九州の旅では、ほとんどの旅で、地元の方が、車を出してくれて、いろいろと連れて行ってくれたので、とても助かりました。
ただし、一日だけ、一人旅のようになったので、しかたなく、レンタカーを借りて運転したのですが、運転してみると、とても気持ちよく、楽しい時間を過ごすことができました。
この日は、鹿児島市から、薩摩半島の最南端まで行きました。
薩摩半島の先には、「開聞岳」という山があります。
ここにも、行きました。
この山も、明らかに、人工的に造られたピラミッドですね。
または、「切り株」でもあったかもしれません。
近くまで行きましたが、凄まじいエネルギーでした。
ピラミッドですね~!
ここの近くには、「長崎鼻」という岬もあります。
そして、ここにも、「龍宮城」の伝説があるとのことでした。
「龍宮神社」という所にも、立ち寄りました。
ここからも、「開聞岳」が、よく見えました。
「開聞岳」を御神体にしている神社が、この近くにあるというので、そこにも行きました。
「枚聞神社(ひらききじんじゃ)」という神社です。
場所は、鹿児島県指宿市開聞十町にあります。
とても艶やかな朱色の鳥居と拝殿です。
「台にのった馬」がいました。
やはり、ここも、「邪馬台国」の拠点だった所みたいです。
拝殿の模様は、私には、「世界樹」に見えました。
そして、この神社の近くに、さらに、この神社の摂社がありました。
元々は、ここにあったそうですね。
そうめん流しのお店の庭にありました。
「う~ん、ここが、噂のフリーソーメンの本部か…?」
なんて、冗談を思い浮かべながら、奥に進みました。
流しそうめんを食べる席が、たくさん並んでいました。
庭の奥に、小さい神社がありました。
「川上神社」という名前だそうです。
参拝しました。
九州という土地は、不思議な島です。
そして、凄い秘密がたくさんあります。
「どうして、今までに、誰も気づかなかったんだろう?」
今年になって、3回も九州を旅していますが、そう思ったことが、山ほどありました。
人間というのは、「視点」の違いで、全く別の世界が見えてきます。
たとえば、それまで、まったく目に入らなかったのに、自分が引っ越しを決めて、不動産屋さんを、まわるようになったら、街中に、たくさんの不動産屋さんがあったことに、初めて気が付くようなものです。
他にも、自分が車を運転するようになったてから、街中の道路標識に、目が留ったり、他の車が気になったりしたことは、たくさんの人が、経験しているでしょう。
この旅行記で、いかに九州という土地が、凄すぎる聖地だったのかということに、たくさんの人が、気が付くと思います。
特に、九州に住んでいる方に、この旅行記を読んでもらいたいです。
家族や友人に、九州に住んでいる方がいたら、ぜひ、このブログ記事を、勧めてくださいね。
いつもは、こういうことは、言わないのですが、それくらい、読んでいただきたいのです。
九州は、ご存知のように、神話もたくさんありますが、まず、この土地そのものが、人工的に意図的に造られていることが、わかります。
まあ、それを言うのならば、日本列島の全てが、そうなのですが、特に、九州は、それが顕著にわかります。
以前にも書いたのですが、再掲載しますね。
数字の「9」と「6」は、「勾玉」の形だとも言われています。
この形は、「生命力」を表現しているそうです。
自然界では、渦の形などが、「黄金比」になることも、多いそうです。
黄金比とは、縦と横の長さが、「1:1.618」となっている長方形で、人は、この比率を見ると、
「美しい」
と感じるそうです。
身近な例では、「名刺」が、この「黄金比」の大きさになっているそうです。
さらに、「黄金比」で構成された長方形の中に、小さい「黄金比」で、構成された長方形を、縦に入れ込みます。
すると、「1:1」の正方形と、「1:1.618」の小さな「黄金比」が、現れます。
これを、「黄金分割」というそうです。
この分割を繰り返していくと、無限小まで、同じパターンが、フラクタル図形のように繰り返され、角を結ぶように、曲線で繋げると、「アンモナイト」のような対数螺旋が、出来上がります。
渦を巻く羊の角が、「黄金比」を表して、「大きい羊」と書いて、「美」という漢字になるのも、何か意味があるのかもしれません。
「勾玉」の形は、縄文時代の遺跡からも、装飾品としても、たくさん出土されています。
これは、古代人たちが、この形が、「胎児の形」に似ていることに気がつき、これに、「神」を感じたのではないかとも言われています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」も、そうですね。
これに関連している話で、とても面白い話を知りました。
なんと、「九州」が、この形だったのです!!
ジャーン!!
凄いんじゃないですか~!!!
どうして、今まで、誰も気がつかなかったんでしょうね?
たしかに、いつも、九州を見ていると、なんとなく、
「美しいな…」
とは感じていましたが、「神の創った島」だったんですね。
しかも、「九州」には、「9」が、入っています。
だから、「九州」というんじゃないですか?
いや~、不思議ですね~!
どう考えても、「設計者」がいるとしか思えません。
そして、その「設計者」は、「九州」という土地を、特別の思いを込めて、造ったのです。
「九州」において、「アンモナイト」のような対数螺旋の「中心地」が、前述した、「有明海」になるのです。
そして、さらに、有明海の中の「沖ノ島」が、この「中心地」なのです。
「有明海」に浮かぶ無人島、「沖ノ島」から、「九州」のエネルギーは、始まっているのです。
陸地から、神の島である、「沖ノ島」が見える所があります。
「大魚神社」の「海中鳥居」です。
写真では、わからないと思いますが、かすかに、海の彼方に、「沖ノ島」が、小さく見えました。
記念撮影しました。
どうですか?
「九州」を造った、「設計者」の姿が、ボンヤリと浮かんできたのではないですか?
「神が設計した聖地」
それが、「九州」なのです。
前回書いた、「世界樹」の話の続きです。
今年の夏ですが、大分県の「伐株山」にも行きました。
「クスノキから、鳥の巣が落ちたところが鳥栖、ここまでは、くるめえ(久留米)、クスの葉が、最も遠くに届いたところが、博多(葉形)」
この島の正体は、「クロマンタ」でしたね。
北と南を、わざと反対にした地図を見てください。
特に、「屈斜路湖」が、「左目」。
「厚岸湾」が、「右目」。
こうなっていることに、注目してください。
「知床半島」と「根岸半島」が、「二つの角のような部分」。
あと、「北方領土」は、「口から吐き出した泡」。
こういうふうに、見えると思います。
さらに、北海道のもう一つの正体でが、これでしたね。
わかりましたか?
わかりにくいかもしれないので、赤ペンを入れました。
もう一度、よく見てください。
ハイ!
「首長竜」ですね。
つまり、
「クッシー」
だったのです。
「クッシー」=「北海道」
なのです。
「道東」を頭にすると、「クロマンタ」になり、「道南」の函館のあたりを頭にすると、「クッシー(ドラゴン)」になるのです。
日本には、北海道の屈斜路湖の他にも、「首長竜」の伝説があるところが、いくつかあります。
その中の一つが、「九州」にもあります。
そうです。
鹿児島県の池田湖に生息していると言われている、「イッシー」です。
さて、旅行記の続きです。
今回の九州旅行では、そこにも行ってきました。
冒頭の「開聞岳」の近くに、「池田湖」はあります。
前回、「九州」は、日本列島が、「台にのった馬」だとしたら、その頭部にあたるという話をしましたが、薩摩半島は、その頭部の上顎にあたります。
そして、「開聞岳」と「池田湖」のあるあたりは、「上唇」にあたるのです。
食べ物を味わう時に、温度などを感じるセンサーのついた、大事な部分ですね。
あとは、「キス」をして、「愛」を感じる部分でもあります。
「愛」のエリアなのです。
池田湖に着きました。
記念撮影しました。
たしかに、何か怪物が、生息していそうですね~!
水深も、かなり深いそうです。
「イッシー」の像がありました。
その前で、記念撮影しました。
私は、「イッシー」は、本当にいただろうと思っています。
一般的には、この湖に生息する、2メートル以上の大ウナギの見間違いだという説が、有力らしいです。
大ウナギです。
しかし、人間って、そんな見間違いをするでしょうか?
しないと思います。
ここで、「UMA(未確認動物)」について、もう一度考えてみましょう。
これも何度か書いているのですが、面白いので、この機会に再掲載しますね。
2003年の春、UFOの研究で有名な矢追純一さんと、二人で、都内の銀座で、ジョイントのトークショーを、開催したことがありました。
私は、もともと、矢追さんのファンで、矢追さんの著書、「カラスの死骸は、なぜ見つからないのか?」というタイトルの本を、読んでいたので、トークショーの時に、その話題でも盛り上がりました。
矢追さん曰く、
「東京都には、無数のカラスがいて、彼らの身体も大きいにも関わらず、都内で、自然死をした死骸を見かけることは、まずありません。東京都の清掃局に問い合わせても、誰も自然死を見ていないそうです。ほとんどの死骸が、車に轢かれたり、罠にかかたりといった、人間が関与している死骸ばかりです」
ということでした。
確かに、これは不思議です。
動物の自然死は、ほとんどの人が、見ていないのです。
事故で死んだり、人間が殺したりという人間が関与した死は、たまに見ますが、
「老衰などで、死んだ動物は、どこにいくのだろうか? 消えてなくなっているのだろうか?」
このような疑問がわいて、不思議な気分になりました。
科学者は、動物の生態、つまり、「生」については、皆、研究しているのですが、「死」については、なかなか研究する人が、いないようです。
カラスだけでなく、ゴキブリ、ネズミや猫、犬なども、考えてみれば、もっと自然死の死骸があってもいいようなものです。
ある動物学者によると、ネズミやゴキブリなどは、計算上は、東京都に、人間が想像している以上にいることになり、本当は、このネズミやゴキブリだけで、川や下水道が一杯になり、水など流れなくなるはずだということです。
しかし、実際には、都内の川や下水道などでは、毎日正常に水が流れています。
これは、人間が考えている動物界とは、全く違う動きがあるからだとしか、考えられないそうです。
私たちは、学校教育などで、「生態系のバランス」や「食物連鎖」など、よく、ピラミッドの例えを用いて、教えられてきていますが、実は、これなども、真理ではなく、仮説にすぎないのです。
なぜならば、本当に、自然界の全ての動植物が、生まれてから死ぬまでの過程全部を、一度に観察した学者など、歴史上、一人もいないのです。
最近では、GPS機能の付いた追跡装置などを、野生動物に、付けたりする研究もありますが、それが付いた時点で、本当の意味での野生動物ではないのです。
人間の意識が入るからです。
同様に、ドローンや望遠カメラで、遠くから撮影したりするやり方でも、やはり、人間の意識が入っています。
超能力による透視なのでも、そうだと思います。
本当に、まったく人間の目や意識が届かない時間や場所で、野生動物が、何をしているのかは、全くの謎なのです。
断片的な動植物の生態を繋ぎ合わせて、たぶんそうではないかと推測したのが、上記の、「生態系」や「ピラミッド型の食物連鎖」なのだと思います。
もっと、正確に言えば、これは、「3次元の中だけの真理」だということです。
矢追さんは、トークショーの時に、
「素粒子というものは、点滅をしています。その点滅は、生物によって、人間個人によって、全部、点滅の速度は違います。この点滅の速度が同じ者同士しか、出会ったり会話したりすることはできないようです。点滅の速度が違うと、お互いの姿も見えないし、出会うこともありません」
と述べていました。
これは、生命体が個別に持っている、「固有振動数」のことを言っているのだろうと思います。
さらに、矢追さんは、
「動物たちは、もしかしたら、人間が意識した時だけ、地球上に出現し、人間が眠っている時や、意識していない時は、地球上に存在しなく、どこか、別次元に行っているのではないでしょうか? だとしたら、人間は、この地球上で、極めて特別な存在で、実は、孤独な存在なのではないでしょうか?」
という疑問も、投げかけていました。
面白い発想だと思いました。
1994年ぐらいだったと思うのですが、新聞の一面に、
「ネッシーの写真は嘘だった。世紀のインチキ写真!」
という見出しで、「ネッシー」の話題が掲載されました。
その当時、会社勤めをしていたのですが、職場で、上司が、
「トーマ君、残念だったねー。君は、こういうのを信じているようだが、やっぱり、全部嘘だったんだねー。これからは、あんまり夢みたいなことばかり、追いかけていなくて、もっと現実をみるようにしなさい。さあ、仕事だ、仕事だー!」
と話しかけてきました。
私は、この発言に、ビックリしてしまいました。
理由は、いくつかありますが、箇条書きすると、
一つは、その「ネッシーの写真」は、30年以上前から、UMAの研究者たちから、
「インチキだ!」
と主張されていた写真だったこと。
その時期に、また騒ぐということは、必ず何か裏があるということ。
二つ目は、「ネッシーの写真」は、数千枚あり、そのうちの一枚がインチキだったからといって、ネッシー自体の否定にはならないということ。
三つ目は、ネッシーのような恐竜の生き残りの生物を完全否定しようと思ったら、地球上の全ての地点を、同時に調査するぐらいのことをしないと、完全否定はできないので、まず完全否定は、人間には難しいということ。
四つ目は、有名な新聞が否定したからといって、すぐにその記事を信じ込むという思考パターンが、あまりにも単純すぎるのではないかということ。
だいたい、上記の四つの理由で、呆れてしまいました。
「UMA(未確認生物)」に限らず、超常現象全般には、「専門家」という人たちが世界中にたくさんいます。
とても賢い人物が多いです。
そして、大切なことは、「素人が考えるようなこと」というのは、これらの専門家達は、とっくの昔に考えているということです。
あらゆる可能性を考えて、それでも、疑問が残っているので、研究を続けているのです。
「超常現象」のテレビなどを観ていると、ほとんどの否定派の学者は、「常識」で考えようとします。
しかし、この発想は、根本的に間違っています。
もちろん、常識は大切なのですが、超常現象というのは、たくさんの専門家が、現在の科学で考えられる限りの常識で、考えつくした結果、どうしても常識では、説明できない現象を、「超常現象」と判断しているのです。
「UMA」の専門家以外の人たちは、この現象を、また、常識で考えるということをやってしまうのです。
堂々巡りです。
「ネッシー」なども、よく、「生態系」や「食物連鎖」などの問題から、疑問視されるのですが、それも、上記のように、「3次元の中」だけでの発想です。
たしかに、「ネッシー」という存在は、動物学的には、ありえないのです。
まず、縄張りの湖の中でしか、行動できないと仮定すると、エサの量が、絶対的に少ないのです。
そして、何よりも、雄と雌が交尾して、子孫を存続させようと思ったら、ある程度の群れで生活しないと、子孫を残すことは、不可能なのです。
地球上においては、500頭を下回ると、「絶滅危惧動物」に指定されます。
500頭以下になると、あっという間に、時間の問題で、地球上から存在が消え去るのです。
だから、「ネッシー」が、もしもいたならば、地球上には、最低でも、500頭以上は、存在しなければいけないという理屈です。
しかし、これらの疑問は、矢追さんのように、
「全ての動物は、人間の意識が、瞬間、瞬間に、この世界で創り出している存在だ」
という、別次元の観点から考えた場合、簡単に説明ができます。
つまり、私たちの意識が、
「ネッシーはいない!」
と思えば消えて、
「ネッシーはいる!」
と思えばこの地球上に、出現するということです。
同時に、他の、「雪男」、「サスカッチ」、「ビッグフット」なども、私たちが、
「いる!」
と思えば、いるのだと思います。
鹿児島県の「イッシー」も、北海道の「クッシー」も、そうだと思います。
数百年前までは、ヨーロッパでは、「マウンテン・ゴリラ」なども、「UMA(未確認生物)」として、扱われていました。
だから、そのうち、このような生物も、確認されると思います。
大切な事は、素粒子の性質が、最近の物理学でどんどん明らかになっているのですが、私たちの生きているこの世界は、従来のニュートン物理学に代表されるような、カチッと固定されているような世界ではなく、もっと、柔軟性に富んだ、もっと不思議な世界らしいということが、だんだんわかってきているということです。
簡単に言えば、「何でもありの世界」だということです。
その人間が考えている世界観が、そっくりそのまま、その人間の世界になるということです。
超常現象を信じない人間には、いつまでたっても、なにも起きないし、信じる人間には、次から次へと、奇跡のような現象が起きるということです。
もっと、わかりやすく説明すると、
「私たちは、死んで霊になるのではなく、生きている今の瞬間が、すでに霊なのだ。死んで霊界にいくのではなく、この世界が、すでに霊界なのだ」
ということなのです。
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