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古代日本パイオニアツアー 5 葵祭

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さて、「これまでのあらすじ」が、大まかで終わったので、そろそろ、旅行記の本番に入りますね。

 

 

「神武派」に代表される、「武闘派」、それから、「天照派」に代表される、「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが、存在していたようです。

 

 

「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。

文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

 

このグループは、前述したように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派」を、弾圧していたようです。

 

 

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。

 
 
一つ目は、「賀毛神社」です。
 
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ここは、現在、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。
 
「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」
 
ということです。
 
 
 
仮の宮という所がありました。
 
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壁から下がっているのは、おそらく、「コンパス」と「定規」の意味だと思います。
 
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ここでも、「新嘗祭」が行われているのですね。
 
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拝殿です。
 
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ここでも参拝しました。
 
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二つ目は、ここです。

 

ここから、すぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。

 

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ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

 

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

 

だそうです。

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の長男と長女の名前、「別雷尊」と「玉依姫」の名前がありますね。

 

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境内の御神木の前で、記念撮影しました。

 

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拝殿で参拝しました。

 

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境内の倉庫のような建物に、この神社で行われる奇祭の絵が、描かれていました。

 

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ここでも、「三つ巴」のシンボルが出てきました。

 

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二人の力士が、組んで闘わずに、同じ方向を向いているのが、絶対平和主義の「天照派」らしいお祭りですね。

 

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余談です。

 

 

去年、奈良県の吉野に行った時に、「吉野神宮」に行ったら、「後醍醐天皇」が、祭神として祭られていました。

 

image

 

 

image

 

 

あとで、調べてみると、最終的には、

 

「奈良」=「天照派」=「南朝」

 

「京都」=「神武派」=「北朝」

 

こうなったそうです。

 

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

 

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということが、わかって、納得しました。

 

 

 

歴史に登場する、「聖徳太子」や「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。

 

「空海」は、うまく助けていたようです。

「天照派」の一部を、四国に逃がして、四国八十ハ箇所に、見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。

 

徳島県美馬市にある、「神明神社」です。

正式には、「磐境神明神社」 というそうです。

ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。

「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。

 

神殿が、独特な形をしていますね。

 

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一方で、「聖徳太子」は、死後に、「天照派」を助けていたことが、「神武派」に、バレてしまい、法隆寺を焼かれたり、子孫を殺されたりしたそうです。

 

 

「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。

たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

 

 

さて、ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。

 

 

こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。

 

もしも、日本の国土に、穏やかなグループである、「天照派」だけが、住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。

 

「神武派」は、まだ、弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が、日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり、虐殺されていたかもしれません。

 

日本にも、「神武派」のような武闘派は、必要だったのです。

 

 

「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。

 

「蛇の道は蛇」

 

「毒を以て毒を制す」

 

こういう諺もありますね。

 

「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。

 

 

だから、私の中では、

 

「神武派」=「ジャイアン」

「天照派」=「のび太」

 

こういう解釈になっています。(笑)

 

 

 

大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。

 

その教授が言っていました。

 

「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」

 

「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。

 

 

つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん、賢く強くなって、権力を握ったいったグループだったのだと思います。

 

一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら、皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。

 

どちらも偏っていたのです。

 

 

 

英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。

つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。

「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。

お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。

 

「競争」という行為自体は、中立なのです。

それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。

 

 

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

 

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、自害するという人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみれば、わかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。

下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

 

そこで、ある時期に、

 

「まあまあ、そんなに、怒るなよ。仲直りしようぜ。そうだ、一緒に、お祭りでもやらないか?」

 

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。

 

 

そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

 
それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。
 
 
そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。
 
そうです。
 
それが、「葵祭」だったのです。
 
日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。
 
 
「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもあわるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。
 
つまり、
 
「向日葵」=「太陽」
 
ということです。
 
「葵祭」というのは、
 
「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」
 
こういう願いを込めた儀式だったそうです。
 
 
 
数年前に、京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「盛砂」とも言うそうです。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。
 
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あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを、表現しているそうです。
 
「これからは、二つのグループは、協力して、仲よくやっていこう!」
 
ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。
 
 
この話、感動しますね。
 
 
 
 
次回に続きます。
 
 

 

 

 

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古代日本パイオニアツアー 6 熊野

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旅行記も、だんだん佳境に近づいてきました。

 

日本史の最大の秘密は、和歌山県の「熊野」にありました。

 

ここは、公共機関の交通を利用して行こうと思うと、とても大変です。

今回は、途中から、レンタカーにしました。

久しぶりの長距離ドライブでしたが、景色が素晴らしかったので、それを楽しみました。

 

 

 

裏の日本史の続きです。

 

 

「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に、仲直りをした話まで、やりましたね。

 

しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。

 

おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも、肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。

 

そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で、閉塞状態になっていたと思います。

 

陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には、見張りがいたと思います。

当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。

 

「神武派」の天皇だった、「天武天皇」は、特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、

 

「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」

 

こういう法律をつくり、乞食の立場に、追いやったそうです。

 

それで、仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで、質素な生活を始めた人々も、多かったようです。

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫たちは、そうやって、虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けれれながら、京都や奈良から、和歌山県の熊野の奥地に、逃げていたようです。

 

 

 

正真正銘の本当の天皇家が、「大丹生(おおにゅう)」と呼ばれていた話を書きましたね。

 

彼らが、隠れて住んでいた場所には、だいたい、「鬼伝説」があります。

 

「この土地には、恐ろしい鬼がいるから、近づくな!」

 

こういう伝説をつくって、一般の人たちを、遠ざけて、身を守っていたのです。

 

「大丹生(おおにゅう)」=「鬼(おに)」

 

だということです。

 

ちなみに、旅行記の最初に書いたシンクロの人物、「出口王仁三郎」の「王仁(おに)」も、ここからの意味みたいです。

 

京都府福知山市の大江町にある、「鬼」の像です。

 

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「熊野」にも、たくさんの「鬼伝説」がありますね。

 

「橋杭岩」です。

 

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「弘法大師」と「天の邪鬼」が、一晩で、大島まで橋を架ける競争をしたが、負けそうになった天邪鬼が、鶏の鳴きまねをして夜が明けたと思わせたため、弘法大師が作業を止め、橋を完成させることなく、杭だけで終わった。

こういう伝説が残っています。

 

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日本には、いくつかの「鬼伝説」の場所があり、そういう土地は、たいてい、「大丹生家」が、ひっそりと住んでいた場所です。

 

普通は、節分で、

 

「鬼は~外! 福は~内!」

 

と叫びながら、豆をまきますが、「大丹生家」が、住んでいた場所では、

 

「鬼は~内! 福も~内!」

 

と叫んだりします。

 

 

 

「熊野」を旅していて感じたのは、「王子」という名前がつく神社が、たくさんあるということです。

 

これは、数年前に、和歌山県を旅したときに立ち寄った、「八王子神社」という神社です。

 

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一般的には、「王子」とは、「熊野権現の御子神」だと、考えられているようです。

 

また、熊野の神々のことを、「熊野権現」と呼ぶそうです。

「権現」とは字義的には、「仮に現われた」ということで、何が仮に現われたのかというと、それは、「仏」なのだそうです。

 

私の解釈では、この場合、正確には、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫である、38人の子供の子孫のことが、「仏」という意味なのだと思います。

 

 

昔から、不思議だったのですが、そもそも、どうして、「熊野」というのでしょうか?

この土地に、たくさんの「熊」が生息している「野山」というわけでも、なさそうです。

 

調べると、元々は、「熊」という文字は、「畏」だったそうです。

 

「畏れ多い」 

 

という表現で使いますね。

 

つまり、「熊野」という土地は、「畏の」という意味で、

 

「畏れ多い神々の住む聖地」

 

という意味だそうです。

納得ですね。

 

おそらく、「熊本」や「熊襲」も、そうだと思います。

 

 

 

「王子神社」というのは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。

それらは、総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。

 

一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。

しかし、、実際、最盛期には、99ヵ所くらいの「王子」と呼ばれる土地があったそうです。

 

各王子では、奉幣(幣を奉る)と経供養(般若心経などを読む)などの儀式が行われて、里神楽や馴子舞、和歌会などの奉納が行なわれることもあったそうです。

 

1.窪津王子
2.坂口王子
3.郡戸王子
4.上野王子
5.阿倍王子
6.津守王子
 (以上、大阪市)
7.堺王子
8.大鳥新王子
 (以上、堺市)
9.篠田王子
10. 平松王子
11. 井ノ口王子
 (以上、和泉市)
12. 池田王子
 (岸和田市)
13. 麻生川王子
14. 近木王子
15. 鞍持王子
 (以上、貝塚市)
16. 鶴原王子
17. 佐野王子
18. 樫井(籾井)王子
 (以上、泉佐野市)
19. 厩戸王子
20. 信達一ノ瀬王子
21. 長岡王子
 (以上、泉南市)
22. 地蔵堂王子
23. 馬目王子
 (以上、阪南市)

ここまで大阪府で、次から和歌山県です。 

24. 中山王子
25. 山口王子
26. 川辺王子
27. 中村王子
28. 吐前(吐崎)王子
29. 川端王子
30. 和佐王子
31. 平緒王子
32. 奈久知王子
 (以上、和歌山市)
33. 松坂王子
34. 松代王子
35. 菩提房王子
36. 藤代王子
 (以上、海南市)
37. 藤白塔下王子
38. 橘本王子
39. 所坂王子
40. 一壷王子
 (以上、下津町)
41. 蕪坂塔下王子
42. 山口王子
43. 糸我王子
 (以上、有田市)
44. 逆川王子
45. 久米崎王子
 (以上、湯浅町)
46. 津兼(井関)王子
47. 河瀬王子
48. 東の馬留王子
 (以上、広川町)
49. 沓掛王子
50. 西の馬留王子
51. 内ノ畑王子
52. 高家王子
53. 小中王子
54. 比井王子
 (以上、日高町)
55. 松原王子
 (美浜町)
56. 善童子王子
57. 愛徳山王子
58. 九海士王子
59. 岩内王子
60. 塩屋王子
61. 上野王子
 (以上、御坊市)
62. 津井(叶)王子
63. 斑鳩(富の川)王子
64. 切目王子
65. 切目中山王子
 (以上、印南町)
66. 岩代王子
67. 千里王子
68. 三鍋王子
 (以上、南部町)

次からいよいよ熊野。

69. 芳養王子
70. 出立王子
71. 秋津王子
72. 万呂王子
73. 三栖王子
 (以上、田辺市)
74. 八上王子
75. 稲葉根王子
76. 一ノ瀬王子
 (以上、上富田町)
77. 鮎川王子
 (大塔村)
78. 滝尻王子
79. 不寝王子
80. 大門王子
81. 十丈王子
82. 大坂本王子
83. 近露王子
84. 比曽原王子
85. 継桜王子
86. 中ノ河王子
87. 小広王子
88. 熊瀬川王子
89. 岩神王子
90. 湯川王子
 (以上、中辺路町)

次から奥熊野。

91. 猪鼻王子
92. 発心門王子
93. 水呑王子
94. 伏拝王子
95. 祓戸王子
96. 湯ノ峯王子
 (以上、本宮町)

97. 浜王子
98. 佐野王子
 (以上、新宮市)
99. 浜の宮王子
100. 市野々王子
101. 多富気王子
 (以上、那智勝浦町)

 

 

ここからは、私の想像です。

 

おそらく、このエリアには、38人の子孫の末裔がいたのだと思います。

そして、99人の王子、つまり、天皇家のリーダーが、99人住んでいたのだと思います。

99のグループに、分かれていたのだと思います。

 

しかし、よくよく考えてみてば、面白い話です。

 

歴史上、いつの時代も、どこの国でも、「王様」は、一人だけです。

そして、「王子様」も、数人くらいしかいなくて、「王様」の椅子を狙って、王子様同士で、喧嘩したり、戦争することになると、だいだい決まっています。

 

また、「王子」という単語も、日本的ではありません。

中国などの大陸での称号ですね。

 

おそらく、「天照派」の人々は、絶対平和主義だったから、そもそも、争わなかったのだと思います。

そして、「王座を狙う」などという椅子取りゲームにも、興味がなかったのだと思います。

 

 

99人も王子様がいたのならば、それから先の時代に、少なくする方向ではなかったと思います。

もっと、もっと多くしようと思っていたと思います。

 

最終的には、99人どころか、999人、9999人、99999人…

こんなかんじで、日本全国、全ての人々が、「王子」の身分になるような国家を目指したのではないでしょうか?

 

つまり、現代の「国民主権」や「民主主義」を、この時代に、思い描いていたのではないでしょうか?

 

そして、そんな彼らが、夢を見て、最初に、実現させたのが、天下泰平だった、「江戸時代」だったのではないでしょうか?

 

現代は、いつでも美味しいものが、食べれれて、皆が、飛行機や新幹線で、いろいろなところに、旅行に行けますね。

まさに、「国民皆王子」の時代ですね。

 

この時代に、未来の「民主主義」を思い描いた、99人の王子たちのことを、イメージしていたら、目から涙が出てきました。

 

 

 

私が、いろいろ調べた限りでは、どうやら、99番目の「浜の宮王子」という場所が、最重要だったようです。

先週の旅では、ここにも行ってきました。
 
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「浜の宮王子社跡」です。
ここが、99番目で、おそらく、「天照派」のグループが、熊野においては、最後に辿り着いた場所だと思います。
 
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「八咫烏」のマークにも見えるし、「コンパス」と「定規」にも見えますね。
 
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拝殿の前で、記念撮影しました。
 
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「天照派」のグループの神社は、「三つの扉」や「三つの窓」があることが多いです。
拝殿が、三つに分かれているのです。
 
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これは、宇宙から地球に生命体がやってきたことを、表現しているそうです。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つのグループが、バランスよく、回っている状態が、地球が健康な状態だということです。
 
逆に言えば、「天照派」の人たちは、人間社会で、偉くなったり、権力を握って、威張ったりすることに、まったく興味がないのです。
 
「地球の自然が、美しく、健全に保たれていれば、それでいい」
 
彼らは、本来、これだけを考えている、純粋で無欲な人々なのです。
 
しかし、権力志向の人々には、こういう人々がいるということが、そもそも、理解できないのです。
だから、必要以上に、弾圧したりしていたのです。
 
 
境内には、旗が、風でなびいていました。
 
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「三つ巴」のシンボルマークを、もう一度、見てください。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つを、バランスよく回すのが、彼らの願いなのです。
これだけのために、地球に生まれてきた、純粋で素晴らしい人々なのです。
 
そのグループが、生粋の日本人であり、私たちの祖先なのです。
 
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次回から、旅行記は、いよいよ佳境に突入します。

 

裏の日本史の本当のトップシークレットの重たい扉を、ゆっくり開いていきますね。

心の準備をしておいてくださいね。

 

では、開きます。

 

ギッ、ギ、ギギギギ…

 

 

 

 

 

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古代日本パイオニアツアー 7 補陀落山寺

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とうとう、秘密の扉を開けてしまいましたね。

ここからは、もう後戻りできないかもしれませんよ。(笑)

 

では、真実の日本史を、少しづつ語っていきますね。

 

 

絶対平和主義で、他人への攻撃ができないために、弾圧されたり、冷や飯を食わされていた、「天照派」の人々は、西日本で、閉塞状態になっていたようです。

 

陸地から、東日本を目指そうと思っても、要所には、関所のようなものがあり、見張り番がいたと思います。

 

そもそも、仮に、東日本に行っても、荒れた僻地だったので、行っても、そこでは、過酷な生活が待っていることは、明白だったと思います。

 

それでも、西日本に住んでいても、これから先、永遠に、苦しい生活が、続くのは、目に見えていました。

 

「よし! 凄い冒険になるかもしれないけど、東日本に移住して、新しい土地で、新しい時代を築いていこう!」

 

ある時、こう決意したのだと思います。

 

海から、東日本を目指そうと思っても、そんなに遠くまで行こうと思ったら、大きな船を造船しないといけなし、そんな技術もお金もなかったので、途方に暮れていたようです。

 

 

そんなとき、一人の救世主が現れます。

 

「聖徳太子」

 

この人物が、助けたのです。

聖徳太子の登場で、日本史の中で、最高にスリリングなドラマが、始まったのです。

 

救世主というのは、「天照派にとっての救世主」という意味です。

 

私は、「聖徳太子=キリスト説」を、主張していますが、まさに、日本においては、聖徳太子が出現する前と後では、西洋での「紀元前(B.C)」と「紀元後(A.D)」に分かれるくらいの時代の大変化だったのです。

 

聖徳太子というのは、この大プロジェクトを実行するために、日本に誕生したのだと思います。

 

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彼らにとっては、「西日本」は、まるで、監獄にいるように、不自由な土地でした。

 

そこで、新天地の「東日本」への脱出を試みたのです。

 

ちょっと前に、大ヒットしたアメリカのドラマに、「プリズンブレイク」というのがありましたね。

あれの日本版が、日本でもあったのです!

 

 

 

前回、「熊野権現神社」の話をしましたが、この神社の隣に、日本史における、最重要な寺があります。

 

「補陀落山寺」

 

この名前、聞いたことありますか?

私は、最近、初めて知りました。

 

 

先週、行ってきました。

駐車場に着いたら、看板のようなものがありました。

なんと、「世界遺産」にも指定されているそうです!

 

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「八咫烏」の絵がありました。

 

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本堂の前で、記念撮影しました。

 

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この文字に、感動しました。

 

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この記念碑の前でも、記念撮影しました。

 

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境内には、仏像がありました。

おそらく、「イザナギ」と「イザナミ」だと思います。

 

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この二人の子供は、38人の子供たち、長男の「別雷尊」、それから、長女の「玉依姫」だと思います。

 

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本堂の中には、ご本尊の仏像もありました。

これは、42本の手を持つ仏像ですが、意味は、正面の4本の腕が、「イザナギ」と「イザナミ」の腕で、残りの38本が、38人の子供の腕を意味しているそうです。

 

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「補陀洛山寺」は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで、知られているそうです。

 

私は、この渡海のことは、全く知りませんでした。

今年になってから、あるキッカケで知ったのです。

 

 

ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある、観音菩薩の住まう浄土のことをいい、「華厳経」には、インドの南端にあると、説かれているそうです。

 

「観音信仰」の流布とともに、チベットや中国にも、「補陀落」は、想定されたようです。

チベットでは、ラサ北西に建つ、観音の化身、「ダライラマ」の宮殿を、「ポタラ(補陀落)宮」と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を、「補陀落」としたようです。

 

日本においては、南の海の果てに、「補陀落浄土」はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して、船出することを「補陀落渡海」と言ったそうです。

そして、この信仰を広げたのが、前述した、聖徳太子だったのです。


日本国内の補陀落の霊場としては、那智の他に、高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがあったそうです。

 

記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち、半数以上が、この熊野那智で行われています。

熊野は、補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったようです。

 

聖徳太子の時代から、江戸時時代まで、これは、行われていたそうです。

 

 

チベットの「ポタラ宮殿」とも関係してたのですね。

そういえば、チベットも絶対平和主義の人たちが多く、そのために、迫害されていますね。

日本の「天照派」と、同じルーツだと思います。

 

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この「ポタラ宮殿」の地下は、地底王国の「チャンバラ」があると言われていますね。

もしかしたら、熊野の「99人の王子」の意味は、この王国の王子という意味だったかもしれません。

 

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「補陀落山寺」の本堂の中には、当時の様子を描いた絵もありました。

 

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ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

那智の浜からは、25人の観音の信者が、補陀落を目指して、船出したと伝えられています。

 

補陀洛山寺境内にある石碑に、それらの人々の名が、刻まれています。

 

平安前期の貞観十年(868)の慶龍上人から、江戸中期の亨保七年(1722)の宥照(ゆうしょう)上人まで25人。

平安時代に5人、鎌倉時代に1人、室町時代に12人(そのうち11人が戦国時代)、安土桃山時代に1人、江戸時代に6人。

補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に、行われたそうです。

 

渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で、読経などの修法を行い、続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りこんだとも伝わっています。

 

渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せて、小さな屋形船に、乗りこんだそうです。

 

 

説明は、さらに、このように続きます。

 

 

渡海僧が、船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように、扉には、外から釘が、打ちつけられたそうです。

 

渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに、沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われる。


渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかで、かすかな灯火を頼りに、ただひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願い、そして、船は沈み、入水往生を遂げたのでしょう。

 

船のしつらえや渡海の方法などは、時代により異なるのでしょうが、補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身、を南海にて観音に捧げる、捨身行だったのでした。

 

 

こう書かれています。

これが、一般的な認識です。

 

 

 

境内には、この石碑がありました。

 

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名前もありました。

記録に残っているだけの名前です。

実際には、もっと多くの人が、この渡海をやっていたと思います。

 

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渡海僧が乗りこんだ船を、復元したものが、境内にある建物のなかに、展示されています。

 

これです!

これが、見たかったのです!

 

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奇妙な形をした小さな船です。

船の上には屋形が、作られています。

その屋形の前後左右を、4つの鳥居が囲んでいます。

 

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人が、一人だけ入ることができる、テントのような小屋がありました。

前述したように、ここに、僧侶が一人だけ入り、外からは、釘が打たれ、中から出られないようにしていたそうです。

 

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もちろん、現在のようなスクリューなどはなく、櫂も帆もなかったそうです。

だから、一度、海に出たら、クラゲのように、ただ漂うだけだったのです。

 

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舟が出る時には、この旗を掲げたそうです。

「76の音」を意味する、「南無」が入っていますね。

 

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寺の裏山には、亡くなったとされる僧侶の墓が、ありました。

数えると、19でした。

19組の夫婦、つまり、38人の数ですね。

 

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ここからが、いよいよ本番です!

 

「補陀落渡海」は、このように、昔も現在も、狂信的でカルトっぽい儀式だったと、世間一般では思われています。

 

しかし、よく考えてください。

 

こういう、「即身成仏」の行為をやる意味は、何なのでしょうか?

ましては、何のために、わざわざ、海の彼方に行って、死ぬ必要があったのでしょうか?

 

ただ死ぬだけのために、これをやっていたとしたら、ただの馬鹿だと思います。

 

 

勘の良い方は、もうわかりましたね。

 

そうです。

 

「西日本」から「東日本」への脱出が、真の目的だったのです!

 

「空と海の彼方の極楽浄土へ行くために、舟に乗って、太平洋の彼方に行き、そのまま、沈没して、海の藻屑となり、即身成仏する」

 

というのは、「神武派」たちのグループの目を、ごまかすための偽りの儀式だったのです!

 

 

本当のことは、隠されていました。

 

実際には、こうだったようです。

 

途中まで、付き添いの数隻の舟が、綱を引っ張り、途中の小島から、突き放したようです。

 

「よ~し! 行ってこ~い!」

 

こう叫んだかどうかは、わかりませんが、沖の向こうまで、その小舟を流したそうです。

 

 

すると、浜辺から4キロくらいの所に、当時から、「黒潮」が流れていたのです。

 

そして、うまく、「黒潮」の乗れば、それは、大きな河のような流れで、「東日本」まで、運んでくれたのです。

 

ちなみに、黒潮の最大流速は、最大で4ノット(約7.4km/h)にもなり、軽くジョギングしているくらいのスピードなので、1週間以内では、確実に、「東日本」にある、どこかの浜に、漂着したと思います。

 

そして、当時から、忍者のような存在たちがいて、秘密裏に、いろいろな手配をして、「東日本」の浜に漂着したら、事前に、その場所に着いていた人々が、打たれていた釘を外し、中から、その僧侶を、助けたのだと思います。

 

そして、その背後で、この秘密の脱出劇を、計画して動かしていたのが、「聖徳太子」のグループだったというわけです。

 

 

黒潮です。

 

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面白いのは、東から西に流れる潮の流れもあり、一人だけ、当時の琉球に流れ着いたお坊さんもいたそうです。

 

日秀上人という僧が、理由はわかりませんが、逆の流れの潮流に乗り、琉球に着き、補陀落浄土からやってきた僧として、琉球王にも珍重され、金武町に、「観音寺」を建立したそうです。

その後、沖縄に、30年滞在した後、薩摩に移ったそうです。

 

沖縄には、昔から、

 

「水平線の先、空と海の交わる先に、極楽浄土がある」

 

という、「ニライカナイ」という信仰がありますが、もしかしたら、この「補陀落渡海」とも関係あるかもしれません。

 

そういえば、沖縄の人たちも、「平和主義」の人が多いですね。

「天照派」のDNAが多い民族かもしれませんね。

 

 

そして、もしかしたら、この「空と海の交わる先の極楽浄土」から、派遣された使者が、「空海」だったのかもしれません。

 

 

 

「補陀落山寺」の本堂には、この写真もありました。

 

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住職さんによると、結婚する前の独身時代に、「浩宮殿下「」が、やってきたそうです。

 

もしかしたら、私のように、真実の歴史の調査のために、この寺を訪れていたのかもしれませんね。

 

 

 

和歌山県の那智では、「中の島ホテル」という所に、泊まりました。

美味しい食事に、素晴らしい露天風呂で、最高でした。

 

正面玄関の前で記念撮影しました。

 

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このホテルは、小さな小島にあります。

ホテルの絵です。

 

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朝、モーニングを食べた後、島の頂上まで、散歩しました。

 
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すると、東の空から、朝日が昇ってきました。

 

この朝日を見ながら、

 

「ああ…、この景色を見ながら、天照派の人たちが、僧侶の姿で、新天地を目指し、小舟で黒潮に乗って、東日本を目指したんだな…、ここが、新しい日本を新生しようと決意したパイオニアたちの聖地なんだな…」

 

こう思ったら、大感動して、また、目から涙が出てきました。

 

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「古代日本パイオニアツアー」、まだまだ続きます。

 

次回からは、舞台は、東日本に移ります。

 

お楽しみに!

 

 

 

 

 

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古代日本パイオニアツアー 8 黒潮ロード

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前回の記事、大反響ですね~!

 

 

続きの話です。

 

「西日本」 ⇒ 「東日本」

 

これを繋ぐメインストリートが、海だったというのは、驚きですね。

しかも、大きな船ではなく、「小舟」だったというのも、ビックリです。

 

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私たちは、歴史においては、必ず、「民族大移動」という大人数でのイメージがありますが、それは、大陸の話です。

聖書には、そう書かれていますが、日本では、全く状況が違い、秘密裏に、一人づつ、長い年月をかけての移動だったようです。

 

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西から東に移動した、パイオニア達のルートは、研究している学者も、ほとんどいないと思います。

もしかしたら、ここまで、突っ込んで調査してまわったのは、私が初めてかもしれません。

 

まだ、名前も付いていないので、「シルクロード」のように、「黒潮ロード」と名付けようと思います。

カッコイイ名前でしょう。

 

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さて、ここまでの重要なキーワードを、まとめておきますね。

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」=宇宙の源から地球にやってきた、ツインレイの男女

 

京都の丹後半島に舞い降りた場所=「籠(この)神社」

 

その子供の数=「三十八」

 

その子供たちの拠点だった場所=「都」=「宮」=「三(み)+八(や)+子(こ)」=「三十八の子」

 

その長男の名前=「別雷尊」

 

その長女の名前=「玉依姫」

 

その子孫のグループの数=「99の王子のグループ」

 

絶対平和主義=「天照派」=「チベット」=「シャンバラ」=「琉球」

 

「三つ巴」のシンボルマーク=「植物」と「動物」と「人間」の調和

 

「小舟」=「天照派」が乗って来た小舟

 

 

実は、「東日本」にも、これらのキーワードが、たくさんあったのです。

 

では、これから、名探偵になったつもりで、一緒に、この状況証拠を繋げる旅にでましょう!

 

 

 

その痕跡は、千葉県にもありました。

先月、そこに行ってきました。

 

 

千葉県の「上総一ノ宮」という駅で、集合しました。

 

「総ての上(神)が見守る、宮(三十八)ノ(の)一(始まり)」

 

と解釈しました。

 

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皆で、記念撮影しました。

 

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古代史の調査は、私一人だけでは、難しいです。

車を運転してくれたり、地元の土地に詳しかったり、写真を撮影してくれる方がいて、初めて、いい旅行記が出来上がるのです。

 

今回も、たくさんの方々に、サポートしていただきました。

ありがとうございました!

 

 

まずは、「西日本」から、「小舟」で辿り着いた場所に、行ってきました。

 

ここには、

 

「玉依姫という名前の神様が、陸に上がってきた場所」

 

という伝説が残っています。

 

 

 

場所は、「九十九里浜」です。

 

もうわかりましたね。

 

ハイ!

 

「九十九人の王子のグループが辿り着いた浜」

 

こういう意味だったのです!

 

 

さらに、この「九十九里」という漢字を分解すると、

 

「九」+「十」+「九」+「十」+「口(くに)」+「土」

 

となり、意味は、

 

「三十八の国土」

 

という意味になります。

 

 

 

着く場所が、どうして、港ではなく、ただのビーチだったのでしょうか?

 

砂浜だからいいのです。

 

砂浜だと、大きな船は、接岸できません。

沖に錨を下ろして、小舟で来ることになります。

砂浜という地形は、小舟じゃないと、上陸できないのです。

 

大きな船が接岸できる港だったら、すぐに、追っ手に見つかってしまいます。

このプロジェクトは、秘密裏の脱出劇だったことを、忘れないでくださいね。

 

 

着きました。

 

昔、ここで、「天照派」の僧侶が、「小舟」から、仲間によって救助されて、上陸したと思ったら、大感動でした。

 

「浜鳥居」という名前だそうです。

 

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思い出してください。

 

和歌山県の「補陀落山寺」の隣にあった神社にあった案内板です。

99番目の王子の拠点、「浜の宮王子社跡」です。
 
「浜の宮王子」=「浜の鳥居」
 
こう繋がるのです。
 
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ここから、海水でビショビショに濡れながら、上陸したのだと思います。

 

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それから、この道を歩いて、移動したと思います。

 

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「九十九里浜」に上陸した後、僧侶たちは、だいたい、このルートを歩いたようです。

 

「浜鳥居」→「神洗神社」→「神埼神社」→「玉前神社」

 

大まかな地図です。

 

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この鳥居から、車で、ちょっと走った所に、「神洗神社」があります。

そこに、「神洗池」という池があります。

真っ先に、ここで、ベトベトに張り付いた海水を洗い流したようです。

 

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この池で、身体を洗ったそうです。

 

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それから、「玉崎神社」の辺りで、休憩したようです。

 

拝殿です。

 

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「玉崎神社」の「玉」は、「玉依姫のグループ」だという意味だと思います。

 

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見てください!

 

「三つ巴」のマークがありますね。

「天照派」の拠点だった所という証拠です。

 

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ここで、「三つ巴」について、もう一度、書いておきます。

 

 

地球には、「超巨大循環システム」が、存在しているそうです。

そして、このシステムを動かしているのが、「ガイアの意識」なのだそうです。

この意識は、昔から、日本でも、「神様」と呼ばれてきました。
「ガイア」でもいいのですが、「神様」という表現のほうが、日本人には、なじみが深いと思います。


日本の土地を、「神様」の視点で、上空から見てみましょう。

まず、山の上で、「キツネ」や「タヌキ」などの動物たちが、糞をします。

雨が降ってきて、それが地面に流れ込みます。

その糞を、植物が根から養分として吸収し育ちます。

そして、その育った植物を、また、動物や人間が食べます。


そうしているうちに、それらの栄養分は、川に流れて、だんだん、上流から下流に流れ、やがて、海に流れだします。

地球には、引力があるので、

「高いところから、低いところに、栄養(エネルギー)は流れる」

という大原則が、あるからです。

その栄養分は、大陸棚などでは、海草が吸収し、さらに、小魚がそれを食べ、また、その糞を、海草が吸収するというかたちで、海の中でも循環しながら、だんだん、海の深いところに、流れていきます。

そうやって、どんどん、栄養は、低いところに流れていくのですが、最終的に、流れ着くのが、「海溝」なのだそうです。


そうです。

引力の法則により、地球上で、一番栄養(エネルギー)が、蓄積されているのは、「海溝」という場所なのです。
特に、「マリアナ海溝」の底は、栄養が、豊富に溜まっているそうです。

さて、ここからが、面白いのです。

 

このままだと、栄養は、海溝だけに溜まって、循環が停滞してしまいます。

そこで、登場するのが、深海魚だそうです。
「提灯アンコウ」などですね。
彼らが、この海溝に溜まった栄養を、食べるのだそうです。


さらに、活躍するのが、クジラたちです。
ご存知のように、「マッコウクジラ」などは、かなりの深海に潜ります。
それは、この栄養を食べるのが、目的なのだそうです。




深海魚を、中層魚たちが食べたりして、体内にそれを溜めこみ、その栄養を、海の中間層に、戻すように運んでくれるそうです。

クジラも、ちょうど中間層あたりで死んで、死骸を、中間層の魚たちに、食べさせたりするそうです。
それから、表層魚が、中間層の魚たちを捕食して、栄養を、海の表面に上げてくれるそうです。

それらを、人間が釣ってから、陸に戻したりもするのです。

ここで、山登りをする魚が、登場します。
その魚は、「サケ」や「マス」、「ウナギ」などの「川に帰る魚」です。
北海道などで、サケが、海から帰ってきて、川を登り、山に向かうシーンを、テレビなどで見た方も、多いと思います。




実は、それは、

「深海の栄養を、再び陸に運ぶ」

という大事な役目のためなのだそうです。

 

そして、ここからが、さらに面白いのですが、そのサケよりも、もっと大事な働きをする、キーパーソンが、いるそうです。

それが、北海道だと、「ヒグマ」なのだそうです。


テレビや映画なので、ヒグマが川で、サケを手で、

バシャ! バシャ!

と跳ね飛ばしているのを、見たことがあると思います。

いつも、不思議に思っていたのですが、自分や子供たちが、食べる分だけだったら、数匹で、いいところを、けっこう無駄に、何十匹も、川岸に跳ね飛ばしています。

これは、キツネやタヌキなどの山の小動物たちに、食べさせるためなのだそうです。
彼等は、身体が小さいので、サケが、思うように獲れません。
ヒグマは、それを助けていたのだそうです。

「クマ」って、とても、大切な存在だったのですね。




それから、「キツネ」や「タヌキ」は、その場で、その「サケ」の死骸を食べずに、わざわざ、山の上にくわえて持っていき、そこで、食べるのだそうです。
その後、山の上で糞をして、雨が降ってきて、地面に流れ込みます。

そして、見事に、また最初から、植物の根から吸収され、川から海溝への循環に、入るわけです。
見事な「超巨大自然循環システム」ですねー。
地球も植物も魚も動物も、無駄なことは、一切やっていなかったのですねー。


子供の頃から、

「なぜ、ヒグマって、無駄にサケを殺しているんだろう?」

と不思議に思っていたのですが、これを知ってスッキリしました。

「キツネ」や「タヌキ」→「植物」や「人間」→「海草」や「小魚」→「提灯アンコウ」→「マッコウクジラ」→「サケ」→「ヒグマ」→「キツネ」や「タヌキ」

こういう流れですね。
「栄養」をバトンにした、見事なリレーを、地球規模でやっていたのですね。

そして、彼らに、このリレーの全ての指令を出しているのが、「ガイアの意識」であり、「神様」なのです。

 

地球が存在し続けている間は、ずーっと永遠に、「栄養(エネルギー)」は、大自然の中を、回転し続けているのです。

 

これが、「神の愛」です。

 

何の見返りも求めずに、これだけのことを、太古の昔から、やっていたのです。

そして、これから先も、やってくれるのです。

無償で…



この話、感動しませんか?
昔の人は、こういうことを、当たり前のように、知っていたそうです。

たとえば、昔から、日本では、「榊の葉」を、神棚などに捧げる習慣があります。
これは、「榊(さかき)」という植物が、デリケートで、なかなか育たないからなのだそうです。

日本という土地で、自然循環システムにおいて、「榊の葉」が、一番のシンボルやバロメーターになっていたということです。

つまり、榊という植物が、よく育っているということは、

「日本の自然循環システムが、正常に機能していますよ」

という証になるのだそうです。


神主さんなどが、神社に、榊の葉を供えるのは、このことを、「神様」に報告するためだそうです。
ちなみに、「榊(さかき)」の語源は、もともとは、「神と人の境の木」の意味から、「境木(さかき)」だったそうです。
現在の文字も、そのまま、「神の木」ですね。

昔の人たちは、「榊」を介して、「神様」と対話していたのですね。
昔の人々の知恵って、凄いですねー。

私たちは、太古の昔から現代まで、常に、「ガイアの意識」でもある、「神様」によって、見守られてきていたのです。


 

 

つまり、結論を言うと、地球において、人間が、やるべき、一番大切な仕事は、この循環システムを管理して、問題があれば、それを修正することです。

 

「植物」と「動物」と「人間」のバランスに、目を光らせるのが、人間の仕事なのです。

 

「天照派」の人々は、神社に、「榊」の葉を定期的にお供えすることで、このシステムの管理をするのが、最重要な使命だと、知っていたのだと思います。

 

「神武派」と違い、人間の社会での出世や金儲け、権力闘争などには、全く関心が無かったのです。

 

 

 

そして、房総半島においては、最終的には、「玉前神社」のあたりに、一旦、落ち着いたグループもいたようです。

あるグループは、ここを、定住の地に決めたようです。

 

 

この神社にも行ってきました。

 

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鳥居の前で、記念撮影しました。

 

{17FCEA12-8A29-42FB-A254-D5715A77AC51}

 

 

拝殿です。

黒色は、珍しいと思います。

いろいろ考えたら、この色は、漆黒の闇、つまり、「宇宙」を表現していると思います。

 

{F2E92922-B870-487D-8731-65CAA88C974C}

 

 

そう思いながら、拝殿の屋根のあたりを見て、

 

「うわ~~!!」

 

と、大声で叫んでしまいました。

 

見てください!

 

「宇宙の源」から、ツインレイである、「イザナギ」と「イザナミ」の魂が、最初は、「繭」のような形から、二つに分かれて、それから、二人の男女になる様子が描かれています。

 

{14B5EF9F-92A0-4F20-84B2-418B8308E280}

 

 

大感動でした~!

やはり、ここは、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たちの拠点だったのです。

 

{59E8CA27-C73C-459D-88D7-2653EF3070CD}

 

 

 

房総半島には、「舟(船)」や「川」の名前が付く地名が多いのですが、小舟でやってきた、「天照派」の影響もあると思います。

 

茂原市には、「天の川」という名前の小さな川もありました。

 

「七夕」の「織姫」と「彦星」の話ですね。

「イザナギ」と「イザナミ」ですね。

 

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さらに、「船着神社」という小さな神社もありました。

 

{6F228668-4D65-40A6-AF15-11AD75E0477D}

 

 

「千葉神社」にも、立ち寄りました。

 

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境内には、「千葉天神」という神様が、祭られていました。

 

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そこで、気が付きました。

 

{A4EAA190-F163-4CAC-A65A-F2701B670760}

 

 

「千葉」という文字を見ていたら、「千葉」の「千」という文字の縦線を、横に並べ替えてみたのです。

 

すると…

 

「三葉天神」になるではないですか!

 

わかりましたか?

 

そうです。

 

大ヒットしたアニメ、「君の名は。」の主人公の女の子、「三葉」です。

 

 

そして、和歌山県の那智の「補陀落山寺」の近くには、「那智の滝」がありますね。

もう一人の主人公の男の子、「滝君」ですね。

 

つまり、

 

「那智の滝」 ⇒ 「千葉」

 

これが、「黒潮ロード」の暗号だったのです。

 

「滝君が、三葉に会いに行った」

 

こういう意味になるのです。

 

 

 

アニメ映画の「君の名は。」です。

 

これも、「イザナギ」と「イザナミ」の二人の話を、現代風に、描き直したのだと思います。

 

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そういえば、このアニメの監督の名前は、「新海」でしたね。

 

「新天地を目指して、海を越えて行った人々」

 

この名前には、この意味も入っているかもしれませんね。

 

これは、全て偶然でしょうか?

 

いや、違います。

 

そもそも、

 

「偶然は神である」

 

というのが、この世界なのです。

 

 

 

 

次回は、東日本における、その他の上陸地点の話題です。

お楽しみに!

 

 

 

 

 

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古代日本パイオニアツアー 9 小舟

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「天照派」の人々が、「西日本」から「東日本」に小舟で、渡ってきた話を書きましたが、千葉県の九十九里浜だけでなく、他にも、いくつかの上陸地点があったようです。

 

例えば、茨城県の「大洗磯崎神社」も、そうだったと思います。

 

ここには、去年行きました。

ここの拝殿も、黒っぽいですね。

 

image

 
そして、この拝殿にも、「三つ巴」のシンボルマークがありました。
「天照派」の拠点だった証拠ですね。
 
image
 
 
ここの階段を下りていくと、海岸があり、そこにも、九十九里浜の「浜鳥居」のような「鳥居」があります。
おそらく、ここからも、小舟で上陸した僧侶がいたのだと思います。
 
太平洋沿いで、海辺に鳥居があり、
 
「神様が、ここから上陸した」
 
こういう伝説が残っている所は、大半が、「黒潮ロード」に関係しているのかもしれません。

 

image

 

 

そして、この近くにも、上陸した人たちが、身体を洗ったと思われる池があります。

 

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現在の「茨城県」の辺りは、昔は、「常陸国(ひたちのくに)」と呼ばれていたようですが、これを、別の読み方をすれば、「上陸国(じょうりく国)」とも読めますね。

 

「神様が上陸した国」

 

という意味だったかもしれませんね。

 

 

 

あとは、神川県に、「寒川神社」という神社があります。

ここにも、先週行ってきました。

 

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境内の扉に、大感動しました。

 

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こんなにデッカイ「三つ巴」が、バーンとあるのは、ここだけかもしれません。

凄いですね~!

 

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拝殿です。

 

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ここにも、ありました。

賽銭箱に刻まれていました。

 

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ちなみに、私の個人的な意見ですが、「寒川神社」は、大阪などにある、「サムハラ神社」と音が似ているので、両者は、関係があると思っています。

 

そして、「サムハラ神社」は、一説によると、地底王国の「シャンバラ」とも、関係あるとも言われています。

「シャンバラ神社」が、元々の名前かもしれません。

 

「シャンバラ」は、チベットの「ポタラ宮殿」の地下に、メインの入口があるとも言われています。

「絶対平和主義」の人々の国みたいです。

「天照派」と同じグループですね。

 

 

大阪の「サムハラ神社」です。

 

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「寒川神社」の近くに、「宮山神社」という小さな神社もあります。

 

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「宮」=「三(み)+「八(や)」+「子(こ)」ですね。
 
「三十八人の子供の山(領地)」だったという意味になります。
 
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祭られている神様に、「雷」の文字がつく神様がいますね。
これは、「イザナギ」と「イザナミ」の長男である、「別雷尊」のことです。
 
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{7F58D764-65E8-4AF3-B092-9BBA04137BA1}
 
 
小さな祠がありました。
 
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{06376063-2C51-4377-9FA7-EB903B2680CF}
 
 
「三つ巴」ですね。
 
{C565F818-B3A3-4E7D-BD9A-2676E931178E}
 
 
ここの神社の横には、球体のオブジェがあります。
「玉」は、「イザナギ」と「イザナミ」の長女だった、「玉依姫」のシンボルだと思います。
 
{6026668C-3AA5-427F-A237-7B150D3F65A2}
 
 
「和光」と刻まれています。
 
{6ED1989B-E6EA-47C6-9F32-CDDE53179023}
 
 
そういえば、「聖徳太子」の有名な言葉に、
 
「和を以て貴しとなす」
 
というのがありましたね。
 
 
 
神奈川県には、他にも面白い所があります。
場所は、神奈川県足柄下郡湯河原町です。
 
海沿いにあります。
綺麗な景色です。
おそらく、この浜辺にも、和歌山県の「補陀落山寺」から来た小舟が、漂着したと思います。
 
{E88025D8-46AF-473D-9553-CA9F00794310}
 
 
{E317653A-860E-4E98-9B45-8A3DAED02803}
 
 
この浜辺には、「子之神社(ねのじんじゃ)」という神社があります。
 
{8C42920F-957B-40A0-A7FA-81A758CC4D91}
 
 
名前が、全てを語っていますね。
 
「子之神社(ねのじんじゃ)」は、「このじんじゃ」とも読めますね。
 
{ADB949F8-18F3-4397-8608-02854E926BD2}
 
 
ハイ!
 
京都府の丹後地方にある、「イザナギ」と「イザナミ」が生まれた場所、「籠神社(このじんじゃ)」ですね。
 
「子之神社」=「籠神社」
 
ということです。
 
やはり、ここも、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たち、「天照派」が、辿り着いた場所だったのですね。
 
京都の「籠神社(このじんじゃ)」です。
 
{1A480F1E-381C-4A7F-B9F0-BBD4DE3AD915}
 
 
拝殿で参拝しました。
 
{73853422-0325-4A83-9481-CA368E51906C}
 
 
屋根のあたりに、「三つ巴」がありました。
 
{448BDF01-BE51-412B-B75D-51D681B2D198}
 
 
ここの拝殿の中に、お祭りで担ぐ神輿が置かれていました。
 
驚きました!
朱い鳥居が、四方向を囲っていますね。
 
{100536C9-9B2B-4E5E-A115-5CAD329860AF}
 
 
四方から朱い鳥居が囲っている場面、どこかで、見たことないですか?
 
ハイ!
 
「補陀落山寺」の小舟ですね。
 
{7DC7768F-AC0E-4F5A-917D-4BA160D753C9}
 
 
やはり、間違いなく、ここにも、小舟は辿り着いていたのです。
 
 
 
この神社の隣に、お寺がありました。
 
{B02F1A6D-870A-48A6-92C5-1A829063C592}
 
 
隣同士ということは、間違いなく、同じグループだということです。
仲が悪ければ、離れるはずです。
家族くらい近い仲じゃないと、長年、隣同士では、住めません。
 
名前を見て、驚嘆しました。
「醍醐院」と書かれているではないですか~!
 
{DA4719AD-7A1D-4E78-9223-8D8AFBF74A57}
 
 
わかりましたね。
 
「天照派」のリーダーだった天皇、「後醍醐天皇」です。
「吉野神宮」の祭神ですね。
 
image
 
 
ここは、「天照派」の拠点だったのです。
凄いですね。
 
 
この神社と寺の最寄りの駅は、「真鶴」という名前なのですが、やはり、京都の「舞鶴」とも関係あると思います。
 
「真鶴」=「舞鶴」
 
こうなると思います。
 
 
帰りに、この駅の前に貼られていたポスターを見て、またまた驚きました。
 
「えーっ!」
 
と思いました。
 
{3A2D9D9C-4841-4AE5-A6A8-358D09C8ED62}
 
 
{7C98CE0B-3003-4F30-9F6F-A58354C3434B}
 
 
地元で行われる、「貴船祭」というお祭りだそうです。
 
{4D9C851C-BCC0-4B74-ACB2-25E76ACD7699}
 
 
この神輿にも、「三つ巴」が刻まれていますね。
そして、よく見ると、「子之神社」の神輿と同じように、四方を鳥居が囲っているではないですか~!
 
{D01CD908-FAC3-42B4-B3E0-70D2B71C23F2}
 
 
この小さな鳥居が、全てを表現しています。
間違いなく、この神輿は、「補陀落山寺」の小舟を、担いでいるのです。
 
{DC96785A-FD67-4561-879B-014E6F10739B}
 
 
祭りでは、「東」と「西」の二つの舟が出るそうです。
 
{8733BC0B-AA8D-494D-88A6-A636028DF7E4}
 
 
{DFD76466-D106-446A-A5E0-01B2EC28A3C5}
 
 
やはり、「祭り」というイベントには、とても深い意味が、隠されているのですね。
 
おそらく、「天照派」のグループが、「西日本」から「東日本」に渡ってきたことを、祝福する祭りなのだと思います。
 
image
 
 
 
さらに驚くのは、東京の真ん中にも、「天照派」のグループの痕跡が、たくさん残っているのです。
 
ここは、JR品川駅から、一駅の大井町駅から、車で5分くらいの所にあるお寺です。
名前は、「海晏寺」ですが、仏教の寺院に付ける称号である「山号」は、そのものズバリ、「補陀落山」です。
ご本尊も、「観世音菩薩」だそうです。
 
 
ここにも、先週行きました。
 
{2863BE21-BCC8-450F-AE42-D9F6A2A19C90}
 
 
なんと、入口の案内板が白紙です。
何も書かれていないのです。
歴史の裏側に隠れていた、「天照派」のグループらしいですね。
 
{503E1BEB-BC6F-4806-9C8E-29E2366FAB24}
 
 
表札も、ほとんど見えない文字で、書かれています。
 
{2372CFC4-537D-42A7-A9CF-B438405858CB}
 
 
近づいたら、ようやく読めました。
 
{0A49AE78-0572-403B-86EC-0AF40EAECB2D}
 
 
八角堂がありました。
これも、「補陀落信仰」ですね。
 
{C1382C35-CB61-4978-A67A-A6586CDA607C}
 
 
もう一度、「ウイキペディア」からです。
 
「補陀落(ふだらく、梵: Potalaka)は、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である。その山の形状は、八角形であるという。インドの南端の海岸にあるとされた。補陀落山とも称す」
 
こう書かれています。
 
そうなのです。
和歌山県の「補陀落山寺」から、「小舟」でやってきた人々にとっては、ここが、観音菩薩の降り立つとされる、八角形の山だったのです。
 
 
屋根は、「鬼瓦」です。
 
「鬼」=「大丹生」=「天皇家」
 
でしたね。
 
{943C8174-AE84-4E21-AD6A-4AA49A43C981}
 
 
ここに、黒い球体が、置かれていました。
 
{D0DB1519-2AB6-4D74-A56D-CDE8633B1D2C}
 
 
ハイ!
 
「玉」は、「「イザナギ」と「イザナミ」の長女だった、「玉依姫」のシンボルですね。
全部、繋がっていますね。
 
こうやって、意味がわかると、神社仏閣巡りも、最高に楽しいですね。
 
 
{38E676F9-CC4B-48A3-AA16-9DA49F72AA90}
 
 
ここの天井にも、とても小さなシールですが、「三つ巴」が貼られていました。
ちょっと見えにくいかな?
 
{5F121110-5CA1-4DA7-8F63-398AA1F1483A}
 
 
 
このように、「絶対平和主義」の「天照派」の子孫たちが、西日本から、「小舟」で、「東日本」に移住してきて、つくりあげたのが、「江戸」という町なのです。
 
だから、「江戸時代」が、260年くらい、平和だったのです。
 
 
 
さらに、最近気が付いたのですが、江戸時代に、「お伊勢参り」というのが、流行りましたね。
 
「一生に一度は伊勢詣」
 
昔は、こう言われたらしいですね。
 
実は、あれの本当の意味は、大いなる里帰りだったのです。
 
 
旅行記の最初の頃に書きましたね。
 
日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に、結婚式を挙げたのが、「伊雑宮」だったことを…
 
江戸時代の人々は、DNAの中に、その記憶があり、その記憶が、騒いだのかもしれません。
 
「本当のお父さんとお母さんの故郷に帰りたい!」
 
この気持ちが、「お伊勢参り」だったのかもしれません。
 
 
伊勢から始まった、生粋の日本人である、「天照派」の人々が、熊野の那智から、小舟で、関東に流れ着いて、「江戸時代」をつくりあげ、そして、その時代に、天下泰平になった頃、故郷の伊勢に、また帰りたくなった。
 
こう想像したら、またまた、じわじわと、感動の波が、湧き上がってきました。
 
{56742045-C42F-41D4-BAF5-00A2E7E3F478}
 
 
 
 
関東に、「小舟」で流れ着いた、「天照派」のグループが、最初に大きな拠点にしたと思われる土地が、東京にあります。
ここから、江戸時代が、始まったと思われる所です。
 
次回は、この土地から、スタートして、関東を北上する旅の話題です。
 
お楽しみに!
 
 
 
 
 

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古代日本パイオニアツアー 10 雷電神社

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「西日本」から、小舟に乗って、少しづつ、長期間にわたって、「東日本」の地に移住してきたパイオニアたち、彼らのグループは、「イザナギ」と「イザナミ」を始祖とする子孫たちでした。

 

彼らは、最初の38人の子供たちの子孫でもあるのですが、長男の名前が、「別雷尊」。

 

これは、生まれた時に、身体が、「丹生」という宇宙エネルギーで、輝いていて、まるで、身体に雷が落ちた時のように、発光していたから、この名前だったそうです。

現代風の表現では、「凄いオーラの持ち主」というかんじですね。

 

それから、長女の名前が、「玉依姫」だったようです。

 

この名前は、「イザナミ」の別名でもあったようですが、この子孫の女性には、よくこの名前を付けたそうです。

「玉のように美しい」という表現は、今でも、たまに使いますね。

 

 

前回書いたように、このグループは、関東地方において、いくつの地点から、上陸したそうです。

そして、ある時期に、東京のある場所で、一堂に会する機会があったと思われます。

 

先週、その場所にも行ってきました。

 

 

 

なんと、その場所は、「浅草」です!

 

 

有名な「雷門」です。

 

{24FC506B-6577-4DAE-98B1-CBF02FCB9267}

 

 

「昔は、このあたりに、よく雷がよく落ちたから、雷門というのかな?」

 

私は長年、そう思っていたのですが、違うのです。

 

ハイ!

 

もうわかりましたね。

 

38人の子供の長男だった、「別雷尊」の名前から、これは、名付けられたのだと思います。

 

「別雷尊のグループの拠点だった場所」

 

これが、「雷門」の場所なのだと思います。

 

 

「天照派」のグループの本部が、おそらく、ここにあったのだと思います。

 

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ここの参道を歩いていて、一番驚いたのが、これです。

 

最初の「雷門」の次の門です。

 

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なっ、なんと!

デ~ンと大きく、「小舟町」と書かれているではないですか~!!!

 

人目もはばからず、

 

「うわーー!!」

 

と大声を上げてしました!

 

今までに、これの意味に気が付いた人が、どれくらいいたんだろう?

 

ジャ~~ン!!

 

{379919E9-5755-4C7E-8D8E-DE1EB3B89DD5}

 

 

実は、日本国内において、隠している秘密などないのです。

歴史の秘密は、どうどうと、目の前に提示しているのです。

 

問題は、

 

「それの意味を、正しく解釈できるかどうか?」

 

だったのです。

 

 

見てください!

 

「小舟に乗って、関東にやって来た人々が住んでいた町」

 

こう言っているのです。

 

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この提灯の真下に、金色の紋章のようなものが、ありました。

これを見た時、またまた、大感動でした~!

 

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三番目の本堂です。

 

{87C0F432-73F7-409F-948E-1C30BA8C27E1}

 

 

ここが、「補陀落信仰」の最終地、「観音菩薩」のいる聖地だったのです。

 

「観音」というのは、もしかしたら、

 

「もともと、76あった完全な音を、全部観ること(感じ取ること)ができる存在」

 

という意味かもしれませんね。

つまり、完全な存在である、「神」ということです。

 

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「小舟町」の門、それから、本堂の間に、小さな摂社のようなものがありました。

 

またまた、驚嘆しました。

 

なんと、「久米」と書かれているではありませんか!

 

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この旅行記の最初の頃に書いたように、私の母方の先祖は、中国から琉球にやってきた、技術者集団、「久米三十六姓」という一族だったのですが、このグループも、中国における、「天照派」が、当時の琉球に、パイオニアとして、舟に乗って移住してきたと思われます。

 

ということは…

 

この「久米三十六姓」は、当時の江戸にも来ていたのだと思います。

 

目的は、日本の「天照派」をサポートするために、「黒潮ロード」に乗ってきたのかもしれません。

 

こう思ったら、またまた感動して、涙が出てきました。

今回の旅は、私の先祖からのサポートもあったのです。

 

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祠には、「鳳凰」が刻まれています。

 

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「久米三十六姓」も、絶対平和主義だったみたいです。

 

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仏像です。

 

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「平和地蔵尊」と書かれています。

 

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裏から見たら、「前方後円墳」の形になっています。

日本における、「王」のシンボルですね。

 

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東京都内を旅したついでに、2回目ですが、四谷にある「須賀神社」にも、立ち寄りました。

 

ここの階段は、有名ですね。

 

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アニメ、「君の名は。」のラストのシーンで、舞台になった所です。

 

{36B61237-F5BE-4657-BC89-241BA5F8A8A6}

 

 

繰り返しますね。

 

「滝」=「イザナギ」

「三葉」=「イザナミ」

 

日本人の始祖が、モデルだと思います。

 

そして、私は、個人的に、このアニメの話は、パラレルワールドの世界で、実際に起こっている出来事だと思っています。

 

「滝君」も「三葉」も、別の世界に、現実にいるのだと思います。

 

あの作品を観て、魂の奥底から、何かが湧き上がってくるのを感じる人たちは、心の奥に、この二人の記憶があるのかもしれません。

 

 

 

実は、東京都内には、他にも、「別雷尊」を祭っている神社があります。

ここも、東京都内で、しかも、ど真ん中です。

 

新宿の歌舞伎町にある、「花園神社」です。

 

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ここの拝殿にも、「雷電神社」というのが入っていたのです。

左側に、「雷電神社」と書かれている文字が見えますね。

 

{BC083E3E-785A-4E3F-88F1-8A794023E6AB}

 

 

「三つ巴」もあります。

 

{6707B0CD-B0B3-4A22-8E96-CAD993DCECBB}

 

 

なんと、「新宿」にも、「天照派」のグループの拠点があったのですね。

 

 

 

実は、「埼玉県」も、面白い土地です。

 

去年、「さきたま古墳群」に行った時の写真です。

古墳群の中心には、神社もありました。

 

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「前玉(さきたま)神社」です。

「前玉」は、「埼玉」の地名の語源だと、伝えられているようです。

千葉県の「玉前神社」と同じ漢字で、順番を入れ替えているだけですね。

 

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「埼玉」という県名の発祥の地は、ここだったそうです。

 

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ご存知のように、日本の古くからの思想の中に、「一霊四魂(いちれいしこん)」という考え方があります。

 

これは、

 

「心は、天と繋がる一霊(直霊)と4つの魂から成り立つ」

 

という意味みたいです。

「一霊四魂」の一般的な解釈では、神や人には、

 

「荒魂(あらみたま)」=「勇」=活動

「和魂(にぎみたま)」=「親」=調和

「幸魂(さきみたま)」=「愛」=幸福

「奇魂(くしみたま)」=「智」=霊感

 

こういう四つの魂があり、それら四魂を、「直霊(なおひ)」という一つの霊が、コントロールしているというものです。

 

「前玉」という文字を、さらに古く遡ると、元々は、「幸御魂(さきみたま)」という言葉だったそうです。

上記の中の3番目、「幸魂(さきみたま)」ですね。

 

「幸御魂(さきみたま)」→「幸魂(さきみたま)」→「前玉(さきたま)」→「埼玉(さきたま)」→「埼玉(さいたま)」

 

こういう流れだというのです。

 

 

つまり、「埼玉」の元々の意味は、

 

「人に幸運をもたらす神の働き」

 

を意味する、「幸魂(さきたま)」から変化してつけられたというのです。

 

「魂を幸せにする土地」

 

これが、「埼玉」という土地みたいです。

 

 

そして、今回の旅で気が付いたのは、この「玉」には、「玉依姫」の意味も含まれているということです。

 

「埼玉」という土地も、「天照派」の拠点だったのです。

 

そういえば、「埼玉」という名前も、逆さに読むと、千葉県の九十九里浜の近くにある、「玉崎神社」の名前に似ていますね。

 

 

 

関東においては、「天照派」が、「黒潮ロード」に乗って、小舟で漂着した場所が、

 

「千葉県」&「茨城県」&「神奈川県」&「東京都」

 

主に、この4ヵ所だったようです。

 

それから、「埼玉県」を通って、「群馬県」と「栃木県」に向かったのが、大きな流れだったようです。

 

 

京都の「丹後」から始まり、関西を経由して、和歌山県の「熊野」から、小舟で、「東日本」を目指した「天照派」のグループの主なルートを、シンプルに書くと、赤線のようなルートになります。

 

image

 

 

 

「群馬県」も面白い土地です。

 

ここは、昔、「上野国(かみつけのくに)」とも呼ばれていたそうですね。

「神の国」だったのですね。
 
「群馬県」には、「雷電神社」という名前の神社が、いくつもあります。
 
 
いくつかある「雷電神社」の中でも、総本山のような所に行ってきました。
 
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「鬼の手形」がありました。

 

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「大丹生家」のシンボルですね。

 

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入口近くには、一番大切な神様が、祭られていました。

 

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この二体の石像です。

 

ハイ!

 

「イザナギ」と「イザナミ」ですね。

 

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記念撮影しました。

 

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拝殿の前で、記念撮影しました。

 

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「三つ巴」がありますね。

 

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それから、参拝しようと思って、鈴を鳴らしたら、拝殿の中に、たくさんの子供たちがいて、一斉に、私の方を見たので、驚きました。

 

一クラス分くらいの人数でした。

ちょうど、この日は、「節分の日」だったので、どこかの近くの学校のクラスが、課外授業で、来ていたのかもしれません。

 

これを見た時に、

 

「もしかして、この子供たち、38人いるんじゃないかな?」

 

と思いました。(笑)

 

 

子供たちです。

 

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奥宮です。

 

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祭られているのは、「イザナミ」ですね。

 

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「大雷神」と書かれています。

 

「星(☆・大)からやってきた雷の神様」

 

こういう意味ですね。

 

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境内には、「雷童子」という名前の石像もあります。

「別雷尊」ですね。

 

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記念撮影しました。

 

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この後、私は、「天照派」が、「東日本」において、最終的に落ち着いたと思われる土地に向かいました。

今回の長い旅の終焉地でもありました。

 

そこは、「栃木県」にありました。

 

 

 

 

次回、「古代日本パイオニアツアー」、感動のフィナーレです。

 

 

 

 

 

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古代日本パイオニアツアー 11 二荒山神社

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「雷電神社と」という名前の神社は、群馬県に、一番多いようですが、栃木県にも、いくつかあります。

 

ここは、宇都宮市にある、「雷電神社」です。

 

気が付いたのですが、「宇都宮」という地名を分解すると、「宇」+「都」+「宮」なので、

 

「宇宙から来た、三十八の子供の中の三十八」

 

という意味になりますね。

 

「男の中の男」というニュアンスかな?

 

「宇宙から来た、正真正銘の三十八人の子供の子孫が住んでいる土地」

 

こういう意味かもしれませんね。

 

 

 

栃木県宇都宮市平出町にある、「平出雷電神社」にも行ってきました。

 

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{B7B8F1AD-7A80-4342-9EE3-A384A650C775}

 

 

拝殿で参拝しました。

 

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境内には、不思議な形をした石のオブジェがありました。

 

私には、「プロビデンスの目」に見えました。

「エンキ」でもあり、「イザナギ」ですね。

「知恵の神様」です。

 

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宇都宮市内には、他にも、「雷電神社」がありました。

場所は、細谷町です。

 

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小さな神社ですが、境内には、とても良い氣が充満していました。

 

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この文字を見ただけで、感動しました。

 

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この日の宇都宮市には、「雷電神社」をまわるために、来ていたのですが、途中で、この神社の名前が、目に飛び込んできました。

 

「二荒山神社」

 

ビックリしました。

 

以前に、ネットで調べた時に、名前だけは知っていたのですが、まさか、その神社が、ここにあるとは思っていなかったのです。

 

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「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」と発音するそうです。

 

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もうわかりましたね。

 

そうです。

 

「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」=「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」

 

こうなるのです。

 

この神社は、和歌山県の「補陀洛山寺」と、完全に繋がっているのです。

例の「補陀落渡海」の寺です。

 

つまり、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の「補陀洛山寺」の僧侶たちは、小舟で、「黒潮ロード」を渡って来て、関東の地へ上陸した後、最終的には、栃木県宇都宮市にある、「二荒山神社」に辿り着いたということです。

 
壮大なスケールの旅だったのですね~!
 
 
記念撮影です。
 
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階段を登っていき、境内を散歩しました。
 
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拝殿で参拝しました。
 
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なんと、神紋が、「菊の三つ巴」です!
初めて見ました。
 
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{5C5F0A80-9C3C-463C-9C55-AF0F7CDDBCBD}
 
 
神馬にも、「三つ巴」がありました。
 
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境内を散歩していて、一番驚いたのが、この小さな祠でした。
 
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見てください!
 
「罔象女大神(みつはめのおおかみ)」と、書かれています。
 
数年前に、アニメの「君の名。」の主人公の女の子の名前、「三葉」は、ここから付けられたという説を、ネットで読んでいたのですが、まさか、その神様が、ここに祭られているとは、知りませんでした。
 
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大感動でした~!
 
「三葉ちゃん、見つけた~!」
 
こう叫びました。
 
「三葉ちゃんがいるなら、ツインレイの滝君も、どこかにいるんじゃないかな?」
 
こう思いました。
 
 
 
それから、しばらくして、別の日に、今度は、栃木県日光市に行きました。
 
ここにも、同じ名前の神社があります。
 
「二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)」
 
という神社です。
 
ここにも、「三つ巴」がありましたね。
 
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記念撮影しました。
 
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ここも、和歌山県の神社と繋がっているのです。
 
だから、こうなります。
 

「補陀洛山寺」=「宇都宮二荒山神社」=「日光二荒山神社」

 

 

一説によると、「日光」という名前は、弘法大師空海が、この地を訪れた際に、「二荒」を、「にこう」と読み、「日光」の字を当て、この地の名前にしたとも言われています。

 

「補陀洛」→「二荒」→「日光」

 

こうなったそうです。

 

和歌山県の「補陀落山寺」、それから、栃木県の「二荒山神社」が、見事に繋がりましたね。

 
 
やはり、「天照派」のグループが、終の棲家に選んだ土地が、ここだったのです。
ここで、メインのグループは、ここで、居住を始めたと思います。
それから、その中の一部は、さらに、北上して、「東北地方」に向かったのだと思います。
 
「日光」の土地で、日本の歴史は、いったん落ち着いたのだと思うのです。
 
 
 
拝殿で参拝しました。
 
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やはり、扉が三つありますね。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つの神殿ですね。
 
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「三葉ちゃん、見つけた~!」
 
と言いながらの記念撮影です。(笑)
 
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この神社の奥宮に、雪道を歩いていきました。
 
途中に、「白糸の滝」という「滝」がありました。
 
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{E4F28A8C-9C4B-4F7B-9C7E-F0130ED33A6C}
 
 
途中で、滑って転んだりして、大変な思いをしながら、目的地にたどり着きました。
 
ここです。
ここに行きたかったのです。
 
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「滝尾神社(たきのおじんじゃ)」です。
ようやく、「滝君」が、尻尾を見せてくれました。(笑)
 
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参道を歩いて行きました。
 
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拝殿で参拝しました。
 
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神社の駐車場です。
ここが、長い旅の最終地点でした。
 
 
小さな祠がありました。
 
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「瀬尾高徳水神社」という名前みたいです。
 
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{45602836-C6D3-41EE-8E8A-8EBD8BAC0A60}
 
 
案内板です。
 
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ありました!
これが、見たかったのです。
 
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「罔象女神(みずはめのかみ)」と書かれていますね~!
「三葉」ですね。
 
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わかりましたね?
 
ここは、アニメの「君の名は。」の知られざる、聖地なのです。
 
「滝君と「三葉」のツインレイが、ここで、ようやく、出会い、一つになっているのです。
 
 
最後の記念撮影です。
 
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ここで、長い旅は、いったん終わりました。

 

今回の旅が、今までで、一番楽しく、面白かったです。

毎回、凄いのですが、この旅は、いつもよりも、パイオニア感が、半端じゃなかったです。

 

「知識よりも行動」

 

これが、モットーなので、とにかく、調べている暇があったら、動きまくりました。

おかげで、いろいろなことがわかり、最高でした。

 

大袈裟じゃなく、私にとっては、「世界一面白い旅」でした。

 

 

 

旅しながら、いろいろなことを、考えました。

 

結論は、歴史においては、全ての出来事は、必要、必然、ベストのタイミングで、起こるということです。

 

「神武派」は、「神武天皇」がリーダーだったようですが、その正体は、シュメール文明では、「アヌ王」ですね。

「権力」の王様です。

そして、「神武天皇」は、「武闘派」だったようですが、これは、文字通り、「武」であり、「勇」でもあります。

 

 

一方の「天照派」は、「イザナギ」と「イザナミ」がリーダーだったようですが、その正体は、シュメール文明では、「エンキ」と「ニンフルサグ」です。

二人は、それぞれ、「知恵」と「愛」の神様たちです。

 

 

3人を、簡単にまとめると、こうなります。

 

 

「神武天皇(アヌ王)」=「権力(勇)」

 

「イザナギ(エンキ)」=「知恵(智)」

 

「イザナミ(ニンフサグ)」=「愛(仁)」

 

 

わかりましたか?

 

この3人は、それぞれ、自分の足りないところがあり、「三つ巴」の関係を築きながら、学びあっていたと思うのです。

 

「権力(勇)」だけでも、ダメなのです。

 

そして、「知恵(智)」だけでも、「愛(仁)」だけでも、ダメなのです。

 
 

「神武天皇」がリーダーのグループ、「神武派」が、「ジャイアン」です。

「イザナギ&イザナミ」がリーダーのグループ、「天照派」が、「のび太君」だという話をしましたね。

 

 

この二つグループを見ていると、プロシアの鉄の宰相と言われた、ビスマルクの名言を思い出します。

 

「正義なき力は、無能なり。力なき正義も、また無能なり」

 

 

「神武派」は、力だけで、正義がなかったと思います。

そして、「天照派」は、正義だけで、力がなかったのです。

 

ここでは、「力」を「権力」で、「正義」を「道徳」と言い換えてもいいかもしれません。

 

両方とも、偏っていたのです。

 

そして、長い長い歴史の中で、ぶつかったり、争ったりしながら、お互いに、無いものを与えあい、受け取りあったのかもしれません。

 

現在でも、関西に代表される、西日本の人は、頭がよく、強い人たちが多い傾向があるように見えます。

そして、北関東から東北地方にかけては、穏やかで、思いやりのある優しい人が多い傾向があるようです。

 

この気質の違いは、上記のような歴史が関係していると思ったら、面白いですね。

 

 

古神道でも、

 

「智」と「仁」と「勇」

 

この三つが大切だという考え方が、あるそうですね。

 

「智」は、「歴史」

「仁」は、「神道」

「勇」は、「武術」

 

だそうですね。

 

そして、それぞれ、「三種の神器」にも、対応しているそうです。

 

「智」は、「(八咫鏡(事実を正確に映す)」

「仁」は、「八尺瓊勾玉(生命を育む心)」

「勇」は、「草薙剣(勇気をだす)」

 

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日本の裏の歴史は、この三つエネルギーが、「三つ巴」になって織りなされた物語だったのかもしれません。

現代の日本は、これが、わりとバランスよく混じっていると思います。

 

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アニメの「君の名は。」の話をします。

 

この作品に出てくる二人の主人公、「滝君(イザナギ)」と「三葉(イザナミ)」は、「賢さ」と「愛情深さ」という二つを兼ね備えた、普通の学生でした。

 

しかし、平凡な日常において、心が優しすぎて、二人とも、いまひとつ、行動力に欠けているところがありました。

 

それが、ある日、「隕石の落下」という絶対的に悪い出来事を知り、それを目にして、急に、「勇気」が湧き上がって、命懸けの救出劇をするのです。

 

そうなのです。

 

絶対平和主義の人々も、自分のためではなく、家族や仲間、人類全体を助けるためだったら、「勇気」のスイッチが入るのです。

 

「天照派」の人々も、おそらく、「神武派」の弾圧の中でも、家族や仲間を守るためだったら、勇気を出して、抵抗したこともあったと思います。

 

「天照派」の人々も、他人のためなら、闘うこともあったと思うのです。

 

 

 

ふーーーっ!

 

旅行記を書き終えました。

 

どうでしたか?

 

私の感動が、伝わりましたか?

 

一緒に、歴史の旅に付き合っていただき、ありがとうございました。

 

さすがに、ちょっと疲れたので、長期の旅行は、しばらくお休みします。

でも、短期の日帰り旅行は、たまにやると思うので、また、どこかで、募集をするかもしれません。

その時、時間があって、近くに住んでいたら、ぜひ、旅に合流してくださいね。

 

 

 

 

では、恒例の締めの一言です。

 

 

 

「子曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず」
 
(現代語訳)
 
孔子がおっしゃいました。
「知者は、(正しい知識を備えているので)判断に迷う事はない。仁者は、(正しい行いを心がけているので)悩む事はない。勇者は、(正しい時にのみ力を用いるので)恐れる事はない」
 
「論語 子罕第九の三十」

 

 

 

 

 

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古代日本パイオニアツアー エピローグ

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「古代日本パイオニアツアー」を、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

たくさんの感想のメールにも、感謝です。

多すぎて、全員には返信できませんが、じっくり読ませていただいています。

 

 

 

これは、オマケの話なのですが、旅行中、面白いシンクロがあったので、そのうちの二つを、紹介させていただきます。

 

 

一つ目です。

 

日光の「二荒山神社」の奥宮にある、「滝尾神社」に行った話を、最後に書きましたが、その後、その隣にある、有名な「日光東照宮」にも、立ち寄りました。

 

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ここは、今回のメインの目的ではなかったのですが、せっかくだから、ちょっとだけ見てみようと思ったのです。

 

記念撮影しました。

 

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しかし、なんと、入場しようと思ったら、時間切れで、閉館と言われました。

けっこう早い時間に、閉まるのですね。

 

しかたなく、バス停まで歩いていき、バスに乗ろうとしたら、そのバス停も、土日と祝日は、運行していないとのことで、ガッカリして、別のバス停に移動しました。

 

しかし、そのバス停の案内板を見て、驚きました。

 

 

まず、ナンバーが、「83」なのです。

逆から読むと、「38」ですね。

 

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今回の旅では、「38」のシンクロが、嵐のように起こったのですが、最後にも、この「3」と「8」の数字が出てきました。

 

オマケに、運行ダイヤを見て、さらに驚きました。

 

見てください!

ほとんどの時間が、「38分」に、バスが停車するようになっています。

 

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これは、ただの偶然でしょうか?

 

いや、違います。

そもそも、「偶然は神である」というのが、この世界のカラクリなのです。(笑)

 

 

 

二つ目です。

 

東京都内を、まわっていた時の話です。

 

知る人ぞ知る、板橋区にある、「縁切榎」です。

江戸時代から、板橋宿の名所として名高い、「縁切榎」と言われている所に、なんとなく行きたくなり、ここにも立ち寄りました。

 

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特に、縁を切りたい人が、いるわけではありませんが、

 

「自分の身の回りにあるもので、不必要になったものなどがあれば、それを捨てたい!」

 

こう思って、行ったのです。

 

部屋のかたずけをするときでも、最初に、ゴミを捨ててからじゃやないと、新しい家具などは、置けませんよね。

ちょうど、人生も、そういうものだと思うのです。

 

 

小さな境内には、いろいろなことが書かれた絵馬があって、そのネガティブな文章に、ちょっと驚きます。

 

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参拝しました。

 

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ここで、手を合わせていたら、高校の頃の思い出が、蘇ってきました。

もう忘れていたと思っていた出来事でした。

 

当時、いろいろなことがあって、精神的に疲れ果てていました。

特に、自分にとっては、面白くない受験勉強を、毎日やらされるのが、苦痛でした。

 

父親が開業医だったので、長男である自分が、跡取りをしなくてはいけないというプレッシャーで、心が潰れそうになっていました。

 

しかし、そもそも、「天照派」の遺伝子が、たくさん組み込まれていると思われる自分にとって、「受験戦争」だとか、「偏差値」だとか、他人と比べて、競争するというのが、大嫌いだったのです。

 

とにかく、10代の頃は、他人との競争が、嫌で嫌で、たまりませんでした。

 

バスケットボールやバレーボールなどの団体競技も、嫌いだったし、男女の間での嫉妬などの感情が湧いてくる、三角関係になりそうな恋愛なども、嫌でした。

だから、必然的に、恋愛もできなかったです。

 

 

そうやって、毎日苦しんでいたら、とうとう、高校3年生の2学期の終わりに、全科目が、赤点になってしまったのです。

 

そして、担任の先生から、

 

「オマケ、このままだと留年だぞ! どうするんだ?」

 

こう言われたのです。

この言葉が、心に、グサ~と、深く刺さったのです。

 

「もう一度、この不愉快な勉強を、あと1年、しかも、下の学年の人たちと、やらなくてはいけない。皆は、すでに仲良しで、自分だけ、上の学年から留年で、クラスに入る…」

 

これを想像した時に、人生に絶望しました。

 

それから、眠れなくなり、最終的には、学校に行かなくなり、精神科の治療を受けるような状況になりました。

 

結局は、精神的に病気だったということで、お情けで、卒業させてもらえたのですが、その時に、担任の先生が、いろいろな便宜をはかってくれたということは、あとで知りました。

 

 

 

その時の出来事が、まだ、トラウマとして残っていたことに、その「縁切り榎」で、気が付きました。

 

そこでの参拝をすませた後、近くに地図があったのですが、それを見て驚嘆しました。

なんと、そこの近くの大通りの名前が、その担任の先生の苗字だったのです!

 

 

それだけではありません。

 

先生の名前の寺が、その近くにあったのです!

先生の下の名前は、「智清」でした。

皆から、「智清先生」と呼ばれて、慕われていました。

私も、大好きでした。

 

 

 

さっそく、行ってきました。

 

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門の表札を見て、ビックリしました。

 

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入口です。

 

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せっかくなので、参拝しました。

 

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本堂の隣にいた、石仏は、もしかしたら、「イザナギ」と「イザナミ」だったかもしれませんね。

 

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旅行記の中で、何度も書きましたが、「天照派」の人々は、他人と競争したり、喧嘩したり、奪い合ったりするのが、何より嫌いで、大の苦手です。

 

そのために、よく貧乏くじを引かされたり、ナメられたり、いじめられたりするのですが、ここで提案があります。

 

いっそのこと、そういう人は、他人と競争するのは、一切やめて、自分と競争したら、いいのではないでしょうか?

 

 

私が、そうでした。

 

ある時期から、他人と競うようなスポーツは、やらないことに決めました。

 

それからは、自分一人でやる、筋トレを始めたのです。

 

たとえば、腕立て伏せをやる時、

 

「昨日の回数が、10回だったら、今日は、11回やり、明日は、12回やるぞ!」

 

こういうふうに、「昨日の自分」と「今日の自分」が、競争をするようにしたのです。

 

私には、このやりた方は、心地よかったので、どんどん、筋トレにハマりました。

最終的には、「パワーリフティング」という競技で、世界大会で優勝までしました。

 

 

社会人になってからの、大きな会社でのサラリーマン生活も、苦痛でした。

「出世競争」というのが、どうしても、ダメなのです。

 

だから、その後、起業して、一人でビジネスを始めました。

これだと、世の中に必要な商品やサービスを提供することだけを、考えていればいいので、気分的に、とても楽です。

もちろん、独立すれば、それなりに、大変なことも多いのですが、私にとっては、会社勤めして、同期の友人たちと競争するよりは、はるかに楽なのです。

 

 

現在、若い人の中では、私のような人も多いと思います。

そういう人は、社会的な成功などよりも、私のように、「オタク」を極めてみたら、どうでしょうか?

 

今回の旅行記を読んでいたら、わかると思いますが、私は、古代史は大好きですが、別に、これで偉くなったやろとか、学者になろうとは、全く思っていません。

 

ただ、純粋に、自分の好奇心を満たすために、行動しています。

 

「昨日の自分」よりも、「今日の自分」の方が、新しい発見や気づきが増え、そして、成長できることが、純粋に嬉しいのです。

これが、本当のワクワクなのです。

 

 

 

 

☆今月から、発売になった、私の新刊、「地球を創った魔法使いたち」も、ぜひ、読んでくださいね。

 

 

〇「地球を創った魔法使いたち」

 

https://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12349502573.html

 

 

 

 

☆恒例の「ボツになった写真集」です。

 

ストーリーの関係上、掲載できなかった写真たちです。

特に深い意味はありません。

 

 

 

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書籍「地球を創った魔法使いたち」

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いつも、旅行記を読んでいただき、ありがとうございます!

 

ご存知のように、今月から、私の本が、発売になっています。

すでに、多くの方に、購入していただいています。

たくさんの感想メールにも、感謝です。

 

 

宇宙考古学や古代に、興味のある方、全国の販売店(販売員)から、お買い求めください。

 

この本は、基本的に、書店などでは、販売しません。

なお、アマゾンなどでのインターネット販売もしません。

下記の販売店(販売員)のみの販売になります。

 

 

この本は、ベストセラーなども、狙っていません。

大量販売もしません。

本当に、読みたい方だけに、お届けしたいと思って、このシステムにしています。

 

15年くらい前にも、「精神世界の鉄人」というタイトルの本を発売しましたが、その時も、このやり方でした。

お蔭さまで、この時の本も全部売り切れ、現在は絶版になっています。

 

今回も、その時の同じ部数を、自費出版で刷りました。

2000冊です。

 

今の時点では、増刷なども考えていません。

だから、2000部限定になると思います。

縁のある方にだけ、届いたらいいと思っています。

 

この後にも、第二巻、第三巻…、こう続きます。

 

当初は、全6巻で完結になる予定でしたが、その後、次々と新事実を発見したので、全8巻になるかもしれません。

各巻とも、同じく、限定部数、2000冊になると思います。

 

 

約4年間、日本中を飛び回って調査した、宇宙考古学と古代史の集大成です。

最高に面白い内容になっています。

 

 

〇「地球を創った魔法使いたち 1巻 ~天空より飛来した人々~」

 

著者:十真至

定価:2500円+税 

ページ数:320ページ

「童楽出版」 (自費出版です)

 

 

表紙を開いたら、こういうデザインになります。

 

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本を立てた時のイメージです。

 

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☆本書、「地球を創った魔法使いたち」は、原則として、書店では購入できません。

アマゾンなどのインターネット販売もやっていません。

本の購読を希望される方は、下記へお申し込みください。

 

お近くの販売店の方が、送料も安く、また比較的早くお届けできると思います。

ぜひ、近くの販売店に、お気軽にお問合せください。

 

 

☆「地球を創った魔法使いたち」  ↓

 

http://www.tomaatlas.com/magicalbook.htm

 

 

 

 

 

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オリンピックの秘密

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平昌五輪も、終わりましたね。

 

私は、この期間は旅行ばかりしていたので、実は、ほとんど、このオリンピックは観れなかったのですが、それでも、日本人選手が、メダルを獲得したり活躍しているニュースを知ると、とても嬉しかったです。

 

いつもながら、開会式や閉会式も華やかで、よかったですね。

 

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以前にも書きましたが、タイムリーな話題なので、再掲載させていただきます。


2020年には、東京でも開催されますね。

東京でのオリンピック開催については、様々な見方ができると思いますが、私は、ポジティブに解釈しようと思います。
素直に、このイベントを喜びたいと思います。


これから先の2年間、日本、特に東京は、世界中から厳しい監視の目で、安全面などを見られることになります。

これは、東京に住む人たちにとっては、プラスに働くことが多いと思います。
日本の政府も、あまりいい加減なことは、できなくなるからです。
 

 


数年前に、「オリンピック」の歴史について、調べてみました。

近代オリンピックの生みの親は、フランス人のクーベルタン男爵だと、言われているそうです。
彼は、どうして、オリンピックを、はじめようとしたのでしょうか? 

 


クーベルタン男爵の育った19世紀には、産業革命とよばれる、とても大きな社会の変化が、ヨーロッパ各地で進んでいたようです。
その変化のなかで、ヨーロッパ各地で、戦争が起きていて、クーベルタン男爵のフランスも、プロイセン(今のドイツ)と戦争をし、負けたそうです。

その後、フランスでは、プロイセンへの復讐を、あおるような教育が行われていて、それに疑問を思ったクーベルタン男爵は、スポーツによる青少年の教育と、平和な世界を築くための手段として、古代オリンピックと「エケケイリア」に注目し、近代オリンピックの開催に尽力したそうです。


古代オリンピックの「エケケイリア」というものが、オリンピックの本質を解く、「鍵」になると思います。


これは、紀元前8世紀に、ギリシャのオリンピアという場所で、ギリシャ神話の最高神、「ゼウス」に捧げるお祭りとして、スタートしたそうです。

そこで、「エケケイリア」という言葉が、生まれたのですが、「エケケイリア」というのは、古代ギリシア語で、

「剣の柄に、伸ばした手を、止める」

「手をつなぐ」

いう意味だそうです。

もっと簡単に訳すると、「オリンピック停戦」という意味だそうです。


古代ギリシア人は、ギリシア語を使い、オリンポスの神々を敬い、ポリスとよばれる都市国家に属する自分たちを、「ヘレネス」とよんでいたそうです。

一方で、他の言葉を使っていたり、オリンポスの神々を信じない他民族を、「バルバロイ」とよんで区別していたそうです。


「バルバロイ」の人たちは、主に、「奴隷」のような仕事をさせられていたそうです。

この「バルバロイ」というのは、

「聞きづらい言葉を話す者」

 

「訳の分からない言葉を話す者」

という意味で、由来としては、ギリシア人には、異民族の言葉は、

「バルバルバル」

と聞こえたからと、いわれているそうです。

ちなみに、これは、英語の「barbarian(野蛮人)」の語源でも、あるそうです。

「バーバリアン」って、こういう意味だったのですね。


当時、同じヘレネスであっても、ポリスが違えば、ポリス同士で戦争することが、あったようです。

だけど、オリンポスの神々をたたえる、お祭りの最中に戦争するのは、神様に対する大変な無礼として、「エケケイリア」、つまり、「オリンピック停戦」が生まれたのだそうです。

つまり、

「神々をたたえるお祭りの最中くらいは、平和で礼儀正しくしましょうよ。お互い、いろいろ大変ですけど、これくらいのマナーは、人間として、最低限守りましょうよ」

という約束だったそうです。

 
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この期間には、武力闘争は、もちろん、法廷闘争や死刑も停止になり、価値観の違う者同士が、話し合うことができる、唯一の期間だったそうです。
一番長い時で、3か月続いたことも、あったようです。


「エケケイリア(オリンピック停戦)」という約束を破った場合、オリンポスの神々を信じている、「ヘレネス」とみなされなくなり、交易を中止させたり、ほかのヘレネスの祭典にも参加できなくなるなど、「バルバロイ」と同じ扱いをされる制裁を、受けさせられたそうです。

奴隷の身分に、されたということです。

「こんな最低限のマナーも守れないような者は、人間ではない。野蛮人だ!」

と思われた、ということです。

この制裁は、大変厳しく、有名なアレキサンダー大王でも、これを破ったときに、制裁を免れることが、できなかったそうです。


まとめると、「オリンピック」というのは、現在では、「平和の祭典」だと、言われていますが、古代オリンピックまで、歴史をさかのぼると、もともとは違っていたということです。

簡単にいうと、オリンピックによって、世の中を、一時的な停戦状態にする。

そして、そのときに、

「誰が、この停戦という決まりを破るのか?」

を、見極めるための儀式だった、ということです。

「誰が、野蛮人なのか?」

これが、メインの目的だったということです。


「平和な状態を破る人を、あぶりだす祭典」

だったということです。

これが、「オリンピックの秘密」だったのです。

古代の人たちの知恵って、凄いですね。
 

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現代では、1993年くらいから、「五輪停戦決議」みたいな感じで、国連などでも、取り上げられているそうです。
ただ、古代ギリシャでも、そうだったように、現代でも、法的拘束力を、もたないものなのだそうです。

これを、破ったときの具体的な罰則や罰金などが、ないということですね。
だから、逆に、凄い力を持っているし、怖いのです。


これを破った国は、罰則がない分、もっと恐ろしい、「社会的な抹殺」という厳しい判決が、裁判所ではなく、「世間」から下されるということです。

「あなたのような最低のバーバリアン(野蛮人)とは、今後一切、お付き合いはしません」

と世間の人、世界中の人たち全員を、敵に回すということです。


ちなみに、アテネオリンピックの時では、202の参加国のうち、191の国が、「五輪停戦決議」の書類に署名したそうですが、アメリカは、「テロ」などの理由に、最初から、この書類に署名しなかったそうです。

「最初から守れない決まりには、参加しません」

と言って、うまく逃げたのかもしれません。

この時は、11の国が、署名しなかったそうです。
あまり知られていませんが、日本も、アメリカと一緒に署名しなかったそうです。

 


適切な例えでは、ないかもしれませんが、私が、昔、サラリーマンの頃、よく経験したのですが、会社などで、懇親会を居酒屋でやったときなどに、上司が、

「今日は無礼講だ! どんどん飲め!」

などと言うことがありましたが、この「無礼講」というのは、実は、

「誰が、無礼講の飲み会で、無礼をやるのか? 無礼者は、誰なのか?」

を見極める儀式だったような気がします。

「品性」を検査し、無法者を、あぶりだする目的で、やっていたのです。


だから、この時に調子にのって、上司にタメ口をたたいたり、ふざけすぎたりすると、その後、なかなか出世できずに、冷や飯を、食わされたりすることになります。

「無礼講」のときに、どういう態度をとるのかが、テストされているということです。


「エケケイリア(オリンピックの停戦)」というのは、ちょうど、会社でいえば、この「無礼講」にあたるようなものかもしれません。
最近では、あまり、やらないのかな?


オリンピックでは、4年に一度、これが試されているのです。

「誰が、バーバリアン(野蛮人)なのか? どの国が、無法者の集まりなのか?」

それを、あぶりだし、白日の下に、さらす儀式なのです。


「どの国が、信用できないのか? どの国が、信用できるのか? 誰が、嘘つきで、誰が、誠実なのか? どの政治家が、ダメなのか? どの政治家が、素晴らしいのか? どの企業が、エゴで動くのか? どの企業が、世の中のことを考えているのか?」

こういうことが、はっきりとわかるのが、オリンピックだということです。


オリンピックに関わることで、信用を失うようなことをする国や組織、そして、人々は、オリンピックが、終わった後、長いこと復活できないような社会的な制裁を、世界全体から、受けることになるのです。



「オリンピック」という祭典は、

「裏の世界で、今、どういうことが、起こっているのか?」

ということを探ったり、世界中の人たちに、知らせるためのイベントなのだそうです。

人間の歴史って、奥深いですね…。

 

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恋愛とチャクラの関係

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久しぶりに、恋愛と結婚の話題です。
新しい読者の方も増えたようなので、再掲載しますね。

 


以前に、親しい友人とおしゃべりしていたら、シャーリー・マクレーンの話題になりました。

 

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20代の人たちの中には、もしかしたら、名前を知らない人もいるかもしれませんが、1980年代に、精神世界のことを知って、「前世」や「宇宙人」、「幽体離脱」などに興味をもって、いろいろな勉強を始めた人たちは、皆、一度は、シャーリーの本を読んだり、映画を見たりしたと思います。

 

私は、特に、「アウト・オン・ア・リム」が大好きでした。

 

アメリカのロサンゼルスに住んでいた時など、この本に出てきた、ニューエイジの専門書店「菩提樹(ボダイツリー)」にも、よく通ったりしていました。

 

 

 

シャーリー・マクレーンが、昔、ビデオで話していたのですが、「恋愛」には、身体にある7つの「チャクラ」が、密接に関係しているそうです。

恋愛が、スタートすると、それぞれのチャクラが、こう動くそうです。


7番目のチャクラ(頭のてっぺん)で、神様が相手と引き合わせる。

6番目のチャクラ(サードアイ)で、お互いにインスピレーションを感じる。

5番目のチャクラ(喉)が反応し、コミュニケーションをとりたくなる。

4番目のチャクラ(ハート)で、愛情を感じ、デートをするようになる。

3番目のチャクラ(胃)が反応し、特に食事中などに感情的になり、喧嘩をするようになる。

2番目のチャクラ(生殖器)が反応して、相手にセクシャルな魅力を感じはじめ、セックスしたくなる。

1番目のチャクラ(尾てい骨)に、エネルギーが降りてきて、お互いに結婚したくなる。

 

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つまり、最後には、1番下のチャクラが反応して、

「この相手と、この現実の世界で、地に足をつけて、一緒に歩いて行きたい」

と考えるようになる。

これが、結婚生活に繋がるのだそうです。


「7→6→5→4→3→2→1」

この一連のチャクラの連動が、

「恋に落ちる(fall in love)」

だそうです。

「恋に上る」

とは、言わないで、

「恋に落ちる」

という表現をするのは、チャクラのエネルギーが、上から下に降りてくるからだそうです。

面白いですね。

このような視点から考えると、恋愛や結婚において、うまくいかない相手とは、お互いのチャクラが、うまく共鳴しあわなかったというのも、要因のひとつなのかもしれません。

 

 


恋愛においては、特に、「4番目のチャクラ(ハート)」が、大切なのだそうです。
「コミュニケーション」を司っているといわれているチャクラですね。
あたりまえのことですが、恋は、ハート(心)なのです。

ここの「ハート」を司るチャクラの回転が、鈍ってくると、愛情が薄くなったりして、恋愛や結婚が、うまくいかなくなるそうです。

太古の昔から、賢者たちは、そのことを知っていたらしく、特に、女性の胸の上に、パワーストーンなどを、ペンダントとして下げて、このチャクラを、スムーズに回転するようにしたそうです。

 


たしかに、私も、10年以上前に、「不思議なペンダント・アセンション」を、首から下げるようになってから、急にモテはじめました。

自分に合ったペンダントは、愛情深くなり、恋愛や結婚に、効果があるのかもしれません。


恋愛が進むにつれて、チャクラのエネルギーは、上から下に順番に下りていくようです。

「恋に落ちる」とは、こういうことだったんですね。

現在のパートナーとの関係に、どのあたりのチャクラが、影響しているのかを考えてみても、面白いですね。

 

 


☆「不思議なペンダント・アセンション」の記事です。

 

 

○「ホワイトマジックの時代」

http://www.tomaatlas.com/lib162.htm

 

 

○「宇宙エネルギー」

http://www.tomaatlas.com/lib166.htm




☆さらに、詳しいお問い合わせ、そして、購入希望の方は、下記のサイトから、友人の有明さん(トリプル向日葵さん)に、お願いします。

○「トリプル向日葵」

http://triplehimawari.ocnk.net/


 

 
 
 

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バレンタインデーとお金の話

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先月、毎年恒例の「バレンタインデー」が、ありましたね。
そして、今月は、もうすぐ、「ホワイトデー」もありますね。

最近は、本物のチョコでなくても、チョコのイラストや写真などを、メールで送ってくださる方も多く、今年も、たくさんの「チョコメール」を、いただきました。
 
また、先月のニュースでは、ゴディバという会社が、
 
「日本は、義理チョコをやめよう」
 
そんなドキッとする一文を、新聞広告に載せて、話題を呼びましたね。
 
 
マスコミが取材して、その狙いを尋ねると、こう答えたそうです。
 

「もちろん本命はあっていいけど、義理チョコはなくてもいい。いや、この時代、ないほうがいい。そう思うに至ったのです」

 

「まず、私たちが大切にしたいのは、バレンタインデーの主役は、『もらうひと』ではなく、『あげるひと』ではないか、ということです。『あげるひと』にとって、『楽しい』バレンタインデーかどうか、 それが、もっとも重要なことではないでしょうか」

 

ゴディバは、広告の意図を、こう話したそうです。

 

そして、決して義理チョコの存在を、否定するわけではないとも、説明したそうです。

 

「義理チョコを、ご挨拶として、知り合いの方に配るのが、自分にとっても楽しい、と考える方には、ぜひ続けていただきたいですし、そのような方のための商品開発は、続けていきます。でも、もし義理チョコが、少しでも苦痛になっている人がいるのであれば、 それは、やめてしまったほうが、いいのではないかと思います」

 
なるほど…、ですね。
 
ちなみに、私は、今年、ゴディバを貰いました。(笑)
ありがとうございました!
 
 
 
数年前に書いた記事ですが、反響が大きかったので、今年も、再掲載させていただきます。
 
 

バレンタインデーには、いろいろと、苦い思い出があります。


10代の頃、異性にモテなかったのですが、その頃、この時期になると、

「ああー、また、バレンタインデーかー。今年も、誰からも、チョコ貰えないんだよな…」

なんて、嘆いていた思い出があります。


20代になって、ある時、

「どうすれば、バレンタインデーで、チョコを、たくさんもらえるだろうか?」

を考えた結果、いいアイデアを思いつきました。

「そうだ! 今年のホワイトデーで、たくさんの女の子に、キャンディーを、あげればいいんだ。そうすれば、翌年のバレンタインデーで、お返しのチョコを貰えるぞ!」

そうして、チョコをもらってもいないのに、あまり親しくない女の子も含めて、たくさんのキャンディーを、たくさんの女の子に、あげました。


そうしたら、案の定、翌年のバレンタインデーには、たくさんのお返しのチョコを、貰えました。

まあ、その時は、全部、義理チョコでしたけど…(苦笑)
 
それからは、少しづつモテるコツみたいなものがわかり、だんだん、本命チョコも貰えるようになりました。(笑)
 
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この話は、単純なことですが、精神世界の真理が、つまっています。

精神世界で、よく言われる、

「自分の与えたものが、自分に返ってくる。与えないものは、返ってこない。返ってきたものは、自分が与えたものである」

という法則が、作用しているのです。


つまり、

「人から、愛されたい!」

と思ったら、まず、

「人を、愛すること」

を先にやったほうがいいということです。


このことは、案外、忘れやすいと思います。


たくさんの人が、

「人から、愛されたい!」

と切望しながら、愛されていない状況に、苦しんでいます。

その場合の、ほんんどが、

「自分が、人を愛していない」

という姿勢に、原因があることが、多いような気がします。


また、いろいろな「成功哲学」の本の中にも、お金持ちなりたければ、

「先に、与えること」

が大切だと書いてありますが、真実だと思います。

お金も、ちょうど、バレンタインデーのチョコのようなものなのです。

「チョコが、たくさんほしい!」

と思っているだけでは、よっぽど、ハンサムな男性でないかぎり、何もしないで、チョコがもらえることなど、まずありません。

普段から、女性に親切にしたり、助けたり、愛情を与えていて、ようやく、チョコが貰えるのです。

だから、ただ、

「お金が、たくさんほしい!」

と言っても、普段から、社会や世間に対して、何もサービスや奉仕をしていない人に、簡単にお金が集まってくることなど、まずないということです。

いつも、社会や世間に対して、よいサービスをしたり、よい商品を提供していて、ようやく、お金が入ってくるのです。

これは、「経済」の根本的な大原則です。
 
 
 
あるマンガで、読んだのですが、中南米では、コーヒーを販売しているカフェが、たくさんあるそうです。
 
でも、それらのお店で、販売しているコーヒーの大半は、日本円にすると、15円くらいだそうです。
 
一杯あたりの単価が、とても低いので、どんなに努力して、販売しても、いつまでも売り上げは上がらず、そこの土地の人々は、ずーっと貧乏なままなのだそうです。
 
日本の大都市の高級ホテルでは、コーヒーが、一杯、1000円以上します。
理屈では、中南米のカフェも、このように、一杯、1000円のコーヒーを販売すれば、あっというまに、売り上げがあがり、豊かになるのですが、そこそも、中南米のカフェのオーナーたちは、1000円のコーヒーを飲んだことがないので、
 
「1000円のコーヒーには、どういう価値があるのだろう?」
 
こういう質問も、思いつかないし、思いついたとしても、体験がないから、わからないのだそうです。
 
豊かな体験をしないと、豊かなサービスは、提供できないということです。
 


「貧乏」という文字は、「貝」と「分」と「乏」の3つから、できています。

この中の「貝」は、「お金」の意味です。

大昔は、貝をお金として、使っていましたからね。

「貧乏」とは、

「貝(お金)を分ける気持ちが、乏しい状態」

という意味だそうです。


「自分は貧乏だ」

と思うと、手持ちのお金を減らさないように、ますますケチになり、人に与えなくなります。

そうすると、ますます、人から嫌われ、いい仕事などを紹介してもらえなくなります。

そして、さらに貧乏になってしまうという、「貧乏スパイラル」に、入ってしまうのです。


これは、ちょうど、私が、10代の頃、

「自分はモテない」

と思い込んでいたために、女の子に親切にしたり、愛情を与えなかったために、ますますモテなくなり、「モテないスパイラル」に入ってしまったことと、似ていますね。


だから、貧乏な人が、

「お金がほしい!」

と思ったら、まずは、その少ないお金を、無理してでも、誰かと、分かち合おうとすると、ゆたかさへの道が、開けやすいということです。

ちょうど、私がホワイトデーに、まずは、たくさんの女の子に、キャンディーを配ったようにです。(笑)


具体的には、何かのセミナーを、受けにいく。
誰かを、食事に誘って、おごってあげる。
少し背伸びして、いい服を買ったり、旅行に行ったりしてみる。
コンビニなどの寄付金をいれるボックスに、小銭をいれてみる。

こうやって、ちょっと意識的に、お金を社会のために出すようにすると、いい循環がはじまりやすくなるようです。



「托鉢(たくはつ)」というのは、お釈迦さまが、考えたという説があるそうです。


2500年前に、お釈迦さまの仏教教団というのは、1250人が、竹林の中で、合宿生活をしていたそうです。

そこに、お釈迦さまを、信奉する者たちが、在家信者として、いろいろな食べ物や野菜などを、持ち寄って来ていたそうです。
 
あるときに、お釈迦さまが、突然、神からのインスピレーションを受けて、弟子たちに、こう言ったそうです。

「明日から、托鉢というものをやりたいと思う。みんなで、お椀を持って、托鉢に回ろう。だから、どこかで、お椀を手に入れるように」


そして、翌朝、実際に回る前に、お釈迦さまは、こう言ったそうです。

「そういえば、言い忘れていたけれども、ひとつ重要なポイントがある。托鉢をするときに、金持ちの家を、回ってはならない。金持ちの家から、お金を頂いてはならない。貧しい人々の家を回って、托鉢をしてきなさい」

弟子たちは、非常に驚いて、

「お師匠さま、それは、言い間違いですよね? 今、頭の中にあるものが、2つあって、それが逆さになって言葉に出てきたんですよね。貧しい人々の家を回ってはならない、金持ちの家を回りなさい、と言いたかったのを、たまたま、お師匠さまは、間違えて言ったんですよね?」

と聞いたそうです。


お釈迦さまは、

「間違って言ったのではない。もう一度言う。金持ちの家を回ってはならない。貧しい人々の家を回りなさい。それで托鉢をしてきなさい」

と言ったそうです。

弟子たちは、非常に不思議がって、

「なぜですか? お師匠さま、教えてください」


お釈迦さまは、こう言ったそうです。

「貧しい人々というのは、自分が貧しいので、人に施しができないと思い、今まで施しをしてこなかった人々だ。そのために、苦しんでいる。その貧しさの苦海から、救ってあげるために、托鉢行というものに、出かけて行くのです」

「自分には、施しをする力がないから、財力がないから、施しができない」

と思って、施しをしてこなかった人は、実は、

「施しをしなかったがゆえに、財が入ってこなかった」

ということを、説いたのだそうです。


「自分にゆとりがあったら、施しができるのに」

と思ってるのは、どうも違うようなのです。


「先に施しありき」

とうことですね。

「まず、先に、人に喜ばれるように、自分ができる限りのことをする」

ということが、やはり、宇宙の性質であり、経済の法則だと、お釈迦さまは、2500年前に説いていたのだそうです。



よく駅前などで、托鉢行をしている、僧侶の方がいますが、私たちが、お金を持っていって、入れると、托鉢行の僧は、

「ありがとうございます」

とは言わずに、お経を唱えて、チリーンと鳴らして、合掌して終わりです。


それを見て、

「お金を入れてあげたのに、ありがとうございますと、言わないじゃないか」

と言うのは、本来の意味を、知らない人なのだそうです。


チャリーンと、お金を入れた側の自分が、

「ありがとうございました」

と言うのが、正しい作法だそうです。


「私」のお金を、正しく美しく使ってもらうために、生活に差し障りのないお金を、持っていって、喜んでさせていただく。

その施しをすることで、どこかから、ご褒美を頂くというのが、「喜捨(きしゃ)」ということの意味だそうです。


托鉢行をされてる方というのは、お金をもらいに来てるんではなくて、もらってあげようとして来ている。

施しをさせに来ている。

わざわざそのために、出向いて来てくださってるそうです。

そうした因果関係が、わかってくると、チャリーンとお金を入れて、こちらの方から、

「ありがとうございました」

って言って帰ることが、できるようになりますね。



お金が余っているから、喜捨をするのではなくて、先に、生活に差し障りのないお金や、これがなくても大丈夫というものを出すと、それが、喜ばれる形で使われた結果として、自分のところに、返ってくるようになっているようです。

「ゆとりがあったら、施しができるのに…」

と思ってる、ゆとりのない人は、施しをしてないがゆえに、ゆとりがないんだ、ということです。



まとめると、お金がほしければ、まずは先に、お金を出すことを、考えるといいということです。
これは、お金が苦しい状態であればあるほど、大切なことです。

そして、愛されたければ、まずは先に、人を愛すること。
モテたければ、異性に親切にして、愛情を与えること。

特に、モテなくて苦しんでいる人ほど、無理をしてでも、そうすることが、大切だということです。


昔の私のように、女性にモテなくて、バレンタインデーに、チョコが、1個も貰えないような男性は、今月のホワイトデーに、キャンディーを、50個くらい、50人の女性に配ってみてください。

そうすれば、来年のバレンタインデーには、10個くらいは、義理チョコが貰えるはずです。

そこから、「モテるスパイラル」が、始まるかもしれません。(笑)



「托鉢」の本当の意味、こういうことだったのですね。
経済活動の根本の真理が、これに、隠れていたんですね。


 
 
 
 
 

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トーマ

 
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大阪セミナー ~地球文明~

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春の足音が、聞こえてきましたね。

 

関西の読者の方々からの依頼が多いので、また4月に、大阪で、セミナーを開催することが決まりました!

 

このセミナーは、いろいろな気づきなど、ブログの活字や写真だけでは伝えられないことを、直接会って、伝えることができます。

ぜひ、地球の歴史の秘密、その他の様々な謎についても、語り合いましょう。

 

 

地球文明や宇宙考古学に、興味のある方、ぜひ、ご参加ください。

参加をご希望の方は、お早めに、私、トーマまで、メールくださいね。

 



<大阪セミナー ~地球文明~>

 


○日時:2018年4月22日(日)13時45分(受付開始) 14時00分~17時00分


○場所:TKPガーデンシティPREMIUM大阪駅前 4階 シクラメン

 

〒530-0002 大阪府大阪市北区曽根崎新地2-3-21 axビル 4F    

 

http://tkp-osaka-ekimae.net/access/

 

 

○内容:神々や宇宙人たちが、地球文明をサポートしていた話を、古代から現代まで、たくさんの具体的な例をあげながら、広く深く語ります。


セミナーで、語りたいことを箇条書きしてみると…


○宇宙の始まり

○宇宙の知的生命体

○創られた惑星、地球

○人間と龍

○恐竜の秘密

○ウイルスと昆虫と植物の秘密

○地球を訪れた宇宙人、ゲル、ぺル、エル

○アヌンナキの一族、エンリル、エンキ、イナンナ

○超古代文明、ムー、レムリア、アトランティス

○縄文時代と弥生時代

 

〇エデンの園、アダムとイブ

 

〇秦の始皇帝、兵馬俑

○邪馬台国と卑弥呼

 

〇聖徳太子

 

〇補陀落渡海

○ノアの方舟と大洪水

○天空の城、ラピュタ

 

〇世界樹

○秘密結社と悪魔教

 

〇ゾンビ

○戦争の始まり

 

〇キリスト教と日本

○ヨーロッパの暗黒時代とペスト

○インディアンの虐殺

○闇の権力と奴隷制度

○アヘン戦争と幕末

○第二次世界大戦の真相

○ニューエイジ

○バシャール

○911と311

○日本の役割

○パラレルワールド

○未来の地球

 

当日は、話の流れで、この中のいくつかを、話すことになると思います。



○定員:12名 

 

深い話がしたいので、少人数とさせていただきます。
定員に達し次第、申し込み締め切らせていただきます。


○受講料:2万円 


お振込み方法などは、別途メールで、ご連絡いたします。


〇その他:セミナー終了後に、懇親会も予定しています。

こちらも、ぜひご参加ください。

 

 


☆参加をご希望の方は、私、トーマまで、メールお願いします。

 

最近、メールが、返信できないことが増えています。

3日経っても、私から返信がない場合は、別のメルアドから送信してみてください。

 

トーマ

 

 

toma_atlas@yahoo.co.jp





PS 地球の隠されてきた本当の歴史を、知りたくないですか?

写真は、アトランティス文明の都市の想像画です。

 

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☆参考までに、過去記事のいくつかを、再度掲載します。


○「宇宙の始まり」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11788790871.html


○「3タイプの宇宙人による地球文明の歴史」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11737047449.html


○「ラージ・エックス」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11901862620.html

 


○「龍」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11916718173.html
 

 

〇「狛犬の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241177514.html

 

 

〇「稲荷神の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241267304.html

 


○「邪馬台国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12269921232.html

 

 

〇「神の国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12270038516.html

 


☆内容は、当日、少し変更になるかもしれませんが、大まかでは、これらの話を、たくさんの秘蔵写真をお見せしながら、わかりやすくお伝えします。

 



○以前に開催した、「地球文明のセミナー」の参加者からの感想メールです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


○Oさん(女性)

先日の、大阪セミナーありがとうございました!!
私が認識してる宇宙、地球、世の中、の角度がガラリと変わりました
見れる角度が格段に増えて、世界がめちゃ広がったし、また新しい自分で見れるようになりました!!!
ホント、世界一受けたい授業です!!
もーずっと聞いてたい笑!!!
やっぱり、地球っておもしろい
( ´ ▽ ` )ノ
又よろしくお願いします


○Tさん(女性)

先日は本当にありがとうございました!
そして、13才おめでとうございました^^
感慨深いですね~!

ほーんとすっごくすっごく、楽しかった~~~。
素敵なトークをありがとうございます!
そうそう!感想、送ろうと思ってゴメンなさい~><

感想は、トーマさんの泉のように湧き出る豊富なトークに、
もう夢中になってひたすら聞き入ってしまいました。楽しかったああ。

知らないことはもちろん、自分が置いてきぼりにしていたこと、
納得いく真実に出会えました。これが本当だよ、って

心が震えるのは、真実に限りなく近いお話だからなのだとおもいます。

それに、おかしいな?っていうことに徹底切り込んでいくトーマさんの好奇心は素晴らしい!
何から何まで楽しませていただいて、終電までわくわくして、帰るときには

「地球ってやっぱりいいないろいろあるけどいいとこだな」と思えるセミナーでした。

お茶会も楽しみです!今月下旬でしたら、都合がつきそうです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


○Yさん(女性)

今日はセミナーありがとうございました
本当にトーマさんの話は興味がある話ばかりで、面白くて一緒にいると、時間があっという間に過ぎてしまいます
スピリチュアル系の話、宇宙人の話も、陰謀系の話も濃厚すぎて、そのうちのどれほどの話が私の頭に残ってるのやら(笑)
でもほんの一部でも心に残っていれば参加した価値ありですね

宇宙の始まりが『たっぷん』から始まったことや、神様の進化したのが人間だってことや、ゴキブリが実はロボット?っていう話や、化石が残ってる理由や、地球のヒストリーや、肉:穀物が1:7が良いって事など、目から鱗がたくさんはがれました

これからは話すときは映像を頭に浮かべることを意識します
帰って早速、まる(犬)に映像を浮かべて話しかけてみました『今日ね、トーマさんの家に行ってね面白い話をたくさん聞いてきたよ♪話を聞くために10人以上の人が集まったんだよ。人間をあやつっている人の話とか聞いたんだよ』って(笑)
ちゃんと聞き耳たてて聞いてくれていました


○Sさん(女性)

トーマさん、先日のセミナーでわたしはずーと不思議に思っていたことがいくつか、溶けました。

自分がなんのために、もの作りをするのか、有り余る物質の中で漠然と疑問があったのです。

それから、よく、「ドイツ人と日本人は時間を守る」と聞くので不思議だと思ってましたから、しっくりきたのです。他にも疑問はありますが、なかなか表面的なことしか、分からなくてそれだとしっくり来ないのですよね。

トーマさんの話だとスッキリしましたから、よかったです。

ありがとうございました。


○Tさん(女性)

トーマさん、先日は本当に本当に楽しい時間を、ありがとうございました!!!

今また改めて、トーマさんのブログを初めから読ませて頂いているのですが、何度読んでも面白くて、新しい気付きもたくさんあって、その中からもトーマさんの深い思いやりと愛をバシバシ感じております☆

今月の秘密結茶、時間が合いましたら、ぜひ参加させて下さい☆

よろしくお願い致します☆


○Iさん(女性)

今日は、ありがとうございました!!
すっごく楽しかったですー(。>∀<。)
トーマさんのお話を聞くと、視野が広がるので、いつも、助かっています!!
本当にありがとうございました!

魅力菩薩になれるよう、がんばりまーす
おやすみなさい!


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 

 

 

 

 

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古代日本ピースツアー 1 木を見て森を見る

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最近のマイブームは、都内の神社仏閣巡りです。

 

先週は、東京都内の新宿にある、「熊野神社」に行ってきました。

大都会の真ん中に、こんな素敵な神社があったのですね。

 

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「八咫烏」や「三つ巴」などのシンボルもあり、感動しました。

 

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今年になってから、日本全国をまわっていますが、そこで気が付いたことを、また旅行記で書いていきます。

 

先週、久しぶりに、人気の海外ドラマ、「プリズンブレイク」のシーズン5を借りてきて、家で観ました。

やはり、とっても面白かったです。

 

この映画は、脱獄劇なのですが、最初から最後まで、ハラハラ、ドキドキして、そのスリリングな展開に、息をのみます。

 

子供の頃から、脱獄の映画が、大好きでした。

「大脱走」も、テレビの洋画劇場で、ワクワクしながら、夢中で観たし、「ショーシャンクの空に」も、当時のレンタルビデオ店で借りて、手に汗を握りながら観ました。

 

 

しかし、ご存知のように、古代において、これらの脱獄映画よりも、もっと壮大なスケールで、さらに高度な脱獄劇が、我が国、日本であったことを、ほとんどの日本人が、まだ知りません。

 

そこで、私は、この脱獄劇を、今年になってから、集中して調べています。

この謎解きゲームは、最高に楽しいです。

 

今回も、この壮大なスケールの脱獄劇を、知の冒険として、楽しみましょう!

 

 

 

よく、使われることわざに、

 

「井の中の蛙、大海を知らず」

 

というのがありますが、その後に続く言葉は、あまり知られていませんね。

 

いくつかバージョンがあるようですが、

 

「井の中の蛙、大海を知らず、されど空の青さを知る」

 

というのもあるようです。

 

 

これは、いわゆる、「専門バカ」や「学者バカ」のことを、表現しているそうです。

 

たとえば、長年一つのことばかり、長年研究している学者というのは、視野が狭く、世間一般の常識に疎くなりやすくなるという意味で使いますね。

 

だだし、世情には疎くても、自分の興味を突き詰めていく過程で、世の中の奥底にある、凄い真理を発見することもあります。

 

そういう意味だと思います。

 

「井の中の蛙は、井戸の中にいるために、広い地球のことはわからないけど、高い空を見上げているうちに、もっと広大な宇宙を感じることができるようになった」

 

こう言っているのです。

 

 

 

世の中には、いろいろなことよく知っていて、常識的な人は多いけど、一つのことを専門的に長年追求している人は、少ないです。

 

でも、これからは、いわゆる、「オタク」と言われるような極端に視野が狭く、「マニアの中のマニア」のような人たちの存在が、価値をもってくると思います。

 

知識や情報の量だけなら、コンピューターが、全部やってくれるのです。

 

面白い視点やユニークな解釈、アイデアやインスピレーションが、これからの時代には、大切になってくるのです。

 

 

 

これも、よく使われることわざですが、

 

「木を見て森を見ず」

 

という表現もありますね。

 

しかし、これも、逆の解釈があって、

 

「木を見て森を見る」

 

という考え方もあるのです。

 

 

マクロの視点で、森を全体的に見ることも、大切ですが、正反対のミクロの視点で、木の細胞、それから、その周辺の微生物などを調べることにやって、森のことを、もっと深く知ることもできるのです。

 

昔、この「木を見て森を見る」ということを、実践したのが、和歌山県が生んだ天才、南方熊楠でした。

 

南方先生は、生物学者としては、粘菌の研究で知られていますが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしていて、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていたそうですね。

 

南方先生などは、まさに、いい意味での専門バカでした。

 

世間一般の凡人は、なるべく、高い所から、山や森の全体を見ようとしますが、南方先生は、ひたすら、極小の世界を眺めることによって、山や森の真実や核心の部分に、到達していたのだと思います。

 

 

 

私は、南方先生に比べたら、大した学者でも、なんでもないのですが、とりあえず、この方のように、ある一定の期間は、一つのことを、徹底に調査したり、掘り下げてみるという姿勢は、大切にしています。

 

去年は、「世界樹」と言われる巨木の化石に魅了され、その調査で、日本中を飛び回りました。

 

そして、今年になってからは、徹底的に調べているものが、「補陀落渡海」なのです。

 

この古代日本における脱獄劇、「補陀落渡海」だけを、集中して調べているうちに、いろいろなことが繋がり、たくさんの真実が見えてきました。

 

まさに、

 

「木を見ると、森が見える」

 

というかんじになったのです。

 

「一つのことを、徹底的に追及して、全体を見る」

 

こういう教育は、受験勉強を重視している、日本においては、大学や大学院などでしか、やらないと思います。

 

でも、これからは、小学校や中学校などの義務教育でも、こういう時間をとって、自分の興味のあることだけを、追求するということも、大切になってくるかもしれません。

 

 

では、そろそろ、この大切な「木」を、「補陀落渡海」というミクロな出来事を中心に、じっくりと眺めてみましょう。

 

「補陀落渡海」という「木」を徹底的に、注意深く見ることによって、「古代史」という「森」が見えてくると思います。

 

「木を見て森を見る」

 

今回の旅行記では、その楽しさを感じてもらいたいです。

 

 

 

 

旅行記のテーマは、「ピース(平和)」にしました。

 

私たち日本人は、「平和」の民族だと言われています。

その「平和」の根源に迫ってみようと思います。

 

 

 

海外ドラマの中では、毎回、新しいシーズンが始まる前に、「前回までのあらすじ」というのを、数分間やりますね。

 

同じように、私の旅行記も、最初の前半部分では、今までの経緯を、大雑把にまとめた記事を書いてから、後半の本格的な旅行記に入るようにしています。

 

では、まずは、その話を書いていきます。

 

 

 

下記の絵は、シュメール文明における、人間の創造神である、「エンキ」と「ニンフルサグ」の絵です。

 

右が、「エンキ」で、左が、「ニンフルサグ」だそうです。

真ん中の木は、「生命の樹」と言われていて、人類創世に関わっているそうです。

 

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この二人は、兄と妹でもあり、夫婦でもあったようです。

そして、この二人は、日本にも来ていたのです。

 

最近の古代史の研究でも、科学的に解明されてきているのです。

比較言語学などを使って、縄文土器の模様などを、詳しく調べた結果、いろいろな史実が、浮かび上がってきたようです。

 

シンボルの数、それから、シンボルの形などで、土器の模様の意味が、シュメールの神様を表現してることが、どんどんわかってきているのです。

 

例えば、この縄文土器の中央にある模様は、「エンキ」の精子を、「ニンフルサグ」の子宮に入れて、遺伝子操作で、クローン人間を創っているということが、文字を解読して、わかったそうです。

 

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さらに、面白いことも、わかっているようです。

 

比較言語学の専門家たちが、シュメール文明の神様である、「アヌンナキ」の一族の正体を、「古事記」に書かれている単語や表現から、読み解いたそうです。

それによると、彼らのグループは、「古事記」の中に現れる、「国つ神」を信仰する、「地祇族」だということが、わかっているそうです。

 

 

他にも、もっと凄いことが、解明されているそうです。

縄文土器や縄文土偶には、絵文字(象形文字)、シンボル記号、シンボル数、シュメール語などが、表現されているそうです。

 

 

「エンキ」は、日本語に翻訳される時に、「牡牛神ハル」とも言われているそうです。

 

詳しいことは省略しますが、これを専門家が読み解いたら、

 

「エンキ」=「牡牛神ハル」=「3と4の男」

 

となるそうです。

 

さらに、シュメール語では、

 

「エシュ・ア・ラム・ギッシュ」

 

これが、長い期間の間に、

 

「エシュ・ア・ナン・ギ」

 

さらに、

 

「イシャ・ナ・ギ」

 

というふうに、変化したようです。

 

そうなのです。

 

この単語が、日本に入ってきてから、

 

「イザ・ナ・ギ」=「伊弉諾尊」

 

になったというのです。

 

 

もう一方、「エンキ」の妹であり、奥さんでもあった、「ニンフルサグ」は、「蛇女神キ」とも言われています。

 

「ニンフルサグ」=「蛇女キ」=「3と4の女」

 

となるそうです。

 

さらに、シュメール語では、

 

「エシュ・ア・ラム・ミ」

 

これが、長い期間の間に、

 

「エシュ・ア・ナン・ミ」

 

さらに、

 

「イシャ・ナ・ミ」

 

に変化したようです。

 

日本に入ってきてから、

 

「イ・サ・ナ・ミ」=「伊弉冉尊」

 

になったのです。

 

 

日本の神様の姿が、具体的になってきましたね~!

 

縄文土器や縄文土偶の7割以上の模様が、この二柱を表現しているそうです。

縄文時代には、この二人の兄妹が、日本人に、とても愛され、親しまれていたということです。

 

 

「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」。

 

この二柱の前で、執り行う結婚式が、「神前結婚式」なので、どれだけ深く、日本人と関わっているのか、わかると思います。

 

この二人は、「国生み」にも関わっています。

この二人の兄妹が、日本の国土も創ったのです。

シュメールの神話では、「エンキ」と「ニンフルサグ」ですが、日本神話では、「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」になります。

 

「日本」も「日本人」も、二人が創ったのです。

「日本人の始祖」なのです。

 

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もう少し、「エンキ」について、書いておきますね。

 

 

下記は、日本に来ていた初期の頃の「エンキ」の姿みたいです。

 

頭部は人間で、身体が蛇の神様ですね。

岐阜県の「位山」にある像です。

 

こういう素の姿の「エンキ」を祀っている所は、珍しいと思います。

「宇賀神」などとも呼ばれています。

いわゆる、「龍神様」でもあります。

 

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側に、不思議な球体も置かれていますが、もしかしたら、これは、「エンキ=イザナギ」が乗ってきたUFOかもしれません。

日本の神話には、よく、「玉」という文字が出てきますが、この意味も含んでると思います。

 

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太古の昔、こういう球体型のUFOが、日本中を飛び回っていたのではないでしょうか?

この未確認飛行物体のことを、当時の人々は、「速い玉」と呼んだりしていたのではないでしょうか?

そして、それが、熊野にある、「熊野速玉大社」の主祭神、「熊野速玉大神」になったのではないでしょうか?

 

 

 

この絵は、「伏羲氏と女媧図」という古代の中国の伝説に登場する神様です。

この二人の神様は、「伏羲」と「女媧」という兄妹です。

「エンキ」と「ニンフルサグ」だと思います。

 

中国の伝説によると、大洪水が起きたときに、二人だけが生き延び、それが人類の始祖となったと、言い伝えられているそうです。

 

ということは…

 

中国人の始祖も、「エンキ」と「ニンフルサグ」であり、つまり、「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」ということです。

 
「なんだ… 世界中の人種や民族は、皆、全ての源は、一緒じゃないか…」
 
これを知って、こう思いました。
 

この絡み合っている姿を模したのが、「出雲大社」などの「しめ縄」かもしれませんね。

 

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上にある、花模様のシンボルマークは、「菊の紋章」かな?

 

「コンパス」と「定規」を持っていることに、注目してください。

ご存知のように、「コンパス」と「定規」は、秘密結社、「フリーメーソン」のシンボルです。

 

ちなみに、これは、「設計」の意味です。

太古の昔から、いろいろな建築物を造る時に、この道具を使ったので、この二つが、シンボルになっているそうです。

 

 

 

なんと、古代中国の神話の時代に、すでに、「フリーメーソン」が、存在していたのですね。

これが、最古の「フリーメーソン」だと思います。

創始者は、「エンキ」と「ニンフルサグ」という、人類や動物を設計して、地球上に生み出した神様たちだったということです。

 

 

2017年の伊勢の旅行で、一番感動したものです。

 

これは、ある場所で見つけたのですが、目立たない場所に、ひっそりと置かれていました。

もう少しで、見過ごす所でした。

 

ハイ!

「コンパス」と「定規」ですね。

 

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これは、「伊勢神宮」の内宮や外宮の大切な扉を開く時に使う、「カギ」なのだそうです。

大感動でした。

 

「伊勢神宮」の正真正銘、本当の御祭神は、「エンキ」と「ニンフルサグ」、つまり、「イザナギ」と「イザナミ」の二人の神様なのだと思います。

繰り返しますが、この二人が、「日本人」の設計者なのです。

 

 

 

私は、古代史を学んでいるうちに、「エンキ」と「ニンフルサグ」、つまり、「イザナギ」と「イザナミ」の二人の神様は、アフリカから、テレポーテーションで、瞬時に、日本にやってきたいうなイメージを、勝手にもっていました。

 

しかし、どうやら、この二人が、日本に登場したのは、別の方法だったみたいです。

もっと、ドラマチックで、感動的な演出をしながら、我が国には、登場したようなのです。

 

 

「アヌンナキ」の一族たちは、世界中に、その痕跡が残っていますが、それぞれの国の歴史や文化、それから、その土地の人々の価値観に合わせて、姿形を変えたり、メッセージを伝えたりしていたようなのです。

 

 

では、日本では、どうだったのでしょうか?

 

その答えは、去年に出会った本に書かれていました。

 

〇「超古代の黙示録」 後藤まさし たま出版 1429円

 

旅行記では、この本からの情報を元に、私なりの解釈と表現で、思いっきりシンプルに書いていきますね。

 

 

 

この本によると、宇宙には、生命を創る元のエネルギーのようなものがあり、それは、「丹(に)」と呼ばれているそうです。

 

太陽で創られ、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元になっているそうです。

 

そして、宇宙空間にあり、目に見ない、「障壁賀」という、宇宙の子宮のような所があり、ここに、「生(しょう)」と呼ばれる別のエネルギーのようなものが、充満しているそうなのですが、ここで、二つが合体するそうです。

 

そして、「丹生(にしょう)」というエネルギーが、生まれるそうです。

 

「丹(に)」+「生(しょう)」=「丹生(にしょう)」

 

「丹生」とは、「丹生遺伝子」の意味で、生命そのものを表現するのだそうです。

このエネルギーが生まれた後、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中では、「植物」、「動物」、「人間」の三つに、区分けされるそうです。

 

 

太古の大昔、最初に、「植物の丹生」が、地球に降り立ち、次に、「動物の丹生」が、最後に、「人間の丹生」が、降り立ったそうです。

三つとも、月を経由して、地球に来たそうです。

 

 

この本によると、最初に、「植物の丹生」が降り立ったのが、現在の日本の京都府与謝郡峰山町にある、「藤社(ふじこそ)神社」だそうです。

 

それから、「動物の丹生」が降り立ったのが、同じく京都府与謝郡峰山町の「比沼麻奈為(ひぬまない)神社」だそうです。

 

太古の昔は、「与謝郡」と「与謝の海」を合わせた場所を、「与謝津(よさかい)」と言って、ここだけが、地球上で、唯一、生命を導き、育てることが、許されていた場所だったそうです。

 

 

そもそも、「丹波」のように、「丹」がつく土地は、

 

「丹(に)の波動を出している土地」

 

という意味なのだそうです。

凄い土地だったのですね~!

 

 

さて、肝心の「人間の丹生」が降り立った場所ですが、それが、現在の「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」なのだそうです。

この本によると、720万年前の話だそうです。

 

最初の「人間の丹生」は、「零迦児(むかご)」として、風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。

 

それは、なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。

私は、これは偶然ではなく、神々の演出だったのだと思います。

 

 

「コウノトリ但馬空港」のロビーにあった、「コウノトリ」の巣」のレプリカです。

 

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それから、その、「零迦児」は、巣と一緒に、海に落ちて、しばらく、与謝海を漂ったそうです。

その時に、何度も何度も、脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。

その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように、見守っていたそうです。

 

 

昔から、世界中に、

 

「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」

 

という話がありますが、これが由来だそうです。

 

 

「舞鶴」という地名も、元々は、

 

「コウノトリが、舞い戻った」

 

ということから、できた名前だそうです。

 

おそらく、この「零迦児の入った巣」を、海に漂っている途中で、危なくて見てられなくなり、口で咥えて、舞鶴の地へ運んだのだと思います。

 

 

最終的には、「零迦児の入った巣」は、舞鶴の「丹生川」の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら、育ったそうです。

 

 

丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。

 

「久久比神社」という名前です。

「鵠(くぐい:コウノトリの古称)」が、名前の由来だという説もあるそうです。

去年の夏、ここでも記念撮影しました。

 

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こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。

先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。

 

 

この「零迦児(むかご)」は、「双子の魂」だったそうです。

 

今風の表現だと、アニメの「君の名は。」でも使われた、「ツインレイ」ですね。

この二人が、純粋な「日本人の始祖」になるのです。

 

「イザナギ」と「イザナミ」なのです。

 

この話、最高に面白いですね~!!

 

中近東を拠点にした、シュメールの文明の神々、「アヌ王」のファミリーは、50万年前に、故郷である、「二ビル星」から、UFOでやってきたそうです。

 

しかし、その「アヌ王」の子供になる、「エンキ」と「ニンフルサグ」の二人が、それよりも古い、720万年前に、なんと、宇宙の根源からダイレクトに、日本の丹後半島に、降臨していたということです。

 

 

二人は、月を経由してやってきて、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た、「繭(まゆ)」のような姿の生物として、成長したようです。

それからも、何度か脱皮を繰り返して、人間として成長したそうです。

 

「瓢箪(ひょうたん)から駒」

 

という表現の語源は、このあたりに由来しているそうです。

 

 

一説によると、天橋立から、ちょっと離れた、「冠島」で、「零迦児」は、完全な人間の姿になったそうです。

何かの用事で、ここに行ったのか、もしくは、ここで、人間になる儀式をやったのかもしれません。

 

「冠島」です。

 

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この話を知ったら、無性に、「籠神社」と「眞名井神社」に行きたくなり、去年の夏、ここにも行ってきました。

 

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「眞名井神社」です。

「三つ巴」の紋章は、「植物」と「動物」と「人間」の遺伝子も、表現しているのだと思います。

今回の旅行記でも、この「三つ巴」のシンボルマークが、キーワードになるので、よく覚えておいてくださいね。

 

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入口の石柱を見て、大感動しました。

 

見てください!

 

「匏宮大神宮」と書かれていますねー!

 

前述したように、最初に、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た、「繭(まゆ)」のような姿の生物として、地球に誕生した、「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」のことが、書かれているのです。

 

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「イザナギ」と「イザナミ」の二人ですが、最初の頃は、中近東にあった、「エデンの園」に住んでいた、もう一組の人祖である、「アダム」と「イブ」のように、周囲には、植物と動物以外には誰もいないという環境で、二人っきりの童児と童女として、寄り添いながら、生きていったそうです。

 

小鳥たちや小動物たちしか、遊び相手はいなかったのです。

 

密生した桧の樹が、音を出して、きしみながら発火した時に、それを見て、火の起こし方を学び、魚や肉も、生よりも、火で焼いたほうが、美味しく食べれれることを知ったそうです。

 

それから、火の傍にあった粘土が、形をつくっているのを見て、素焼きをつくることも、学んだそうです。

 

 

ある日のこと、小鳥やリスが、交尾をしているのを見て、童女の方が、顔を赤らめたそうです。

 

それから、童女は、童児に、

 

「これからは、寝屋を別にしましょう」

 

と言ったそうです。

 

お互いに、異性を意識するようになったということです。

 

童児も、それに同意して、それが、きっかけで、二人は別々の場所で暮らすことになったそうです。

童女のほうは、自分の発言を、後に、凄く後悔して、自分を責め続けたそうです。

 

しかし、永遠の別れというわけでもなく、二人の約束は、

 

「ある程度の年齢になったら、また再会しよう!」

 

というものだったそうです。

 

 

現在の福井県小浜市にある、遠敷川の「鵜瀬」で、二人は、一旦、涙の別れをしたそうです。

 

 

童女のほうは、その後、現在の滋賀県の琵琶湖にある、「竹生島」で、初潮を迎えたそうです。

後世、成人した女性を守る、「弁天様」は、ここから発生しているそうです。

 

そういえば、多くの祠は、池の中にあったり、赤い鳥居や赤い祠、赤い橋などですね。

あれは、童女(イザナミ)が、琵琶湖に囲まれた竹生島で、赤い血を流したことが、始まりだそうです。

 

 

それから、童女は、滋賀県犬上郡多賀町のあたりで、しばらく暮らしたそうです。

そこで、麻の皮が丈夫なことを知って、そこで、自分の身体を保護する麻衣を編み出し、それを身に纏ったそうです。

これが、人類の衣服の始まりだそうです。

 

西洋の「アダム」と「イブ」が、「イチジクの葉っぱ」で性器を隠した話よりも、より高度ですね。(笑)

 

 

 

「イザナミ」は、その後は、三重県の員弁、それから、三重県の麻生田でも、3年間ほど生活していたそうです。

ここでは、ひたすら麻織物を織っていたそうです。

 

 

それから、「イザナギ」と再会を約束していた場所、現在の伊勢市宮後町にある、「伊勢神宮」の外宮の別宮、「月夜見宮」に行ったそうです。

 

そこで、二人は、お互いに成長した姿で、久しぶりの再会をしたそうです。

そして、ここで、結婚式を挙げたそうです。

これが、人類初の結婚式、つまり、「人祖の結婚式」になったそうです。

 

 

そこでは、「イザナミ」が、麻生田で織った、「白妙」を二人とも纏って、誓いの言葉を、神に述べたそうです。

 

「絶対に争ったり、殺し合ったりせずに、助け合います」

 

というのが、その誓いの言葉だったそうです。

 

現在でも、天皇が結婚する時にやる、「大嘗神祇祭」という儀式では、これをやるそうです。

 

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この誓いの言葉の理由は、最初の人祖である、この二人が、「人間の元」の状態で、地球に来る前に、その宇宙の根源のような世界、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中が、とても調和がとれていて、争いごとの全くない、素晴らしい世界だったために、必然的に、その理想の世界を、この現実世界でも再現しようと思ったようです。

 

考えてみたら、現在の日本の「平和憲法」は、この時に、すでに出来上がっていたのですね。

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」は、結婚したあと、滋賀県に向かったそうですが、その滋賀への旅の途中、現在の三重県いなべ市にある、「饗庭神社」で、人類初となる、最初の妊娠に気がついたそうです。

 

 

それから、イザナミは、自分が子供の頃に住んでいた滋賀県犬上郡多賀町のあたりが、とても気に入っていたので、そこでの定住を決めたようです。

 

二人は老化もせず、若い身体のまま、数千年生きたそうです。

そして、その間に、子供を、たくさん産んだようなのです。

子供たちは、男女合わせて38人いたそうです。

男児が19人、女児が19人だったそうです。

 

38人の子供たちが、ある程度育ち、それから、さらに、その38人も、たくさんの子供を産み、大勢の子孫に恵まれたそうです。

 

それで、ある程度、落ち着いた頃を見計らって、二人は、元来た天に戻ることにしたそうです。

 

その場所は、滋賀県米原市にある、「醒ヶ井」という所にある、「武奈山」と「比婆山」を、二人のお墓に決めたそうです。

この二つの山は、距離にして、3キロくらい離れているそうです。

 

 

最初に、「イザナギ」が、「武奈山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、本質である霊体は、

 

プシュー!

 

と、天高く飛びあがり、そのまま、「金星」に向かって、天に飛んでいったそうです。

 

しばらくして、今度は、「イザナミ」が、「比婆山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、また、霊体が、

 

プシュー!

 

と、「イザナギ」の後を追うように、同じく、「金星」の方角に飛んで行ったそうです。

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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古代日本ピースツアー 2 天照派

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「イザナギ」と「イザナミ」の二人が、まだ地上に住んでいた頃、神に呼ばれて、38人の子供たちを連れて、「霊仙山」に行ったそうです。

この山は、滋賀県犬上郡多賀町と米原市にまたがる山です。

 

 

その山頂では、38人が、全員で輪になり、「イザナギ」と「イザナミ」は、それぞれの子供たちに、順序よく1人ひとりに、天に向かって、大きな声で、違う発声をさせたそうです。

 

すると、天からは、一言ずつ違った霊言が、返ってきたそうです。

38人の子供たちの声、それに合わせた、それぞれに違う霊言、合計76の言霊が、この時に生まれたそうです。

 

 

本来は、この76の言霊があれば、人間は、争ったり、喧嘩したりしないのだそうです。

それが、いつの間にか、50音の音に削られて、それから、さらに、現在では、世界中の国で、26音のアルファベットが使われるように、なってしまったそうです。

 

音や文字が少なくなるほど、人間は、表現の幅が狭くなり、自分の意思や気持ちが、うまく伝わらなくなるのです。

そして、その伝えられない部分を補おうとして、暴力をふるったり、怒鳴ったりして、喧嘩になるのです。

 

「76の言霊」が、元々の神言葉だったということです。

「76」という数字は、「仏教」においても特別な数字で、一説によると、「七六(なむ)」という言葉でも、表現されるそうです。

 

「南無(なむ)」の意味には、これも含まれるそうです。

 

「南無阿弥陀仏」

「南無妙法蓮華経」

 

こういう言葉を、聞いたことがあると思います。

古代の言葉の意味は、こうやって、さりげなく、いろいろな所に隠されているのですね。

 

「南無」という文字も、これから先の旅行記の中で、重要なキーワードになるので、覚えておいてください。

 

 

38人の子供たちは、それそれ、男子が19人、女子が19人で、それぞれ、カップルになり、結婚して世帯をもったそうです。

19組のカップルができたそうなのです。

 

その中でも、最初の長男と長女のカップルは、別格の扱いになったそうです。

この夫婦は、「大丹生・皇(おにゅうけ・すめら)」という名前が付けられ、後に、この子孫が、「天皇家」の家系になったそうです。

 

長男の名前が、「別雷尊(わけいかずちのみこと)」という名前だったそうです。

 

とても元気な身体で、拳を振り上げて、生まれたそうです。

そして、宇宙の源のエネルギーである、「丹生」の波動で、身体が輝いていたそうです。

それが、まるで、雷でも落ちて、発光していたように、見えたのかもしれません。

現代風の表現では、「凄いオーラをまとった身体」だったのだと思います。

 

だから、「雷から別れて、この世に誕生した赤ちゃん」という意味で、この名前をつけたのかもしれません。

 

神社の鳥居のしめ縄に、よく、白い紙が、下げられていますね。

これは、「カミナリ」の意味だそうです。

 

この長男、「別雷尊(わけいかずちのみこと)」の意味も、含んでると思います。

旅行記では、「雷」も、重要なキーワードになるので、覚えておいてくださいね。

 

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長女の名前は、「玉依姫(たまよりひめ)」と名付けられてそうです。

「玉のように美しい」という表現がありますが、ここからきていると思います。

この一族の中では、美しい女性の美称として、この表現を使っていたそうです。

 

「玉」という単語も、これから、重要なキーワードになります。

 

 

 

他の18組の夫婦は、「丹生家(にゅうけ)」となり、「天皇家」を補佐するグループになったそうです。

 

まとめると、「38人の子供」の中で、長男と長女の2人は、「天皇家」になり、残りの36人は、「補佐の役割」になったということです。

 

 

考えてみれば、日本の学校の義務教育において、一学級のクラスの人数は、だいたい40人前後が多いですね。

現在は、わかりませんが、私の学生時代は、そうでした。

 

この数字の根拠は、

 

「日本人の始祖である、イザナギとイザナミの神々でも、38人までしか、目が届かなかった」

 

ということなんじゃないかな?

 

 

これが、「日本人の原点」だと思います。

幅広い表現のできる、76の言霊を発し、決して争ったり喧嘩したりしないで、個性豊かで、平和な一族だったのです。

 

 

この最初の日本人の数を表現している、「三十八」という数字は、実は、とても特別な数字であり、日本の古代史の中で、様々な形で、暗号として隠されて、伝えられてきたようです。

 

 

たとえば、後世になって、人がたくさん集まる場所は、「都」と呼ばれるようになるのですが、この名前には、

 

「三(み)」+「八(や)」+「子(こ)」=「都(みやこ)」

 

という意味が隠されてたそうです。

 

「38人の子供が、最初に住んでいた土地」

 

というのが、「都」の隠された意味だったのです。

 

 

「京都」は、もちろんのこと、「東京都」、「宮城」、「三ノ宮」、「都城」、「宮古島」など、「みやこ」の文字が入る地名は、全部、この38人の子供に関係ある土地なのかもしれません。

 

そういえば、女性の「子宮」も、「子」と「みや」ですから、「38人の子供」という意味ですね。

 

 

 

この後、この38人の子供たちと子孫は、滋賀県の多賀大社の辺り、「栗栖」の里から、三重県いなべ市の「麻生田」に引っ越して、三代に渡り、ここに滞在したそうです。

 

「神様の大御心を、一日でも早く頂戴したい」

 

という願いを込めて、「意思呉(いしくれ)」という名前を、「麻生田」の近くの土地に、付けたそうです。

それが、現在の「石榑(いしくれ)」という土地名だそうです。

 

このようにして、「いなべ市大安町石榑」という土地が、日本初の「都」になったそうです。

 

 

 

38人の子供たちの痕跡は、日本中に、いくつか残っています。

たとえば、日本の大半の神社には、「杉」の木が生えていますね。

 

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「杉」という文字を、分解してみてみました。

 

「三」+「十」+「八」

 

そうです!

 

「三十八」

 

だったのです。

 

さりげない暗号として、神社には、「三十八」の数字が、刻み込まれているのです。

 

「神社という場所は、38人の子供の土地だった所」

 

こう言っているのです。

 

 

他にも、福井県福井市には、「三十八社町」という町があります。

この町も、ある時期において、「38人の子供」が拠点にしていた所です。

つまり、太古の時代における、「日本の都」の一つだということです。

 

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奈良県の吉野の近くにも、「三十八」の名前の摂社もあります。

「高天彦神社」という神社の境内にあります。

この小さな摂社の中に、「三十八」の文字があります。

 

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滋賀県の「石山寺」の境内にも、「三十八社」の文字の書かれた鳥居があります。

 

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「38人の子供」の話の続きです。

この子孫が、日本の古代史において、とても重要な流れなのです。

 

38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。

その後の話は、とても複雑なので、全部は書けません。

いろいろな出来事があったようですが、ここでは、思いっきり単純化して書きますね。

 

 

この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「大丹生・皇」になり、「天皇家」になった話をしましたが、ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。

 

この頃から、「天皇」という称号が生まれたそうです。

 

念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で、意味も違うそうです。

「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。

 

しかし、私が、いろいろ調べたところでは、まったく関係ないわけでもなく、こういう名前が似ている人物やグループなどは、同じ魂の仲間だと思っています。

 

 

このグループは、ある期間、現在の三重県いなべ市のあたりを、拠点にしていたようです。

去年、いなべ市も、友人とドライブしました。

現在は、静かな風景が広がっていますが、ある時期は、ここにも、「邪馬台国」の首都があったそうです。

 

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さて、「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。

 

その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。

 

きっかけは、大和地方に、「神武天皇」がやってきたのが、始まりだったようです。

この天皇のグループは、権力志向だったようです。

何度か書いているように、「神武天皇」は、シュメール文明の神様の中では、「アヌ王」の生まれ変わりだと、私は思っています。

 

 

ここでは、「38人の子供」の子孫を、仮に、「天照派」と呼ぶことにします。

このグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「自由」や「知恵」、それから、「愛」のグループだったと思います。

 

そして、後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、「アヌ王」で、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。

さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。

権力によって、人々を、平等に統治するという考え方ですね。

 

これらの推測は、私個人の感覚的なもので、科学的な根拠があるわけではありありません。

 

 

わかりやすくまとめます。

 

〇「天照派」=「イザナギ」と「イザナミ」

「自由」、「知恵」、「愛」のグループ

 

〇「神武派」=「神武天皇」

「平等」、「力」のグループ

 

私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。

 

国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。

 

 

この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、

 

〇「天照派」=「理想主義」

〇「神武派」=「現実主義」

 

こうなると思います。

 

現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。

 

具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。

 

これも、いろいろな見方ができるので、

 

「どの意見が正しいか?」

 

というのは、とても難しい問題なのです。

 

 

 

私が面白いと思ったのは、前述したように、「天照派」の人々は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないと思いますが、やはり、性格が似ているのです。

 

つまり、このグループは、

 

「絶対に戦わない」

 

という共通の姿勢があるのです。

 

 

古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。

 

ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。

要するに、「引きこもった」ということです。

 

本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。

 

たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。

 

「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」

 

こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。

 

おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。

生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。(笑)

 

 

それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。

怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。

 

 

この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。

 

現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。

そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。

 

私は、完全に、「天照派」ですね。

あなたは、どのタイプですか?(笑)

 

 

 

「天照派」の話を続けます。

 

ツインレイとして、丹後半島に生まれ、38名の子供を産んで育てた二人は、「初代」の「イザナギ&イザナミ」です。

それから、1500代も、この系統は、続いたそうです。

 

そして、最後である、1500代目の「イザナギ&イザナミ」の子供が、「天照派」の初代になる、「天照天皇(アマテルカミ尊)」という男性だったそうです。

 

繰り返しますが、「古事記」の話とは、別の話です。

 

 

 
それにしても、「神武派」の弾圧は、いろいろな理由から、徹底的に酷くやったようで、「天照派」のグループは、ある時期は、生きていくのに最低限必要な、土地や仕事も奪われて、「ホームレス」のような身分になってしまったそうです。
 
部落差別の問題も、このあたりの歴史も関係しているそうです。
 
 
去年の12月には、「酒見神社」にも行きました。
場所は、愛知県一宮市です。
 
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「酒見神社」という名前は、もともとは、
 
「逆身神社」
 
という名前だったそうです。
 
この意味は、
 
「天皇が逆さの身分である流人となった」
 
この酷くて残酷な歴史を忘れないようにするまえに、建造されたそうです。
とても奥深い古代史が隠されている場所みたいです。
 
 
 

もう少し、「天皇家」の始祖である、「天照派」のグループの話を書きますね。

 

古事記の「天照大神」に代表されるように、生粋の日本人というのは、本来、争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。

 

とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。

 

何かに腹を立てて、怒っても、相手に仕返ししたり、怒鳴ったりせずに、静かに、その場を立ち去ったり、無言になったり、無視するという態度をとります。

本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で、抗議するのです。

 

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何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を、殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。

 

現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。

社会に対して、無言の抗議をしているのです。

 

 

ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。

 

「どうして、学校に来なくなったんだろう?」

 

「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」

 

「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」

 

こう思っていると思います。

 

 

これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。

口に出して、反論したり、抗議したりしないのです。

 

「静かな怒り」

 

なのです。

 

 

これは、政府に対してもそうです。

 

あまりにも酷い政治をしても、生粋の日本人の多くは、大規模なデモなどの行動はしません。

 

ただ単に、

 

「投票に行かない」

 

という無言の抗議行動をします。

 

 

 

引きこもってしましまった人々が、世の中に出てくるようにするには、怒ってもダメだし、なだめたり、おだててもダメです。

 

「天照大神」を、天岩戸から出そうと思ったら、皆で、裸踊りをするくらいの宴会を、やらなくてはいけないのです。

 

つまり、

 

「ワクワクすること」

 

これが、世の中に、たくさん出てきた時に、引きこもっている人たちも、隙間から、外の世界を覗きこみ、岩戸から出たくなるのです。

 

「世の中は面白い! ワクワクすることで溢れている!」

 

私の旅行記は、一貫して、そう主張しているのです。

だから、天岩戸の中に、引きこもっているような人たちに、特に読んでいただきたいのです。

 

 

 

「神武派」に代表される、「武闘派」、それから、「天照派」に代表される、「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが、存在していたようです。

 

 

「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。

文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

 

このグループは、前述したように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派」を、弾圧していたようです。

 

 

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。

 
 
一つ目は、「賀毛神社」です。
 
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ここは、現在、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。
 
「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」
 
ということです。
 
 
仮の宮という所がありました。
壁から下がっているのは、おそらく、「コンパス」と「定規」の意味だと思います。
 
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拝殿です。
 
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二つ目は、ここです。

ここから、すぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。

 

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ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

 

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

 

だそうです。

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の長男と長女の名前、「別雷尊」と「玉依姫」の名前がありますね。

 

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拝殿で参拝しました。

 

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余談です。

去年、奈良県の吉野に行った時に、「吉野神宮」に行ったら、「後醍醐天皇」が、祭神として祭られていました。

 

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あとで、調べてみると、最終的には、

 

「奈良」=「天照派」=「南朝」

 

「京都」=「神武派」=「北朝」

 

こうなったそうです。

 

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

 

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということが、わかって、納得しました。

 

 

 

歴史に登場する、「聖徳太子」や「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。

 

「空海」は、うまく助けていたようです。

「天照派」の一部を、四国に逃がして、四国八十ハ箇所に、見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。

 

徳島県美馬市にある、「神明神社」です。

正式には、「磐境神明神社」 というそうです。

ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。

「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。

 

「忌部(いんべ)」という一族も、これから先の旅行記で、大切なキーワードになってくるので、おぼえておいてくださいね。

 

 

神殿が、独特な形をしています。

 

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一方で、「聖徳太子」は、死後に、「天照派」を助けていたことが、「神武派」に、バレてしまい、法隆寺を焼かれたり、子孫を殺されたりしたそうです。

 

 

「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。

たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

 

 

さて、ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。

 

 

こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。

 

もしも、日本の国土に、穏やかなグループである、「天照派」だけが、住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。

 

「神武派」は、まだ、弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が、日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり、虐殺されていたかもしれません。

 

日本にも、「神武派」のような武闘派は、必要だったのです。

 

 

「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。

 

「蛇の道は蛇」

 

「毒を以て毒を制す」

 

こういう諺もありますね。

 

「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。

 

 

だから、私の中では、

 

「神武派」=「ジャイアン」

「天照派」=「のび太」

 

こういう解釈になっています。(笑)

 

 

 

大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。

 

その教授が言っていました。

 

「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」

 

「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。

 

 

つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん、賢く強くなって、権力を握ったいったグループだったのだと思います。

 

一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら、皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。

 

どちらも偏っていたのです。

 

 

 

英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。

つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。

「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。

お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。

 

「競争」という行為自体は、中立なのです。

それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。

 

 

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

 

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみれば、わかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。

下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

 

そこで、ある時期に、

 

「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒に、お祭りでもやらないか?」

 

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。

 

 

そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

 
それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。
 
 
そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。
 
そうです。
 
それが、「葵祭」だったのです。
 
日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。
 
 
「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもあわるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。
 
つまり、
 
「向日葵」=「太陽」
 
ということです。
 
「葵祭」というのは、
 
「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」
 
こういう願いを込めた儀式だったそうです。
 
 
 
数年前に、京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「盛砂」とも言うそうです。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。
 
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あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。
 
「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」
 
ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。
 
 
 
次回に続きます。
 
 
 
 

 

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古代日本ピースツアー 3 補陀落渡海

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続きの話です。

 

 

「天照派」は、奈良県の吉野も、重要な拠点だったようです。

 

時間を巻き戻しますね。

 

「イザナギ(伊弉諾尊)」が、童子の頃、吉野において、「青根ヶ峰」という山にも立ち寄ったそうです。

 

吉野の山々です。

 

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その時に、宇宙から、自分が誕生した時のことを、鮮明に思い出したのだそうです。

 

宇宙の源の世界では、「植物」と「動物」と「人間」が、完璧なバランスを保ちながら、美しく回転していたそうです。

 

それを思い出した、「イザナギ」は、その山の頂上にあった三つの石を、横に並べて、「宇宙の根源」の世界を、忘れないように、そして、後世の子孫たちも、この真理を伝えようとしたのだそうです。

 

「植物の石」-「動物の石」-「人間の石」

 

こんなかんじで、山頂に置いたそうです。

これが、後に、「三つの霊石」と呼ばれるようになったそうです。

 

それを、「丹生家十八家」が、守っていたのです。

 

「三つの霊石」を、何百万年にも渡って、守護されてきたそうです。

十八の家が、20年交代で見張っていたそうです。

 

今でも、「伊勢神宮」は、20年ごとに、「式年遷宮」をやりますが、これは、その時からの慣習を、引き継いでいるのだそうです。

 

「三つの霊石」を守るために、「丹生家」がつくった拠点が、「吉野」という村の始まりだったそうです。

 

このように、「丹生家」は、心のやさしい人々なのですが、魂の芯の部分はとても強く、絶対的に正しいと信じたことは、永遠にやり続けるという超頑固な気質も、もっているのです。

 

「青根ヶ峰」にある、「金峯神社」です。

 

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「天武天皇」の時代には、「丹生家」のリーダーは、葛城族である、「役小角(えんのおづぬ)」だったそうです。

 

当時の「天武天皇」のグループは、「神武派」だったようです。

だから、「天照派」のことは、よく思っていなかったようなのです。

 

「役小角」は、「天武天皇」のグループから、

 

「直ちに、あの頂上にある三つの霊石を、壊して捨てなさい!」

 

と命令されたそうです。

 

しかし、

 

「人祖である、イザナギの命令にしか、私は従いません」

 

こう言って、断固として、命令を拒否したそうです。

だから、島流しにされたのです。

 

昔から、「役小角」が、当時の権力者から迫害されて、島流しにされた話は知っていましたが、理由がわかりませんでした。

そういうことだったのですね。

まあ、「役小角」は、空を飛ぶこともできたので、島流しにされても、ちっとも困らなかったという裏話もあるそうです。(笑)

 

 

「役小角」は、人祖であり、自分の祖先でもあった、若い頃の「イザナギ」の姿を、桜の木を使って、木彫りの仏像を作ったそうです。

 

それが、「蔵王権現」だそうです。

現在、吉野の「蔵王堂」に置かれています。

 

そして、この頃から、多くの人々が、吉野の里に、桜の木を植えるようになり、現在の桜並木の土地になったのだそうです。

 

去年、「蔵王堂」にも、立ち寄りました。

 

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残念ながら、「蔵王権現」の仏像は、見られませんでした。

これも、たまに行われる御開帳の時だけ、本物を見ることができるそうです。

これは、別の人が彫った仏像だと思いますが、全ての「蔵王権現」の仏像にも、共通しているのは、片足で立っていることです。

 

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最初は、意味がわからなかったのですが、後姿の仏像を見て、わかりました。

 

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ハイ!

 

下半身がヘビの形なのです!

「エンキ」ですね~!

 

「片足で立っている」のではなく、「下半身がヘビ」だったということです。

「宇賀神」でも、あったということです。

 

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もしかしたら、当時の人々は、素の姿の「イザナギ」の後ろ姿を見て、

 

「片足で立っている」

 

と思ったのかもしれません。

 

 

このことからも、シュメール文明の神様である、「エンキ」、それから、日本の「イザナギ」が、同じ神様だったことがわかりますね。

 

 

実は、「三つ霊石」は、現在も、ひっそりと隠されて置かれているのです。

 

吉野にある、「水分神社」の目の前、歩いてすぐの所に、名前も書かれていない、無名の神社があります。

この無名の神社の裏に、宝物が隠れていました。

 

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「人丸塚」と書かれていますが、本来は、

 

「人生塚」

 

だったそうです。

 

「人が生まれた塚」

 

という意味です。

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この根源を表現している、「三つの霊石」です。

 

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「三つの石」も、これから、大切なキーワードになるので、おぼえておいてくださいね。

 

 

 

さて、前回、書いたように、「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。

 

おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも、肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。

 

そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で、閉塞状態になっていたと思います。

 

陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には、見張りがいたと思います。

当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。

 

「神武派」の天皇だった、「天武天皇」は、特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、

 

「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」

 

こういう法律をつくり、乞食の立場に、追いやったそうです。

 

それで、仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで、質素な生活を始めた人々も、多かったようです。

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫たちは、そうやって、虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けられながら、少しづつ、移動していったようです。

 

特に、前述の奈良県の吉野から、和歌山県の熊野の奥地に、逃げていたようです。

 

 

 

正真正銘の本当の天皇家が、「大丹生(おおにゅう)」と呼ばれていた話を書きましたね。

 

彼らが、隠れて住んでいた場所には、だいたい、「鬼伝説」があります。

 

「この土地には、恐ろしい鬼がいるから、近づくな!」

 

こういう伝説をつくって、一般の人たちを、遠ざけて、身を守っていたのです。

 

「大丹生(おおにゅう)」=「鬼(おに)」

 

だということです。

 

京都府福知山市の大江町にある、「鬼」の像です。

 

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「熊野」にも、たくさんの「鬼伝説」がありますね。

「橋杭岩」です。

 

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日本には、いくつかの「鬼伝説」の場所があり、そういう土地は、たいてい、「大丹生家」が、ひっそりと住んでいた場所です。

 

普通は、節分で、

 

「鬼は~外! 福は~内!」

 

と叫びながら、豆をまきますが、「大丹生家」が、住んでいた場所では、

 

「鬼は~内! 福も~内!」

 

と叫んだりします。

 

 

 

「熊野」を旅していて感じたのは、「王子」という名前がつく神社が、たくさんあるということです。

 

一般的には、「王子」とは、「熊野権現の御子神」だと、考えられているようです。

 

また、熊野の神々のことを、「熊野権現」と呼ぶそうです。

「権現」とは字義的には、「仮に現われた」ということで、何が仮に現われたのかというと、それは、「仏」なのだそうです。

 

私の解釈では、この場合、正確には、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫である、38人の子供の子孫のことが、「仏」という意味なのだと思います。

 

 

昔から、不思議だったのですが、そもそも、どうして、「熊野」というのでしょうか?

この土地に、たくさんの「熊」が生息している「野山」というわけでも、なさそうです。

 

調べると、元々は、「熊」という文字は、「畏」だったそうです。

 

「畏れ多い」 

 

という表現で使いますね。

 

つまり、「熊野」という土地は、「畏の」という意味で、

 

「畏れ多い神々の住む聖地」

 

という意味だそうです。

納得ですね。

 

おそらく、「熊本」や「熊襲」も、そうだと思います。

 

 

 

さて、「王子神社」というのは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。

それらは、総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。

 

一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。

しかし、、実際、最盛期には、99ヵ所くらいの「王子」と呼ばれる土地があったそうです。

 

各王子では、奉幣(幣を奉る)と経供養(般若心経などを読む)などの儀式が行われて、里神楽や馴子舞、和歌会などの奉納が行なわれることもあったそうです。

 

 

 

ここからは、私の想像です。

 

おそらく、このエリアには、38人の子孫の末裔がいたのだと思います。

そして、99人の王子、つまり、天皇家のリーダーが、99人住んでいたのだと思います。

99のグループに、分かれていたのだと思います。

 

しかし、よくよく考えてみてば、面白い話です。

 

歴史上、いつの時代も、どこの国でも、「王様」は、一人だけです。

そして、「王子様」も、数人くらいしかいなくて、「王様」の椅子を狙って、王子様同士で、喧嘩したり、戦争することになると、だいだい決まっています。

 

また、「王子」という単語も、日本的ではありません。

中国などの大陸での称号ですね。

 

おそらく、「天照派」の人々は、絶対平和主義だったから、そもそも、争わなかったのだと思います。

そして、「王座を狙う」などという椅子取りゲームにも、興味がなかったのだと思います。

 

 

99人も王子様がいたのならば、それから先の時代に、少なくする方向ではなかったと思います。

もっと、もっと多くしようと思っていたと思います。

 

最終的には、99人どころか、999人、9999人、99999人…

こんなかんじで、日本全国、全ての人々が、「王子」の身分になるような国家を目指したのではないでしょうか?

 

つまり、現代の「国民主権」や「民主主義」を、この時代に、思い描いていたのではないでしょうか?

 

そして、そんな彼らが、夢を見て、最初に、実現させたのが、天下泰平だった、「江戸時代」だったのではないでしょうか?

 

現代は、いつでも美味しいものが、食べれれて、皆が、飛行機や新幹線で、いろいろなところに、旅行に行けますね。

まさに、「国民皆王子」の時代ですね。

 

この時代に、未来の「民主主義」を思い描いた、99人の王子たちのことを、イメージしていたら、目から涙が出てきました。

 

 

 

私が、いろいろ調べた限りでは、どうやら、99番目の「浜の宮王子」という場所が、最重要だったようです。

 
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「浜の宮王子社跡」です。
ここが、99番目で、おそらく、「天照派」のグループが、熊野においては、最後に辿り着いた場所だと思います。
 
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「八咫烏」のマークにも見えるし、「コンパス」と「定規」にも見えますね。
 
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「天照派」のグループの神社は、「三つの扉」や「三つの窓」があることが多いです。
拝殿が、三つに分かれているのです。
 
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これは、宇宙から地球に生命体がやってきたことを、表現しているそうです。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つのグループが、バランスよく、回っている状態が、地球が健康な状態だということです。
 
逆に言えば、「天照派」の人たちは、人間社会で、偉くなったり、権力を握って、威張ったりすることに、まったく興味がないのです。
 
「地球の自然が、美しく、健全に保たれていれば、それでいい」
 
彼らは、本来、これだけを考えている、純粋で無欲な人々なのです。
 
しかし、権力志向の人々には、こういう人々がいるということが、そもそも、理解できないのです。
だから、必要以上に、弾圧したりしていたのです。
 
 
境内には、旗が、風でなびいていました。
「三つ巴」のシンボルマークを、もう一度、見てください。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つを、バランスよく回すのが、彼らの願いなのです。
これだけのために、地球に生まれてきた、純粋で素晴らしい人々なのです。
 
そのグループが、生粋の日本人であり、私たちの祖先なのです。
 
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絶対平和主義で、他人への攻撃ができないために、弾圧されたり、冷や飯を食わされていた、「天照派」の人々は、西日本で、閉塞状態になっていたようです。

 

陸地から、東日本を目指そうと思っても、要所には、関所のようなものがあり、見張り番がいたと思います。

 

そもそも、仮に、東日本に行っても、荒れた僻地だったので、行っても、そこでは、過酷な生活が待っていることは、明白だったと思います。

 

それでも、西日本に住んでいても、これから先、永遠に苦しい生活が続くのは、目に見えていました。

 

「よし! 凄い冒険になるかもしれないけど、東日本に移住して、新しい土地で、新しい時代を築いていこう!」

 

ある時、こう決意したのだと思います。

 

海から、東日本を目指そうと思っても、そんなに遠くまで行こうと思ったら、大きな船を造船しないといけなし、そんな技術もお金もなかったので、途方に暮れていたようです。

 

 

そんなとき、一人の救世主が現れます。

 

「聖徳太子」

 

この人物が、助けたのです。

聖徳太子の登場で、日本史の中で、最高にスリリングなドラマが、始まったのです。

 

救世主というのは、「天照派にとっての救世主」という意味です。

 

私は、「聖徳太子=キリスト説」を、主張していますが、まさに、日本においては、聖徳太子が出現する前と後では、西洋での「紀元前(B.C)」と「紀元後(A.D)」に分かれるくらいの時代の大変化だったのです。

 

聖徳太子というのは、この大プロジェクトを実行するために、日本に誕生したのだと思います。

 

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彼らにとっては、「西日本」は、まるで、監獄にいるように、不自由な土地でした。

 

そこで、新天地の「東日本」への脱出を試みたのです。

よいよ、ここから、「プリズンブレイク」の古代日本版が、始まったのです!

 

 

 

 

「熊野権現神社」の神社の隣に、日本史における、最重要な寺があります。

 

「補陀落山寺」という小さなお寺です。

「世界遺産」でもある重要な場所です。

 

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本堂の前で、記念撮影しました。

 

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この記念碑の前でも、記念撮影しました。

 

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本堂の中には、ご本尊の仏像もありました。

これは、42本の手を持つ仏像ですが、意味は、正面の4本の腕が、「イザナギ」と「イザナミ」の腕で、残りの38本が、38人の子供の腕を意味しているそうです。

 

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「補陀洛山寺」は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで、知られているそうです。

 

私は、この渡海のことは、全く知りませんでした。

今年になってから、あるキッカケで知ったのです。

 

 

ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある、観音菩薩の住まう浄土のことをいい、「華厳経」には、インドの南端にあると、説かれているそうです。

 

「観音信仰」の流布とともに、チベットや中国にも、「補陀落」は、想定されたようです。

チベットでは、ラサ北西に建つ、観音の化身、「ダライラマ」の宮殿を、「ポタラ(補陀落)宮」と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を、「補陀落」としたようです。

 

日本においては、南の海の果てに、「補陀落浄土」はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して、船出することを「補陀落渡海」と言ったそうです。

そして、この信仰を広げたのが、前述した、聖徳太子だったのです。


日本国内の補陀落の霊場としては、那智の他に、高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがあったそうです。

 

記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち、半数以上が、この熊野那智で行われています。

熊野は、補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったようです。

 

聖徳太子の時代から、江戸時時代まで、これは、行われていたそうです。

 

 

チベットの「ポタラ宮殿」とも関係してたのですね。

そういえば、チベットも絶対平和主義の人たちが多く、そのために、迫害されていますね。

日本の「天照派」と、同じルーツだと思います。

 

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この「ポタラ宮殿」の地下は、地底王国の「チャンバラ」があると言われていますね。

もしかしたら、熊野の「99人の王子」の意味は、この王国の王子という意味だったかもしれません。

 

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「補陀落山寺」の本堂の中には、当時の様子を描いた絵もありました。

 

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ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

那智の浜からは、25人の観音の信者が、補陀落を目指して、船出したと伝えられています。

 

補陀洛山寺境内にある石碑に、それらの人々の名が、刻まれています。

 

平安前期の貞観十年(868)の慶龍上人から、江戸中期の亨保七年(1722)の宥照(ゆうしょう)上人まで25人。

平安時代に5人、鎌倉時代に1人、室町時代に12人(そのうち11人が戦国時代)、安土桃山時代に1人、江戸時代に6人。

補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に、行われたそうです。

 

渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で、読経などの修法を行い、続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りこんだとも伝わっています。

 

渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せて、小さな屋形船に、乗りこんだそうです。

 

 

説明は、さらに、このように続きます。

 

 

渡海僧が、船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように、扉には、外から釘が、打ちつけられたそうです。

 

渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに、沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われる。


渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかで、かすかな灯火を頼りに、ただひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願い、そして、船は沈み、入水往生を遂げたのでしょう。

 

船のしつらえや渡海の方法などは、時代により異なるのでしょうが、補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身、を南海にて観音に捧げる、捨身行だったのでした。

 

 

こう書かれています。

これが、一般的な認識です。

 

 

 

境内には、この石碑がありました。

 

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名前もありました。

記録に残っているだけの名前です。

実際には、もっと多くの人が、この渡海をやっていたと思います。

 

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渡海僧が乗りこんだ船を、復元したものが、境内にある建物のなかに、展示されています。

 

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奇妙な形をした小さな船です。

船の上には屋形が、作られています。

その屋形の前後左右を、4つの鳥居が囲んでいます。

 

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人が、一人だけ入ることができる、テントのような小屋がありました。

前述したように、ここに、僧侶が一人だけ入り、外からは、釘が打たれ、中から出られないようにしていたそうです。

 

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もちろん、現在のようなスクリューなどはなく、櫂も帆もなかったそうです。

だから、一度、海に出たら、クラゲのように、ただ漂うだけだったのです。

 

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舟が出る時には、この旗を掲げたそうです。

「76の音」を意味する、「南無」が入っていますね。

 

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寺の裏山には、亡くなったとされる僧侶の墓が、ありました。

数えると、19でした。

19組の夫婦、つまり、38人の数ですね。

 

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ここからが、いよいよ本番です!

 

「補陀落渡海」は、このように、昔も現在も、狂信的でカルトっぽい儀式だったと、世間一般では思われています。

 

しかし、よく考えてください。

 

こういう、「即身成仏」の行為をやる意味は、何なのでしょうか?

ましては、何のために、わざわざ、海の彼方に行って、死ぬ必要があったのでしょうか?

 

ただ死ぬだけのために、これをやっていたとしたら、ただの馬鹿だと思います。

 

 

勘の良い方は、もうわかりましたね。

 

そうです。

 

「西日本」から「東日本」への脱出が、真の目的だったのです!

 

「空と海の彼方の極楽浄土へ行くために、舟に乗って、太平洋の彼方に行き、そのまま、沈没して、海の藻屑となり、即身成仏する」

 

というのは、「神武派」たちのグループの目を、ごまかすための偽りの儀式だったのです!

 

 

本当のことは、隠されていました。

 

実際には、こうだったようです。

 

途中まで、付き添いの数隻の舟が、綱を引っ張り、途中の小島から、突き放したようです。

 

「よ~し! 行ってこ~い!」

 

こう叫んだかどうかは、わかりませんが、沖の向こうまで、その小舟を流したそうです。

 

 

すると、浜辺から4キロくらいの所に、当時から、「黒潮」が流れていたのです。

 

そして、うまく、「黒潮」の乗れば、それは、大きな河のような流れで、「東日本」まで、運んでくれたのです。

 

ちなみに、黒潮の最大流速は、最大で4ノット(約7.4km/h)にもなり、軽くジョギングしているくらいのスピードなので、1週間以内では、確実に、「東日本」にある、どこかの浜に漂着したと思います。

 

そして、当時から、忍者のような存在たちがいて、秘密裏に、いろいろな手配をして、「東日本」の浜に漂着したら、事前に、その場所に着いていた人々が、打たれていた釘を外し、中から、その僧侶を助けたのだと思います。

 

そして、その背後で、この秘密の脱出劇を、計画して動かしていたのが、「聖徳太子」のグループだったというわけです。

 

黒潮です。

 

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面白いのは、東から西に流れる潮の流れもあり、一人だけ、当時の琉球に流れ着いたお坊さんもいたそうです。

 

日秀上人という僧が、理由はわかりませんが、逆の流れの潮流に乗り、琉球に着き、補陀落浄土からやってきた僧として、琉球王にも珍重され、金武町に、「観音寺」を建立したそうです。

その後、沖縄に、30年滞在した後、薩摩に移ったそうです。

 

沖縄には、昔から、

 

「水平線の先、空と海の交わる先に、極楽浄土がある」

 

という、「ニライカナイ」という信仰がありますが、もしかしたら、この「補陀落渡海」とも関係あるかもしれません。

 

そういえば、沖縄の人たちも、「平和主義」の人が多いですね。

「天照派」のDNAが多い民族かもしれませんね。

 

そして、もしかしたら、この「空と海の交わる先の極楽浄土」から、派遣された使者が、「空海」だったのかもしれません。

 

 

 

和歌山県の那智では、「中の島ホテル」という所に、泊まりました。

美味しい食事に、素晴らしい露天風呂で、最高でした。

 

朝、モーニングを食べた後、島の頂上まで、散歩しました。

すると、東の空から、朝日が昇ってきました。

 

この朝日を見ながら、

 

「ああ…、この景色を見ながら、天照派の人たちが、僧侶の姿で、新天地を目指し、小舟で黒潮に乗って、東日本を目指したんだな…、ここが、新しい日本を新生しようと決意したパイオニアたちの聖地なんだな…」

 

こう思ったら、大感動して、また、目から涙が出てきました。

 

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次回に続きます。

 

 

 

 

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古代日本ピースツアー 4 房総半島

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続きの話です。

 

「西日本」 ⇒ 「東日本」

 

これを繋ぐメインストリートが、海だったというのは、驚きですね。

しかも、大きな船ではなく、「小舟」だったというのも、ビックリです。

 

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私たちは、歴史においては、必ず、「民族大移動」という大人数でのイメージがありますが、それは、大陸の話です。

 

聖書には、そう書かれていますが、日本では、全く状況が違い、秘密裏に、一人づつ、長い年月をかけての移動だったようです。

 

その期間、聖徳太子の時代から、江戸時代にかけて、なんと、1000年間くらい続いていたそうです!

 

これだけの長い年月をかけて、少しづつ、「天照派」の僧侶、つまり、本当の天皇家の一族を、東日本に逃がし、そこで、おそらく、現地の女性と結婚して、子孫を、広げていくという活動を、していたのだと思います。

 

目的は、「平和」と「愛」の遺伝子を、未来の日本に残すためです。

 

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西から東に移動したパイオニア達のルートは、研究している学者も、ほとんどいないと思います。

もしかしたら、ここまで、突っ込んで調査してまわったのは、私が初めてかもしれません。

 

まだ、名前も付いていないので、「シルクロード」のように、「黒潮ロード」と名付けようと思います。

カッコイイ名前でしょう。

 

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さて、ここまでの重要なキーワードを、まとめておきますね。

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」=宇宙の源から地球にやってきた、ツインレイの男女

 

片足の仏像=下半身がヘビの宇賀神=イザナギ&イザナミ

 

京都の丹後半島に舞い降りた場所=「籠(この)神社」

 

天皇家の始祖、「大丹生(おおにゅう)家」=「鬼」

 

その子供の数=「三十八」

 

その子供たちの拠点だった場所=「都」=「宮」=「三(み)+八(や)+子(こ)」=「三十八の子」

 

同じく、その子供たちの拠点だった土地の名前=三重県員弁(いなべ)=忌部(いんべ)

 

その長男の名前=「別雷尊」=「雷」

 

その長女の名前=「玉依姫」=「玉」

 

その子孫のグループの数=「99の王子のグループ」

 

絶対平和主義=「天照派」=「チベット」=「シャンバラ」=「琉球」

 

「三つ巴」のシンボルマーク=「三つの石」=「植物」と「動物」と「人間」の調和

 

「小舟」=「天照派」が乗って来た小舟

 

 

実は、「東日本」にも、これらのキーワードが、たくさんあったのです。

では、これから、名探偵になったつもりで、一緒に、この状況証拠を繋げる旅にでましょう!

 

 

 

まずは、房総半島の痕跡です。

 

 

まずは、「西日本」から、「小舟」で辿り着いた場所に、行ってきました。

 

ここには、

 

「玉依姫という名前の神様が、陸に上がってきた場所」

 

という伝説が残っています。

 

 

 

場所は、千葉県の「九十九里浜」です。

 

もうわかりましたね。

 

「九十九人の王子のグループが辿り着いた浜」

 

こういう意味だったのです!

 

 

さらに、この「九十九里」という漢字を分解すると、

 

「九」+「十」+「九」+「十」+「口(くに)」+「土」

 

となり、意味は、

 

「三十八の国土」

 

という意味になります。

 

 

 

着く場所が、どうして、港ではなく、ただのビーチだったのでしょうか?

 

砂浜だからいいのです。

 

砂浜だと、大きな船は、接岸できません。

沖に錨を下ろして、小舟で来ることになります。

砂浜という地形は、小舟じゃないと、上陸できないのです。

 

大きな船が接岸できる港だったら、すぐに、追っ手に見つかってしまいます。

このプロジェクトは、秘密裏の脱出劇だったことを、忘れないでくださいね。

 

 

昔、ここで、「天照派」の僧侶が、「小舟」から、仲間によって救助されて、上陸したと思ったら、大感動でした。

「浜鳥居」という名前だそうです。

 

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思い出してください。

 

和歌山県の「補陀落山寺」の隣にあった神社にあった案内板です。

99番目の王子の拠点、「浜の宮王子社跡」です。
 
「浜の宮王子」⇒「浜の鳥居」
 
こう繋がるのです。
 
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海水でビショビショに濡れながら、上陸したのだと思います。

 

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「九十九里浜」に上陸した後、僧侶たちは、だいたい、このルートを歩いたようです。

 

「浜鳥居」→「神洗神社」→「神埼神社」→「玉前神社」

 

大まかな地図です。

 

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この鳥居から、車で、ちょっと走った所に、「神洗神社」があります。

そこに、「神洗池」という池があります。

真っ先に、ここで、ベトベトに張り付いた海水を洗い流したようです。

 

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この池で、身体を洗ったそうです。

 

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それから、「玉崎神社」の辺りで、休憩したようです。

 

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「玉崎神社」の「玉」は、「玉依姫のグループ」だという意味だと思います。

「三つ巴」のマークがありますね。

「天照派」の拠点だった所という証拠です。

 

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そして、房総半島においては、「玉前神社」のあたりに、一旦、落ち着いたグループもいたようです。

あるグループは、ここを定住の地に決めたようです。

 

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拝殿です。

黒色は、珍しいと思います。

いろいろ考えたら、この色は、漆黒の闇、つまり、「宇宙」を表現していると思います。

 

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そう思いながら、拝殿の屋根のあたりを見て、

 

「うわ~~!!」

 

と、大声で叫んでしまいました。

 

「宇宙の源」から、ツインレイである、「イザナギ」と「イザナミ」の魂が、最初は、「繭」のような形から、二つに分かれて、それから、二人の男女になる様子が描かれています。

 

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大感動でした~!

やはり、ここは、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たちの拠点だったのです。

 

 

「千葉神社」にも、立ち寄りました。

境内には、「千葉天神」という神様が、祭られていました。

 

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そこで、気が付きました。

 

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「千葉」という文字を見ていたら、「千葉」の「千」という文字の縦線を、横に並べ替えてみたのです。

 

すると…

 

「三葉天神」になるではないですか!

 

わかりましたか?

大ヒットしたアニメ、「君の名は。」の主人公の女の子、「三葉」です。

 

 

そして、和歌山県の那智の「補陀落山寺」の近くには、「那智の滝」がありますね。

もう一人の主人公の男の子、「滝君」ですね。

 

つまり、

 

「那智の滝」 ⇒ 「千葉」

 

これが、「黒潮ロード」の暗号だったのです。

 

「滝君が、三葉に会いに行った」

 

こういう意味になるのです。

 

 

アニメ映画の「君の名は。」です。

これも、「イザナギ」と「イザナミ」の二人の話を、現代風に、描き直したのだと思います。

 

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そういえば、このアニメの監督の名前は、「新海」でしたね。

 

「新天地を目指して、海を越えて行った人々」

 

この名前には、この意味も入っているかもしれませんね。

 

これは、全て偶然でしょうか?

 

いや、違います。

 

そもそも、

 

「偶然は神である」

 

というのが、この世界なのです。

 

 

 

そして、「千葉神社」の神紋です。

 

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これの意味を、いろいろ考えてみたのですが、これは、「太陽」と「月」を表現している意味も、含んでいると思います。

 

古代史においては、歴史の期間が長いので、その間に、いろいろな出来事があり、意味も、一つではなく、重層的に、複数の意味が重なっていることも、多いのです。

 

そして、「太陽」と「月」の二つで行われる天体ショーが、「日食」なのです。

 

わかりましたね。

 

そうです。

「日食」とは、光が闇に隠れて、再び、光出す現象ですね。

 

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ハイ!

 

「天の岩戸開き」ですね。

 

「天照派の拠点だった所」

 

という意味です。

 

 

 

房総半島の南端、館山市には、「那古寺」というお寺があるのですが、ここの山号が、「補陀落山」なのです。

明らかに、和歌山県の「補陀落山寺」と関係ありますね。

 

ここにも行きました。

 

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記念撮影しました。

 

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参道を歩いて、本堂まで来た時に、その屋根を見て、驚きました。

 

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見てください!

「鬼」です。

しかも、恐ろしい形相ではなく、かわいい姿の鬼なのです。

ここに、「大丹生家」、つまり、「天照派」の人々が住んでいた証拠ですね。

 

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屋根には、他にも、「菊花紋」もありました。

この花も、可愛いですね。

 

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本堂の中は、写真撮影が禁じられているので、写真はないのですが、この本堂の天井には、なんと、下半身がヘビで、上半身が、お爺さんの人形が、飾られていました。

 

「エンキ=宇賀神=イザナギ」ですね。

 

これにも、感動しました。

 

この写真は、イメージ写真です。

 

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同行してくだった皆さんとも、記念撮影しました。

 

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このお寺の近く、同じ館山市には、「安房(あわ)神社」もあります。

 

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ここは、三重県の「員弁(いなべ市)」から、四国の「阿波国(あわのくに)」に逃げた、「忌部氏」が、その後、さらに、舟で「黒潮ロード」を利用して、房総半島に、やってきた所だと思います。

 

 

この神社の近くには、「忌部塚」という場所もありました。

 

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亀の甲羅みたいですね。

 

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「忌部氏=天照派」でしたね。

ここにも、痕跡が残っていました。

 

 

館山市は、興味深いところが、いろいろあります。

他にも、「海南刀切神社」という神社にも、立ち寄りました。

 

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ここの拝殿には、木彫りの彫刻があり、なんと、珍しく、「天の岩戸開き」が、彫られていました。

 

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「天照派」の土地ですね~!

 

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拝殿の横には、小さなお稲荷さんの祠もありました。

 

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この祠の瓦には、やはり、「三つ巴」のシンボルが、刻まれていました。

 

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このように、「房総半島」にも、「天照派」の痕跡は、たくさん残っています。

 

これらの痕跡を見るたびに、古代において、「補陀落渡海」という脱出劇が、いかに凄かったのかが、わかると思います。

 

 

 

この日の房総半島のツアーでは、皆で、「日本寺」にも、立ち寄りました。

 

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{F71D9B77-DD2C-4079-8E1C-FC0AB4CE73C2}

 

 

ここも、凄く面白かったです。

こんな所が、日本にあったのですね~!

 

{1A96C3AB-F714-4098-AF1D-A085A5C60415}

 

 

{29CE9B8D-92DF-46A5-854D-779603C07DDB}

 

 

海辺の夕日を見ながら、最後に、皆で、お茶しました。

お疲れ様でした。

 

{305E5D2B-75D5-4BD7-A8CA-DA49330EAC73}

 

 

とても美しい日没でした。

 

{79AFFE91-BAF3-4ECD-91D2-D4BC0C748B98}

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

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古代日本ピースツアー 5 日月神示

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千葉県の話題の続きです。

 

 

「ウィキペディア」によると、「補陀落(ふだらく)」とは、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山と、定義されています。

そして、その山の形状は、「八角形」だと言われています。

 

つまり、「補陀落渡海」に関係のある場所は、「八角形」や「八」の数字が、多いのです。

 

 

先月、千葉県では、木更津市にも行って来ました。

ここに、「八剱八幡神社」という、「八」の文字が、ダブルで入っている神社があるのです。

 
 
鳥居の前で、記念撮影しました。
 
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拝殿です。
 
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{BBC84740-50D8-42B0-A93B-9DC3769FF91B}
 
 
やはり、ここにも、「補陀落渡海」の痕跡が、いくつか、見つかりました。
 
まず、「三つ巴」のシンボルが、ドーンと飾られています。
 
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お祭りの神輿ですが、「三つ巴」と「八」の文字が、刻まれています。
 
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境内には、小さな摂社がありますが、ここも、興味深いです。
 
{E00FC298-9FA7-4032-848B-573E32C567D2}
 
 
「祖神社」、つまり、この土地の「祖先の神社」だと言っているのです。
 
そこには、「屋形船」の文字が、ハッキリと入っています。

 

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普通の「舟」や「船」という単語ではなく、「屋形船」という表現が重要です。

 

ハイ!

 

間違いなく、「補陀落渡海」の小舟の意味だと思います。

 

この土地の先祖たちは、太古の昔に、熊野からやってきた、「天照派」、つまり、本当の天皇家の子孫だと思います。

 

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他にも、小さな摂社がありました。

 

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「三社神社」という名前だそうです。

これも、おそらく、「三つ巴」の意味です。

つまり、「植物」と「動物」と「人間」の3者を祀っているという意味だと思います。

 

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この木彫りの彫刻は、「七夕」の「彦星」と「織姫」にも見えますが、「イザナギ」と「イザナミ」にも見えますね。

もしくは、ヤマトタケルと、その妻となったオトタチバナヒメかもしれません。

 

いずれにしろ、仲のいい二人の神様を表現していると思います。

 

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ここから、車で、ちょっと走った場所には、「吾妻神社」もあります。

 

 

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有名な話ですが、ヤマトタケルの東国征伐の時、船で上総国に渡ろうとした時に、一行は海上で嵐に襲われ、その時に、その妻、オトタチバナヒメが、海に身を投じることで嵐を静めようとします。

そして、その祈りが通じたのか、嵐が収まり、一行は、無事に上総国に渡る事ができたという話です。

 

その後、ヤマトタケルは、この地に、しばらく留まり、死んだ妻のことを思って歌にしたそうです。

 
それが、

 

「君さらず 袖しが浦に立つ波の その面影をみるぞ悲しき」

 
この歌の一節、「君さらず」が転じて、「木更津」という地名となったとも、伝えられているそうです。
 
 
 
木更津市の太田山公園には、山の上に、「きさらづタワー」という大きな建物があり、その頂上には、この二人の夫婦の像も、建っています。
 
これだけの期間、語る継がれるということは、きっと、素晴らしい愛で結ばれた二人だったのでしょうね。
もしかしたら、「イザナギ」と「イザナミ」の生まれ変わりだったかもしれませんね。
 
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「橘神社」という小さな神社もありました。
 
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ちなみに、一説によると、「補陀落信仰」の中で、ユートピアと言われてる理想郷には、このミカンの一種である、「橘」があるという伝説もあるそうです。
 
 
 
木更津市では、「証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)」という童謡で有名な「証城寺」という寺にも、立ち寄りました。
 
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この歌詞ですね。
 
しょ しょ 證城寺

證城寺の庭は

ツ ツ 月夜だ

みんな出て 來い來い來い

おいらの友達ァ

ぽんぽこ ぽんの ぽん

 
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境内には、なぜか、「親鸞聖人」の像がありました。
 
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あとから、調べてみると、親鸞は、聖徳太子を、とても尊敬していたそうですね。
記録によると、夢の中で、聖徳太子の霊体と、何度もコンタクトしているようですね。
 
つまり、ここも、「天照派」の拠点だったということです。
 
 
 
この日も、また、面白いシンクロがありました。
 
お腹がすいたので、同行したメンバーで、ランチを食べに入った店の名前が、なんと、「伊勢元」でした。
 
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「元伊勢」である、「籠神社」から始まった旅の途中での出来事でした。
 
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「九十九里浜」において、熊野からの「補陀落渡海」のもう一つの上陸地点だと思われる海岸にも、行って来ました。
 
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雄大な眺めですね。
古代において、ここで、「補陀落渡海」というドラマが、展開していたと思うと感動します。
 
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記念撮影です。
 
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どうして、この辺りが、上陸地点だと思うかというと、この海岸から、内陸にかけて、「熊野」や「天照派」に関係のある名前の神社があるのです。
 
たとえば、「熊野神社」もあります。
裏の古代史がわからないと、どうして、千葉県の海岸沿いに、「熊野神社」があるのか、さっぱりわからないと思います。
 
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見てください!
鳥居の柱に、「熊野大権現」と刻まれています。
 
{E602D78F-90BA-4567-A225-CE8B3A38CF5B}
 
 
拝殿の屋根には、「三つ巴」もありました。
 
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{C4278381-AE99-4EF3-AC33-5974B4D141EB}
 
 
 
「武雷(たけいかづち)神社」という名前の神社もありました。
 
{A5AD240F-81B2-4A7E-AD3B-45CA5A54E97D}
 
 
ハイ!
 
「イザナギ」と「イザナミ」の長男、「別雷尊(わけいかづちのみこと)」の神社ですね。
 
拝殿です。
 
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拝殿の中は、「三つ巴」の神紋、それから、天皇陛下の写真が、飾られていました。
 
{69C07F83-B87D-44DF-8B5B-FE52C3906F0C}
 
 
このように、「補陀落渡海」の痕跡が、この辺りの土地に残っているのです。
 
 
その確実な証拠は、海岸から、この痕跡を辿ると、一つの小さなお寺に、辿り着くのです。
 
このお寺です。
 
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表には、何も書かれていません。
しかし、郵便ポストには、名前が書かれています。
 
ハイ!
 
「補陀落寺」ですね。
 
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記念撮影しました。
 
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この寺の近くに、小さな祠のようなものが、建っていました。
 
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「祭神」など、何も書かれていません。
しかし、小さな文字が、貼られていました。
 
「深小川」と書かれています。
 
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「小川」というのは、普通は、浅い水位です。
それが、深い水位のものだとは、どういうことでしょうか?
 
すぐに、わかりました。
 
「太平洋を流れる小川」のことを、言っているのです。
 
深い海の底まで流れている潮流ですね。
 
「黒潮」です。
 
この寺は、「黒潮」を「神」として祭っている所なのだと思います。
 
 
この祠の下に、小さな石仏がありました。
 
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ハイ!
 
片足を上げていますね。
「エンキ」、つまり、「宇賀神」であり、「イザナギ」だと思います。
 
 
 
この日は、帰り道の途中だったので、そのまま、成田市にある、「麻賀多神社」にも立ち寄りました。
 
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鳥居の前で、記念撮影しました。
 
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拝殿です。
 
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境内には、「印旛国造神社」と書かれた摂社もあります。

 
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ちなみに、現在の「千葉県」は、昔は、「木更津県」と「印旛県」の二つだったそうです。

あとから、合併して、「千葉県」になったそうですね。

 

この「印旛県」は、おそらく、「忌部」とも、関係していると思います。

「忌部氏」の子孫たちの拠点だったかもしれませんね。

 

 

境内には、「大杉」という御神木があります。

 

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御神輿には、やはり、「三つ巴」がありました。

 

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そして、ここが、知る人ぞ知るの摂社、「天日津久神社」です。

 

{10B184BA-950B-4F90-A246-67907A202097}

 

 

そうです。

 

ここは、岡本天明に、「日月神示」が、降ろされたとされる聖地です。

「ひふみ神示」や「一二三神示」とも、呼ばれていますね。

 

 

記念撮影しました。

 

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貫禄がありますね~!

 

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この石碑を、よく見ると、シンボルの形は、「太陽」と「月」の織りなす天体ショー、「日食」にも見えますね。

 

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もしかしたら、「日月神示」という啓示は、神界にいる、「イザナギ」や「イザナミ」などの「天照派」の神々が、その子孫である子供たち、つまり、私たち、未来の日本人のことを心配して、送ったメッセージかもしれませんね。

 

 

 

境内にある石の灯篭です。

 

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{E6727053-2D39-48B4-BB81-4765761A376C}

 

 

今までは、気づきませんでしたが、これは、明らかに、「日食」の意味もあると思います。

「天照派」のシンボルですね。

 

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「日食」の時の「ダイヤモンドヘッド」です。

 

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次回に続きます。

 

 

 

 

 

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古代日本ピースツアー 6 雷電塚古墳

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歴史を考える場合、大きく分けて、二つのアプローチがあります。

 

一つ目は、その出来事に関わった人々の思惑を、推測するやり方です。

文系的な考え方と言ってもいいですね。

 

たとえば、

 

「この武将は、あの武将のことが嫌いだったから、戦をしかけた。それは、ある日、こういう言葉を言われて、それで、怒ったからだろう」

 

こういう感情や気持ちを、洞察する方法です。

 

ほとんどの歴史は、これで、構成されているのですが、これは、あくまでも、その推測している学者の主観です。

小説やドラマとしては、面白いのですが、本当に、歴史上の人物が、そう思っていたのかは、わかりません。

 

 

これに対して、二つ目は、その出来事に関わった場所に注目して、その地形などから、推測するやり方です。

理系的な考え方ですね。

 

たとえば、

 

「この武将の城は、あの武将の城から、距離が遠いから、あまり好きではなかっただろう。お互いに、戦などもやりたくないし、お付き合いもしたくなかったのだろう。記録を調べても、生涯のうちに、数回しか会ってないから、仲良しではなかったのだろう」

 

こうやって、お互いの拠点の距離から、親密度を推測するのです。

 

最近の歴史の本では、こういう考え方をする学者が、多くの人から支持されていますね。

こちらは、論理的で、説得力があります。

 

 

わかりやすい例をあげます。

 

世界情勢を考える場合、その国の首都において、たとえば、日本の東京だと、国会議事堂から、各国の大使館が、どれくらい離れているかで、日本との親密度を考えると、わかりやすいです。

 

すると、「アメリカ大使館」が、国会議事堂の目と鼻の先だということがわかり、日本とアメリカの政治家は、他の国に比べたら、仲がいいということがわかります。

 

一方で、ベトナムの政治の中心地から、一番遠い所にある大使館が、「アメリカ大使館」だという話も、どこかで聞いたことがあります。

 

このことから、

 

「ベトナム人は、アメリカ人が嫌い」

 

ということが、推測できるのです。

それは、そうでしょう、ベトナム戦争で、ベトナムの人たちを、一番多く殺戮したのですから。

 

 

私の歴史の探求も、メインは後者のほうです。

 

なるべく、客観的な事実を探るために、地形などを調べる、理系的なアプローチをすることにしています。

特に、移動距離、山の高さ、海の深さなど、数字で表現できるものを、重視します。

 

その時代背景の人々の思惑を考える、文系的な作業は、全ての理系的な作業が終わった後に、やるようにしています。

 

 

 

 

補陀落渡海によって、黒潮を利用して、関東に上陸した、「天照派」のグループは、現在の東京都内にも、いくつかの拠点をもっていたようです。

 

いくつか、紹介しますね。

 

 

まず、都内の品川区にも、「補陀落山寺」があります。

東日本でも、この名前のお寺を中心に、各地で、いろいろな活動をしていたようです。

 

 

JR品川駅から、一駅の大井町駅から、車で5分くらいの所にあるお寺です。
名前は、「海晏寺」ですが、仏教の寺院に付ける称号である「山号」は、そのものズバリ、「補陀落山」です。
ご本尊も、「観世音菩薩」だそうです。
 
 
ここにも、先月行きました。
 
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八角堂がありました。
「八角形」は、「補陀落信仰」ですね。
 
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もう一度、「ウイキペディア」からです。
 
「補陀落(ふだらく、梵: Potalaka)は、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である。その山の形状は、八角形であるという。インドの南端の海岸にあるとされた。補陀落山とも称す」
 
こう書かれています。
 
そうなのです。
和歌山県の「補陀落山寺」から、「小舟」でやってきた人々にとっては、ここが、観音菩薩の降り立つとされる、八角形の山だったのです。
 
 
屋根は、「鬼瓦」です。
 
「鬼」=「大丹生」=「天皇家」
 
でしたね。
 
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このように、「絶対平和主義」の「天照派」の子孫たちが、西日本から、「小舟」で、東日本に移住してきて、つくりあげたのが、「江戸」という町なのです。
だから、「江戸時代」が、260年くらい平和だったのです。
 
 
最近気が付いたのですが、江戸時代に、「お伊勢参り」というのが流行りましたね。
 
「一生に一度は伊勢詣」
 
昔は、こう言われたらしいですね。
 
実は、あれの本当の意味は、大いなる里帰りだったのです。
 
 
旅行記の最初の頃に書きましたね。
日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に、結婚式を挙げたのが、「伊雑宮」だったことを…
 
江戸時代の人々は、DNAの中に、その記憶があり、その記憶が、騒いだのかもしれません。
 
「本当のお父さんとお母さんの故郷に帰りたい!」
 
この気持ちが、「お伊勢参り」だったのかもしれません。
 
 
伊勢から始まった、生粋の日本人である、「天照派」の人々が、熊野の那智から、小舟で関東に流れ着いて、「江戸時代」をつくりあげ、そして、その時代に、天下泰平になった頃、故郷の伊勢に、また帰りたくなった。
 
こう想像したら、またまた、じわじわと、感動の波が湧き上がってきました。
 
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関東に、「小舟」で流れ着いた、「天照派」のグループが、最初に大きな拠点にしたと思われる土地が、東京にあります。
ここから、江戸時代が、始まったと思われる所です。
 
 
再度、おさらいしますね。
 

「西日本」から、小舟に乗って、少しづつ、長期間にわたって、「東日本」の地に移住してきたパイオニアたち、彼らのグループは、「イザナギ」と「イザナミ」を始祖とする子孫たちでした。

 

彼らは、最初の38人の子供たちの子孫でもあるのですが、長男の名前が、「別雷尊」。

 

これは、生まれた時に、身体が、「丹生」という宇宙エネルギーで、輝いていて、まるで、身体に雷が落ちた時のように、発光していたから、この名前だったそうです。

現代風の表現では、「凄いオーラの持ち主」というかんじですね。

 

それから、長女の名前が、「玉依姫」だったようです。

 

この名前は、「イザナミ」の別名でもあったようですが、この子孫の女性には、よくこの名前を付けたそうです。

「玉のように美しい」という表現は、今でも、たまに使いますね。

 

 

「天照派」のグループは、関東地方において、いくつの地点から、上陸したようですが、ある時期に、東京のある場所で、一堂に会する機会があったと思われます。

 

なんと、その場所は、「浅草」でだったようです!

有名な「雷門」です。

 

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「昔は、このあたりに、よく雷がよく落ちたから、雷門というのかな?」

 

私は長年、そう思っていたのですが、違うのです。

 

もうわかりましたね。

 

38人の子供の長男だった、「別雷尊」の名前から、これは、名付けられたのだと思います。

 

「別雷尊のグループの拠点だった場所」

 

それが、「雷門」の場所なのだと思います。

 

「天照派」のグループの本部が、おそらく、ここにあったのだと思います。

 

 

「金龍山」というのは、奈良県の吉野にある、「金峯山」とも関係していると思います。

 

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ここの参道を歩いていて、一番驚いたのが、これです。

最初の「雷門」の次の門です。

 

なっ、なんと!

デ~ンと大きく、「小舟町」と書かれているではないですか~!!!

 

人目もはばからず、

 

「うわーー!!」

 

と大声を上げてしました!

 

今までに、これの意味に気が付いた人が、どれくらいいたんだろう?

 

ジャ~~ン!!

 

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見てください!

 

「小舟に乗って、関東にやって来た人々が住んでいた町」

 

こう言っているのです。

 

 

実は、日本国内において、隠している秘密などないのです。

歴史の秘密は、どうどうと、目の前に提示しているのです。

 

問題は、

 

「それの意味を、正しく解釈できるかどうか?」

 

だったのです。

 

 

この提灯の真下に、金色の紋章のようなものが、ありました。

これを見た時、またまた、大感動でした~!

 

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ここが、「補陀落信仰」の最終地、「観音菩薩」のいる聖地だったのです。

 

「観音」というのは、もしかしたら、

 

「もともと、76あった完全な音を、全部観ること(感じ取ること)ができる存在」

 

という意味かもしれませんね。

つまり、完全な存在である、「神」ということです。

 

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実は、東京都内には、他にも、「別雷尊」を祭っている神社があります。

ここも、東京都内で、しかも、ど真ん中です。

 

新宿の歌舞伎町にある、「花園神社」です。

 

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ここの拝殿にも、「雷電神社」というのが入っていたのです。

左側に、「雷電神社」と書かれている文字が見えますね。

 

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「新宿」にも、「天照派」のグループの拠点があったのですね。

 

境内には、昔、「雷電神社」があった痕跡である、記念碑もあります。

 

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新宿には、他にも面白い神社があります。

その名も、ズバリ、「稲荷鬼王神社」です。

 

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「三つ巴」の神紋ですね。

 

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それから、境内には、さりげなく、「三つの石」が置かれていました。

 

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「肝心の鬼の王は、どこにいるんだろう?」

 

と、探し回ったら、鳥居の近くに、ひっそりと隠れていました。

 

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頭の上に、大きな荷物のような物を、載せていますね。

これは、古代を勉強していると、同じコンセプトで、共通する姿の神様が、わかります。

 

 

数年前、奈良の旅で、「興福寺」に立ち寄ったのですが、面白い像を見ました。

このお寺には、たくさんの国宝があるのですが、「天燈鬼&龍燈鬼」の二体の像も、隠れたファンが、たくさんいるようです。
 

一体のほうです。

口を閉じ、吽形で、腕組みして、静止しているようなポーズをしていますね。

これが、「龍燈鬼」です。
青っぽい身体で、ヘビを巻きつけています。
明らかに、「青鬼」ですね。

 

上記の神社にいる鬼と、似ていませんか?

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さらに、他にも、同じような像がないかを探します。
単体では、わからないことでも、似たような像を、複数見比べると、共通点や相違点が、見つかりやすく、より本質に、迫れるからです。
日本にない場合は、外国から探してみます。

この場合、常識的な発想で、

「この時代には、馬や船しか、交通手段がなかったから、そんな遠い国から、日本と行き来することは不可能だ」

と考えると、視野が狭まります。


「宇宙考古学」の発想では、

「あらゆる時代、あらゆる国に、人間よりも、遥かに優れた科学力をもつ宇宙人のような存在がいて、地球の文明に、影響を与えていた」

と考えます。

だから、

「タイムトラベルやテレポーテーションなどを使って、自由自在に、時空間を行き来していた」

という前提で、いろいろと推理するのです。
こう考えると、発想の幅、広がります。


私は、人物像よりも、持っている、「灯籠」のような物が気になりました。

「この灯籠みたいなの、何なんだろう?」

疑問を持ったら、すぐに、いろいろ調べてみるのです。

まずは、これです。
エジプト神話に登場する、「べス」という神様です。
「龍燈鬼」に、似ていませんか?




どうですか?
こちらも、青っぽいし、体格や姿なども、そっくりではないですか?
ちなみに、エジプトでは、もともとは、「歌と踊りの神様」だったそうですが、後に、「悪いものと戦う戦いの神様」に変化したそうです。

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こうなってくると、次の疑問が出てきます。

「では、エジプトのべスの頭は、何だったのか?」

ということです。

「灯籠」だったかもしれないし、似たような「何か」だったかもしれません。
「龍燈鬼」も「べス」も、もしかしたら、特殊な光り輝く「ヘルメット」をかぶっていたのかもしれません。
それが、日本人には、「灯籠」に見えて、エジプト人には、「帽子」に見えたのかもしれません。


他にも、身体に不釣り合いなくらい、大きな帽子のようなものを、頭にかぶているような像があります。

これは、シュメール文明の像です。
巨大な壷のようなものをかぶった二人が、相撲をとっているように見えます。
見れば見るほど、不思議な像です。

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一説によると、「赤鬼」と「青鬼」は、他の惑星や異次元空間ではなく、地球の内部に存在していると言われている、地底王国の「シャンバラ」から来ていた存在だとも言われています。
「天燈鬼&龍燈鬼」は、「シャンバラ」の住人だったかもしれません。


だとしたら、エジプトの「べス」も、シュメールの「相撲取り」も、そして、この「稲荷鬼王神社」の石像も、この「シャンバラ」から来ていた、同じグループだったかもしれませんね。

いずれにしても、これらの神々は、絶対平和主義の「天照派」と関係のあるグループだということです。

 

結論は、この神社も、「鬼=大丹生家=天皇家」と関係しているということです。

 

 

 

 

「群馬県」は、昔、「上野国(かみつけのくに)」とも呼ばれていたそうですね。

「神の国」だったのですね。
 
「群馬県」にも、「雷電神社」という名前の神社が、いくつもあります。
 
 
いくつかある「雷電神社」の中でも、総本山のような所に行ってきました。
 
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「鬼の手形」がありました。

「大丹生家」のシンボルですね。

 

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入口近くには、一番大切な神様が、祭られていました。

 

この二体の石像です。

「イザナギ」と「イザナミ」ですね。

 

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拝殿です。

「三つ巴」がありますね。

 

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境内には、「雷童子」という名前の石像もあります。

「別雷尊」ですね。

 

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埼玉県川口市にも、「補陀落山寺」の山号をもつ寺があります。

 

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三重塔で、有名な寺だそうです。

 

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この塔の前には、「三つの石」が置かれていました。

 

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境内には、「延命地蔵尊」と書かれた石碑があります。

「延命」というのは、「補陀落渡海」のことを、意味しているのかもしれませんね。

 

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本堂です。

 

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「∞(無限)」のマークにも見えますが、数字の「8」にも見えますね。

「和合」の意味かもしれません。

 

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本堂の一番大切な所に、この木の破片が、掲げられていました。

 

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「もしかしたら、補陀落渡海舟の破片なんじゃないかな…?」

 

こう思ったら、またまた大感動しました。

 

 

 

 

埼玉県や群馬県や栃木県などの北関東には、「雷電神社」が、たくさん点在しています。

 

先月、その中でも、一番古いと思われる所に行って来ました。

 

埼玉県坂戸市にある、「雷電塚古墳」です。

別名は、「雷電1号墳」だそうです。

 

ここは、神社の前の姿、「前方古円墳」の形状なのです。

 

 

着きました。

簡単な入口があり、その向こうに、古墳があります。

 

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案内板に、いろいろな説明が書かれています。

 

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つまり、この古墳の頂上に、「雷電社」という祠があったので、「雷電塚古墳」という名前が付いたということです。

 

古墳の上に登ってみました。

そこからの眺めです。

何の変哲もない、ただの住宅街の景色です。

 

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「なんだ…、期待してきたのに、何もないじゃないか… 期待外れだったな…」

 

こう思って、ガッカリしたのですが、考え方を変えてみました。

 

「ちょっと待てよ。古墳時代から、祭られている神様って、もしかしたら、神社なんかに祀られている神々よりも、歴史が古いので、凄いはずだぞ。自分は、何か、とても大切なことを、見逃しているかもしれないぞ」

 

こう思って、いろいろな視点から、この古墳を眺めてみました。

 

 

まずは、一番大切な場所である、頂上の祠を、注意深く観察しました。

しかし、特に、何も感じませんでした。

 

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その全体を見てみました。

すると、その祠を取り囲んでいる植物が、独特の形をしていることに、気が付きました。

それでも、この時点では、何も気が付かなかったのです。

 

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諦めて、帰ろうとして、振り返った瞬間!

 

「あっ!」

 

と声をあげました。

 

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わかりましたか?

 

2頭の龍の姿だったのです。

 

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そして、その2頭の龍の間に、祠があったのです。

 

「2頭の龍と祠」

 

これが、この古墳に祀られている神様の正体だったのです。

 

そうです!

 

龍の姿をした、「イザナギ」と「イザナミ」、それから、その最初の子供である、長男の「別雷尊」だったのです!

 

 

旅行記の最初に紹介した、岐阜県の位山の「エンキ=宇賀神=イザナギ」の姿を思い出してください。

 

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それから、この「球体」です。

 

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そして、もう一度、この植物と祠を見てください。

龍の尻尾もありますね。

そして、木の根は、龍の爪だったことがわかりますね。

 

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この古墳は、人類の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」の夫婦、それから、その最初の息子を、祀った聖地だったのです。

これに気が付いて、またまた、大感動でした~!

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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古代日本ピースツアー 7 日光

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都内にある、「王子神社」にも、立ち寄りました。

 

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文字通り、「王子たちの神社」ですね。

おそらく、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫である、99人の王子のグループが、関東で拠点をつくった場所だと思います。

 

拝殿です。

 

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「三つ巴」ですね。

 

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「土俵」の跡のようなものもありました。

 

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摂社に祀られている神様は、おそらく、本当の正体は、

 

「神の中の始祖であり、天地開闢の神、イザナギとイザナミ」

 

というのが、真実だと思います。

 

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埼玉県日高市の「高麗川神社」にも、行って来ました。

 

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拝殿です。

 

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境内には、大きな御神木がありました。

 

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その御神木の根元には、小さな祠が、置かれていました。

 

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「丹生宮」と書かれていますね。

この土地も、「天照派」の拠点だったみたいですね。

 

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近くには、「野々宮神社」もありました。

 

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屋根には、「三つ巴」がありました。

 

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「三つの石」が、御神体みたいですね。

 

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「土俵」もありました。

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さららに、その近くには、「熊野神社」もありました。

 

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中を覗くと、「三つの扉」のある祠がありました。

 

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屋根には、「三つ巴」もありました。

 

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境内には、こういう祠もありました。

名前も書かれていませんが、この半分、扉が開いている祠は、「天の岩戸開き」の意味だと思います。

 

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関東においては、「天照派」が、「黒潮ロード」に乗って、小舟で漂着した場所が、

 

「千葉県」&「茨城県」&「神奈川県」&「東京都」

 

主に、この4ヵ所だったようです。

 

それから、「埼玉県」を通って、北関方面の「群馬県」と「栃木県」に向かったのが、大きな流れだったようです。

 

 

京都の「丹後」から始まり、関西を経由して、和歌山県の「熊野」から、小舟で、「東日本」を目指した「天照派」のグループの主なルートを、シンプルに書くと、赤線のようなルートになります。

 

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さらに、特筆すべきことがあります。

 

 

私は、「補陀落渡海」を調べていて、

 

「九十九里浜のあたりから、日光まで歩いて移動した時は、大変な道のりだったに違いない」

 

と思っていたのですが、実際には、小舟で、流れに逆らいながらも、上流へと向かうことができたようです。

もしかしたら、追い風の時には、とても楽に行けたかもしれません。

 

 

現在の千葉県銚子市のあたりから、栃木県日光市まで、古代においては、「香取浦」という大きな湾と無数の川があり、なんと、太平洋から、「日光」のあたりまでは、「鬼怒川」を使って、舟で一気に行くことができたようです。

 

1000年前の想像図だそうです。

 

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なるほど…、ですね。

 

「補陀落渡海」の僧たちが、後に、「補陀落寺」や「雷神神社」や「熊野神社」などを建てた場所は、この川沿いが多いですね。

こうやって、地形で推測すると、かなり正確な歴史が、把握できますね。

 

そして、「補陀落渡海」のグループは、いったん、栃木県の辺りで落ち着き、定住したようです。

その中の一部は、さらに、北上して、現在の「東北地方」に向かったようですね。

 

 

 

 

先月、宇都宮市にも、「補陀落渡海」の痕跡を探しに行きました。

 

 

「雷電神社」という名前の神社は、群馬県に一番多いようですが、栃木県にも、いくつかあります。

 

気が付いたのですが、「宇都宮」という地名を分解すると、「宇」+「都」+「宮」なので、

 

「宇宙から来た、三十八の子供の中の三十八」

 

という意味になりますね。

 

「男の中の男」というニュアンスかな?

 

「宇宙から来た、正真正銘の三十八人の子供の子孫が住んでいる土地」

 

こういう意味かもしれませんね。

 

 

栃木県宇都宮市平出町にある、「平出雷電神社」にも行ってきました。

 

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拝殿で参拝しました。

 

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宇都宮市内には、他にも、「雷電神社」がありました。

場所は、細谷町です。

 

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小さな神社ですが、境内には、とても良い氣が充満していました。

 

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この文字を見ただけで、感動しました。

 

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宇都宮市内をまわっていたら、この神社の名前が、目に飛び込んできました。

 

「二荒山神社」

 

ビックリしました。

 

以前に、ネットで調べた時に、名前だけは知っていたのですが、まさか、その神社が、ここにあるとは思っていなかったのです。

 

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「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」と発音するそうです。

 

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もうわかりましたね。

 

「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」=「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」

 

こうなるのです。

 

この神社は、和歌山県の「補陀洛山寺」と、完全に繋がっているのです。

 

つまり、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の「補陀洛山寺」の僧侶たちは、小舟で、「黒潮ロード」を渡って来て、関東の地へ上陸した後、栃木県宇都宮市にある、「二荒山神社」にも、辿り着いたということです。

 
 
記念撮影です。
 
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拝殿で参拝しました。
 
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灯篭の中に、不思議なシンボルがありました。
 
なんと、神紋が、「菊の三つ巴」です!
私は、いろいろ調べた結果、この神紋が、日本の古代史において、最重要なシンボルだと思っています。
 
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この神紋は、「三つ巴」と「菊花紋」が、合わさっていますね。
 
「日本という国家の中枢や奥底には、天照派のグループがいますよ」
 
こういう意味だと思います。
 
凄いシンボルですね~~!!
 
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神馬にも、「三つ巴」がありました。
 
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それから、しばらくして、別の日に、栃木県日光市にも行きました。
 
ここにも、同じ名前の神社があります。
 
「二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)」
 
という神社です。
 
有名な「日光東照宮」の隣にある神社です。
 
 
ここにも、「三つ巴」がありました。
 
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記念撮影しました。
 
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ここも、和歌山県熊野のお寺と、密接に繋がっているのです。
 
だから、こうなります。
 

「熊野 補陀洛山寺」=「宇都宮 二荒山神社」=「日光 二荒山神社」

 

 

一説によると、「日光」という名前は、弘法大師空海が、この地を訪れた際に、「二荒」を、「にこう」と読み、「日光」の字を当て、この地の名前にしたとも言われています。

 

「補陀洛」→「二荒」→「日光」

 

こうなったそうです。

 

和歌山県の「補陀落山寺」、それから、栃木県の二つの「二荒山神社」が、見事に繋がりましたね。

 
 
やはり、「天照派」のグループが、終の棲家に選んだ土地が、ここだったのです。
ここで、メインのグループは、ここで、居住を始めたと思います。
「日光」の土地で、日本の歴史は、いったん落ち着いたのだと思います。
 
 
 
そして、大切なことは、「日光」という太陽の光は、古代において、いったん、ここで隠れるのですが、「日食」が、暗くなったあと、再び輝きだすように、そして、「天の岩戸開き」の天照大神が、籠ったあとに、再び顔を出すように、日本という国は、「不死鳥」というのが、シンボルマークでもあり、特性なのです。
 
「外国から、どんなに叩かれても、戦争で負けても、経済が悪くなっても、必ず復活する」
 
これが、「日本」という国の底力なのです。
 
そして、それを裏で支えているのが、裏の古代史に登場する、この旅行記の主役、「天照派」の人々なのです。
 
今年から、また、「丹の光」を放つ日本」が、再び浮上してくると思います。
楽しみですね。
 
 
 
拝殿で参拝しました。
 
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やはり、扉が三つありますね。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つの神殿ですね。
 
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どうですか?
 
壮大なスケールの脱獄劇だったのですね~!
 
この旅行記のメインテーマである、「ピース」には、「平和」という意味がありますが、他にも、ジグソーパズルの「ピース」の意味も含んでいます。
 
今まで謎だった、日本の歴史の欠けていた穴に、パズルのピースが、パチン、パチンと音をたてながら、適切に、そして、綺麗にハマっていくのを、感じると思います。
 
 
 
「補陀落渡海」の痕跡は、関東地方の西側、神奈川県にも残っていました。
 
次回、「古代日本ピースツアー」、フィナーレです。
 
 
 
 
 

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