私たちは、「四天王寺」を一周したのですが、南側にある、「南鐘堂」にも立ち寄りました。
二重塔で屋根が、八角形になっています。
後ろの方から、日光が差し込んで綺麗ですね。
以前にも書きましたが、この「八角形」という形は、地球文明において、特別な形です。
この旅行記の最初の頃に、「アヌ王」と「エンリル」と「エンキ」、それから、「イナンナ」という存在について書きましたが、もう一度、「イナンナ」について、書いてみます。
「イナンナ」は、いろいろな時代に、タイムトラベルして、世界中のいろいろな「女神伝説」を、つくってきた痕跡が、あちらこちらに残っています。
たとえば、「卑弥呼」も、その「女神伝説」の一つである可能性があります。
たくさんの状況証拠があるのですが、一つだけ紹介しておきます。
「イナンナ」の石像や壁画などを見ると、いくつかのシンボルマークが、確認されるのですが、
これは、
「このシンボルマークがあったら、それは、私だと思ってください!」
と言いたげに、わかる人たちだけに、そっと自分の痕跡を、残しているようなのです。
「イナンナ」のシンボルマークです。
「八角形の星」です。
「八つの頂点を持つ星の形は、私ですよ!」
と言っているのです。
「卑弥呼」の痕跡だと言われている、「纒向遺跡」や「箸墓古墳」のあたりからは、「銅鏡」が、たくさん出土していますが、その中には、この「八つの頂点を持つ星の形」が、ハッキリと刻まれている者が、たくさんあるのです。
これらの銅鏡たちは、「イナンナ」が、
「私が卑弥呼ですよ。邪馬台国は、私が建国した国ですよ」
と言っているのかもしれません。
これは、「卑弥呼」の蝋人形です。
青っぽい色の袖のあたりに、さりげなく、四つの白、それから、四つの赤の色の組み合わせで、「八方向の光」のデザインがありますね。
これは、中国の「楊貴妃の像」の写真です。
頭の飾りつけのシンボルマークに注目してください。
「八芒星」ですね。
この女性も、「イナンナ」です。
「楊貴妃」は、日本に、「うつろ舟」に乗って漂着したという記録があるそうです。
茨城県沖に漂着した、「うつろ舟」と同じ単語ですね。
これも、UFOです。
「八芒星」のシンボルがありますね。
頭から布を被った、「イナンナ」です。
地球の表の王様だった、「エンリル」、それから、裏の王様だった「エンキ」、この二人の双方の孫娘として誕生した女性、それが、「イナンナ」です。。
この女性が、いろいろな時代や土地に、タイムトラベルやシェイプシフトを繰り返して、世界中に、「女神伝説」をつくったようです。
旅行記の最初のほうで、「イナンナ」=「聖母マリア」の話をしたのを、覚えていますね。
それから、「キリスト」=「聖徳太子」の話もしましたね。
だとしたら、太子の母親である、「間人皇后」も、「聖母マリア」であり、「イナンナ」だったということです。
これは、今年の夏に、京都府の丹後半島に行った時の写真です。
「聖徳太子」、それから、母親の「間人皇后」の石像がありました。
「聖徳太子」の母親のことなど、ほとんど気にしたことがなかったのですが、この土地には、「間人皇后」の住んでいた痕跡が、残っているようです。
「間人」は、「人間」という単語を逆さまにしたものなので、その意味は、
「人間ではなく、神様である」
という意味になると思います。
石碑の上に、なぜか、カマキリがいました。(笑)
もう一度、まとめますね。
「イナンナ」=「縄文のビーナス&仮面の女神」=「聖母マリア」=「卑弥呼」=「楊貴妃」=「間人皇后」
こういう方程式ができあがりました。
地球の歴史に現れた、たくさんの「女神伝説」に登場する女性たちは、もしかしたら、全員、「イナンナ」の魂をもった人物だったのかもしれません。
さて、「四天王寺」の話に戻ります。
「中門(仁王門)」にも立ち寄りました。
門の前の地面には、「八角形」のシンボルが、しっかりと刻まれています。
このことから、「四天王寺」は、「アヌンナキ」の一族の「イナンナ」の勢力範囲だったことが、わかります。
皆で、この石の上に立ち、「八角形」のエネルギーを感じている場面です。
「イナンナ」が所属している宇宙人グループ、「アヌンナキ」の一族の彫刻画です。
シュメール文明に、たくさんの痕跡が残っています。
腕に巻いているのは、ただのアクセサリーではなく、現代の腕時計型のスマホを、さらに進化させたような超小型の電子機器だと思います。
「中門」の「金剛力士」です。
口が開いていますね。
肌が赤いことから、「赤鬼」でもあることがわかります。
「アヌンナキ」のファミリーの兄弟の一人、「エンリル」ですね。
腕の部分です。
ハイ!
シュメール文明の「アヌンナキ」と同じグループですね。
しかも、「八芒星」なので、「イナンナ」の魂グループでもあると思います。
口が閉じていますね。
肌が青いことから、「青鬼」でもあることがわかります。
「エンキ」ですね。
腕の部分です。
聖徳太子は、世界中の様々な宗教や思想を、融合させようとしていたみたいです。
その中でも、「キリスト教」の精神、特に、「弱者救済」という価値観を、日本で最初に始めたとも、言われています。
現代的な表現だと、「社会福祉」ですね。
ある伝承によれば、聖徳太子は、現在の四天王寺の土地に、「四箇院」(しかいん)」という施設を設置したと言われています。
「四箇院」とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の四つだったそうです。
この四つが、「四天王寺」という名前の元になったという説もあるようです。
まず、敬田院は、寺院そのものであり、施薬院と療病院は、現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は、病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設だったようです。
施薬院、療病院、悲田院は、鎌倉時代には、寺内に存在していた記録が残っているそうです。
施薬院は、後に、聖徳太子が、「勝鬘経」を講じた地だとする伝承もあるそうです。
つまり、「勝鬘院(愛染堂)」が、その故地とも伝えられているそうです。
そういえば、「四天王寺」の近くには、「あいりん地区」というエリアがありますね。
ご存知のように、ここは、大阪市西成区にあり、「ドヤ街」とも呼ばれています。
以前に、ここも見て回ったことがありますが、路上生活者が数多く居住していました。
そのため、治安が悪いそうです。
道を歩いている多くのホームレスの人たちを見て、
「どうして、ここは、こういう土地になったのかな?」
と考えていたのですが、今回の旅で、わかりました。
昔、ここに、「弱者救済」の施設だった、「四天王寺」があったからです。
おそらく、「聖徳太子(イエス・キリスト)」の母親であった、「間人皇后(聖母マリア&イナンナ)」が、ここに、愛の施設であり、日本最初の「社会福祉」の施設を設置したのが、始まりだったのです。
元々は、「愛憐地区」とも呼ばれていたそうですね。
女神である、「間人皇后」が、ここに、「愛の土地」をつくり、人々に、「神の愛」を教えたのかもしれません。
「弱者救済」については、いろいろな考え方や意見があります。
「仏教」や「神道」、それから、「ユダヤ教」や「イスラム教」などにも、もちろん、こういう考え方はありますが、やはり、「キリスト教」に、この教えが強く表れているような気がします。
2年くらい前に、素敵な番組をみました。
「こころの時代 ~宗教・人生」という番組でした。
素晴らしい内容で、引き込まれ、最後までみました。
その時のテーマが、「神は弱さの中にあり」でした。
同志社大学教授の木原活信先生という方のお話しでした。
木原先生の話を、簡単にまとめると、
「世の中は、通常、強いこと、物事を行う能力の高いことが、評価される。しかし、人間は、もともと弱い存在であり、その弱さを認め合うことで、生きやすい世の中に、多少なりともできるのではないか」
という内容でした。
木原先生は、長年、社会福祉に携わってきたそうで、その根底にあるのは、「キリスト教」の信仰だったそうです。
番組の中では、終始、
「自らの弱さを認める」
ということの重要さを、説かれていました。
私は、10代~20代にかけて、ずーっと、「強さ」を追求してきました。
それで、いきついたのが、究極の強さ比べである、「パワーリフティング」という競技でした。
その競技の選手として活躍し、いろいろな大会でも、勝ちまくっていました。
肉体もそうでしたが、精神的にも、とても強くなりました。
その時の信条は、
「人間は、強くなれば、強くなるほど、幸せになれる!」
でした。
だから、その対極にある考え方、
「人間は、弱くてもいい…」
というような人生哲学は、受け入れられませんでした。
しかし、それからあと、30代~40代で、さらに、いろいろな経験を積んでからは、
「人間って、あまり強くなりすぎても、ダメなんだな… 強すぎると、人の痛みや苦しみに、鈍感になるんだな…」
と、少し反省しました。
一時期、付き合っていた彼女から、それを、何度も指摘されました。
「トーマさんは、人の痛みに鈍感ですね。私が気が付いたのは、その鈍感さは、強さからきているということです。皆、あなたほど、強くはないんですよ。誰もが、そんなに簡単に、逆境を乗り越えられたり、すぐに立ち上がることなんて、できないんですよ」
何回も言われたので、さすがに、
「そうかな…?」
と思い、自分の行いを振り返ってみると、たしかに、思い当たることが、たくさんあり、それからは、なるべく、弱い立場に立たされている人の気持ちにも、配慮するようにしました。
正確には、その後、自分も、そういう弱い立場に立たせるという体験をして、初めて、そういう人たちの気持ちが、わかったということです。
さらに、自分が、「強さ」に、とても憧れて、追い求めていたのは、心の奥底に、「弱さ」があったからだとうことにも、気が付きました。
あるチャネラーさんからは、
「トーマさんは、誰よりも弱いんですよ。魂の奥底に、一番弱い部分があるから、誰よりも強くなれたんですよ。一番弱いから、一番強くなれたのです」
と、言われて、
「なるほど…」
と、思いました。
番組の中でも、木原先生が話していましたが、たしかに、人間というのは、調子のいい時や勢いのある時、なにもかもが、うまくいっているときには、
「自分は万能だ! 天才だ! 無敵だ!」
と、自信に満ち溢れているものです。
でも、人生において、こういう状況が、ずーっと続くことは、あまりないと思います。
どこかで、思ってもみなかった事態に遭遇したります、
それが、病気だったり、事故だったり、事件だったりします。
その時に、絶対絶命のピンチに追い込まれ、自分の力だけでは、どうしようもないと思ったとき、初めて、
「神様、仏様、助けてください…」
という気持ちが、湧き上がってくるのです。
その時は、自然に両手を合わせて、拝むような姿になることが多いです。
場合によっては、勝手に、ひざまずき、首を垂れる姿勢になることもあります。
この無力感を、感じた瞬間に、謙虚になり、自然に手を合わせる行為が、本来の「信仰」なのかもしれません。
人間という存在は、全てがうまくいっていて、何の問題もない時には、「神」を、必要としないのです。
結果として、信仰心は、生まれないのです。
何もかも、やりつくしして、
「もうダメだ…」
と思った時に、祈りたくなるのです。
そして、そういう時こそ、本当に奇跡が起こったりするものなのです。
アメリカに住んでいた時に、特に、それを感じました。
ご存知のように、アメリカは、日本と違って、犯罪も多いです。
ある時に、真夜中に、ロサンゼルスの一番ヤバイ場所で、車が故障した時がありました。
周囲に、黒人などのギャングのような連中が、たくさんいて、こちらに、近づいてくるのがわかりました。
どんなに、私が、腕力が強くても、拳銃には、勝てません。
「今夜、ここで、死ぬかもしれないな…」
と、覚悟した時に、目の前に車が停まりました。
やさしそうな白人のカップルでした。
「こんな時間に、そこで、何をやってるんですか? 車が停まった? 危ないから、はやく、この車に乗りなさい! 家まで、送っていってあげますよ」
こう言ってくれたのです。
そのカップルは、ちょうど、親戚の家に、向かうところだったようですが、住所を聞いてビックリしました。
なんと、私の家の隣の隣くらいの住所だったのです。
それで、無事に、家まで送ってもらいました。
あの時に、そのカップルの車が助けてくれなかったら、ギャングたちに撃ち殺されていたかもしれません。
その車の目的地が、私の家の近くだったなんて、
「神様が助けてくれた」
これしか考えられません。
その時は、家に着いたとたん、自然に手を合わせて、神に感謝していました。
こういう経験は、長く生きていると、誰でも、一度や二度は経験すると思います。
そして、その時だけでは、「神」に、感謝するのです。
その後は、しばらくすると、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
という格言通り、その出来事を忘れてしまいます。
まあ、それでも、いいのかもしれませんが、たまには、そういうことを思い出し、神様への感謝の気持ちを、忘れないようにすることも、大切だと思います。
番組の中では、他にも、心に残る話がありました。
木原先生は、ある時期に、
「どうしても、人を愛せない…」
と思って、苦しんだ時期があったそうです。
おそらく、キリスト教の「隣人愛」の教えを、実践しようとしたのだと思います。
キリストの教えでは、全ての人を愛することが、良いことだという意味の教えが、たくさんあります。
しかし、これは、本来、「理想」なのだと思います。
現実社会では、全ての人を、好きになれたり、仲良くできたり、愛することは、人間には、難しいのです。
その時に、木原先生が、気づいたのは、
「愛することができない」
という自分の本質の部分だったそうです。
それから、まず、そういう自分を、愛そうと思ったのだそうです。
つまり、
「愛せないというダメな自分を、なによりも先に愛そう」
こう思ったそうです。
これは、私も、悩んだことがあったので、とても共感しました。
スピリチュアルなことを、たくさん学んでいると、誰でも、大きな愛をもった人間に、なりたいと思うと思います。
しかし、世の中には、それに反して、どうしても、愛せないような酷い人間が山ほどいます。
その時に、
「自分には、こういう人たちを愛することができない。自分は、なんて、ちっぽけな人間だったんだろう…」
こう思って、ショックを受けたことも、何度もあります。
その時に、まずやることは、
「なによりも先に、そういうちっぽっけな自分を、愛してあげる」
ということです。
これで、だいぶ気持ちが、楽になります。
必要以上の罪悪感に、縛られなくなるのです。
「愛する」を、「許す」に、言い換えてもいいと思います。
今でも、たまに、学生時代やサラリーマン時代の嫌な思い出が、蘇ってくることがあります。
魂の奥底では、全部は、まだ清算できていないのかもしれません。
未だに、
「あれは、まだ、ゆるせないな…」
と思うことも、あります。
そういう時は、無理やり、
「いや、もう、あれは終わったんだ。ゆるしてやろう…」
と思っても、ますます、ゆるせなくなったりします。
そういう時は、まずは、自分から、ゆするということです。
特に、
「ゆるせないという気持ちを、自分がもってるという事実。そして、人をゆるせなくてもいいんだという気持ちを、まずは、ゆるそう」
と思うことです。
「ゆるせない」という自分の意識を、まずは、ゆるすということですね。
「ゆるし」は、ここから、スタートすると、いいみたいです。
「ゆるせない」という醜くて、ちっぽけな自分を、まずは、ありのままに受け止め、認めてあげる。
そして、
「でも、そのままでいいんだ」
と、ゆるしてあげる。
そうすると、だいぶ気持ちが、楽になるのです。
「ゆるす」の語源は、「ゆるます(緩ます)」なのだそうです。
人を、ゆるせると、人生そのものが、ゆるくなり、呼吸も楽になり、生きやすくなります。
そして、それには、まず、ありのままの自分を、ゆるすのが、コツだということです。
「ゆるすと、自分の人生がゆるみ、楽になる」
ということです。
これは、逆もできると思います。
つまり、
「心がゆるむと、身体もゆるむ」
のであれば、
「身体をゆるませれば、心もゆるむ」
ということです。
身体を、温泉、マッサージ、ストレッチ、ヨガなどで、ゆるませると、心も、リラックスできて、相手や自分など、いろいろなことを、ゆるせるように、なってきます。
ぜひ、日常の中に、身体や心を、「ゆるませる」という機会を、たくさん、つくってみてくださいね。
ほとんどの大企業や大きな組織では、人間の仕事の能力だけを重視し、
「あいつは、仕事ができねえ! あいつは、使えない!」
などと、酷い言葉で、一人の人間の存在を、全否定したりします。
これは、「地獄の世界」、もしくは、「修羅の世界」です。
こういう弱肉強食の世界では、強くないと生きていけません。
これも、この世界の一面の真実だと思います。
しかし、人間は、こういう世界を、変革するために、この時期に、地球に生まれてきたのでは、ないでしょうか?
人間は、この地上で、様々な経験を通して、
「自分は、弱い存在だったんだ」
と、気づいた時に、初めて、神様を感じることができるようです。
ある意味、この意識が、成熟した大人の魂と、呼べるのかもしれません。
自分の中の弱さに気がつくことで、他者の弱さにも、気がつくことができます。
皆が、お互いの弱さに気がつき、全員が、それぞれの苦しみを、共感しあい、助け合い、励ましあう世界が、「神の国」と表現される社会なのだと思います。
私は、いつかは、この地上も、そういう「神の愛」に溢れた、「愛の世界」になるだろうと信じています。
キリスト教の「神の愛」というのは、
「一番強い者の気持ちに、目を向けるのではなく、一番弱い者の気持ちに寄り添う」
そういう愛のことみたいです。
神は、一番弱い存在を、一番かわいがってくれるのです。
人間には、そういうことは、できません。
もしかしたら、今の段階では、人間は、そこまで、やらなくてもいいのかもしれません。
だからこそ、その愛は、「神の愛」と、呼ばれるのです。
オマケの話です。
何回か紹介したことがありますが、大学4先生の頃、生涯の師匠だと思える、素晴らしい先生との出会いがありました。
宮城先生という方だったのですが、木原先生の話を聞いていたら、久しぶりに、宮城先生のことを、思い出しました。
新学期が始まって、しばらくした頃、宮城先生が講義の時間に、こう言いました。
「私の講義では、必ずコンパをすることにしています。全員出席を強制します。これは義務です。来なかった生徒には、単位はあげません。」
初めて聞く、教師による強制コンパでした。
疑問に思いながらも、当日の夜、大学の近くの居酒屋に行きました。
先生をはじめ、全員集まっていました。
私は、どうしてもこの「強制」という言葉が気になったので、先生に質問しました。
「先生、このコンパの本当の目的は何ですか? どうして強制してまで、コンパなんかやる必要があるのですか? どういうことですか、これは?」
すると、先生は、やさしく微笑みながら、こう答えました。
「トーマ君、いい質問だ。君は、学生が講義に来なくなる本当の理由が何か、わかりますか?」
こう聞くので、
「わかりません。授業が面白くない。もしくは、授業についていけないからではないでしょうか?」
こう答えると、先生は、首を横に振って、
「違います。それもあるのですが、講義に来なくなる生徒は、その講義のクラスに、友達がいないというのが、一番の理由なのです」
続けて、
「そういう生徒は、最初は、後ろの席に座るようになります。そして、遅刻をしはじめます。それから欠席しがちになり、そのうち講義に来なくなります。私は、そういう生徒のために、このコンパをつうじて、なんとか友達をつくってもらいたくて、それで、全員出席にしたのです。私は、こういうことが、実は、一番大切なことだと思っています」
こう言ったのです。
その時の感動は、今でも覚えています。
「なんて、高いところから、教育問題を考えている先生だろう!」
こう思って、感動しました。
本当の「やさしさ」をもった人物でした。
今、考えると、これこそが、「キリストの愛」であり、「神の愛」だったのですね。
宮城先生は、いろいろな人生経験を経て、キリストの意識に、到達していたのだと思います。
次回、「聖徳太子ツアー」、フィナーレです。
☆宮城先生との思い出をまとめたシリーズです。
まだ読んでいない方、ぜひ、読んでくださいね。
「マスター編」
http://www.tomaatlas.com/master.htm
☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。
http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas
☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。
http://www.tomaatlas.com/soul.htm
☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。
http://www.tomaatlas.com/library00.htm
☆「精神世界の鉄人」のメルマガも、発行しています。
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