長野県伊那市と下伊那郡大鹿村の境界に、「分杭峠」という有名なパワースポットがあります。
今回は、この場所にも、ようやく行くことができました。
歴史的には、静岡県浜松市の秋葉神社へ向かう街道として、古くから利用された、秋葉街道の峠の一つだそうです。
秋葉街道は、西日本の地質を、内帯と外帯に二分する、日本最大の断層、「中央構造線」の断層谷を利用した街道で、「分杭峠」は、「中央構造線」の真上に位置し、「氣」を発生する「氣場」が出来ているといわれています。
海抜は1424mだそうです。
秋風が吹く中、凄く気持ちいいドライブになりました。
素晴らしい景色が、広がっていました。
着きました。
一般の自動車の駐車場はないので、途中で、車を、指定の駐車場に、駐車してから、シャトルバスに乗りかえます。
ここの売店で、販売されている水が、とても身体によかったです。
シャトルバスに乗って、10分くらいすると、「分杭峠」に着きました。
記念撮影です。
見晴らしも、最高でした。
「氣場」と呼ばれている場所が、いくつかあり、そこで、「氣」を感じるようです。
ここから、ちょっと離れた場所に、
「最も氣が充満している」
と言われているパワースポットがあるそうです。
ここに座って、「氣」を感じました。
たしかに、いい氣を感じました。
右膝が悪かったのですが、これも改善されました。
また、左耳が難聴だったのですが、これも、半分くらい楽になりました。
ただ、詳しい人に聞くと、以前は、もっといい氣が流れていたそうです。
観光地化され、たくさん人が来るようになってからは、少しパワーが落ちたのだとか…。
たしかに、どのパワースポットも、観光地になると、パワーが弱くなる傾向はあるようですね。
ここは、いわゆる、「ゼロ地場」という現象が、起きる所だそうですが、私は、この現象の専門家ではないので、今回は、この話題は省略します。
興味のある方は、ネットに、たくさんの情報が溢れているので、調べてみてください。
今回は、「科学」ではなく、「宇宙考古学」の視点から、ここを解説しますね。
面白い仮説ですよ。
まず、これが、日本にある主な断層です。
「分杭峠」のあたりから、湾曲していますね。
この大きな断層は、「北斗七星」の形にもなっていて、主要な神社などのパワースポットが、そのライン上にあるそうです。
以前にも、紹介しましたが、この断層は、自然にできたものではなく、人工的に造られたとも、言われています。
「人工」と言っても、もちろん、人間業ではありません。
大昔、「神々(宇宙人たち)」によって、造られたようなのです。
繰り返しになりますが、再掲載しますね。
「邪馬台国」の謎は、かなり昔から、議論されているそうです。
江戸時代の頃から、現在のように、「九州説」と「畿内説」の議論が、あったようです。
邪馬台国が、九州にあったという説、それから、畿内にあったという説、この二つの説が、日本の東大と京大の二大学閥を、二分して、現在でも、ずーっと争っているみたいです。
他にも、候補地は、たくさんあるようですが、比較的最近では、「沖縄説」も登場して、ここ20年くらいは、「九州説」、「畿内説」、「沖縄説」の三つ巴の争いになっていたようです。
私自身は、沖縄出身なので、心情的には、「沖縄説」に、肩入れしたくなりますが、ここは、なるべく、科学的で冷静に、事実だけを追求しようと思います。
この問題が、難しいのは、当時の日本に、邪馬台国を書きしるした文献が、ほとんど残っていなくて、文字として記録が残っているのは、当時の中国にあたる「魏」の国の「魏志倭人伝」だけだというのが、原因みたいです。
問題を、簡単にまとめると…
○九州説
魏の国の遣いが、文献に記載した方角が、九州地方を指しています。
しかし、距離が合わない。
方角は、九州方面なのですが、そのままの距離だと、九州を飛び越して、南西諸島の海上に、邪馬台国が、存在していたことになるようです。
地名なども、合っているのですが、当時の小規模の国の痕跡は、残っていますが、文献に、記載されているような大きな国が、見当たらないのです。
○畿内説
魏の国の遣いが、文献に記載した距離では、畿内(大和盆地のあたり)になるようです。
しかし、方角が合わない。
距離は、合っているのですが、方角は、九州方面なのです。
地名なども、合っているし、文献に、記載されているような大きな国も、大和盆地に、存在していました。
でも、方角が、まったく違うのが、致命的な欠陥になっているようです。
○沖縄説
魏の国の遣いが、文献に記載した方角と距離の両方を合わせると、奄美大島や沖縄本島あたりになるようです。
方角と距離の二つの条件を、満たしているのですが、しかし、沖縄には、邪馬台国のものらしき、出土品が、ほとんど発掘されていないのです。
方角と距離は合っているのですが、出土品などの物的な証拠が、少なすぎるのです。
以上を、簡単に、再度まとめると…
○九州説は、距離が、合わない。
○畿内説は、方角が、合わない。
○沖縄説は、出土品が、少ない。
「魏志倭人伝」にあるように、遣いの者のルートを、記述のままに、そのまま地図にすると、こんなかんじになるそうです。
「距離」、「方角」、「出土品」の三つの証拠が、揃っていないので、三つの説とも、証拠不十分ということで、確定できずに、ずーと、論争が、続いていたというのが、現状のようです。
面白いですね。
こういう理由だったのですね。
他にも、異説として…
○邪馬台国など、そもそもなかった。
○邪馬台国は、水没した。
○中国の測量技術が、未熟だったので、遣いの者が、間違えた報告をした。
というのもあるみたいです。
最初の説は、これだけ、出土品があるので、なかったという可能性は、考えられません。
二つ目は、海底を、地質学的に、徹底に調査した結果、そういう痕跡は、見当たらないということで、現在では、科学的に、完全に否定されているようです。
三つ目は、一見、もっともらしいのですが、当時の中国の建築技術は、日本よりも、はるかに進んでいたので、間違えることなど、ありえないようです。
中国という国の政治は、とても厳しいので、間違った報告などしたら、その遣いの者は、その場で、首を切られます。
現在でも、記録が残っているということは、後から、追跡調査したグループも、調査結果を、事実と認めていたということです。
江戸時代から議論されても、結論が出ない理由が、わかりますね。
これだけの長い期間、日本のトップの学者たちが、考えてもわからなかっただけのことは、あります。
とーっても難しいパズルだったのですね。
しかし、10年くらい前から、日本と中国の学者の一部で、徹底的に考え抜いた結果、ようやく謎が、ある程度、解けたようです。
それは、とても意外な結果でした。
こういう場合、「常識」では解けないので、さらなる「超常識」の視点を、もってこないといけません。
それは、日本と中国以外の外国の意見です。
当事者同士が、もめている場合、第三者に、意見を求めると、客観的で冷静な分析をしてくれます。
これは、「混一疆理歴代国都之図」といって、14世紀に、当時の朝鮮半島に存在していたという地図です。
これは、写本されたもので、オリジナルの地図は、おそらく、紀元前に描かれただろうとも、言われています。
右下の島が、日本列島です。
よく見ると、九州と四国、それから、本州の半分にあたる西日本だけです。
本州の半分の東日本、それから、北海道がありません。
しかも、現在の日本よりも、90度くらい回転した状態で、存在しています。
これも、最初は、何かの間違いかと思ったそうですが、同じような地図は、ベトナムなど、複数の国の地図に、存在していたそうです。
このことから、
「邪馬台国の時代の日本は、現在の位置には、なかった」
という衝撃の事実が、浮かびあがってきたのです。
その後、日本の学者たちは、アメリカの科学者チームに依頼して、最先端の地質学の理論をベースにして、スーパーコンピューターで、太古の時代の日本列島を、シュミレーションしてもらったそうです。
以下が、そのアメリカによって作成された、シュミレーションです。
これは、古代の日本列島です。
有史以前だと思います。
西日本も東日本も、南北が、ほぼ逆転しています。
次は、紀元前300年頃の地図だそうです。
西日本が、中国に、隣接していて、東日本は、フィリッピンの東にあります。
北海道は、東日本の北にあったようです。
これは、紀元前30年頃みたいです。
この頃から、西日本と東日本が、近づいてきています。
北海道は、その北に、位置してきています。
朝鮮で描かれた、「混一疆理歴代国都之図」は、この頃の地図かもしれません。
これが、紀元300年頃、卑弥呼が亡くなった、ちょっと後の地図みたいです。
西日本と東日本が、ようやく、合体して、北海道も、本州に近づいてきていますね。
どうですか?
これが、日本列島の本当の歴史みたいです。
凄いですねー。
さらに、面白いのは、このシュミレーションで、「邪馬台国」の謎が、全部解けるのです。
これが、当時の魏の国の遣いの者が、通ったルートです。
上が、北の方角です。
方角は、九州方面で、距離は、現在の奄美大島と沖縄本島のあたりです。
でも、当時は、その位置には、畿内(大和盆地)が、あったのです。
これから、推察すると、邪馬台国の本家の場所は、畿内(大和盆地)だったようですね。
九州にも、分家というか、卑弥呼の別荘のような場所が、数か所あったのだと思います。
一説によると、卑弥呼は、スペースシップのような乗り物で、九州と畿内を、頻繁に行き来していた痕跡も、あるようです。
さらに、興味深いのは、これは、私の個人的な推察ですが、邪馬台国は、現在の奄美大島や沖縄本島と、隣接していた可能性があります。
和歌山県に、白浜という場所がありますが、ここの砂浜は、調べてみると、オーストラリアから、白い砂を運んできてできた、人工的なビーチだそうですが、実は、昔から、白い砂浜だったようです。
ということは、邪馬台国の時代に、和歌山県と沖縄県は、隣接していた可能性が、あるのです。
「昔、沖縄の久高島に、邪馬台国の卑弥呼が流れ着いた」
という伝説も、聞いたことがありますし、沖縄本島の「斎場御嶽」などの岩も、奈良県の明日香村の巨石群と似ています。
現在の伊豆半島の南も、白い砂浜ですが、この場所も、沖縄などの南西諸島、もしくは、フィリピンから、分かれた可能性があります。
日本では、この半島だけ、フィリピン海プレートで、運ばれてきていますね。
他にも、「西日本」と「東日本」が、もともと離れた別の島だったというのは、とても興味深いです。
この二つの島が、ぶっかってできたのが、現在の「フォッサマグナ」です。
長野県に、「安曇野」という土地があるそうですが、ここは、
「太古の時代、海人族が住んでいた漁村だった」
という記録があるそうです。
学者たちは、
「川で、川魚を獲っていたのだろう…」
と推測しているようですが、ここが、
「もともとは、ここは海だった」
と考えたほうが、辻褄があうのです。
太古の昔に、インドの大陸とユーラシア大陸がぶつかって、ヒマラヤ山脈が、できたように、西日本と東日本の島がぶつかって、日本アルプスが、できたと考えたほうが、自然じゃないですか?
さらに、西日本と東日本の文化が、違いすぎるのも、
「この二つは、もともと別の島だった」
と考えると、納得できます。
「プレートが、そんなに急に、しかも、長距離を移動するのか?」
という意見も聞こえてきそうですが、いろいろ調べると、そうみたいです。
数十年前に、中近東で、大きな地震が起こった時に、わずか数時間で、数メートルアラビア半島が、動いた記録も残っているので、日本の島が、そうやって動いても、不思議はないのです。
さらに、太古の昔にも、「パンゲア」という一つの大陸が、分かれて、現在の大陸に、分かれているので、珍しいことでもないと思います。
他にも、旧約聖書や世界中の神話にも、ある日、突然、大陸や島が、船のように動いたという話も、たくさんあるみたいです。
結論です。
邪馬台国論争は、九州説、畿内説、沖縄説、三つとも正しかったのです。
さて、話は、これで終わりません。
邪馬台国を調べていると、もっともっと面白いことが、わかってきました。
日本の神話の中に、「出雲風土記」というのがあるそうですが、そこに書かれた、「国引き神話」の中で、出雲の創造神、八束水臣津野命が、大きな鍬で、大きな土地を分けて、それから、ぐいぐい引っ張り、船を動かすように、土地を動かしたという話も、あるようです。
有名な「古事記」の中にも、「国産み神話」があります。
日本の国土創世を、伝える神話ですね。
「イザナギ」と「イザナミ」の二柱の神が、天の橋に立ち、矛で、混沌をかき混ぜ、島をつくる話です。
その後に、
「この二神は、大八島を構成する島々を、生み出していった」
という記述があり、その八つの島というのは、「淡路」、「四国」、「隠岐島」、「九州」、「壱岐島」、「対馬」、「佐渡島」、「本州」だそうです。
しかし、私は、新しい仮説を、思いつきました。
一般的に、日本列島は、四つのプレートで、構成されていると言われているみたいです。
ただ、最近では、これを、細かく分ける考え方も、出てきているようです。
諸説あるようですが、現在の日本列島に、直接関係していそうなプレートは、「オホーツクプレート」、「北西北海道マイクロプレート」、「東日本マイクロプレート」、「佐渡島マイクロプレート」、「アムールプレート」、「中央日本マイクロプレート」、「南部西日本マイクロプレート」、「フィリピン海プレート」の八つだと思います。
これですね。
ということは…
「国産み神話」を、現代風に解釈し直すと、「イザナギ」と「イザナミ」が、天の橋に立ち、矛で、混沌をかき混ぜ、八つの島を、構成したのは、この八つのプレートを、動かしたのではないでしょうか?
これは、私の思いつきですが、これが、本当だったら、最先端の科学の結論と神話が、一致するということになります。
ワクワクしてきませんかー?
ただのお伽話だと、思っていたことが、事実かもしれないと思ったら、とてつもない歴史の奥深さを、感じませんか?
日本列島というのは、偶然できたにしては、美しすぎるのです。
「神様が、プレートを、動かして、日本列島を、つくった!」
としたら、エジプトとのピラミッドどころの話ではありません。
「日本そのものが、人工島だった!」
ということです。
「イザナギ」と「イザナミ」が、実際に、こうやって、日本列島を、つくっていたかもしれないということです!
何度でも言いますが、凄くないですかー!
邪馬台国、そして、「卑弥呼」という人物は、現代の私たちに、こういう謎解きを、わざと残したのかもしれません。
21世紀の最先端の科学で、ようやく、この謎が解けたのです。
そして、日本列島を、人工的に造ったのが、「卑弥呼」に、シェイプシフトした、「イナンナ」だったということです。
そういえば、「イザナギ(伊邪那岐)」も、「イザナミ(伊邪那美)」も、両者とも、「伊」の文字が付きますね。
この名前からも、「イナンナ」の宇宙人グループだったと、推測できますね。
さて、旅行記の続きです。
「分杭峠」から、車で、ちょっと行った所に、「中央構造線公園」という場所がありました、
ここにも、立ち寄りました。
看板です。
公園の階段を下に降りていくと、綺麗な湖がありました。
平日の昼間だったせいもあり、誰もいませんでした。
そこに、「中央構造線」が、むき出しになっている場所があったのです。
凄いです!
日本の二つの土地が、全く違う色に分かれています。
これを見ると、やはり、この二つの土地は、元々は、別々の島だったのだと思いました。
記念撮影しました。
個人的には、観光地化された、「分杭峠」よりも、こちらのほうが、「氣」や「パワー」を感じました。
ある程度、ここで、エネルギーを感じたあと、歩こうとしたら、ズボンが、ズルッと下がったのです。
「あれっ? どうしたんだろう?」
こう思ったのですが、すぐに原因がわかりました。
いい氣を、身体が吸収したせいで、内臓が上に上がって、ウエストが、一時的に細くなったのです。
それで、ジーパンが、ブカブカになり、ずり下がったのです。
やはり、ここは、凄いパワースポットみたいです。
遠くの景色です。
山と山の間に、凹んでいる部分がありますね。
そこが、「中央構造線」であり、「分杭峠」です。
車に戻る前に、小さな公園を散歩していたら、遠くに、何やら、観音像のような石像が建っていました。
「なんだろう?」
と思って、近寄ってみました。
「うわーー!!」
一緒に歩いていてたSさんと二人で、声を上げました。
「イッ、イナンナだーー!!」
二人で、驚きました。
名前も何も、書かれていません。
ふつうは、「なんとか観音菩薩」のような表記があるはずですが、何も書かれていないのです。
頭から、「布」を被っていますね。
「イナンナ」のシンボルです。
誰か、全ての歴史の謎を知っている人が、「イナンナ(卑弥呼)」が、日本列島を、人工的に造ったことを記念して、ここに、記念碑として建てたのだと思います。
今回の旅は、最初のテーマは、「古代日本ツアー」だったのですが、途中から、「イナンナツアー」なっていました。
翌日は、岐阜県に向かいました。
次回もお楽しみに!
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