今回のツアーのメインの目的は、「卑弥呼=弁財天」にこ祈りを捧げることでした。
「卑弥呼」が、いろいろな理由から、自ら墓に入った日が、11月17日だったそうです。
それで、その記念日に、皆で、そのお墓に、祈りを捧げようというのが、このツアーでした。
前述したように、「聖母マリア」も「キリスト」も、そうですが、「卑弥呼」の墓も、山を登っていく、「本物の墓」と、一般の人が、参拝しやすいように、遠くから、手を合わせる寺や神社と、二カ所あります。
最初は、この行きやすい、一般向けの参拝所に行きました。
場所は、姫路市香寺町土師にある、「大年神社」です。
「キリスト」もそうですが、こういう、「大きく時代を変革した人物」の墓を拝む場所は、「大年」や「大歳」という名前が付いいることが多いです。
「大きく年号を変えた人物の神社」
という意味かもしれません。
着きました。
綺麗な池があり、そこの橋を渡って行きます。
この橋から、参道が始まっていて、その参道の延長線上に拝殿があり、その先に、参拝用の「卑弥呼の墓」があります。
境内です。
ここで、参拝しました。
時間は、前後しますが、私たちは、メインの目的地である、本物の「卑弥呼の墓」にも向かいました。
近くの「七宝寺」という寺の駐車場に、バスを停めて、そこから、皆で、この山がよく見える広場まで、登っていきました。
徒歩10分くらいの距離でした。
紅葉が綺麗でした。
散歩道の途中には、「弥勒菩薩」の石像もありました。
着きました。
ここからが、一番よく見えるのです。
「卍(まんじ)広場」という名前の所です。
最高の景色です。
真ん中の山の頂上に、不思議な形の古墳がありますね。
頂上付近を、拡大した写真です。
円形上で、まるで、「東京ドーム」みたいです。
ここが、「卑弥呼の墓」だそうです。
皆で、輪になって、手をつなぎ、それから、「かごめかごめ」の歌を、合唱しました。
それから、「卑弥呼の墓」に向かって、皆で大声で、
「ヤッホーーー!!!」
「ヤッホーーー!!!」
「ヤッホーーー!!!」
と、三回叫びました。
こだまが戻ってきて、かすかに聞こえました。
大感動でした。
この時のことは、一生忘れないだろうと思います。
大人になってから、まさか、こだまの声が聞けるとは、思いませんでした。
童心に返って、気持ちよかったです。
ここで、友人たちと、記念撮影しました。
上森さんによる、「卑弥呼の生涯」を、簡単に紹介しておきますね。
卑弥呼は、西暦177年8月31日に、現在の兵庫県香美町の「庵月(あずき)山」で、生まれたそうです。
身長、162センチ、血液型、B型、体型は、普通だったそうです。
家族の中では、長女で、弟と妹がいたそうです。
弟とは、三歳違い、妹とは、5歳違いだったそうです。
卑弥呼の幼名は、「あずきちゃん」だったそうです。
あずきちゃんは、11歳で、現在の神河町に、連れてこられたそうです。
理由は、日本の初代大王である、「イエス・キリスト」から、直系の五代目で、「ウガヤ王朝」の流れをくむ姫だったからだそうです。
当時、倭国大乱の収束のために、「キリスト」と「ウガヤ王朝」の二つの対抗勢力同士の共通の女王として、そして、「キリスト」の墓守として、この聖地に、連れてこられたのだそうです。
卑弥呼は、政体のあった「纒向」から、居城のあった「神河」の間を、頻繁に行き来していたそうです。
ある時、その道中で、「崇神天皇」に強要されて、37歳で、男の子を生んだそうです。
その時、天皇は、まだ若く、15歳だったそうです。
天皇は、この子を、実の子と認めていたそうです。
卑弥呼は、その後、61歳で、初孫にも恵まれたそうです。
その息子が、24歳の時に、女の子が、生まれたのだそうです。
それから、さらに、4年後、妹になる女の子も生まれ、二人の孫ができたそうです。
それから、さらに、子孫は広がり、ひ孫の次女が、20歳で、「朝鮮高句麗王」に、嫁いだそうです。
この姫君が、「津峯神社」に祀られている、「賀志波比売大神」だそうです。
卑弥呼の子孫は、他にも、ひ孫に、「応神天皇」がいたそうです。
この天皇は、自分が、「卑弥呼のひ孫」だとは、知っていたけど、「崇神天皇の直系」とは、知らなかったのだそうです。
卑弥呼は、他にも、たくさん活動をしていて、現在の西宮市のあたりから、船で、中国の「千山」にも、10回以上行っていたそうです。
さらに、40代の頃に、インドの北西部にも行っていたそうです。
第九代の「開化天皇」が、247年2月8日に崩御して、「崇神天皇」が、2月18日に、即位したそうです。
その政変を感じとった卑弥呼は、同時に、自分の死期も近いと思って、旅立つ準備を始めたそうです。
その頃に、「石乃宝殿」も、造営したのだそうです。
2年かけて、造ったそうです。
「蘇我氏」や「物部氏」も、この設計や建築に、関わったそうです。
その頃に同時に、自分の墓を、生まれ故郷の「庵月山」に造り、自ら入定したのだそうです。
ちなみに、奈良県にある、「箸墓古墳」は、卑弥呼の妹の墓なのだそうです。
最後の日は、248年11月17日だったそうです。
白装束を着て、たくさんの民衆に、見守られながら、息子と弟を、両脇に立たせ、大きな声で、民衆に別れを告げ、墓に入ったそうです。
それから、蓋である岩戸が、ドーンという轟音を立てて、閉められたそうです。
それから、民衆が、
「ヤッホーーー!!!」
と叫び、そのこだまが、しばらく鳴り響いていたそうです。
「天岩戸伝説」は、この時の話だそうです。
それから、三日三晩、人々による、祈りが続けられて、その場にいた、71人は、下山したそうです。
その5日後の22日に、卑弥呼は、死亡したそうです。
享年、71歳だったそうです。
どうですか?
この上森さんによる、「卑弥呼の生涯」は?
これは、検証は難しいです。
タイムマシンに乗って、実際に見てこない限り、どこまで本当なのかは、わかりません。
でも、読んでいると、不思議と、その光景が、ありありと甦るのです。
私は、この話は、ほとんど事実だと思っています。
これは、「卑弥呼」をイメージして作られた、人形だそうです。
よく見ると、着物の柄に、「八方向の光」の模様が入っていますね。
袖のあたりです。
私は、「卑弥呼」は、「イナンナ」の魂グループでもあったと、思っています。
卑弥呼は、こういうかんじで、祭祀を行っていたのかもしれません。
これは、去年、「大阪府弥生文化博物館」に行った時に、館内で撮影した写真です。
卑弥呼が、銅鏡を神様に捧げながら、祈っている姿だそうです。
眺めていたら、なぜか懐かしい気持ちになりました。
もしかしたら、卑弥呼とは、前世で、何か関わりがあったのかもしれません。
「兵庫県」での旅は、ここで終了しました。
バスの終点は、JR姫路駅で、そこで解散しました。
ツアーの皆さんと、分かれるのが、辛かったです。
もっと、いろいろ語りたかったのですが、今回は実は、体調が、いまいちだったので、疲れやすくなっていました。
次のツアーでは、元気な時に、徹夜で、いろいろ話したいですね。(笑)
その後、私は、1人で、「滋賀県」に向かいました。
滋賀では、友人のJさんが、待っていました。
ここにも、どうしても行きたい所があったのです。
次回から、舞台が、滋賀県に移ります。
お楽しみに!
☆卑弥呼についての過去記事です。
こちらも、よかったら、読んでみてくださいね。
「卑弥呼」
http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12081928512.html
「関西ユニバーサルツアー 9 卑弥呼」
http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12187522485.html
「古代日本ワクワクツアー 6 イナンナ」
http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12217012359.html#
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