私たちの一行は、聖徳太子のお墓にも、行きました。
「叡福寺(えいふくじ)」というお寺です。
場所は、大阪府南河内郡太子町です。
大阪府と奈良県の県境のあたりです。
聖徳太子の墓所とされる、「叡福寺北古墳(磯長墓)」があることで知られています。
山号は、「磯長山(しながさん)」で創立者は、聖徳太子または推古天皇とも、聖武天皇ともいわれているそうです。
最寄りの駅の辺りには、それらしい石碑が、一つだけ、ポツンと建っているだけで、特に観光スポットというわけでもなく、地味にひっそりとしていました。
それが、逆に、私のような古代史マニアには、本物を感じさせました。
ここで、旅行記の前に、少しオマケの話をしておきます。
宇宙考古学や古代史を、本格的に学び始めて、4年くらいになりますが、今年一番の衝撃は、春に見た動画でした。
「この地球に山や森は存在しない」というタイトルでした。
この動画に、ショックを受けて、それから、日本中にある、「切り株」だと思われる場所、20ヵ所以上に、足を運びました。
「切り株」と言っても、ウルトラサイズの「切り株」です。
私の旅行記を初めて読む方も、たくさんいると思うので、この機会に、以前の旅行記の「切り株」の話題を、簡単に、おさらいしておきましょう。
まず最初に、この「切り株」の写真を見てください。
植物というのは、年月が経つと、だんだん、石化してしまうそうです。
堅くなり、石になり、それから、石炭になったり、環境が整えば、ダイヤモンドになるものもあるようです。
次に、この山を見てください。
アメリカのワイオミング州北東部に存在する岩山です。
「デビルズタワー」と呼ばれています。
1906年に米国初のナショナル・モニュメントに指定されたそうです。
高さは、約386メートルだそうです。
1977年に、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画、「未知との遭遇」で、巨大UFOの降りる場所として描かれ、有名になりましたね。
クライミングする人たちです。
人が、小さく見えますね。
自然界において、「六角形」という形は、とても多いようです。
これは、雪の結晶です。
蜂の巣も、六角形ですね。
そして、植物の中には、六角形をベースに、フラクタル幾何学の模様の形で、成長するものも多いようです。
植物の中には、切り取ると、細胞が、このように、六角形になっているものも多いです。
これは、何かの苔の細胞だそうです。
六角形ですね。
もちろん、そうじゃない形の細胞も、たくさんありますよ。
ただし、言えることは、いずれにせよ、植物の細胞というのは、ある程度の規則性のある形で、組み合わさっているということです。
もう一度、「デビルズタワー」の壁面を見てください。
表面が、薄く剥がれていることが、わかると思います。
これは、植物の膜が剥がれているのに似ていると、動画の中では、解説されていました。
そうです。
この山は、岩山ではなく、太古の昔、超超超巨木だったのです!!
木の表面が、石化していたのが、あの模様だったのです!
樹木というのは、下の方が、こうなっていますよね?
デビルズタワーの下部です。
つまり、これは、超超超巨大な「切り株」だったということです!
上空から見た姿です!
まさに、「切り株」ですね~!
これは、「デビルズタワー」ではありあませんが、その近くにある、同じような山の頂上だそうです。
「六角形」で、構成されていますね。
植物の細胞が、石化した証拠です。
では、この「切り株」、もしも、伐られていなかったら、どれほどの高さだったのでしょうか?
コンピューターで、解析した結果、なんと、6千メートルの高さの超超超巨木だったことが、わかったそうです。
左下の小さな岩山が、「切り株」である、「デビルズタワー」です。
太古の昔、超超超巨木だった樹木が石化して、「切り株」の状態になったと思われる岩山は、世界中に、たくさんあります。
たとえば、これも、「切り株」ですね。
こういう形の山々、たくさんありますね。
「切り株」だと思います。
これも、「切り株」です。
サイズが違うだけで、「切り株」だと思います。
どうですか?
世界中の神話や伝説に、「ジャックと豆の木」のような話は、たくさんあります。
これらが、全て、真実の話だったということです。
凄すぎるんじゃないですか~!!
「世界樹」とも呼ばれていますが、このような超超超巨木が、太古の地球には、無数にあったようです。
さらに、興味深いのは、この旅行記のメインテーマである、「聖徳太子」が、龍に乗って、天空を駆け抜け、こういう形の岩までやってきたという説もあります。
一般的な解釈では、「富士山」だそうですが、私には、「富士山」には、見えません。
アメリカの「デビルズタワー」だった可能性もあります。
「聖徳太子が、アメリカのデビルズタワーに行った絵」
私は、そう解釈しています。
さて、旅行記に戻ります。
駅からタクシーに乗り、聖徳太子の墓のある、「叡福寺」という寺に向かいました。
寺に着きました。
思っていたよりも、大きな寺でした。
広大な敷地です。
案内板には、「上之太子」と書かれていました。
「神の大使」、つまり、「神の使い」だったということです。
本堂に向かって、歩いていたら、あるものが、目に飛び込んできました。
その場面に、ビックリ仰天しました!
私たち一行は、
「ウワ~~~!!!」
と声を上げて、叫んでしまいました。
見てください。
いいですか?
いきますよ。
ジャ~~~ン!!!
なっ、なんと!
「聖徳太子が、アメリカのデビルズタワーに行った絵」
とも言われている、前述した、あの絵が、私たちの目の前に置かれていたのです!。
「これは、いったい、どういうことだろう?」
皆で、顔を見合わせて、考え込んでしました。
そのうち、答えがわかりました。
「これは、おそらく、聖徳太子の霊に、導かれて、招待されたんだね…」
こう言って、皆で、笑いました。
今回の旅は、おそらく、天上界から、神の使いだった、「聖徳太子」が、何もかも見ていて、私たちを導いてくれたとしか、考えられません。
これに気が付いた時、またまた、大感動で、身体がブルブル震えました。
このブログは、そういう貴重な旅行記だと思います。
記念撮影しました。
それから、私たちは、いよいよ、寺の奥にある、「聖徳太子の墓」に向かいました。
ここでも、再度、階段を登りました。
ありました!
これが、「聖徳太子の墓」です。
やはり、このデザインも、「イナンナのヘルメット」にも見えますね。
斜めの角度から見た墓です。
小山の斜面を活用した古墳を造り、さらに、入口として、こういう木造建築の建物を建築したようです。
「宮内庁」が、管理しているのですね。
では、最後の話題です。
「日本」という国は、政情不安定な諸外国に比べると、民主主義が、まだ正常に機能していると思います。
そして、その根底には、
「日本国民の道徳や常識などが、流れているから」
というのが、理由の一つのような気がします。
ところで、この日本人の「道徳」や「常識」というものの正体は、なんでしょうか?
その根本的な核には、何が、あるのでしょうか?
これについて、考えてみましょう。
「道徳」と「常識」と一口に、言いますが、もっと具体的に言うと、それは、ほんどの日本人が、
「こんなことは、あたりまえだよ。誰でも、知っているよ。皆、そう思っているよ」
とボンヤリと考えている、共通認識の思想だと、定義しましょう。
「これが、いつ、どこで、誰が考えた思想なのか?」
ということです。
まず、社会学的な視点から考えると、「道徳」や「常識」というのは、その個人が、所属しているコミュニティの規則の影響を受けます。
会社だったら、「社則」などです。
会社であれば、その会社が、仕事をしている市や町や村などの「条例」の影響を受けます。
そして、その市や町や村は、もちろん、「法律」の影響を、受けるのです。
さらに、その法律の最上位にあるのが、日本の場合、「憲法」になります。
「憲法」→「法律」→「条例」→「社則」→「常識」→「道徳」
会社勤めをしている人だったら、こういう流れで、思想的な影響を、受けているということです。
簡単に言うと、「道徳」というのが、日本人の心の根底に、根づいているのですが、その源流は、「憲法」だということになります。
小学校や中学校の頃、社会科の時間に習いましたが、私たちが、現在、影響を受けているのは、それまでの「大日本国帝国憲法」に変わって、1946年から施行された、「日本国憲法」です。
ただ、これは、まだまだ、日本人の心の奥底までは、深く浸透していないようです。
ある本に書いてあったのですが、心の奥底、つまり、魂まで、深く思想が浸透するには、1000年以上の長い年月が、かかるのだそうです。
だから、「道徳」、つまり、日本人の心の源流というのは、1000年以上前の昔の思想にあるということがわかります。
結論から先に言うと、私個人が、いろいろ勉強した中で、一番日本人の心に、魂レベルまで、深い影響を与えてる思想は、「十七条憲法」だと、思っています。
実は、この「十七条憲法」、日本の歴史において、まだ一度も、法的に廃案になったことがなく、今でも、有効な「憲法」なのだそうです。
「大日本帝国憲法」は、法的に、すでに無効になっているそうですが、なぜか、この「十七条憲法」は、現在の「日本国憲法」と同時並行で、動いていたのだそうです。
「十七条憲法」を、いちいち、取り上げる学者や知識人は、あまりいませんが、それは、いちいちとりあげなくても、いいくらいに、日本人の心に、浸透しているからなのです。
つまり、「道徳」というものに形を変えて、日本人の心に、根づいてしまっているのです。
ネットで検索したら、「十七条憲法」の面白い現代語訳を見つけました。
わりやすい内容なので、紹介しますね。
「十七条憲法現代語訳」
第1条 お前ら、仲良くしてる?
第2条 仏様とお経と坊さんは、大切にしろよ。
第3条 天皇陛下の詔勅は、謹んで受けろ。
第4条 役人は、礼儀と身分を、わきまえろ。
第5条 人を裁く奴は、賄賂とかに、惑わされんなよ。
第6条 DQN(非常識な人)は叩け。いいことしろ。
第7条 役人は、ちゃんと、自分の仕事をしろ。
第8条 役人は、朝早く出勤して、夜遅く帰れ。きっちり定時なんかに、帰るなよ。
第9条 信用は、大切だぞ。
第10条 他人が、何か間違ったことしても、あんまり怒るなよ。
第11条 功績や過ちは、ハッキリさせて、賞罰とかその辺、きっちりさせろよ。
第12条 役人は、住民から搾取しちゃ、ダメだろ。
第13条 役人ども、おまえらは、同僚が何やってるかは、きっちり知っておけよ。
第14条 役人は、他の市とかの方が、給料高いからって、妬んだりすんな。
第15条 役人どもは、自分のことばっかり考えてないで、国のために、働けよ。
第16条 国民に、何か課すときは、必ず、時期とか空気読んでやれよ。
第17条 重要事項は、会議して決めろ。ひとりで、コソコソやんなよ。
当時の役人向けに、書かれたものらしいのですが、私たち、現代の日本人が、
「こんなこと常識ですよね。こういうことは、皆、知ってますよね」
というようなことが、たくさん書いてあるのではないでしょうか?
この現代語訳に書かれている、
「第1条 お前ら、仲良くしてる?」
というのは、
「和を以って、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」
現代風に訳すと、
「和を、なによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを、根本としなさい」
ですね。
「和の精神」です。
つまり、「日本の心」、いわゆる、「道徳」というものの源流を辿っていくと、そこには、今から、1400年以上前の「十七条憲法」があり、今回の旅行記のメインテーマである、「聖徳太子」という人物の存在が、とっても大きかったということがわかります。
聖徳太子は、未来の日本のことを、真剣に考えた大思想家だったようです。
そして、日本人の生き方の指針となる書物を書こうと、世界中の思想を、研究したようです。
旅行記の中でも書いたように、仏教は、もちろんですが、キリスト教やイスラム教、ヒンズー教、バラモン教などの宗教から、グノーシス主義やギリシャ哲学なども、いろいろ研究した痕跡も、あるようです。
世界中の思想をとりいれて、日本独自の思想をつくりだそうと、考えたようです。
まさに、現在、日本の「精神世界」がやっているようなことを、1400年以上前に、すでにやっていたのですね。
そして、日本人に、一番いいのは、「仏教」だという結論になったようです。
それから、後の「十七条憲法」のもとになるような、「三経義疏(勝鬘経・維摩経・法華経)」という書物を、書いたようです。
これは、女性も悟ることができるという、「勝鬘経」と、在家も悟ることができるという、「維摩経」と、すべての人が悟ることができる、「法華経」の三つから成立している書物らしいです。
聖徳太子は、この中でも、「維摩経(ゆいまぎょう」という経典を、重視したそうです。
ひろさちやさんという宗教評論家の方の本に、書いてあったと思うのですが、この経典は、だいたい、こういう話だそうです。
昔、維摩という名前の在家の資産家が、インドにいたそうです。
出家したお坊さんではないのですが、仏教の真髄を知っていたようです。
維摩という人は、お金持ちでもあったのですが、毎日、大酒を飲んで、色街に行って、遊んだり、博打を打ったりもしていたそうです。
いわゆる、「遊び人」ですね。
当時、お釈迦様には、たくさんのお弟子さんがいたそうですが、その中でも、特に優れた能力をもつ弟子や知恵のある弟子などで構成されていた、「十大弟子」といわれる、10人の高弟がいたようです。
お釈迦様の十大弟子というからには、凄い能力者や知恵者ばかりだったようですが、この維摩と議論などをしても、皆、絶対に勝てなかったそうです。
智恵第一といわれていた、文殊菩薩という弟子でも、維摩とディスカッションして、敗れるくらいだったそうです。
十大弟子たちは、いつも不思議で、
「どうして、私たちは、あなたに勝てないのですか?」
と聞いていたようです。
その時に、維摩は、いつも、
「俺は、もう悟りを開いているから、遊びほうけてもいいんだ。オマエラは、まだ悟りを開いていない未熟者だから、そんな苦しい修行など、やっているんだ」
と笑って、答えていたそうです。
お釈迦様は、この維摩の位を、十大弟子たちよりも、高位に置いていたという説も、あるようです。
さらに、他の説によると、実は、維摩は、とても高い高次元から、たまたま、一時的にこの世界に、遊びにきていた存在だったという説も、あるようです。
神様が、ちょっと、維摩という人物の肉体を借りて、遊んでいたということですね。
聖徳太子は、おそらく、この維摩のライフスタイルを、未来の日本人の理想像だと、考えたのかもしれません。
つまり、
「もっと、人生を楽しみなさい。大いに遊びなさい。この世界は、基本的に、皆、遊びにきているんですよ。修業は、その過程にすぎないのですよ。ある程度、修業が終わったら、うんと遊びなさい。でも、世間から、ナメられるような弱くて、ダメな遊び人には、ならないでくださいね。たとえ、普段は、遊んでいても、有事の際などには、それに対応でき、また、皆からも、慕われ、尊敬されるような、そういう遊び人を目指しなさい」
こういう願いを、未来の日本人に、託したのではないでしょうか。
この経典は、宗教団体は嫌がって、あまり信者に教えたがらないようですが、とても興味深い経典らしいです。
圧倒的な知恵や実力を、身に付けた上で、ひたすら、人生を楽しむ。
そして、遊ぶ。
いいですね…。
日本人の心の奥底にある、「道徳」。
つまり、「日本の心」には、「十七条憲法」が、かなり大きな影響を、与えているようです。
そして、さらに、その奥には、聖徳太子が重視した、「維摩経」があったようです。
その教えの核には、圧倒的な実力を身に付けた上での、「遊び心」が、あったようです。
「仕事も、しっかりやって、大いに遊ぶ」
ということです。
考えてみれば、「遊ぶ」という行為の中には、すべてのヒーリングの要素が、入っています。
「癒し」の効果、「励まし」の効果、「学び」の効果、「発散」や「浄化」や「成長」の効果など、万能薬です。
「日本の心」の奥底にある、原動力は、そうやら、「遊び心」みたいですよ。(笑)
去年の秋に、「比叡山」を訪れた時に見た、「維摩居士坐像」です。
最近、読んだ本の中に、面白いことが書かれていました。
この本です。
〇「聖徳太子 本当は何がすごいのか」 田中英道 著 育鵬社 1500円」
前述したように、
「和を以って、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ(和を、なによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを、根本としなさい)」
という、「十七条憲法」の中でも、最重要な個所ですが、これの解釈が、他にもあったという話です。
「和の精神」ですが、この冒頭の漢字である、
「和」
というのは、一般的には、「ワ」と読みますね。
これは、いわゆる、「音読み」であり、昔の「隋」や「唐」の文化に、合わせたニュアンスになっていると思います。
この本の作者、田中先生は、その著書の中で、
「この漢字を、本来の日本語表現で、素直に発音したらどうか?」
と、提案していたのです。
具体的には、
「やわらぎ」
と読んでみよう。
こう書いてあったのです。
「当時の日本人は、おそらく、やわらぎと読んでいただろう」
というのです。
そうだと思います。
こちらの「訓読み」での読み方のほうが、日本人には、自然で、しっくりくると思います。
「やわらぎをもって、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」
書家で詩人の「相田みつを」の言葉に、こういうのがありましたね。
「瀬戸物と瀬戸物がぶつかり合うと、すぐに壊れてしまう。しかし、どちらかが、柔らかければ、大丈夫だ。柔らかい心を持つことが大切である」
東日本大震災の時、テレビのCMでも、よく流れていましたね。
「硬いもの」と「硬いもの」が、ぶつかると、互いに力の逃げ場がなくなって、破損してしまいます。
人が、自分の意見や主張を、かたくなに守ろうとした時、目の前に、もう一人、同じように、自分の価値観を、かたくなに守ろうとする人間がいたら、お互いが、真っ正面からぶつかり合い、双方の力の逃げ場がなくなって、互いが互いを破壊しようとする力が、働くと思います。
口論、ケンカ、いわゆる、「争い」です。
争いに発展すると、お互いが、心身に大きなダメージを受けることもあるでしょうし、もしそれを免れたとしても、お互いの信頼は見事に崩れ去ることでしょう。
そして、その究極が、「戦争」なんだと思います。
でも、相田みつをさんが言うように、どちらかが、「硬い状態」ではなく、「柔らかい状態」だったとしたら、たとえ、ぶつかったとしても、力の逃げ場があることになるので、どちらも、大きな損傷を被らずにすむと思います。
だとしたら、真っ先に、自分の心を、その「柔らかい状態」になればいいのです。
そして、それができるのが、日本人であり、その延長線上に、「世界平和」があるのだと思います。
「聖徳太子」が、未来の私たちに向けて、本当に伝えたかった最重要メッセージは、これだったのだと思います。
「聖徳太子ツアー」、今回で、最終回です。
この旅行記も、面白い内容になりました。
一緒に、いろいろな所をまわってくれた方々、ありがとうございました。
また、おしゃべりしましょうね。
では、いつものように、恒例の最後の一言です。
今回は、もう一度、この一文で締めくくります。
「やわらぎをもって、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」
by 聖徳太子
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