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古代日本ワクワクツアー 8 分杭峠

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長野県伊那市と下伊那郡大鹿村の境界に、「分杭峠」という有名なパワースポットがあります。

 

今回は、この場所にも、ようやく行くことができました。

 

歴史的には、静岡県浜松市の秋葉神社へ向かう街道として、古くから利用された、秋葉街道の峠の一つだそうです。

 

秋葉街道は、西日本の地質を、内帯と外帯に二分する、日本最大の断層、「中央構造線」の断層谷を利用した街道で、「分杭峠」は、「中央構造線」の真上に位置し、「氣」を発生する「氣場」が出来ているといわれています。


海抜は1424mだそうです。

 

 

秋風が吹く中、凄く気持ちいいドライブになりました。

素晴らしい景色が、広がっていました。

 

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着きました。

 

一般の自動車の駐車場はないので、途中で、車を、指定の駐車場に、駐車してから、シャトルバスに乗りかえます。

 

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ここの売店で、販売されている水が、とても身体によかったです。

 

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シャトルバスに乗って、10分くらいすると、「分杭峠」に着きました。

記念撮影です。

 

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見晴らしも、最高でした。

 

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「氣場」と呼ばれている場所が、いくつかあり、そこで、「氣」を感じるようです。

 

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ここから、ちょっと離れた場所に、

 

「最も氣が充満している」

 

と言われているパワースポットがあるそうです。

 

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ここに座って、「氣」を感じました。

 

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たしかに、いい氣を感じました。

 

右膝が悪かったのですが、これも改善されました。

また、左耳が難聴だったのですが、これも、半分くらい楽になりました。

 

ただ、詳しい人に聞くと、以前は、もっといい氣が流れていたそうです。

観光地化され、たくさん人が来るようになってからは、少しパワーが落ちたのだとか…。

 

たしかに、どのパワースポットも、観光地になると、パワーが弱くなる傾向はあるようですね。

 

ここは、いわゆる、「ゼロ地場」という現象が、起きる所だそうですが、私は、この現象の専門家ではないので、今回は、この話題は省略します。

 

興味のある方は、ネットに、たくさんの情報が溢れているので、調べてみてください。

 

 

 

今回は、「科学」ではなく、「宇宙考古学」の視点から、ここを解説しますね。

面白い仮説ですよ。

 

 

まず、これが、日本にある主な断層です。

 

「分杭峠」のあたりから、湾曲していますね。

この大きな断層は、「北斗七星」の形にもなっていて、主要な神社などのパワースポットが、そのライン上にあるそうです。

 

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以前にも、紹介しましたが、この断層は、自然にできたものではなく、人工的に造られたとも、言われています。

 

「人工」と言っても、もちろん、人間業ではありません。

大昔、「神々(宇宙人たち)」によって、造られたようなのです。

 

 

 

繰り返しになりますが、再掲載しますね。

 


「邪馬台国」の謎は、かなり昔から、議論されているそうです。


江戸時代の頃から、現在のように、「九州説」と「畿内説」の議論が、あったようです。

邪馬台国が、九州にあったという説、それから、畿内にあったという説、この二つの説が、日本の東大と京大の二大学閥を、二分して、現在でも、ずーっと争っているみたいです。

他にも、候補地は、たくさんあるようですが、比較的最近では、「沖縄説」も登場して、ここ20年くらいは、「九州説」、「畿内説」、「沖縄説」の三つ巴の争いになっていたようです。

私自身は、沖縄出身なので、心情的には、「沖縄説」に、肩入れしたくなりますが、ここは、なるべく、科学的で冷静に、事実だけを追求しようと思います。



この問題が、難しいのは、当時の日本に、邪馬台国を書きしるした文献が、ほとんど残っていなくて、文字として記録が残っているのは、当時の中国にあたる「魏」の国の「魏志倭人伝」だけだというのが、原因みたいです。


問題を、簡単にまとめると…

○九州説

魏の国の遣いが、文献に記載した方角が、九州地方を指しています。

しかし、距離が合わない。

方角は、九州方面なのですが、そのままの距離だと、九州を飛び越して、南西諸島の海上に、邪馬台国が、存在していたことになるようです。

地名なども、合っているのですが、当時の小規模の国の痕跡は、残っていますが、文献に、記載されているような大きな国が、見当たらないのです。


○畿内説

魏の国の遣いが、文献に記載した距離では、畿内(大和盆地のあたり)になるようです。

しかし、方角が合わない。

距離は、合っているのですが、方角は、九州方面なのです。

地名なども、合っているし、文献に、記載されているような大きな国も、大和盆地に、存在していました。

でも、方角が、まったく違うのが、致命的な欠陥になっているようです。


○沖縄説

魏の国の遣いが、文献に記載した方角と距離の両方を合わせると、奄美大島や沖縄本島あたりになるようです。

方角と距離の二つの条件を、満たしているのですが、しかし、沖縄には、邪馬台国のものらしき、出土品が、ほとんど発掘されていないのです。

方角と距離は合っているのですが、出土品などの物的な証拠が、少なすぎるのです。


以上を、簡単に、再度まとめると…

○九州説は、距離が、合わない。

○畿内説は、方角が、合わない。

○沖縄説は、出土品が、少ない。


「魏志倭人伝」にあるように、遣いの者のルートを、記述のままに、そのまま地図にすると、こんなかんじになるそうです。

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「距離」、「方角」、「出土品」の三つの証拠が、揃っていないので、三つの説とも、証拠不十分ということで、確定できずに、ずーと、論争が、続いていたというのが、現状のようです。

面白いですね。
こういう理由だったのですね。


他にも、異説として…

○邪馬台国など、そもそもなかった。

○邪馬台国は、水没した。

○中国の測量技術が、未熟だったので、遣いの者が、間違えた報告をした。

というのもあるみたいです。


最初の説は、これだけ、出土品があるので、なかったという可能性は、考えられません。

二つ目は、海底を、地質学的に、徹底に調査した結果、そういう痕跡は、見当たらないということで、現在では、科学的に、完全に否定されているようです。

三つ目は、一見、もっともらしいのですが、当時の中国の建築技術は、日本よりも、はるかに進んでいたので、間違えることなど、ありえないようです。

中国という国の政治は、とても厳しいので、間違った報告などしたら、その遣いの者は、その場で、首を切られます。

現在でも、記録が残っているということは、後から、追跡調査したグループも、調査結果を、事実と認めていたということです。


江戸時代から議論されても、結論が出ない理由が、わかりますね。

これだけの長い期間、日本のトップの学者たちが、考えてもわからなかっただけのことは、あります。


とーっても難しいパズルだったのですね。

しかし、10年くらい前から、日本と中国の学者の一部で、徹底的に考え抜いた結果、ようやく謎が、ある程度、解けたようです。

それは、とても意外な結果でした。


こういう場合、「常識」では解けないので、さらなる「超常識」の視点を、もってこないといけません。

それは、日本と中国以外の外国の意見です。
当事者同士が、もめている場合、第三者に、意見を求めると、客観的で冷静な分析をしてくれます。

これは、「混一疆理歴代国都之図」といって、14世紀に、当時の朝鮮半島に存在していたという地図です。

これは、写本されたもので、オリジナルの地図は、おそらく、紀元前に描かれただろうとも、言われています。




右下の島が、日本列島です。

よく見ると、九州と四国、それから、本州の半分にあたる西日本だけです。

本州の半分の東日本、それから、北海道がありません。

しかも、現在の日本よりも、90度くらい回転した状態で、存在しています。

これも、最初は、何かの間違いかと思ったそうですが、同じような地図は、ベトナムなど、複数の国の地図に、存在していたそうです。


このことから、

「邪馬台国の時代の日本は、現在の位置には、なかった」

という衝撃の事実が、浮かびあがってきたのです。

その後、日本の学者たちは、アメリカの科学者チームに依頼して、最先端の地質学の理論をベースにして、スーパーコンピューターで、太古の時代の日本列島を、シュミレーションしてもらったそうです。

以下が、そのアメリカによって作成された、シュミレーションです。

これは、古代の日本列島です。
有史以前だと思います。
西日本も東日本も、南北が、ほぼ逆転しています。

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次は、紀元前300年頃の地図だそうです。
西日本が、中国に、隣接していて、東日本は、フィリッピンの東にあります。
北海道は、東日本の北にあったようです。

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これは、紀元前30年頃みたいです。
この頃から、西日本と東日本が、近づいてきています。
北海道は、その北に、位置してきています。
朝鮮で描かれた、「混一疆理歴代国都之図」は、この頃の地図かもしれません。

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これが、紀元300年頃、卑弥呼が亡くなった、ちょっと後の地図みたいです。
西日本と東日本が、ようやく、合体して、北海道も、本州に近づいてきていますね。

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どうですか?
これが、日本列島の本当の歴史みたいです。
凄いですねー。


さらに、面白いのは、このシュミレーションで、「邪馬台国」の謎が、全部解けるのです。
これが、当時の魏の国の遣いの者が、通ったルートです。
上が、北の方角です。

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方角は、九州方面で、距離は、現在の奄美大島と沖縄本島のあたりです。


でも、当時は、その位置には、畿内(大和盆地)が、あったのです。

これから、推察すると、邪馬台国の本家の場所は、畿内(大和盆地)だったようですね。

九州にも、分家というか、卑弥呼の別荘のような場所が、数か所あったのだと思います。

一説によると、卑弥呼は、スペースシップのような乗り物で、九州と畿内を、頻繁に行き来していた痕跡も、あるようです。

さらに、興味深いのは、これは、私の個人的な推察ですが、邪馬台国は、現在の奄美大島や沖縄本島と、隣接していた可能性があります。

和歌山県に、白浜という場所がありますが、ここの砂浜は、調べてみると、オーストラリアから、白い砂を運んできてできた、人工的なビーチだそうですが、実は、昔から、白い砂浜だったようです。

ということは、邪馬台国の時代に、和歌山県と沖縄県は、隣接していた可能性が、あるのです。

「昔、沖縄の久高島に、邪馬台国の卑弥呼が流れ着いた」

という伝説も、聞いたことがありますし、沖縄本島の「斎場御嶽」などの岩も、奈良県の明日香村の巨石群と似ています。


現在の伊豆半島の南も、白い砂浜ですが、この場所も、沖縄などの南西諸島、もしくは、フィリピンから、分かれた可能性があります。

日本では、この半島だけ、フィリピン海プレートで、運ばれてきていますね。
 

 


他にも、「西日本」と「東日本」が、もともと離れた別の島だったというのは、とても興味深いです。

この二つの島が、ぶっかってできたのが、現在の「フォッサマグナ」です。


長野県に、「安曇野」という土地があるそうですが、ここは、

「太古の時代、海人族が住んでいた漁村だった」

という記録があるそうです。

学者たちは、

「川で、川魚を獲っていたのだろう…」

と推測しているようですが、ここが、

「もともとは、ここは海だった」

と考えたほうが、辻褄があうのです。


太古の昔に、インドの大陸とユーラシア大陸がぶつかって、ヒマラヤ山脈が、できたように、西日本と東日本の島がぶつかって、日本アルプスが、できたと考えたほうが、自然じゃないですか?

さらに、西日本と東日本の文化が、違いすぎるのも、

「この二つは、もともと別の島だった」

と考えると、納得できます。


「プレートが、そんなに急に、しかも、長距離を移動するのか?」

という意見も聞こえてきそうですが、いろいろ調べると、そうみたいです。

数十年前に、中近東で、大きな地震が起こった時に、わずか数時間で、数メートルアラビア半島が、動いた記録も残っているので、日本の島が、そうやって動いても、不思議はないのです。

さらに、太古の昔にも、「パンゲア」という一つの大陸が、分かれて、現在の大陸に、分かれているので、珍しいことでもないと思います。

他にも、旧約聖書や世界中の神話にも、ある日、突然、大陸や島が、船のように動いたという話も、たくさんあるみたいです。


結論です。

邪馬台国論争は、九州説、畿内説、沖縄説、三つとも正しかったのです。

 



さて、話は、これで終わりません。
邪馬台国を調べていると、もっともっと面白いことが、わかってきました。

日本の神話の中に、「出雲風土記」というのがあるそうですが、そこに書かれた、「国引き神話」の中で、出雲の創造神、八束水臣津野命が、大きな鍬で、大きな土地を分けて、それから、ぐいぐい引っ張り、船を動かすように、土地を動かしたという話も、あるようです。

有名な「古事記」の中にも、「国産み神話」があります。
日本の国土創世を、伝える神話ですね。

「イザナギ」と「イザナミ」の二柱の神が、天の橋に立ち、矛で、混沌をかき混ぜ、島をつくる話です。

その後に、

「この二神は、大八島を構成する島々を、生み出していった」

という記述があり、その八つの島というのは、「淡路」、「四国」、「隠岐島」、「九州」、「壱岐島」、「対馬」、「佐渡島」、「本州」だそうです。


しかし、私は、新しい仮説を、思いつきました。

一般的に、日本列島は、四つのプレートで、構成されていると言われているみたいです。

ただ、最近では、これを、細かく分ける考え方も、出てきているようです。

諸説あるようですが、現在の日本列島に、直接関係していそうなプレートは、「オホーツクプレート」、「北西北海道マイクロプレート」、「東日本マイクロプレート」、「佐渡島マイクロプレート」、「アムールプレート」、「中央日本マイクロプレート」、「南部西日本マイクロプレート」、「フィリピン海プレート」の八つだと思います。


これですね。

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ということは…

「国産み神話」を、現代風に解釈し直すと、「イザナギ」と「イザナミ」が、天の橋に立ち、矛で、混沌をかき混ぜ、八つの島を、構成したのは、この八つのプレートを、動かしたのではないでしょうか?

これは、私の思いつきですが、これが、本当だったら、最先端の科学の結論と神話が、一致するということになります。

ワクワクしてきませんかー?

ただのお伽話だと、思っていたことが、事実かもしれないと思ったら、とてつもない歴史の奥深さを、感じませんか?

日本列島というのは、偶然できたにしては、美しすぎるのです。

「神様が、プレートを、動かして、日本列島を、つくった!」

としたら、エジプトとのピラミッドどころの話ではありません。

「日本そのものが、人工島だった!」

ということです。


「イザナギ」と「イザナミ」が、実際に、こうやって、日本列島を、つくっていたかもしれないということです!

 

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何度でも言いますが、凄くないですかー!

邪馬台国、そして、「卑弥呼」という人物は、現代の私たちに、こういう謎解きを、わざと残したのかもしれません。
21世紀の最先端の科学で、ようやく、この謎が解けたのです。

 

 

そして、日本列島を、人工的に造ったのが、「卑弥呼」に、シェイプシフトした、「イナンナ」だったということです。

 

そういえば、「イザナギ(伊邪那岐)」も、「イザナミ(伊邪那美)」も、両者とも、「伊」の文字が付きますね。

 

この名前からも、「イナンナ」の宇宙人グループだったと、推測できますね。

 

 

 

さて、旅行記の続きです。

 

「分杭峠」から、車で、ちょっと行った所に、「中央構造線公園」という場所がありました、

ここにも、立ち寄りました。

 

 

看板です。

 

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公園の階段を下に降りていくと、綺麗な湖がありました。

平日の昼間だったせいもあり、誰もいませんでした。

 

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そこに、「中央構造線」が、むき出しになっている場所があったのです。

 

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凄いです!

 

日本の二つの土地が、全く違う色に分かれています。

 

これを見ると、やはり、この二つの土地は、元々は、別々の島だったのだと思いました。

 

 

記念撮影しました。

 

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個人的には、観光地化された、「分杭峠」よりも、こちらのほうが、「氣」や「パワー」を感じました。

 

ある程度、ここで、エネルギーを感じたあと、歩こうとしたら、ズボンが、ズルッと下がったのです。

 

「あれっ? どうしたんだろう?」

 

こう思ったのですが、すぐに原因がわかりました。

 

いい氣を、身体が吸収したせいで、内臓が上に上がって、ウエストが、一時的に細くなったのです。

それで、ジーパンが、ブカブカになり、ずり下がったのです。

やはり、ここは、凄いパワースポットみたいです。

 

 

遠くの景色です。

山と山の間に、凹んでいる部分がありますね。

そこが、「中央構造線」であり、「分杭峠」です。

 

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車に戻る前に、小さな公園を散歩していたら、遠くに、何やら、観音像のような石像が建っていました。

 

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「なんだろう?」

 

と思って、近寄ってみました。

 

「うわーー!!」

 

一緒に歩いていてたSさんと二人で、声を上げました。

 

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「イッ、イナンナだーー!!」

 

二人で、驚きました。

 

名前も何も、書かれていません。

 

ふつうは、「なんとか観音菩薩」のような表記があるはずですが、何も書かれていないのです。

 

頭から、「布」を被っていますね。

「イナンナ」のシンボルです。

 

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誰か、全ての歴史の謎を知っている人が、「イナンナ(卑弥呼)」が、日本列島を、人工的に造ったことを記念して、ここに、記念碑として建てたのだと思います。

 

 

今回の旅は、最初のテーマは、「古代日本ツアー」だったのですが、途中から、「イナンナツアー」なっていました。

 

 

 

翌日は、岐阜県に向かいました。

次回もお楽しみに!

 

 

 

 

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