最終日は、十和田湖周辺を、散策しました。
「津軽古代王国」は、おそらく、この十和田湖の南のあたりまでが、勢力範囲だったと思います。
青森県だけでなく、秋田県や岩手県の北のあたりまで、勢力が広がっていた痕跡が、残っているのです。
1992年くらいに、初めて、この十和田湖を訪れたのですが、それから、一度も訪問しなかったので、実に、23年ぶりの再訪になりました。
以前に、「バシャール編」でも、書いたのですが、1992年に来た時は、夜中だったのですが、UFOを呼んでいたら、いきなり、真っ黒い車が、どこからともなく現れて、黒いコート、黒い帽子、黒いサングラスという二人組に、一晩中追跡されるという体験をしたので、なんとなく、行きにくくなったのです。
SF映画にもなった、いわゆる、「MIB(メン・イン・ブラック)」ですね。
ただ、2006年に、ある人物に出会い、「MIB」が、それほど悪いグループではなく、ある意味、親切心からの行動が多いという話を聞いて、安心しました。
今回の旅行で、十和田湖周辺には、どうしても、行きたかった場所がありました。
「迷ヶ平(まよがたい)」
という場所です。
ここは、有名な観光地でも、なんでもありません。
ただし、いくつかの古い記録に、
「この場所に、聖書にでてくる、アダムとイブ(エバ)が住んでいたエデンの園があった」
という記述があるという話を聞いて、とても興味をもったのです。
「日本に、エデンの園があったかもしれないって、面白そう!」
と、ワクワクしました。
「エデンの園」は、いろいろな書物で、様々な解釈がありますが、ミルトンの「失楽園」では、「ルシファー」という存在が、アダムとイブに、リンゴを食べさせて、知恵を授け、その後、二人は、その場所を、追い出されるというような内容になっているようです。
私は、ルシファーが、知恵を授けたのは、どちらかというと、良いことだと思っています。
無知でバカでいるよりも、知恵があって、賢くなったほうが、いいと思うからです。(笑)
行ってみると、近くには、日本最古のピラミッドとも言われている、「十和利山」も、近くにある、素晴らしいパワースポットでした。
十和利山です。
緑がいっぱいで、癒されます。
現在は、キャンプ場になっているようですが、細い道が続いているだけで、特に何もありません。
車で、ちょっと行った場所に、公園のような所がありますが、ここのエネルギーは、特に素晴らしかったです。
ここに立っているだけで、全身が、強力なエネルギーで浄化されているのが、わかりました。
まだ、桜の花も咲いていました。
散歩するコースもあります。
いろいろまわって、私は、個人的には、神聖なエネルギーも感じたので、ここが、特別な場所だということは、確信しました。
しかし、ここが、確実に「エデンの園」だったという証拠や根拠が、いまひとつ弱いのです。
私個人は、エネルギーを感じて、ある程度、納得したのですが、「エデンの園」の話を、ブログやメルマガに書いたり、一般の人にも、わかりやすく話そうと思っても、この証拠や根拠が薄いと、説得力がないのです。
歴史的に、とても重要な場所だった所というのは、地名なり、建造物などに、何らかの痕跡が、残っているものなのです。
絶対に、誰かが、その事実を引き継ぐものなのです。
そして、絶妙のタイミングで、世の中に、その情報が、広がるのです。
状況証拠的な痕跡としては、やはり、「十和利山」が、近くにあることでしょう。
これだけの巨大なピラミッドがあるからには、ここが、太古の昔に、最重要地点だったことは、確実です。
他にも、ピラミッドらしき山が、いくつもあります。
「十和田湖」も、すぐ近くにあります。
しかし、私は、
「ここが、エデンの園だった」
という痕跡を、ちょっとでもいいから、見つけたかったのです。
車で、しばらく走った場所に、「キリストの墓」があるので、キリスト教にも、深い関係のある場所であったことも、確実です。
「エデンの園」の根拠を、地元の人に聞くと、昔から方言で、父親を、「アダ」と呼び、母親を、「アバ」と呼ぶことからも、そうだと信じられているそうです。
なるほど、これは、ちょっと関係していそうですね。
でも、偶然、そうなったのかもしれません。
「どうして、迷ヶ平という名前なんですかね?」
と、地元の友人に訊ねると、
「昔から、ここは、山菜とりなどで来た人たちが、よく道に迷うということで、有名だったみたいです。だから、その地名がついたんじゃないですかね?」
と言われました。
「人が迷う平原という意味か… あんまり、エデンの園とは、関係なさそうだな…」
ますます、思考が迷路に入ってしまい、私の頭の中で、いろいろな迷いが出てきました。
「だから、迷ヶ平なのかな…?」
なんて、思ってしまいました。(笑)
気持ちを切り替えるために、十和田湖の周辺を、友人たちと車でまわり、食事もしました。
パワースポットの食事は、土地の良いエネルギーが入っているせいか、とても美味しいです。
十和田湖です。
小さな半島みたいのが、見えました。
これは、竜やヘビ、もしくは、亀の頭にも見えました。
奥入瀬渓流のあたりを、ドライブしながら、帰りました。
素晴らしい景色でした。
しかし、頭の中で、「エデンの園」のことが、気になってしょうがありませんでした。
その時に、大学時代に読んだ本のことを、思い出しました。
もう、だいぶ前なので、詳しい内容は、覚えていないのですが、栗本慎一郎さんの著書、「縄文式頭脳革命」というタイトルでした。
この本の中に、
「脳を、集中状態にして、アルファ派を出しているような状態の時に、素晴らしいアイデアが、浮かぶことが多い。しかし、そのアイデアには、特徴があり、とても掘り下げられて深いのだが、視野が狭いことが多い。そこで、次の段階として、今度は、その思い浮かんだアイデアを、朝起きたばかりのウトウトしている意識状態の時に、再度、放り込んでみる。この時は、脳波が、自然に、シータ派になっているのだが、この時に、潜在意識が、そのアイデアを、多角的に捉え、欠けている視点を、教えてくれる」
というようなことが、書いてあったことを、思い出しました。
簡単に言うと、
「集中してアイデアを出したら、その後、リラックスして、再度広い角度から、それを、眺めてみなさい。そうすれば、もっと広がったアイデアが、出てきますよ」
ということです。
そこで、友人が運転している隣の助手席で、意識を半分くらいに保ちながら、ウトウトと居眠りをしました。
すると、不思議なビジョンが、浮かんできたのです。
「光」
が、暗闇の中から、最初に、ポツンとでてきました。
それから、そのボンヤリした光が、だんだん形になってくるのですが、なぜか、八方向に、光っているのです。
「※」
こんなかんじです。
それから、さらに、その八方向に広がっている光は、しばらくすると、
「米」
という漢字になったのです。
「米だって? どうして、米が出てくるの?」
不思議に思っていたら、次は、
「蛇」
が、出てきました。
それから、また、その蛇が、だんだん文字のような形になってきたのですが、最後には、
「之」
という漢字がでてきたのです。
「道」や「辻」などの漢字の下にある部首ですね。
「しんにょう」と呼ばれていますね。
「この二つの文字は、何だろう?」
こう思った時に、
「米」と「之」
の意味が、わかりました。
合わせると、
「迷」
という文字だったのです。
「わかったー! 光の天使でもあり、ヘビの姿をしていたルシファーの意味だ!」
全てが、繋がりました。
「エデンの園で、光である知恵を、リンゴの実に込めて、ヘビの姿で、登場したルシファーが、教えてくれたんだー! そういえば、人間は、知恵が生まれてから、迷いが生まれたんだ。知恵と迷いは、ワンセットだったんだ! 日本の漢字の中に、全ての謎が、隠されていたんだ!」
これに気がついて、飛び上るほど、嬉しくなりました。
さらに、
「岩」
も、ビジョンで出てきました。
しかも、その岩に、扉があって、開いたのです。
これは、すぐに、わかりました。
以前に、
「平」
という文字が、
「一(い)」、「八(わ)」、「十(と)」
の三つの文字から構成された漢字で、合わせると、
「いわと」
つまり、
「岩戸」
になるということを、知っていたからです。
「平」という文字は、「岩戸」の意味も、含んでいるのです。
現在の「平成」という時代は、
「岩戸開きが成る時代」
という意味らしいですね。
まとめますね。
「迷ヶ平」
という場所は、
「光の天使であり、蛇の姿をしたルシファーが、人間に、リンゴの実を与え、光である知恵を授けた所である。そこから、人間に、迷いが生まれたが、それは、同時に、それまで、囲い込まれていた、エデンの園という狭い場所から、外に出るキッカケにもなった。アダムとイブにとっては、それが、自立するキッカケにもなり、岩戸開きでもあった」
ということです。
これを、強引なコジツケという捉え方もできますが、私的には、すんなりと、腑に落ちました。
おそらく、ルシファーという存在が、誰かを使って、メッセージを送り、この土地に、この名前を付けたのだと思います。
そうじゃなかったら、ここまで、文字の意味が繋がりません。
「迷ヶ平」という地名の中に、全ての意味が、込められていたのです。
確実な証拠ではありませんが、やはり、この土地は、「エデンの園」とは、何か深い関係がありそうだということを、強く感じました。
高校の頃に、難しい数学の問題を、数日間かけて、ようやく解いた時の快感のようなものを、久しぶりに感じました。
「今回の旅は、迷ヶ平の謎が、解けるまでは、帰らないぞ!」
くらいの気持ちだったのですが、ようやく肩の荷が下りた感じがしました。
あとから、調べてみると、「エデンの園」の「エデン」は、シュメール・アッカド語で、「平地」という意味もあるそうですね。
もともとの語源も、「平な土地」という意味だったみたいですね。
エデンの園での、アダムとイブ、そして、ルシファーです。
「迷ヶ平」の「エデンの園」にも、諸説あって、もともと、聖書の記述にある場所だという説もあれば、日本に来た、イエス・キリストが、この場所に、理想のパラダイスをつくりたいと思って、キリストが、つくったという話もあるそうです。
さらに、アダムとイブは、二人だったのではなく、比率は、わかりませんが、合わせて、180人いたという説もあるそうです。
こういう話も、また、いろいろな想像が膨らんで、楽しいです。
エデンの園の別の絵です。
上空に浮かんでいるのは、UFOの母船かな?
十和田湖周辺は、緑が多く、「木洩れ日」が、綺麗でした。
この「十和田」という名前の「十」は、「キリスト」の意味もあるそうですが、「陰陽」の意味もあるようです。
「光」と「影」が、複雑に交差する空間ですね。
昔から、日本人というのは、成熟した社会を、築いてきた民族なのです。
成熟した社会というのは、物事の複雑さを、たくさんの人が、理解している社会ということです。
特に、縄文時代は、そうだったと思います。
それは、山や川などの自然に、囲まれた環境で、育ってきたことが、大きいようです。
現在、世界を動かしている欧米諸国の発想の根幹には、「ユダヤ教」や「キリスト教」、そして、「イスラム教」がありますが、これらは、「砂漠の土地」で、生まれた思想です。
「砂漠」というのは、そこに住む人たちの価値観を、単純な「二元論」にしやすい環境だそうです。
「昼か? 夜か?」
「暑いか? 寒いか?」
「光か? 影か?」
砂漠や洞窟で生活していると、こういう発想に、なりやすいそうです。
必然的に物事を、
「YESか? NOか?」
というような、
「白か? 黒か?」
で決めるような姿勢に、なってくるようです。
これは、喧嘩や対立が起きやすい意識状態になりやすいです。
宗教観も、空を見上げる機会が多いので、神が、上から見ているような気がするのだそうです。
こういう環境から、
「神が、人間を罰する」
という発想も、でてくるようです。
日本のように、大昔から、人々の住む場所に、樹木が茂り、木々で、空が覆われている環境で暮らすと、必然的に目線が、花や草木、石、川などに、向かうために、神々が、自然の中に宿っているという宗教観や世界観に、なるようです。
「八百万の神」という表現も、こういう環境から、出てくる発想みたいです。
「草花や石などの全ての自然物に、精霊が、宿っている」
という感覚ですね。
さらに、普段の生活空間が、木々で覆われているので、太陽光が、ハッキリと分かれないという環境で、生活することになります。
特に、朝日や夕日が、照っている時は、
「昼なのか、夜なのか、よくわからない」
という状況になるのです。
「木洩れ日」ですね。
木々の枝葉の間から、洩れてくる日光が、日本人の発想や価値観の根本じゃないかと、私は、考えています。
「光なのか影なのか、よくわからない」
という曖昧さが、日本人の価値観の象徴のような気がするのです。
これは、魂の成熟さも表していますが、やさしさや穏やかさでもあるのです。
人間は、山や川などの豊かな自然の中で暮らすと、このように、世界観や宗教観が、やさしくなる傾向があるようです。
もしかしたら、昔、日本に来たキリストは、十和田湖周辺にある、このような自然環境を気にって、
「心のやさしい人たちだけの楽園を、ここにつくりたい…」
と思ったのかもしれません。
そういう土地が、この「迷ヶ平」であり、日本の「エデンの園」だったのかもしれません。
「津軽古代王国ツアー」は、今回で、最後です。
いかがでしたか?
この旅を、一緒に楽しんでもらえたら、嬉しいです。
これからの時代は、心の豊かさが、価値をもってくると思います。
どんなに、お金を持っていても、心が豊かでないと、世の中の豊かさを、感じられないのです。
逆に、それほどお金など無くても、心が豊かだったら、とても幸せになれるのです。
私の今回の旅も、旅行費用は、ほとんどかかっていません。
でも、どんな豪華な世界旅行でも味わえない感動が、たくさんありました。
今年は、こういう旅を、たくさんやりたいと思っています。
もしかしたら、読者の皆さんと一緒にまわるツアーも、企画するかもしれません。
その時は、ぜひ、不思議な話をしながら、いろいろまわりましょう。
最後に、旅先で出会った全ての方に、感謝と愛をおくります。
それから、すでにお亡くなりになっていた、佐藤有文さんにも、スペシャルサンクスです。
去年の秋に、八戸市で、佐藤さんの本と出会わなかったら、こんな素敵な旅は、体験できなかったと思います。
本当に、ありがとうございました。
あと、今回の旅では、特に、ルシファーという存在に、導かれていたような気がします。
ルシファーにも、感謝です。
「星めぐりの歌」
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
by 宮沢賢治
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「津軽古代王国」は、おそらく、この十和田湖の南のあたりまでが、勢力範囲だったと思います。
青森県だけでなく、秋田県や岩手県の北のあたりまで、勢力が広がっていた痕跡が、残っているのです。
1992年くらいに、初めて、この十和田湖を訪れたのですが、それから、一度も訪問しなかったので、実に、23年ぶりの再訪になりました。
以前に、「バシャール編」でも、書いたのですが、1992年に来た時は、夜中だったのですが、UFOを呼んでいたら、いきなり、真っ黒い車が、どこからともなく現れて、黒いコート、黒い帽子、黒いサングラスという二人組に、一晩中追跡されるという体験をしたので、なんとなく、行きにくくなったのです。
SF映画にもなった、いわゆる、「MIB(メン・イン・ブラック)」ですね。
ただ、2006年に、ある人物に出会い、「MIB」が、それほど悪いグループではなく、ある意味、親切心からの行動が多いという話を聞いて、安心しました。
今回の旅行で、十和田湖周辺には、どうしても、行きたかった場所がありました。
「迷ヶ平(まよがたい)」
という場所です。
ここは、有名な観光地でも、なんでもありません。
ただし、いくつかの古い記録に、
「この場所に、聖書にでてくる、アダムとイブ(エバ)が住んでいたエデンの園があった」
という記述があるという話を聞いて、とても興味をもったのです。
「日本に、エデンの園があったかもしれないって、面白そう!」
と、ワクワクしました。
「エデンの園」は、いろいろな書物で、様々な解釈がありますが、ミルトンの「失楽園」では、「ルシファー」という存在が、アダムとイブに、リンゴを食べさせて、知恵を授け、その後、二人は、その場所を、追い出されるというような内容になっているようです。
私は、ルシファーが、知恵を授けたのは、どちらかというと、良いことだと思っています。
無知でバカでいるよりも、知恵があって、賢くなったほうが、いいと思うからです。(笑)
行ってみると、近くには、日本最古のピラミッドとも言われている、「十和利山」も、近くにある、素晴らしいパワースポットでした。
十和利山です。
緑がいっぱいで、癒されます。
現在は、キャンプ場になっているようですが、細い道が続いているだけで、特に何もありません。
車で、ちょっと行った場所に、公園のような所がありますが、ここのエネルギーは、特に素晴らしかったです。
ここに立っているだけで、全身が、強力なエネルギーで浄化されているのが、わかりました。
まだ、桜の花も咲いていました。
散歩するコースもあります。
いろいろまわって、私は、個人的には、神聖なエネルギーも感じたので、ここが、特別な場所だということは、確信しました。
しかし、ここが、確実に「エデンの園」だったという証拠や根拠が、いまひとつ弱いのです。
私個人は、エネルギーを感じて、ある程度、納得したのですが、「エデンの園」の話を、ブログやメルマガに書いたり、一般の人にも、わかりやすく話そうと思っても、この証拠や根拠が薄いと、説得力がないのです。
歴史的に、とても重要な場所だった所というのは、地名なり、建造物などに、何らかの痕跡が、残っているものなのです。
絶対に、誰かが、その事実を引き継ぐものなのです。
そして、絶妙のタイミングで、世の中に、その情報が、広がるのです。
状況証拠的な痕跡としては、やはり、「十和利山」が、近くにあることでしょう。
これだけの巨大なピラミッドがあるからには、ここが、太古の昔に、最重要地点だったことは、確実です。
他にも、ピラミッドらしき山が、いくつもあります。
「十和田湖」も、すぐ近くにあります。
しかし、私は、
「ここが、エデンの園だった」
という痕跡を、ちょっとでもいいから、見つけたかったのです。
車で、しばらく走った場所に、「キリストの墓」があるので、キリスト教にも、深い関係のある場所であったことも、確実です。
「エデンの園」の根拠を、地元の人に聞くと、昔から方言で、父親を、「アダ」と呼び、母親を、「アバ」と呼ぶことからも、そうだと信じられているそうです。
なるほど、これは、ちょっと関係していそうですね。
でも、偶然、そうなったのかもしれません。
「どうして、迷ヶ平という名前なんですかね?」
と、地元の友人に訊ねると、
「昔から、ここは、山菜とりなどで来た人たちが、よく道に迷うということで、有名だったみたいです。だから、その地名がついたんじゃないですかね?」
と言われました。
「人が迷う平原という意味か… あんまり、エデンの園とは、関係なさそうだな…」
ますます、思考が迷路に入ってしまい、私の頭の中で、いろいろな迷いが出てきました。
「だから、迷ヶ平なのかな…?」
なんて、思ってしまいました。(笑)
気持ちを切り替えるために、十和田湖の周辺を、友人たちと車でまわり、食事もしました。
パワースポットの食事は、土地の良いエネルギーが入っているせいか、とても美味しいです。
十和田湖です。
小さな半島みたいのが、見えました。
これは、竜やヘビ、もしくは、亀の頭にも見えました。
奥入瀬渓流のあたりを、ドライブしながら、帰りました。
素晴らしい景色でした。
しかし、頭の中で、「エデンの園」のことが、気になってしょうがありませんでした。
その時に、大学時代に読んだ本のことを、思い出しました。
もう、だいぶ前なので、詳しい内容は、覚えていないのですが、栗本慎一郎さんの著書、「縄文式頭脳革命」というタイトルでした。
この本の中に、
「脳を、集中状態にして、アルファ派を出しているような状態の時に、素晴らしいアイデアが、浮かぶことが多い。しかし、そのアイデアには、特徴があり、とても掘り下げられて深いのだが、視野が狭いことが多い。そこで、次の段階として、今度は、その思い浮かんだアイデアを、朝起きたばかりのウトウトしている意識状態の時に、再度、放り込んでみる。この時は、脳波が、自然に、シータ派になっているのだが、この時に、潜在意識が、そのアイデアを、多角的に捉え、欠けている視点を、教えてくれる」
というようなことが、書いてあったことを、思い出しました。
簡単に言うと、
「集中してアイデアを出したら、その後、リラックスして、再度広い角度から、それを、眺めてみなさい。そうすれば、もっと広がったアイデアが、出てきますよ」
ということです。
そこで、友人が運転している隣の助手席で、意識を半分くらいに保ちながら、ウトウトと居眠りをしました。
すると、不思議なビジョンが、浮かんできたのです。
「光」
が、暗闇の中から、最初に、ポツンとでてきました。
それから、そのボンヤリした光が、だんだん形になってくるのですが、なぜか、八方向に、光っているのです。
「※」
こんなかんじです。
それから、さらに、その八方向に広がっている光は、しばらくすると、
「米」
という漢字になったのです。
「米だって? どうして、米が出てくるの?」
不思議に思っていたら、次は、
「蛇」
が、出てきました。
それから、また、その蛇が、だんだん文字のような形になってきたのですが、最後には、
「之」
という漢字がでてきたのです。
「道」や「辻」などの漢字の下にある部首ですね。
「しんにょう」と呼ばれていますね。
「この二つの文字は、何だろう?」
こう思った時に、
「米」と「之」
の意味が、わかりました。
合わせると、
「迷」
という文字だったのです。
「わかったー! 光の天使でもあり、ヘビの姿をしていたルシファーの意味だ!」
全てが、繋がりました。
「エデンの園で、光である知恵を、リンゴの実に込めて、ヘビの姿で、登場したルシファーが、教えてくれたんだー! そういえば、人間は、知恵が生まれてから、迷いが生まれたんだ。知恵と迷いは、ワンセットだったんだ! 日本の漢字の中に、全ての謎が、隠されていたんだ!」
これに気がついて、飛び上るほど、嬉しくなりました。
さらに、
「岩」
も、ビジョンで出てきました。
しかも、その岩に、扉があって、開いたのです。
これは、すぐに、わかりました。
以前に、
「平」
という文字が、
「一(い)」、「八(わ)」、「十(と)」
の三つの文字から構成された漢字で、合わせると、
「いわと」
つまり、
「岩戸」
になるということを、知っていたからです。
「平」という文字は、「岩戸」の意味も、含んでいるのです。
現在の「平成」という時代は、
「岩戸開きが成る時代」
という意味らしいですね。
まとめますね。
「迷ヶ平」
という場所は、
「光の天使であり、蛇の姿をしたルシファーが、人間に、リンゴの実を与え、光である知恵を授けた所である。そこから、人間に、迷いが生まれたが、それは、同時に、それまで、囲い込まれていた、エデンの園という狭い場所から、外に出るキッカケにもなった。アダムとイブにとっては、それが、自立するキッカケにもなり、岩戸開きでもあった」
ということです。
これを、強引なコジツケという捉え方もできますが、私的には、すんなりと、腑に落ちました。
おそらく、ルシファーという存在が、誰かを使って、メッセージを送り、この土地に、この名前を付けたのだと思います。
そうじゃなかったら、ここまで、文字の意味が繋がりません。
「迷ヶ平」という地名の中に、全ての意味が、込められていたのです。
確実な証拠ではありませんが、やはり、この土地は、「エデンの園」とは、何か深い関係がありそうだということを、強く感じました。
高校の頃に、難しい数学の問題を、数日間かけて、ようやく解いた時の快感のようなものを、久しぶりに感じました。
「今回の旅は、迷ヶ平の謎が、解けるまでは、帰らないぞ!」
くらいの気持ちだったのですが、ようやく肩の荷が下りた感じがしました。
あとから、調べてみると、「エデンの園」の「エデン」は、シュメール・アッカド語で、「平地」という意味もあるそうですね。
もともとの語源も、「平な土地」という意味だったみたいですね。
エデンの園での、アダムとイブ、そして、ルシファーです。
「迷ヶ平」の「エデンの園」にも、諸説あって、もともと、聖書の記述にある場所だという説もあれば、日本に来た、イエス・キリストが、この場所に、理想のパラダイスをつくりたいと思って、キリストが、つくったという話もあるそうです。
さらに、アダムとイブは、二人だったのではなく、比率は、わかりませんが、合わせて、180人いたという説もあるそうです。
こういう話も、また、いろいろな想像が膨らんで、楽しいです。
エデンの園の別の絵です。
上空に浮かんでいるのは、UFOの母船かな?
十和田湖周辺は、緑が多く、「木洩れ日」が、綺麗でした。
この「十和田」という名前の「十」は、「キリスト」の意味もあるそうですが、「陰陽」の意味もあるようです。
「光」と「影」が、複雑に交差する空間ですね。
昔から、日本人というのは、成熟した社会を、築いてきた民族なのです。
成熟した社会というのは、物事の複雑さを、たくさんの人が、理解している社会ということです。
特に、縄文時代は、そうだったと思います。
それは、山や川などの自然に、囲まれた環境で、育ってきたことが、大きいようです。
現在、世界を動かしている欧米諸国の発想の根幹には、「ユダヤ教」や「キリスト教」、そして、「イスラム教」がありますが、これらは、「砂漠の土地」で、生まれた思想です。
「砂漠」というのは、そこに住む人たちの価値観を、単純な「二元論」にしやすい環境だそうです。
「昼か? 夜か?」
「暑いか? 寒いか?」
「光か? 影か?」
砂漠や洞窟で生活していると、こういう発想に、なりやすいそうです。
必然的に物事を、
「YESか? NOか?」
というような、
「白か? 黒か?」
で決めるような姿勢に、なってくるようです。
これは、喧嘩や対立が起きやすい意識状態になりやすいです。
宗教観も、空を見上げる機会が多いので、神が、上から見ているような気がするのだそうです。
こういう環境から、
「神が、人間を罰する」
という発想も、でてくるようです。
日本のように、大昔から、人々の住む場所に、樹木が茂り、木々で、空が覆われている環境で暮らすと、必然的に目線が、花や草木、石、川などに、向かうために、神々が、自然の中に宿っているという宗教観や世界観に、なるようです。
「八百万の神」という表現も、こういう環境から、出てくる発想みたいです。
「草花や石などの全ての自然物に、精霊が、宿っている」
という感覚ですね。
さらに、普段の生活空間が、木々で覆われているので、太陽光が、ハッキリと分かれないという環境で、生活することになります。
特に、朝日や夕日が、照っている時は、
「昼なのか、夜なのか、よくわからない」
という状況になるのです。
「木洩れ日」ですね。
木々の枝葉の間から、洩れてくる日光が、日本人の発想や価値観の根本じゃないかと、私は、考えています。
「光なのか影なのか、よくわからない」
という曖昧さが、日本人の価値観の象徴のような気がするのです。
これは、魂の成熟さも表していますが、やさしさや穏やかさでもあるのです。
人間は、山や川などの豊かな自然の中で暮らすと、このように、世界観や宗教観が、やさしくなる傾向があるようです。
もしかしたら、昔、日本に来たキリストは、十和田湖周辺にある、このような自然環境を気にって、
「心のやさしい人たちだけの楽園を、ここにつくりたい…」
と思ったのかもしれません。
そういう土地が、この「迷ヶ平」であり、日本の「エデンの園」だったのかもしれません。
「津軽古代王国ツアー」は、今回で、最後です。
いかがでしたか?
この旅を、一緒に楽しんでもらえたら、嬉しいです。
これからの時代は、心の豊かさが、価値をもってくると思います。
どんなに、お金を持っていても、心が豊かでないと、世の中の豊かさを、感じられないのです。
逆に、それほどお金など無くても、心が豊かだったら、とても幸せになれるのです。
私の今回の旅も、旅行費用は、ほとんどかかっていません。
でも、どんな豪華な世界旅行でも味わえない感動が、たくさんありました。
今年は、こういう旅を、たくさんやりたいと思っています。
もしかしたら、読者の皆さんと一緒にまわるツアーも、企画するかもしれません。
その時は、ぜひ、不思議な話をしながら、いろいろまわりましょう。
最後に、旅先で出会った全ての方に、感謝と愛をおくります。
それから、すでにお亡くなりになっていた、佐藤有文さんにも、スペシャルサンクスです。
去年の秋に、八戸市で、佐藤さんの本と出会わなかったら、こんな素敵な旅は、体験できなかったと思います。
本当に、ありがとうございました。
あと、今回の旅では、特に、ルシファーという存在に、導かれていたような気がします。
ルシファーにも、感謝です。
「星めぐりの歌」
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
by 宮沢賢治
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