平昌五輪も、終わりましたね。
私は、この期間は旅行ばかりしていたので、実は、ほとんど、このオリンピックは観れなかったのですが、それでも、日本人選手が、メダルを獲得したり活躍しているニュースを知ると、とても嬉しかったです。
いつもながら、開会式や閉会式も華やかで、よかったですね。
以前にも書きましたが、タイムリーな話題なので、再掲載させていただきます。
2020年には、東京でも開催されますね。
東京でのオリンピック開催については、様々な見方ができると思いますが、私は、ポジティブに解釈しようと思います。
素直に、このイベントを喜びたいと思います。
これから先の2年間、日本、特に東京は、世界中から厳しい監視の目で、安全面などを見られることになります。
これは、東京に住む人たちにとっては、プラスに働くことが多いと思います。
日本の政府も、あまりいい加減なことは、できなくなるからです。
数年前に、「オリンピック」の歴史について、調べてみました。
近代オリンピックの生みの親は、フランス人のクーベルタン男爵だと、言われているそうです。
彼は、どうして、オリンピックを、はじめようとしたのでしょうか?
クーベルタン男爵の育った19世紀には、産業革命とよばれる、とても大きな社会の変化が、ヨーロッパ各地で進んでいたようです。
その変化のなかで、ヨーロッパ各地で、戦争が起きていて、クーベルタン男爵のフランスも、プロイセン(今のドイツ)と戦争をし、負けたそうです。
その後、フランスでは、プロイセンへの復讐を、あおるような教育が行われていて、それに疑問を思ったクーベルタン男爵は、スポーツによる青少年の教育と、平和な世界を築くための手段として、古代オリンピックと「エケケイリア」に注目し、近代オリンピックの開催に尽力したそうです。
古代オリンピックの「エケケイリア」というものが、オリンピックの本質を解く、「鍵」になると思います。
これは、紀元前8世紀に、ギリシャのオリンピアという場所で、ギリシャ神話の最高神、「ゼウス」に捧げるお祭りとして、スタートしたそうです。
そこで、「エケケイリア」という言葉が、生まれたのですが、「エケケイリア」というのは、古代ギリシア語で、
「剣の柄に、伸ばした手を、止める」
「手をつなぐ」
いう意味だそうです。
もっと簡単に訳すると、「オリンピック停戦」という意味だそうです。
古代ギリシア人は、ギリシア語を使い、オリンポスの神々を敬い、ポリスとよばれる都市国家に属する自分たちを、「ヘレネス」とよんでいたそうです。
一方で、他の言葉を使っていたり、オリンポスの神々を信じない他民族を、「バルバロイ」とよんで区別していたそうです。
「バルバロイ」の人たちは、主に、「奴隷」のような仕事をさせられていたそうです。
この「バルバロイ」というのは、
「聞きづらい言葉を話す者」
「訳の分からない言葉を話す者」
という意味で、由来としては、ギリシア人には、異民族の言葉は、
「バルバルバル」
と聞こえたからと、いわれているそうです。
ちなみに、これは、英語の「barbarian(野蛮人)」の語源でも、あるそうです。
「バーバリアン」って、こういう意味だったのですね。
当時、同じヘレネスであっても、ポリスが違えば、ポリス同士で戦争することが、あったようです。
だけど、オリンポスの神々をたたえる、お祭りの最中に戦争するのは、神様に対する大変な無礼として、「エケケイリア」、つまり、「オリンピック停戦」が生まれたのだそうです。
つまり、
「神々をたたえるお祭りの最中くらいは、平和で礼儀正しくしましょうよ。お互い、いろいろ大変ですけど、これくらいのマナーは、人間として、最低限守りましょうよ」
という約束だったそうです。
この期間には、武力闘争は、もちろん、法廷闘争や死刑も停止になり、価値観の違う者同士が、話し合うことができる、唯一の期間だったそうです。
一番長い時で、3か月続いたことも、あったようです。
「エケケイリア(オリンピック停戦)」という約束を破った場合、オリンポスの神々を信じている、「ヘレネス」とみなされなくなり、交易を中止させたり、ほかのヘレネスの祭典にも参加できなくなるなど、「バルバロイ」と同じ扱いをされる制裁を、受けさせられたそうです。
奴隷の身分に、されたということです。
「こんな最低限のマナーも守れないような者は、人間ではない。野蛮人だ!」
と思われた、ということです。
この制裁は、大変厳しく、有名なアレキサンダー大王でも、これを破ったときに、制裁を免れることが、できなかったそうです。
まとめると、「オリンピック」というのは、現在では、「平和の祭典」だと、言われていますが、古代オリンピックまで、歴史をさかのぼると、もともとは違っていたということです。
簡単にいうと、オリンピックによって、世の中を、一時的な停戦状態にする。
そして、そのときに、
「誰が、この停戦という決まりを破るのか?」
を、見極めるための儀式だった、ということです。
「誰が、野蛮人なのか?」
これが、メインの目的だったということです。
「平和な状態を破る人を、あぶりだす祭典」
だったということです。
これが、「オリンピックの秘密」だったのです。
古代の人たちの知恵って、凄いですね。
現代では、1993年くらいから、「五輪停戦決議」みたいな感じで、国連などでも、取り上げられているそうです。
ただ、古代ギリシャでも、そうだったように、現代でも、法的拘束力を、もたないものなのだそうです。
これを、破ったときの具体的な罰則や罰金などが、ないということですね。
だから、逆に、凄い力を持っているし、怖いのです。
これを破った国は、罰則がない分、もっと恐ろしい、「社会的な抹殺」という厳しい判決が、裁判所ではなく、「世間」から下されるということです。
「あなたのような最低のバーバリアン(野蛮人)とは、今後一切、お付き合いはしません」
と世間の人、世界中の人たち全員を、敵に回すということです。
ちなみに、アテネオリンピックの時では、202の参加国のうち、191の国が、「五輪停戦決議」の書類に署名したそうですが、アメリカは、「テロ」などの理由に、最初から、この書類に署名しなかったそうです。
「最初から守れない決まりには、参加しません」
と言って、うまく逃げたのかもしれません。
この時は、11の国が、署名しなかったそうです。
あまり知られていませんが、日本も、アメリカと一緒に署名しなかったそうです。
適切な例えでは、ないかもしれませんが、私が、昔、サラリーマンの頃、よく経験したのですが、会社などで、懇親会を居酒屋でやったときなどに、上司が、
「今日は無礼講だ! どんどん飲め!」
などと言うことがありましたが、この「無礼講」というのは、実は、
「誰が、無礼講の飲み会で、無礼をやるのか? 無礼者は、誰なのか?」
を見極める儀式だったような気がします。
「品性」を検査し、無法者を、あぶりだする目的で、やっていたのです。
だから、この時に調子にのって、上司にタメ口をたたいたり、ふざけすぎたりすると、その後、なかなか出世できずに、冷や飯を、食わされたりすることになります。
「無礼講」のときに、どういう態度をとるのかが、テストされているということです。
「エケケイリア(オリンピックの停戦)」というのは、ちょうど、会社でいえば、この「無礼講」にあたるようなものかもしれません。
最近では、あまり、やらないのかな?
オリンピックでは、4年に一度、これが試されているのです。
「誰が、バーバリアン(野蛮人)なのか? どの国が、無法者の集まりなのか?」
それを、あぶりだし、白日の下に、さらす儀式なのです。
「どの国が、信用できないのか? どの国が、信用できるのか? 誰が、嘘つきで、誰が、誠実なのか? どの政治家が、ダメなのか? どの政治家が、素晴らしいのか? どの企業が、エゴで動くのか? どの企業が、世の中のことを考えているのか?」
こういうことが、はっきりとわかるのが、オリンピックだということです。
オリンピックに関わることで、信用を失うようなことをする国や組織、そして、人々は、オリンピックが、終わった後、長いこと復活できないような社会的な制裁を、世界全体から、受けることになるのです。
「オリンピック」という祭典は、
「裏の世界で、今、どういうことが、起こっているのか?」
ということを探ったり、世界中の人たちに、知らせるためのイベントなのだそうです。
人間の歴史って、奥深いですね…。
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