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沖縄ニライカナイツアー 3 熊野

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38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。

 

この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「天皇家」になったのですが、ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。

この頃から、「天皇」という称号が生まれたそうです。

 

念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で、意味も違うそうです。

「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。

 

しかし、私が、いろいろ調べたところでは、まったく関係ないわけでもなく、こういう名前が似ている人物やグループなどは、同じ魂の仲間だと思っています。

 

 

このグループは、ある期間、現在の三重県いなべ市のあたりを、拠点にしていたようです。

 

 

「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。

 

その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。

 

きっかけは、大和地方に、「神武天皇(アヌ王)」がやってきたのが、始まりだったようです。

この天皇のグループは、権力志向だったようです。

 

 

ここでは、「38人の子供」の子孫を、仮に、「天照派」と呼ぶことにします。

このグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「自由」や「知恵」、それから、「愛」のグループだったと思います。

 

そして、後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、「アヌ王」で、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。

さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。

権力によって、人々を、平等に統治するという考え方ですね。

 

これらの推測は、私個人の感覚的なもので、科学的な根拠があるわけではありありません。

 

 

わかりやすくまとめます。

 

〇「天照派」=「イザナギ(エンキ)」と「イザナミ(ニンフルサグ)」

「自由」、「知恵」、「愛」のグループ

 

〇「神武派」=「神武天皇(アヌ王」と「ヤハウェ(エンリル)」

「平等」、「力」のグループ

 

私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。

 

国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。

 

 

この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、

 

〇「天照派」=「理想主義」

〇「神武派」=「現実主義」

 

こうなると思います。

 

現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。

具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。

 

これも、いろいろな見方ができるので、「どの意見が正しいか?」というのは、とても難しい問題なのです。

 

 

「天照派」の人々は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないと思いますが、やはり、性格が似ているのです。

 

つまり、このグループは、

 

「絶対に戦わない」

 

という共通の姿勢があるのです。

 

 

古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。

 

ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。

要するに、「引きこもった」ということです。

 

本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。

 

たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。

 

「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」

 

こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。

 

おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。

生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。(笑)

 

 

それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。

怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。

 

 

この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。

 

現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。

そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。

 

 

「天照派」の話を続けます。

 

ツインレイとして、丹後半島に生まれ、38名の子供を産んで育てた二人は、「初代」の「イザナギ&イザナミ」です。

それから、1500代も、この系統は、続いたそうです。

 

そして、最後である、1500代目の「イザナギ&イザナミ」の子供が、「天照派」の初代になる、「天照天皇(アマテルカミ尊)」という男性だったそうです。

 

繰り返しますが、「古事記」の話とは、別の話です。

 

 

 
それにしても、「神武派」の弾圧は、いろいろな理由から、徹底的に酷くやったようで、「天照派」のグループは、ある時期は、生きていくのに最低限必要な、土地や仕事も奪われて、「ホームレス」のような身分になってしまったそうです。
 
部落差別の問題も、このあたりの歴史も関係しているそうです。
 
 
去年の12月には、「酒見神社」にも行きました。
場所は、愛知県一宮市です。
 
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「酒見神社」という名前は、もともとは、
 
「逆身神社」
 
という名前だったそうです。
 
この意味は、
 
「天皇が逆さの身分である流人となった」
 
この酷くて残酷な歴史を忘れないようにするまえに、建造されたそうです。
とても奥深い古代史が隠されている場所みたいです。
 
 

 

古事記の「天照大神」に代表されるように、生粋の日本人というのは、本来、争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。

 

とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。

 

何かに腹を立てて、怒っても、相手に仕返ししたり、怒鳴ったりせずに、静かに、その場を立ち去ったり、無言になったり、無視するという態度をとります。

本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で、抗議するのです。

 

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何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を、殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。

 

現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。

社会に対して、無言の抗議をしているのです。

 

 

ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。

 

「どうして、学校に来なくなったんだろう?」

 

「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」

 

「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」

 

こう思っていると思います。

 

 

これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。

口に出して、反論したり、抗議したりしないのです。

 

「静かな怒り」

 

なのです。

 

 

引きこもってしましまった人々が、世の中に出てくるようにするには、怒ってもダメだし、なだめたり、おだててもダメです。

 

「天照大神」を、天岩戸から出そうと思ったら、皆で、裸踊りをするくらいの宴会を、やらなくてはいけないのです。

 

つまり、

 

「ワクワクすること」

 

これが、世の中に、たくさん出てきた時に、引きこもっている人たちも、隙間から、外の世界を覗きこみ、岩戸から出たくなるのです。

 

「世の中は面白い! ワクワクすることで溢れている!」

 

私の旅行記は、一貫して、そう主張しているのです。

だから、天岩戸の中に、引きこもっているような人たちに、特に読んでいただきたいのです。

 

 

 

「神武派」に代表される、「武闘派」、それから、「天照派」に代表される、「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが、存在していたようです。

 

 

「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。

文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

 

このグループは、前述したように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派」を、弾圧していたようです。

 

 

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。

 
一つ目は、「賀毛神社」です。
 
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ここは、現在、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。
 
「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」
 
ということです。
 
 
仮の宮という所がありました。
壁から下がっているのは、おそらく、「コンパス」と「定規」の意味だと思います。
 
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二つ目は、ここです。

ここから、すぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。

 

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ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

 

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

 

だそうです。

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の長男と長女の名前、「別雷尊」と「玉依姫」の名前がありますね。

 

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余談です。

去年、奈良県の吉野に行った時に、「吉野神宮」に行ったら、「後醍醐天皇」が、祭神として祭られていました。

 

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あとで、調べてみると、最終的には、

 

「奈良」=「天照派」=「南朝」

 

「京都」=「神武派」=「北朝」

 

こうなったそうです。

 

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

 

一方の「神武派」の天皇は、「光明天皇」だったそうです。

 

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということが、わかって、納得しました。

 

 

 

歴史に登場する、「聖徳太子」や「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。

 

「空海」は、うまく助けていたようです。

「天照派」の一部を、四国に逃がして、四国八十ハ箇所に、見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。

 

徳島県美馬市にある、「神明神社」です。

正式には、「磐境神明神社」 というそうです。

ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。

「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。

 

「忌部(いんべ)」という一族も、これから先の旅行記で、大切なキーワードになってくるので、おぼえておいてくださいね。

 

 

神殿が、独特な形をしています。

 

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一方で、「聖徳太子」は、死後に、「天照派」を助けていたことが、「神武派」に、バレてしまい、法隆寺を焼かれたり、子孫を殺されたりしたそうです。

 

 

「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。

たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

 

 

さて、ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。

 

こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。

 

もしも、日本の国土に、穏やかなグループである、「天照派」だけが、住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。

 

「神武派」は、まだ、弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が、日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり、虐殺されていたかもしれません。

 

日本にも、「神武派」のような武闘派は、必要だったのです。

 

 

「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。

 

「蛇の道は蛇」

 

「毒を以て毒を制す」

 

こういう諺もありますね。

 

「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。

 

 

だから、私の中では、

 

「神武派」=「ジャイアン」

「天照派」=「のび太」

 

こういう解釈になっています。(笑)

 

 

大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。

 

その教授が言っていました。

 

「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」

 

「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。

 

 

つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん、賢く強くなって、権力を握ったいったグループだったのだと思います。

 

一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら、皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。

 

どちらも偏っていたのです。

 

 

 

英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。

つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。

「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。

お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。

 

「競争」という行為自体は、中立なのです。

それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。

 

 

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

 

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみれば、わかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。

下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

 

そこで、ある時期に、

 

「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒に、お祭りでもやらないか?」

 

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。

 

 

そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。
 
そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。
 
それが、「葵祭」だったのです。
日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。
 
 
「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもあわるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。
 
つまり、
 
「向日葵」=「太陽」
 
ということです。
 
「葵祭」というのは、
 
「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」
 
こういう願いを込めた儀式だったそうです。
 
 
数年前に、京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。
 
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あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。
 
「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」
 
ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。
 
 
 

「天照派」は、奈良県の吉野も、重要な拠点だったようです。

 

「イザナギ(伊弉諾尊)」が、童子の頃、吉野において、「青根ヶ峰」という山にも立ち寄ったそうです。

 

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その時に、宇宙から、自分が誕生した時のことを、鮮明に思い出したのだそうです。

 

宇宙の源の世界では、「植物」と「動物」と「人間」が、完璧なバランスを保ちながら、美しく回転していたそうです。

 

それを思い出した、「イザナギ」は、その山の頂上にあった三つの石を、横に並べて、「宇宙の根源」の世界を、忘れないように、そして、後世の子孫たちも、この真理を伝えようとしたのだそうです。

 

「植物の石」-「動物の石」-「人間の石」

 

こんなかんじで、山頂に置いたそうです。

これが、後に、「三つの霊石」と呼ばれるようになったそうです。

 

それを、「丹生家十八家」が、守っていたのです。

 

「三つの霊石」を、何百万年にも渡って、守護されてきたそうです。

十八の家が、20年交代で見張っていたそうです。

 

今でも、「伊勢神宮」は、20年ごとに、「式年遷宮」をやりますが、これは、その時からの慣習を、引き継いでいるのだそうです。

 

「三つの霊石」を守るために、「丹生家」がつくった拠点が、「吉野」という村の始まりだったそうです。

 

このように、「丹生家」は、心のやさしい人々なのですが、魂の芯の部分はとても強く、絶対的に正しいと信じたことは、永遠にやり続けるという超頑固な気質も、もっているのです。

 

「青根ヶ峰」にある、「金峯神社」です。

ここも、「天照派」の重要な拠点だったそうです。

 

この神社も、後に、大切なキーワードになります。

 

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「天武天皇」の時代には、「丹生家」のリーダーは、葛城族である、「役小角(えんのおづぬ)」だったそうです。

 

当時の「天武天皇」のグループは、「神武派」だったようです。

だから、「天照派」のことは、よく思っていなかったようなのです。

 

「役小角」は、「天武天皇」のグループから、

 

「直ちに、あの頂上にある三つの霊石を、壊して捨てなさい!」

 

と命令されたそうです。

 

しかし、

 

「人祖である、イザナギの命令にしか、私は従いません」

 

こう言って、断固として、命令を拒否したそうです。

だから、島流しにされたのです。

 

「役小角」は、人祖であり、自分の祖先でもあった、若い頃の「イザナギ」の姿を、桜の木を使って、木彫りの仏像を作ったそうです。

それが、「蔵王権現」だそうです。

現在、吉野の「蔵王堂」に置かれています。

 

そして、この頃から、多くの人々が、吉野の里に、桜の木を植えるようになり、現在の桜並木の土地になったのだそうです。

 

去年、「蔵王堂」にも、立ち寄りました。

 

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これは、別の人が彫った仏像だと思いますが、全ての「蔵王権現」の仏像にも、共通しているのは、片足で立っていることです。

 

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最初は、意味がわからなかったのですが、ちょっと考えたら、わかりました。

下半身がヘビの形なのです!

「エンキ」ですね~!

 

「片足で立っている」のではなく、「下半身がヘビ」だったということです。

「宇賀神」でも、あったということです。

 

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もしかしたら、当時の人々は、素の姿の「イザナギ」の後ろ姿を見て、

 

「片足で立っている」

 

と思ったのかもしれません。

 

このことからも、シュメール文明の神様である、「エンキ」、それから、日本の「イザナギ」が、同じ神様だったことがわかりますね。

 

 

実は、「三つ霊石」は、現在も、ひっそりと隠されて置かれているのです。

 

吉野にある、「水分神社」の目の前、歩いてすぐの所に、名前も書かれていない、無名の神社があります。

この無名の神社の裏に、宝物が隠れていました。

 

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「人丸塚」と書かれていますが、本来は、

 

「人生塚」

 

だったそうです。

 

「人が生まれた塚」

 

という意味です。

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この根源を表現している、「三つの霊石」です。

 

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前述したように、「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。

 

おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも、肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。

 

そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で、閉塞状態になっていたと思います。

 

陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には、見張りがいたと思います。

当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。

 

「神武派」の天皇だった、「天武天皇」は、特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、

 

「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」

 

こういう法律をつくり、乞食の立場に、追いやったそうです。

それで、仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで、質素な生活を始めた人々も、多かったようです。

 

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫たちは、そうやって、虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けられながら、少しづつ、移動していったようです。

 

特に、奈良県の吉野から、和歌山県の熊野の奥地に、逃げていたようです。

 

 

昔から、不思議だったのですが、そもそも、どうして、「熊野」というのでしょうか?

この土地に、たくさんの「熊」が生息している「野山」というわけでも、なさそうです。

 

調べると、元々は、「熊」という文字は、「畏」だったそうです。

 

「畏れ多い」 

 

という表現で使いますね。

 

つまり、「熊野」という土地は、「畏の」という意味で、

 

「畏れ多い神々の住む聖地」

 

という意味だそうです。

 

 

他にも、京都の丹後地方にある、「イザナギ」と「イザナミ」が降臨した聖地、「籠神社」の「籠る」という意味も含んでいると思います。

 

そして、「熊」は、昔から、「冬眠」するので、

 

「冬になったら、いったん引きこもって、それから、春になったら、また復活して出てくる」

 

そういう、「死と再生」の象徴の動物でもあったそうです。

 

「アマテラスオオミカミ」のシンボルが、「熊」だったということです。

 

 

面白いですね。

 

 

 

熊野周辺には、「王子神社」というのが、たくさんあります。

 

これらは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。

それらは、総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。

 

一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。

しかし、実際、最盛期には、99ヵ所くらいの「王子」と呼ばれる土地があったそうです。

 

 

私が、いろいろ調べた限りでは、どうやら、99番目の「浜の宮王子」という場所が、最重要だったようです。

 

「浜の宮王子社跡」です。
ここが、99番目で、おそらく、「天照派」のグループが、熊野においては、最後に辿り着いた場所だと思います。
 
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「天照派」のグループの神社は、「三つの扉」や「三つの窓」があることが多いです。
拝殿が、三つに分かれているのです。
 
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これは、宇宙から地球に生命体がやってきたことを、表現しているそうです。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つのグループが、バランスよく、回っている状態が、地球が健康な状態だということです。
 
逆に言えば、「天照派」の人たちは、人間社会で、偉くなったり、権力を握って、威張ったりすることに、まったく興味がないのです。
 
「地球の自然が、美しく、健全に保たれていれば、それでいい」
 
彼らは、本来、これだけを考えている、純粋で無欲な人々なのです。
 
しかし、権力志向の人々には、こういう人々がいるということが、そもそも、理解できないのです。
だから、必要以上に、弾圧したりしていたのです。
 
 
境内には、旗が、風でなびいていました。
「三つ巴」のシンボルマークを、もう一度、見てください。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つを、バランスよく回すのが、彼らの願いなのです。
 
これだけのために、地球に生まれてきた、純粋で素晴らしい人々なのです。
そのグループが、生粋の日本人であり、私たちの祖先なのです。
 
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そして、今回の旅行記のメインの舞台になる、「沖縄」では、ほとんどの神社が、この「熊野系」と呼ばれているのです。
「琉球八社」と呼ばれている由緒ある、八つの神社のうち、なんと、七社が、熊野神社からの分社なのです。
 
その理由は、この旅行記の後半で、書いていきますね。
 
 
 
 
次回に続きます。
 
 
 
 
 

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