旅行記も、だんだん佳境に近づいてきました。
日本史の最大の秘密は、和歌山県の「熊野」にありました。
ここは、公共機関の交通を利用して行こうと思うと、とても大変です。
今回は、途中から、レンタカーにしました。
久しぶりの長距離ドライブでしたが、景色が素晴らしかったので、それを楽しみました。
裏の日本史の続きです。
「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に、仲直りをした話まで、やりましたね。
しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。
おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも、肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。
そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で、閉塞状態になっていたと思います。
陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には、見張りがいたと思います。
当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。
「神武派」の天皇だった、「天武天皇」は、特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、
「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」
こういう法律をつくり、乞食の立場に、追いやったそうです。
それで、仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで、質素な生活を始めた人々も、多かったようです。
「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫たちは、そうやって、虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けれれながら、京都や奈良から、和歌山県の熊野の奥地に、逃げていたようです。
正真正銘の本当の天皇家が、「大丹生(おおにゅう)」と呼ばれていた話を書きましたね。
彼らが、隠れて住んでいた場所には、だいたい、「鬼伝説」があります。
「この土地には、恐ろしい鬼がいるから、近づくな!」
こういう伝説をつくって、一般の人たちを、遠ざけて、身を守っていたのです。
「大丹生(おおにゅう)」=「鬼(おに)」
だということです。
ちなみに、旅行記の最初に書いたシンクロの人物、「出口王仁三郎」の「王仁(おに)」も、ここからの意味みたいです。
京都府福知山市の大江町にある、「鬼」の像です。
「熊野」にも、たくさんの「鬼伝説」がありますね。
「橋杭岩」です。
「弘法大師」と「天の邪鬼」が、一晩で、大島まで橋を架ける競争をしたが、負けそうになった天邪鬼が、鶏の鳴きまねをして夜が明けたと思わせたため、弘法大師が作業を止め、橋を完成させることなく、杭だけで終わった。
こういう伝説が残っています。
日本には、いくつかの「鬼伝説」の場所があり、そういう土地は、たいてい、「大丹生家」が、ひっそりと住んでいた場所です。
普通は、節分で、
「鬼は~外! 福は~内!」
と叫びながら、豆をまきますが、「大丹生家」が、住んでいた場所では、
「鬼は~内! 福も~内!」
と叫んだりします。
「熊野」を旅していて感じたのは、「王子」という名前がつく神社が、たくさんあるということです。
これは、数年前に、和歌山県を旅したときに立ち寄った、「八王子神社」という神社です。
一般的には、「王子」とは、「熊野権現の御子神」だと、考えられているようです。
また、熊野の神々のことを、「熊野権現」と呼ぶそうです。
「権現」とは字義的には、「仮に現われた」ということで、何が仮に現われたのかというと、それは、「仏」なのだそうです。
私の解釈では、この場合、正確には、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫である、38人の子供の子孫のことが、「仏」という意味なのだと思います。
昔から、不思議だったのですが、そもそも、どうして、「熊野」というのでしょうか?
この土地に、たくさんの「熊」が生息している「野山」というわけでも、なさそうです。
調べると、元々は、「熊」という文字は、「畏」だったそうです。
「畏れ多い」
という表現で使いますね。
つまり、「熊野」という土地は、「畏の」という意味で、
「畏れ多い神々の住む聖地」
という意味だそうです。
納得ですね。
おそらく、「熊本」や「熊襲」も、そうだと思います。
「王子神社」というのは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。
それらは、総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。
一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。
しかし、、実際、最盛期には、99ヵ所くらいの「王子」と呼ばれる土地があったそうです。
各王子では、奉幣(幣を奉る)と経供養(般若心経などを読む)などの儀式が行われて、里神楽や馴子舞、和歌会などの奉納が行なわれることもあったそうです。
1.窪津王子
2.坂口王子
3.郡戸王子
4.上野王子
5.阿倍王子
6.津守王子
(以上、大阪市)
7.堺王子
8.大鳥新王子
(以上、堺市)
9.篠田王子
10. 平松王子
11. 井ノ口王子
(以上、和泉市)
12. 池田王子
(岸和田市)
13. 麻生川王子
14. 近木王子
15. 鞍持王子
(以上、貝塚市)
16. 鶴原王子
17. 佐野王子
18. 樫井(籾井)王子
(以上、泉佐野市)
19. 厩戸王子
20. 信達一ノ瀬王子
21. 長岡王子
(以上、泉南市)
22. 地蔵堂王子
23. 馬目王子
(以上、阪南市)
ここまで大阪府で、次から和歌山県です。
24. 中山王子
25. 山口王子
26. 川辺王子
27. 中村王子
28. 吐前(吐崎)王子
29. 川端王子
30. 和佐王子
31. 平緒王子
32. 奈久知王子
(以上、和歌山市)
33. 松坂王子
34. 松代王子
35. 菩提房王子
36. 藤代王子
(以上、海南市)
37. 藤白塔下王子
38. 橘本王子
39. 所坂王子
40. 一壷王子
(以上、下津町)
41. 蕪坂塔下王子
42. 山口王子
43. 糸我王子
(以上、有田市)
44. 逆川王子
45. 久米崎王子
(以上、湯浅町)
46. 津兼(井関)王子
47. 河瀬王子
48. 東の馬留王子
(以上、広川町)
49. 沓掛王子
50. 西の馬留王子
51. 内ノ畑王子
52. 高家王子
53. 小中王子
54. 比井王子
(以上、日高町)
55. 松原王子
(美浜町)
56. 善童子王子
57. 愛徳山王子
58. 九海士王子
59. 岩内王子
60. 塩屋王子
61. 上野王子
(以上、御坊市)
62. 津井(叶)王子
63. 斑鳩(富の川)王子
64. 切目王子
65. 切目中山王子
(以上、印南町)
66. 岩代王子
67. 千里王子
68. 三鍋王子
(以上、南部町)
次からいよいよ熊野。
69. 芳養王子
70. 出立王子
71. 秋津王子
72. 万呂王子
73. 三栖王子
(以上、田辺市)
74. 八上王子
75. 稲葉根王子
76. 一ノ瀬王子
(以上、上富田町)
77. 鮎川王子
(大塔村)
78. 滝尻王子
79. 不寝王子
80. 大門王子
81. 十丈王子
82. 大坂本王子
83. 近露王子
84. 比曽原王子
85. 継桜王子
86. 中ノ河王子
87. 小広王子
88. 熊瀬川王子
89. 岩神王子
90. 湯川王子
(以上、中辺路町)
次から奥熊野。
91. 猪鼻王子
92. 発心門王子
93. 水呑王子
94. 伏拝王子
95. 祓戸王子
96. 湯ノ峯王子
(以上、本宮町)
97. 浜王子
98. 佐野王子
(以上、新宮市)
99. 浜の宮王子
100. 市野々王子
101. 多富気王子
(以上、那智勝浦町)
ここからは、私の想像です。
おそらく、このエリアには、38人の子孫の末裔がいたのだと思います。
そして、99人の王子、つまり、天皇家のリーダーが、99人住んでいたのだと思います。
99のグループに、分かれていたのだと思います。
しかし、よくよく考えてみてば、面白い話です。
歴史上、いつの時代も、どこの国でも、「王様」は、一人だけです。
そして、「王子様」も、数人くらいしかいなくて、「王様」の椅子を狙って、王子様同士で、喧嘩したり、戦争することになると、だいだい決まっています。
また、「王子」という単語も、日本的ではありません。
中国などの大陸での称号ですね。
おそらく、「天照派」の人々は、絶対平和主義だったから、そもそも、争わなかったのだと思います。
そして、「王座を狙う」などという椅子取りゲームにも、興味がなかったのだと思います。
99人も王子様がいたのならば、それから先の時代に、少なくする方向ではなかったと思います。
もっと、もっと多くしようと思っていたと思います。
最終的には、99人どころか、999人、9999人、99999人…
こんなかんじで、日本全国、全ての人々が、「王子」の身分になるような国家を目指したのではないでしょうか?
つまり、現代の「国民主権」や「民主主義」を、この時代に、思い描いていたのではないでしょうか?
そして、そんな彼らが、夢を見て、最初に、実現させたのが、天下泰平だった、「江戸時代」だったのではないでしょうか?
現代は、いつでも美味しいものが、食べれれて、皆が、飛行機や新幹線で、いろいろなところに、旅行に行けますね。
まさに、「国民皆王子」の時代ですね。
この時代に、未来の「民主主義」を思い描いた、99人の王子たちのことを、イメージしていたら、目から涙が出てきました。
私が、いろいろ調べた限りでは、どうやら、99番目の「浜の宮王子」という場所が、最重要だったようです。
次回から、旅行記は、いよいよ佳境に突入します。
裏の日本史の本当のトップシークレットの重たい扉を、ゆっくり開いていきますね。
心の準備をしておいてくださいね。
では、開きます。
ギッ、ギ、ギギギギ…
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