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天照シークレットツアー 9 かごめかごめ

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何回も書いているように、古代において、日本は、

 
「天照派」 VS 「神武派」
 
だったのですが、さらに詳しい内訳は、
 
「天照派(穏健派)」=「南朝」=「奈良」=「後醍醐天皇」
 
「神武派(武闘派)」=「北朝」==「京都」=「光明天皇」
 
こういう構造だったようです。
単純にまとめると、こうなります。
 
しかし、実際の世の中は、もっと複雑だったようです。
 
調べてみると、もともと、「南朝」と「北朝」というのは、日本において、権力者同士の争いであって、下っ端の武士や庶民などは、普段の日常では、あまり、敵対していなかったという記録も残ってるそうです。
普段は、庶民同志は、一緒に、同じ銭湯や温泉に入ることも、あったようです。
このあたりが外国と違い、日本的ですね。
 
現代でも、選挙の時以外は、違う政党支持者たちも、同じ会社の同僚であれば、一緒にランチを食べたりしますね。
そういうかんじだったのかもしれません。
 
私たちは、いつの間にか物事を、
 
「白か? 黒か?」
 
という極論で考える癖が、できているようです。
 
実際の世の中は、たくさんの色が、千変万化に変化したり、状況によって、いくつかが混じったりするのです。
とても複雑で、単純に分けられるものではないのです。
 
 
東日本においては、「天照派」と「神武派」は、仲よくやっていたのかもしれません。
 
理由はわかりませんが、もしかしたら、
 
「東日本まで来て、喧嘩したり、争うのは、もうやめようよ」
 
こういう話をして、和解したのかもしれません。
 
 
現在の天皇家は、もともとは、陛下は、「北朝(神武派)」で、皇后さまは、「南朝(天照派)」だったという噂も聞いたことがあります。
でも、これは、どこまで本当なのかは、わかりません。
いずれにしろ、現代では、この二つのグループは、融合して一つになっていると思います。
 
 
大陸と違い、島国である日本という国は、このように、なんでも、融合してしまうような懐の深さをもっているようです。
 
大陸の戦争が、負けた側は、皆殺しか、永遠に奴隷にされるのに比べて、日本などの島国では、負けても、それほど酷い仕打ちをされないのが、歴史の流れで、わかります。
 
たとえば、関ケ原の合戦で、負けた側も、皆殺しにはされていません。
江戸時代になってからは、譜代大名や外様大名にされ、参勤交代で嫌がらせをされたくらいです。
 
アメリカなどの大陸では、嫌な相手とは、距離をとり、価値観の同じグループだけで、暮らすこともできますが、日本のような小さな島国で、それをやろうとしたら、お互いに海に、ポチャンと落ちてしまいます。(笑)
 
 
 
 
先月、千葉県銚子市に再度行ってきました。
やはり、ここが、東日本における、「補陀落渡海」の重要な場所の一つだからです。
 

現在の千葉県銚子市のあたりから、栃木県日光市まで、古代においては、「香取浦」という大きな湾と無数の川があり、太平洋から、「日光」のあたりまでは、「鬼怒川」を使って、舟で一気に行くことができたようです。

 

これは、1000年前の想像図だそうです。

 

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犬吠埼灯台の近くの海岸を散歩しました。
綺麗な景色が広がっています。
 
 
 

今回は、銚子市の「満願寺」というお寺に行ってきました。

 

派手な山門です。

世間的には、この外観で、「B級スポっと」の扱いをされているそうですが、これも、カムフラージュだと思います。

大切な場所だから、こうやって、あえて茶化して、本質を誤魔化しているのだと思います。

「天照派」は、昔から、こうやって、常に、自らの存在を、目立たないようにするのが特徴なのです。

 

 

 

見てください。

「補陀落山」と書いてありますね。

やはり、この土地にも、「補陀落渡海」の「小舟」が、辿り着いていたのです。

 

 

 

寺の境内には、不動明王の石像もありましたが、その姿をみて感動しました。

明らかに、小舟に1人で乗って、波に漂っていた、「補陀落渡海」の僧を表現しています。

 

 

 

さらに、たくさんのお地蔵さんの石像も置かれていました。

 

 

 

片方が、キッチリ、38人いました。

両方で、76人でした。

これは、人間の38人、それから、各自をサポートしていた神様、38人を表現しているのだと思います。

 

前にいる二人は、両親の「イザナギ」と「イザナミ」だと思います。

 

 

 

 

 

たくさんの「補陀落渡海舟」が、この「利根川」を利用して、
 
「銚子 ⇔ 日光」
 
この間を頻繁に、移動していたと思います。
だから、関東地方においては、この川沿いに、「補陀落渡海」に関係している寺や神社が多いのです。
 
 
ゴールデンウイークの最終日だった、5月6日(日)、導かれるままに、千葉県の野田市に行きました。
そして、「愛宕神社」という神社に呼ばれたような気がしたからです。
この神社も、「利根川」の近くにあります。
 
 
 
境内は広いです。
拝殿の前で、記念撮影しました。
 
 
 
それから、参拝しました。
拝殿の屋根を見てください。
色使いが、不自然じゃないですか?
 
 
 
エメラルドグリーンのような色、それから、くすんだ灰色、この二色の組み合わせは、建物の色としては、あまり美しくなりません。
しかも、よく見ると、瓦の向きが縦と横で、90度違います。
 
 
 
ハイ、すぐに、わかりましたね。
 
これは、南西諸島の屋久島から、太平洋に入ってくる時の海の色の変化を、表現しているのだと思います。
つまり、「黒潮」です。
 
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屋根の窪んでる部分は、「琉球海溝」を表現していると思います。
 

 

 

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ここは、「龍穴」でもあり、ちゃんと、「龍」の彫刻がありました。
 
 
 
この拝殿には、いろいろな木彫りの画が、刻まれていました。
私には、そのほとんどが、「補陀落渡海」を表現していることが、すぐにわかりました。
 
 
 
それらの大半が、「海」に関係する話だということが、わかります。
この場所、千葉県野田市は、海からは、だいぶ離れています。
だから、この拝殿に、「海」に関連する木彫りがあること自体が、不自然なのです。
 
 
 
これは、海からやって来た1羽の鳥を、3羽の鳥が、砂浜で出迎えている場面です。
「トリ」というのは、昔は、「囚人」の意味もあったそうです。
 
 
 
一匹の魚を、4人の人々が、獲っている場面です。
おそらく、この魚も、補陀落渡海舟の僧だと思います。
砂浜での救出を、このように暗喩しているのでしょう。
 
 
 
これは、おそらく、奈良県の「松尾寺」の参謀本部のような所で、補陀落渡海の計画を、3人がやっている場面だと思います。
右下に描かれている「亀」は、「アカウミガメ」だと思います。
これから、「黒潮」に乗って、太平洋に出ていこうとしていますね。
 
 
 
「アカウミガメ」の子供です。
 
image
 
 
この二つの彫刻も、そうだと思います。
机に座っているのは、おそらく、総司令官の「聖徳太子」だと思います。
やはり、下には、「亀」がいますね。

 

 

 

これも、そうですね。

 

 

 

「黒潮=龍神」の意味だと思います。

 

 

 

これを、見てください!

この彫刻が、一番驚きました。

 

籠の中から、ニワトリを出した場面だと思います。

籠に穴が空いていますね。

この助け出された「トリ」も、「囚人」であり、補陀落渡海僧だと思います。

 

 

 

 

拝殿の裏側に、小さな小山のような場所があります。

 

 

 

これらは、富士山の岩が使われている富士塚だと思いますが、「小舟」の石碑が、たくさん建てられていることから、私には、

 

「黒潮の海の中を、小舟が漂っている場面」

 

これを、表現しているように見えました。

 

この石碑には、「不動明王」の姿が刻まれていました。

 

 

 

千葉県銚子市の「満願寺」と同じですね。

 

 

 

その隣には、この石碑が建っていました。

 

 

 

この石碑を見て、

 

「うわ~!」

 

と声を上げました。

 

「松尾大神」

 

なんと、この名前が、刻まれているではありませんか~!

この神社が、明らかに、奈良県の「松尾寺」と関係している証拠ですね。

 

 

 

記念撮影しました。

 

 

 

 

境内には、「大鳥神社」と書かれた摂社もあり、祠が建っていました。

 

 

 

わかりましたね。

「大鳥」とは、「オオトリ」の意味を含んでいます。

 

 

 

ご存知のように、「トリ」は、寄席で最後に出演する人をいう寄席用語です。

「真打」とも言いますね。

 


ネットで調べてみました。

だいたい、こういう説明でした。

 

語源は、「取り」で、最後の演者がギャラをまとめて受け取り、出演する芸人達に分配することから生まれた言葉。
現在では、ギャラの受け取りに関係なく、最後の演者をいい、寄席以外でも用いられている。

「大トリ」も、最後の出演者を意味しますが、最後の出演者が、二組以上いる際に使われる言葉で、寄席では使われない。

どういう場面で、使われるかというと、たとえば、「NHKの紅白歌合戦」では、「紅組で最後となる出演者」、それから、「白組で最後となる出演者」がいるため、紅白のそれぞれに、「トリ」が存在する。

そのどちらか一方が、番組としての最後の出演者で、最後の中でも最後になることから、「大」を冠して「大トリ」と呼ぶようになった。

 

 

だから、この「大鳥神社」は、

 

「日本という国にとって、最重要になる人物が、最後に来た所」

 

だということです。

 

その人物とは、誰でしょうか?

「補陀落渡海」の僧だと思いますが、その中でも、最重要人物だったと思います。

 

想像を拡大して、空想してみました。

もしかしたら、「補陀落渡海」を計画した、最高司令官の「聖徳太子」、その本人が、ここへ直々に、「小舟」でやってきたのかもしれません。

こうやって、空想していたら、またワクワクしてきました。

 

 

 

その祠の近くには、明らかに、「補陀落渡海」だと思われる、一人の僧が描かれた石が置かれていました。

 

 

 

感動しますね。

 

 

 

さらに、この近くには、井戸もありました。

おそらく、昔、ここにあった池の真水で、小舟から出たばかりで、ビショビショに濡れた身体を、洗ったのだと思います。

 

 

 

そして、その近くに、倒された石碑が、なぜか横たわっていたのです。

下から、ボキンと折られたようです。

 

 

 

どうやら、何かの理由で、この石碑を見られたくない人たちが、横たえたのだと思います。

 

この文字を見て、またまた、

 

「うわ~~!!」

 

と大声で叫んでしまいました。

 

写真では、わかりにくと思いますが、

 

「聖徳皇太子碑」

 

こう刻まれているのです。

 

 

 

 

やはり、この神社は、元々は、「聖徳太子」が、本当の主祭神だったのです。

大感動でした~!

 

 

「利根川」から近い所にある、「愛宕神社」には、「補陀落渡海」の全てがあったのです!

 

「黒潮」

「小舟」

「僧」

「トリ」

「亀」

「松尾神社」

「三つ巴」

「聖徳太子」

 

どうですか?

これだけの「オールスター」が集まっているのが、この神社なのです。

凄い神社だったのですね~!

 

 

 

この神社の隣には、「西光寺」というお寺もあります。

 

「西日本からやって来た光使者である僧たち」

 

という意味ですね。

 

 

 

瓦には、「向日葵」の模様が彫られていました。

「葵祭」のシンボル、「葵」ですね。

 

 

 

 

 

そして、「愛宕神社」と「西光寺」の二つの間に、小さな祠がありました。

 

 

 

ここに刻まれている、この絵を見てください!

上の穴から、一匹の亀が、出てきている様子だと思います。

ツルリと、滑り落ちているように見えますね。

 

 

 

わかりましたね?

静岡県の「久能山東照宮」にあった、「司馬温公の甕割り」と同じ場面ですね。

 

浜辺に打ち上げられた小舟から、一人の僧を、二人の仲間が救出している場面です。

中国風の服装や髪形は、カムフラージュです。

この髪形は、「二本角」、つまり、「鬼=大丹生=天皇家」を表現しています。

 

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そうなのです!

この絵が、正真正銘、本当の「かごめかごめ」の唄の意味だったのです!

 

「亀=補陀落渡海僧」

 

こういう意味だったのです!

 

この唄は、星の数ほどの解釈がありますが、私には、「補陀落渡海」を説明した唄だと思った方が、腑に落ちるのです。

 

 

 

 

「愛宕神社」から、一駅くらいの場所に、なんと、「かごめかごめ」の発祥の地があります。

場所は、東武野田線の「清水公園駅」の前で、「かごめの唄の碑」として、建立されています。

 

 

 

 

 

日本中で、歌われていますが、各地方によって、若干歌詞が違ったり、漢字や解釈が違ったりするみたいですね。

一番、スタンダードな歌詞と漢字は、これでしょう。

 

 

「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った(統べった) 後ろの正面だあれ?」

 

 

いくつかの土地で、違う歌詞があるのですが、私が、これだと思うものを組み合わせて、独自解釈をしてみました。

 

 

「かごめかごめ」 → 「籠目籠目」

 

「籠の中の鳥」 → 「籠の中のトリ(囚人)」 → 「補陀落渡海僧」

 

「夜明けの晩に」 → 「夜明けの番人」 → 「浜辺で待っている仲間」

 

「鶴と亀が滑った」  → 「ツルリと亀が滑った」 「補陀落渡海僧が、籠の中から出てきた」

 

 

すると、こうなります。

 

「籠目籠目、籠の中のトリは いついつ出やる 夜明けの番人 ツルリと亀が滑った 後ろの正面だあれ?」

 

 

具体的に解釈しましょう。

 

 

補陀落渡海舟の棺桶のような箱の中から、一人の僧が、出でこれるのは、いったい、いつ、どこに漂着するのでしょうか? 

漂着場所は、おそらく、どこかの浜辺になると思いますが、そこには、人目を忍んで、仲間の番人たちが待っているでしょう。

そこに着くと、仲間たちが、鶴橋のような道具で、こじ開けて、その僧を中から出してくれるでしょう。

その時には、箱の中に溜まっていた海水で、足元が滑れないように、気をつけながら、ゆっくり、小舟から降りた方がいいですよ。

その箱の内側には、補陀落渡海僧であり、天照派の天皇家の人が隠れていますよ。

 

 

どうですか?

見事にまとまったのではないでしょうか?

 

もちろん、他の説や解釈も、正しいと思いますが、私は、いろいろ調査した結果、こういう解釈に辿り着きました。

 

 

 

ふーっ!

「天照シークレットツアー」、これで終了です。

どうでしたか?

一緒に、知の冒険、楽しんでもらえましたか?

 

旅行記の冒頭でも書きましたが、今回の旅行の最終地になった、この「愛宕神社」で、「補陀落渡海」については、ほぼ調査を終えたような気がしました。

 

この地が、このテーマの卒業式の会場になったようです。

 

しかし、これで終わりではなく、なんと、まったく別次元の凄い気づきを、ここで、またメッセージとしてもらったのです。

 

 

そのせいもあり、その後に、丹後地方と若狭湾のあたりにも調査に行き、そこでも、とてつもない史実を大発見しました。

凄いミラクルな出来事も、起こりました。

これについても、来月あたりに、新しい旅行記にまとめてみようと思っています。

 

 

 

 

 

では、いつものように、最後の一言で、締めくくりますね。

 

 

かごめ かごめ
かごのなかのとりは いついつでやる
よあけのばんに つるとかめがすべった
うしろのしょうめん だあれ

 

こたえ → 天皇家(天照派)

 

 

 

 

 

 

 

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