! いいなりだ! 情けない国だ!」
と国民から、馬鹿にされながらも、70年以上も、直接日本の土地を、戦場にしなかったり、他国でも直接の戦闘をしなかったことは、もっと高く評価しても、いいのではないでしょうか?
たしかに、情けなさすぎる一面もありますが、それは、部分的なもので、もしかしたら、日本は、居酒屋で、ヤクザから、喧嘩を、吹っかけられても、謝って潔くその場を立ち去るような、武道家の姿勢を、70年以上、やっていたのかもしれません。
ただ、この強さは、わかりにくいです。
武勇伝も残りません。
もしかしたら、戦争が起こりそうな、3歩くらい前で、くい止めていたのかもしれませんが、地味な動きなので、歴史にも残らないでしょう。
この日本の姿勢や強さに、世界中が気がついて、感動するのは、もしかしたら、100年後の22世紀になってからかもしれません。
今回の沖縄旅行では、私が昔、お世話になった道場も、訪問しました。
久しぶりに、お世話になった先輩たちも会いました。
考えてみれば、私の現在の精神力は、ここで、鍛えられたんですよねー
入口です。
もうあれから、30年くらいになります。
ここで稽古して、汗を流したのは、青春の思い出です。
いろいろな訓練具です。
これで、うんと鍛えました。
武道の神様だそうです。
「形」の種類です。
「道場訓」です。
宮城長順先生の銅像も、置かれていました。
次回は、私の祖母のと母の話です。
お楽しみに!
<参考>
☆宮城長順先生が、モデルになった映画、「ベストキッド」です。
この中で、「ミスター・ミヤギ」という役で、登場します。
観てない方、ぜひ観てみてくださいね。
○「ベストキッド(カラテキッド)」
http://www.youtube.com/watch?v=fUJ9_gffP1U&feature=related
☆2003年に、ここの道場の繋がりで、ソウルメイトの方と出会った話です。
とても面白いので、まだ読んでいない方、こちらも、ぜひ読んでみてくださいね。
○「ソウルメイト(前編)」
http://www.tomaatlas.com/lib120.htm
○「ソウルメイト(中編)」
http://www.tomaatlas.com/lib121.htm
○「ソウルメイト(後編)」
http://www.tomaatlas.com/lib122.htm
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