10月15日(日)の宮崎セミナーも、大盛況で終了しました。
参加された皆さん、ありがとうございました。
その後、九州を旅したのですが、この旅行も最高でした。
今回の旅も、セミナーも含めて、旅行記として、まとめますね。
いつものように、ストーリーの構成上、実際にまわった順番ではなく、テーマごとに、まとめています。
また、初めて読む方のために、念のために書いておきます。
旅行記の中では、いろいろな考察をしていますが、事実は、7割くらいで、あとは、私の空想であり、あくまでも、仮説だと断っておきますね。
では、はじまり~、はじまり~!
10月15日(日)、早朝から、雨の降る中、羽田空港から、宮崎ブーゲンビリア空港に向かいました。
JALの飛行機に書かれていた、「ワンワールド」の文字が、やけに目に焼き付けられました。
セミナーは、宮崎県都城市で、開催しました。
とても和やかなムードで、楽しく終了しました。
懇親会でも、いろいろな話題で、大盛り上がりでした。
九州は、今までに、何度も訪れていますが、「宇宙考古学」に目覚めてからは、今年になってから、本格的な調査に行っています。
今年は、3回目です。
それまでは、福岡県、佐賀県、長崎県、大分県をまわりました。
今回は、南九州、その中でも、宮崎県、鹿児島県をまわりました。
いろいろな発見があって、面白かったです。
初めての読者のために、今までの復習をしておきましょう。
まずは、「邪馬台国」の話題です。
邪馬台国が、九州にあったという説、それから、畿内にあったという説、この二つの説が、日本の東大と京大の二大学閥を二分して、現在でも、ずーっと争っているみたいです。
他にも、候補地は、たくさんあるようですが、比較的最近では、「沖縄説」も登場して、ここ20年くらいは、「九州説」、「畿内説」、「沖縄説」の三つ巴の争いになっていたようです。
この問題が、難しいのは、当時の日本に、邪馬台国を書きしるした文献が、ほとんど残っていなくて、文字として記録が残っているのは、当時の中国にあたる「魏」の国の「魏志倭人伝」だけだというのが、原因みたいです。
問題を、簡単にまとめると…
○九州説
魏の国の遣いが、文献に記載した方角が、九州地方を指しています。
しかし、距離が合わない。
方角は、九州方面なのですが、そのままの距離だと、九州を飛び越して南西諸島の海上に、邪馬台国が、存在していたことになるようです。
地名なども、合っているのですが、当時の小規模の国の痕跡は、残っていますが、文献に記載されているような大きな国が、見当たらないのです。
○畿内説
魏の国の遣いが、文献に記載した距離では、畿内(大和盆地のあたり)になるようです。
しかし、方角が合わない。
距離は合っているのですが、方角は九州方面なのです。
地名なども合っているし、文献に記載されているような大きな国も、大和盆地に存在していました。
でも、方角が、まったく違うのが、致命的な欠陥になっているようです。
○沖縄説
魏の国の遣いが、文献に記載した方角と距離の両方を合わせると、奄美大島や沖縄本島あたりになるようです。
方角と距離の二つの条件を、満たしているのですが、しかし、沖縄には、邪馬台国のものらしき、出土品が、ほとんど発掘されていないのです。
方角と距離は合っているのですが、出土品などの物的な証拠が、少なすぎるのです。
以上を、簡単に、再度まとめると…
○九州説は、距離が合わない。
○畿内説は、方角が合わない。
○沖縄説は、出土品が少ない。
「魏志倭人伝」にあるように、遣いの者のルートを、記述のままに、そのまま地図にすると、こんなかんじになるそうです。
「距離」、「方角」、「出土品」の三つの証拠が、揃っていないので、三つの説とも、証拠不十分ということで、確定できずに、ずーと論争が、続いていたというのが、現状のようです。
面白いですね。
こういう理由だったのですね。
江戸時代から議論されても、結論が出ない理由が、わかりますね。
これだけの長い期間、日本のトップの学者たちが、考えてもわからなかっただけのことは、あります。
とーっても難しいパズルだったのですね。
しかし、15年以上前から、日本と中国の学者の一部で、徹底的に考え抜いた結果、ようやく謎が解けたようです。
こういう場合、「常識」では解けないので、さらなる「超常識」の視点を、もってこないといけません。
それは、日本と中国以外の外国の意見です。
当事者同士が、もめている場合、第三者に意見を求めると、客観的で冷静な分析をしてくれます。
これは、「混一疆理歴代国都之図」といって、14世紀に、当時の朝鮮半島に、存在していたという地図です。
これは、写本されたもので、オリジナルの地図は、おそらく、紀元前に描かれただろうとも、言われています。
右下の島が、日本列島です。
よく見ると、九州と四国、それから、本州の半分にあたる西日本だけです。
本州の半分の東日本、それから、北海道がありません。
これも、最初は、何かの間違いかと思ったそうですが、同じような地図は、ベトナムなど、複数の国の地図に、存在していたそうです。
このことから、
「邪馬台国の時代の日本は、現在の位置にはなかった」
という衝撃の事実が、浮かびあがってきたのです。
その後、日本の学者たちは、アメリカの科学者チームに依頼して、最先端の地質学の理論をベースにして、スーパーコンピューターで、太古の時代の日本列島を、シュミレーションしてもらったそうです。
以下が、そのアメリカによって作成された、シュミレーションです。
これは、古代の日本列島です。
有史以前だと思います。
西日本も東日本も、南北が、ほぼ逆転しています。
次は、紀元前300年頃の地図だそうです。
西日本が、中国に隣接していて、東日本は、フィリッピンの東にあります。
ちょっとわかりにくですが、北海道は、東日本の北にあったようです。
これは、紀元前30年頃みたいです。
この頃から、西日本と東日本が、近づいてきています。
北海道は、その北東に位置してきています。
先ほどの朝鮮で描かれた、「混一疆理歴代国都之図」は、この頃の地図かもしれません。
これが、紀元300年頃、卑弥呼が亡くなった、ちょっと後の地図みたいです。
西日本と東日本が、ようやく合体して、北海道も本州に近づいてきていますね。
どうですか?
これが、日本列島の本当の歴史みたいです。
凄いですねー。
さらに面白いのは、このシュミレーションで、「邪馬台国」の謎が解けるのです。
これが、当時の魏の国の遣いの者が、通ったルートです。
上が、北の方角です。
方角は、九州方面で、距離は、現在の奄美大島と沖縄本島のあたりです。
でも、当時は、その位置には、「畿内(大和盆地)」が、あったのです。
これから推察すると、「魏志倭人伝」の「邪馬台国」の位置は、「畿内(大和盆地)」だったようですね。
しかし、だからと言って、九州になかったわけではありません。
九州にも、同じくらいの規模の「邪馬台国」は、やはりあったようです。
「卑弥呼」は、テレポーテーションして、頻繁に行き来していた痕跡もあるようです。
この二つの島が、ぶっかってできたのが、現在の「フォッサマグナ」です。
長野県に、「安曇野」という土地があるそうですが、ここは、
「太古の時代、海人族が住んでいた漁村だった」
という記録があるそうです。
学者たちは、
「川で、川魚を獲っていたのだろう…」
と推測しているようですが、ここが、
「もともとは、ここは海だった」
と考えたほうが、辻褄があうのです。
太古の昔に、インドの大陸とユーラシア大陸がぶつかって、ヒマラヤ山脈ができたように、西日本と東日本の島がぶつかって、日本アルプスができたと考えたほうが、自然じゃないですか?
さらに、西日本と東日本の文化が、違いすぎるのも、
「この二つは、もともと別の島だった」
と考えると、納得できます。
現在は、まったく新しい歴史観を、最初から積み直す時期にきているのです。
「プレートが、そんなに急に、しかも、長距離を移動するのか?」
という意見も聞こえてきそうですが、いろいろ調べると、可能みたいです。
数十年前に、中近東で、大きな地震が起こった時に、わずか数時間で、数メートルアラビア半島が、動いた記録も残っているので、日本の島が、そうやって動いても、不思議はないのです。
さらに、太古の昔にも、「パンゲア」という一つの大陸が、分かれて、現在の大陸に、分かれているので、珍しいことでもないと思います。
他にも、世界中の神話にも、ある日突然、大陸や島が、船のように動いたという話も、たくさんあるみたいです。
話は、これで終わりません。
「邪馬台国」を調べていると、もっともっと面白いことが、わかってきました。
日本の神話の中に、「出雲風土記」というのがあるそうです。
「古事記」の中にも、「国産み神話」があります。
日本の国土創世を、伝える神話ですね。
「イザナギ」とイ「ザナミ」の二柱の神が、天の橋に立ち、矛で、混沌をかき混ぜ、島をつくる話です。
その後に、
「この二神は、大八島を構成する島々を、生み出していった」
という記述があり、その八つの島というのは、「淡路」、「四国」、「隠岐島」、「九州」、「壱岐島」、「対馬」、「佐渡島」、「本州」だそうです。
私は、新しい仮説を思いつきました。
一般的に、日本列島は、四つのプレートで、構成されていると言われているみたいです。
ただ、最近では、これを細かく分ける考え方も、出てきているようです。
諸説あるようですが、現在の日本列島に、直接関係していそうなプレートは、「オホーツクプレート」、「北西北海道マイクロプレート」、「東日本マイクロプレート」、「佐渡島マイクロプレート」、「アムールプレート」、「中央日本マイクロプレート」、「南部西日本マイクロプレート」、「フィリピン海プレート」の八つだと思います。
これですね。
ということは…
「国産み神話」を、現代風に解釈し直すと、「イザナギ」と「イザナミ」の神々が、天の橋に立ち、矛で混沌をかき混ぜ、八つの島を構成したのは、この八つのプレートを、動かしたのではないでしょうか?
これが本当だったら、最先端の科学の結論と神話が、一致するということになります。
ワクワクしてきませんかー?
お伽話だと思っていたことが、事実かもしれないと思ったら、とてつもない歴史の奥深さを感じませんか?
日本列島というのは、偶然できたにしては、美しすぎるのです。
「神様がプレートを動かして、日本列島をつくった!」
こちらのほうが、自然な話のです。
しかし、もしも、そうだとしたら、エジプトのピラミッドどころの話ではありません。
「日本列島そのものが、人工島だった!」
ということです。
「イザナギ」と「イザナミ」が、実際に、こうやって、日本列島を、つくっていたかもしれないということです!
何度でも言いますが、凄くないですかー!
「邪馬台国」、そして、「卑弥呼=イナンナ」という人物は、現代の私たちに、こういう謎解きを、わざと残したのかもしれません。
21世紀の最先端の科学で、ようやく、この謎が解けたのです。
また、岐阜県東南の「恵那市」のあたりも、そうだったといわれているそうです。
「イナ」と「エナ」は、たしかに、音が似ていますね。
また、さらに昔は、「伊勢」のあたりも、「伊那」と呼んでいたそうです。
やはり、「伊勢神宮」は、昔、「伊那の神宮」だったみたいですね。
古代の日本は、「イナンナの国」だったのです。
これは、「卑弥呼の国」という意味でもあります。
日本列島を人工的に造ったのが、「卑弥呼」に、シェイプシフトした、「イナンナ」だったということです。
「アヌンナキ」の一族の中でも、最重要人物ですね。
そういえば、「イザナギ(伊邪那岐)」も、「イザナミ(伊邪那美)」も、両者とも、「伊」の文字が付きますね。
この名前からも、「イナンナ」の宇宙人グループだったと、推測できますね。
もちろん、「アヌンナキ」のグループでもあります。
何度か書いていますが、
ここからは、私が、今年になってから、気がついた新説です。
この地図を見てください。
これは、江戸時代の初期に描かれた、「日本地図」だそうです。
まず、目につくのは、「四国」の位置が、かなりズレているということ、
さらに、「中国地方」の中で、特に、「山口県」のあたりが、ねじ曲がっていること。
「沖縄本島」が九州に近く、またまた、北海道が、小さく描かれていることです。
大半の学者は、
「当時の測量技術が未熟だったために、ヘンテコな地図が作成されていた」
と言って、笑って終わりにしているそうです。
しかし、本当に、それだけでしょうか?
江戸時代の前から、日本には、平城京や平安京を設計して、町を建築した、とてつもない技術があったのですよ。
私は、
「この地図は、ほぼ正確に描かれた、当時の日本列島だろう」
と、考えています。
おそらく、邪馬台国の時代から、江戸時代の中期くらいまでは、日本列島の姿は、こういう姿だったのだと思います。
そう考えると、とても面白いことが、わかったのです。
もう一度、上記の地図を眺めてみてください。
何かに見えませんか?
「馬」、だと思いませんか?
「九州」が、「馬の頭」。
「鹿児島」のあたりが、「口」ですね。
「本州」が、「馬の身体」。
「紀伊半島」が、「馬の前足」。
「房総半島」と「伊豆半島」が、「馬の後ろ足」。
「北海道」が、「馬の尻尾」。
こういう視点で、眺めてみてください。
この絵には、「馬」だけしか描かれていません。
この地図に、「四国」を、「馬が前足をのせている台」として、付け足して、イメージしてみてください。
それから、もう一度、この地図を眺めてみてください。
わかりましたね。
そうです。
「台に前足をのせている馬」
これが、この地図なのです。
「馬が台の上にのって、牙をむいている国」
これが、「邪馬台国」という国の名前の秘密だったのです!
「邪馬台国」
これは、当時の日本列島の形を、そのまま描写した意味だったのです!
これに気が付いた瞬間、大感動しました。
これが凄いのは、この日本列島の姿は、山の上からでは、絶対に見えません。
人工衛星の高度くらいじゃないと、目視できないないのです。
これ自体が、
「宇宙人実在の証明」
になるのです。
ちなみに、「邪」の文字の左側は、「こざとへん」ですね。
これは、象形文字だそうです。
「丘」や「盛り土」を意味するそうです。
「岩のない土だけの山」というニュアンスだそうです。
横にすると、こういう形です。
「前方後円墳」や「王国」の意味です。
あとは、この「馬」が、口から吐き出して、産んだような島が、「沖縄本島」を含む、「南西諸島」ですね。
他にも、この地図では、「対馬列島」も、ボンヤリと描かれていますが、この島の名前も、ずっと疑問に思っていましたが、これも解けました。
「馬に対面している島」
という意味だったのですね。
ようやく、意味が繋がりました。
もう一度、まとめた結論を言いますね。
「邪馬台国とは、昔の日本列島の全てのエリアのことを、そう呼んでいた」
ということです。
特に、この「馬」の地図では、「九州」が、「頭部」になり、「関西」が、「心臓部」になることから、この二カ所は、重要な拠点だったことが、わかりますね。
賢明な方は、私の言いたいことに、だんだん気が付いてきたと思います。
これらの話の流れから、
「日本列島そのものが、意識をもった生命体であり、言い方を変えると、超知性体でもあり、未来の生き物である。すなわち、UFOである」
こういう超大胆な仮説も、導き出されるのです。
日本の国土、それ自体が、超巨大な母船であり、UFOだということです。
歴史の古い神社に行くと、よく、「台の上にのっている馬」の銅像や石像がありますね。
これは、今年になって行った、長崎県長崎市内にある、「諏訪神社」の写真です。
大きな「神馬像」ですね。
こういう「台に載った馬」の像があるところは、古代において、「邪馬台国」の拠点だった、重要な土地なのです。
「馬」も大事だけど、下の「台」も、それ以上に重要な意味があったのです。
どおりで、これほど、立派な石の台だったのですね。
「どうして、こんな立派な台なんだろう?」
と、疑問に思っていましたが、理由が分かった嬉しいです。
さて、一方の現代の地図です。
何度か書きましたが、東北が、「頭部」になっていてそれは、
「顔が青森県で、奄美大島あたりが尻尾になり、本州から九州にかけて広がる、超巨大な龍神様である」
ということでしたね。
邪馬台国から江戸時代までの古い地図、それから、現代の地図、この二つをまとめると、
「日本は九州を頭にすると、馬であり、東北を頭にすると、龍になる、双頭の神獣である」
ということになります。
つまり、
「西は馬で、東は龍である、その双頭の神獣の形が、日本である」
北海道と沖縄を除く、古代からの日本列島は、このシンボルが、陸の形になって、刻み込まれているということです。
ここで、過去の記事の復習です。
「馬」=「キリスト」
「龍」=「エンキ」
これのシンボルでしたね。
さらに、
「キリスト」=「大黒天」
「エンキ」=「恵比須」
だったのも、思い出しましたか?
そうです。
本州からは九州にかけての日本列島は、西側は、
「馬」=「キリスト」=「大黒天」
東側は、
「龍」=「エンキ=「恵比須」
というシンボルマークになっているのです。
青森県の「岩木神社」の境内に、「奥富士出雲神社」という小さい神社が、建っています。
数年前に、そこに参拝に行ったときに驚いたのですが、鳥居の両脇には、人の形をした石像が、狛犬の位置に建っていました。
一人は、大黒様でした。
もう一人は、恵比寿様でした。
この時は、意味がわからなかったのですが、今、考えると、これは、昔の日本列島の真実を、表現していたシンボルだったみたいです。
つまり、
「西日本」のシンボルが、「大黒様」で、「東日本」のシンボルが、「恵比須様」ということを、表現していたのです。
いろいろな神社にも、この二人の神様が、よく並んで祀られていますが、こういう意味だったのですね。
これは余談です。
幕末の大ヒーローであり、日本を救った人物は、誰でも知っている、「坂本龍馬」ですね。
この英雄は、氏名が使命だったのかもしれません。
つまり、
「当時、真っ二つに分かれて戦をしようとした、東日本と西日本、つまり、龍と馬を融合させるために、生まれてきた神人だったのでは?」
という大胆な仮説も展開できます。
6年前に京都に行って、寺田屋の中の龍馬の部屋だった所で、撮った写真です。
これも、九州旅行の時に、福岡県の「大宰府天満宮」の境内で、撮影した写真です。
「麒麟」という幻獣ですね。
そういえば、この幻獣も、「龍」と「馬」のハイブリッドです。
この姿も、日本列島の真実を象徴していたのですね。
ここでも、繰り返します。
日本列島の正体です。
「北海道」=「クロマンタ(ラピュタ)」
「本州」+「九州」=「龍神(エンキ)&馬(キリスト)」
「四国」=「狛犬(エンキ)」
「沖縄」=「タツノオトシゴ(ドラゴンボール)」
これが、日本の真実の姿だったのです。
イメージしてください。
これらの神獣たちが、陸地を形作っていたのです。
その陸地から収穫される、米や野菜を食べ、その近辺にある、魚や海藻を食べているのです。
そして、さらに、その神獣たちの体液である温泉に浸かって、私たちは、日々の活力をいただいているのです。
素晴らしいですね~!!
そして、今回、私がまわった、南九州は、「邪馬台国」の馬の頭部、しかも、鼻から口元にあたる重要な部分だったということです。
さて、そこには、どんな秘密が、隠されていたのでしょうか?
次回に続きます。
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