奈良県にも、「補陀落渡海」に関係していたところが、いくつかあります。
前回書いたように、「出発した所」と「漂着した所」と「作戦会議の所」の3タイプあったと思います。
まずは、「補陀落渡海」には、あまり関係ないのですが、奈良県において、私が歴史的に見て、重要だと思う所に行った話も、簡単に書いておきます。
これらの場所の詳しい説明は、いつか、別の機会に書こうと思います。
まずは、奈良県葛城市にある、「當麻寺」に行った話題です。
天の降る中、レンタカーを借りて、ここまで運転しました。
ここには、以前から行きたいと思っていたのですが、ようやく行くことができました。
私の名前、「トーマ」と音が似ているので、ずーと気になっていた寺です。
門の前です。
どこから高校生たちだと思うのですが、もしかしたら、修学旅行で来ていたのだと思います。
だいたい、修学旅行で、京都や奈良を訪れても、その頃は、それほど歴史の知識がないので、友達とのおしゃべりばかりが、思い出になりますね。
それから、大人になり、歴史に詳しくなってから、再訪すると、まったく別の景色に見えて、
「ここって、こんな凄い場所だったんだ~!」
と驚くというのが、多くの人の典型的なパターンだと思います。
「三つ巴」の瓦もありました。
金堂という建物の中には、土で造られた巨大な仏像がありました。
撮影禁止なので、内部の写真はありませんが、ここで大きな気づきがありました。
これについても、別の機会に書こうと思います。
境内には、立派な三重塔もありました。
奈良県葛城市の周辺は、「天照派」の拠点だった所です。
南北朝時代の「南朝」でもありました。
この地図を見ながら、面白そうな名前の神社や寺探して、それから、ブラブラまわりました。
「ブラタモリ」よりも面白いと言われている、「ブラトーマ」です。(笑)
「當麻寺」からすぐ近くに、相撲の開祖と言われている人物に関わっている、「當麻蹴速の塚」もありました。
祠です。
「三つ巴」の瓦なので、もしかしたら、「相撲」にも、「天照派」が関わっているかもしれませんね。
そういえば、この格闘技は、刀で斬り合って、殺し合わなくて済みますね。
平和的な解決を好む、「天照派」が好んだ闘技だったのかもしれません。
相撲館にも立ち寄りました。
建物の中には、正式な土俵と同じ大きさのものが、造られていました。
土俵に上がって、相撲の「ハッケヨイ!」のポーズをとってみました。
「相撲」や「土俵」には、とてつもない秘密があることに、最近気づいたのですが、これも別の機会に詳しく書きますね。
壁には、いろいろな絵が展示されていますが、一番興味深いと思ったのが、この絵です。
なんと、織田信長が、相撲を見物している絵です。
ちなみに、信長も密かに、「天照派」のグループだったようです。
他にも、面白そうな名前の神社や寺などを、ぶらぶらまわりました。
ここから、車でちょっと行った所に、「二上山」があります。
そして、その山の登山口には、「二上神社」がありました。
名前からして、「イザナギ」と「イザナミ」の二柱の神様を祀っていると思いました。
広い境内です。
いろいろな説明も書かれていました。
興味深いですね。
拝殿には、「龍」の絵が飾られていました。
五本指なので、中国の龍ですね。
やはり、ここも、「天照派」の拠点だったみたいです。
「三つ巴」、それから、「日食」を意味する、「日」と「月」のシンボルがありました。
ここらから近くにある、「たなばた神社」という神社にも行きました。
「彦星の木」と「織姫の木」がありました。
「イザナギ」と「イザナミ」ですね。
「滝君」と「三葉」でもありますね。
「笛吹神社」という神社にも、立ち寄りました。
正式には、「葛木坐火雷神社」といいます。
旧忍海郡14ヶ村の総鎮守社という説明がありました。
「海を忍んで渡った」という意味ですね。
正式には、「葛木坐火雷神社」といいます。
「雷」の文字は、「イザナギ」と「イザナミ」の長男だった、「別雷命」の名前と関係していると思います。
ネットで調べると、「旧忍海郡14ヶ村の総鎮守社」という説明がありました。
「海を忍んで渡った」という意味ですね。
おそらく、「補陀落渡海」の作戦会議の場でもあったのだと思います。
さらに調べると、「旧忍海郡14ヶ村の総鎮守社」という説明がありました。
意味深ですね。
「海から人目を忍んで渡った」という意味ですね。
おそらく、「補陀落渡海」の作戦会議の場でもあったのだと思います。
ここから、車でちょっと走った所に、この名前の駅もありました。
境内は、広いのですが、あまり説明書きがありません。
いきなり行っても、この神社の意味は、わからないだろうと思います。
「三つの祠」が並んでいたりして、所々に、「天照派」の痕跡も残っていました。
「三つの祠」は、「三つ巴」を暗示しているようです。
ここから、車でちょっと行った所に、「鴨都波神社」もあります。
詳しいことは、省略しますが、「鴨」は、「イザナギ」と「イザナミ」の生んだ38人の子供たちと、その子孫の意味だそうです。
つまり、「天照派」のことです。
だから、この名前は、
「鴨(天照派)の人々、つまり、都(三八子)の子孫が、波を越えてやってきた所」
こうなるのです。
「補陀落渡海」の意味なのです。
拝殿です。
「拝殿に向かって90度の所に、本当の御神体がある」
とも言われています。
そこには、三つの祠がありました。
そして、これです!
裏側から見たほうが、よくわかると思います。
ハイ!
「補陀落渡海の小舟」ですね。
黒い石なのは、「黒潮」の意味だと思います。
奈良県御所市にある、「葛城一言主神社」という神社にも、立ち寄りました。
ここは、以前から、
「面白い名前の神社もあるんだな…、どういう意味だろう?」
と思って、気になっていた所です。
調べてみると、
「いいことも、悪いことも、全てのことを、一言で言いきってしまう神様のいた所」
こういう説明をされています。
これでは、何がなんだか、わかりませんね。
もう少し詳しく説明しているサイトを読むと、「古事記」に登場する話だそうです。
雄略天皇が、葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が、向かいの尾根を歩いているのを見附けた。
雄略天皇が、名を問うと、
「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」
と答えた。
天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて、一言主神に差し上げた。
一言主神は、それを受け取り、天皇の一行を見送ったとある。
これも、よくわからない話です。
古文書などが、読んでいても、あまり面白くなく、ほとんどの人が、興味をもてないのは、このように、言いたいことが、ハッキリと書かれていなくて、本当の意味がわかりにくいからだと思います。
理由は、書いた人たちが、いろいろな事情で、当時の権力者に、その真意を知られたくなくて、暗号のようにして、真意を隠したのだと思います。
だとしたら、「一言主」の意味は、何でしょうか?
「おそらく、結論は、とてもシンプルな意味なんだろうな? 本当に本当は、何が言いたいのかな?」
こう思いながら、境内を歩き回り、その暗号を解こうとしました。
参道には、祠がありました。
この祠に、一応、「三つ巴」のマークがあったので、「天照派」の拠点だったらしいことは、わかりました。
階段を登っていきました。
拝殿です。
掲げられている文字です。
二体の像がありました。
この二人は、「イザナギ」と「イザナミ」なんじゃないかな?
境内を歩きながら、いろいろな可能性を考えたのですが、なかなか、その意味がわかりませんでした。
途方に暮れて、
「やっぱり、わからない…、まあ、いつの日か、この謎が解ける日もくるだろう…」
こう思いながら、半分諦めて、神社から出ようとした時に、入口の鳥居の文字を、もう一度見てみました。
草書体のように、文字が、少し崩して書かれていました。
これを見て、ようやく、この神様の本当の意味が、わかりました。
「一言」
この崩された文字を、もう一度、細かく見てください。
「一」
「二」
「三」
ちょっとわかりずらいけど、「一ニ三」の文字が暗号のように、入っていたのです。
「一言」=「一ニ三」
こうなるのです。
ハイ!
「一二三(ひふみ)神示」=「日月(ひつき)神示」
でしたね。
そうです。
「一言主」=「一二三主」=「日月主」
こうなるのです。
つまり、
「日月(天照派)の主(リーダー)が、拠点にしていた場所」
これが、この神社の意味だったのです。
昔、ここでも、「天照大神」に象徴されるような、「愛と平和のグループ」である、「天照派」が、「補陀落渡海」の作戦会議をやっていたのだと思います。
いやー、面白いですね!
次回から、この旅行記も、いよいよ佳境に入ります。
そろそろ、秘密の扉を開けていきましょう。
今回の旅では、二つの扉を開けます。
まずは、一つ目の扉を開けますね。
ギッ、ギギギギ…
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