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古代日本ピースツアー 8 鎌倉

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「補陀落渡海」の痕跡は、関東地方の西側、「神奈川県」にも、いつくか残っていました。

 

 

「神奈川」という県名も、意味深です。

 

文字を分解すると、

 

「大(☆)」+「三(川)」+「神」+「示」

 

となります。

 

「宇宙からやってた三つの神が、示した場所」

 

こういう解釈もできますね。

 

「三つの神」とは、

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この「三つ巴」かもしれません。

 

 

 

 

神奈川県には、裏の古代史を語る上で、いくつか面白い所があります。
まず、一つ目の場所は、神奈川県足柄下郡湯河原町です。
 
海沿いにあります。
おそらく、この浜辺にも、和歌山県の「補陀落山寺」から来た小舟が、漂着したと思います。
 
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この浜辺には、「子之神社(ねのじんじゃ)」という神社があります。
名前が、全てを語っていますね。
「子之神社(ねのじんじゃ)」は、「このじんじゃ」とも読めますね。
 
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京都府の丹後地方にある、「イザナギ」と「イザナミ」が生まれた場所、「籠神社(このじんじゃ)」ですね。
 
「子之神社」=「籠神社」
 
ということです。
 
やはり、ここも、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たち、「天照派」が、辿り着いた場所だったのですね。
 
京都の「籠神社(このじんじゃ)」です。
 
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拝殿で参拝しました。
 
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屋根のあたりに、「三つ巴」がありました。
 
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ここの拝殿の中に、お祭りで担ぐ神輿が置かれていました。
 
驚きました!
朱い鳥居が、四方向を囲っていますね。
 
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四方から朱い鳥居が囲っている場面、どこかで、見たことないですか?
 
ハイ!
 
「補陀落山寺」の小舟ですね。
 
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やはり、間違いなく、ここにも、小舟は辿り着いていたのです。
 
 
 
この神社の隣に、お寺がありました。
 
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前回書いたように、隣同士ということは、間違いなく、同じグループだということです。
仲が悪ければ、離れるはずです。
家族くらい近い仲じゃないと、長年、隣同士では住めません。
 
名前を見て、驚嘆しました。
「醍醐院」と書かれているではないですか~!
 
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わかりましたね。
 
「天照派」のリーダーだった天皇、「後醍醐天皇」です。
「吉野神宮」の祭神ですね。
 
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ここも、「天照派」の拠点だったのです。
 
この神社と寺の最寄りの駅は、「真鶴」という名前なのですが、やはり、京都の「舞鶴」とも関係あると思います。
 
「真鶴」=「舞鶴」
 
こうなると思います。
 
 
帰りに、この駅の前に貼られていたポスターを見て、またまた驚きました。
 
「えーっ!」
 
と思いました。
 
地元で行われる、「貴船祭」というお祭りだそうです。
 
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この神輿にも、「三つ巴」が刻まれていますね。
そして、よく見ると、「子之神社」の神輿と同じように、四方を鳥居が囲っているではないですか~!
 
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小さな鳥居が、全てを表現しています。
間違いなく、この神輿は、「補陀落山寺」の小舟を、担いでいるのです。
 
やはり、「祭り」というイベントには、とても深い意味が、隠されているのですね。
おそらく、「天照派」のグループが、「西日本」から「東日本」に渡ってきたことを、祝福する祭りなのだと思います。
 
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それから、しばらくして、神奈川県の「鎌倉」にも行ってきました。
ここにも、秘密が隠されている予感がしたからです。
 
 
まずは、有名な「鶴岡八幡宮」にも、参拝に行きました。
 
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やはり、ここにも、あちらこちらに、「三つ巴」のシンボルがありました。
 
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そして、ここから、ちょっと歩いた場所にある、「鎌倉宮」にも行きました。
 
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御祭神は、「護良親王」だそうです。
この人物の正体は、調べてみると、「天照派」のグループのリーダーだった、「後醍醐天皇」の息子だそうです。
なるほど…
 
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拝殿で、参拝しました。
 
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この近くには、「杉本寺」もあります。
 
「杉」=「三」+「十」+「八」
 
でしたね。
 
「三十八の子孫の本部の寺」
 
という意味じゃないかな?
 
 
さらに、この寺は、「坂東三十三箇所」の一番目の寺だそうです。
 
これは、関東から房総半島にかけてある、33か所の「観音霊場」のことですが、
この寺が、1番最初のスタート地点で、房総半島の館山市にある、「補陀落山寺」の山号をもつ、「那古寺」が、最後の33番目です。
なんと、私は、無意識で、最初と最後の寺にだけ、導かれていたのです。
 
 
貫禄のある本堂で、記念撮影しました。
 
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境内には、摂社もありました。
 
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「熊野大権現」ですね~!
 
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「三つ巴」がありました。
 
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近くには、「熊野神社」もありました。
 
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やはり、「三つ巴」がありました。
 
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なんと、鎌倉市内にも、「補陀落寺」がありました。
とても小さな寺です。
 
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ここで、この看板を見た時には、特に何も気づきませんでした。
 
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しかし、あとから、友人の武田さんが、この寺の御朱印を見て、あることに気が付いて、写真を送ってくれました。
 
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左下の黄色の部分に、
 
「南向山 帰命印 補陀落寺」
 
こう書かれていますね。
 
つまり、こういうことです。
 
「天照派のグループが、京都から南の山に向かった。つまり、和歌山ですね。それから、命を落とさずに、無事に、この世界に帰ってきた。その寺院が、補陀落寺である」
 
こういう意味だと、私は解釈しました。
 
何もかも、全ての事実を書いているのです。
 
 
 
ここの寺は、小さすぎて、これ以上の情報は、仕入れることはできませんでしたが、その後に、ある地図を見て驚きました。
 
これです。
見てわかるように、「補陀落寺」のすぐ近くに、「光明寺」という大きな寺があります。
 
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ちょっと古代史を学んだら、わかるのですが、古代においては、
 
「天照派」 VS 「神武派」
 
だったのですが、さらに、詳しい内訳は、
 
「天照派(穏健派)」=「南朝」=「奈良」=「後醍醐天皇」
「神武派(武闘派)」=「北朝」==「京都」=「光明天皇」
 
こういう構造だったのです。
 
つまり、「補陀落寺」という「後醍醐天皇」の近くに、「光明寺」があるのです。
おそらく、この寺の名前から、「光明天皇」と、何らの関係があると思われます。
ただの偶然かもしれませんが、この場合、偶然とは、考えないことにします。
 
結論から、先に言うと、
 
「仲が悪いはずの二人の天皇に関係ありそうな、二つの寺が、隣近所の距離に、仲よく並んでいる」
 
ということです。
 
 
そこで、調べてみると、もともと、「南朝」と「北朝」というのは、日本において、権力者同士の争いであって、下っ端の武士や庶民などは、普段の日常では、あまり、敵対していなかったという記録も、残ってるそうです。
普段は、庶民同志は、一緒に、同じ銭湯や温泉に入ることも、あったようです。
 
このあたりが、外国と違い、日本的ですね。
 
現代でも、選挙の時以外は、違う政党支持者たちも、同じ会社の同僚であれば、一緒に、ランチを食べたりしますね。
そういうかんじだったのかもしれません。
 
私たちは、いつの間にか、物事を、
 
「白か? 黒か?」
 
という極論で考える癖が、できているようです。
 
実際の世の中は、たくさんの色が、千変万化に変化したり、状況によって、いくつかが混じったりするのです。
とても複雑で、単純に分けられるものではないのです。
 
 
このように、「鎌倉」においては、「天照派」と「神武派」は、仲よくやっていたのかもしれません。
 
理由はわかりませんが、もしかしたら、
 
「東日本まで来て、喧嘩したり、争うのは、もうやめようよ」
 
こういう話をして、和解したのかもしれません。
 
 
「鎌倉」という街を散歩していたら、綺麗な海岸線の景色が、見えてきます。
たしかに、この景色を見ていたら、喧嘩なんか、やる気になりませんね。(笑)
 
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ある説によると、日本においては、明治時代に、「北朝」と「南朝」は、融合したという話も、聞いたことがあります。
 
なんでも、「明治天皇」は、バリバリの「北朝のリーダー」だったそうですが、同時に、大の「南朝のファン」だったそうです。
面白い人物だったのですね。
 
 
そういえば、名前も、
 
「日」と「月」と「治」ですね。
 
「日と月の神様が治める時代の天皇」
 
という意味だったかもしれませんね。
 
「日月神示」の神様とも、何か関係があったかもしれませんね。
 
 
 
 
さて、「光明寺」にも行ってきました。
 
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「光明寺」の名前にも、「日」と「月」が入っていますね。
 
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「日と月の光が輝く」
 
という意味ですね。
 
ここでも、また、「日食」、つまり、「ダイヤモンドヘッド」が出てきましたね。
 
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境内に入って、山門に掲げられている文字を見て、驚嘆しました。
 
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見てください!
この寺の山号は、「天照山」なのです!
 
あまりにも、意表を突く展開に、もう笑ってしまいました。
 
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本堂です。
 
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境内には、「八角形」のお堂もありました。
 
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この寺の裏山には、「天照大神宮」という名前の神社もあります。
そして、「天照山」という山もあります。
 
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しかし、実際に近くまでいくと、小さな摂社でした。
 
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この摂社の近くには、道路沿いに、「鬼瓦」もありました。
 
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そして、一番奥には、奥宮のような場所があるのですが、そこが、「天照山」になります。

「三つ巴」の瓦ですね。

 

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ここには、いわゆる、「お墓」と呼ばれている場所なのですが、私には、あまり、「お墓」には見えませんでした。

 

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そして、

 

「この景色、どこかで見たな… どこだったかな…?」

 

しばらく考えていたら、わかりました。

 

熊野の「補陀落寺」の裏山に、ちょっと似ているのです。

 

これです。

 

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ということは…

 

「熊野」も「鎌倉」も、両方とも、同じグループが、拠点にしていたのだと思います。

 

 

 

鎌倉でも、面白いシンクロがありました。

 

友人の武田さんと、駅前のお店で、食事をしながら、「補陀落渡海」について、語り合っていた時のことです。

最初は、カフェで、お茶しました。

 

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それから、お腹がすいたので、夕食を食べに入ったお店に、これが、置かれていました。

私たちの席の前でした。

 

後ろの部分が、「鳥居」にも見えますね。(笑)

 

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二人で、

 

「うわー!」

 

と叫びました。

 

古代史を探る旅では、こういうシンクロが、バンバン起こります。

やはり、神界から導かれているのだと思います。

 

 

以前に、武田さんから教えていただいたのですが、沖縄平和記念公園には、戦没者の名前の刻まれた石碑がありますが、そこには、敵国の兵士、つまり、アメリカ軍の戦没者の名前も、同時に刻まれているそうです。

 

いろいろ調べてみたら、この動きは、実は、日本中にあるみたいです。

「靖国神社」の境内にも、亡くなったアメリカ軍の兵士の魂を、慰霊する場所があるそうです。

 

 

今回の旅行中も、いろいろなことを考えながら、旅したのですが、特に思ったのは、「天照派」の人々の愛の大きさです。

 

「敵も愛する」

 

こういう理想は、いきなりは、できないかもしれませんが、長い時間をかけたら、可能なのだと思いました。

私たちが、理想で描く、「平和な世界」というは、思ったよりも、早く実現するのかもしれませんね。

 

 

学生の頃、ある人間関係で、とても悩んでいた時に、当時の親友、Y君が、酒の席で言った言葉を思い出しました。

 

「大丈夫だよ。きっと、時間が解決するから! この世界にはね、全ての問題が解決する万能薬が、一つだけあるんだ。それはね、時間だよ。何十年か経ったら、今、喧嘩している皆で、笑い合える日がくるよ!」

 

 

 

 

「古代日本ピースツアー」は、今回で終わります。

 

「補陀落渡海」については、引き続き調査していますが、今月に入ってから、沖縄にも、「補陀落渡海」で流れ着いた僧がいたという話を知って、その調査で、沖縄に向かったのですが、ここにも、凄い秘密が隠れていました。

 

全ての謎を解く鍵は、「沖縄」にあったのです。

その話は、また、新しいシリーズで、改めて書こうと思っています。

 

 

 

 

 

いつものように、恒例の締めの言葉で、終わらせていただきますね。

 

 

「私には夢がある。いつの日か、ジョージアの赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちと、かつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟(対等の価値のある人間)として、同じテーブルにつく日が来るという夢が。私には夢がある。いつの日か、私の4人の幼い子供たちが、肌の色ではなく、人格そのものによって評価される国に住める日が来るという夢が」

 

by マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師

 

<アメリカ公民権運動、最大の指導者。1964年、ノーベル平和賞受賞>

 

☆1963年8月28日の「ワシントン大行進」で、リンカーン記念塔の前において、25万人の人びとに行った演説、「I Have a Dream」(アイ・ハブ・ア・ドリーム)より。

 

 

 

 

 

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トーマ

 
 
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古代日本ピースツアー エピローグ

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「古代日本ピースツアー」を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

オマケの話題です。

 

今回の旅先では、神社などの拝殿に、こういうものが、壁などに、かけられているのが、よく目に留まりました。

 

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これには、いろいろな意味があると思いますが、私には、「定規」と「コンパス」にも見えます。

 

おそらく、人類創造に関わる、「イザナギ」と「イザナミ」のシンボルなのだと思います。

シュメールの神話では、「エンキ」と「ニンフルサグ」ですね。

 

 

さらに、気になるのは、三色の色です。

下から、「黒」と「赤」と「白」ですね。

 

以前にも書きましたが、大切なことなので、再度書きます。

 

 

 

映画「スターウォーズ」は、実話だという話を、あるチャネリングの会で、聴いたことがあります。


どの映画でも、そうですが、大ヒットする作品は、多くの人の魂の奥底に隠れている記憶を、刺激する内容を、含んでいるのです。


いくつかのチャネリング情報を、重ね合わせると、遥か昔、オリオン座のあたりで、似たような出来事が、あったようなのです。

古代オリオン文明は、大きな権力支配下による、抑圧と弾圧の恐怖社会を形成していたようです。
極度に緊張したネガティブな社会構造を、持っていた文明だったようです。
彼等の世界は、今でいう中央集権的な国家で、一部の政治家が中心となって、物事を決定し、権力と圧力で、市民を従えていたようです。

その頃の支配は、地球の歴史上での、どんなネガティブな出来事をも、上回るほどの圧政だったそうです。
どのくらい酷かったかというと、現在の地球の独裁政治などは、拷問や死刑によって、死んでしまい、肉体を離れれば、霊体は自由になりますね。

しかし、この時の支配者たちは、支配されている者たちが、死んだあと、転生の先まで、霊的な縛りで、逃がさないように束縛するという、究極の支配だったようです。
魂レベルで、支配していたようなのです。

 


人によっては、現在でも、この時の霊的な縛りが、まだ残っている人もいるそうです。

「なぜだか、わかないけど、とても精神的な不自由さを感じる…」

という場合、この古代のオリオン文明での縛りであることも、たまにあるそうです。
私の友人にも、数名いました。

 



彼等の文明の中で、「支配する者」たちのシンボルだったのは、上記の写真のものと同じく、「黒」と「赤」と「白」という三色だったそうです。

 

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これは、直接的には、

「黒から赤を通って上の、白へと変化する」

という意味らしいのですが、さらに、その奥底には、

「ネガティブの世界から、流血を経て、ポジティブへとシフトする」

という意味が込められていたそうです。

 


彼等の持つ概念には、

「苦労無しには、実を結ばない」

これが、基本にあったそうです。

この概念は、現在の地球では、ドイツの「ナチス」に、主に受け継がれているようです。

「ナチス」は、古代のオリオン文明の概念を、一番受け継いでいる組織だそうです。


古代のオリオン文明の内争は、恐怖政府に反対する、政府と反政府との戦いだったそうです。

この頃に、

「支配する者」、「支配者に抵抗する者」、「支配される者」

という三つのグループが、宇宙に生まれたようです。


「支配者に抵抗する者」、つまり、「レジスタンス運動をする人々」は、表面立った活動をせずに、水面下でテロ活動をし、

「恐怖政府を、火でもって制する」

というポリシーをもっていたようです。

 


しかし、長年、

「火を火で制する」

という活動を長年続けてきた、古代オリオン文明の「支配者に抵抗する者」は、途中で、

「自分たちは、火に油を注いでいただけだった…」

という事に気がつき、

「このやり方では、最終的には、焼け野原をつくるだけだ!」

という結論になったようです。


そして、ある時期に、アプローチ法を変え、その状況を、ポジティブに変えることに、成功したそうです。


古代オリオン文明の子孫たちは、その後、三つのグループとも、オリオンから、私たちの太陽系に、やってきたそうです。

火星などを経緯して、地球に来たようです。
最初にたどりつきたのは、「エジプト」のあたりだったそうです。


「支配する者」のグループは、「黒・赤・白」のシンボル以外にも、「鳥」が、シンボルだったそうです。

昔も今も、「鷲」などの大きな鳥を、シンボルマークにしている国家や組織などは、この古代オリオン文明の支配者たちの血統や子孫だったりするみたいです。

大まかな流れでいうと、

「古代オリオン文明」→「火星」→「エジプト」→「ローマ帝国」→「ナチス」→「アメリカ」

こんなかんじみたいです。

たしかに、エジプト以降は、旗や紋章などのシンボルマークに、「鷲」がありますね。


エジプトの国章です。

 

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東ローマ帝国のエンブレムです。

 

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ナチス・ドイツの国章です。

 

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アメリカ合衆国の国章です。

 

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「スターウォーズ」の反乱同盟の紋章です。

 

 

 

日本の武闘派である、「神武派」も、この「支配する者」のグループだったかもしれませんね。

そういえば、「神武天皇」も、「鳥」を従えていますね。

 

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何が言いたいかというと、我が国、日本にも、このオリオンの文明を起源にもつ、宇宙人のグループがいたということです。

 

これは、「天照派」や「神武派」などの派閥に関わらず、日本人の心にも、深く根をはった価値観や人生観だったのかもしれません。

 

 

つまり、

 

「黒から赤を通って上の、白へと変化する」

「ネガティブの世界から、流血を経て、ポジティブへとシフトする」


「苦労無しには、実を結ばない」

こういう価値観であり、人生観や世界観ですね。

 

 


現代においては、未だに、地球人と宇宙人とは、お互いに、顔を突き合わせてのオープンコンタクトは、それほど、頻繁には起こっていませんね。

 

それは、地球の人間が、心の奥底で、長年抱え込んでいる思い込みのようなものが、いくつかあって、それが、宇宙人たちと、いまだに交流できない原因になっているようです。


以前、「バシャールの会」というのを、たまに開催していました。

「宇宙存在・バシャール」の昔のチャネリングビデオなどを、友人たちと観ながら、お菓子を食べ、いろいろ語り合う会でした。

最近は、あまりやっていませんが、毎回、とても有意義な話題がバンバン出て、楽しかったです。


あるビデオの中で、バシャールが、強調していたのは、

「あなたがた地球の人たちの潜在意識を読んで、気がついたのですが、人間の心の奥底にある、最後の固定観念は、幸せであり続けては、いけないということです」

というメッセージでした。


「幸せであり続けては、いけない…」


たしかに、ワクワクしていても、


「ワクワクし続けては、いけない…」

という思いが、どこかにありますね。


バシャールは、このビデオの中で、いろいろな事例をあげて、わかりやすく、それを説明していました。


人間は、太古の大昔から、何千年間も、ずーっと、この癖を維持してきたそうです。

「幸せであり続けることが、許されるような価値は、自分にはない。自分は、それほどの価値ある存在ではない…」

大半の人間が、こういう自己卑下に似た観念を、まだ、心の奥底の芯の部分に、持っているのだそうです。



これのせいで、幸せになったとたんに、

「幸せだなー。こんなに幸せでいいのかな? いや、きっと、こんな幸せは、そんなに長く続くはずがない。きっと、そのうち、落とし穴が、目の前に現れるはずだ。世の中は甘くないんだ」

こう思う癖があるそうです。
そう思った途端に、その想念が、実際に落とし穴を、目の前に創ってしまうのだそうです。
自分の意識が、その落とし穴を、創りだしているということです。


そして、失敗した後、

「ほーらみろ! やっぱり、落とし穴に落ちた。やっぱり、世の中は甘くないんだ!」

と確信するそうです。

意識が、この負のサイクルに入ってしまうと、なかなか抜け出せなくなるそうです。
無意識のレベルで、この癖を何度も繰り返してしまうのです。


それだけではなく、自分自身以外の他人にも、

「幸せの後には、落とし穴が待っているぞ。失敗するぞ。世の中は甘くないんだぞ!」

と教えるようになるそうです。
そして、それを聞いた、子供、弟子、部下、後輩なども、同じサイクルを続けてしまうそうです。


成功哲学や願望実現の本などは、「幸せになる方法」は、教えますが、

「幸せになった後に、それをキープする方法」

は、あまり教えません。

実際には、キープするのが、一番難しいのです。


金持ちになるのは、わりと簡単です。
でも、それをキープするのが、大変なのです。
金持ちの状態を、30年以上キープする方法を、教えてくれる人は、あまりいないみたいです。

幸せな結婚をするのも、簡単です。
これも、キープするのは困難です。
幸せな結婚の状態を、30年以上キープする方法を知っている人は、少ないです。


「幸せの後には、不幸せが待っている。その不幸せの後には、また幸せが待っている」

「成功の後には、失敗が待っている。その失敗の後には、また成功が待っている」

巷には、こういう「正と負の人生観」を、「宇宙の法則」であるかのように語る教えもありますね。

しかし、バシャールたち、宇宙存在によると、実は、これは、「地球の傾向」なのだそうです。
地球の人たちが、そう思い込んでいるから、そうなるのだそうです。
「法則」ではなく、「思いグセ」から、創りだされる、「傾向」なのだそうです。


地球では、

「幸せと不幸せ」


「成功と失敗」

このような二つの陰陽を、体験することによって、「中庸」というものを知ったり、感じたりする。

そういうレッスンが、ずーっと続けられてきたのだそうです。


バシャールは、これからの人間の生き方の選択肢の一つとして、

「もう、ずーっと幸せであり続けてもいいんだ、成功しつづけてもいいんだ。こういう選択を、選んではどうですか?」

と提案しています。

たしかに、そうですね。
ちなみに、彼らの惑星の社会は、すでに、そういう段階に、なっているそうです。

たしかに、状況によっては、ポジティブに考えることが、難しいほどのネガティブな場面もあるでしょう。
そういう時でも、いや、そういう時だからこそ、ポジティブに、認識したり、解釈をしようという姿勢は、大事だと思うのです。


この最後の固定観念は、確かに根深いかもしれません。

戦争なども、もしかしたら、

「平和であり続けては、いけない…」

という人間の固定観念から、生じているかもしれません。

「平和だなー。こんなに平和でいいのかな? いや、きっと、こんな平和は、そんなに長く続くはずがない。きっと、落とし穴が、目の前に現れるはずだ。世の中は甘くないんだ。そのうち、戦争が起こるかもしれない…」

戦争は、そう思ってるから、起こるのかもしれません。

 


この話は、「人生」、「戦争」、「人間関係」、「恋愛」、「結婚」、「病気」などなど、人間の行動のすべてに言えるかもしれません。
すべては、人間の意識や観念が、現実を創造していると考えた場合、これを、完全に切り替えるまでは、ネガティブな現実は、続くということです。

「長い年月かかって、できあがった癖なので、それを、急に変えることは難しい」

と思う人もいるでしょう。

しかし、バシャールは、

「その考え方そのものも、人間の思い込みであり、実は、簡単に変えることができる」

と言っています。

「現実のネガティブとポジティブは、ゴムチューブみたいなものです。今、あなたたちの地球は、とことんまで、ネガティブの方向に、ゴムチューブが、引っ張られています。だから、このゴムチューブのネガティブの先を、パッと手放すと、逆のポジティブの方向に、物凄いスピードで、ビューッと、一瞬で戻ります。ぜひ、やってみてください」

これも納得ですね。


この機会に、自分自身に、宣言してみてもいいですね。

「もう、幸せであり続けてもいいんだ!!」

「もう、平和であり続けてもいいんだ!!」

「もう、ワクワクし続けてもいいんだ!!」


どうですか? 

なんか、幸せな気分が、じわっーと湧いてきたのではないですか?


「陰と陽を体験することによって、中庸というものを学ぶ」

この学び方は、とっても素敵で、面白い学びだったと思います。
でも、たくさんの人たちが、そろそろ、次の段階の学びに、移りたがっているようです。


バシャールによると、この最後の固定観念を壊すことが、「地球の卒業試験」になるようです。
そして、「地球の卒業試験」をクリアすると、別の惑星で、次のステージの学びが、また新たに始まるそうです。
次は、どんな面白い学びが、待っているんでしょうね?(笑)

 

 

 

 

 

 

☆では、恒例の「ボツになった写真集」です。

 

ストーリーの関係上、掲載できなかった写真たちです。

深い意味はありませんが、なんとなく、ぼーっと見て、楽しんでくださいね。

 

 

 

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書籍「地球を創った魔法使いたち」

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いつも、旅行記を読んでいただき、ありがとうございます!

 

ご存知のように、今年の2月から、私の本が、発売になっています。

すでに、多くの方に購入していただいています。

たくさんの感想メールにも、感謝です。

 

 

宇宙考古学や古代に、興味のある方、全国の販売店(販売員)から、お買い求めください。

 

この本は、基本的に、書店などでは販売しません。

なお、アマゾンなどでのインターネット販売もしません。

下記の販売店(販売員)のみの販売になります。

 

 

この本は、ベストセラーなども狙っていません。

大量販売もしません。

本当に読みたい方だけに、お届けしたいと思って、このシステムにしています。

 

15年くらい前にも、「精神世界の鉄人」というタイトルの本を発売しましたが、その時も、このやり方でした。

お蔭さまで、この時の本も全部売り切れ、現在は絶版になっています。

 

今回も、その時の同じ部数を、自費出版で刷りました。

2000冊です。

 

今の時点では、増刷なども考えていません。

だから、2000部限定になると思います。

縁のある方にだけ、届いたらいいと思っています。

 

この後にも、第二巻、第三巻…、こう続きます。

 

当初は、全6巻で完結になる予定でしたが、その後、次々と新事実を発見したので、全8巻になるかもしれません。

各巻とも、同じく、限定部数、2000冊になると思います。

 

 

約4年間、日本中を飛び回って調査した、宇宙考古学と古代史の集大成です。

最高に面白い内容になっています。

 

 

〇「地球を創った魔法使いたち 1巻 ~天空より飛来した人々~」

 

著者:十真至

定価:2500円+税 

ページ数:320ページ

「童楽出版」 (自費出版です)

 

 

表紙を開いたら、こういうデザインになります。

 

image

 

 

本を立てた時のイメージです。

 

image

 

 

 

☆本書、「地球を創った魔法使いたち」は、原則として、書店では購入できません。

アマゾンなどのインターネット販売もやっていません。

 

 

〇書籍「地球を創った魔法使いたち」の販売店一覧です。

 
 
 

 

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大阪セミナー ~地球文明~

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春の足音が、聞こえてきましたね。

 

関西の読者の方々からの依頼が多いので、また4月に、大阪で、セミナーを開催することが決まりました!

 

このセミナーは、いろいろな気づきなど、ブログの活字や写真だけでは伝えられないことを、直接会って、伝えることができます。

ぜひ、地球の歴史の秘密、その他の様々な謎についても、語り合いましょう。

 

 

地球文明や宇宙考古学に、興味のある方、ぜひ、ご参加ください。

参加をご希望の方は、お早めに、私、トーマまで、メールくださいね。

 



<大阪セミナー ~地球文明~>

 


○日時:2018年4月22日(日)13時45分(受付開始) 14時00分~17時00分


○場所:TKPガーデンシティPREMIUM大阪駅前 4階 シクラメン

 

〒530-0002 大阪府大阪市北区曽根崎新地2-3-21 axビル 4F    

 

http://tkp-osaka-ekimae.net/access/

 

 

○内容:神々や宇宙人たちが、地球文明をサポートしていた話を、古代から現代まで、たくさんの具体的な例をあげながら、広く深く語ります。


セミナーで、語りたいことを箇条書きしてみると…


○宇宙の始まり

○宇宙の知的生命体

○創られた惑星、地球

○人間と龍

○恐竜の秘密

○ウイルスと昆虫と植物の秘密

○地球を訪れた宇宙人、ゲル、ぺル、エル

○アヌンナキの一族、エンリル、エンキ、イナンナ

○超古代文明、ムー、レムリア、アトランティス

○縄文時代と弥生時代

 

〇エデンの園、アダムとイブ

 

〇秦の始皇帝、兵馬俑

○邪馬台国と卑弥呼

 

〇聖徳太子

 

〇補陀落渡海

○ノアの方舟と大洪水

○天空の城、ラピュタ

 

〇世界樹

○秘密結社と悪魔教

 

〇ゾンビ

○戦争の始まり

 

〇キリスト教と日本

○ヨーロッパの暗黒時代とペスト

○インディアンの虐殺

○闇の権力と奴隷制度

○アヘン戦争と幕末

○第二次世界大戦の真相

○ニューエイジ

○バシャール

○911と311

○日本の役割

○パラレルワールド

○未来の地球

 

当日は、話の流れで、この中のいくつかを、話すことになると思います。



○定員:12名 

 

深い話がしたいので、少人数とさせていただきます。
定員に達し次第、申し込み締め切らせていただきます。


○受講料:2万円 


お振込み方法などは、別途メールで、ご連絡いたします。


〇その他:セミナー終了後に、懇親会も予定しています。

こちらも、ぜひご参加ください。

 

 


☆参加をご希望の方は、私、トーマまで、メールお願いします。

 

最近、メールが、返信できないことが増えています。

3日経っても、私から返信がない場合は、別のメルアドから送信してみてください。

 

トーマ

 

toma_atlas@yahoo.co.jp


 

なかなか、メールが届かない方は、試しに、フェイスブックから、メッセージを送ってみてくださいね。

 

https://www.facebook.com/toma.atlas

 

 

 



PS 地球の隠されてきた本当の歴史を、知りたくないですか?

写真は、アトランティス文明の都市の想像画です。

 

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☆参考までに、過去記事のいくつかを、再度掲載します。


○「宇宙の始まり」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11788790871.html


○「3タイプの宇宙人による地球文明の歴史」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11737047449.html


○「ラージ・エックス」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11901862620.html

 


○「龍」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11916718173.html
 

 

〇「狛犬の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241177514.html

 

 

〇「稲荷神の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241267304.html

 


○「邪馬台国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12269921232.html

 

 

〇「神の国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12270038516.html

 


☆内容は、当日、少し変更になるかもしれませんが、大まかでは、これらの話を、たくさんの秘蔵写真をお見せしながら、わかりやすくお伝えします。

 



○以前に開催した、「地球文明のセミナー」の参加者からの感想メールです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


○Oさん(女性)

先日の、大阪セミナーありがとうございました!!
私が認識してる宇宙、地球、世の中、の角度がガラリと変わりました
見れる角度が格段に増えて、世界がめちゃ広がったし、また新しい自分で見れるようになりました!!!
ホント、世界一受けたい授業です!!
もーずっと聞いてたい笑!!!
やっぱり、地球っておもしろい
( ´ ▽ ` )ノ
又よろしくお願いします


○Tさん(女性)

先日は本当にありがとうございました!
そして、13才おめでとうございました^^
感慨深いですね~!

ほーんとすっごくすっごく、楽しかった~~~。
素敵なトークをありがとうございます!
そうそう!感想、送ろうと思ってゴメンなさい~><

感想は、トーマさんの泉のように湧き出る豊富なトークに、
もう夢中になってひたすら聞き入ってしまいました。楽しかったああ。

知らないことはもちろん、自分が置いてきぼりにしていたこと、
納得いく真実に出会えました。これが本当だよ、って

心が震えるのは、真実に限りなく近いお話だからなのだとおもいます。

それに、おかしいな?っていうことに徹底切り込んでいくトーマさんの好奇心は素晴らしい!
何から何まで楽しませていただいて、終電までわくわくして、帰るときには

「地球ってやっぱりいいないろいろあるけどいいとこだな」と思えるセミナーでした。

お茶会も楽しみです!今月下旬でしたら、都合がつきそうです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


○Yさん(女性)

今日はセミナーありがとうございました
本当にトーマさんの話は興味がある話ばかりで、面白くて一緒にいると、時間があっという間に過ぎてしまいます
スピリチュアル系の話、宇宙人の話も、陰謀系の話も濃厚すぎて、そのうちのどれほどの話が私の頭に残ってるのやら(笑)
でもほんの一部でも心に残っていれば参加した価値ありですね

宇宙の始まりが『たっぷん』から始まったことや、神様の進化したのが人間だってことや、ゴキブリが実はロボット?っていう話や、化石が残ってる理由や、地球のヒストリーや、肉:穀物が1:7が良いって事など、目から鱗がたくさんはがれました

これからは話すときは映像を頭に浮かべることを意識します
帰って早速、まる(犬)に映像を浮かべて話しかけてみました『今日ね、トーマさんの家に行ってね面白い話をたくさん聞いてきたよ♪話を聞くために10人以上の人が集まったんだよ。人間をあやつっている人の話とか聞いたんだよ』って(笑)
ちゃんと聞き耳たてて聞いてくれていました


○Sさん(女性)

トーマさん、先日のセミナーでわたしはずーと不思議に思っていたことがいくつか、溶けました。

自分がなんのために、もの作りをするのか、有り余る物質の中で漠然と疑問があったのです。

それから、よく、「ドイツ人と日本人は時間を守る」と聞くので不思議だと思ってましたから、しっくりきたのです。他にも疑問はありますが、なかなか表面的なことしか、分からなくてそれだとしっくり来ないのですよね。

トーマさんの話だとスッキリしましたから、よかったです。

ありがとうございました。


○Tさん(女性)

トーマさん、先日は本当に本当に楽しい時間を、ありがとうございました!!!

今また改めて、トーマさんのブログを初めから読ませて頂いているのですが、何度読んでも面白くて、新しい気付きもたくさんあって、その中からもトーマさんの深い思いやりと愛をバシバシ感じております☆

今月の秘密結茶、時間が合いましたら、ぜひ参加させて下さい☆

よろしくお願い致します☆


○Iさん(女性)

今日は、ありがとうございました!!
すっごく楽しかったですー(。>∀<。)
トーマさんのお話を聞くと、視野が広がるので、いつも、助かっています!!
本当にありがとうございました!

魅力菩薩になれるよう、がんばりまーす
おやすみなさい!


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 

 

 

 

 

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沖縄ニライカナイツアー 1 シーサー

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お待たせしました~!

今月の上旬に、沖縄に行ってきましたが、その旅行記の始まりです!

 

今回のテーマは、「ニライカナイ」ですが、これの意味については、後ほど、少しづつ解説していきますね。

 

 

 

3月5日(月)に、沖縄の那覇空港に、最終便で到着したのですが、夜だというのに、暖かいのに、ビックリしました。

東京での生活が長いので、たまに、生まれ故郷に帰ってくると、その気候の温暖さに、まず驚きます。

 

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沖縄は、真冬の時期でも、夜から散歩ができます。

沖縄に住んでいた頃は、これを、なんとも思っていませんでしたが、これは、素晴らしい環境です。

東京だと、夜は寒すぎて、とても散歩の気分になりません。

 

考えてみたら、沖縄という場所は、

 

「日本の中で、唯一、一年中、夜の散歩ができる場所」

 

と、言えるかもしれません。

夜型の私には、とても嬉しいです。

 

逆に言えば、こういう環境で、子供の頃に育ったから、夜型のライフスタイルになったのかもしれません。

そういえば、世界中どこでも、暑い地方は、夜型で、土地によっては、「シエスタ(昼寝」がありますね。

 

 

住んでいた頃は、なんとも思わなかった、「ハイビスカス」も、久しぶりに見ると、とても綺麗に見えました。

 

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沖縄の滞在は、4日間と、とても短ったのですが、とても充実していました。

特に、日本の裏古代史の秘密が、どんどん解けていくのが、とても楽しかったです。

 

 

 

この旅行記は、前作の「古代日本ピースツアー」の続編になりますので、まだ読んでいない方は、ぜひ読んでください。

これから先の内容を、より理解できると思います。

 

とりあえず、前作までのストーリーを、速足で駆け抜けましょう。

まず、「アヌンナキ」の一族について、簡単に、おさらいしておきましょう。

 

 

太古の時代、地球を訪問した宇宙人のグループは、たくさんいたようです。

その中でも、一番、地球の歴史に深く関わったのは、何度も紹介している、「アヌンナキ」の一族です。
 
このグループは、「レプティリアン(爬虫類人)」のグループに、属すると思いますが、この一族は、「シェイプシフト」、つまり、変身能力があるために、いろいろな姿形になることが、できたようです。
 
 

一説によると、「二ビル」という名前の惑星から、50万年前くらいに、地球にやってきたとも言われています。

 

「アヌンナキ」という男性の神様から、地球人類の歴史は、主に始まっているのです。

彼が、地球の計画書みたいなものを作成して、そのプラン通りに、歴史は動いているのです。

 

だから、「his story(彼の物語)」なのです。

 

この二語を組みわせた造語が、「history(歴史)」だということです。

 

「歴史」の秘密は、そのまま、文字に表現されていたのです。

そのまんまなのです。

素直に解釈すればいいだけの話です。

 

 

 

こちらは、「シュメール文明」の遺跡から、発見された粘土板の絵です。

背中から、翼が生えていますね。

「アヌ王」だと言われています。

この存在が、「天使」の源流かもしれません。

 
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次の写真は、鳥の姿に、「シェイプシフト(変身)」した時の姿だと言われています。

同じく、「アヌ王」です。

 

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こちらも、「アヌ王」だと言われている壁画です。

 

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彼は、「ゾロアスター教」の最高神、「アフラ・マズダー」でも、あったみたいです。

全ての宗教団体の源流を辿ると、この神様に、辿り着くとも言われているくらい、地球においては、絶対神だったようです。

 

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これは、シュメール文明の壁画です。

上空を飛んでいるのが、父親の「アヌ王」で、下の二人が、息子たち、「エンキ」と「エンリル」だと思います。

 

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面白い話があります。

 

「アヌ王」は、歴史上の様々な人物に、生まれ変わったようなのですが、日本では、「神武天皇」としても、生まれていたようなのです。

 

そして、沖縄には、その「神武天皇」が、9歳くらいまで住んでいたという伝説が、口伝で残っているのです。

 

「神武天皇」は、特に、幼少期の頃、沖縄本島の北部のあたりを、拠点にしていたようです。

「伊是名島」にある、「伊是名ピラミッド」のあたりで、生まれたという伝承も、沖縄には残っているのです。

 

このピラミッドです。

ここは、歴代の琉球王国の王族の墓です。

 

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「神武天皇(アヌ王)」は、よく、沖縄本島の上空を、UFOで飛び回っていたとも言われています。

なんと、その時代の「皇居」は、現代では、沖縄県島尻郡八重瀬町にある、「南部工業高校」の土地にあったそうです。

 

伝承によると、「神武天皇」は、沖縄から、九州に向かったのだそうです。

九州への行軍は、那覇市の与儀十字路から、始まったとも言われています。

 

私は、いろいろな状況証拠から、九州へは、海を航海する船ではなく、やはり、UFOに乗って、飛んでいっただろうと考えています。

 

 

これは、世界遺産にも登録された、沖縄本島の北部にある、「今帰仁城跡(なきじんじょうあと)」です。


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「今帰仁」と書いて、「なきじん」と読むのですが、

「どうして、こういう読み方をするだろう?」

と思って調べてみました。

 

すると、「今帰仁(なきじん)」という地名の由来は謎で、学者たちによる定説が、まったくないそうです。

…ということは、古い沖縄の言葉よりも、さらに古い時代の言葉の可能性があるということですね。

そこで、最初は、「泣き人」や「亡き人」なのかと思って、いろいろ考えていたのですが、シックリきませんでした。

 


しばらくして、閃きました。

「なきは、ナキで、じんは、神だったんじゃないかな…?」

「なき」は、「アヌンナキ」の「ナキ」だったんじゃないかということです。

「じん」は、「神」ですね。

「今帰仁(なきじん)」=「ナキ神」=「アヌンナキの神」

という等式が、成立するかもしれないと思ったのです。

「今帰仁城跡」=「太古の時代に、アヌンナキが治めていた場所」

かもしれないということです。
 

 

「神武天皇」は、その後、九州を拠点にしたようですが、大分県の「宇佐神宮」にも、彼の正体が、「アヌ王」だったという痕跡が残っています。

 

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この神宮の本殿の周りをウロウロしていたら、拝殿の近くに、御神体の写真が飾られていました。

 

その写真に、目が釘付けになりました。

 

そして、

 

「うわーー!!」

 

と、大声を上げしまいました。

 

この写真です!

 

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わかりましたか?

 

明らかに、「UFO」ですね。

これが、UFOじゃなかったら、何なんでしょうか?

 

間違いなく、「神武天皇=アヌ王」が、沖縄から九州に来た時に乗っていた、スペースシップだと思います。

 

「宇佐神宮」の正真正銘、本物の御神体は、「UFO」だったのです。

この「UFO」の形をした石は、模して作ったものではなく、本物のUFOが、役目を終えたので、石化したのだと思います。

 

 

興味深いのは、最近、これとそっくりな石が、ロシアでも発見されているのです。

 

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スイスのコンタクティー、ビリーマイヤーが、遭遇したUFOにも似ていますね。

「プレアデス系」の宇宙人グループですね。

 

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これも、「今帰仁城跡」の写真です。

城壁は、ペルーの「マチュ・ピチュ遺跡」にも、似ている気がします。

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早朝などの霧の中では、本当に、マチュ・ピチュ遺跡のような景色になるようです。

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ご存じのように、ペルーの「マチュ・ピチュ遺跡」には、部屋のような建物に、屋根がない部屋ばかりです。




昔は、この屋根については、

「当初は存在していたのだが、後から、天災などの理由で、無くなったのではないか?」

と言われていたようですが、最近の新説では、

「ペルーのマチュ・ピチュ遺跡には、最初から、屋根がなかったのではないか?」

という意見も、ちらほら出てきているようです。

「では、それは、どうしてなのか?」

ということですが、

「当時、宇宙人たちが、人間たちを、何らかの理由で、その場所の囲いの中に拘束していたのではないか? そして、これも、何かの理由で、必要な時に、上空から、UFOで引き上げていたのではないか? そのために、屋根が邪魔だったために、無かったのではないか?」

こんな意見も、出てきているようです。

要するに、

「マチュ・ピチュ遺跡というのは、古代の時代、宇宙人たちが、人間を、奴隷や家畜のようなかんじで、飼っていた場所だったのではないか?」

という仮説です。

宇宙人たちにとって、地球における、「動物園」や「遺伝子実験場」のような場所だったかもしれないのです。
この動物とは、モチロン、「人間」です。


私には、「マチュ・ピチュ遺跡」に似ている、この「今帰仁城跡」が、太古の時代にも、似たような城壁のような建造物が、すでにあって、そこで、宇宙人たちが、動物園や実験場の動物として、人間を囲っていたような気がするのです。
それから、何らかの理由で、そこが無くなり、13世紀頃に、人間が自力で、再び、お城として建造した。
このようなビジョンが、見えるのです。

 

もしかしたら、この宇宙人が、現在の今帰仁城跡のあたりで、人間を囲って、動物園や実験場のようなものを、つくっていたのかもしれません。
 

 

 

さらに、「アヌ王」の二人の息子たちである、「エンリル」と「エンキ」の痕跡も、この城の近くにあるのです。
つまり、人類の誕生に関わった、「エデンの園」が、今帰仁城跡の近くにあるのです。

 


今帰仁城跡の近くに、「古宇利島(こうりじま)」があります。
ここは、人気グループの「嵐」が、JALのCMで、ロケ地としても使ったことで有名です。
二つの岩が重なると、ハートの形になる、「ハートロック」がありますね。

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沖縄版の「アダムとイブ」の神話が、言い伝えられている場所でもあります。
だいたい、こういう内容です。

 


大昔、この島に、裸の男女が、住んでいました。
二人は、天から降ってくる餅を食べて、暮らしていました。
ある日、二人は、「餅が降ってこなくなると、大変だ」と考えて、餅を少しずつ蓄えました。
すると、餅は、降らなくなってしまい、二人は、狩猟や穀物の栽培を始めて、生活の苦労を知ります。
また、別の日に、二人は、ジュゴンの交尾を見ました。
そして、裸でいるのが、恥ずかしくなり、恥部を、蒲の葉っぱで隠すようになりました。
その後、二人の子供達が、島から出て行って、琉球人の祖先になりました。

 


面白いですね。

 

宇宙考古学的な解釈をすると、この神話に出てくる、「ジュゴン」は、そのまま、「人魚」だっただろうと思います。
「人間+魚」のハイブリッドの生命体だったと思うのです。
もしかしたら、「アヌンナキ」という宇宙人たちだったのかもしれません。


聖書の創世記によれば、最初のアダムは、神が、土から造ったという表現がされています。
これは、昔は、馬鹿馬鹿しいと思われていたようですが、最先端の科学では、見なおされてきています。

人間の身体は、80%は水分で、あとは、蛋白質やカルシウム、その他の物質でできているようです。
さらに、水は、水素と酸素から成っています。
蛋白質は、炭素、水素、窒素、酸素、硫黄などから、成っているようです。
他にも、ナトリウム、カリウム、マグネシウム、塩素、リン、鉄、マンガン、ヨウ素、亜鉛、コバルト、フッ素などの物質が含まれています。
これらが、有機的に結合しているのですが、興味深いのは、これらの元素は、全て、地球の地殻の中に存在しているもので、ごくありふれた元素だということです。

聖書の中の記述は、科学が進歩するとともに、聖書の内容が、科学的な事実だということが、どんどん、わかってきているのです。
人間の身体というのは、ほとんどが、「土」なのです。
だから、死んだら、土にかえるのです。

創世記によれば、その後、神は、アダムの鼻に、いのちの息(霊)を、吹き込んだと書かれています。
それから、神は、アダムの肋骨から、イブを造ったそうですが、これも、最先端の細胞学では、見なおされているようです。
肋骨のような比較的短い骨の骨髄は、赤色骨髄で、盛んに細胞分裂して、急激に増殖する骨髄細胞を含んでいるそうです。

 

最先端のクローン技術では、モノクローン抗体というのを造る時には、この盛んに分裂増殖する骨髄細胞を利用することが多いそうです。

ようやく、人間も、神のテクノロジーに、追いついてきたということです。

もし、現代の科学で、人間を造ろうとしたら、やはり、創世記の記述通りの作業をするだろうとも、言われているそうです。

先に、男性から造ったのも、染色体の数と特徴を考えれば、合理的なのだそうです。
男性は、XY、女性は、XXというような話を、学生時代、聞いたことがあると思いますが、細胞学的に見ると、男性の中に、女性の基本的な特質が、事前に含まれているのです。

それで、神は、最初に、男性から造ったようです。
このXとYの組み合わせは、確率的に言っても、XYとXXが、ともに50%になり、人口の半々を、男と女にできるようになっているようです。
人間というのは、ここまで考えられて、設計されているのだそうです。
 

 

 

宇宙考古学のゼカリア・シッチン博士によると、「アヌ王」には、二人の息子、「エンリル」と「エンキ」がいたそうです。

 

「エンリル」のほうが、父親である、「アヌ王」から、「エデンの園」と言われている場所で、「アダム」と「イブ」の管理を任されていたようなのです。

当時の「エデンの園」は、世界中に、たくさんあったようですが、遺伝子の実験場のような所で、沖縄においては、「古宇利島」のあたりだったと想像します。

 


「エンリル」は、人間の姿で、「エンキ」は、上半身は人間で下半身はヘビ、こういうハイブリッドの姿だったようです。

左が「エンリル」で、右が「エンキ」です。




聖書の中で、ヘビが、途中から、「アダム」と「イブ」に、「知恵の木の実」であるリンゴを、食べさせたという話は、この「エンキ」の仕業だったとも、言われています。




日本でも、「宇賀神(うがじん)」という名前で、親しまれています。
頭部が人間で、身体がヘビの神様です。

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ご存知のように、二体の神様がワンセットになっている像は、世界中の神社や神殿にありますね。

いろいろな姿に、シェイプシフト(変身)していますが、それらの像の正体が、「エンリル」と「エンキ」という二人の兄弟神なのです。

 


「有翼人面の牡牛像」です。
メソポタミア文明(イラク)のあたりの像です。

 


これは、有名なシュメール文明の「レプタリアン(爬虫類人)」ですね。

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日本では、「金剛力士像」が、やはり、ペアです。




韓国にも、同じような像があるみたいです。

 

 

どうですか?
バラバラに見えるものも、こうやって、共通項でまとめて見ると、法則性や類似性に、気がつくのではないですか?
これらの二体が、「エンリル」と「エンキ」の二人の兄弟を、表現しているということです。

 

 

 

これは、中近東で発見された壁画だそうです。

 

前述したように、「アヌンナキ」の宇宙人たちは、洋服やアクセサリーを取り替えるように、自由自在に、自分の身体を変えられたのが特徴です。

 

シュメール文明の時代では、彼らは、頭部を、「ライオン」にして、活動していたようなのです。

特に、エジプトの土地では、この姿だったそうです。

そして、彼らの姿を、石像で残したのが、「スフィンクス」みたいです。

 

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「エンリル」は、もともとは、人間の姿をしていたのですが、おそらく威厳を保つためだと思いますが、ある時期から、自分の頭部を、「ライオン」の姿にすることを、好んでいたようなのです。

「ライオンが、地球の地上の動物で、一番強そうだ。人間たちに、ナメられないように、ライオンの顔をしてやれ!」

こう思ったかもしれません。
プロレスラーが、強そうに見せるために、覆面をかぶり、「覆面レスラー」になるようなものです。
 
この壁画のような姿だったようです。
 
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日本では、「獅子舞」も、「エンリル」みたいです。
 
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一方の「エンキ」のほうも、最初は、半分人間で、半分蛇の姿だったそうですが、次第に、いろいろな姿を試し始めたようです。

最初は、「エンリル」の真似をして、同じように、「ライオン」の頭部にしていたようなのですが、あとから、キャラがかぶったのを嫌ったのか、他の姿に変えています。

その姿が、どうやら、「ユニコーン」だったようなのです。
 
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まとめると、この二人の兄弟の姿が、最終的に、落ち着いた姿が…

 

「エンリル」=「ライオン(獅子)」

「エンキ」=「ユニコーン(一角獣)」

 

こうなったようです。

 

 

 

日本では、「狛犬」が、有名ですね。
沖縄では、「シーサー」です。

一般的に、「ライオン」だと言われていますが、そもそも、ライオンが生息しているのは、アフリカとインドです。
中国や日本、そして、沖縄には、「ライオン」などいません。


「狛犬」や「シーサー」は、二体で、ワンセットですが、これらの二人の神様も、「エンリル」と「エンキ」なのです。

 


これは、靖国神社の狛犬です。
口をあけて、角がないほうが、「エンリル」だと思います。
「ライオン」を表現しています。


口があいているのは、父親から、
「オマエが、人間たちに、いろいろ命令しろ!」
と言われたからかもしれません。
 

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口をとじて、角があるほうが、「エンキ」だと思います。
「ユニーコーン」を表現しています。


口がとじているのは、父親から、
「オマエは、黙っていろ!」
と言われたせかいもしれません。(笑)
 

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これは、2年前の沖縄旅行の時の写真です。

那覇市の壺屋に行ったのですが、そこの「壺屋焼物博物館」に、面白い「シーサー」が、展示してありました。

額に、「王」のマークが刻印されているのです。
これは、名前は忘れましたが、沖縄で一番のシーサー作りの名人が、作ったものだそうです。
地球の「王」である、「エンリル」のシンボルですね。

 

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ちなみに、昔から、世界中で目撃されている、「王」の文字が入ったUFOです。
「エンリル」は、これに乗って、地球を飛び回っていたんじゃないかな?





オマケの話です。
 
 
日本における神社の数のランキングです。
 

多い県です。

 

1位 新潟県 4786

2位 兵庫県 3859
3位 福岡県 3417
 
そして、少ない県です。
ダントツで、少ないのは、沖縄県です。
 
45位 和歌山県 442
46位 愛媛県 116
47位 沖縄県 13
 
 
数字だけを見ると、沖縄県民は、他の土地に比べて、神様への信仰心が、薄いような気もしますね。
しかし、数字だけからでは、真実は、わかりません。
 
沖縄を旅行した方は、よく知っていると思いますが、沖縄県内のお土産屋さんでは、至る所で、「シーサー」が売られています。
 
もちろん、これは、地元の人々も買います。
そして、自分たちの家の門の上などに、飾るのです。
 
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そうです。
 
沖縄県という土地は、登録されている神社こそ、13カ所と、とても少ないのですが、実は、たくさんの家が、そのまま、「神社」になっているのです。
 
「家庭」が、そのまま、「神社」になっているのが、沖縄県なのです。
 
だとしたら、いったい、神社数は、どのくらいになるんでしょうか?
数えきれませんね。
沖縄には、「シーサー」という神様が守護している、「家庭」という名前の神社が、星の数ほどあるのです。(笑)
 
 
 
 
次回に続きます。
 
 
 
 

 

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沖縄ニライカナイツアー 2 三十八

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沖縄に滞在していた数日間、空の青さと太陽の日差しの強さに、驚きました。

 

やはり、日本の中でも、南西諸島といいうエリアは、異色の気候であり、そして、ユニークな歴史と文化がある所だと、改めて思いました。

 

 

写真は、沖縄本島の南部を、ドライブしていた時に、撮影した写真です。

 

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沖縄の裏の古代史に入る前に、日本の本土における、裏の古代史を、もう一度書いておきますね。

 

 

「アヌ王」、それから、その二人の息子たち、「エンリル」と「エンキ」の話は、シュメールの神話によると、今から、ざっと、50万年前の出来事みたいです。

 

 

そして、ご存知のように、このグループのサポートしてきた文明は、中近東から始まり、ヨーロッパや中国、それから、アメリカなどを中心に、広がったのですが、そもそもの始まりは、「エンリル」と「エンキ」の兄弟喧嘩であり、「対立」です。

 

しかし、日本の国は、それよりも、もっともっと古く、なんと、720万年前に始まったようです。

そして、その始まりは、二人の男女の「愛」からだったようなのです。

 

 

もうちょっとだけ、「アヌンナキ」の一族の話もやっておきます。

 

太古の時代、シュメールを拠点にした、「アヌ王」という王様には、「エンリル」と「エンキ」という二人の息子、さらにもう一人、「ニンフルサグ」という一人の娘がいたそうです。

3人とも、母親は違うようです。

 

前回書いたように、地球の表の王になったのは、「エンリル」の方で、現在のイラクのあたりに、「エデンの園」を造り、そこで、人間を管理していたとも言われています。

この神様が、後に、ユダヤ教の最高神、「ヤハウェ」と呼ばれたようです。

 

 

一方で、裏の王になった「エンキ」と、その妹の「ニンフルサグ」のほうは、アフリカに渡り、そこで、いろいろな遺伝子実験をやっていたと言われています。

だから、現在も、アフリカには、いろいろな種類の動物がいるのですね。

 

「遺伝子を調べて、人類のルーツを調べると、アフリカの一人の女性に辿り着く」

 

という説もありましたが、この女性が、「ニンフルサグ」だとも言われています。

 

「エンキ」は、遺伝子操作の達人だったそうで、今でも、遺伝子の中の「塩基」という文字には、「エンキ」の音が入っています。

 

 

これも、前回書きましたが、「エンリル」は、人間の姿だったようです。

これは、「エンリル」の母親が、人間のような姿をしていたからだと言われています。

 

一方で、「エンキ」は、「人間+竜(蛇)」の姿だったとも言われています。

そして、二人の妹、「ニンフルサグ」も、「人間+竜(蛇)」の姿だったようです。

 

これは、父親である、「アヌ王」が、「竜座」と呼ばれる宇宙空間にある惑星の女性の宇宙人と恋をしたことが、その理由みたいです。

この星座に住んでいる宇宙人たちは、「竜(蛇)」の姿だそうです。

 

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「エンキ」と「ニンフルサグ」の母親は、「竜座」と呼ばれる宇宙空間にある、惑星の出身だったので、身体が、「竜(蛇)」の姿だったのです。

それで、息子の「エンキ」、それから、娘の「ニンフルサグ」の二人は、下半身は、「竜(蛇)」の姿だったそうです。

 

 

ただし、これは元の姿の話で、彼らは、人間と違い、超科学のような魔法が使えたので、いくらでも、自分の身体の形を変えることもできたようです。

 

下記の絵は、「エンキ」と「ニンフルサグ」が、下半身も、普通の二本足になっている姿が描かれています。

 

シュメール文明の粘土板に描かれている絵で、右が、「エンキ」で、左が、「ニンフルサグ」だそうです。

真ん中の木は、「生命の樹」と言われていて、人類創世に関わっているそうです。

 

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この兄と妹は、日本にも来ていたのです。

 

最近の古代史の研究でも、科学的に解明されてきているのです。

比較言語学などを使って、縄文土器の模様などを、詳しく調べた結果、いろいろな史実が、浮かび上がってきたようです。

 

シンボルの数、それから、シンボルの形などで、土器の模様の意味が、シュメールの神様を表現してることが、どんどんわかってきているのです。

 

例えば、この縄文土器の中央にある模様は、「エンキ」の精子を、「ニンフルサグ」の子宮に入れて、遺伝子操作で、クローン人間を創っているということが、文字を解読して、わかったそうです。

 

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比較言語学の専門家たちが、「アヌンナキ」の一族の正体を、「古事記」に書かれている単語や表現から、読み解いたそうです。

縄文土器や縄文土偶には、絵文字(象形文字)、シンボル記号、シンボル数、シュメール語などが、表現されているそうです。

 

「エンキ」は、日本語に翻訳される時に、「牡牛神ハル」とも言われているそうです。

 

詳しいことは省略しますが、これを専門家が読み解いたら、

 

「エンキ」=「牡牛神ハル」=「3と4の男」

 

となるそうです。

 

さらに、シュメール語では、

 

「エシュ・ア・ラム・ギッシュ」

 

これが、長い期間の間に、

 

「エシュ・ア・ナン・ギ」

 

さらに、

 

「イシャ・ナ・ギ」

 

というふうに、変化したようです。

 

この単語が、日本に入ってきてから、

 

「イザ・ナ・ギ」=「伊弉諾尊」

 

になったというのです。

 

 

もう一方、「エンキ」の妹であり、奥さんでもあった、「ニンフルサグ」は、「蛇女神キ」とも言われています。

 

「ニンフルサグ」=「蛇女キ」=「3と4の女」

 

となるそうです。

 

さらに、シュメール語では、

 

「エシュ・ア・ラム・ミ」

 

これが、長い期間の間に、

 

「エシュ・ア・ナン・ミ」

 

さらに、

 

「イシャ・ナ・ミ」

 

に変化したようです。

 

日本に入ってきてから、

 

「イ・サ・ナ・ミ」=「伊弉冉尊」

 

になったのです。

 

 

日本の神様の姿が、具体的になってきましたね~!

 

縄文土器や縄文土偶の7割以上の模様が、この二柱を表現しているそうです。

縄文時代には、この二人の兄妹が、日本人に、とても愛され、親しまれていたということです。

 

 

 

「イザナギ(伊弉諾尊)」と「イザナミ(伊弉冉尊)」。

この二柱の前で、執り行う結婚式が、「神前結婚式」なので、どれだけ深く、日本人と関わっているのか、わかると思います。

 

ご存知のように、この二人は、「国生み」にも関わっています。

この二人の兄妹が、日本の国土も創ったのです。

 

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まとめますね。

 

「エンキ」=「イザナギ」

 

「ニンフルサグ」=「イザナミ」

 

こうなります。

 

 

下の絵は、「伏羲氏と女媧図」という古代の中国の伝説に登場する神様です。

この二人の神様は、「伏羲」と「女媧」という兄妹です。

 

中国の伝説によると、大洪水が起きたときに、二人だけが生き延び、それが人類の始祖となったと、言い伝えられているそうです。

つまり、中国人の始祖も、「エンキ」と「ニンフルサグ」であり、つまり、「イザナギ」と「イザナミ」ということです。

 

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「コンパス」と「定規」を持っていることに、注目してください。

ご存知のように、「コンパス」と「定規」は、秘密結社、「フリーメーソン」のシンボルです。

 

ちなみに、これは、「設計」の意味です。

太古の昔から、いろいろな建築物を造る時に、この道具を使ったので、この二つが、シンボルになっているそうです。

 

 

 

なんと、古代中国の神話の時代に、すでに、「フリーメーソン」が、存在していたのですね。

これが、最古の「フリーメーソン」だと思います。

創始者は、「エンキ」と「ニンフルサグ」という、人類や動物を設計して、地球上に生み出した神様たちだったということです。

 

 

2017年の伊勢の旅行で、一番感動したものです。

これは、ある場所で見つけたのですが、目立たない場所に、ひっそりと置かれていました。

「コンパス」と「定規」ですね。

 

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これは、「伊勢神宮」の内宮や外宮の大切な扉を開く時に使う、「カギ」なのだそうです。

 

「伊勢神宮」の正真正銘、本当の御祭神は、「エンキ」と「ニンフルサグ」、つまり、「イザナギ」と「イザナミ」の二人の神様なのだと思います。

 

 

ここまでを、さらにまとめると、こうなるのです。

 

「エンキ」=「イザナギ」=「伏羲」

 

「ニンフルサグ」=「イザナミ」=「女媧」

 

結論は、世界中の全ての人種や民族の源は、同じだということです。

 

 

 

宇宙には、生命を創る元のエネルギーのようなものがあり、それは、「丹(に)」と呼ばれているそうです。

太陽で創られ、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元になっているそうです。

 

そして、宇宙空間にあり、目に見ない、「障壁賀」という、宇宙の子宮のような所があり、ここに、「生(しょう)」と呼ばれる別のエネルギーのようなものが、充満しているそうなのですが、ここで、二つが合体するそうです。

 

そして、「丹生(にしょう)」というエネルギーが、生まれるそうです。

 

「丹(に)」+「生(しょう)」=「丹生(にしょう)」

 

「丹生」とは、「丹生遺伝子」の意味で、生命そのものを表現するのだそうです。

このエネルギーが生まれた後、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中では、「植物」、「動物」、「人間」の三つに、区分けされるそうです。

 

太古の大昔、最初に、「植物の丹生」が、地球に降り立ち、次に、「動物の丹生」が、最後に、「人間の丹生」が、降り立ったそうです。

三つとも、月を経由して、地球に来たそうです。

 

最初に、「植物の丹生」が降り立ったのが、現在の日本の京都府与謝郡峰山町にある、「藤社(ふじこそ)神社」だそうです。

それから、「動物の丹生」が降り立ったのが、同じく京都府与謝郡峰山町の「比沼麻奈為(ひぬまない)神社」だそうです。

 

太古の昔は、「与謝郡」と「与謝の海」を合わせた場所を、「与謝津(よさかい)」と言って、ここだけが、地球上で、唯一、生命を導き、育てることが、許されていた場所だったそうです。

 

そもそも、「丹波」のように、「丹」がつく土地は、「丹(に)の波動を出している土地」という意味なのだそうです。

 

 

肝心の「人間の丹生」が降り立った場所ですが、それが、現在の「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」なのだそうです。

720万年前の話だそうです。

 

最初の「人間の丹生」は、「零迦児(むかご)」として、風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。

それは、なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。

 

それから、その、「零迦児」は、巣と一緒に、海に落ちて、しばらく、与謝海を漂ったそうです。

何度も何度も、脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。

その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように、見守っていたそうです。

 

昔から、世界中に、「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」という話がありますが、これが由来だそうです。

 

 

「舞鶴」という地名も、元々は、「コウノトリが、舞い戻った」ということから、できた名前だそうです。

おそらく、この「零迦児の入った巣」を、海に漂っている途中で、危なくて見てられなくなり、口で咥えて、舞鶴の地へ運んだのだと思います。

 

 

最終的には、「零迦児の入った巣」は、舞鶴の「丹生川」の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら、育ったそうです。

 

 

丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。

「久久比神社」という名前です。

 

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こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。

先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。

 

 

 

前回書いたように、中近東を拠点にした、シュメールの文明の神々、「アヌ王」のファミリーは、50万年前に、故郷である、「二ビル星」から、UFOでやってきたそうです。

 

しかし、その「アヌ王」の子供になる、「エンキ」と「ニンフルサグ」の二人が、それよりも古い、720万年前に、なんと、宇宙の根源からダイレクトに、日本の丹後半島に、降臨していたということです。

 

 

二人は、月を経由してやってきて、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た、「繭(まゆ)」のような姿の生物として、成長したようです。

それからも、何度か脱皮を繰り返して、人間として成長したそうです。

「瓢箪(ひょうたん)から駒」という表現の語源は、このあたりに由来しているそうです。

 

 

一説によると、天橋立から、ちょっと離れた冠島で、完全な人間の姿になったそうです。

 

「眞名井神社」です。

「三つ巴」の紋章は、「植物」と「動物」と「人間」の遺伝子も、表現しているのだと思います。

 

この「三つ巴」のシンボルマークは、大切なキーワードになるので、よく覚えておいてくださいね。

 

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「イザナギ」と「イザナミ」の二人ですが、最初の頃は、中近東にあった、「エデンの園」に住んでいた、もう一組の人祖である、「アダム」と「イブ」のように、周囲には、植物と動物以外には誰もいないという環境で、二人っきりの童児と童女として、寄り添いながら、生きていったそうです。

 

小鳥たちや小動物たちしか、遊び相手はいなかったのです。

 

ある日のこと、小鳥やリスが、交尾をしているのを見て、童女の方が、顔を赤らめたそうです。

 

それから、童女は、童児に、

 

「これからは、寝屋を別にしましょう」

 

と言ったそうです。

 

お互いに、異性を意識するようになったということです。

 

童児も、それに同意して、それが、きっかけで、二人は別々の場所で暮らすことになったそうです。

 

しかし、永遠の別れというわけでもなく、二人の約束は、

 

「ある程度の年齢になったら、また再会しよう!」

 

というものだったそうです。

 

現在の福井県小浜市にある、遠敷川の「鵜瀬」で、二人は、一旦、涙の別れをしたそうです。

 

童女のほうは、その後、現在の滋賀県の琵琶湖にある、「竹生島」で、初潮を迎えたそうです。

後世、成人した女性を守る、「弁天様」は、ここから発生しているそうです。

そういえば、多くの祠は、池の中にあったり、赤い鳥居や赤い祠、赤い橋などですね。

あれは、童女(イザナミ)が、琵琶湖に囲まれた竹生島で、赤い血を流したことが、始まりだそうです。

 

それから、童女は、滋賀県犬上郡多賀町のあたりで、しばらく暮らしたそうです。

 

「イザナミ」は、その後は、三重県の員弁、それから、三重県の麻生田でも、3年間ほど生活していたそうです。

 

それから、「イザナギ」と再会を約束していた場所、現在の伊勢市宮後町にある、「伊勢神宮」の外宮の別宮、「月夜見宮」に行ったそうです。

そこで、二人は、お互いに成長した姿で、久しぶりの再会をしたそうです。

そして、ここで、結婚式を挙げたそうです。

 

 

そこでは、「イザナミ」が、麻生田で織った、「白妙」を二人とも纏って、誓いの言葉を神に述べたそうです。

 

「絶対に争ったり、殺し合ったりせずに、助け合います」

 

というのが、その誓いの言葉だったそうです。

現在でも、天皇が結婚する時にやる、「大嘗神祇祭」という儀式では、これをやるそうです。

 

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この誓いの言葉の理由は、最初の人祖である、この二人が、「人間の元」の状態で、地球に来る前に、その宇宙の根源のような世界、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中が、とても調和がとれていて、争いごとの全くない、素晴らしい世界だったために、必然的に、その理想の世界を、この現実世界でも再現しようと思ったようです。

 

考えてみたら、現在の日本の「平和憲法」は、この時に、すでに出来上がっていたのですね。

 

 

それから、イザナミは、自分が子供の頃に住んでいた滋賀県犬上郡多賀町のあたりが、とても気に入っていたので、そこでの定住を決めたようです。

 

二人は老化もせず、若い身体のまま、数千年生きたそうです。

そして、その間に、子供を、たくさん産んだようなのです。

 

子供たちは、男女合わせて38人いたそうです。

男児が19人、女児が19人だったそうです。

 

38人の子供たちが、ある程度育ち、それから、さらに、その38人も、たくさんの子供を産み、大勢の子孫に恵まれたそうです。

 

それで、ある程度、落ち着いた頃を見計らって、二人は、元来た天に、戻ることにしたそうです。

 

その場所は、滋賀県米原市にある、「醒ヶ井」という所にある、「武奈山」と「比婆山」を、二人のお墓に決めたそうです。

この二つの山は、距離にして、3キロくらい離れているそうです。

 

最初に、「イザナギ」が、「武奈山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、本質である霊体は、

 

プシュー!

 

と、天高く飛びあがり、そのまま、「金星」に向かって、天に飛んでいったそうです。

 

しばらくして、今度は、「イザナミ」が、「比婆山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、また、霊体が、

 

プシュー!

 

と、「イザナギ」の後を追うように、同じく、「金星」の方角に飛んで行ったそうです。

 

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」が生んだ、38人の子供たちは、それそれ、男子が19人、女子が19人で、それぞれ、カップルになり、結婚して世帯をもったそうです。

19組のカップルだったのです。

 

その中でも、最初の長男と長女のカップルは、別格の扱いになったそうです。

この夫婦は、「大丹生・皇(おにゅうけ・すめら)」という名前が付けられ、後に、この子孫が、「天皇家」の家系になったそうです。

 

長男の名前が、「別雷尊(わけいかずちのみこと)」という名前だったそうです。

 

とても元気な身体で、拳を振り上げて、生まれたそうです。

そして、宇宙の源のエネルギーである、「丹生」の波動で、身体が輝いていたそうです。

それが、まるで、雷でも落ちて、発光していたように、見えたのかもしれません。

現代風の表現では、「凄いオーラをまとった身体」だったのだと思います。

 

長女の名前は、「玉依姫(たまよりひめ)」と名付けられてそうです。

「玉のように美しい」という表現がありますが、ここからきていると思います。

この一族の中では、美しい女性の美称として、この表現を使っていたそうです。

 

他の18組の夫婦は、「丹生家(にゅうけ)」となり、「天皇家」を補佐するグループになったそうです。

 

まとめると、「38人の子供」の中で、長男と長女の2人は、「天皇家」になり、残りの36人は、「補佐の役割」になったということです。

 

 

この最初の日本人の数を表現している、「三十八」という数字は、実は、とても特別な数字であり、日本の古代史の中で、様々な形で、暗号として隠されて、伝えられてきたようです。

 

 

たとえば、後世になって、人がたくさん集まる場所は、「都」と呼ばれるようになるのですが、この名前には、

 

「三(み)」+「八(や)」+「子(こ)」=「都(みやこ)」

 

という意味が隠されてたそうです。

 

「38人の子供が、最初に住んでいた土地」

 

というのが、「都」の隠された意味だったのです。

 

「京都」は、もちろんのこと、「東京都」、「宮城」、「三ノ宮」、「都城」、それから、沖縄県の「宮古島」など、「みやこ」の文字が入る地名は、全部、この38人の子供に、関係ある土地なのかもしれません。

 

 

 

この後、この38人の子供たちと子孫は、滋賀県の多賀大社の辺りから、三重県いなべ市に引っ越して、三代に渡り、ここに滞在したそうです。

 

「いなべ市大安町石榑」という土地が、日本初の「都」になったそうです。

 

 

38人の子供たちの痕跡は、日本中に、いくつか残っています。

 

福井県福井市には、「三十八社町」という町があります。

 

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滋賀県の「石山寺」の境内にも、「三十八社」の文字の書かれた鳥居があります。

 

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次回に続きます。

 

 

 

 

 

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沖縄ニライカナイツアー 3 熊野

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38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。

 

この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「天皇家」になったのですが、ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。

この頃から、「天皇」という称号が生まれたそうです。

 

念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で、意味も違うそうです。

「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。

 

しかし、私が、いろいろ調べたところでは、まったく関係ないわけでもなく、こういう名前が似ている人物やグループなどは、同じ魂の仲間だと思っています。

 

 

このグループは、ある期間、現在の三重県いなべ市のあたりを、拠点にしていたようです。

 

 

「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。

 

その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。

 

きっかけは、大和地方に、「神武天皇(アヌ王)」がやってきたのが、始まりだったようです。

この天皇のグループは、権力志向だったようです。

 

 

ここでは、「38人の子供」の子孫を、仮に、「天照派」と呼ぶことにします。

このグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「自由」や「知恵」、それから、「愛」のグループだったと思います。

 

そして、後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、「アヌ王」で、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。

さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。

権力によって、人々を、平等に統治するという考え方ですね。

 

これらの推測は、私個人の感覚的なもので、科学的な根拠があるわけではありありません。

 

 

わかりやすくまとめます。

 

〇「天照派」=「イザナギ(エンキ)」と「イザナミ(ニンフルサグ)」

「自由」、「知恵」、「愛」のグループ

 

〇「神武派」=「神武天皇(アヌ王」と「ヤハウェ(エンリル)」

「平等」、「力」のグループ

 

私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。

 

国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。

 

 

この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、

 

〇「天照派」=「理想主義」

〇「神武派」=「現実主義」

 

こうなると思います。

 

現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。

具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。

 

これも、いろいろな見方ができるので、「どの意見が正しいか?」というのは、とても難しい問題なのです。

 

 

「天照派」の人々は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないと思いますが、やはり、性格が似ているのです。

 

つまり、このグループは、

 

「絶対に戦わない」

 

という共通の姿勢があるのです。

 

 

古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。

 

ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。

要するに、「引きこもった」ということです。

 

本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。

 

たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。

 

「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」

 

こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。

 

おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。

生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。(笑)

 

 

それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。

怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。

 

 

この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。

 

現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。

そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。

 

 

「天照派」の話を続けます。

 

ツインレイとして、丹後半島に生まれ、38名の子供を産んで育てた二人は、「初代」の「イザナギ&イザナミ」です。

それから、1500代も、この系統は、続いたそうです。

 

そして、最後である、1500代目の「イザナギ&イザナミ」の子供が、「天照派」の初代になる、「天照天皇(アマテルカミ尊)」という男性だったそうです。

 

繰り返しますが、「古事記」の話とは、別の話です。

 

 

 
それにしても、「神武派」の弾圧は、いろいろな理由から、徹底的に酷くやったようで、「天照派」のグループは、ある時期は、生きていくのに最低限必要な、土地や仕事も奪われて、「ホームレス」のような身分になってしまったそうです。
 
部落差別の問題も、このあたりの歴史も関係しているそうです。
 
 
去年の12月には、「酒見神社」にも行きました。
場所は、愛知県一宮市です。
 
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「酒見神社」という名前は、もともとは、
 
「逆身神社」
 
という名前だったそうです。
 
この意味は、
 
「天皇が逆さの身分である流人となった」
 
この酷くて残酷な歴史を忘れないようにするまえに、建造されたそうです。
とても奥深い古代史が隠されている場所みたいです。
 
 

 

古事記の「天照大神」に代表されるように、生粋の日本人というのは、本来、争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。

 

とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。

 

何かに腹を立てて、怒っても、相手に仕返ししたり、怒鳴ったりせずに、静かに、その場を立ち去ったり、無言になったり、無視するという態度をとります。

本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で、抗議するのです。

 

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何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を、殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。

 

現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。

社会に対して、無言の抗議をしているのです。

 

 

ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。

 

「どうして、学校に来なくなったんだろう?」

 

「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」

 

「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」

 

こう思っていると思います。

 

 

これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。

口に出して、反論したり、抗議したりしないのです。

 

「静かな怒り」

 

なのです。

 

 

引きこもってしましまった人々が、世の中に出てくるようにするには、怒ってもダメだし、なだめたり、おだててもダメです。

 

「天照大神」を、天岩戸から出そうと思ったら、皆で、裸踊りをするくらいの宴会を、やらなくてはいけないのです。

 

つまり、

 

「ワクワクすること」

 

これが、世の中に、たくさん出てきた時に、引きこもっている人たちも、隙間から、外の世界を覗きこみ、岩戸から出たくなるのです。

 

「世の中は面白い! ワクワクすることで溢れている!」

 

私の旅行記は、一貫して、そう主張しているのです。

だから、天岩戸の中に、引きこもっているような人たちに、特に読んでいただきたいのです。

 

 

 

「神武派」に代表される、「武闘派」、それから、「天照派」に代表される、「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが、存在していたようです。

 

 

「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。

文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

 

このグループは、前述したように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派」を、弾圧していたようです。

 

 

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。

 
一つ目は、「賀毛神社」です。
 
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ここは、現在、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。
 
「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」
 
ということです。
 
 
仮の宮という所がありました。
壁から下がっているのは、おそらく、「コンパス」と「定規」の意味だと思います。
 
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二つ目は、ここです。

ここから、すぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。

 

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ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

 

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

 

だそうです。

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の長男と長女の名前、「別雷尊」と「玉依姫」の名前がありますね。

 

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余談です。

去年、奈良県の吉野に行った時に、「吉野神宮」に行ったら、「後醍醐天皇」が、祭神として祭られていました。

 

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あとで、調べてみると、最終的には、

 

「奈良」=「天照派」=「南朝」

 

「京都」=「神武派」=「北朝」

 

こうなったそうです。

 

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

 

一方の「神武派」の天皇は、「光明天皇」だったそうです。

 

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということが、わかって、納得しました。

 

 

 

歴史に登場する、「聖徳太子」や「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。

 

「空海」は、うまく助けていたようです。

「天照派」の一部を、四国に逃がして、四国八十ハ箇所に、見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。

 

徳島県美馬市にある、「神明神社」です。

正式には、「磐境神明神社」 というそうです。

ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。

「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。

 

「忌部(いんべ)」という一族も、これから先の旅行記で、大切なキーワードになってくるので、おぼえておいてくださいね。

 

 

神殿が、独特な形をしています。

 

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一方で、「聖徳太子」は、死後に、「天照派」を助けていたことが、「神武派」に、バレてしまい、法隆寺を焼かれたり、子孫を殺されたりしたそうです。

 

 

「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。

たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

 

 

さて、ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。

 

こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。

 

もしも、日本の国土に、穏やかなグループである、「天照派」だけが、住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。

 

「神武派」は、まだ、弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が、日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり、虐殺されていたかもしれません。

 

日本にも、「神武派」のような武闘派は、必要だったのです。

 

 

「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。

 

「蛇の道は蛇」

 

「毒を以て毒を制す」

 

こういう諺もありますね。

 

「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。

 

 

だから、私の中では、

 

「神武派」=「ジャイアン」

「天照派」=「のび太」

 

こういう解釈になっています。(笑)

 

 

大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。

 

その教授が言っていました。

 

「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」

 

「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。

 

 

つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん、賢く強くなって、権力を握ったいったグループだったのだと思います。

 

一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら、皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。

 

どちらも偏っていたのです。

 

 

 

英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。

つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。

「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。

お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。

 

「競争」という行為自体は、中立なのです。

それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。

 

 

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

 

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみれば、わかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。

下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

 

そこで、ある時期に、

 

「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒に、お祭りでもやらないか?」

 

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。

 

 

そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。
 
そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。
 
それが、「葵祭」だったのです。
日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。
 
 
「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもあわるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。
 
つまり、
 
「向日葵」=「太陽」
 
ということです。
 
「葵祭」というのは、
 
「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」
 
こういう願いを込めた儀式だったそうです。
 
 
数年前に、京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。
 
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あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。
 
「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」
 
ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。
 
 
 

「天照派」は、奈良県の吉野も、重要な拠点だったようです。

 

「イザナギ(伊弉諾尊)」が、童子の頃、吉野において、「青根ヶ峰」という山にも立ち寄ったそうです。

 

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その時に、宇宙から、自分が誕生した時のことを、鮮明に思い出したのだそうです。

 

宇宙の源の世界では、「植物」と「動物」と「人間」が、完璧なバランスを保ちながら、美しく回転していたそうです。

 

それを思い出した、「イザナギ」は、その山の頂上にあった三つの石を、横に並べて、「宇宙の根源」の世界を、忘れないように、そして、後世の子孫たちも、この真理を伝えようとしたのだそうです。

 

「植物の石」-「動物の石」-「人間の石」

 

こんなかんじで、山頂に置いたそうです。

これが、後に、「三つの霊石」と呼ばれるようになったそうです。

 

それを、「丹生家十八家」が、守っていたのです。

 

「三つの霊石」を、何百万年にも渡って、守護されてきたそうです。

十八の家が、20年交代で見張っていたそうです。

 

今でも、「伊勢神宮」は、20年ごとに、「式年遷宮」をやりますが、これは、その時からの慣習を、引き継いでいるのだそうです。

 

「三つの霊石」を守るために、「丹生家」がつくった拠点が、「吉野」という村の始まりだったそうです。

 

このように、「丹生家」は、心のやさしい人々なのですが、魂の芯の部分はとても強く、絶対的に正しいと信じたことは、永遠にやり続けるという超頑固な気質も、もっているのです。

 

「青根ヶ峰」にある、「金峯神社」です。

ここも、「天照派」の重要な拠点だったそうです。

 

この神社も、後に、大切なキーワードになります。

 

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「天武天皇」の時代には、「丹生家」のリーダーは、葛城族である、「役小角(えんのおづぬ)」だったそうです。

 

当時の「天武天皇」のグループは、「神武派」だったようです。

だから、「天照派」のことは、よく思っていなかったようなのです。

 

「役小角」は、「天武天皇」のグループから、

 

「直ちに、あの頂上にある三つの霊石を、壊して捨てなさい!」

 

と命令されたそうです。

 

しかし、

 

「人祖である、イザナギの命令にしか、私は従いません」

 

こう言って、断固として、命令を拒否したそうです。

だから、島流しにされたのです。

 

「役小角」は、人祖であり、自分の祖先でもあった、若い頃の「イザナギ」の姿を、桜の木を使って、木彫りの仏像を作ったそうです。

それが、「蔵王権現」だそうです。

現在、吉野の「蔵王堂」に置かれています。

 

そして、この頃から、多くの人々が、吉野の里に、桜の木を植えるようになり、現在の桜並木の土地になったのだそうです。

 

去年、「蔵王堂」にも、立ち寄りました。

 

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これは、別の人が彫った仏像だと思いますが、全ての「蔵王権現」の仏像にも、共通しているのは、片足で立っていることです。

 

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最初は、意味がわからなかったのですが、ちょっと考えたら、わかりました。

下半身がヘビの形なのです!

「エンキ」ですね~!

 

「片足で立っている」のではなく、「下半身がヘビ」だったということです。

「宇賀神」でも、あったということです。

 

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もしかしたら、当時の人々は、素の姿の「イザナギ」の後ろ姿を見て、

 

「片足で立っている」

 

と思ったのかもしれません。

 

このことからも、シュメール文明の神様である、「エンキ」、それから、日本の「イザナギ」が、同じ神様だったことがわかりますね。

 

 

実は、「三つ霊石」は、現在も、ひっそりと隠されて置かれているのです。

 

吉野にある、「水分神社」の目の前、歩いてすぐの所に、名前も書かれていない、無名の神社があります。

この無名の神社の裏に、宝物が隠れていました。

 

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「人丸塚」と書かれていますが、本来は、

 

「人生塚」

 

だったそうです。

 

「人が生まれた塚」

 

という意味です。

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この根源を表現している、「三つの霊石」です。

 

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前述したように、「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。

 

おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも、肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。

 

そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で、閉塞状態になっていたと思います。

 

陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には、見張りがいたと思います。

当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。

 

「神武派」の天皇だった、「天武天皇」は、特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、

 

「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」

 

こういう法律をつくり、乞食の立場に、追いやったそうです。

それで、仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで、質素な生活を始めた人々も、多かったようです。

 

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫たちは、そうやって、虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けられながら、少しづつ、移動していったようです。

 

特に、奈良県の吉野から、和歌山県の熊野の奥地に、逃げていたようです。

 

 

昔から、不思議だったのですが、そもそも、どうして、「熊野」というのでしょうか?

この土地に、たくさんの「熊」が生息している「野山」というわけでも、なさそうです。

 

調べると、元々は、「熊」という文字は、「畏」だったそうです。

 

「畏れ多い」 

 

という表現で使いますね。

 

つまり、「熊野」という土地は、「畏の」という意味で、

 

「畏れ多い神々の住む聖地」

 

という意味だそうです。

 

 

他にも、京都の丹後地方にある、「イザナギ」と「イザナミ」が降臨した聖地、「籠神社」の「籠る」という意味も含んでいると思います。

 

そして、「熊」は、昔から、「冬眠」するので、

 

「冬になったら、いったん引きこもって、それから、春になったら、また復活して出てくる」

 

そういう、「死と再生」の象徴の動物でもあったそうです。

 

「アマテラスオオミカミ」のシンボルが、「熊」だったということです。

 

 

面白いですね。

 

 

 

熊野周辺には、「王子神社」というのが、たくさんあります。

 

これらは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。

それらは、総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。

 

一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。

しかし、実際、最盛期には、99ヵ所くらいの「王子」と呼ばれる土地があったそうです。

 

 

私が、いろいろ調べた限りでは、どうやら、99番目の「浜の宮王子」という場所が、最重要だったようです。

 

「浜の宮王子社跡」です。
ここが、99番目で、おそらく、「天照派」のグループが、熊野においては、最後に辿り着いた場所だと思います。
 
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「天照派」のグループの神社は、「三つの扉」や「三つの窓」があることが多いです。
拝殿が、三つに分かれているのです。
 
{F2D10B8B-AD7E-4BFA-92A3-5E27916A5448}
 
 
これは、宇宙から地球に生命体がやってきたことを、表現しているそうです。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つのグループが、バランスよく、回っている状態が、地球が健康な状態だということです。
 
逆に言えば、「天照派」の人たちは、人間社会で、偉くなったり、権力を握って、威張ったりすることに、まったく興味がないのです。
 
「地球の自然が、美しく、健全に保たれていれば、それでいい」
 
彼らは、本来、これだけを考えている、純粋で無欲な人々なのです。
 
しかし、権力志向の人々には、こういう人々がいるということが、そもそも、理解できないのです。
だから、必要以上に、弾圧したりしていたのです。
 
 
境内には、旗が、風でなびいていました。
「三つ巴」のシンボルマークを、もう一度、見てください。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つを、バランスよく回すのが、彼らの願いなのです。
 
これだけのために、地球に生まれてきた、純粋で素晴らしい人々なのです。
そのグループが、生粋の日本人であり、私たちの祖先なのです。
 
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そして、今回の旅行記のメインの舞台になる、「沖縄」では、ほとんどの神社が、この「熊野系」と呼ばれているのです。
「琉球八社」と呼ばれている由緒ある、八つの神社のうち、なんと、七社が、熊野神社からの分社なのです。
 
その理由は、この旅行記の後半で、書いていきますね。
 
 
 
 
次回に続きます。
 
 
 
 
 

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沖縄ニライカナイツアー 4 補陀落渡海

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絶対平和主義で、他人への攻撃ができないために、弾圧されたり、冷や飯を食わされていた、「天照派」の人々は、西日本で、閉塞状態になっていたようです。

 

陸地から、東日本を目指そうと思っても、要所には、関所のようなものがあり、見張り番がいたと思います。

 

そもそも、仮に、東日本に行っても、荒れた僻地だったので、行っても、そこでは、過酷な生活が待っていることは、明白だったと思います。

 

それでも、西日本に住んでいても、これから先、永遠に苦しい生活が続くのは、目に見えていました。

 

「よし! 凄い冒険になるかもしれないけど、東日本に移住して、新しい土地で、新しい時代を築いていこう!」

 

ある時、こう決意したのだと思います。

 

海から、東日本を目指そうと思っても、そんなに遠くまで行こうと思ったら、大きな船を造船しないといけなし、そんな技術もお金もなかったので、途方に暮れていたようです。

 

 

そんなとき、一人の救世主が現れます。

 

「聖徳太子」

 

この人物が、助けたのです。

聖徳太子の登場で、日本史の中で、最高にスリリングなドラマが、始まったのです。

 

救世主というのは、「天照派にとっての救世主」という意味です。

 

私は、「聖徳太子=キリスト説」を、主張していますが、まさに、日本においては、聖徳太子が出現する前と後では、西洋での「紀元前(B.C)」と「紀元後(A.D)」に分かれるくらいの時代の大変化だったのです。

 

聖徳太子というのは、この大プロジェクトを実行するために、日本に誕生したのだと思います。

 

 

 

彼らにとっては、「西日本」は、まるで、監獄にいるように、不自由な土地でした。

 

そこで、新天地の「東日本」への脱出を試みたのです。

いよいよ、ここから、「プリズンブレイク」の古代日本版が、始まったのです!

 

 

 

前回紹介した、「熊野権現神社」の神社の隣に、日本史における、最重要な寺があります。

 

「補陀落山寺」という小さなお寺です。

「世界遺産」でもある重要な場所です。

 

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本堂の前で、記念撮影しました。

 

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「補陀洛山寺」は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで、知られているそうです。

私は、この渡海のことは、全く知りませんでした。

 

 

ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

「補陀落(ふだらく)」とはサンスクリット語の「ポータラカ(Potalaka」の音訳で、南方の彼方にある、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である。

その山の形状は、八角形であるという。

インドの南端にあるとの説から、その土地は、スリランカだという説もあった。

 

観音信仰とともに、チベットや中国にも、「補陀落」は、想定されたようです。

チベットでは、ラサ北西に建つ、観音の化身、「ダライラマ」の宮殿を、「ポタラ(補陀落)宮」と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を、「補陀落」としたようです。

 

日本においては、南の海の果てに、「補陀落浄土」はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して、船出することを「補陀落渡海」と言ったそうです。

そして、この信仰を広げたのが、前述した、聖徳太子だったのです。


日本国内の補陀落の霊場としては、那智の他に、高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがあったそうです。

 

記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち、半数以上が、この熊野那智で行われています。

熊野は、補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったようです。

 

聖徳太子の時代から、江戸時時代まで、これは、行われていたそうです。

 

 

チベットの「ポタラ宮殿」とも関係してたのですね。

そういえば、チベットも絶対平和主義の人たちが多く、そのために、迫害されていますね。

日本の「天照派」と、同じルーツだと思います。

 

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「ポタラ宮殿」の地下は、地底王国の「チャンバラ」があると言われていますね。

 

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「補陀落山寺」の本堂の中には、当時の様子を描いた絵もありました。

 

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ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

那智の浜からは、25人の観音の信者が、補陀落を目指して、船出したと伝えられています。

 

補陀洛山寺境内にある石碑に、それらの人々の名が、刻まれています。

 

平安前期の貞観十年(868)の慶龍上人から、江戸中期の亨保七年(1722)の宥照(ゆうしょう)上人まで25人。

平安時代に5人、鎌倉時代に1人、室町時代に12人(そのうち11人が戦国時代)、安土桃山時代に1人、江戸時代に6人。

補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に、行われたそうです。

 

渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で、読経などの修法を行い、続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りこんだとも伝わっています。

 

渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せて、小さな屋形船に、乗りこんだそうです。

 

 

説明は、さらに、このように続きます。

 

 

渡海僧が、船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように、扉には、外から釘が、打ちつけられたそうです。

 

渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに、沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われる。


渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかで、かすかな灯火を頼りに、ただひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願い、そして、船は沈み、入水往生を遂げたのでしょう。

 

船のしつらえや渡海の方法などは、時代により異なるのでしょうが、補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身、を南海にて観音に捧げる、捨身行だったのでした。

 

 

こう書かれています。

これが、一般的な認識です。

 

 

 

境内には、この石碑がありました。

 

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名前もありました。

記録に残っているだけの名前です。

実際には、もっと多くの人が、この渡海をやっていたと思います。

 

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渡海僧が乗りこんだ船を、復元したものが、境内にある建物のなかに、展示されています。

 

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奇妙な形をした小さな船です。

船の上には屋形が、作られています。

その屋形の前後左右を、4つの鳥居が囲んでいます。

 

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人が、一人だけ入ることができる、テントのような小屋がありました。

前述したように、ここに、僧侶が一人だけ入り、外からは、釘が打たれ、中から出られないようにしていたそうです。

 

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もちろん、現在のようなスクリューなどはなく、櫂も帆もなかったそうです。

だから、一度、海に出たら、クラゲのように、ただ漂うだけだったのです。

 

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ここからが、いよいよ本番です!

 

「補陀落渡海」は、このように、昔も現在も、狂信的でカルトっぽい儀式だったと、世間一般では思われています。

 

しかし、よく考えてください。

 

こういう、「即身成仏」の行為をやる意味は、何なのでしょうか?

ましては、何のために、わざわざ、海の彼方に行って、死ぬ必要があったのでしょうか?

 

ただ死ぬだけのために、これをやっていたとしたら、ただの馬鹿だと思います。

 

 

勘の良い方は、もうわかりましたね。

 

そうです。

 

「西日本」から「東日本」への脱出が、真の目的だったのです!

 

「空と海の彼方の極楽浄土へ行くために、舟に乗って、太平洋の彼方に行き、そのまま沈没して、海の藻屑となり、即身成仏する」

 

というのは、「神武派」たちのグループの目を、ごまかすための偽りの儀式だったのです!

 

 

本当のことは、隠されていました。

 

実際には、こうだったようです。

 

途中まで、付き添いの数隻の舟が、綱を引っ張り、途中の小島から、突き放したようです。

 

「よ~し! 行ってこ~い!」

 

こう叫んだかどうかは、わかりませんが、沖の向こうまで、その小舟を流したそうです。

 

 

すると、浜辺から4キロくらいの所に、当時から、「黒潮」が流れていたのです。

 

そして、うまく、「黒潮」の乗れば、それは、大きな河のような流れで、「東日本」まで運んでくれたのです。

 

ちなみに、黒潮の最大流速は、最大で4ノット(約7.4km/h)にもなり、軽くジョギングしているくらいのスピードなので、1週間以内では、確実に、「東日本」にある、どこかの浜に漂着したと思います。

 

そして、当時から、忍者のような存在たちがいて、秘密裏に、いろいろな手配をして、「東日本」の浜に漂着したら、事前に、その場所に着いていた人々が、打たれていた釘を外し、中から、その僧侶を助けたのだと思います。

 

そして、その背後で、この秘密の脱出劇を、計画して動かしていたのが、「聖徳太子」のグループだったというわけです。

 

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面白いのは、東から西に流れる潮の流れもあり、一人だけ、当時の琉球に流れ着いたお坊さんもいたそうです。

 

この僧については、後ほど詳しく書いていきます。

 

沖縄には、昔から、

 

「水平線の先、空と海の交わる先に、極楽浄土がある」

 

こういう世界観、「ニライカナイ」という信仰があります。

 

どうやら、「補陀落渡海」とも関係あるようです。

 

だんだん、この旅行記のメインテーマに近づいてきましたね。

 

そういえば、沖縄の人たちも、「平和主義」の人が多いですね。

「天照派」のDNAが多い民族かもしれませんね。

 

そして、もしかしたら、この「空と海の交わる先の極楽浄土」から、派遣された使者が、「空海」だったのかもしれません。

 

 

 

「西日本」 ⇒ 「東日本」

 

これを繋ぐメインストリートが、海だったというのは、驚きですね。

しかも、大きな船ではなく、「小舟」だったというのも、ビックリです。

 

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私たちは、歴史においては、必ず、「民族大移動」という大人数でのイメージがありますが、それは、大陸の話です。

 

聖書には、そう書かれていますが、日本では、全く状況が違い、秘密裏に、一人づつ、長い年月をかけての移動だったようです。

 

その期間、聖徳太子の時代から、江戸時代にかけて、なんと、1000年間くらい続いていたそうです!

 

これだけの長い年月をかけて、少しづつ、「天照派」の僧侶、つまり、本当の天皇家の一族を、東日本に逃がし、そこで、おそらく、現地の女性と結婚して、子孫を、広げていくという活動を、していたのだと思います。

 

目的は、「平和」と「愛」の遺伝子を、未来の日本に残すためです。

 

 

西から東に移動したパイオニア達のルートは、研究している学者も、ほとんどいないと思います。

もしかしたら、ここまで、突っ込んで調査してまわったのは、私が初めてかもしれません。

 

まだ、名前も付いていないので、「シルクロード」のように、「黒潮ロード」と名付けようと思います。

 

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この「補陀落渡海」の痕跡は、東日本に、たくさん残っています。

 

それは、房総半島にも、多く存在しています。

 

 

まずは、「西日本」から、「小舟」が辿り着いた場所に、行ってきました。

 

ここには、

 

「玉依姫という名前の神様が、陸に上がってきた場所」

 

という伝説が残っています。

 

 

 

場所は、千葉県の「九十九里浜」です。

 

もうわかりましたね。

 

「九十九人の王子のグループが辿り着いた浜」

 

こういう意味だったのです!

 

 

さらに、この「九十九里」という漢字を分解すると、

 

「九」+「十」+「九」+「十」+「口(くに)」+「土」

 

となり、意味は、

 

「三十八の国土」

 

という意味になります。

 

 

 

着く場所が、どうして、港ではなく、ただのビーチだったのでしょうか?

 

砂浜だからいいのです。

 

砂浜だと、大きな船は、接岸できません。

沖に錨を下ろして、小舟で来ることになります。

砂浜という地形は、小舟じゃないと、上陸できないのです。

 

大きな船が接岸できる港だったら、すぐに、追っ手に見つかってしまいます。

このプロジェクトは、秘密裏の脱出劇だったことを、忘れないでくださいね。

 

 

昔、ここで、「天照派」の僧侶が、「小舟」から、仲間によって救助されて、上陸したと思ったら、大感動でした。

「浜鳥居」という名前だそうです。

 

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思い出してください。

 

和歌山県の「補陀落山寺」の隣にあった神社にあった案内板です。

99番目の王子の拠点、「浜の宮王子社跡」です。
 
「浜の宮王子」⇒「浜の鳥居」
 
こう繋がるのです。

 

海水でビショビショに濡れながら、上陸したのだと思います。

 

 

「九十九里浜」に上陸した後、僧侶たちは、だいたい、このルートを歩いたようです。

 

「浜鳥居」→「神洗神社」→「神埼神社」→「玉前神社」

 

大まかな地図です。

 

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この鳥居から、車で、ちょっと走った所に、「神洗神社」があります。

そこに、「神洗池」という池があります。

真っ先に、ここで、ベトベトに張り付いた海水を洗い流したようです。

 

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それから、「玉崎神社」の辺りで、休憩したようです。

 

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「玉崎神社」の「玉」は、「玉依姫のグループ」だという意味だと思います。

「三つ巴」のマークがありますね。

「天照派」の拠点だった所という証拠です。

 

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房総半島においては、「玉前神社」のあたりに、一旦、落ち着いたグループもいたようです。

 

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拝殿です。

黒色は、珍しいと思います。

いろいろ考えたら、この色は、漆黒の闇、つまり、「宇宙」を表現していると思います。

 

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そう思いながら、拝殿の屋根のあたりを見て、

 

「うわ~~!!」

 

と、大声で叫んでしまいました。

 

「宇宙の源」から、ツインレイである、「イザナギ」と「イザナミ」の魂が、最初は、「繭」のような形から、二つに分かれて、それから、二人の男女になる様子が描かれています。

 

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大感動でした~!

やはり、ここは、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たちの拠点だったのです。

 

 

「千葉神社」にも、立ち寄りました。

境内には、「千葉天神」という神様が、祭られていました。

 

そこで、気が付きました。

 

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「千葉」という文字を見ていたら、「千葉」の「千」という文字の縦線を、横に並べ替えてみたのです。

 

すると…

 

「三葉天神」になるではないですか!

 

わかりましたか?

大ヒットしたアニメ、「君の名は。」の主人公の女の子、「三葉」です。

 

 

そして、和歌山県の那智の「補陀落山寺」の近くには、「那智の滝」がありますね。

もう一人の主人公の男の子、「滝君」ですね。

 

つまり、

 

「那智の滝」 ⇒ 「千葉」

 

これが、「黒潮ロード」の暗号だったのです。

 

「滝君が三葉に会いに行った」

 

こういう意味になるのです。

 

 

アニメ映画の「君の名は。」です。

これも、「イザナギ」と「イザナミ」の二人の話を、現代風に、描き直したのだと思います。

 

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そういえば、このアニメの監督の名前は、「新海」でしたね。

 

「新天地を目指して、海を越えて行った人々」

 

この名前には、この意味も入っているかもしれませんね。

 

これは、全て偶然でしょうか?

 

いや、違います。

 

そもそも、

 

「偶然は神である」

 

というのが、この世界なのです。

 

 

そして、「千葉神社」の神紋です。

 

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これの意味を、いろいろ考えてみたのですが、これは、「太陽」と「月」を表現している意味も、含んでいると思います。

 

古代史においては、歴史の期間が長いので、その間に、いろいろな出来事があり、意味も、一つではなく、重層的に、複数の意味が重なっていることも、多いのです。

 

そして、「太陽」と「月」の二つで行われる天体ショーが、「日食」なのです。

「日食」とは、光が闇に隠れて、再び、光出す現象ですね。

 

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ハイ!

 

「天の岩戸開き」ですね。

 

「天照派の拠点だった所」

 

という意味です。

 

 

 

房総半島の南端、館山市には、「那古寺」というお寺があるのですが、ここの山号、つまり、別名が、「補陀落山」なのです。

明らかに、和歌山県の「補陀落山寺」と関係ありますね。

 

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本堂の中は、写真撮影が禁じられているので、写真はないのですが、この本堂の天井には、なんと、下半身がヘビで、上半身が、お爺さんの人形が、飾られていました。

 

「エンキ=宇賀神=イザナギ」ですね。

 

 

このお寺の近く、同じ館山市には、「安房(あわ)神社」もあります。

 

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ここは、三重県の「員弁(いなべ市)」から、四国の「阿波国(あわのくに)」に逃げた、「忌部氏」が、その後、さらに、舟で「黒潮ロード」を利用して、房総半島に、やってきた所だと思います。

 

この神社の近くには、「忌部塚」という場所もありました。

 

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「忌部氏=天照派」でしたね。

ここにも、痕跡が残っていました。

 

館山市は、興味深いところが、いろいろあります。

他にも、「海南刀切神社」という神社にも、立ち寄りました。

 

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ここの拝殿には、木彫りの彫刻があり、なんと、珍しく、「天の岩戸開き」が、彫られていました。

「天照派」の土地ですね~!

 

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このように、「房総半島」にも、「天照派」の痕跡は、たくさん残っています。

これらの痕跡を見るたびに、古代において、「補陀落渡海」という脱出劇が、いかに凄かったのかが、わかると思います。

 

 

 

さらに、「補陀落渡海」の痕跡は、関東地方に、たくさん残っています。

最終的には、和歌山県の熊野から渡海したグループは、栃木県の日光のあたりで、落ち着いたようです。

 

関東においては、「天照派」が、「黒潮ロード」に乗って、小舟で漂着した場所が、

 

「千葉県」&「茨城県」&「神奈川県」&「東京都」

 

主に、この4ヵ所だったようです。

 

それから、「埼玉県」を通って、北関方面の「群馬県」と「栃木県」に向かったのが、大きな流れだったようです。

 

 

京都の「丹後」から始まり、関西を経由して、和歌山県の「熊野」から、小舟で、「東日本」を目指した「天照派」のグループの主なルートを、シンプルに書くと、赤線のようなルートになります。

 

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さらに、特筆すべきことがあります。

 

私は、「補陀落渡海」を調べていて、

 

「九十九里浜のあたりから、日光まで歩いて移動した時は、大変な道のりだったに違いない」

 

と思っていたのですが、実際には、小舟で、流れに逆らいながらも、上流へと向かうことができたようです。

もしかしたら、追い風の時には、とても楽に行けたかもしれません。

 

 

現在の千葉県銚子市のあたりから、栃木県日光市まで、古代においては、「香取浦」という大きな湾と無数の川があり、なんと、太平洋から、「日光」のあたりまでは、「鬼怒川」を使って、舟で一気に行くことができたようです。

 

「熊野」 ⇒ 「日光」

 

この間は、小舟で行けたということです。

 

1000年前の想像図だそうです。

 

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「補陀落渡海」の僧たちが、後に、「補陀落寺」を建てた場所は、この川沿いが多いですね。

こうやって、地形で推測すると、かなり正確な歴史が、把握できますね。

 

 

 

今年になってから、宇都宮市内をまわっていたら、この神社の名前が、目に飛び込んできました。

 

「二荒山神社」という名前の神社です。

 

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「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」と発音するそうです。

 

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もうわかりましたね。

 

「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」=「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」

 

こうなるのです。

 

この神社は、和歌山県の「補陀洛山寺」と、完全に繋がっているのです。

 

つまり、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の「補陀洛山寺」の僧侶たちは、小舟で、「黒潮ロード」を渡って来て、関東の地へ上陸した後、栃木県宇都宮市にある、「二荒山神社」にも、辿り着いたということです。

 
 
この神社の拝殿の近くの灯篭の中に、不思議なシンボルがありました。
 
なんと、神紋が、「菊の三つ巴」です!
私は、いろいろ調べた結果、この神紋が、日本の古代史において、最重要なシンボルだと思っています。
 
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この神紋は、「三つ巴」と「菊花紋」が、合わさっていますね。
 
「日本という国家の中枢や奥底には、天照派のグループがいますよ」
 
こういう意味だと思います。
 
凄いシンボルですね~~!!
 
このシンボルは、今回の旅行記で、最重要の鍵になるので、よくおぼえておいてくださいね。
 
 
 
それから、しばらくして、別の日に、栃木県日光市にも行きました。
 
ここにも、同じ名前の神社があります。
 
「二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)」
 
という神社です。
 
有名な「日光東照宮」の隣にある神社です。
ここにも、「三つ巴」がありました。
 
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ここも、和歌山県熊野のお寺と、密接に繋がっているのです。
 
だから、こうなります。
 

「熊野 補陀洛山寺」=「宇都宮 二荒山神社」=「日光 二荒山神社」

 

 

一説によると、「日光」という名前は、弘法大師空海が、この地を訪れた際に、「二荒」を、「にこう」と読み、「日光」の字を当て、この地の名前にしたとも言われています。

 

「補陀洛」→「二荒」→「日光」

 

こうなったそうです。

 

和歌山県の「補陀落山寺」、それから、栃木県の二つの「二荒山神社」が、見事に繋がりましたね。

 
 
やはり、「天照派」のグループが、終の棲家に選んだ土地が、ここだったのです。
ここで、メインのグループは、ここで、居住を始めたと思います。
 
 
そして、大切なことは、「日光」という太陽の光は、古代において、いったん、ここで隠れるのですが、「日食」が、暗くなったあと、再び輝きだすように、そして、「天の岩戸開き」の天照大神が、籠ったあとに、再び顔を出すように、日本という国は、「不死鳥」というのが、シンボルマークでもあり、特性なのです。
 
「外国から、どんなに叩かれても、戦争で負けても、経済が悪くなっても、必ず復活する」
 
これが、「日本」という国の底力なのです。
 
そして、それを裏で支えているのが、裏の古代史に登場する、この旅行記の主役、「天照派」の人々なのです。
 
今年から、また、「丹の光」を放つ日本」が、再び浮上してくると思います。
楽しみですね。
 
 
 
どうですか?
壮大なスケールの脱獄劇だったのですね~!
 
今まで謎だった、日本の歴史の欠けていた穴に、パズルのピースが、パチン、パチンと音をたてながら、適切に、そして、綺麗にハマっていくのを、感じると思います。
 
 
 
 
次回からは、いよいよ、沖縄における、「補陀落渡海」の話題です。
前述したように、昔、ある一人の僧が、「補陀落渡海」で、沖縄に、流れ着いていたのです。
お楽しみに!
 
 
 
 
 

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沖縄ニライカナイツアー 5 金武観音寺

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ここまでの重要なキーワードを、まとめておきますね。

 

なお、今回の沖縄ツアーに関係ありそうなものだけに、絞りました。

 

 

「アヌ王」=「神武天皇」=「神武派」=「武闘派」

 

「エンリル」=「地球の表の王」=「ヤハウェ」=「神武派」=「武闘派」

 

「エンキ」=「地球の裏の王」=「宇賀神」=「龍神様」=「イザナギ」

 

「ニンフルサグ」=「二人の兄弟の妹」=「イザナミ」

 

「イザナギ」と「イザナミ」=「宇宙の源から地球にやってきた、ツインレイの男女」

 

天皇家の始祖=「大丹生(おおにゅう)家」=「三つ巴」と「菊花紋」のシンボルマーク

 

その子供の数=「三十八」=「天照派」=「穏健派」

 

その子供たちの拠点だった場所=「都」=「宮」=「三(み)+八(や)+子(こ)」=「三十八の子」

 

同じく、その子供たちの拠点だった土地の名前=「三重県員弁(いなべ)」=「忌部(いんべ)」

 

さらに、別の拠点=奈良県吉野=「金峯山」

 

絶対平和主義=「天照派」=「チベット」=「シャンバラ」=「琉球」

 

「三つ巴」のシンボルマーク=「三つの石」==「三つの扉」=「植物」と「動物」と「人間」の調和

 

「補陀落」=「常世信仰」=「ポターラカ(ポタラ宮殿)」=「理想郷」=「ニライカナイ」

 

 

これらを、キーワードにしながら、名探偵になった気分で、一緒に、沖縄の裏の古代史を探っていきましょう!

 

 

 

ここで、知らない方のために、沖縄の「ニライカナイ」のことも、説明しておきます。

 

ネットで検索すると、だいたい、こういう説明です。

 

「ニライカナイとは、沖縄や奄美群島で、遠い海のかなたにあると信じられていた楽土。記紀の神話に登場する、常世の国に相当する」
 

この他にも、ユニークな解釈では、

 

「ネガイカナイ」

 

というのもあります。

 

つまり、「願いが叶う世界」という意味だというのです。

 

「どんな夢でも、実現する世界」ということですね。

 

一言で簡単にいうと、「ユートピア」だということです。

 

 

 

「補陀落渡海」をネットで調べると、あるサイトに、面白いことが書かれていました。

 

だいたい、こういう内容です。

 

「補陀落渡海をやった僧の中には、黒潮の流れに逆らい、沖縄にまで辿り着いた渡海上人がいた。その僧は、16世紀に、補陀落渡海を試み、沖縄県金武村の近くの海岸に漂着した、日秀上人である。熊野の那智の浜を旅立ち、1100キロ彼方の沖縄に辿り着いた時は、デイゴの花咲くこの地こそ、観音浄土だと思った事だろう。その後、当地に、補陀落院観音寺を建立し、那覇市にある琉球八社の一つ、波上宮なども再興し、精力的に熊野信仰を広げた」

 

ほとんどの「補陀落渡海」には、その後の僧たちの生死に関する記録は、ありません。

「死んだ」という記録もなければ、「生きていた」という記録もないのです。

 

しかし、この「日秀上人」だけは例外で、「生きていた」という記録が、正確に残っている唯一の人物なのです。

 

 

調べていて、他にも、面白いことに気がつきました。

 

あるサイトに、当時の琉球王国の王様だった、「中山王」も、これに関わっていたと書かれていたのです。

「開山日秀上人行状記」という書物に、その記録が残っているそうです。

 

 

だいたい、こういう内容です。

 

 

ある晩、中山王(琉球国王)が夢で、東北の方から大いなる聖人が、沓に乗って来たのを見た。

そして、これが、無碍大悲(観音)の化身であることを知った。

そこで、勅を、津・湊に下し、待つこと久しかったが、ある日、異相の僧が一葉に乗って来た。

舟の中を見てみると、ただ三衣一鉢がああるのみであった。

宮中に奏上して、日秀を入内させた。

日秀が渡琉した年について、永禄・元亀年間(1558~73)説、嘉靖元年(1522)説、永禄元年(1558)説があり、碑銘などから嘉靖元年(1522)から嘉靖18年(1539)まで滞琉し、同19年(1540)か同20年(1541)に、薩摩に渡ったとみられている。

 

 

実は、この王様は、私の父方の先祖なのです。

なんと、私の御先祖様も、「補陀落渡海」に関わっていたのです。

 

この王様が、「日秀上人」が、小舟で琉球にやってくるのを、予知夢で知っていたというのが、興味深いですね。

そして、その後、この僧を、サポートしていたというのです。

 

この王様は、「羽衣伝説」とも関わっているそうです。

母親が、天女だったという伝説もあるのです。

まさに、「天照派」ですね。

 

面白い縁ですね。

今年になってからの「補陀落渡海」を探る旅は、やはり、先祖からの導きだったのですね。

 

 

さらに、「日秀上人」の名前の漢字を分解すると、

 

「日」+「禾(設計)」+「乃」+「上(かみ)」+「人」

 

こうなります。

 

「太陽からやってきた、人を設計した神」

 

つまり、「イザナギ」と「イザナミ」で、これも、「アマテラスオオミカミ」の意味になります。

「天照派」だったということです。

 

神界から、神々が遣わせた神人だったのかもしれません。

 

 

そして、「日秀上人」の建てたお寺が、現在でも、沖縄県の金武町にあるということも、知りました。

 
それが、「金武観音寺」というお寺なのです。

 

これらの歴史を知ったのは、本当に最近なのですが、今回の帰郷の一番の目的になりました。

「補陀落渡海」の沖縄編を探るのが、この旅のメインテーマだったのです。

 

 

 

3月6日(火)に、沖縄の友人たちに声をかけて、皆で、「金武観音寺」に向かいました。

 

見えてきました。

 

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皆で、入口で、記念撮影しました。

いよいよ、沖縄ツアーの本格的な始まりです。

 

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「高野山真言宗 金峯山 金武観音寺」

 

これが、このお寺の正式名称だそうです。

 

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山号が、「金峯山」ですね。

 

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ハイ!

奈良県の「金峯神社」です。

 

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この神社と深い関係にあるということが、わかりますね。

つまり、「金武町」という名前は、ここから来ていたのです。

 

思い出してください。

 

「天照派」の重要拠点が、「金峯神社」だったのです。

 

「奈良県の金峰神社」 ⇒ 「沖縄県の金峯山 金武観音寺」

 

この二つが、見事に繋がりましたね~!

 

 

 

本堂の前で、記念撮影しました。

 

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沖縄戦で、ほとんどの神社と寺が、全焼したのですが、なぜか、この寺だけが無傷だったそうです。

これも、不思議ですね。

 

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境内には、石像もありました。

私には、父親の「イザナギ」に見えました。

 

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これは、母親である、「イザナミ」、それから、長男と長女、「別雷尊」と「玉依姫」に見えました。

 

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本堂の中には、三体の仏像がありました。

 

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これは、おそらく、

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この三つの存在を、表現しているのだと思います。

 

 

「三つ巴」もありました。

 

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これらの意味が、わかりますか?

 

和歌山県の熊野から、1100キロくらい離れた沖縄に、「天照派」の「熊野信仰」が、ちゃんと根付いていたのです。

 

それまでの沖縄にも、自然崇拝や先祖崇拝、それから、民間信仰はありました。

しかし、人の生き方を説くような、本格的な仏教や密教、それから、神道は、この町、金武から始まったのだと思います。

境内を歩きながら、とても歴史の伊吹を感じました。

 

 

 

本堂の横には、地下に降りていく、洞窟もあります。

この中に、日秀上人の開いた、「金武宮」があるのです。

 

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中は、不思議な感じの空間です。

 

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鍾乳洞です。

 

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祠がありました。

 

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これを読んで、大感動しました~!

 

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皆で、さらに地下深くまで、降りていきました。

子供の頃に、探偵ゴッコをやった時のような童心に返り、ワクワクしました。

 

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「もしかしたら、この先には、秘密の通路があって、地下帝国である、シャンバラまで、繋がっているんじゃないかな?」

 

こう思ったら、さらに、ドキドキしました。

 

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このお寺を見学した後は、ここから近くにあるビーチに向かいました。

車で10分くらいの距離ですが、「金武町」のある太平洋側ではなく、反対の東シナ海側です。

 

私が子供の頃は、よく、ここで海水浴をした記憶があるのですが、現在は、ビーチは閉鎖していました。

 

ここです。

「いんぶビーチ」の跡です。

現在は、入口は、廃墟のようになっていました。

 

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どうして、ここを訪れたか、もうわかりましたね。

 

そうです。

 

三重県いなべ市を拠点にして、四国の徳島県に隠れていた、「忌部氏」の一族が、ここに、辿り着いていたのです。

この土地は、昔は、「いんぶ村」という名前だったそうです。

 

生粋の日本人であり、「天照派」の中心的な位置づけのグループだと思います。

 

「そうか… 子供の頃、どうして、こういう名前のビーチなんだろう? こう思っていたのだが、そういう歴史があったんだな…」

 

しみじみと、こう思いました。

 

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まさに、この土地は、平和を愛し、「常世信仰」、つまり、「補陀落信仰」をもっていた、「天照派」の理想郷だったのです。

 

近くには、昔からの有名なビーチ、「ホテルムーンビーチ」や「ANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾート」、それから、「サンマリーナホテル」もあります。

 

ちなみに、私は、学生時代、「サンマリーナホテル」で、アルバイトをやっていました。

 

このエリアは、西日本の土地で、長い長い弾圧の時代をくぐり抜けて、やっとたどり着いた、「天照派」にとっての本当の「ニライカナイ(理想郷)」だったのですね。

 

う~ん、沖縄の恩納村に、これほど奥深い歴史があったとは…

 

こう考えながら、この海辺の景色を見ていたら、また、目が涙で、ウルウルとしてきました。

 

 

皆で、また記念撮影しました。

 

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この後、有名なドライブインで、食事しました。

 

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いろいろな話題が、次から次へと飛び出し、最高に楽しい時間でした。

 

ちなみに、ここのスープ、とても美味しいです。

 

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ここから、近くの所に、「読谷(よみたん)村」や「北谷(ちゃたん)町」があるのですが、実は、「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子孫である、「大丹生」や「丹生」の文字、「丹」は、長い歴史の中で、いつの間にか、「谷」という文字にもなったそうです。

 

だから、「谷」の文字で、「たん」と読むのは、「天照派」の拠点だった土地なのです。

 

 

 

 

「沖縄ニライカナイツアー」、まだまだ続きます。

 

次回も、お楽しみに!

 

 

 

 

 

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沖縄ニライカナイツアー 6 末吉宮

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沖縄の旅行記の続きです。

 

初めて読む方のために、念のために断っておきますが、この旅行記は、テーマ別に書いているので、実際にまわった順番とは、前後します。

そのほうが、ストーリーが、わかりやすいと思うので、毎回、この書き方にしています。

 

 

ある日の午前中に、高校の頃からの親友を誘って、那覇市首里にある、「末吉宮」まで行きました。

 

この場所は、子供の頃から、名前だけは知っていましたが、今回、生まれて初めて行きました。

 

「こんな場所が、那覇市内にあったんだ~!」

 

こう思うくらい、面白い所でした。

 

 

 

正面の入口からだと、とても長い距離を歩くので、大変です。

そこで、裏道から入りました。

 

 

案内板です。

 

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よく見ると、「旧琉球八社ノ一」と書かれていますね。

 

「琉球八社」とは、昔、琉球王国から、特別な扱いを受けた、八つの神社のことで、那覇市にある、「安里八幡宮」だけが、「八幡神」が祀られていて、それ以外の七社は、「熊野権現」が、祀られているそうです。

 

前述のように、七社は、もちろん、「補陀落渡海」の「日秀上人」の影響ですが、実は、「八幡神」も、元を辿れば、「天照派」の流れなので、まとめると、沖縄の主要な神社は、全て、絶対平和主義の「天照派」の拠点だと言えます。

 

つまり、沖縄県というのは、完全に、「天照派」の根城なのです。

だから、とても平和な県民性なのです。

 

 

「イザナミ」が、祭られていますね。

 

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そして、主祭神の中で、二番目の神様にも、注目してください。

「速玉男尊」と書かれていますね。

 

この神様は、元々は、「速い球状のもの」という意味だったかもしれません。

つまり、UFOだったということです。

 

 

もう一度、掲載しますね。

 

日本に来ていた、初期の頃の「エンキ(イザナギ)」の姿です。

頭部は人間で、身体が蛇の神様ですね。

岐阜県の「位山」にある像です。

 

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側に、不思議な球体も置かれています。

これは、「エンキ(イザナギ)」が乗ってきたUFOかもしれません。

日本の神話には、よく、「玉」という文字が出てきますが、この意味も含んでると思います。

 

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太古の昔、こういう球体型のUFOが、日本中を飛び回っていたのではないでしょうか?

この未確認飛行物体のことを、当時の人々は、「速い玉」と呼んでいたかもしれません。

 

それが、熊野にある、「熊野速玉大社」の主祭神、「熊野速玉大神」になったのではないでしょうか?

 

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そして…

 

太古の昔、この「末吉宮」にも、このUFOが、頻繁にやってきて、離発着していたのかもしれません。

 

 

 

ちょっと歩くと、小さな鳥居がありました。

 

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なにやら、意味深な文字ですね。

 

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それにしても、沖縄の神様は、ユニークな名前が多いですね。

 

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記念撮影しました。

 

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この近くにも、また、石碑がありました。

 

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こちらにも、興味深い名前の神様の名前がありました。

ちなみに、「みるく神」とは、「ミロク菩薩」のことだと思います。

 

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階段を下りて、さらに歩いていきました。

 

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独特の石造り建築ですね。

 

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拝殿に着き、そこでも、記念撮影しました。

 

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やはり、「三つ巴」ですね。

 

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ここからの景色は、最高でした。

 

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「拝殿」というよりは、「神殿」と言ったほうがいいですね。

 

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この建築物について、少し考察してみましょう。

 

 

この石造りの建築を見ると、中南米の古代文明の神殿に似ていることがわかります。

「マヤ文明」などですね。

 

結論から先に言わせていただくと、私は、こういう石造りで、神殿のような場所は、古代において、宇宙人たちが乗っていたUFOの発着基地だったと思っています。

 

 

縄文時代について、書いてみます。

 

当時の縄文人、つまり、人間たちの生活は、狩猟採集だったと言われています。

これは、東北地方の想像画ですが、古代の沖縄も、こうだったと思います。

 

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こんなことを言ったら、縄文人たちには、失礼かもしれませんが、上記の絵のような生活をしていた人々が、とてもじゃないけど、彼らには、あの時代に、縄文土器や縄文土偶は、作れなかったと思います。

技術的に、不可能なのです。

 

 

例をあげますね。

 

青森県で発見された、有名な遮光器土偶は、現代の最先端のセラミック技術でも、かろうじで復元できるレベルの土偶だそうです。

この土偶は、摂氏9000度くらいの超高温で、40時間くらい熱しないと、ああいう焼け方はしないそうです。
さらに、粘土の中に、植物繊維を混入させたりと、とても高い技術で、制作されているそうです。


簡単に言うと、縄文時代には、すでに、現代の科学と同等か、それ以上の科学力をもった人たちが、存在していたということです。

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ここで、疑問なのは、

「これほどの科学力をもった人たちが、どこに住んでいたか?」

ということです。

彼らの住居跡が、見つかっていないのです。

よく、木で作られたテントのような住居が、復元されていますが、あれは縄文人、つまり、人間の住居です。

 

遮光土偶を制作できたほどの科学者たちが、あんな原始的な住居に、住むと思いますか?

優れた科学力をもった宇宙人たちの住居跡は、実は、どこにもないのです。

 

私は、

「古代の科学者たちは宇宙人、もしくは、未来人で、普段は、現在の宇宙ステーションのような場所で、地球の上空に滞空して生活していた」

と思っています。

そして、たまに地上に降りてきたのです。

 

つまり、「ラピュタ」に住んでいたということです。

 

その降りてくる場所が、「古墳」だったり、上記の「末吉宮」の拝殿だったと思います。

 

こんなかんじで、空から来たのだと思います。
 
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その後、船の底に穴が開き、搭乗員たちが、光のビームとともに、地上に舞い降りたのではないでしょうか?
 

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「縄文時代」というのを、考察する時には、「縄文人(人間)」と「宇宙人(未来人)」を、区別して考えなくてはいけないということです。

 

 

私は、古墳の用途として、


「超巨大な古墳は、最初は、宇宙船の離発着場として、宇宙人たちが建築した」

という仮説を支持しています。


もちろん、権力者たちが、「お墓」や「祭祀場」としても、使ったのですが、それは、宇宙人たちが、これを使わなくなった、ずーっと後に、跡地を利用したのだと思っています。

そう考えたほうが、自然なのです。

数名の人間の遺体を、埋葬するためだけに、あれだけの規模の墓を造るというのは、不自然なのです。
権力を誇示するためだけでは、あれほどの巨大建築物は、造らないと思います。


前方後円墳の写真を見てみながら、

 

「ここに、超巨大な母船が、着陸していたんじゃないかな?」

 

と考えると、そういうふうに、見えてくるんじゃないですか?

 

特に、この古墳は、わかりやすいです。


これは、群馬県高崎市にある古墳を、空撮したものです。
「保渡田古墳群」といいます。
雑草を取り除くと、このように、「古墳」の本来の姿が現れます。

真ん中が、司令官クラスのロケットやUFOの発着台で、四隅には、護衛用のUFOが発着していたと思うと、シックリくるのではないですか?

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どこからどう見ても、スペースシップの発着台ですよね?

 

縄文土器ですが、生活用品以外にも、芸術品や記念品としての役割を目的にして、制作された物も、あったようです。


たとえば、「宇宙人のロケット」を、模造してつくった物もあったようです。
「土器」ということを前提にして、撮影されている写真ばかり、いつも見ているから、そう見えるのです。
最初に、頭をまっさらにしてから、これらの写真を逆さにして、一度、「ロケット」として、眺めてみてください。
 

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どうですか?
だんだん、ロケットに見えてきませんか?

土器の下部の模様は、ロケット噴射の時に出る「火炎」です。
垂直に上空に飛び立っている姿を、イメージしてみてください。

人間の目というものは、面白くて、一度でも、「ロケット」だと認識すると、他の写真も、そう見えてくるのです。

最初から逆さまにした写真を掲載すると、ロケットに見えますね。

ドッカ~ン!!! 

ゴゴッ、ゴ~~~~!!!

と炎を吹き出しながら、まっすぐ垂直に、宇宙に旅立っていくのが、わかりますか?
 
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以前に、山梨県の博物館に展示してあった写真です。

「直接、博物館に行って、よかったなー」

と思ったのは、この写真を見られたことです。

土器が、発掘された瞬間の写真が、展示してありました。
これです。
 

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この写真の重要さが、わかりますか?
発掘された時点では、このように、二つとも、ロケットのように、尖がっている部分を上にして、埋められていたのですよー!

縄文人たちが、

「これは、こういう姿だったんですよー!」

と祈りをこめて、後世の人間に伝えたのだと思います。

生活用品としての用途、つまり、食料の保存用の土器だったら、穴の空いた部分を、上にしているはずです。

この写真を見て、

「やはり、これらの多くは、ロケットの姿を残した物だったんだな…」

と確信しました。


ちなみに、外国にも、太古の昔から、「宇宙空港」は、たくさんありました。

そもそも、「ピラミッド」という建造物も、「古墳」と同じように、「お墓」や「祭祀場」の役割ももっていたのですが、やはり、最初は、スペースシップの離発着場だったようです。

「テオティワカンの遺跡」のピラミッドが、一番わかりやすいですね。
 

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「どうして、台形なのか?」

という形の意味を、考えてくださいね。

そうです。
文字通り、UFOが着陸する「台」が、本来のピラミッドの役割なのです。

ここに、太古の時代、大量のUFOが、離発着をしていたのです。

宇宙空港だったのです。
 

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こちらは、「マヤ文明遺跡」のピラミッドです。
こちらも、台形ですね。

 

これらのピラミッドは、人間が昇り降りするには、大変みたいです。

角度も急だし、一段が高すぎるそうです。

 

「宇宙人が、昇り降りしていた」

 

と考えたほうが、サイズ的にも、妥当だそうです。

 

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これは、有名なマヤ文明の宇宙飛行士が描かれた、「パレンケの石棺」です。


ロケットの内部の搭乗員たちは、こうやって、ロケットを操縦して、宇宙に飛び立っていたと思います。
よく、横向きになって雑誌などに、掲載されていますが、本来は、下記のように、操縦士が、上を向いているのが、正しい位置だそうです。

まさに、宇宙へ飛び立とうとしている瞬間ですね。
 

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「ナスカの地上絵」の近くにある、「宇宙空港」の滑走路だったと思われる場所です。

ここでも、宇宙からのスペースシップが、離発着していたようです。
 

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超巨大な古墳があるところが、「宇宙空港」だったとしたら、地球と他の惑星間で、何を運んでいたんでしょうね?
鉱物、植物の種、動物など、いろいろなものを、交易させていたのかもしれません。
宇宙人や人間の「DNA」なども、運んでいたかもしれませんね。

宇宙考古学者、ゼカリア・シッチン博士によると、「アヌンナキ」の一族は、人間を使って、中近東をはじめ、世界中で、「金(ゴールド)」を、採掘させていたようです。


そして、それを、彼らの惑星まで、運んでいたそうです。


太古の昔には、日本にある、「古墳群」は、「宇宙空港」であり、ロケットの発射台のような場所で、宇宙人が、ここに降り立ったり、彼らの故郷の惑星に、帰郷したりしていたと想像したら、ワクワクしてきますね。

一説によると、特に、「前方後円墳」は、王様クラスの宇宙人が、到着する聖地で、レッドカーペットのようなものが敷かれて、王が降臨したとも言われています。

ちなみに、正式な形の「前方後円墳」があるのは、日本だけだと言われています。

やはり、太古の時代、「日本」は、超特別な場所だったようです。

 

 

 

そして…

 

「末吉宮」の話に戻りますね。

 

ここまで書いたら、もうわかりましたね。

 

そうです。

 

「末吉宮」の拝殿も、太古の昔は、上部の社などは、存在していなかったと思います。

石の階段だけが、存在していて、頂上は、平らな状態で、「台形」の神殿だったと思います。

 

そして、そこに、「アヌ王」や「エンキなどの「アヌンナキ」の宇宙人ファミリーが、UFOで降臨していたのだと思います。

 

 

 

もう一度、「マヤのピラミッド」です。

 

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そして、「末吉宮」の拝殿です。

 

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こうやって、いろいろ想像すると、楽しいですね。

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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沖縄ニライカナイツアー 7 聖人

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沖縄旅行では、「菩提樹苑」という所にも行きました。

 

場所は、糸満市米須という所です。

有名な「平和記念公園」の近くです。

 

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「魂魄之塔」という塔が目印です。

 

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この塔の斜め向かいに、小さなハウスが立っています。

ここが、その場所なのです。

 

ハウスの前で、記念撮影です。

 

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いろいろなメッセージも、刻まれていました。

 

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そして、ここには、ハウスの中に、ある樹が植えられているのです。

 

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その樹は、なんと、ブッダが悟りを開いたとされる、「聖なる菩提樹」の分け木なのです!

 

「沖縄菩提樹苑」には、本物の菩提樹の樹があるのです。

これも、今回の沖縄旅行で、初めて知りました。

 

この「聖なる菩提樹」の分け木は、紀元前3世紀に、アショカ王の皇女であった、「サンガミッタ」によって、「ブッダガヤ」から「スリランカ」に持ち出された以降、なかったそうです。

 

ここでも、「スリランカ」が、登場しましたね。

思い出してください、この世界の理想郷である、「補陀落浄土」の候補地の一つが、「スリランカ」だったことを…

本場の「インド」以外で、本物の菩提樹があるのは、「スリランカ」と「沖縄」だけなのだそうです。

 

 

ここは、「沖縄戦戦没者の御霊を慰めるため」という目的で、インド大菩提協会サラナトセンターの許可を受けて、平成17(2005)年に3本の分け木が、沖縄へとやってきたそうです。

 

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目の前に、世界中の水が、置かれていたのですが、その中の一つのボトルのラベルを見て、驚きました。

見てください、左から二つ目を!

「ポタラ宮」と書かれています。

そこから、持ってきた水なんですね~!

「補陀落」の語源、古代サンスクリット語の「ポータラカ(浄土)」ですね。

ここにも、「補陀落渡海」が、出てきました。

 

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また、このハウスができた後に、「ダライ・ラマ14世」が、沖縄を訪問したことがあったそうです。

それを記念して、「ダライ・ラマ14世来沖縄記念館」とも、呼ばれているそうです。

 

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このハウスを見学した後、ここの敷地内に、木製のテーブルと椅子があったので、ツアーの参加者たちと、いろいろなことを、語りました。

 

その中で、特に、語り合ったのが、「聖人」についてでした。

 

 

「聖人」というのには、いろいろな定義があると思います。

 

一つ目です。

ある漫画に書かれていた話です。

その作品の中で、主人公の男の子が、先輩のような男の人と、問答するシーンがありました。

 

 

主人公の男の子:「聖人とは、どういう人のことを、言うのですか?」

 

先輩の男の人:「どんな状況でも、決して、怒ったりもせず、何をされても無抵抗で、相手に、反撃や復讐をしない人のことだよ」

 

主人公の男の子:「そんなことが、可能なのでしょうか? それじゃあ、自分の家族が、目の前で、悪人に襲われても、そういう態度を、つらぬくということですか?」

 

先輩の男の人:「そうだ。そういうことだ」

 

主人公の男の子:「それは、現実的に無理なのではないですか? そんなことは、不可能だと思います」

 

先輩の男の人:「そのとおりだ。君の言うとおりだ。だから、古今東西、世界中の聖人には、必ず、屈強な護衛が、その聖人の身辺にいて、聖人を護っているのだ」

 

主人公の男の子:「なるほど…、そういう理屈なんですね…」

 
 
私は、これを読んで、「う~ん」と唸ってしまいました。
たしかに、なるほど…、ですね。
 
 
 
二つ目の「聖人」の話です。
 
「聖人」というのは、人格者でもあるのですが、特殊な能力を持っていることも、多いです。
いわゆる、超能力や霊能力も、兼ね備えている人が、ほとんどです。
 
卓越した人格と能力があると、多くの信者ができます。
そこまでは、いいのですが、それが、長期間、続いてしまうことがあるのです。
挙句の果てには、依存心をもってしまう信者が、増えてしまうのです。
ずーっと、その聖人を指導者といして、甘えてしまい、自力で、人生を切り開いていく力が、弱くなってくるのです。
 
そこで、古来から、ほとんどの聖人は、最後の仕事として、信者たちの依存心を、断ち切るようなことをします。
 
 
たとえば、「キリスト」だと、民衆から、石を投げられながら、罪人と一緒に、十字架に磔にされて、それまで、自分を尊敬したり、信頼していた人々に、幻滅させるような姿を見せたのです。
それで、自分から離れて、精神的に、自立するように、もっていったのです。
 
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これは、聖人が、自分自身で、意識的にやることもあれば、天上界の神々が、本人がわからないように、無意識で導くこともあるようです。
 
「本物の聖人」の最後の仕事は、それまでの弟子や信者たちとの信頼関係を、わざとぶち壊すようなことをやり、人々を、幻滅させることなのだそうです。
 
 
そういえば、20年くらい前にも、インドの「サイババ」という聖人が、後から、いろいろな悪さをしていることが、バレて、信者たちから、幻滅させ、たくさんの信者が、怒って、彼の元から、去っていくという、世界的な大事件がありましたね。
 
もしかしたら、「サイババ」も、そうやって、わざと、悪人役になり、信者たちから嫌われるという、最後の大芝居を演じた、「本物の聖人」だったのかもしれません。
 
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最近では、「マザー・テレサ」も、そういう「本物の聖人」だったのだろうと、思っています。
 
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これらの聖人たちは、わざと嫌われたり、幻滅させるようなことを、やったということです。
たしかに、そう考えたほうが、辻褄があいますね。
 
 
 
三つ目です。
 
ある講演会で聴いた話です。
 
「俗人」というのは、地面を歩いている人だそうです。
そして、雲の下の気候に、気持ちを影響される人だそうです。
 
つまり、晴れの天気だと、嬉しくなったり理、喜んだりします。
反対に、大雨や雷雨の天気だと、不安になったり、気持ちが沈んだりするのです。
こうやって、雲の下の天気の状態で、感情を動かされる人のことを、「俗人」というそうです。
 
 
一方で、「聖人」は、空を飛んでいる人ではなく、実は、この人も、普段は地面を歩いているそうです。
しかし、雲の下の気候には、影響を受けないのだそうです。
 
晴れの天気でも、大雨や雷雨でも、気持ちは揺るがず、いつも同じように穏やかな気持ちを保っているそうです。
それは、雲の下が、どんな天気でも、雲の上は、いつも、美しい日の光が、輝いているということを、知っているからなのだそうです。
雲の下の天気の状態で、感情を動かされない人が、「聖人」だというのです。
 
この話も、なるほど…、ですね。
 
そういえば、昔、坂本九ちゃんの歌で、「上を向いて歩こう」というのもありましたね。
その精神を持っている人が、「聖人」なのですね。
 
古代史の中では、「天照派」の人々のポリシーが、これだと思います。
 
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次回に続きます。
 
 
 
 
 

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沖縄ニライカナイツアー 8 ミルク神

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沖縄に滞在中、「沖宮」にも行きました。

 

ここは、友人の北西さんがいる神社ですが、北西さんから、

 

「3月7日(水)に、沖宮で、お祭りがあるので、よかったら、遊びにきませんか?」

 

と言われたので、さっそく、友人たちを誘って、参拝に行きました。

 
あとで、調べたら、「二十日正月(ハチカソーグヮチ)」というお祭りでした。
 
 
朝から、友人と一緒に、「沖宮」に向かいました。
 
場所は、那覇市の奥武山公園内にあるのですが、駐車場のゲートで、
 
「沖宮に参拝に来ました」
 
と、守衛さんに告げると、そのまま、車で、近くまで行けます。
 
入口の近くの駐車場に駐車して、徒歩で向かうと、遠くて大変です。
 
 
着きました。
鳥居の前で、さっそく、いつもの記念撮影です。
 
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拝殿の前でも、パチリ。
 
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「三つの扉」がありますね。
 
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ここでも、不思議な御縁がありました。
なんと、「日秀上人」の絵本を書いている方とも、お会いすることもできました。
 
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大切なことだと思うので、ここで、再度書いておきます。
 
 

宇宙考古学や古代史の最近の流行として、

 

「共通項を探す」

 

という動きがあります。

 

数学でいえば、それまで、「違い」を探して、どんどん、「展開」していった流れから、現在は、「共通項」を探して、「因数分解」するような作業に、流れが変わっているのです。

 

時代や土地、それから、神話や伝説、また、人間と神々など、時空間や存在に関わらず、「似たような人生」、「似たような名前」、「似たようなシンボルマーク」、「似たような服装」など、どこかが似通っていたら、それらの複数の人物たちは、とりあず、「同じ魂のグループ」、もしくは、「生まれ変わり」だと見なすのです。

 

このやり方だと、面白いことがわかったり、意外な事実に気が付いたりして、最高に面白い作業になります。

 

 

たとえば、事実かどうかは、とりあず横に置いて、一般的な伝承によれば、「キリスト」は、「馬小屋」で生まれたと言われています。

 

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同様に、「聖徳太子」も、「馬小屋」の近くで、生まれたと言われています。

だから、別名では、「厩戸皇子」とも、呼ばれていますね。

 

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このことから、

 

「キリストと聖徳太子は、同じ魂の生まれ変わり、もしくは、同じソウルグループのメンバーだった可能性がある」

 

こういう仮説が成り立つのです。

 

「キリスト」=「聖徳太子」

 

だということです。

 

 

他にも、こういうものもあります。

 

ロシア正教の宗教画には、「キリスト」が、不思議なハンドサインをして描かれているものがあります。

 

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そして、京都の広隆寺にある、「弥勒菩薩半跏思惟像」も、同じようなハンドサインで、彫られています。

 

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よく見ると、この二人の人物の指の形が、同じですね。

 

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このことから、

 

「キリストと弥勒菩薩も、同じ魂の生まれ変わり、もしくは、同じソウルグループのメンバーだった可能性がある」

 

こういう仮説も、また成り立つのです。

 

「キリスト」=「弥勒菩薩」

 

だということです。

 

 

これらを、合わせると、

 

「キリスト」=「聖徳太子」=「弥勒菩薩」

 

こうなるのです。

 

いつの時代でも、画家や彫刻家が、いろいろな作品を作るのですが、意識しているか無意識かに関わらず、天界の神々が、未来の人々に、いつの日か、神の世界のカラクリを、解き明かしてくれる日のために、暗号のように、様々な仕掛けをしていたということです。

 

 
 
さて、旅行記に話を戻します。
 
 
お祭りが始まりました。
 
拝殿の裏側に、小さな丘のような高台があり、そこを、皆で、階段を登って行きました。
 
最初に、神様に捧げる祭事を行いました。
 
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本土では、「獅子舞」ですが、沖縄的な表現をすると、「シーサー舞」かな?
左側の二人のお婆ちゃんたちは、90歳以上になる、沖縄の「ノロ(巫女さん)」だそうです。
 
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「アヌンナキ」の一族の表の王様、「エンリル」が「赤鬼」で、「エンキ」が「青鬼」になるのですが、このシーサーは、「赤鬼」と「青鬼」が融合した色である、「緑色」になっているのが、興味深いです。
 
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「エンリル&エンキ」のシーサーですね。
「陰と陽」の統合ですね。
 
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琉装をした、3人の女性も登場して、踊り始めました。
 
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「三人の女性」というと、私は、すぐに、「宗像三女神」を思い出します。
 
一説によると、実は、この三人の女性神も、
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つの存在のシンボルなのだそうです。
 
 
ここで、真打の登場です。
沖縄では、有名な神様、「ミロク神」です。
 
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この神様は、「ニライカナイ(補陀落浄土)」から、やってくると言われている神様です。
 
沖縄の救世主伝説のような存在なのですが、この神様の正体が、「ミロク菩薩」だと言われています。
名前の音も似ていますね。
 
相撲の行司さんが持つような物を、持っていますね。
そして、よく見ると、「日」と「月」が描かれています。
 
「日」と「月」は、「日食」のシンボルでしたね。
 
「いったん、闇に隠れて、それから、再度、光の世界を復活させる」
 
と言う意味ですね。
 
「アマテラスオオミカミ」のシンボルですね。
ここでも、「天照派」の垣間見えました。
 
 
祭りのクライマックスでは、主催者や参加者、それから、「シーサー」、三人の女性」、「ミロク神」など、皆で、入り乱れて、カチャーシーを踊りました。
楽しいお祭りでした。
 
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「ミロク神」の顔を、よく見てください。
これは、別の祭りの写真ですが、普通の人よりも、「耳」と「口」が大きいかんじがしませんか?
 
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古代において、政治をする役人たちは、
 
「よく聴いてから、口に出す」
 
つまり、
 
「相手の主張を、十分に聴いてから、自分の主張を、大きな声で、皆に聞こえるように、口にだす」
 
こういう姿勢が、尊ばれたそうです。
 
だから、「目」や「鼻」も大きいけど、「口」は、特に大きく、「耳」は、さらに、巨大である。
こういう顔が、「いい政治家」のシンボルになっていた時代があったそうです。
特に、それは、外交の仕事をする、現代風の表現だと、「外務大臣」の地位の役人には、この姿勢が、求められたそうです。
 
そのシンボルが、現代では、日本の「菊花紋」になっているそうです。
 
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「菊(聴く)」
 
この意味も、込められているのだそうです。
 
これは、外交だけでなく、全ての人間関係に言えることですね。
相手の主張や意見を、「よく聴く」という姿勢が、交渉や外交において、最重要なのです。
 
 
勘の良い方は、そろそろ、気が付きましたね。
 
そうです。
 
相手の主張を、よく聞いてから、その後に、自分の主張を口に出す。
 
これができる王様が、「聖人」なのです。
 
「聖」の文字を見てください。
 
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そして、この「聖」の姿勢を大切にして、「徳」のある政治を行い、「一(はじめ)」から「子(おわり)」まで、それを、一貫して持続した、「太(宇宙の創造主)」だった人物がいたのです。
 
そうです。
 
「聖徳太子」
 
という人物です。
 
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今までの話を全部まとめて、結論だけをシンプルに書きます。
 
「キリスト」=「聖徳太子」=「弥勒菩薩」=「ミルク神」=「アマテラスオオミカミ」=「天照派」
 
こうなります。
 
これらの存在は、皆、同じ目的をもった魂のグループだったということです。
 
 
 
祭りが終わった後、この祭りの会場になった場所の裏側にも、行ってみました。
 
 
「世界平和之島という文字が刻まれた石碑がありました。
 
ちなみに、「不動明王」の正体は、地球の表の王様である、「エンリル」です。
 
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ここに祀られている神々も、「天照派」のグループだと思います。
 
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この神様の正体は、「イザナミ(ニンフルサグ)」だと思います。
 
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この神様は、「恵比須様」ですが、同時に、「イザナギ(エンキ)」でもあります。
「陰陽のシンボルマークである、「二つ巴」ですね。
 
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同じ境内には、お寺もありました。
 
ここは、明治の神仏分離までは、「沖山三所権現(沖の寺)」とういう名前でもあったそうですね。
 
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やはり、「三つ巴」もありました。
そういえば、「巴」の形は、数字の「6」でもあり、「三つ巴」は、「666」のシンボルでもありますね。
つまり、「ミロク(弥勒)」の意味です。
 
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これもありました。
「コンパス」と「定規」の意味だと思います。
 
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次回に続きます。
 
 
 
 
 

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沖縄ニライカナイツアー 9 三つ巴

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今回の旅では、「琉球八社」と呼ばれている主要な神社の七社をまわりました。

「普天間宮」だけは、時間がなくて、まわれませんでした。

 

考えてみれば、沖縄の神社を、これほどまわったのは、生まれて初めてでした。

そして、まわってみて、自分の生まれ故郷に、これほど、素晴らしい神社があったことに、改めて驚きました。

 

 

あと、繰り返しになるかもしれませんが、「琉球八社」の全ての創建には、「補陀落渡海」で沖縄二やってきた、「日秀上人」が関わっています。

沖縄の神社とお寺の全てが、「補陀落渡海」から、始まっていることを、ここで再度、強調しておきます。

 

 

 

有名な「波上宮」にも行きました。

 

鳥居です。

 

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御祭神を見ると、「伊弉冊尊」、「速玉男尊」、「事解男尊」で、「熊野三神」ですね。

やはり、沖縄は、熊野系の神様が祭られている所が多いですね。

 

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灯篭には、「三つ巴」がありました。

 

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手水舎には、三体の黒龍がいました。

 

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拝殿の前で、参加者の方たちと、記念撮影しました。

 

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飾ってある文字が、カッコイイですね。

 

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拝殿には、「鶴と亀」もいました。

 

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「三つ巴」です。

 

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最近、神社に行くと、瓦も見るようになりました。

 

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ここの瓦も、「三つ巴」でした。

 

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「波上宮」の隣には、「護国寺」というお寺もあります。

入口は、工事中でした。

 

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「三つ巴」がありました。

 

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境内には、「カラス」の像がある、モニュメントもありました。

 

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おそらく、「八咫烏」の意味も含んでいると思います。

 

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そして、さらに、その近くには、沖縄の英雄である、「謝名親方」の石碑もありました。

この人物は、私の母方の先祖です。

 

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ご先祖様と一緒に、記念撮影しました。

 

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那覇市の安里にある、「安里八幡宮」にも行きました。

階段を登っていくと、鳥居が見えました。

 

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拝殿です。

ここも、太古の昔、UFOの離発着場だったかもしれませんね。

 

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やはり、「三つ巴」がありました。

 

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拝殿の前で、記念撮影しました。

 

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ここの瓦も、「三つ巴」でした。

 

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沖縄に滞在している間は、もちろん、いつも、実家に寝泊まりしているのですが、時間があったので、久しぶりに、実家をじっくりと眺めてみました。

 

この家は、私が、高校1年生の時に建てたので、そろそろ、築36年にあります。

場所は、那覇市の識名という所です。

 

だいぶ古くなっていて、家のあちこちが、傷んできています。

 

 

家の外側から、なんとなく、瓦を眺めみました。

 

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その瞬間、驚嘆しました~!

 

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見てください!

なっ、な、なんと! 

「三つ巴」じゃないですか~~!!

 

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今回の旅では、驚くようなシンクロが、山ほど起こったのですが、この実家の「三つ巴」には、心底驚きました。

 

私の実家は、「熊野系」の神様に、守護されていたのです。

つまり、「天照派」であり、「イザナギ」と「イザナミ」を源とする、「愛」と「平和」のグループです。

だから、「補陀落渡海」が気になって、調べまくっていたのですね。

 

しかも、「三つ巴」の周辺には、十六個の「〇」があります。

 

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ハイ!

「十六花紋」と「三つ巴」のシンボルマークですね。

宇都宮市の「「二荒山神社」にあった、「菊の三つ巴」の神紋ですね。

 

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私の実家の瓦が、このシンボルマークだったというのは、どう考えても、偶然なんかじゃありません。

「補陀落渡海」を探る旅は、完全に、神意であり、神界からサポートされていたのです。

 

この瓦を見て、暖かい沖縄なのに、大感動で、身体がブルブル震えました。

 

 

 

 

これも、大切なことなので、再度書きます。

 

 

古代において、日本の本土でも、そうだったのですが、沖縄でも、武闘派である、「神武派」、それから、穏健派である、「天照派」の二つのグループが、存在していたようです。

 

私の推測ですが、沖縄は、小さな島なので、その島内では、過激な争いや対立は、長い期間は、できなかったと思います。

 

たまには、争うこともあったと思いますが、どちらかというと、沖縄においては、双方とも、和解したり、融合しながら、共存共栄していたような気がするのです。

 

前回紹介した、「日秀上人」も、そういうことを知っていて、何かのお役目で、熊野から、当時の琉球に派遣された、「天照派」の使者だったのかもしれません。

 

 

 

歴史においては、全ての出来事は、必要、必然、ベストのタイミングで、起こっていると思います。

 

「神武派」は、「神武天皇」がリーダーだったようですが、その正体は、シュメール文明では、「アヌ王」ですね。

「権力」の王様です。

 

そして、「神武天皇」は、「武闘派」だったようですが、これは、文字通り、「武」であり、「勇」でもあります。

このグループには、息子である、「エンリル(ヤハウェ)」も、加わっていたと思います。

 

一方の「天照派」は、「イザナギ」と「イザナミ」がリーダーだったようですが、その正体は、シュメール文明では、「エンキ」と「ニンフルサグ」です。

二人は、それぞれ、「知恵」と「愛」の神様たちです。

 

 

4人を、簡単にまとめると、こうなります。

 

「神武天皇(アヌ王)」&「エンリル(ヤハウェ)」=「権力(勇)」

「イザナギ(エンキ)」&「イザナミ(ニンフサグ)」=「知恵(智)」&「愛(仁)」

 

 

シュメール文明の神様である、この4人は、古代において、日本でも、沖縄でも、世界中で、これらを融合させることを、地球上でやっていたのだと思います。

 

それぞれ、自分の足りないところがあり、「三つ巴」の関係を築きながら、学びあっていたと思うのです。

 

「権力(勇)」だけでも、ダメなのです。

そして、「知恵(智)」だけでも、「愛(仁)」だけでも、ダメなのです。

 
 
「ドラえもん」のマンガで、たとえてみますね。
 

「神武天皇(アヌ王)」&「エンリル(ヤハウェ)」のグループ、「神武派」が、「ジャイアン」&「スネ夫」だと思います。

 

「イザナギ(エンキ)」&「イザナミ(ニンフルサグ)」のグループ、「天照派」が、「のび太君」&「しずかちゃん」かもしれません。

 

 

この二つグループを見ていると、プロシアの鉄の宰相と言われた、ビスマルクの名言を思い出します。

 

「正義なき力は、無能なり。力なき正義も、また無能なり」

 

「神武派」は、力だけで、正義がなかったと思います。

そして、「天照派」は、正義だけで、力がなかったのです。

 

ここでは、「力」を「権力」で、「正義」を「道徳」と言い換えてもいいかもしれません。

 

両方とも、偏っていたのです。

 

そして、長い長い歴史の中で、ぶつかったり、争ったりしながら、お互いに、無いものを与えあい、受け取りあったのかもしれません。

 

 

古神道でも、

 

「智」と「仁」と「勇」

 

この三つが大切だという考え方が、あるそうです。

 

「智」は、「歴史」

「仁」は、「祭祀」

「勇」は、「武術」

 

だそうですね。

 

そして、それぞれ、「三種の神器」にも、対応しているそうです。

 

「智」は、「(八咫鏡(事実を正確に映す)」

「仁」は、「八尺瓊勾玉(生命を育む心)」

「勇」は、「草薙剣(勇気をだす)」

 

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日本の裏の歴史は、この三つエネルギーが、「三つ巴」になって織りなされた物語だったのかもしれません。

現代の日本は、これが、わりとバランスよく混じっていると思います。

 

「巴」の形は、数字の「6」でもあり、「三つ巴」は、「666」のシンボルでもあります。
つまり、「ミロク(弥勒菩薩)=ミルク神」の意味です。

 

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アニメの「君の名は。」の話をします。

 

この作品に出てくる二人の主人公、「滝君(イザナギ)」と「三葉(イザナミ)」は、「賢さ」と「愛情深さ」という二つを兼ね備えた、普通の学生でした。

 

しかし、平凡な日常において、心が優しすぎて、二人とも、いまひとつ、行動力に欠けているところがありました。

 

それが、ある日、「隕石の落下」という絶対的に悪い出来事を知り、それを目にして、急に、「勇気」が湧き上がって、命懸けの救出劇をするのです。

 

そうなのです。

 

絶対平和主義の人々も、自分のためではなく、家族や仲間、人類全体を助けるためだったら、「勇気」のスイッチが入るのです。

 

「天照派」の人々も、おそらく、「神武派」の弾圧の中でも、家族や仲間を守るためだったら、勇気を出して、抵抗したこともあったと思います。

 

「天照派」の人々も、他人のためなら、闘うこともあったと思うのです。

 

 

 

旅行中、皆で、ランチをした時の写真です。

楽しかったですね~!

 

現在、気の合う仲間たちと、歴史について語り合っている時が、一番楽しいです。

 

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次回に続きます。

 

 

 

 

 

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沖縄ニライカナイツアー 10 天照大神

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沖縄では、この機会に、いろいろな御嶽、それから、神社や寺などのパワースポットをまわりました。

どこも、興味深いところばかりでした。

 

 

学生時代、なんとも思わずに、その前を通り過ぎていた、神社や寺などの本当の意味がわかって、とても面白い旅になりました。

 

これは、那覇市首里にある、「安国寺」というお寺です。

 

この寺の門も、「三つの扉」を表現していますね。

「天照派」のシンボルです。

 

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お寺の瓦も、「三つ巴」でした。

 

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このお寺の正面は、首里高校です。

 

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この近くには、「首里観音堂」もあります。

 

「補陀落渡海」と関係ある寺の名前ですね。

 

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この寺の門も、「三つの扉」になっていました。

 

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那覇市の泊には、「崇元寺」というお寺の跡もあります。

 

沖縄戦で、ほとんどが焼失したのですが、三連アーチ型の石門は、現在でも残っていて、重要文化財で歴史的建造物に指定されているそうです。

 

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記念撮影です。

 

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ここの門をくぐって、中に入ったのも、今回が初めてでした。

 

大きなガジュマルの樹に、感動しました。

この門の中に、こんな御神木があったのですね~!

 

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前回、「三つ巴」の話をしましたが、沖縄には、他にも面白い「巴の紋」が、いくつかありました。

 

 

「安里八幡宮」の近所にある寺、「神徳寺」にも立ち寄りました。

 

「徳」の文字が入っているので、もしかしたら、「聖徳太子」とも、関係があるかもしれません。

 

「神徳寺」は、八幡宮の別当寺として建立されたそうです。

戦前は、この二つは、同じ丘に、仲よく建っていたそうです。

 
 

記念撮影しました。

 

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ここの本堂の瓦が、ユニークでした。

 

見てください!

真ん中に、「十字架」があり、その周りを、「四つ巴」が、回っています。

 

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「四つの巴」とは、どういう意味でしょうか?

 

私の脳裏に、浮かんだのは、

 

「もしかしたら、4種類の遺伝子のシンボルなんじゃないかな?」

 

ということでした。

 

ご存知のように、遺伝子の本体である、「DNA(デオキシリボ核酸)」の塩基成分には、

 

「アデニン(A) 」、 「チミン(T)」、「グアニン(G) 」、「シトシン(C)」

 

こういう4種類があって、これらは、「二重らせん構造」を作り、遺伝情報を伝える際に、重要な働きをするそうですね。

 

「4」という数字は、人類の想像に、一番深く関わった、「エンキ=イザナギ」のシンボルでもあります。

また、私は、「塩基」という単語は、「エンキ」が、語源だったのではないかと、推測しています。

 

 

 

私の実家の近くには、「識名宮」という神社もあります。

ここも、「琉球八社」の一つです。

子供の頃から、この近くに住んでいたのですが、ここには、生まれて初めて行きました。

 

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拝殿です。

 

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至る所に、「三つ巴」のシンボルがありました。

 

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ビックリしたのは、この神社の神紋が、「五つ巴」だったことです。

 

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日本全国、たくさんの神社をまわりましたが、「五つ巴」は、とても珍しいと思いました。

しかも、真ん中には、「菱形」のシンボルがあります。

これも、「エンキ=イザナギ」に関係していると思います。

 

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さて、ここでも、考えてしまいました。

 

「五つ巴」とは、なんでしょうか?

 

私は、すぐに、

 

「五色人のことなんじゃないかな?」

 

と、推測しました。

 

 

ご存知のように、太古の時代、人類の祖先には、大きく分けて、5種類の人種がいて、そこあら、人類の歴史が始まったというい伝承があるのです。

 

一説によると、こういう区分です。

 

黄人=アジア(日本、中国、朝鮮、モンゴル)
赤人=アメリカインディアン、ユダヤ、アラビア、エジプト
青人=北欧、スラブ
白人=ヨーロッパ全般
黒人=アフリカ、インド、アボリジニ(オーストラリア)

 

もしかしたら、「五つ巴」は、これらの5つの人種のシンボルの意味も、含まれているのかもしれません。

 

 

他にも、いくつか解釈できます。

 

「三つ巴」と「四つ巴」と「五つ巴」は、もしかしたら、「龍の指」も、表現している可能性があります。

 

ある人から教えていただいた話です。

 

「日本の龍」の指の数=三本

「琉球の龍」の指の数=四本

「中国の龍」の指の数=五本

 

こうなっているそうです。

もしかしたら、この意味もあるかもしれませんね。

 

 

 

これは、オマケの話です。

 

 

最近、古代史の話をする友人、ゆかさんと、東京都内にある、忍者カフェに行った時に、面白いアイデアを、二人で、シェアしました。

 

 

都内の忍者カフェです。

 

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この店の壁に、「手裏剣」が、飾られています。

 

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その手裏剣を、二人で眺めながら語り合いました。

 

「もしかしたら、神社の神紋は、忍者の手裏剣と、何か関係あるんじゃないかな?」

 

これは、最初に、ゆかさんが思いついたアイデアなのですが、この壁の手裏剣を見ていたら、確信に変わりました。

 

そして、今回の沖縄旅行で、「三つ巴」や「四つ巴」や「五つ巴」の形を見たら、本当にそうだと思いました。

 

 

「三つ巴」の形を、手裏剣にしたと思います。

 

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これは、「四つ巴」だと思います。

 

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そして、これが、「五つ巴」ですね。

 

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わかりましたか?

 

つまり、忍者たちにとって、「手裏剣」というのは、実は、武器ではなくて、現代でいえば、ヤクザなどが、背広などに付けている代紋だったのかもしれません。

 

夜の暗闇の中で、闘うことが多かった彼らは、先に、お互いの手裏剣を投げ合い、それから、暗い空間で、その手裏剣を手探りで、確かめ合い、それから、相手が、敵なのか味方なのかを見極めてから闘い、同士討ちを防いでいたのではないでしょうか?

 

こうやって、裏の歴史を、いろいろ考えると、楽しいですね。

 

 

 

那覇市には、他にも、「琉球八社」の一つ、「天久宮」もあります。

 

小雨の降る中、ここにも立ち寄りました。

鳥居の前で、記念撮影です。

 

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拝殿です。

 

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隣には、「権現堂」があります。

 

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ちなみに、「権現(ごんげん)」とは、日本の神の神号の一つだそうです。

 

「権」という文字は、「臨時」や「仮」という意味で、

 

「仏が仮に、神の形を取って現れた」

 

という意味だそうです。

 

「神道の神」も「仏」の仏」も、源は、同じだということですね。

 

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この建物の中に、興味深いものがありました。

 

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正面の壁にかかっている、三つの垂れ幕のようなものを、見てください!

 

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一つ一つを、拡大します。

 

「三つ巴」の中に、「一」の文字がありますね。

 

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「二」の文字です。

 

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それから、「三」の文字です。

 

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わかりましたか?

 

「一(ひ)」と「二(ふ)」と「三(み)」という意味です。

 

「一二三神示(ひふみしんじ)」です!

 

別名は、「日月神示(ひつきしんじ)」ですね。

 

 

つまり、「天久宮」は、「日」と「月」が、隠されたシンボルマークだったということです。

 

 

 

繰り返しますね。

 

「太陽」と「月」の二つで行われる天体ショーが、「日食」なのです。

 

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そして、さらに、その象徴は、

 

「一旦、暗闇になり、それから、再び光の世界が復活する」

 

これは、「天の岩戸」の「天照大神」です。

 

つまり、「天照派」のシンボルなのです。

 

また、「復活」というのは、「キリスト」のシンボルでもあります。

 

だから、「日」と「月」で表現されるシンボルは、

 

「キリスト」=「天照大神」=「天照派」

 

こうなるのです。

 

 

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もう一度、「千葉神社」の神紋を、思い出してください。

 

これも、熊野から、補陀落渡海で、房総半島に辿りついたグループのシンボルでしたね。

 

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そして、これは、沖縄県民であれば、誰でも知っている、「沖縄県」のシンボルです。

 

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ハイ!

 

現代において、「沖縄県」こそが、「天照派」の本部になっているのです。

 

断っておきますが、物理的に、団体や組織があるわけではありませんよ。

そんな名前の事務所など、どこにもありません。

 

そして、「古事記」などに書かれている、「天照大神」とも、少し意味は違います。

 

 

これは、私の個人的な定義です。

 

沖縄で生まれ育った人間、それから、沖縄が大好きで、移住したり、観光に来た人々の、魂の中に、「愛」と「平和」の遺伝子を、そっと宿していく。

 

そういう霊的な意識が、「天照大神」のスピリットなのです。

 

 

そして、「天久宮」に隠された、本当の御祭神が、この神様なのだと思います。

 

「天久宮」の「天」の文字は、広い意味での「天照大神」だと思います。

 

 

 

次回、「沖縄ニライカナイツアー」、感動のフィナーレです。

 

 

 

 

 

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沖縄ニライカナイツアー 11 アマミキヨ

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沖縄の滞在は、短かったのですが、とても有意義で、たくさんの発見がありました。

 

 

ある日の午後には、沖縄県の南部を、皆で、まわりました。

遠足気分で、楽しくまわりました。

 

 

「チチンガー」という所にも行きました。

場所は、大里村です。

 

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水が湧き出している井戸です。

世界中、どこでもそうですが、沖縄でも、やはり、美味しい湧き水があるところに、お城や集落はできます。

いつの時代でも、どこの土地でも、一番大切なのは、「水」なのです。

 

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案内板です。

 

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この日は、天気もよく、高台からの景色も最高でした。

たまに、車を停めて、皆で、素晴らしい景色を眺めました。

 

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「イビ御嶽」という所にも行きました。

 

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とても良い氣賀が、充満していました。

いつもまでもいたくなる心地よい空間でした。

 

 

ここでも、記念撮影しました。

 

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「奧武島」にも行きました。

 

ここは、沖縄本島の南部にある、小さな島ですが、「おうじま」と読みます。

 

もしかしたら、太古の時代には、「王島」だったかもしれません。

地球の王だった、「アヌ王」や「エンリル」の拠点だったのかもしれません。

 

同じく那覇市にある、「奥武山」という地名も、昔は、「王の山」だった可能性もあります。

 

 

 

この島にも、「観音堂」がありました。

 

 

鳥居です。

 

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この鳥居にある模様は、一般的には、「月」だと解釈されているようですが、私には、「日食」に見えました。

前回書いたように、「天照大神」のシンボルですね。

 

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「奥武観音堂」と書かれています。

 

書かれている木製のものにも、注目してください。

小さいながらも、形は、エジプトなどに建っている、「オベリスク」ですね。

「地球の王」のシンボルです。

 

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本堂の前で、記念撮影しました。

 

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貫禄がありますね。

 

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本堂の中です。

 

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本堂の裏側には、ガジュマルの樹がありました。

沖縄らしい風景ですね。

 

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沖縄本島の南部には、他にも、面白い場所がありました。

場所は、南城市佐敷です。

 

 

ここは、「月代宮(つきしろのみや)」と呼ばれているパワースポットです。

 

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勘のいい方は、もうわかりましたね。

 

文字通り、「月の代わりになるもの」という意味です。

 

「月のようなもの」ということです。

 

空を見上げて、「月」と同じような形と光になる現象は、一つしかありません。

 

そうです。

 

「日食」です。

 

ここでも、また、「天照大神」のシンボルが出てきましたね。

 

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石段を登っていきました。

 

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小さな祠がありました。

 

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この祠の裏には、やはり、「三つ巴」がありました。

 

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そして、いよいよ、今回の旅行での一番のハイライトです。

 

ここも、沖縄本島の南部にあるのですが、いろいろな事情があって、詳しい場所は、このブログでは書けません。

 

そもそも、私も、車で連れていってもらったので、未だに、名前も住所も知らないのです。

沖縄の古代史などに詳しい、歴史マニアの方なら、知っていると思います。

 

 

詳しく書けないのは、個人の自宅でもあるからです。

駐車場もなく、もちろん、観光地でもありません。

看板なども、いっさいありません。

 

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沖縄の場合、こういう所に、本物があることが多いのです。

旅行記の冒頭に書いたように、沖縄県の神社というのは、基本的に、「家庭」なのです。

 

 

何の変哲もない、普通の居間に、仏壇のようなものが、いくつか置かれているだけの質素な家です。

しかし、この家こそが、沖縄の古代史、それから、裏の日本史を繋げる、最重要な場所だったのです。

 

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皆で、壁に貼られている、「琉球王国の家系図」を見ている場面です。

 

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凄いです。

こんなに詳しい家系図は、初めてみました。

どこにもない資料です。

 

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この居間の壁に並んでる置物に、注目してください。

 

 

まずは、「三つ巴」のシンボルですね。

やはり、ここも、「天照派」の拠点ですね。

 

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そして、この正面に置かれている、「トゥトゥメー(位牌)」を見てください!

 

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祭られている神様の名前です。

「阿摩美姑神」と書かれていますね。

 

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そうです。

 

「アマミキヨ」

 

という古代琉球において、最重要な神様です。

 

 

古代琉球の開闢伝説です。

だいたい、こういう内容です。

 


この世の初まりは、女神の「アマミキヨ(アマミチュー)」、それから、男神の「シネリキヨ(シルミチュー)」の二柱の御神(オテダ、オチチ)のあがり口にて、生まれ給いぬ。

七日七夜の後に、上り来られたり、これまでは、天と地分かたず。
夜と昼なし、即ち神は、「二ライカナイ」に居られたり。
然して、神が、「ミントングスク」に降らせられたる時に、初めて天と地と分かれ、夜と昼の分け生じたり。

 

 

とても興味深い伝説ですね。

 

現代風な解釈は、学者によって、違うようです。

たくさんあるので、割愛させていただきますが、大まかな意味は、わかると思います。

 

ちなみに、肝心な部分を、少しだけ部分解釈しておきます。

 

「おてだ=太陽」と「おちち=月」が、「上り口=水平線」で生まれ、ミントングスクに降臨した。

 

こういう意味だそうです。

 

そうです。

 

こここそが、「アマミキヨ」の誕生した聖地なのです。

 

 

気がついた人も、多いと思いますが、「イザナギ」と「イザナミ」の夫婦神の話と、そっくりではないですか。

私は、これらの神々は、同一神だと思っています。

 

「イザナギ」=「シネリキヨ」

「イザナミ」=「アマミキヨ」
 
こうなるのです。
 
 
もちろん、この二柱は、同時に、「天照大神」でもあるし、「天照派」の始祖でもあります。
そして、シュメールの神様、「エンキ」と「ニンフルサグ」でもあるのです。
同じ魂グループだということです。
 
 
古代琉球の伝説の中には、
 
「この場所が、この世の始まりだった」
 
という話もあるということです。
 
 
 
そして、さらに、その位牌の下にある、神紋を見てください!
 
おそらく、「アマミキヨ」のシンボルマークだと思います。
これに、驚嘆しました。
 
その場で、
 
「うわ~~!!」
 
と声を出したほどです。
 
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わかりましたね?

 

栃木県宇都宮市の「二荒山神社」にあった、シンボルマークです。

 

この神社にある神紋ですね。
「菊の三つ巴」です。
 
「三つ巴」と「菊花紋」が、合わさっています。
 
「日本という国家の中枢には、天照派のグループがいますよ」
 
こういう意味です。
 
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栃木県宇都宮から、遠く離れた沖縄本島の南部にも、似たようなシンボルがあったのです。
 
 
これは、モチロン、「黒潮ロード」によって繋がっていたからです。
 
「沖縄」 ⇔ 「熊野」 ⇔ 「栃木」
 
この三か所は、古代においても、海の道で結ばれていたのです。
 
 
もう一度、「黒潮ロード」の地図です。
 
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そして、古代においては、現在の房総半島の銚子のあたりから、栃木県のあたりまでも、「香取浦」から、「鬼怒川」を通って、小舟に乗って移動することが、可能だったのです。
 

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「沖縄のアマミキヨの聖地の神紋」=「栃木県の二荒山神社の神紋」

 

このように、二つの土地のシンボルが、とても似ているという状況証拠が、古代において、これらの二つの土地の歴史に、深い関係があったと、物語っているのです。

 

 

もう一度、沖縄の「アマミキヨ」の神紋です。

大感動しました~!

 

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このように、「熊野」から始まった、「補陀落渡海」は、東は、「栃木」、それから、西は、「沖縄」の土地まで、強い影響を与えていたのです。

 

この三つの土地は、根底には、同じような世界観や思想をもっているのです。

それは、「愛」と「平和」です。

 

 

 

この家の裏に、小さな小山があるのですが、ここにも、興味深い場所がありました。

 

 

ここです。

 

「アマミキヨ」の墓だと、言われているそうです。

 

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ここは、「シネリキヨ」の墓だそうです。

 
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この二人の神様、「アマミキヨ」と「シネリキヨ」の墓だと言われている場所は、他にも、「浜比嘉島」など、複数ありますが、私は、この土地のエネルギーを感じて、ここも、間違いなく、本物の墓だと思いました。
 
 
 
海の彼方に目をやると、そこには、「神の島」と言われている、「久高島」も見えました。
 
「斎場御嶽」以外にも、この景色が見える場所があったのですね。
間違いなく、ここも聖地ですね。
 
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これは、別の場所から眺めた、「久高島」です。
 
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古代の琉球の人々も、こうやって、海の彼方にある、「ニライカナイ」に思いを寄せていたのだと思うと、何とも言えない感動が、身体の奥から、また、じわじわと湧き上がってきました。
 
全ての人々の夢や願いが、全部叶う理想郷、そして、愛と平和の楽園、「ネガイカナイ」、つまり、「ニライカナイ」は、この沖縄の土地から始まるかもしれませんね。
 
 
 
 
「沖縄ニライカナイツアー」の旅行記は、これで終了です。
 
どうでしたか?
ちょっと長かったけど、いろいろなことが、繋がったと思います。
 
沖縄の旅の最終日には、飛行機が飛び立つ、ギリギリまで、友人たちと、語り合っていました。
 
那覇空港での記念撮影です。
 
楽しかったですね~!
また、夏にも行きますね。
 
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では、最後に、恒例の締めの一言です。
今回は、沖縄の民謡です。
 
 
赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)
黄金灯籠提げてぃ(くがにどぅーるーさぎてぃ)
うりが灯がりば(うりがあかがりば)
弥勒御迎え(みるくうんけー) 
 
(囃子)
しーやーぷー しーやーぷー みーみんめー みーみんめー
ひーじんとー ひーじんとー いーゆぬみー いーゆぬみー

大国の弥勒(だいくくぬみるく)
我が島に往もち(わがしまにいもち)
御拡きぼせみそうり(うかきぶせみそうり)
弥勒世果報(みるくゆがふ)
 
 
「赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)」より
 
 
※ 大まかな歌の意味です。
 
赤田首里殿内に、黄金の灯籠をつり下げて、それが明るくなれば、弥勒様をお迎えしよう。
大国(中国)の弥勒菩薩さまが、わたしたちの島においでになって、お治めくださいますように。
弥勒の世界を、もたらしますように。
道々の巷で、唄を口ずさみ遊ぼう。
弥勒の世界の到来も、だいぶ近くなったようだ。
 
 
※ 囃子の部分、私の個人的な解釈です。
 
しーやーぷー しーやーぷー 
 
歌の最中に、「ほっぺた」を引っ張る動作をします。
ほっぺたの大きな、「ミルク神」を表現していると思います。
 
みーみんめー みーみんめー
 
これは、「耳」を引っ張る動作をします。
同じく、耳の大きな、「ミルク神」を表現していると思います。
 
ひーじんとー ひーじんとー 
 
片方の手で、もう片方の「肘」を触ります。
これは、「直角三角形」の定規の意味で、「古代フリーメーソン」、つまり、古代中国の始祖である、「伏羲」と「女媧」という二人の神様を表現していると思います。

この二人の神様は、同時に、「エンキ」と「ニンフルサグ」であり、「イザナギ」と「イザナミ」でもあります。

 
いーゆぬみー いーゆぬみー
 
片方の指で、もう片方の手のひらを、グリグリする動作をします。
これは、十字架に磔になった、「イエス・キリスト」の手のひら、つまり、「聖痕」を示していると思います。
 
 
 
最後に、もう一度、「ミルク神=弥勒菩薩)=キリスト」です。
 
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沖縄ニライカナイツアー エピローグ

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今日の昼間は、都内にある近所のお寺、「池上本門寺」に、一人で花見をしてきました。

なんとなく、桜の花を眺めながら、いろいろなことを、考えながら、散歩したくなったのです。

 

 

とても綺麗に咲き誇っていました。

 

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「沖縄ニライカナイツアー」を、最後で読んでいただき、ありがとうございます。

たくさんの感想メールにも感謝です。

 

 

さて、オマケの話題です。

スポーツを終えた後のクールダウンのように、軽く読み流してくださいね。

 

 

 

今回の旅行記のオマケは、「空手」の話です。

 

 

まず、「空手」の歴史から、沖縄を見てみましょう。


沖縄には、素晴らしい文化が、たくさんあります。


沖縄料理、琉球舞踊、琉球空手、歌、楽器、伝統工芸、陶器、着物など。
その中でも、「空手」は、ユニークな文化だと思います。

外国に行った時に、「OKINAWA」と言っても、わからない人のほうが多いです。
「JAPAN」は、知っているけど、「OKINAWA」は、知らないのです。

でも、「KARATE」と言えば、たくさんの人が、知っています。

 

2020年の東京オリンピックでも、競技として採用されましたね。

これも、今から楽しみです。


沖縄本島にある城址公園を訪れると、よくわかるように、沖縄は、外からの防衛に対して、常に気を付けていました。

しかし、これだけ、島中に城を築き、監視の目を光らせていたのに、関ケ原の戦が終わって、しばらくしてから、1609年に、琉球国王の居城である首里城が、薩摩軍に占拠され、島津藩の支配下に置かれます。
細かい記述は省略しますが、島津藩は、当時の琉球に対して、豊臣秀吉がやったように、「検地と刀狩」をやったそうです。
つまり、琉球の人たちは、武器を持てなくなったのです。


琉球には、かなり昔から、「手(てぃ~)」と呼ばれた、沖縄古来の武術があったようです。
ある時期から、琉球王国と中国との進貢貿易によって、中国から伝わった中国拳法と融合して、「唐手(からて)」となったと言われています。


その後で、薩摩藩からの刀狩によって、武器を取り上げれたために、ますます、その技術に磨きがかかったようです。
それが、「空手」の始まりだと言われています。


薩摩藩には、手足を武器にしていることが、わかると処罰される可能性もあったために、空手を学ぶ人たちは、夜中に、こっそり修練していたようです。
巻き藁なども、隠れて突いていたようなのです。


場合によっては、空手を修練していることを、家族にも内緒にしている人たちもいて、空手家の集団は、沖縄における、「秘密結社」のようになったようです。

武器も、刀以外の農耕器具が、使用されたそうです。


代表的なのが、「ヌンチャク」ですね。

これは、ブルース・リーが、映画で披露したために、中国の武器だと思っている人も多いようですが、もともとは、沖縄の武器です。


「トンファー」というのは、一般の人は、よく知らないと思いますが、「T」字の形の木製の武器です。
30年以上前に、アメリカの警察で、警棒として、正式採用されてから、世界中に広がりました。


何度か書いているので、ご存知の方も多いと思いますが、私自身も、18歳から22歳まで、「空手」をやっていました。

沖縄県那覇市の空手道場で、汗を流していました。

 

途中から、筋トレのほうが、面白くなって、そのまま、力の競技である、「パワーリフティング」のほうに、活躍の場を移しましたが、那覇市の道場で、約4年間、修行しました。

 

「剛柔流」という流派でした。

この流派は、私の母方の曽祖父、宮城長順先生が、体系化した空手でした。



宮城長順先生です。
強そうでしょう。

私の自慢の曽祖父です。


ちょっと読みにくいのですが、書いてある言葉は、

「人に打たれず、人打たず、事なきを、もととするなり」

と、書かれています。

これは、長順先生の遺訓だそうです。

$精神世界の鉄人のブログ



数年前に、「ジャッキー・チェン」が、リメイク版で主演していますが、もともとの映画、「ベストキッド」の中に、沖縄出身の空手家、「ミスター・ミヤギ」という人物がでてきますが、この人物のモデルでもあります。

ある意味、世界的には、とても有名な日本人だと言えると思います。
ただし、このミスター・ミヤギのモデルである、長順先生のことは、あまり知られていません。
武道や格闘技のマニアの中では、有名人ですが、一般の人は、ほとんど知らないと思います。

懐かしいですね~




長順先生は、私の祖母の父だったのですが、祖母から、いろいろな武勇伝や怪力話をよく聞きました。

子供のころ、一番聞いて驚いたのは、祖母が、銭湯で見せてもらったそうですが、空手の型をしながら、睾丸を身体の中に、腹筋の力で、埋めて見せることができたそうです。

ほかにも、牛の肉を、凄まじい握力で、握ってちぎり取った話など、興味深い話が、たくさんありました。

この長順先生は、当時の沖縄の人たちから、「ブサー・マーグスク(武士の宮城)」と、呼ばれていたそうです。


沖縄に住んでいる方は、那覇市の那覇商業高校の隣に、松山公園という場所があり、そこの公園の中に、宮城長順先生の石碑が建っているので、時間があったら、見てみてもいいと思います。


20歳くらいのころ、その石碑の除幕式があり、ひ孫である私が幕を開けました。
大勢の人の見ている前で、とても誇らしかった思い出があります。
ただ、先祖に、こういう偉人がいると、心理的に、プレッシャーになるというのも事実です。

「よし、自分も、ひいおじいさんに、負けないような男になるぞ!」

こう思った記憶が、あります。



2年前の沖縄旅行では、ここにも、立ち寄りました。
 

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「東恩納寛量」という方が、中国で修行した憲法を、「宮城長順」という私の曽祖父が、沖縄や日本で広めたという意味の記念碑みたいです。
 

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私の曽祖父の称号に、「拳聖」と刻まれています。
たくさんの武道家や格闘家の中で、この称号が刻まれている人は、いないと思われます。
凄い武道家だったようです。
 

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「武」という文字は、「戈を止める」という意味だそうです。
「戈」というのは、「矛(鉾)」のことです。
「槍」や「銛」の意味も、あるみたいですね。
要するに、「武器」です。

つまり、

「武とは、理不尽な暴力や権力を止める行為」

という意味が、込められているそうです。


だから、「格闘技」と「武道」は、違うのです。

「格闘技」が、どちらかというと、ボクシングやレスリングのように、一定のルールのもとで、公平に闘い、技や勝敗を競うことに対し、「武道」は、闘うことが、目的ではなく、あくまでも、無法者や無礼者などの理不尽な横暴や暴力を、止めるための心構えや技を、磨くための道なのです。

自分や社会を、よくしていこうとする道だと、言ってもいいですね。

だから、空手などの武道では、昔から、

「空手に先手なし」

という言葉があるのです。

「なるべく、ギリギリのところまでは、争いごとは避けるようにする。そして、自分からは、絶対に喧嘩など吹っかけない。だが、いざ闘わなければいけない状況になったら、なるべく、自分も相手も、被害を最小限にし、さらに遺恨を残さないように、すみやかに戦いを終わらせる。そのためには、一撃必殺の技を、普段から身に着けるように稽古する。ただ、その技は、一生に一度、使うことがあるかどうかである。使わないにこしたことはない。それを一度も使わないのが、いい人生である」

こういうニュアンスの意味だと思います。


格闘技が、勝負に勝つことを目的に訓練するのに対し、武道は、そもそも勝負自体を、人間の哀しい行為だと考えるものなのだそうです。

だから、もし勝負で勝っても、ボクシングのように、

「アイ アム ア チャンピオ~ン!」

などと、ガッツポーズなどして叫ばずに、負けた相手にも礼をして、しっかりと礼儀をつくし、もしも、相手が亡くなった場合も、供養もするというのが武道なのです。

今でも、スポーツや格闘技なども、大好きですが、やはり、「武道」という言葉には、どこか特別な尊敬や哀愁を感じます。



宮城長順先生については、祖母から、いろいろ話は聴いていましたが、書籍などの記録には、特別に豪快な武勇伝は、残っていません。

若いころは、少しムチャをやったり、暴れたりしたこともあるみたいですが、武道家として、名前が売れてからは、喧嘩をしたりしたことが、ほとんどなかったみたいです。

ただ、長順先生の孫弟子に、「極真カラテ」の創始者、「大山倍達」などの達人がいることなどからも、相当な達人だったことは、予想がつきます。


考えてみたら、若いころはともかく、武道家としてある程度の立場になったら、くだらない喧嘩などしないのが、本来の姿だと思います。

武道家で、武勇伝が、たくさん残っているということは、もしかしたら、それだけ、無益な争いが、多かったということではないでしょうか?

たとえば、居酒屋で、酔っぱらったヤクザに絡まれても、このヤクザをと喧嘩をして、やっつけるのは、同じようなチンピラだと思います。
格闘技の選手だったら、一発ぶん殴って、終りにするかもしれません。

ただ、これが、武道家だったら、すぐにお辞儀をして、お詫びをして、その場から、すみやかに、立ち去るでしょう。
または、ニコニコ笑いながら、相手にも周囲にも、わからないように、痛くないように、やさしく、技をかけて、眠らせるかもしれません。

ヤクザを、ぶん殴ってやっつけたら、武勇伝が残り、周囲から注目されたり、自慢ができるかもしれませんが、お詫びをして、その場から立ち去れば、目立たないし、武勇伝は残りません。
でも、本当の武道の達人は、こういう目立たない行為が、できる人たちばかりだったと思います。

さらに、本当に賢い武道家だったら、そもそも、そのようなヤクザが、絡んでくるような居酒屋には、行かないと思います。
少し高くても、上品で、礼儀をわきまえている人たちが集まるような店で、お酒を飲むかもしれません。
もしくは、酒場など行かずに、家で奥さんや娘と晩酌するかもしれません。
もっと凄い達人になると、健康に悪いと思ったら、お酒そのものを、意志力でやめてしまうかもしれません。

こういう地味な強さは、わかりにくのです。
でも、私は、こういう強さに憧れるし、これが、本当の強さだと思うのです。

前述の長順先生の

「人に打たれず、人打たず、事なきを、もととするなり」

というのは、弟子たちへの最後の遺訓だそうですが、それが、人間の生き方の理想だと思います。

 

 

 

他にも、長順先生の話で、印象的な話があります。

 

 

ある時、弟子の一人が、様々な他流試合で、全戦全勝をして、それを誇らしく、周囲の人たちに、自慢していたそうです。

 

その時に、師匠である長順先生が、この弟子を呼びつけ、珍しく、強く叱ったそうです。

 

「あなたたが打ち負かして、勝ったという自慢話を、もしも、負けた相手、それから、その家族や友人たちが聞いたら、どんな気持ちにあるか、考えてみなさい!」

 

その時の説教が、そういう話だったそうです。

 

世の中には、たくさんの武道家がいますが、弟子に、こうやって、自慢話を戒める師匠は、とても少ないと思います。

まさに、本物の武道家だったのだと思います。


祖母から聴いた話によると、長順先生は、空手の試合や稽古よりも、気をつけていたのは、なんと、「戸締り」だったそうです。

空手そのものよりも、家の戸締りに、一番注意していたそうです。

おそらく、当時、

「長順先生を負かして、有名になっってやろう!」

という喧嘩自慢や腕自慢が、たくさんいたためだと思われます。

そういう無益な争いを避けるため、家族に危害が及ばないために、一番気を配っていたのかもしれません。
これが、「武道」だと思います。

臆病さから逃げるのではなく、あくまでも、無益な争いは、その3歩くらい手前で止める。
これができる人が、武道の達人なのだと思います。

昔からの諺でも、

「君子は、危うきに近寄らず」

と言いますね。


私も、空手をやめてから、パワーリフティングをやっていた頃、武道家では、なかったのですが、いつも、「武道」の心構えが、頭から、離れなかったです。

私の場合は、

「なるべく、人間関係で、もめごとが起こっても、強い腕っ節で、解決しないようにする。できるだけ、穏やかな話し合いで、解決するようにする」

こういうこだわりが、ありました。
なんか、一番得意な腕力で、問題を解決するのは、とても恥ずかしいことだという意識が、どこかであったのです。

「武道」というものを、別の言葉で、言い換えると、

「美学をもって、生きる生き方」

と言っても、いいかもしれませんね。

「ダンディズムのある人生」

と、言ってもいいかな?
 

 


国で考えたみた場合、世界中のほとんどの国は、悲しい事に、まだ、「チンピラ」の段階です。

発展途上国のほとんどは、「チンピラ」か、「腕自慢」や「喧嘩自慢」です。
アメリカやヨーロッパなどの先進国は、「格闘家」のような気がします。


そういう中、日本という国は、唯一、世界でも、「武道家」の国だと思います。


憲法第九条などの平和憲法は、「武道家の精神」を、見事に表しています。
いろいろ改善点も、多いかもしれませんが、これは、武道家の心構えです。

よく、否定的な意見で、

「口先だけで、平和が守れるか?」

という意見を聞きますが、そうではなく、憲法第九条というのは、

「口先だけで、平和を守ってみせる!」

という決意の表現なのだと、思います。


逆に言えば、口先だけで平和を守るには、よっぽど強くなくては、難しいということです。

あと、ずば抜けた賢さも、同時に必要になってきます。

これは、推測ですが、日本という国は、戦後73年くらいの間、

「アメリカの属国だ! いいなりだ! 情けない国だ!」

と国民から、馬鹿にされながらも、73年くらいの間、直接日本の土地を戦場にしなかったり、他国でも直接の戦闘をしなかったことは、もっと高く評価しても、いいのではないでしょうか?

たしかに、情けなさすぎる一面もありますが、それは、部分的なもので、もしかしたら、日本は、居酒屋で、ヤクザから、喧嘩を、吹っかけられても、謝って潔くその場を立ち去るような、武道家の姿勢を、73年ほど、やっていたのかもしれません。

ただ、この強さは、わかりにくいです。
武勇伝も残りません。

もしかしたら、戦争が起こりそうな、3歩くらい前で、くい止めていたのかもしれませんが、地味な動きなので、歴史にも残らないでしょう。
この日本の姿勢や強さに、世界中が気がついて、感動するのは、もしかしたら、100年後の22世紀になってからかもしれません。



2年前の沖縄旅行では、私が昔、お世話になった道場も、訪問しました。

久しぶりに、お世話になった先輩たちも会いました。
考えてみれば、私の現在の精神力は、ここで、鍛えられたんですよねー


もうあれから、30年くらいになります。
ここで稽古して、汗を流したのは、青春の思い出です。
 

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道場内には、宮城長順先生の銅像もありました。

 

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いろいろな訓練具です。
これで、うんと鍛えました。
 

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巻き藁です。
 

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ここからが、本題です。

最近、面白いことに、気が付いたのです。

 

 

見てください。

これは、武道の神様だそうです。

神棚に置かれていますね。
 

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わかりましたか?

 

もう一度、旅行記の中の写真と説明文を、掲載しますね。

 

 

古代において、奈良県の吉野で、修験道の開祖だと言われている、「役小角」が、人祖であり、自分の祖先でもあった、若い頃の「イザナギ」の姿を、桜の木を使って、木彫りの仏像を作ったそうです。

それが、「蔵王権現」だそうです。

 

現在でも、それは、吉野の「蔵王堂」に置かれているのです。

そして、この頃から、多くの人々が、吉野の里に、桜の木を植えるようになり、現在の桜並木の土地になったそうです。

 

去年、「蔵王堂」にも、立ち寄りました。

 

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これは、別の人が彫った仏像ですが、全ての「蔵王権現」の仏像に共通しているのは、片足で立っていることです。

 

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最初は、意味がわからなかったのですが、ちょっと考えたら、わかりました。

下半身がヘビの形なのです!

「エンキ」ですね~!

 

「片足で立っている」のではなく、「下半身がヘビ」だったということです。

「宇賀神」でも、あったということです。

 

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当時の人々は、素の姿の「イザナギ」の姿を見て、

 

「片足で立っている」

 

と思ったのだと思います。

 

 

 

ハイ!

 

そうです。

 

「武道の神様」の正体も、この神様だったのです。

 

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つまり、心が優しすぎる、自分の子孫である、「天照派」の人々に、

 

「もっと強くなりなさい! 人を攻撃する必要はありませんが、自分の身くらいは、自分で守りなさい。理不尽な悪人から、家族を守りなさい!」

 

こう思って、教えたのが、「武道」だったのではないでしょうか?

 

「自分からは、手を出さないが、理不尽な暴力は、それを制する技は、常にもっていて、いつでも使う用意がある」

 

こういう姿勢を、教えたのが、「武道の神様」であり、日本人、それから、全ての人類の父である、「イザナギ」であり、「エンキだったのかもしれません。

沖縄では、「シネリキヨ」ですね。

 

 

こうなります。

 

「イザナギ」=「イザナギ」=「宇賀神」=「蔵王権現」=「シネリキヨ」=「武道の神様」

 
いや~!
面白すぎますね!

 

 

結論です。

 

つまり、「武道」というのは、人類の父である神様から、子である人間たちへの厳しくて優しい、素敵な「プレゼント」だったのかもしれないということです。

 

 

 

 

 

☆恒例の「ボツになった写真集」です。

ストーリーの関係上、掲載できなかった写真たちです。

特に深い意味はありません。

 

 

 

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書籍「地球を創った魔法使いたち」

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いつも、旅行記を読んでいただき、ありがとうございます!

 

ご存知のように、今年の2月から、私の本が、発売になっています。

すでに、多くの方に購入していただいています。

たくさんの感想メールにも、感謝です。

 

 

宇宙考古学や古代に、興味のある方、全国の販売店(販売員)から、お買い求めください。

 

この本は、基本的に、書店などでは販売しません。

なお、アマゾンなどでのインターネット販売もしません。

下記の販売店(販売員)のみの販売になります。

 

 

この本は、ベストセラーなども狙っていません。

大量販売もしません。

本当に読みたい方だけに、お届けしたいと思って、このシステムにしています。

 

15年くらい前にも、「精神世界の鉄人」というタイトルの本を発売しましたが、その時も、このやり方でした。

お蔭さまで、この時の本も全部売り切れ、現在は絶版になっています。

 

今回も、その時の同じ部数を、自費出版で刷りました。

2000冊です。

 

今の時点では、増刷なども考えていません。

だから、2000部限定になると思います。

縁のある方にだけ、届いたらいいと思っています。

 

この後にも、第二巻、第三巻…、こう続きます。

 

当初は、全6巻で完結になる予定でしたが、その後、次々と新事実を発見したので、全8巻になるかもしれません。

各巻とも、同じく、限定部数、2000冊になると思います。

 

 

約4年間、日本中を飛び回って調査した、宇宙考古学と古代史の集大成です。

最高に面白い内容になっています。

 

 

〇「地球を創った魔法使いたち 1巻 ~天空より飛来した人々~」

 

著者:十真至

定価:2500円+税 

ページ数:320ページ

「童楽出版」 (自費出版です)

 

 

表紙を開いたら、こういうデザインになります。

 

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本を立てた時のイメージです。

 

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☆本書、「地球を創った魔法使いたち」は、原則として、書店では購入できません。

下記の販売店から、ご購入ください。

 

 

〇書籍「地球を創った魔法使いたち」の販売店一覧です。

 
 
 
 
 

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悪魔のナンバー 666

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「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者に、その右手か額に、刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とは、あの獣の名、あるいは、その名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを、考えるがよい。数字は、人間を指している。そして、数字は、666である」

 

「新約聖書 ヨハネの黙示録 13章16-18節」

 

 

 

聖書の中での有名な預言、「ヨハネの黙示録」ですね。

いわゆる、「666の悪魔」の話です。

 

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日本では、昔、「オーメン」という映画で、一般の人々にも、広く知られましたね。

 

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私は、いわゆる、「陰謀論」というものを、調べ始めたのが、1990年くらいからなので、これについて調べ始めて、かれこれ、28年くらいになります。

 

これの解釈については、学者によって諸説あります。

いくつか説があるので、紹介しますね。

 

ある数秘術をつかって、「666」のナンバーを、人間の名前に当てはめると、何人か候補があがります。

イギリスの「チャールズ皇太子」は、よく言われるようです。

あと、生年月日で、割り出すと、年、月、日が、「666」になるのは、10年間に4回しかないようで、これを、世界中の有名な政治家などの生年月日を、スーパーコンピューターに入力すると、旧ソビエトの「アンドロポフ書記長」が、これにあてはまったという話もあります。

 

他にも、いろいろな算出法があり、ドイツの「ヒットラー」、旧ローマ帝国の「ネロ皇帝」なども、当てはまるようです。

 

また、ベルギーに、世界中の人々の個人情報をストックしてある、超巨大コンピューターがあるのですが、このコンピューターの名前が、「Beast(獣)」だそうです。

 

このコンピューターに、世界中の人々の個人情報が集められていて、特に、「クレジットカード」からの情報が厚雨れれていることから、1990年代にには、

 

「666の悪魔とは、クレジットカードを管理している組織である」

 

という都市伝説なような噂が、かなり広がった時期もありました。

 

 

これも、有名な話ですが、日本で、昔、「500円玉」を造り、日本経済の中で、循環させることを計画したのも、この紙幣や貨幣を造幣している勢力だったようです。

 

1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉

 

全部合計すると、いくらになりますか? 

そうです、666円です。

 

 

あと、面白い説としては、私たちの世代は、ある計算によると、地球に人類が誕生してから、666代目の世代だそうです。

 

666世代、家系を遡れば、一人の女性にいきあたるという計算からだそうですが、そういえば、地球にとって、一番酷いことをしている悪魔のような存在が、私たちの世代の人間ですね。

 

「666の悪魔は、私たち現代の人間だった!」

 

こういう解釈も可能です。

 

 

ちなみに、私の誕生日は、1966年10月6日ですが、パスポートやアメリカのID(身分証明)には、「OCT-6-’66」と記入されていて、アメリカに住んでいた頃、よく、アメリカ人から、

 

「悪魔のナンバーだー!」

 

と言われました。(笑)

 

 

ちなみに、西洋では、「悪魔のナンバー」ですが、東洋では、「三つの六」で、「弥勒(ミロク)」になります。

 

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沖縄では、「ミルク神」でしたね。

 

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こういう歴史の長い預言には、たくさんの解釈が可能であり、また、どれも部分的に正しいのです。

 

聖書などは、とても長い歴史がありますが、他の「古典」といわれている書物と、別格なのは、新しい時代になり、新しいっ知識や情報がわかった段階で、その預言の真意が、よりいっそう解き明かされるからです。

 

 

たとえば、聖書の中に、ある大家族の話がでてきます。

 

その話は、家族のうちの一人が、家出をして放浪した後、実家に帰ってくるという物語ですが、これは、昔は、

 

「家族は、皆、仲よく暮らすのが、一番いいことです」

 

という道徳として、読まれていました。

 

 

それが、20世紀になり、天文学の科学技術が進み、太陽系の全貌が、だんだんわかってくると、

 

「この物語に出てくる人々は、それぞれが、太陽系の惑星たちのことで、惑星の運行などの意味を、暗喩していた」

 

ということがわかり、世界中の天文学者たちを、驚嘆させました。

 

 

それから、21世紀になり、コンピューターの技術が発達したら、今度は、その部分を、ヘブライ語にして読むと、その箇所が、暗号になっていて、それを、解読すると、様々な出来事の予言になっていたということがわかり、科学者たちを、さらに驚かせました。

 

「何年の何月何日に、ここの国の、この政治家が、暗殺されるであろう」

 

こういう予言が書かれていて、実際に、その暗殺が実現していたことも、わかったのです。

 

 

冒頭の「ヨハネの黙示録」についても、時代が変化しても、新しい科学的な事実がわかるたびに、新しい解釈が生まれ、そのたびに、科学者たちを驚嘆させているのです。

 

 

 

こういう話もあります。

 

数字の「9」と「6」は、「勾玉」の形だとも言われています。

 

お母さんの子宮の中で、胎児が、最初に、生命体の形になった時の姿が、この数字の源だそうです。

だから、この形は、「生命力」を表現しているそうです。

 

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自然界では、渦の形などが、「黄金比」になることも、多いそうです。

黄金比とは、縦と横の長さが、「1:1.618」となっている長方形で、人は、この比率を見ると、「美しい」と感じるそうです。

身近な例では、「名刺」が、この「黄金比」の大きさになっているそうです。

 

 

さらに、「黄金比」で構成された長方形の中に、小さい「黄金比」で、構成された長方形を、縦に入れ込むと、「1:1」の正方形と、「1:1.618」の小さな「黄金比」が、現れます。

これを、「黄金分割」というそうです。

 

この分割を繰り返していくと、無限小まで、同じパターンが、フラクタル図形のように繰り返され、角を結ぶように、曲線で繋げると、「アンモナイト」のような対数螺旋が、出来上がります。

 

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渦を巻く羊の角が、「黄金比」を表して、「大きい羊」と書いて、「美」という漢字になるのも、何か意味があるのかもしれません。

 

「勾玉」の形は、縄文時代の遺跡からも、装飾品としても、たくさん出土されています。

これは、古代人たちが、この形が、「胎児の形」に似ていることに気がつき、これに、「神」を感じたのではないかとも、言われています。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」も、そうですね。

 

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これに関連している話で、とても面白い話があります。

「九州」が、この形だったのです!!

 

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凄いんじゃないですか~!

たしかに、いつも、九州を見ていると、なんとなく、「美しいな…」とは、感じていましたが、「神の創った島」だったんですね。

 

しかも、「九州」には、「9」が、入っています。

だから、「九州」というんじゃないですか?

 

 

 

まだまだあります。

 

 

「9の話」です。
     


「666」を足すと、6+6+6=18(1+8=)「9」になります。

 

日本のお札も、10000円、5000円、2000円、1000円を全部足すと、18000円になり、足していくと、「9」に収束します。

 

AMラジオの局も足すと、18になり、「9」になります。


ニッポン放送

1242=12+4+2=18=「9」


文化放送

1134=11+3+4=18=「9」


TBSラジオ

954=9+5+4=18=「9」


NHK東京第一

594=5+9+4=18=「9」


NHK東京第二

693=6+9+3=18=「9」
 

「円」は、 「360度」です。
「360」も、また (3+6+0=)「9」に収束する。

そして、「円」を半分にしていったとしても 半分になった角度を足すと、(180(1+8+0=9))で、必ず「9」になります。

180° (1+8+0=9)
90° (9+0=9)
45 (4+5=9)
22.5° (2+2+5=9)
11.25° (1+1+2+5=9)
5.625° (5+6+2+5=18 1+8=9)

これらは必ず、「9」に帰結していくのです。

面白いですね。

どうしてかな?

 

 

 

ここからが、本題です。

 

 

数年前だと思いますが、比較的最近のことです。

「666の悪魔」の意味、そのファイナルアンサーが、とうとう解明されたのです。

それは、拍子抜けするくらい、単純な意味だったのです。

 

 

「ヨハネの黙示録」の中の最後の文章を、もう一度読んでみてください。

 

「この刻印とは、あの獣の名、あるいは、その名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを、考えるがよい。数字は、人間を指している。そして、数字は、666である」

 

 

「獣の名、あるいは、その名の数字である」

 
と書かれていますね。
 
「獣」とは、「動物」のことで、その中には、モチロン、「人間」も含まれています。
そして、「植物」も含みます。
全ての生物の基本の構成物質ですね。
 
これらの生物の体の大半は、「水」ですね。
そして、さらに、その水分を除いた物質の大半は、「タンパク質」などで、できていますね。
 
そのたんぱく質の正体は、「炭素」です。
人体の乾燥重量の2/3は、「炭素」みたいです。
 
つまり、物質的な人間の本質は、
 
「人間=炭素」
 
こうなるのです。
 
 
 
そして、こう続きます。
 
「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを、考えるがよい。数字は、人間を指している。そして、数字は、666である」

 

この部分の意味は、

 

「賢い科学者は、人間=炭素の数字には、どういう意味があるかを、知恵=科学によって考えてみなさい。その数字は、人間=炭素の数で、666ですよ」

 

こう言っているのです。

 

 

ハイ!

 

もうわかりましたね。

 

 

中学や高校の時、授業で、「原子」について習いましたね。

現在の最先端の素粒子論では、また、様々な新説があるみたいですが、とりあえず、私の学生時代は、こういう話でした。

 

「原子の中身には、原子核と電子があり、電子は原子核の周りを、ひたすら回っている。さらに、その原子核は、陽子と中性子から成り立っている」

 

こういう理論でしたね。

 

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つまり、こうなるのです。

 

「炭素=人間(Carbon)」 

 

=「陽子6個(6 Protons)」+「電子6個(6 Electrons)」+「中性子6個(6 Newtons)」

 

= 6+6+6 

 

= 666

 
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「ヨハネの黙示録」の一番最後の文章を、もう一度、読んでみてください。

 

「数字は、人間を指している。そして、数字は、666である」

 
 
だから、結論は、
 
「人間(炭素)=666」
 
これだけの意味だったのです。
 
 
 
それにしても、特筆すべきことは、「新約聖書」が書かれたのが、紀元1~2世紀にかけてと、言われているのですが、これを書いた作者が、この「炭素のの原子構造」を知っていたということです。
 
その作者というのは、どう考えても、人間なんかじゃありません。
「神々(宇宙人たち)」によって、書かれた書物が、新約聖書なのです。
 
 
どうですか?
 
改めて、「宇宙考古学」の魅力が、わかってきたんじゃないですか?
 
真実や真理というのは、このように、子供でもわかるようなシンプルな結論が多いのです。
 
 
 
そして、「666」のナンバーは、私が追求してきた、「三つ巴」の神紋の意味、
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
これとも関連してくるのです。
 
「三つの勾玉(命)が、回転している」
 
こういう意味でしたね。
 
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「666」は、「悪魔のナンバー」などではなく、地球における、「生命の根源」の意味を表現している数字だったのです。
 
 
 
 

 

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ペンダントとの出会い

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新しい読者の方も、たくさん増えたので、「不思議なペンダント・アセンション」との出会いについて、もう一度書きます。


私が、ブログなどで紹介する商品は、厳選中の厳選の商品です。

毎日のように、たくさんの方から、いろいろな商品を教えていただきます。
どの商品も素晴らしいのですが、その中でも、私が、心底惚れ込んだ商品しか、ブログでは紹介しないことにしています。
その中でもダントツで大人気なのが、「不思議なペンダント・アセンション」なのです。

偽物が、山ほどあるヒーリング業界の中で、これは本物中の本物です。
ヒーリンググッズの王様だと思います。


このペンダントに出会ったのが、2007年の6月だから、もうすぐ、11年目になります。
あれから、11年近い歳月が流れたのですね…


今でも、毎日首から下げています。
こんなに長いこと、愛用しているパワーグッズは、これだけです。
よっぽど、神のパワーを、発しているのだと思っています。

 

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2007年の春から夏にかけて、昔、サラリーマン時代の知り合いの男性、Uさんが、失業して半分ホームレスのような生活を始めたので、いろいろと相談にのっていました。

教会で生活したり、漫画喫茶で寝泊りしたり、公園で野宿をしたりしていました。
数ヶ月に1回くらいの頻度で、一緒に食事をしながら、就職の相談などを聞いていたのですが、だんだん、自分ができることに、限界を感じていました。

このUさんは、すでに、ご両親がいなく、奥さんも子供さんもいませんでした。
お世話をする人が、誰もいなかったのです。
お兄さんはいたのですが、仲がわるく、アパートを借りるときや、就職をするときの保証人にも、なってくれない状況でした。

就職も、人間関係が下手で長続きしなく、当時62歳という年齢は、やはり、就職に不利な条件が重なっていたのです。
ただ、とても純粋で、やさしい心の持ち主でした。

サラリーマン時代、いつも一緒にランチを食べていた仲なので、やはり、どうしても冷たく突き放すことは、できませんでした。
いろいろ、手はつくしたのですが、どうしようもない状態になっていたのです。

「どうすれば、Tさんのような人が、生きがいや希望をもって、仕事をしたり、ワクワク人生を、毎日送ることができるのだろうか? これからも、Tさんのような人は、たくさん、日本にも出てくる。この問題を、解決する、いい方法はないだろうか?」

いつも、こういうことを、考えていました。

「トーマさん、私は、もうだめです。どこでも、生きていけません。これから、富士の樹海に行って、死んできます…」

いつも、このような弱音をはくUさんを励ましながら、1年ちかく過ぎていました。


ちょうど、そのとき、知り合いのTさんという女性が、田舎に引越して、自給自足の農業を、主体にした、村づくりをはじめていたことを思い出し、このTさんの村に、失業中のUさんを紹介しました。

「ねえ、Uさん、どうせ、死ぬ覚悟をしたんだたら、一度田舎で、自給自足の生活をしてみませんか? 知り合いのTさんという女性を、紹介しますよ」

こういって、ついに、Uさんに、Tさんの村に行ってもらうことになったのです。

それから、数日して、私も友人を誘って、Uさんも住み込みを始めた、Tさんの家に遊びに行ったのです。
東京から高速バスで、5時間のある田舎の村でした。

Tさん、Uさんと久しぶりに再会し、楽しく語り合いました。

その時に、Tさんから聞いた話は、たいへん示唆に富む素晴らしい話でした。

このTさんも、スピリチュアルな方で、この村づくりも、ある日、天啓のようなものを受け、この村づくりを思い立ったのだそうです。

当時、Tさんから聴いた話を、いくつかまとめますね。


今までにも、たくさんの人が、田舎暮らし、自給自足の生活を夢見て、都会から、田舎に移り住み、こういう村をつくろうとしたのですが、失敗に終わった例がたくさんあります。


Tさんは、もう少し突っ込んで、人間の集まるコミュニティについて、考えていました。

大切なことは、

「絶対に、閉鎖的な村にはしない」

ということだそうです。


いろいろな宗教団体も、こういう村を、つくろうという試みをしてきましたが、失敗した一番の理由は、クローズにしたことだったみたいです。

「自分たちは、特別な使命をもって、村づくりをしているんだ」

こういう気持ちが、昔から、その村に住んでいる人たちと、壁をつくり、敵対してしまうとのことでした。
心理的な境界線を、つくってしまうのですね。


現代は、まったくの100%の自給自足は、現実的に難しいと判断したようです。
やはり、最低限の電気、ガス、水道、家賃などは、必要だと言っていました。

スマホやパソコンなど、たしかに、現代は、あったほうが便利なのです。
ただ、必要以上の電化製品、テレビなどは、あまり使っていないようでした。

こういう、

「自給自足の村づくりを、ここでやっています!」

などの話は、あまり言わないほうがいいとも、言っていました。
これも、特別な目で見られ、村人を敵にまわす要因になるのだそうです。
村は都会よりも、人間関係は、より難しいのだと言っていました。


人がまったくいない村は、現実問題として、やはり住みにくいようです。
ある程度は、いざというときに、助けてくれるような人が、住んでいるところが、いいみたいです。

村は、最初に顔を覚えてもらって、なじむまでに、すごく時間がかかるそうです。
一方で、一度心を開くと、皆、とても暖かく接してくれるそうです。

都会の人は、人間関係の構築を急ぎすぎて、田舎ぐらしが、うまくいかなくなることが多いそうです。
まずは、あたりまえに挨拶をしたり、特別なことは、やっていないということで、安心してもらうことが、大事なようです。

Tさんの家は、とても広く、20人~30人くらいは、雑魚寝できそうなかんじでした。
他にも、たくさんの空き家などもあり、家賃も、だいたい月に2万円くらいから、住めるそうです。
一軒家に、月、2万円で住めるのです。

しかし、大家さんは、不審な人には、どんなにお金を積まれても、貸さなかったりして、やはり、人間関係が、お金よりも優先するそうです。

逆に、

「この人は、いい人だ」

と思ったら、無料で貸してくれたりすることもあるそうです。

Tさんは、自分の小さい畑も、もっているようですが、これも、じっくり時間をかけて、信頼関係を築いてから、譲ってもらったものだそうです。

まったく農薬をなどを使わないで、農作物をつくっていましたが、この「無農薬」の農業をやっていることも、秘密にしていました。
なぜならば、他の畑の人たちは、農薬を使っているために、こういう「特別な農業」だとわかったら、その村の農民と、「農協」を、敵にまわす可能性があるそうです。
「村社会」とは、本当に複雑で難しいですねー。

他にも、たくさん話は、ありますが、Tさんは、大変な現実主義者で、夢や理想だけでは、動いていないということに、気がつきました。

人間の残酷さや恐ろしさ、醜さなども、知りつくした上で、この村づくりを、やろうとしていることに、感動しました。
今まで、他の人たちが失敗してきたのは、閉鎖的でクローズの村をつくったり、特別意識をもって壁をつくったり、田舎の人間関係を甘くみたことが、長く続かなかった理由かもしれません。


Tさんは、将来的には、農業だけでなく、畜産業や林業、また、家具などをつくる場所、絵や音楽などをやっている若者が、生計をたてていけるような、イベントや産業なども、考えているという話でした。

現在、生きがいをもてない人、組織の歯車にはなれない人、人間関係が苦手な人、家族と仲が悪く、家出を考えているような若者、不登校の学生、失業者などを、この村に集めて、「生き方教室」のような講義もできるような、「学校」もつくりたいと考えていました。

外国の人も招待して、この村で、日本の最先端の農業などを学んでもらったり、逆に、日本のこの村から、世界中に、農業指導をするような若者を、世界中に派遣することも考えているようでした。

私も、宇宙存在、「バシャール」の本を読んで、いつか、皆が、毎日ワクワクしながら、本当に好きなことだけをやって暮らし、それでも、皆が、調和をとって生きていけるような、「愛の町」、「愛の国」、そして、「愛の惑星」を、夢見ているのですが、なんか、この村を見ていて、小さな第一歩を、踏み出したような気がしました。


Tさんの家では、夜、この村でとれた、米や野菜、味噌などでつくった夕食を、食べたのですが、本当に美味しかったです。
夜遅くまで、皆で、夢を語り合いました。

この夜、今まで、失業生活で、ずーっと苦しんできたUさんが、初めて大声をはりあげて笑いました。
腹を抱えて、笑ったあとで、

「トーマさん、ありがとうございます。私、こんなに、心の底から笑ったの、10年ぶりです。笑うって、いいですね…。ここにいると素直になれます。畑で土を触りながら、草むしりをしているだけで、本当に幸せを感じます」

と言ったのが、今でも心に残っています。


その時の写真です。
懐かしいですね…。
左から、Uさん、私、Tさん、そして、村の方たちです。
2007年6月です。

$精神世界の鉄人のブログ


Tさんの畑で、村の人たちと、談笑している写真です。





 

 


それから、その夜に、「不思議なペンダント・アセンション」の話題になったのです。

Tさんの親しい友人に、天才発明家がいるという話を聞いたのです。
この方が、不思議なペンダントを、発明したという話でした。
現在は、仲のいい友人ですが、その当時は、「宇宙人の魂をもつ人」とだけ聞きました。

ペンダントの中身は、ペリドットやチタン、金、真鍮、そして、未知の物質から、構成されているとのことでしたが、装着してみて、凄まじいパワーを、感じました。

1991年から、精神世界の業界に入って、いろいろなパワーストーン、波動グッズを試してきましたが、それらのものと、比較にならないくらいのパワーでした。
オーラやチャクラなどの修復はもちろん、いろいろな霊的な障害を、改善していくのが、感じられました。
普通のパワーストーンの10倍以上のパワーがあることが、わかりました。


巷に、出回っている、ヒーリンググッズや波動グッズのほとんどは、宣伝だけは、凄いのに、中身は、大したことがないもの、ばっかりですが、このペンダントは、本物中の本物です。
ネガティブなエネルギーを、全部、ポジティブに変える、不思議なペンダントです。

通常のパワーストーンやヒーリンググッズ、波動グッズは、ネガティブを、「防御」するくらいなのですが、このペンダントは、ネガティブをポジティブに、「変換」するくらいのパワーを、感じました。

電磁波などもカットしますが、人間のネガティブな想念など、完全にブロックします。
特に、ヒーラーの方は、身につけると、ぜんぜん違う効果に驚くと思います。

Tさんは、これをつけて、代謝がよくなり、何もしないで、1ヶ月に、体重が、5キロ落ちたとのことでした。


私も装着しましたが、身体中に、ビリビリと電流みたいなものが走りました。

「プラーナ」とよばれているエネルギーが、急速に入ってきて、ビックリしました。

「ウワー!!!! なっ、なんだ、このペンダントはー!!??」

と、思わず、大声を張り上げてしまいました。
あまりの効果に、大感激して、その場で、すぐに買いました。
もう、ずーっと、探し求めてきた、ヒーリンググッズでした。


その後、私の親しい友人たちにも、試してもらいましたが、スピ系の友人のほどんどが、

「キャー!!! 何、これ!!?」

と叫び声を、あげました。
女性は、ほとんどの方が、何か感じるみたいでした。
特に、「レイキ」をされている方は、効果が、わかるみたいでした。


まったく何も感じない方もいましたが、ほとんどの方が、3分~5分で、いろいろ感じるみたいでした。
装着すると、ビックリするくらい、まったく疲れなくなりました。

ただ、これは、その発明家が、一人で、じっくり時間をかけて作成するので、1ヶ月に数えるくらいしか、作成できないとの話でした。
心をこめて、1個づつ、作成するらしいので、大量販売をするつもりはなく、店頭での販売も、やらないとのことでした。
私は今でも、これが、「キング・オブ・ヒーリンググッズ」だと、確信しています。



もう少し、製品の説明をしますね。
といっても、私も、実はよく原理や仕組みは、わからないので、あくまでも、個人的な感想ですけど…。

まず、これは、宇宙エネルギーを、正常に戻すような作用が、あるような気がします。
本来のエネルギーを、加速させる感じかな? 

これ自体が、「陰」と「陽」のエネルギーを、完璧に、バランスよく、放出しているそうですが、もっと、わかりやすい表現をすると、「ブラックホール」と「ホワイトホール」の空間が、もしかしたら、ペンダントの周りに、できているのかもしれません。

悪いエネルギーを、全部吸い込んで、それを、全部いいエネルギーに変換して、放出しているような気がします。
ひたすら、なにもかも、よくしてしまいます。
自分の感じたところでは、ペンダントの半径、3メートルくらいに、そういう空間が、できるようです。

この宇宙エネルギーは、生命体を、若返らせる効果があるみたいです。
動物はもちろん、植物や鉱物も、元気にするみたいです。
あと、特に女性の肌も、綺麗になります。

やはり、どんな美容法よりも、細胞に、宇宙エネルギー(プラーナ)が入ることが、アンチエイジングには、大切みたいですね。

ペンダントをつけて、しばらくすると、ビリビリとしたエネルギーを、感じる人も、多いみたいですが、急速に自分の周りの宇宙エネルギーが、正常な方向に、加速しているのだと思います。
 

 


宇宙存在である、「バシャール」の講演会を、昔、聴いたときに、バシャールが、大変興味深い話をしていました。


バシャールによると、宇宙の根本のエネルギーは、「ネガティブ(陰)」と「ポジティブ(陽)」から、できているそうです。

さらに、彼によると、「ネガティブ(陰)」と「ポジティブ(陽)」の定義は、それぞれ、

「ネガティブ(陰)」=破壊、争い、攻撃、戦争、競争、分裂、こわさ、恐怖
「ポジティブ(陽)」=創造、助け合い、受容、平和、共生、統合、やさしさ、安心

なのだそうです。
あくまでも、バシャールの個人的な定義です。


人間は、この「ネガティブ(陰)」と「ポジティブ(陽)」割合を、

50%:50%

だと考えている人が多いみたいですが、実は、この割合だと、力が完璧に、拮抗している状態なので、エネルギーが停滞し、進化しなくなるそうです。
本当の宇宙のエネルギーの秘密は、この「ネガティブ(陰)」と「ポジティブ(陽)」の割合は、

49%:51%

なのだそうです。


「ポジティブ(陽)」のエネルギーが、実は、2%上回っているのだそうです。

この割合だと、「ポジティブ(陽)」の力のほうが上回って、優先するので、エネルギーが、動き出し、進化するのだそうです。

大切なことは、間違っても、ネガティブな方向には、いかないということです。
時間は、かかりますが、少しづつでも宇宙は、ポジティブな方向に動くのだそうです。

この仮説は、科学的な検証は、難しいのですが、なんとなく、直感的に正しいような気がします。

地球の歴史をみても、小さいスパンで見れば、悪いことも、たくさん起こっていますが、大きなスパンで見れば、やはり、少しづついい方向に、向かっていますよね。

やはり、「怖さ」よりも、「優しさ」のほうが、全体としては、上回っているような気がします。
そういえば、「優しさのほうが、先に行く」という漢字が、「優先」ですよね。
昔の人も、ことことを、感覚で、よく知っていたのかもしれません。



このペンダントは、表面が真鍮で構成されています。

いろいろな科学的な理由から、この金属部分は、何も加工しないで、そのままに、なっているようです。
だから、すぐに錆がつきやすくなります。
また汚れやすいです。

少しキズが、つくくらいは、効果に影響はありませんが、錆は、大きく影響するみたいです。
触ってもいいのですが、その場合、身体の脂で、汚れやすくなるので、こまめに磨く必要がでてきます。

ポケットにいれたり、部屋に置いておくだけでもいいですが、やはり一番効果があるのは、胸の位置に下げることみたいです。

ここは、ご存知のように、ハートチャクラがあり、7つの主要チャクラの中心になります。
だから、ここから、エネルギーが、上と下の他のチャクラ全体にも、流れていくそうです。

他のパワーストーンやお守り、波動グッズとの併用も可能です。
他のこれらのものも、ペンダントは、エネルギーを、3~5倍にパワーアップさせるようです。

3日~7日で酸化して、表面に錆がついてきます。
錆で汚れると、パワーが半減するみたいです。

特に、パワーストーンのように、セージや塩水などによる浄化は、必要ありませんが、金属部分を、こまめに磨く必要があります。

太陽エネルギーが、原動力なので、たまに、日光に当てたほうがいいみたいです。
「愛」もエネルギー源みたいなので、ペンダントを愛してあげてください。

いろいろ試しましたが、ドイツ製の精密機械を磨く専用金属磨き粉、「GLANOL(グラノール)」が、一番いいみたいです。

ペンダントの紐は、電気を通す導体の紐、金属製の紐はさけてください。
特別な電流も流れているそうですが、紐を金属製にすると、この電流が逃げて、効果が半減するそうです。
下げる紐は、必ず絶縁体である、皮や布、麻などを使ってください。

他の波動グッズと併用してつける場合、それらの金属は、特に影響はうけないようです。
ペンダントにつける紐だけ、絶縁体にするように注意してください。

私は、お風呂などの水に、触れそうなときは外しています。

あと、自分にとっては、エネルギーが強すぎるので、眠るときも外しています。
元気になりすぎて、眠れなくなります。(笑)



なんの変哲もない、普通のペンダントに見えますが、凄まじいヒーリングパワーを放っています。
敏感な方は、写真からも、エネルギーを感じるみたいです。
大切な人への誕生日などのプレゼント用に、購入する方も多いそうですね。

150615_110912.jpg



☆さらに詳しいお問い合わせは、下記のサイトから、友人の有明さん(トリプル向日葵さん)に、お願いしますね。

○「トリプル向日葵」

http://triplehimawari.ocnk.net/


 

 

 

 

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地獄

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ご存知のように、ここ数年は、宇宙考古学や古代史の調査を目的に、旅行ばかりやっています。

 

旅先では、土地の波動が違うせいか、よく不思議な夢を見ます。
旅先で見る夢も、旅行の楽しみの一つです。


個人的な感想ですが、いわゆる、良いホテルと言われる、ちょっと値段の高いホテルに泊まっている時のほうが、良い夢を見ることが多いです。

寝具が良いせいもあって、寝心地がいいというも、その理由だと思いますが、宿泊する人たちも、上品で意識の高い人が、多いからかもしれません。

もしかしたら、そういう良いホテルは、霊的な浄化や土地のお祓いなども、ちゃんとやっているのかもしれません。

たまに、悪いホテルだと思われる所に、何かの間違いで、泊まってしまうこともありましたが、こういう所では、悪夢を見たりしたことも、数回ありました。
やはり、泊まるところも、大切なのかもしれませんね。
 

 


私の人生の中で、特に印象的だった夢の話をしましょう。


10代の頃の話です。
高校一年生だったと思います。

その頃、私は、那覇市内の自宅から、バスを乗り継ぎながら、片道40分くらいの高校に通学していました。


ある朝のことです。

いつものように、朝、目覚まし時計が鳴り、遅刻ギリギリの時間に起きて、トイレに入って、朝食を食べ、大急ぎで、家を出ました。

それから、バスに乗り、校門の前に着くと、門が閉じられる瞬間でした。

「うわー! 遅刻だー!」

と叫んで、ダッシュで、門をくぐろうとしました…

すると…

そこで、目が覚めました。
夢だったのです。

 


「夢だったのか…」

と気が付いたら、また、目覚まし時計が鳴り、遅刻ギリギリの時間に起きて、トイレに入って、朝食を食べ、大急ぎで、家を出ました。

それから、またバスに乗り、校門の前に着くと、門が閉じられる瞬間でした。

「うわー! 遅刻だー!」

と叫んで、また、ダッシュで、門をくぐろうとしました…

 

すると、また…

その場面で、目が覚めたのです。
つまり、夢の中で夢を見ていたのです。

 


「夢の中の夢だったのか…」

と気が付いたら、またまた、目覚まし時計が鳴り、遅刻ギリギリの時間に起きて、トイレに入って、朝食を食べ、大急ぎで、家を出ました。

それから、またまたバスに乗り、校門の前に着くと、門が閉じられる瞬間でした。

「うわー! 遅刻だー!」

と叫んで、またまた、ダッシュで、門をくぐろうとしました…

すると、またまた…

その場面で、目が覚めたのです。
なんと、夢の中の夢の夢だったのです。

 


「夢の中の夢の夢だったのか…」

と気が付いたら、またまたまた、目覚まし時計が鳴り、遅刻ギリギリの時間に起きて、トイレに入って、朝食を食べ、大急ぎで、家を出ました。

それから、またまたまたバスに乗り、校門の前に着くと、門が閉じられる瞬間でした。

「うわー! 遅刻だー!」

と叫んで、またまたまた、ダッシュで、門をくぐろうとしました…


ビックリすることに、ここで、また夢から覚めて、目覚まし時計で、起こされたのです。
さすがに、これには驚きました。

結局、この同じことを繰り返すという夢を、なんと、5回も見たのです。
見たというよりは、経験させられたと言ったほうが、いいと思います。
毎回、少しづづ、微妙に違うのですが、99%くらいは、同じ出来事でした。

5回目の夢の中では、門が閉じられるのもかまわずに、校門の前で、立ち止まり、よく、マンガや映画の中で、主人公がやるように、自分のほっぺたを、つねってみました。

なんと、痛かったのです。
ちゃんと痛みがあったのを、今でも覚えています。

「夢じゃなかったのかな?」


こう思った時に、6回目の目覚まし時計が鳴り響きました。

「かんべんしてくれよ~!」

こう叫びながら、起きたのを覚えています。

やはり、時間は、遅刻ギリギリの時間でした。
ここまで、同じです。

それから、ひととおりの準備をして、家を出ました。
歩きながら、地面を踏みしめ、自分の肉体の感覚を確かめながら歩いたのを、今でも覚えています。


バスに乗り、校門の前に着くと、今度は、門は開いたままでした。

はやく着いたのです。
ゆっくり、ゆっくり歩きながら、門をくぐりました。


それから、また自分のほっぺたを、つねってみると、とても痛かったのです。

「さっきの夢の中よりも、痛いぞー! やったー! 抜け出したんだー!」

心の中で叫びました。
この地獄のようなループを、抜け出した喜びで、涙が出てきました。

ようやく、現実の世界に、戻ってこれたということです。

気を取り直して、何事もなかったかのような顔をして、教室に入りました。
遅刻ギリギリでした。

「おはよう!」

と、いつもの3倍くらいの声と笑顔で、クラスメイトたちに挨拶しました。


やはり、変わった高校生だったかもしれませんね。(笑)

 

 

あの時の体験は、今風な表現にすると、いわゆる、「パラレルワールド」だったのかもしれません。

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この「夢の中の夢」の話を、ある講演会でやったのですが、講演が終わってからの懇親会で、ある男性が、こんな意見を聞かせてくれました。

「トーマさん、今回の講演、とても面白かったですよ。特に、夢の中の夢の話、とても興味深かったです。ところで、私が思ったのは、よく橋の上から自殺した人の霊が、地縛霊のようになって、そこの場所にやってくる人の肉体に、憑依して、何度も何度も、同じ自殺の経験をしようとする話が、ありますよね。もしかしたら、何回も同じ体験を繰り返す癖の霊って、そういう苦しみなんじゃないですかね?」

この話を聞いて、

「なっ、なるほど~」

と思いました。

そうですね。
何度も何度も、同じ体験を、しつこく、ずーっと繰り返される状況というのは、本当に地獄のような世界かもしれません。

数えきれないほど、繰り返しているうちに、感覚が麻痺してしまい、自分が、そういう癖をもっていることすら、気がつかなくなってしまう。
もしくは、気がついているのですが、どうしたらいいのかわからない。


大なり小なり、人間は、誰でも、こういう苦しみを、抱えているのかもしれません。

小さい話では、同じような異性を好きになって、毎回同じパターンの恋愛で苦しんでいるような人も、この地獄のループに、堕ちてしまっているのかもしれません。


大きな話では、地球上の人間が、悪いことだとわかっていながら、数えきれないほどの戦争を繰り返しているのも、この地獄のループなのかもしれません。
戦争は、地球人全体のカルマのようなものかもしれませんね。



では、この地獄のループから、抜け出すには、どうしたらいいのでしょうか?

それは、目覚まし時計が、鳴ることです。
偽物で、幻の目覚まし時計ではなく、本物で、真実の目覚まし時計です。
よほどのショックがないと、本当の目覚めは、起きないのかもしれません。


たとえば、地球全体だと、アメリカの「911」だったり、日本の「311」だったり、こういう出来事が起こると、目覚める人が、増えると思います。

個人的な出来事だと、大病や事故、リストラ、離婚など、人生において、大きなショックを受けると、人は目覚めます。

ほっぺたを、つねってみて、

「痛ーい! よかった、本当に目覚めたんだー!」

と、ようやく気がつくのです。

それからが、本当の人生を、生きられるようになるのです。
 

 


一説によると、地球は、太古の昔から、大洪水や核戦争などで、数回滅びて、リセットされたとも言われています。
5回滅びたとも、言われています。
今回が、6回目だということですね。

偶然かもしれませんが、私が見た夢の回数と同じですね。
5回、幻で偽物の地獄のループを回った後、6回目で、本物で真実の目覚めを体験するということですね。



たぶん、今回の6回目が、地球の人間が、本当に目覚める時期だと思います。
根拠は、特にないのですが、なんとなく、そういう予感がします。
本当の覚醒、本当の目覚めが、21世紀なんじゃないかと思っています。

特に、これからは、大きな変化があると言われていますね。

今度こそ、「リアル・アセンション」かもしれませんね。
どんな扉が、開くんだろう?
今から、楽しみですね。




さて、もう少し、「夢」について、書いてみましょう。

 

夢は、ほどんどの人が、よく見ます。
そして、何かの気づきを、もらったり、啓示、啓蒙をもらって、成長に役立てたりしています。

 


ある本に、大変興味深い話が載っていました。

夢には、大きく分けて、三つあると言うのです。
実際には、もっと複雑で、いろいろと、絡み合っているらしいのですが、大きく分けると、三つだそうです。

 


まず、一つ目は、肉体の夢。


例えば、水をたくさん飲んで、眠ったときなど、膀胱に小便が、たくさん溜まっている状態のとき、湖や海、川で遊んでいる夢を見たり、眠っているときに、曲がって立っていた片足が、何かの拍子に、カックンと伸びて、真っ直ぐになったりしたときに、

「ウワーーーッ」

と、崖から落ちていくような夢を見たりする状態です。

ほかにも、ラベンダーの香料を部屋でたいて寝ている時に、ラベンダー畑で遊んでいる夢を見たりもしますね。

つまり、肉体の状態が、夢の内容に影響を与えている場合です。

 


二つ目は、願望が夢に現れる夢です。

「素敵な恋人とデートしてキスをしたい」

と思っていたら、理想的な恋人が、夢の中に出てきて、デートをしてキスをするような場合は、これにあたります。

 


三つ目は、霊界や幽界と繋がって、その世界から、啓示として、メッセージをもらう場合だそうです。

人間が、眠るのは、肉体に宿っている霊体が、眠っている間に、肉体を抜け出して、霊界や幽界に行き、そこで、エネルギーの補給をしてくるというのも、大きな理由のひとつだそうです。


この世界は、とてもしんどくて疲れるので、ほとんどの人は、1日に1回くらいは、霊界や幽界に戻って、エネルギーを補給しないと、肉体などが、もたないそうです。


面白いのは、実際に霊界まで行く人は、少ないそうです。

ほとんどの人は、霊界の手前の幽界あたりまで行って、帰ってくるそうです。


幽界は、大きく分けると、下層、中層、上層に分けられ、この下層が、一般に、「地獄」と呼ばれているところらしいです。

ただ、いろいろな宗教が、説いている世界とは、かなり違うようです。


中層は、普通の生活をしているようなところ。


上層が、「サマーランド」と呼ばれているところで、ほとんどの人は、幽体離脱をして、霊が、ここにきたときに、「天国に来た!」と思うそうです。
綺麗な花が咲き乱れ、とても美しい世界だそうです。

この二番目の「願望が現れる夢」と三番目の「霊界や幽界からのメッセージのもらう夢」の違いは、二番目の夢が、一般に白黒で、画像が現れたり、夢から覚めたときに、色の記憶が、ほとんど残っていないのに比べ、三番目の夢は、一般に色が付いた綺麗なカラーである場合が多いそうです。

ただ、三番目の夢でも、下層の「地獄」と言われている幽界に行った時や、そこからのメッセージの場合は、白黒だったり、色が付いていても、セピア色だったり、薄暗い色が多いそうです。
興味深いですね。

幽界の上層(サマーランド)の夢は、とてもカラフルな色の夢が、多いそうです。


私自身は、よく色の付いた綺麗なカラーの夢を見ることが多いです。
その時は、とっても気持ちよく、目が覚めることが多いですね。
たまに、いわゆる、「悪夢」を見ることもありますが、やはり、白黒、特に黒や灰色などのダークな色が多いです。
 

 

 

「悪夢」について、ユニークな解釈があります。

 

いわゆる、「カルマ」との関係です。

仏教には、昔から、「因果応報」などの教えがありますね。

精神世界でも、「自分の与えたものが、自分に返ってくる」という宇宙の法則の話も、よく聞きますね。

 

 

以前に読んだ本に、こういう話も書かれていました。

三つ書かれていました。

 

 

一つ目です。

 

もしも、現世において、人が誰か、一人の人を殺してしまったら、その人は、その後の人生や来世で、必ず殺されなくては、いけないのだろうか? 

それもいいけど、他のやり方もある。

その殺した人が、本当に、その罪を償いたいと思ったら、自分の子供一人を、立派な大人になるまで、育てるというやり方もあるのです。

もし、子供がいない場合は、孤児などを、自分の子供として引き取り、育てるということもできる。

つまり、人を、一人育てることで、一人殺したカルマのバランスがとれて、そのカルマを清算することができる。

 


二つ目は、

もしも、人が戦争で、1000人の人を殺した場合、その後の来世で、1000回殺されないと、いけないのだろうか? 

別の方法もあります。

殺した人が、その罪を償いたいと思ったら、医師や看護師などの仕事につき、1000人の死にそうになっている病人の命を、救うというやり方もある。

1000人救うことで、バランスがとれるということです。

 


三つ目は、とてもユニークです。


人がそれまでの前世で、1人を刺し殺した場合、今生で刺し殺されないと、いけないのか?

別のバランスのとり方があります。

それは、現実の世界ではなく、夢の世界で、それをやるというやり方です。

罪の償いもしたいけど、今生では、他にも、どうしてもやりたいことが、たくさんある場合、夢の中で刺し殺されるという体験を選ぶこともできる。

そうすれば、魂的には、同じ痛みだが、肉体的には、1000分の1くらいの痛みしか感じない。

そういう悪夢を見ることによって、刺し殺した人とのカルマのバランスがとれて、カルマの清算ができるのです。

 


私なども、10代や20代の頃に、悪夢を見ることが、よくあったのですが、心臓がバクバクしながら起きて、

「はぁ、はぁ、はぁ、夢か…。ああっ、夢でよかった…」

と、呟くときがありました。

本当に夢で、よかったのですね。(笑)


「悪夢」とは、宇宙の大いなる慈悲だったのです。

 

 

 

「地獄」についても、もう少し書いておきましょう。

 


「地獄」と呼ばれている世界は、文章では、うまく表現ができないのですが、無理やりこちらの世界の言葉で定義すると、前述したように、「覚めない悪夢」という表現が、一番近いそうです。

同じ状況を、何回も何回も、繰り返しているような状態ですね。


「精神世界」の中でも、霊能者やチャネラーによって、いろいろな死後の世界に関する主張、解釈、定義があり、

「地獄はない」

という意見もありますが、私個人は、あると思っています。

ただし、繰り返しますが、私のイメージしているのは、一般に言われているような世界とは、ちょっと違います。

 


私は、「地獄」という世界は、

「誰かから落とされる」

というような感じではなく、自分で、学びや修行のために、自分を成長させるために、

「自分から望んで行く」

という所だと感じています。

 

 

宇宙存在である、「バシャール」によると、仮に、「地獄」という世界に行ったとしても、ほとんどの霊は、好奇心で、チラッと、その世界を覗き見したり、ちょっとだけ、一日体験入学みたいなかんじで、短期間だけいることが多いそうです。

 

「地獄絵図」に描かれているように、長期間、そこでの苦しみを選ぶ霊は、とっても少ないそうです。

 

ただし、極々まれに、そういう、「超ドМ」の霊もいるそうです。(笑)

 

 

「地獄絵図」です。

 

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「地獄」という世界のレッスンを、わかりやすく、例え話にすると、こういうことです。

 


例えば、遊園地のジェットコースターに乗ると、乗っている人たちは、乗っているとき、ものすごい恐怖と不安を味わいますね。

特に、高所恐怖症の人間にとっては、地獄の苦しみです。
乗っている乗客全員が、乗っている間は、恐怖で顔がひきつっています。

でも、ジェットコースターが終わって、元の場所に戻ってきて、ジェットコースターから降りてくる乗客の顔を見てみると、一人の残らず、全員が笑っています。

このように、ジェットコースターというのは、恐怖を感じるために乗るわけではないのです。

これは、途中の過程(プロセス)であり、手段です。
本当の目的は、ジェットコースターから降りて、笑うために乗るのです。

 

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悪夢も、苦しむために見るわけではなく、目覚めた後に、さわやかに笑うために見るのです。

同じように、地獄も、苦しむために行くのではなく、そこから、這い上がってきて、その後、笑うために存在している世界のような気がします。

 

 

 

「地獄」という世界が、「死後の世界」にあるかどうかは、確実な証拠がないので、わかりません。

 

究極的には、

 

「あると思えばあり、ないと思えばない」

 

という世界かもしれません。

 

 

「地獄」は、「あの世」には、あるかどうかは、わかりませんが、「この世」には、たくさん実在しています。

 

その世界のことを、「生き地獄」と言います。

 

「戦争」や「病気」や「飢餓」、それから、「いじめ」や「事故」などのネガティブな出来事は、まさに、それを体験している時は、「この世の地獄」です。

 

その「地獄」の体験も、それを体験した後に、「光の世界」を、強く感じるために、存在しているのかもしれません。

 

 

 

 

 

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