先月も、「補陀落渡海」の調査で、関西と関東をまわりました。
関西では、大阪、和歌山、奈良を主にまわりました。
特に、奈良県には、いろいろな痕跡が残っていました。
この時の旅行について、少しづつ書いていきますね。
最初は、大阪の話題です。
基本的には、「補陀落渡海」は、和歌山県の那智から、始まっているのですが、そこだけでなく、四国の高知県足摺岬のあたりなど、複数の場所で、行われていたようです。
大阪や奈良にも、その痕跡が残っているのですが、それらの痕跡は、補陀落渡海の出発地だった所もあれば、前回書いたような「黒潮ロード」には乗らずに、別の潮流で流れ着いた漂着地、もしくは、そもそも、補陀落渡海を計画していた陰のフィクサーである、聖徳太子の作戦会議室だった所もあると思います。
だから、私は、関西地方には、これらの3タイプの場所があったと推測しています。
今年になってから、「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」という映画を観たのですが、冒頭のシーンで、「遣唐使船」が、日本海で嵐に遭遇して、大変な航海をやっている場面が、目に飛び込んできました。
学生時代、授業で習ったのは、
「遣隋使船や遣唐使船は、日本海の荒波で遭難した船が多く、無事に日本に帰国できた船は少なく、帰還率は6割くらいだった」
という話でした。
しかし、この話は根本的におかしな話です。
そもそも、日本を代表するようなエリートであり、将来有望な若者を、沈没する確率が、4割もある船旅に行かせるでしょうか?
わかりやすく、現代風に言い換えると、
「海外留学に行きませんか? そのかわり、往復の飛行機は4割くらい墜落して、乗客は全員墜落事故で死にます。それでも日本の将来のために、留学してくれませんか?」
こう言われて、その海外留学に行く学生がいるかという話です。
誰もいないと思います。
これが、遣唐使船です。
けっこう頑丈にできていますね。
そうなのです。
「遣隋使船」や「遣唐使船」も、「補陀落渡海」だったのです。
「天照派」の多くが、僧侶になり、お寺を住処にしていた時に、お隣の中国にも、大量に亡命していたのだと思います。
「日本には、もう居場所がない。大陸に行って、新天地で生まれ変わって、人生をやり直そう!」
こう思った人々が、乗船したのが、これらの船だったのだと思います。
「空海」は、その引率者としての役割もあったのかもしれません。
だから、大阪や奈良のお寺や神社は、このための作戦会議室も、いくつか存在していたのだと思います。
先月の関西旅行では、大阪行きは、いきなり決めていったのですが、数名の友人が同行してくれました。
ご存知のように、大阪は川が多いです。
だから、「補陀落渡海」に関係していたと思われる寺や神社も、たくさんあります。
大阪では、いろいろ調べた結果、大阪府堺市あたりにも、これに関係していそうな寺を、いくつか見つけたので、そこにも行ってみました。
その中の一つの寺を紹介しますね。
着いてすぐに、門の前で記念撮影しました。
「瓦」は、やはり、「三つ巴」でした。
名前にも感動しました。
「月蔵寺」ですね。
「月」+「蔵」+「寺」=「臓寺」
つまり、日本において、「臓器のような役割をしていた大切な寺」
という意味です。
さらに、「青陽山」という文字にも、注目してください。
「お日様の光」、つまり、「陽」の色は、普通は、黄色や白、もしくは、オレンジや赤のイメージだと思います。
それが、「青」だと書かれているのです。
そうです。
太陽の光が、青くなる瞬間がありますね。
「日食」の時の「ダイヤモンリング」です。
つまり、この寺こそ、古代において、「天の岩戸開き」の象徴である、「日食」を暗号とするグループが集まっていた所なのです。
「青陽山」の「山」は、「領地」の意味も含みますね。
つまり、「天照派」の拠点だった所だということです。
おそらく、ここで、「補陀落渡海」の作戦も、練っていたのだと思います。
さらに、ここから、小舟を出したり、和歌山などからの小舟を、受け入れたりもしていたのかもしれません。
門の上の彫刻を見て、大感動しました~!
見てください!
静岡県の「久能東照宮」に刻まれているものと、同じですね。
前回の記事で紹介した、「司馬温公の甕割り」の絵ですね。
こういうことが、わかってくると、お寺をまわるのが、何倍も楽しくなります。
門をくぐって、境内を探索しました。
庭には、「復活」の象徴である、「蘇鉄」もありました。
傑作なのは、この寺の前には、製鉄所もあるのです。
何か深い意味でもあるのかな?(笑)
根本には、「鬼瓦」もありました。
「鬼=大丹生=天皇家」でしたね。
屋根の鬼瓦は、顔が鬼で、身体が蛇、つまり、「宇賀神」を表現していました。
「天照派」の始祖である、「イザナギ」ですね。
境内にある祠にも、「宇賀神=エンキ=イザナギ」の神様が祀られていました。
「小舟」の石碑も、目に飛び込んできました。
「この石碑があるところは、全て、補陀落渡海に関係している所である」
大感動の寺巡りでした。
最後に、近くのカフェで、3人でお茶しました。
とてもいい店でした。
その時に、私の本、第二巻の打ち合わせもしました。
大阪セミナーの翌日、JR大阪駅の近くのカフェでも、いきなりの告知にも関わらず、何名かの友人たちが集まってくれました。
「現代版の補陀落渡海」の話題で、大盛り上がりでした。
楽しかったですね~!
いつも泊まる大阪のホテルからの景色です。
次回から、舞台は、奈良県に移ります。
だんだん、日本史の秘密のベールを、ゆっくり剥がしていきますね。
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