Quantcast
Channel: 精神世界の鉄人のブログ
Viewing all 1615 articles
Browse latest View live

コンプレックス

$
0
0

東京は、昼間は、たまに汗ばむほどの陽気になりますね。

もうすぐ、初夏になりますね。

 

 

昨日は、久しぶりに、東京都内にある、井の頭公園に行ってきました。

とても気持ちがよく、のんびりできる空間ですね。

 

image

 

 

特に、弁才天のあたりは、いい氣が充満していますね。

 

image

 

 

いつものように、記念撮影しました。

 

image

 

 

 

4月からは、人生において、新しい節目を迎えた方が、たくさんいると思います。

 

新しい学校に入学した方もいるだろうし、新しい会社に入社したり、新しい職場に転職したり、同じ会社内で転勤になった方もいると思います。

 

自分の希望していた、新天地に落ち着いた方もいれば、不本意な学校や職場に、仕方なく居座ることになった方もいるでしょう。

 

第二希望や第三希望の学校に、入学した方もいるでしょうし、会社から、いきなり、僻地への左遷、それから、降格人事を告げられた方もいるでしょう。

 

そして、自分よりも、格上だと言われている学校や会社、それから、立場の人々に、「コンプレックス」や「劣等感」を感じている人もいるでしょう。

 

 

 

今回は、このような不本意な場所にとどまることになった方のために、この記事を書こうと思います。

以前にも、書いたのですが、また、このテーマで書きたくなりました。



私は、学生時代、よく自己嫌悪に陥っていました。
今でも、たまにそうなりますが、思春期というのは、誰でも、この状態になりやすいと思います。

「ああ、あんなこと言わなければよかった。なんて、馬鹿なこと、言っちゃったんだろう…。ああ、またあんな馬鹿なことをしてしまった。やらなければよかった…」

いつも、こうやって、後悔したり、悩んだりしていました。



ある日、友人の一人が、私と全く同じように悩んでいることが、わかりました。

よく話を聞いてみると、もう、周りの皆が、とっくに忘れてしまっているような、どうでもいいことで悩んでいました。

「まだ、そんなこと気にしていたの?」

と思いました。

同時に、自分も全く同じ状態であることに、気が付きました。

考えてみれば、人間というものは、人との会話など、ほとんど気にしていないのです。
その時の気分で、結構皆、いい加減なことを言っているのです。
特に、悪口や陰口などは、皆に、適当に軽く話しているのです。


試しに、2日前のランチで、友人たちと、どういう会話をしたのか、思い出してみてください。

ほとんど、思い出せないと思います。

ついでに、その2日前の、ランチのメニューは、何でしたか?
これも、ほとんどの人は、覚えていないと思います。

人間の記憶力などというものは、そんなものなのです。
特に、悪口を言う人は、本当に気軽に言います。
そして、2日もすれば、忘れています。

いつまでも、その悪口を覚えているのは、言われた人だけです。
このことから、「悪口」や「陰口」などを気にするのは、とても無駄で、馬鹿馬鹿しいことだということが分かります。


自分が、相手に言った不用意な失言、悪口、そして、失敗などにも同じ事が言えると思います。

自分が思っているほど、他人は自分のことなど、気にしていないのです。
皆、自分のことばかり、考えているのです。
他人の死よりも、自分の頭痛や歯痛に、100倍も気をつかうのが、ほとんどの人間なのです。


学生の頃、この事実に気が付いてから、ずいぶん気が楽になりました。

「今日の昼間、友人のあいつから悪口を言われたけど、今ごろ、あいつ、そんなこと、全く忘れて、テレビでも見ながら、笑ったりしているんだろうな? じゃあ、自分が、その悪口で、クヨクヨ悩むなんて、アホらしいな…」

こう思えるようになったのです。


当たり前のことですが、大切なことです。


「他人の目」というのは、いい加減なものなのです。
「世間の評価」もそうです。

これは、

「他人の評価を、気にしないほうがいい」

ということではなく、

「不当な他人からの評価は、気にしなくてもいい」

ということなのです。

やはり、

「自分のことは、自分が一番知っている」

ということです。



沖縄の大学に通っていた頃、「社会学」という講座で、その講師から、こういう話を聞いたことがあります。


その講師は、20代の頃、琉球大学の大学院で、「社会学」を学んでいたそうです。

ある時、九州の長崎で、九州全体の大学院生が集まって、社会学の「研修会」が行われたそうです。

その時その講師は、大学の「偏差値」で、交際する学生を選ぼうとしたそうです。

「琉球大学と、佐賀大学、鹿児島大学、長崎大学は、偏差値のレベルが、同じくらいだから、話が合うだろう。この人達と付き合おう。逆に、九州大学の人たちは、偏差値が高いから、話が合わないだろう。ああいう、エリートたちと付き合うと、劣等感を感じるから、なるべく話をしないようにしよう」

こう思っていたそうです。


ところが、実際に研修に参加してみて、全く事情が違うことに気が付いたそうです。

琉球大学のグループが、一番明るく、楽しそうに研修を受け、偏差値が高くなるにつれ、元気がなくなり、一番暗くて、元気がなかったのが、九州大学の学生だったそうです。

不思議に思って、その九州大学のグループと話をしてみると、皆、

「高校の頃の仲のよかった友人たちは、皆、東京大学や京都大学に行ってしまった。自分だけ、九州大学にしか入学できなかった…」

こう言ったそうです。

この話から、この講師は、

「学歴や偏差値のピラミッドは、自分の意識を変えない限り、永久に続くのだ。このピラミッドは、どこまでいっても頂点などないのだ」

この事実に気が付いたそうです。


確かにそうです。

東大や京大の中にも、ピラミッドは、あります。
どこにでも、優秀な学生や落ちこぼれは、必ずいるのです。

さらに、ここでトップになっても、世界にはもっと優秀な大学は、ごろごろあります。
日本の東大など、あるランキングによると、世界では、上位に入っていないそうです。
世界の一流大学の中にも、またピラミッドがあります。
もうきりがないのです。
仮にそこで、トップになっても、現在の学問など、30年もすれば、すぐに時代遅れになります。

「自己嫌悪」、「嫉妬」、「コンプレックス」などの問題を解決できるのは、結局、「自分の意識」しかないのです。
「自分の意識」で、それらの定義付けを変えない限り、死ぬまで付きまといます。
 

 


余談ですが、「偏差値」というのを、日本で流行らせたのは、アメリカの政府だそうです。

 


1960年代の「日米安保闘争」での日本の若者たちが、あまりにもパワフルで、アメリカの政府は困ったそうです。
それで、いろいろ策略を考えたそうです。

「どうすれば、日本人、特に、日本の若い男性を、おとなしくて従順にすることが、できるだろうか? それも、なるべく低い予算で、コストをかけずにやるには、どうしたらいいだろうか?」

さんざん考えた末に、でてきた答えが、「偏差値」だったそうです。

こういうモノサシを、人工的につくって、日本の若者たちに、

「お前になんて無理!」

「身の程をわきまえろ!」

こうやって、低学歴の男性は、あたかも、世の中から必要とされていないという、「無価値」のイメージを植え付けて、彼らを無力化することに成功したのだそうです。

つまり、

「東大や京大などの一流大学に入れなかった人間は、バカばかりだ!」

と、思い込ませることにしたそうです。


この計略は見事に成功して、現在でも、「学歴コンプレックス」で、貴重な青春時代を、暗い気持ちでになり、自信を失って過ごしている若者がたくさんいます。

「学歴コンプレックス」で苦しめられている原因が、アメリカからの「洗脳」であり、一種の「軍事攻撃」だと知っておくと、かなり意識が変わると思います。

なんでも、知らないよりは、知っておいたほうがいいです。

 

 

そもそも、「偏差値」などで、「人間の価値」など決まるわけがないし、18歳という若さで、「人生の方向性」など、決まるわけがないという、当たり前のことを、もう一度、考えてみてください。

 

 


では、どうすれば、アメリカからの洗脳で、がんじがらめにされた、偏差値、つまり、ピラミッドの束縛から、解脱できるのでしょうか?


それは、

「本当に好きなことをやる」

ということです。

これをやっていると、「他人の目」を気にしなくて済むようになるのです。
逆に、「他人の目」が、もし気になっているようなら、それは、「本当に好きなこと」ではないのです。


「本当に好きなこと」なら、すぐに、その分野の第一人者になれます。
興味があるものだから、努力が苦にならなくなるのです。
自分も他人も、ハッピーになりやすいのです。

その分野のピラミッドの頂点には、短期間ですぐに立てます。

例えば、山で山道に迷った時、一番確実に、自分の現在地や目標地を、把握しようと思ったら、その山の頂上にまずは、一気に登ることです。

「山で迷ったら、川を見つけて、川沿いを歩きなさい」

という話を、よく聞きますが、夜道などでは、崖などから、滝に落ちる可能性もあり、逆に危険なのだそうです。

迷った場合、あまり高い山じゃない場合ですが、いったん遠回りして、頂上を目指したほうが、安全らしいのです。
頂上からの眺めからは、どこに行けば、大きな道があり、民家があるかなど、よく見渡せます。


その頂上で、いったん、落ちついてから、いろいろな計画を立てるのです。
そうすれば、次の行動が、的確にできます。


また、別のピラミッドの頂上にいる人達とも、すぐに友達になれます。
これは、ピラミッドの大きさに関係なく、頂上にいる人同士というのは、仲良くなりやすいのです。



私の場合は、30代の頃、「パワーリフティング」という競技で、ある程度のピラミッドの頂点に登りました。

小さな団体でしたが、いくつもの大会で、優勝もしました。
そこまで行くと、この分野のことは、隅から隅まで、よく見えました。
また、別の分野のトップの人たちとも、すぐに打ち解け、仲良しになれました。
やはり、一つのことを、ある程度まで、究めるということは、いいことだと思います。

しかし、この競技を始めたばかりの頃は、周りからの「嫉妬」や「コンプレックス」に、苦しめられました。

「コンプレックス」から、開放されようと思い、ようやく見つけたものだったのに、また、この分野で成功し始めたとたん、周りが、「嫉妬」を、はじめたのです。

23歳の頃、ジムで練習していると、皆から、

「ト-マ君の筋肉やパワーは、どうせ、ドーピングだよ。ステロイド(筋肉増強剤)を使って、強くなっているだけだよ」

こういう悪口や陰口を聞かされました。

全く根拠のない誹謗中傷だったのですが、最初は気にならなかったのですが、後からさすがに、だんだん気になり始め、結局、そのジムを辞め、別のジムに変わりました。

その当時、ああいう、「嫉妬」や「猜疑心」で心が一杯になっている人達と、関わっている時間があれば、もっと練習に集中したいと思ったのです。

皆、記録を伸ばしていく私の存在が、面白くなかったようでした。
もっとも、トップクラスのスポーツマン達で、嫉妬する人はいませんでしたが。

今考えると、嫉妬されるぐらい、そのジムの皆が、私の努力や素質を、認めていたのだと思います。
悪口を言われるぐらい、私はワクワクしていたのでしょう。

できれば、「嫉妬」は、自分もしたくないし、人からも受けたくないですね。

 


「嫉妬」は、英語で、「Jealousy」や「Envy」と表現するそうです。

「Envy」の語源は、ラテン語で、

「横目で見る」

という意味だそうです。

人生というものは、なるべく横目ではなく、正面を正視しながら、歩きたいですね。(笑)


「コンプレックス(Complex)」の語源も、ラテン語らしいのですが、これは、

「共に折りたたむ」

という意味だそうです。

「コンプレックス」というのは、与えるほうも、貰う方も、お互いで創りだしている、「共同創造」なのです。
 

 


アメリカのワシントンに、バーナード・バルークという大統領顧問がいたそうです。
ウィルソン、ハーディング、クーリッジ、フーバー、ルーズベルト、トルーマンなど、6人のから絶大な信頼を寄せられた人物だったそうです。

ある時、有名なデール・カーネギーが、インタビューの席で、

「あなたは、政敵からの攻撃や嫉妬、誹謗中傷、侮辱、コンプレックスなどに、苦しんだことはありませんでしたか?」

と質問したことがあったそうです。

すると、バルーク氏は、

「だれ一人として、私を、嫉妬、誹謗中傷、侮辱などで、苦しめることはできないよ。そんなことは、この私が許さないからね!」

こう強く答えたそうです。

つまり、

「だれも、私を嫉妬、誹謗中傷、侮辱することはできない。私が、それを許さない限り!」

ということです。

「コンプレックス」などは、世間が半分、そして、残りの半分は、自分が創造しているのです。

簡単に言うと、「コンプレックス」を感じるということは、それらを感じることを、自分が許しているからだということです。
感じることを許さなければ、苦しまないのです。


「共同創造」というものは、どちらかが、創造を放棄すれば、成立しないのです。

 


現在、そういうネガティブな人間関係で、苦しんでいる方がいたら、そのネガティブな共同創造を、一方的に放棄してください。

こちらが、創造を拒絶すれば、その創造は成立しないのです。

 

 

 


PS 1960年代、日米安保闘争の時、日本の若者が、凄く反発しているのに、恐怖を感じたアメリカの政府が、若者のパワーを、無力化して、弱体化させるために考案した洗脳が、「偏差値」だったそうです。

これによって、「学歴コンプレックス」が、日本全体を覆い尽くし、若者が自信を持てなくなってしまったというのが、戦後の隠れた歴史なのです。

1990年代に流行った、「三高(高学歴・高収入・高身長)」などの言葉も、そうだと思います。

写真は、1960年5月14日の国会前です。





 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 
 
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 


☆私のメインサントです。 

http://www.tomaatlas.com/

 
 
 

大阪セミナー ~地球文明~

$
0
0

4月22日(日)の大阪セミナー、もうすぐ、申込みを締め切らせていただきます。

参加をご希望の方は、お早めに、私まで、メールください。

 

このセミナーは、いろいろな気づきなど、ブログの活字や写真だけでは伝えられないことを、直接会って、伝えることができます。

ぜひ、地球の歴史の秘密、その他の様々な謎についても、語り合いましょう。

 



<大阪セミナー ~地球文明~>

 


○日時:2018年4月22日(日)13時45分(受付開始) 14時00分~17時00分


○場所:TKPガーデンシティPREMIUM大阪駅前 4階 シクラメン

 

〒530-0002 大阪府大阪市北区曽根崎新地2-3-21 axビル 4F    

 

http://tkp-osaka-ekimae.net/access/

 

 

○内容:神々や宇宙人たちが、地球文明をサポートしていた話を、古代から現代まで、たくさんの具体的な例をあげながら、広く深く語ります。


セミナーで、語りたいことを箇条書きしてみると…


○宇宙の始まり

○宇宙の知的生命体

○創られた惑星、地球

○人間と龍

○恐竜の秘密

○ウイルスと昆虫と植物の秘密

○地球を訪れた宇宙人、ゲル、ぺル、エル

○アヌンナキの一族、エンリル、エンキ、イナンナ

○超古代文明、ムー、レムリア、アトランティス

○縄文時代と弥生時代

 

〇エデンの園、アダムとイブ

 

〇秦の始皇帝、兵馬俑

○邪馬台国と卑弥呼

 

〇聖徳太子

 

〇補陀落渡海

○ノアの方舟と大洪水

○天空の城、ラピュタ

 

〇世界樹

○秘密結社と悪魔教

 

〇ゾンビ

○戦争の始まり

 

〇キリスト教と日本

○ヨーロッパの暗黒時代とペスト

○インディアンの虐殺

○闇の権力と奴隷制度

○アヘン戦争と幕末

○第二次世界大戦の真相

○ニューエイジ

○バシャール

○911と311

○日本の役割

○パラレルワールド

○未来の地球

 

当日は、話の流れで、この中のいくつかを、話すことになると思います。



○定員:12名 

 

深い話がしたいので、少人数とさせていただきます。
定員に達し次第、申し込み締め切らせていただきます。


○受講料:2万円 


お振込み方法などは、別途メールで、ご連絡いたします。


〇その他:セミナー終了後に、懇親会も予定しています。

こちらも、ぜひご参加ください。

 

 


☆参加をご希望の方は、私、トーマまで、メールお願いします。

 

最近、メールが、返信できないことが増えています。

3日経っても、私から返信がない場合は、別のメルアドから送信してみてください。

 

トーマ

 

toma_atlas@yahoo.co.jp


 

なかなか、メールが届かない方は、試しに、フェイスブックから、メッセージを送ってみてくださいね。

 

https://www.facebook.com/toma.atlas

 

 

 



PS 地球の隠されてきた本当の歴史を、知りたくないですか?

写真は、アトランティス文明の都市の想像画です。

 

{091ED1C1-A5B5-4892-B90F-67F102EAF2E1}




☆参考までに、過去記事のいくつかを、再度掲載します。


○「宇宙の始まり」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11788790871.html


○「3タイプの宇宙人による地球文明の歴史」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11737047449.html


○「ラージ・エックス」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11901862620.html

 


○「龍」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11916718173.html
 

 

〇「狛犬の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241177514.html

 

 

〇「稲荷神の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241267304.html

 


○「邪馬台国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12269921232.html

 

 

〇「神の国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12270038516.html

 


☆内容は、当日、少し変更になるかもしれませんが、大まかでは、これらの話を、たくさんの秘蔵写真をお見せしながら、わかりやすくお伝えします。

 



○以前に開催した、「地球文明のセミナー」の参加者からの感想メールです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


○Oさん(女性)

先日の、大阪セミナーありがとうございました!!
私が認識してる宇宙、地球、世の中、の角度がガラリと変わりました
見れる角度が格段に増えて、世界がめちゃ広がったし、また新しい自分で見れるようになりました!!!
ホント、世界一受けたい授業です!!
もーずっと聞いてたい笑!!!
やっぱり、地球っておもしろい
( ´ ▽ ` )ノ
又よろしくお願いします


○Tさん(女性)

先日は本当にありがとうございました!
そして、13才おめでとうございました^^
感慨深いですね~!

ほーんとすっごくすっごく、楽しかった~~~。
素敵なトークをありがとうございます!
そうそう!感想、送ろうと思ってゴメンなさい~><

感想は、トーマさんの泉のように湧き出る豊富なトークに、
もう夢中になってひたすら聞き入ってしまいました。楽しかったああ。

知らないことはもちろん、自分が置いてきぼりにしていたこと、
納得いく真実に出会えました。これが本当だよ、って

心が震えるのは、真実に限りなく近いお話だからなのだとおもいます。

それに、おかしいな?っていうことに徹底切り込んでいくトーマさんの好奇心は素晴らしい!
何から何まで楽しませていただいて、終電までわくわくして、帰るときには

「地球ってやっぱりいいないろいろあるけどいいとこだな」と思えるセミナーでした。

お茶会も楽しみです!今月下旬でしたら、都合がつきそうです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


○Yさん(女性)

今日はセミナーありがとうございました
本当にトーマさんの話は興味がある話ばかりで、面白くて一緒にいると、時間があっという間に過ぎてしまいます
スピリチュアル系の話、宇宙人の話も、陰謀系の話も濃厚すぎて、そのうちのどれほどの話が私の頭に残ってるのやら(笑)
でもほんの一部でも心に残っていれば参加した価値ありですね

宇宙の始まりが『たっぷん』から始まったことや、神様の進化したのが人間だってことや、ゴキブリが実はロボット?っていう話や、化石が残ってる理由や、地球のヒストリーや、肉:穀物が1:7が良いって事など、目から鱗がたくさんはがれました

これからは話すときは映像を頭に浮かべることを意識します
帰って早速、まる(犬)に映像を浮かべて話しかけてみました『今日ね、トーマさんの家に行ってね面白い話をたくさん聞いてきたよ♪話を聞くために10人以上の人が集まったんだよ。人間をあやつっている人の話とか聞いたんだよ』って(笑)
ちゃんと聞き耳たてて聞いてくれていました


○Sさん(女性)

トーマさん、先日のセミナーでわたしはずーと不思議に思っていたことがいくつか、溶けました。

自分がなんのために、もの作りをするのか、有り余る物質の中で漠然と疑問があったのです。

それから、よく、「ドイツ人と日本人は時間を守る」と聞くので不思議だと思ってましたから、しっくりきたのです。他にも疑問はありますが、なかなか表面的なことしか、分からなくてそれだとしっくり来ないのですよね。

トーマさんの話だとスッキリしましたから、よかったです。

ありがとうございました。


○Tさん(女性)

トーマさん、先日は本当に本当に楽しい時間を、ありがとうございました!!!

今また改めて、トーマさんのブログを初めから読ませて頂いているのですが、何度読んでも面白くて、新しい気付きもたくさんあって、その中からもトーマさんの深い思いやりと愛をバシバシ感じております☆

今月の秘密結茶、時間が合いましたら、ぜひ参加させて下さい☆

よろしくお願い致します☆


○Iさん(女性)

今日は、ありがとうございました!!
すっごく楽しかったですー(。>∀<。)
トーマさんのお話を聞くと、視野が広がるので、いつも、助かっています!!
本当にありがとうございました!

魅力菩薩になれるよう、がんばりまーす
おやすみなさい!


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 

 

 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

トーマ

 
 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 

 

 

ペタしてね

読者登録してね



♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 

 

☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。

http://www.tomaatlas.com/library00.htm

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

$
0
0

昨日の昼間は、都内の大田区で、またまた、マイブームの「補陀落渡海」の痕跡を辿っていました。

自分の近所の神社や寺にも、たくさんの痕跡があったことを発見して、毎回、驚嘆しています。

 

JR大井町駅から大森駅の近辺を、いくつか、まわったのですが、まわった中で、特に印象的だったのは、「大森山王熊野神社」です。

 

{73F61DE3-AF6D-4426-9455-F0852D7FC22E}

 

 

とてもいい氣が充満している、パワースポットでした。

何回も通いたくなる神社ですね。

 

{7FCD79A2-5B27-41B3-91EC-7422E3A778D6}

 

 

やはり、「三つ巴」ですね。

 

{8695B3E2-E54C-4990-83E3-6D4F2167CE35}

 

 

詳しいことは、今月くらいに、旅行記で、まとめて書きますね。

もうしばらく、お待ちください。

 

 

 

 

去年から今年にかけて、私の周囲で、何名かの友人や知人が、亡くなりました。

病気や交通事故の方もいれば、他の複雑な理由で、亡くなった方もします。

 

それまで、会おうと思ったら、会えた人が、ある日を境に、会えなくなるというのは、やはり、寂しいものです。

 

 

 

今回は、「死」について、考えてみましょう。

 

いつも思うのですが、学校での教育でも、家庭での教育でも、本当に大切なことは、子供に教えていないという現状があります。

これは、現代において、その中でも、特に戦後に著しい傾向だと思います。

 

 

大人が、子供に教えなくてはいけない、一番大切なことは、

 

「人生を、どう生きるのか?」

 

ということだと思います。

つまり、「人生哲学」のようなものです。

 

こういう核心を突かずに、

 

「テストで、いい成績をとって、いい学校に入れば、いい就職先に入れて、いい結婚ができる」

 

このような薄っぺらなことだけを教える教師や親が、まだまだ多いのが現代社会だと思います。

 

そして、「人生哲学」を説くには、その対極にある、

 

「死んだら、どうなるのか?」

 

これが、わからないと、本質的な話ができないのです。

 

「死んだらお終いだ…」

 

こういう世界観をもって生きている人と、

 

「死んだ後にも、新しい別の世界が待っている!」

 

こう信じて生きている人では、生き方が、全く違ってくるのです。

 

そして、この一番大切な「死」について、本当に理解している大人が、とても少ないのです。

 

 

私は、幸いなことに、23歳の頃に、ある教師に出会い、その方から、

 

「死とは、どういうことなのか? 何の意味があるのか? 死んだらどうなうのか?」

 

ということを、教えていただきました。

それからは、人生観や世界観が、180度変わりました。

 

 

 

前述したように、人生において、「幸福」の問題を考える時、どうしても避けて通れない問題に、「老い」と「死」の問題があります。

この中でも、特に、自分なりの答えを、なるべく早く、もっておいた方がいいのが、「死」についてだと思います。

これをクリアにしておかないと、本当の幸福感は、もてないと思うのです。

 

 

 

私が、最初に「死」を意識したのは、小学校低学年の頃でした。

 

夜寝ている時に、自分が死んだ夢を見たのです。

家の前で、自分の遺体が棺おけの中に入れられ、友達が泣きながら見ているのがわかりました。

とても悲しくなって、ワンワン泣いて、涙を流しながら、目が覚めた覚えがあります。

とてもクリアで、明確な夢でした。

 

 

その後、20歳の頃、8年間飼っていた、「ヤマト君」という雄の犬がいたのですが、このヤマト君が病気で死んだ時、とても悲しくて、また泣きました。

 

このヤマト君は、私が、精神的にまいっていた時、人間不信に陥って孤独だった時、一番の大親友でした。

いつも、一緒にランニングをしたり、小学校の校庭で、私が、鉄棒で懸垂したり、逆立ち歩きしたりしている時、ヤマト君だけが、応援してくれていました。

私の一番最初のトレーニングパートナーであり、コーチでした。

犬っていいですね。

たまに、人間よりも彼らのほうが、霊的に優れているのではないかと、思うこともあります。

 

 

また、ちょうどそれと同じ頃、隣の家の床屋さんのおじさんが、夜、酒に酔って、

 

「チクショウー! チクショウー! コンチクショウメー!」

 

と気違いのようにわめいているのを、夜見たことがありました。

 

子供の頃から、よく髪を切ってもらって、とてもやさしくしてもらったおじさんの、あまりの変わり果てた姿に、ビックリしました。

あんなに温厚で、紳士だったおじさんが、怒鳴りちらし、電信柱などを殴っていたのです。

 

それから、1ヶ月ほどして、そのおじさんが、癌で亡くなったと知り、なんともいえない気分になった覚えがあります。

たぶん、医者から癌の告知を受けたのだろうと思います。

「死の恐怖」が、人間をあんなに苦しめるものだということが、そのおじさんが取り乱している姿を見て、よくわかりました。

 

 

 

お釈迦様も、よく弟子たちと、「死」について、議論していたようですが、あまり詳しくは話してくれなかったという説が、有力だそうです。

 

 

ある日、お釈迦様のところへ、

 

「息子が死んだ」

 

と言って、嘆き悲しんでいる母親がやってきて、この苦しみを和らげてくれるように、頼んだことがあったそうです。

 

すると、お釈迦様は、ただ、

 

「それでは、死人が一人もでなかった家を探してきなさい」

 

という宿題を出したそうです。

 

その母親は、言われたとおり、いろいろな家を訪ねるのですが、どの家も、

 

「おじいさんが、去年死んだ」

「お母さんが、、3年前に死んだ」

 

などという答えが返ってきて、その時にようやく、その母親は、

 

「そうか、死というものは、どの家でも起こる、きわめて当たり前のことだったのだ。誰にでも、訪れることだったのだ。私の息子だけではなかったのだ」

 

ということを悟り、お釈迦様のこの宿題に感謝したのだそうです。

 

そうなのです、

 

「死」は、きわめて当たり前のことであり、日常茶飯事の出来事なのです。

 

image

 

 

 

ヤマト君と床屋のおじさんの死の後、1年経った、21歳の頃、私は今度は、祖母の死を目の当たりにしました。

私は、この祖母と仲良しでした。

 

その頃、祖母は67歳だったのですが、病気がちで、いつも病院と家の入退院を繰り返していました。

 

その後、家に帰ってきて、自宅療養していていました。

 

その間、母がずっと介護していたのですが、排泄器官が悪くなり、すぐに大小便を垂れ流すようになり、母も私たち家族も、皆、介護に疲れ果てていました。

 

「もう、このままでは、私のほうが、ノイローゼになってしまうよ…」

 

母が、毎日こう言って、苦しんでいました。

 

だんだん、頭もボケてきて、いろいろなことを言うようになりました。

 

「ねえ、どうして、この家に川が近づいてくるの? 一日ごとに、川の流れる音が、大きく聞えるようになっているよ」

 

「どうして、去年死んだ犬のヤマト君が、部屋の中のに入ってくるの? 私のベッドの周りで、元気に走り回っているよ」

 

こんなことを言うようになりました。

 

でも、今考えると、ボケていたというよりは、本当に見えたり、聞えたりしていたのだろうと思います。

 

 

「昨日、死んだ私のお父さんが、迎えに来たよ…」

 

こんなことを話していたある日、急に、祖母は息をひきとりました。

 

救急車が来た時には、もう完全に心臓が停止していました。

とても安らかな死に顔でした。

すぐに死後硬直が始まり、遺体が固くなったのには、驚いたのですが、それ以外は、眠っているような顔でした。

 

親戚を呼び、通夜が行われ、私は一晩中、祖母の遺体と部屋で一緒にいました。

酒を飲みながら、歌を歌ったりして、一晩明かしました。

いろいろな思い出が蘇ってきました。

 

「イタル、男は文武両道だよ。頭だけ良くてもダメだ。体だけ丈夫でもダメだ。学問もやって、体も鍛えて、はじめて本当の男なのだよ。文と武は両輪のごとしだよ。忘れないでね」

 

私に、口癖のように、いつも言っていました。

今でも、この言葉は、私のライフスタイルに、強い影響を及ぼしています。

 

 

翌日、火葬場に行く時、家の前で、近所の人がたくさん集まって、私たちが棺おけを運ぶのをみていたのですが、

 

「あれ? この場面、以前にも一度体験した気がするぞ…」

 

という「デジャブ」を体験しました。

もしかしたら、私が子供の時に見た、「自分が死んだ夢」と何か関係があったかもしれません。

 

火葬場で遺体を焼き、煙突から、祖母の遺体が煙とともに、空に上っていくのを、ボンヤリ見ていました。

 

「ああ、この煙の細かい粒子が、また海や土に降りてきて、魚の口に入ったり、植物の肥料になったりするんだな…」

 

などと考えていました。

自然界の摂理を少しだけ垣間見たような気がしました。

 

 

それから一週間ぐらいの間、家の中で夜、祖母の杖の音が、ずーと聞えていました。

歩き回っているようでした。

それから一週間目の夜に、私の部屋に、人が入ってくる気配がしました。

 

「あっ、おばあちゃんだな…」

 

とわかりました。

とてもやさしい波動を感じたからです。

私の体をやさしく触り、どこかに行くのがわかりました。

 

また、四十九日の前日、夢の中で、祖母に会いました。

とてもクリアな夢でした。

 

「ほーら、見なさい、イタルがやっぱり、一番最初にここに来ると思っていたよ」

 

もう一人、知らないおばあさんがいて、その人に、私のことを紹介しました。

祖母は、とても艶やかな紫色の着物を着て、幸せそうでした。

 

「あばあちゃん、そんなに元気だったら、こっちの世界でも、100年以上は、生きられそうだな!」

 

こう言って、祖母の膝を触りました。

その触った感触は今でも覚えています。

あの場所が、いわゆる「あの世」という場所だったのではないかと思っています。

 

 

私は、祖母にも、犬のヤマト君にも、また会えるだろうと信じています。

再会が、今から楽しみです。

 

 

 

「死」というものは、やはり、魂の成長の一つのプロセスに過ぎないと思っています。

昆虫が、さなぎから成虫になるようなものかもしれないと、私は考えています。

 

今は、死に対する不安はほとんどありません。

今も幸せだし、死後もやはり幸せだろうと、思っています。

 

「自分が、元いた場所に戻るだけの行為」

これが、私の考える「死」の定義です。

 

 

 

昔、「死」について、ユニークな考えを、本で読みました。

 

 

1972年に、「アポトーシス」という現象が発見されたそうです。

これは、細胞が自殺するという現象だそうです。

 

ある種のたんぱく質が、生命体の全身のために、特定の細胞に、「死んでください」という指令をだすことが、科学的に確認されたのだそうです。

 

その指令を受けた細胞は、みずからの命を絶つそうです。

 

例えば、体が傷ついた時、その傷口には、潰れた細胞があるのですが、二通りの潰れ方があるそうです。

一つは、血管が萎縮して、血液が回らずに輪郭が崩れて死んでいく細胞。もう一つは、輪郭を維持しながら、秩序正しく死んでいく細胞。

この後者の「秩序正しく死んでいく細胞」が、遺伝子の指令で死ぬ細胞なのだそうです。

 

「全身のために、これらの細胞は、死んだほうがいい」

 

と遺伝子が判断して、指令をだし、これを受けて細胞が死ぬのだそうです。

 

例をあげると、おたまじゃくしの尻尾の細胞が死ぬ時は、この指令がでているそうです。

この「尻尾の細胞」が死ぬことによって、「おたまじゃくし」という全身が、「カエル」という全身に変身するのだそうです。

 

image

 

 

 

よく、「生き甲斐」について、私達は考えますが、逆の「死に甲斐」について、考えてみることによって、より世の中が、明確に見えてくることもあると思います。

 

 

「全ての死は、人類全体の発展、進歩のためなのではないか?」

 

と、一度、大きな視点で考えてみるのも、いいのではないでしょうか?

 

枯葉が落ちて、それが、その木の養分になるように…

 

 

 

別の本の中で、「死」について、興味深い表現が書かれていました。

 

要約すると、

 

「私達の世界は、人生老死号という名前がついた列車に乗って、皆で旅をしているようなもの」

 

だというのです。

 

老いと死に向かって、まっしぐらに進んでいく列車で、各駅停車で、駅に着くたびに、新しい乗客を乗せて走っていく列車なのだそうです。

 

「新しい乗客」が、新しく生まれてくる「赤ちゃん」だそうです。

 

この列車に終着駅はなく、どこまでも走り続けるそうです。

誰がどこで降りるかというと、じっと耳をすましていると、神様の声が聞こえてきて、それぞれが、

 

「私は、皆さんと一緒に、楽しい旅をさせていただきました。私は、次の駅で降ります。では!」

 

と皆にお礼を言って、各駅で降りていくのだそうです。

 

降りる人がいるから、誰かが、降りる人の席に座れる。

立ったままの人もいるが、立っている人も、一人でも降りれば、それだけストレスが、小さくなるという話です。

 

乗る人だけだったら、確かに大変です。

満員電車になってしまいます。

 

ここでの「各駅停車」が、「生死」なのだそうです。

 

 

人類は、地球上において、長い長い歴史の中、常に、生まれて、老いて、それから、死んでいくという行為を、繰り返してきています。

 

それは、あたかも、人類全体が、古い細胞をそぎ落として、新しい細胞が生まれてくるという、新陳代謝を繰り返し、成長し続けている、「大いなる超生命体」のようなものなのかもしれません。

 

 

 

 

PS この話を書いていたら、久しぶりに、アニメの「銀河鉄道999」が、頭に浮かんできました。(笑)

 

image

 

 

image

 

 

 

☆ 23歳の時に、出会った恩師、宮城先生の話です。

まだ読んでいない方は、ぜひ読んでみてくださいね。

 

〇「マスター編」

 

http://www.tomaatlas.com/master.htm

 

 

 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 
 
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 


☆私のメインサントです。 

http://www.tomaatlas.com/

 

東京セミナー ~地球文明~

$
0
0

お待たせしました~!

来月、また東京で、「地球文明」のセミナーを開催することが決まりました!

 

 

旅行記を書くたびに、

 

「もっと詳しい話が知りたいです!」

 

こういう内容のメールが多いので、ブログでは書けないことなどを、直接お届けしようと思います。

 

このセミナーは、何度も開催していますが、やはり、文字だけよりも、会ってから話したほうが、たくさん伝えることができるようです。

 

宇宙考古学、それから、古代史に興味のある方、ぜひ参加してみてください。

歴史のロマンを、いろいろ語りあいましょう。

 



<東京セミナー ~地球文明~>

 


○日時:2018年5月20日(日)13時45分(受付開始) 14時00分~17時00分

○場所:東京都大田区の私のオフィスで、開催します。
詳しい住所などは、別途、メールにて連絡させていただきます。

○内容:神々や宇宙人たちが、地球文明をサポートしていた話を、古代から現代まで、たくさんの具体的な例をあげながら、広く深く語ります。

セミナーで、語りたいことを箇条書きしてみると…

○宇宙の始まり

○宇宙の知的生命体

○創られた惑星、地球

○人間と龍

○恐竜の秘密

○ウイルスと昆虫と植物の秘密

 

〇世界樹

○地球を訪れた宇宙人、ゲル、ぺル、エル

○アヌンナキの一族、エンリル、エンキ、イナンナ

 

〇古代日本における、イザナギとイザナミ

 

○超古代文明、ムー、レムリア、アトランティス

○縄文時代と弥生時代

 

〇天皇

 

〇エデンの園、アダムとイブ

 

〇秦の始皇帝、兵馬俑

○邪馬台国と卑弥呼


○ノアの方舟と大洪水

 

〇バベルの塔

○天空の城、ラピュタ

○秘密結社と悪魔教

 

〇聖徳太子と補陀落渡海

○戦争の始まり

○ヨーロッパの暗黒時代

○インディアンの虐殺

○闇の権力と奴隷制度

○アヘン戦争と幕末

○第二次世界大戦の真相

○ニューエイジ

○バシャール

○911と311

○日本の役割

○パラレルワールド

○未来の地球


○定員:10名 深い話がしたいので、少人数とさせていただきます。
定員に達し次第、申し込み締め切らせていただきます。


○受講料:2万円 
お振込み方法などは、別途メールで、ご連絡いたします。


〇その他:セミナー終了後に、懇親会も予定しています。

こちらも、ぜひご参加ください。

 

 


☆参加をご希望の方は、私、トーマまで、メールお願いします。

 

最近、メールが、返信できないことが増えています。

3日経っても、私から返信がない場合は、別のメルアドから、送信してみてください。

 


トーマ

toma_atlas@yahoo.co.jp

 

 

もしくは、フェイスブックからだと、確実に、連絡がとれます。

 

https://www.facebook.com/toma.atlas

 

 

 


PS 地球の隠されてきた本当の歴史を、知りたくないですか?

 

エジプトのピラミッドです。

 

image

 

 


☆参考までに、過去記事のいくつかを、再度掲載します。


○「宇宙の始まり」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11788790871.html


○「3タイプの宇宙人による地球文明の歴史」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11737047449.html


○「ラージ・エックス」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11901862620.html

 


○「龍」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11916718173.html
 

 

〇「狛犬の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241177514.html

 

 

〇「稲荷神の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241267304.html

 


○「邪馬台国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12269921232.html

 

 

〇「神の国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12270038516.html

 


☆内容は、当日、少し変更になるかもしれませんが、大まかでは、これらの話を、たくさんの秘蔵写真をお見せしながら、わかりやすくお伝えします。

 



○以前に開催した、「地球文明のセミナー」の参加者からの感想メールです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


○Oさん(女性)

先日の、大阪セミナーありがとうございました!!
私が認識してる宇宙、地球、世の中、の角度がガラリと変わりました
見れる角度が格段に増えて、世界がめちゃ広がったし、また新しい自分で見れるようになりました!!!
ホント、世界一受けたい授業です!!
もーずっと聞いてたい笑!!!
やっぱり、地球っておもしろい
( ´ ▽ ` )ノ
又よろしくお願いします


○Tさん(女性)

先日は本当にありがとうございました!
そして、13才おめでとうございました^^
感慨深いですね~!

ほーんとすっごくすっごく、楽しかった~~~。
素敵なトークをありがとうございます!
そうそう!感想、送ろうと思ってゴメンなさい~><

感想は、トーマさんの泉のように湧き出る豊富なトークに、
もう夢中になってひたすら聞き入ってしまいました。楽しかったああ。

知らないことはもちろん、自分が置いてきぼりにしていたこと、
納得いく真実に出会えました。これが本当だよ、って

心が震えるのは、真実に限りなく近いお話だからなのだとおもいます。

それに、おかしいな?っていうことに徹底切り込んでいくトーマさんの好奇心は素晴らしい!
何から何まで楽しませていただいて、終電までわくわくして、帰るときには

「地球ってやっぱりいいないろいろあるけどいいとこだな」と思えるセミナーでした。

お茶会も楽しみです!今月下旬でしたら、都合がつきそうです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


○Yさん(女性)

今日はセミナーありがとうございました
本当にトーマさんの話は興味がある話ばかりで、面白くて一緒にいると、時間があっという間に過ぎてしまいます
スピリチュアル系の話、宇宙人の話も、陰謀系の話も濃厚すぎて、そのうちのどれほどの話が私の頭に残ってるのやら(笑)
でもほんの一部でも心に残っていれば参加した価値ありですね

宇宙の始まりが『たっぷん』から始まったことや、神様の進化したのが人間だってことや、ゴキブリが実はロボット?っていう話や、化石が残ってる理由や、地球のヒストリーや、肉:穀物が1:7が良いって事など、目から鱗がたくさんはがれました

これからは話すときは映像を頭に浮かべることを意識します
帰って早速、まる(犬)に映像を浮かべて話しかけてみました『今日ね、トーマさんの家に行ってね面白い話をたくさん聞いてきたよ♪話を聞くために10人以上の人が集まったんだよ。人間をあやつっている人の話とか聞いたんだよ』って(笑)
ちゃんと聞き耳たてて聞いてくれていました


○Sさん(女性)

トーマさん、先日のセミナーでわたしはずーと不思議に思っていたことがいくつか、溶けました。

自分がなんのために、もの作りをするのか、有り余る物質の中で漠然と疑問があったのです。

それから、よく、「ドイツ人と日本人は時間を守る」と聞くので不思議だと思ってましたから、しっくりきたのです。他にも疑問はありますが、なかなか表面的なことしか、分からなくてそれだとしっくり来ないのですよね。

トーマさんの話だとスッキリしましたから、よかったです。

ありがとうございました。


○Tさん(女性)

トーマさん、先日は本当に本当に楽しい時間を、ありがとうございました!!!

今また改めて、トーマさんのブログを初めから読ませて頂いているのですが、何度読んでも面白くて、新しい気付きもたくさんあって、その中からもトーマさんの深い思いやりと愛をバシバシ感じております☆

今月の秘密結茶、時間が合いましたら、ぜひ参加させて下さい☆

よろしくお願い致します☆


○Iさん(女性)

今日は、ありがとうございました!!
すっごく楽しかったですー(。>∀<。)
トーマさんのお話を聞くと、視野が広がるので、いつも、助かっています!!
本当にありがとうございました!

魅力菩薩になれるよう、がんばりまーす
おやすみなさい!


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 

 

 

 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas

 

 

トーマ

 
 
toma_atlas@yahoo.co.jp

 


☆私のメインサントです。 

http://www.tomaatlas.com/

 

補陀落渡海ツアー 1 平和憲法

$
0
0

お待たせしました~! 

久しぶりの旅行記です。

 

ご存知のように、今年になってから、「古代日本オリジナルツアー」、「古代日本パイオニアツアー」、「古代日本ピースツアー」、「沖縄ニライカナイツアー」など、立て続けに旅行記を書いています。

 

そして、裏の日本史において最重要だと思われる、「補陀落渡海」について調べています。

これは、直接、現地に行って、自分の脚で、歩き回って、自分の目で確かめているという意味です。

 

 

古代において、西日本で虐げられ、弾圧されていた人々が、理想の新天地を目指して、「黒潮」という流れを利用して、「小舟」で東日本を目指したという、現代でいう、「亡命」のような脱出劇があったのです。

その驚愕の古代史を、突き止めたのです。

 

 

今回は、主に、その人々が、東日本に辿り着いた痕跡を辿った旅になります。

 

 

 

実は、「補陀落渡海」という単語を、最近まで知りませんでした。

 

今年の1月に、大阪府の堺市に、数日間の間、滞在したのですが、その時に、ある友人から、素敵な本を紹介されたのです。

それが、この本です。

 

〇「全ての生命は日ノ本から 日本が地球を救う」  著者:豊受の界 印刷:サンメッセ株式会社 2000円

 

image

 

 

自費出版だと思いますが、最高に素晴らしい本です。

 

私は、この本は、現代の聖書だと思います。

星の数ほどの歴史書や古代史を読み漁りましたが、その中でもダントツの存在です。

 

「人類への神からのメッセージ」

 

こう言われている、「預言書」や「チャネリング」の本は、山ほどありますが、ほとんどの情報元は、「神」というよりは、人間のちょっと上からの「超自我」、いわゆる、「天使」や「ハイアーセルフ」からものが多いです。

 

しかし、この本は、本当に、宇宙の根源の「創造主」のような存在から、直接、届けられたメッセージという気がします。

 

私は、普段から、膨大な読書をこなしているので、そのレベルの高さや完成度が、すぐにわかるのです。

 

去年から、存在は知っていたのですが、書店などにも置いてなくて、なかなか手に入らなかったのですが、不思議な御縁で、私の手元に届きました。

 

それから、夢中になって、むさぼるように読みました。

10回以上精読していますが、内容が凄すぎて、未だに全部は理解できません。

 

 

 

何度か紹介していますが、去年に読んだこの本がありましたね。

 

〇「超古代の黙示録」 著者:後藤まさし たま出版 1429円

 

image

 

 

この本は、上記の本の内容を、シンプルにして、一般の方でも、わかるような表現にした内容だと思います。

 

私は、最初に、この一般向けの「超古代の黙示録」を読み、それから、本格派向けの「全ての生命は日ノ本から 日本が地球を救う」という本を読みました。

この流れのほうが、理解しやすいかもしれません。

 
 
去年に、「超古代の黙示録」を読んで、この中で、たびたび紹介されている、K先生という方の存在を知りました。
 
「日本には、凄い方がいるんだな…、いったい、どんな方なんだろう?」
 
こう思っていたら、フェイスブックで、K先生をよく知っている方たちと繋がることができて、インターネットを通じで、K先生のことを、間接的に知ることができました。
 
そして、加古藤市先生というお名前だということも、その時に初めて知りました。
 
 
それから、前述したように、今年の1月に、「全ての生命は日ノ本から 日本が地球を救う」という本を購入して、精読しているうちに、加古先生が、御病気で入院中だということを知りました。
 
その時は、フェイスブックの投稿を、いくつか読んでいるうちに、お元気で回復している様子を知ったので、
 
「加古先生に、いつかお会いしたいな…、直接、いろいろなお話を聴いてみたいな…」
 
こういう気持ちが、徐々に膨らんでいました。
 
しかし、先日の4月9日、先生は、今世でのお役目を終え、光の世界に、帰られたそうです。
忙しくて、お葬式などでにも、行けなかったのですが、その日は、遠くから合掌させていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。
 
 
 
人間関係というのは、インターネットの登場で、大きく変化しました。
 
会ったことが無い方でも、ネット上だけで、深い会話をすることができたり、その人の価値観や思想が、自分の人生に、大きな影響を受けたりすることもあります。
 
場合によっては、たったの1回だけ、メールでやりとりしただけで、人生が劇的に変化することもあります。
 
一方で、職場などで、毎日、顔を合わせて、日常会話をしていても、表面的な会話だけで、まったく深い内容の話をしないで、お互いに相手が、本当は、どういう人間なのかを知らずに、終わる関係もあります。
 
最近では、家族や親戚でもしないような、深い内容の会話を、ネット上で、やりとりすることもあります。
 
 
現代社会では、血縁関係よりも、もっと深い関係を、築くようになってきているのです。
それは、霊的な関係と表現してもいいかもしれません。
「ソウルグループ」という単語を使ってもいいでしょう。
 
 
私にとって、上記の2冊の本は、間違いなく、人生の分岐点に立ったと思えるほどの衝撃の内容でした。
そして、2冊も、メッセージの送り手が、加古先生だったのです。
 
一度もお会いできませんでしたが、私の人生の中では、大恩人です。
この本との出会いが、私の人生を、とても豊かなものに、変えてくれたのです。
 
 
そして、この本、「全ての生命は日ノ本から 日本が地球を救う」の中に、「補陀落渡海」の話が書かれていたのです。
 
わずか数行ほどの記述でしたが、私には、なぜか本能的な勘で、
 
「この内容は、とても重要である!」
 
と確信することができて、それから、いろいろ調べ始めたのです。
 
調べれば調べるほど、「補陀落渡海」の奥深さ、それから、古代から現代にまで、日本という国家に影響を与えている、最重要な史実だということを、知ったのです。
 
 
 
では、いつものように、初めて旅行記を読む方たちのために、前回までの内容を、思いっきり駆け足で、再掲載しますね。
 
 
上記の2冊の本を、私なりの解釈で、さらに、シンプルにまとめますね。
詳しいことを、お知りになりたい方は、ぜひ、本を読んでください。
 
 
 

宇宙には、生命を創る元のエネルギーのようなものがあり、それは、「丹(に)」と呼ばれているそうです。

太陽で創られ、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元になっているそうです。

 

そして、宇宙空間にあり、目に見ない、「障壁賀」という、宇宙の子宮のような所があり、ここに、「生(しょう)」と呼ばれる別のエネルギーのようなものが、充満しているそうなのですが、ここで、二つが合体するそうです。

 

そして、「丹生(にしょう)」というエネルギーが、生まれるそうです。

 

「丹(に)」+「生(しょう)」=「丹生(にしょう)」

 

「丹生」とは、「丹生遺伝子」の意味で、生命そのものを表現するのだそうです。

このエネルギーが生まれた後、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中では、「植物」、「動物」、「人間」の三つに、区分けされるそうです。

 

太古の大昔、最初に、「植物の丹生」が、地球に降り立ち、次に、「動物の丹生」が、最後に、「人間の丹生」が、降り立ったそうです。

三つとも、月を経由して、地球に来たそうです。

 

最初に、「植物の丹生」が降り立ったのが、現在の日本の京都府与謝郡峰山町にある、「藤社(ふじこそ)神社」だそうです。

それから、「動物の丹生」が降り立ったのが、同じく京都府与謝郡峰山町の「比沼麻奈為(ひぬまない)神社」だそうです。

 

太古の昔は、「与謝郡」と「与謝の海」を合わせた場所を、「与謝津(よさかい)」と言って、ここだけが、地球上で、唯一、生命を導き、育てることが、許されていた場所だったそうです。

 

そもそも、「丹波」のように、「丹」がつく土地は、「丹(に)の波動を出している土地」という意味なのだそうです。

 

 

肝心の「人間の丹生」が降り立った場所ですが、それが、現在の「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」なのだそうです。

720万年前の話だそうです。

 

最初の「人間の丹生」は、「零迦児(むかご)」として、風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。

それは、なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。

 

それから、その、「零迦児」は、巣と一緒に、海に落ちて、しばらく、与謝海を漂ったそうです。

何度も何度も、脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。

その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように、見守っていたそうです。

 

昔から、世界中に、「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」という話がありますが、これが由来だそうです。

 

 

「舞鶴」という地名も、元々は、「コウノトリが、舞い戻った」ということから、できた名前だそうです。

おそらく、この「零迦児の入った巣」を、海に漂っている途中で、危なくて見てられなくなり、口で咥えて、舞鶴の地へ運んだのだと思います。

 

 

最終的には、「零迦児の入った巣」は、舞鶴の「丹生川」の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら、育ったそうです。

 

 

丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。

「久久比神社」という名前です。

 

{A4DB0B98-59FE-4963-A029-385081306B21}

 

 

こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。

先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。

 

 

 

何度も書いていますが、中近東を拠点にした、シュメールの文明の神々、「アヌンナキ」のファミリーは、50万年前に、故郷である、「二ビル星」から、UFOでやってきたそうです。

 

しかし、その「アヌンナキ」の王である「アヌ王」、その子供になる、「エンキ」と「ニンフルサグ」の二人が、それよりも古い、720万年前に、なんと、宇宙の根源からダイレクトに、日本の丹後半島に、降臨していたということです。

 

念のために、再度書いていますね。

 

この神々の正体です。

 

エンキ」=「イザナギ」

「ニンフルサグ」=「イザナミ」

 
こうなるのです。

 

 

二人は、月を経由してやってきて、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た、「繭(まゆ)」のような姿の生物として、成長したようです。

それからも、何度か脱皮を繰り返して、人間として成長したそうです。

「瓢箪(ひょうたん)から駒」という表現の語源は、このあたりに由来しているそうです。

 

 

一説によると、天橋立から、ちょっと離れた冠島で、完全な人間の姿になったそうです。

 

「眞名井神社」です。

「三つ巴」の紋章は、「植物」と「動物」と「人間」の遺伝子も、表現しているのだと思います。

 

この「三つ巴」のシンボルマークは、大切なキーワードになるので、よく覚えておいてくださいね。

 

{34270061-A25D-4889-A626-C1C1E5FC9D29}

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の二人ですが、最初の頃は、中近東にあった、「エデンの園」に住んでいた、もう一組の人祖である、「アダム」と「イブ」のように、周囲には、植物と動物以外には誰もいないという環境で、二人っきりの童児と童女として、寄り添いながら、生きていったそうです。

 

小鳥たちや小動物たちしか、遊び相手はいなかったのです。

 

ある日のこと、小鳥やリスが、交尾をしているのを見て、童女の方が、顔を赤らめたそうです。

 

それから、童女は、童児に、

 

「これからは、寝屋を別にしましょう」

 

と言ったそうです。

 

お互いに、異性を意識するようになったということです。

 

童児も、それに同意して、それが、きっかけで、二人は別々の場所で暮らすことになったそうです。

 

しかし、永遠の別れというわけでもなく、二人の約束は、

 

「ある程度の年齢になったら、また再会しよう!」

 

というものだったそうです。

 

現在の福井県小浜市にある、遠敷川の「鵜瀬」で、二人は、一旦、涙の別れをしたそうです。

 

童女のほうは、その後、現在の滋賀県の琵琶湖にある、「竹生島」で、初潮を迎えたそうです。

後世、成人した女性を守る、「弁天様」は、ここから発生しているそうです。

そういえば、多くの祠は、池の中にあったり、赤い鳥居や赤い祠、赤い橋などですね。

あれは、童女(イザナミ)が、琵琶湖に囲まれた竹生島で、赤い血を流したことが、始まりだそうです。

 

それから、童女は、滋賀県犬上郡多賀町のあたりで、しばらく暮らしたそうです。

 

「イザナミ」は、その後は、三重県の員弁、それから、三重県の麻生田でも、3年間ほど生活していたそうです。

 

それから、「イザナギ」と再会を約束していた場所、現在の伊勢市宮後町にある、「伊勢神宮」の外宮の別宮、「月夜見宮」に行ったそうです。

そこで、二人は、お互いに成長した姿で、久しぶりの再会をしたそうです。

そして、ここで、結婚式を挙げたそうです。

 

 

そこでは、「イザナミ」が、麻生田で織った、「白妙」を二人とも纏って、誓いの言葉を神に述べたそうです。

 

「絶対に争ったり、殺し合ったりせずに、助け合います」

 

というのが、その誓いの言葉だったそうです。

現在でも、天皇が結婚する時にやる、「大嘗神祇祭」という儀式では、これをやるそうです。

 

{A31A943A-346D-43B4-8FB4-FDB4B2341FBA}

 

 

この誓いの言葉の理由は、最初の人祖である、この二人が、「人間の元」の状態で、地球に来る前に、その宇宙の根源のような世界、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中が、とても調和がとれていて、争いごとの全くない、素晴らしい世界だったために、その理想の世界を、この現実世界でも再現しようと思ったようです。

 

考えてみたら、現在の日本の「平和憲法」は、この時に、すでに出来上がっていたのです。

 

 

「絶対に戦わない」

 

この姿勢は、戦後、GHQから押し付けらたものではなく、なんと、そもそも、この世界に、人類が最初に誕生した頃からの、神との約束だったのです。

 

「平和憲法」というのは、気が遠くなるほど、遠い遠い、超古代からの「尊い教え」だということです。

 

「日本」だけでなく、「地球」そのものを救うための教えだったのです。

 

 

 

それから、イザナミは、自分が子供の頃に住んでいた滋賀県犬上郡多賀町のあたりが、とても気に入っていたので、そこでの定住を決めたようです。

 

二人は老化もせず、若い身体のまま、数千年生きたそうです。

そして、その間に、子供を、たくさん産んだようなのです。

 

子供たちは、男女合わせて38人いたそうです。

男児が19人、女児が19人だったそうです。

 

38人の子供たちが、ある程度育ち、それから、さらに、その38人も、たくさんの子供を産み、大勢の子孫に恵まれたそうです。

 

それで、ある程度、落ち着いた頃を見計らって、二人は、元来た天に、戻ることにしたそうです。

 

その場所は、滋賀県米原市にある、「醒ヶ井」という所にある、「武奈山」と「比婆山」を、二人のお墓に決めたそうです。

この二つの山は、距離にして、3キロくらい離れているそうです。

 

最初に、「イザナギ」が、「武奈山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、本質である霊体は、

 

プシュー!

 

と、天高く飛びあがり、そのまま、「金星」に向かって、天に飛んでいったそうです。

 

しばらくして、今度は、「イザナミ」が、「比婆山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、また、霊体が、

 

プシュー!

 

と、「イザナギ」の後を追うように、同じく、「金星」の方角に飛んで行ったそうです。

 

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」が生んだ、38人の子供たちは、それそれ、男子が19人、女子が19人で、それぞれ、カップルになり、結婚して世帯をもったそうです。

19組のカップルだったのです。

 

その中でも、最初の長男と長女のカップルは、別格の扱いになったそうです。

この夫婦は、「大丹生・皇(おにゅうけ・すめら)」という名前が付けられ、後に、この子孫が、「天皇家」の家系になったそうです。

 

長男の名前が、「別雷尊(わけいかずちのみこと)」という名前だったそうです。

 

とても元気な身体で、拳を振り上げて、生まれたそうです。

そして、宇宙の源のエネルギーである、「丹生」の波動で、身体が輝いていたそうです。

それが、まるで、雷でも落ちて、発光していたように、見えたのかもしれません。

現代風の表現では、「凄いオーラをまとった身体」だったのだと思います。

 

長女の名前は、「玉依姫(たまよりひめ)」と名付けられてそうです。

「玉のように美しい」という表現がありますが、ここからきていると思います。

この一族の中では、美しい女性の美称として、この表現を使っていたそうです。

 

 

この長男と長女の名前も、あとから、大切になってくるので、おぼえておいてくださいね。

 

〇長男 → 「別雷尊」

〇長女 → 「玉依姫」

 

この二人の夫婦が、「大丹生家(天皇家)」の始まりだそうです。

 

 

他の18組の夫婦は、「丹生家(にゅうけ)」となり、「天皇家」を補佐するグループになったそうです。

 

まとめると、「38人の子供」の中で、長男と長女の2人は、「天皇家」になり、残りの36人は、「補佐の役割」になったということです。

 

 

この最初の日本人の数を表現している、「三十八」という数字は、実は、とても特別な数字であり、日本の古代史の中で、様々な形で、暗号として隠されて、伝えられてきたようです。

 

 

たとえば、後世になって、人がたくさん集まる場所は、「都」と呼ばれるようになるのですが、この名前には、

 

「三(み)」+「八(や)」+「子(こ)」=「都(みやこ)」

 

という意味が隠されてたそうです。

 

「38人の子供が、最初に住んでいた土地」

 

というのが、「都」の隠された意味だったのです。

 

「京都」は、もちろんのこと、「東京都」、「宮城」、「三ノ宮」、「都城」、それから、沖縄県の「宮古島」など、「みやこ」の文字が入る地名は、全部、この38人の子供に、関係ある土地なのかもしれません。

 

 

 

この後、この38人の子供たちと子孫は、滋賀県の多賀大社の辺りから、三重県いなべ市に引っ越して、三代に渡り、ここに滞在したそうです。

 

「いなべ市大安町石榑」という土地が、日本初の「都」になったそうです。

 

 

38人の子供たちの痕跡は、日本中に、いくつか残っています。

 

福井県福井市には、「三十八社町」という町があります。

 

{F62E9B7E-75F0-424F-BFE8-3ACC33A6EF7B}

 

 

滋賀県の「石山寺」の境内にも、「三十八社」の文字の書かれた鳥居があります。

 

{1DDAF5CF-8EDD-44AA-90C9-4CB7DC8C460A}

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 

☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。

http://www.tomaatlas.com/library00.htm

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 

 

 

補陀落渡海ツアー 2 葵祭

$
0
0

前回の続きです。

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。

 

この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「天皇家」になったのですが、ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。

この頃から、「天皇」という称号が生まれたそうです。

 

念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で、意味も違うそうです。

「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。

 

しかし、私が、いろいろ調べたところでは、まったく関係ないわけでもなく、こういう名前が似ている人物やグループなどは、同じ魂の仲間だと思っています。

 

 

このグループは、ある期間、現在の三重県いなべ市のあたりを、拠点にしていたようです。

 

 

「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。

 

その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。

きっかけは、大和地方に、「神武天皇(アヌ王)」がやってきたのが、始まりだったようです。

この天皇のグループは、権力志向だったようです。

 

 

ここでは、「38人の子供」の子孫を、「天照派」と呼ぶことにします。

このグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「自由」や「知恵」、それから、「愛」のグループだったと思います。

 

そして、後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、シュメール文明においては、「アヌ王」で、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。

さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。

権力によって、人々を、平等に統治するという考え方ですね。

 

これらの推測は、私個人の感覚的なもので、科学的な根拠があるわけではありありません。

 

 

わかりやすくまとめます。

 

〇「天照派」=「イザナギ(エンキ)」と「イザナミ(ニンフルサグ)」

「自由」、「知恵」、「愛」のグループ

 

〇「神武派」=「神武天皇(アヌ王」と「ヤハウェ(エンリル)」

「平等」、「力」のグループ

 

私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。

 

国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。

 

 

この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、

 

〇「天照派」=「理想主義」

〇「神武派」=「現実主義」

 

こうなると思います。

 

現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。

具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。

これも、いろいろな見方ができるので、「どの意見が正しいか?」というのは、とても難しい問題なのです。

 

「天照派」の人々は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないと思いますが、やはり、性格が似ているのです。

つまり、このグループは、「絶対に戦わない」という共通の姿勢があるのです。

 

 

古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。

 

ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。

要するに、「引きこもった」ということです。

 

本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。

 

たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。

 

「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」

 

こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。

 

おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。

生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。(笑)

 

 

それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。

怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。

 

 

この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。

 

現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。

そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。

 

 

 

「天照派」の話を続けます。

 

ツインレイとして、丹後半島に生まれ、38名の子供を産んで育てた二人は、「初代」の「イザナギ&イザナミ」です。

それから、1500代も、この系統は、続いたそうです。

 

そして、最後である、1500代目の「イザナギ&イザナミ」の子供が、「天照派」の初代になる、「天照天皇(アマテルカミ尊)」という男性だったそうです。

繰り返しますが、「古事記」の話とは、別の話です。

 

 

 
それにしても、「神武派」の弾圧は、いろいろな理由から、徹底的に酷くやったようで、「天照派」のグループは、ある時期は、生きていくのに最低限必要な、土地や仕事も奪われて、「ホームレス」のような身分になってしまったそうです。
部落差別の問題も、このあたりの歴史も関係しているそうです。
 
 
去年の12月には、「酒見神社」にも行きました。
場所は、愛知県一宮市です。
 
{CD29B6E9-59ED-4300-84B8-480F7029DDC5}
 
 
「酒見神社」という名前は、もともとは、
 
「逆身神社」
 
という名前だったそうです。
 
この意味は、
 
「天皇が逆さの身分である流人となった」
 
この酷くて残酷な歴史を忘れないようにするまえに、建造されたそうです。
とても奥深い古代史が隠されている場所みたいです。
 
 

 

古事記の「天照大神」に代表されるように、生粋の日本人というのは、本来、争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。

 

とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。

 

何かに腹を立てて、怒っても、相手に仕返ししたり、怒鳴ったりせずに、静かに、その場を立ち去ったり、無言になったり、無視するという態度をとります。

本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で、抗議するのです。

 

{0F7FEC63-B4A3-41A4-BF5E-41012CA667B9}

 

 

何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を、殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。

 

現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。

社会に対して、無言の抗議をしているのです。

 

 

ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。

 

「どうして、学校に来なくなったんだろう?」

 

「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」

 

「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」

 

こう思っていると思います。

 

 

これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。

口に出して、反論したり、抗議したりしないのです。

 

「静かな怒り」

 

なのです。

 

 

引きこもってしましまった人々が、世の中に出てくるようにするには、怒ってもダメだし、なだめたり、おだててもダメです。

 

「天照大神」を、天岩戸から出そうと思ったら、皆で、裸踊りをするくらいの宴会を、やらなくてはいけないのです。

 

つまり、

 

「ワクワクすること」

 

これが、世の中に、たくさん出てきた時に、引きこもっている人たちも、隙間から、外の世界を覗きこみ、岩戸から出たくなるのです。

 

「世の中は面白い! ワクワクすることで溢れている!」

 

私の旅行記は、一貫して、そう主張しているのです。

だから、天岩戸の中に、引きこもっているような人たちに、特に読んでいただきたいのです。

 

 

 

「神武派」に代表される、「武闘派」、それから、「天照派」に代表される、「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが、存在していたようです。

 

 

「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。

文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

 

このグループは、前述したように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派」を弾圧していたようです。

 

 

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。

 
一つ目は、「賀毛神社」です。
 
{1C170079-DBC3-4A01-9494-8C3F39A9A06B}
 
 
ここは、現在、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。
 
「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」
 
ということです。
 
 

二つ目は、ここです。

ここから、すぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。

 

{E6B97ED5-97C2-43F9-9162-8E99369CC24A}

 

 

ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

 

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

 

だそうです。

 

 

 

調べてみると、最終的には、

 

「奈良」=「天照派」=「南朝」

 

「京都」=「神武派」=「北朝」

 

こうなったそうです。

 

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

 

一方の「神武派」の天皇は、「光明天皇」だったそうです。

 

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということが、わかって、納得しました。

 

 

 

歴史に登場する、「聖徳太子」や「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。

 

「空海」は、うまく助けていたようです。

「天照派」の一部を、四国に逃がして、四国八十ハ箇所に、見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。

 

徳島県美馬市にある、「神明神社」です。

正式には、「磐境神明神社」 というそうです。

ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。

「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。

 

 

神殿が、独特な形をしています。

 

{EA41E4FE-F5B5-4DE3-9F34-805819F8BAB0}

 

 

一方で、「聖徳太子」は、死後に、「天照派」を助けていたことが、「神武派」に、バレてしまい、法隆寺を焼かれたり、子孫を殺されたりしたそうです。

 

「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。

たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

 

 

さて、ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。

 

こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。

 

もしも、日本の国土に、穏やかなグループである、「天照派」だけが、住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。

 

「神武派」は、まだ、弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が、日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり、虐殺されていたかもしれません。

 

日本にも、「神武派」のような武闘派は、必要だったのです。

 

 

「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。

 

「蛇の道は蛇」

 

「毒を以て毒を制す」

 

こういう諺もありますね。

 

「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。

 

 

だから、私の中では、

 

「神武派」=「ジャイアン」

「天照派」=「のび太」

 

こういう解釈になっています。(笑)

 

 

大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。

 

その教授が言っていました。

 

「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」

 

「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。

 

 

つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん、賢く強くなって、権力を握ったいったグループだったのだと思います。

 

一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら、皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。

 

どちらも偏っていたのです。

 

 

 

英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。

つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。

「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。

お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。

 

「競争」という行為自体は、中立なのです。

それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。

 

 

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

 

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみれば、わかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。

下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

 

そこで、ある時期に、

 

「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒に、お祭りでもやらないか?」

 

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を提案したことがあったそうです。

 

 

そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。
 
そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。
 
それが、「葵祭」だったのです。
日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。
 
 
「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもわかるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。
 
つまり、
 
「向日葵」=「太陽」
 
ということです。
 
「葵祭」というのは、
 
「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」
 
こういう願いを込めた儀式だったそうです。
 
 
数年前に、京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。
 
{7A11EF30-04AB-4BED-B8A9-BDA431EE25DE}


あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。
 
「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」
 
ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。
 
 
 

「天照派」は、奈良県の吉野も、重要な拠点だったようです。

 

「イザナギ」が、童子の頃、吉野において、「青根ヶ峰」という山にも立ち寄ったそうです。

 

{F4F42130-647E-49BE-B5D9-6C97721609EF}

 

 

その時に、宇宙から、自分が誕生した時のことを、鮮明に思い出したのだそうです。

 

宇宙の源の世界では、「植物」と「動物」と「人間」が、完璧なバランスを保ちながら、美しく回転していたそうです。

 

それを思い出した、「イザナギ」は、その山の頂上にあった三つの石を、横に並べて、「宇宙の根源」の世界を、忘れないように、そして、後世の子孫たちも、この真理を伝えようとしたのだそうです。

 

「植物の石」-「動物の石」-「人間の石」

 

こんなかんじで、山頂に置いたそうです。

これが、後に、「三つの霊石」と呼ばれるようになったそうです。

 

それを、「丹生家十八家」が、守っていたのです。

 

「三つの霊石」を、何百万年にも渡って、守護されてきたそうです。

十八の家が、20年交代で見張っていたそうです。

 

今でも、「伊勢神宮」は、20年ごとに、「式年遷宮」をやりますが、これは、その時からの慣習を、引き継いでいるのだそうです。

 

「三つの霊石」を守るために、「丹生家」がつくった拠点が、「吉野」という村の始まりだったそうです。

 

このように、「丹生家」は、心のやさしい人々なのですが、魂の芯の部分はとても強く、絶対的に正しいと信じたことは、永遠にやり続けるという超頑固な気質も、もっているのです。

 

 

 

実は、「三つ霊石」は、現在も、ひっそりと隠されて置かれているのです。

 

吉野にある、「水分神社」の目の前、歩いてすぐの所に、名前も書かれていない、無名の神社があります。

この無名の神社の裏に、宝物が隠れていました。

 

{8AE70C65-0B63-412D-8570-6DB90E946BD5}

 

 

「人丸塚」と書かれていますが、本来は、

 

「人生塚」

 

だったそうです。

 

「人が生まれた塚」

 

という意味です。

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この根源を表現している、「三つの霊石」です。

 

{7353F508-29A1-4AB3-937D-BC66440166B3}

 

 

 

前述したように、「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。

 

おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも、肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。

 

そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で、閉塞状態になっていたと思います。

 

陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には、見張りがいたと思います。

当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。

 

「神武派」の天皇だった、「天武天皇」は、特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、

 

「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」

 

こういう法律をつくり、乞食の立場に、追いやったそうです。

それで、仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで、質素な生活を始めた人々も、多かったようです。

 

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫たちは、そうやって、虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けられながら、少しづつ、移動していったようです。

 

特に、奈良県の吉野から、和歌山県の熊野の奥地に逃げていたようです。

 

 

昔から、不思議だったのですが、そもそも、どうして、「熊野」というのでしょうか?

この土地に、たくさんの「熊」が生息している「野山」というわけでも、なさそうです。

 

調べると、元々は、「熊」という文字は、「畏」だったそうです。

 

「畏れ多い」 

 

という表現で使いますね。

 

つまり、「熊野」という土地は、「畏の」という意味で、

 

「畏れ多い神々の住む聖地」

 

という意味だそうです。

 

 

他にも、京都の丹後地方にある、「イザナギ」と「イザナミ」が降臨した聖地、「籠神社」の「籠る」という意味も含んでいると思います。

 

そして、「熊」は、昔から、「冬眠」するので、

 

「冬になったら、いったん引きこもって、それから、春になったら、また復活して出てくる」

 

そういう、「死と再生」の象徴の動物でもあったそうです。

 

「アマテラスオオミカミ」のシンボルが、「熊」だったということです。

 

 

 

熊野周辺には、「王子神社」というのが、たくさんあります。

 

これらは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。

それらは、総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。

 

一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。

しかし、実際、最盛期には、99ヵ所の「王子」と呼ばれる土地があったそうです。

 

 

私が、いろいろ調べた限りでは、どうやら、99番目の「浜の宮王子」という場所が、最重要だったようです。

 

「浜の宮王子社跡」です。
ここが、99番目で、おそらく、「天照派」のグループが、熊野においては、最後に辿り着いた場所だと思います。
 
{B23F8EF8-6EFC-4FC4-9A1B-F9CEBD890A77}
 
 
「天照派」のグループの神社は、「三つの扉」や「三つの窓」があることが多いです。
拝殿が、三つに分かれているのです。
 
{F2D10B8B-AD7E-4BFA-92A3-5E27916A5448}
 
 
これは、宇宙から地球に生命体がやってきたことを、表現しているそうです。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つのグループが、バランスよく、回っている状態が、地球が健康な状態だということです。
 
逆に言えば、「天照派」の人たちは、人間社会で偉くなったり、権力を握って威張ったりすることに、まったく興味がないのです。
 
「地球の自然が美しく、健全に保たれていれば、それでいい」
 
彼らは、本来、これだけを考えている、純粋で無欲な人々なのです。
 
しかし、権力志向の人々には、こういう人々がいるということが、そもそも、理解できないのです。
だから、必要以上に、弾圧したりしていたのです。
 
 
境内には、旗が、風でなびいていました。
「三つ巴」のシンボルマークを、もう一度、見てください。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つを、バランスよく回すのが、彼らの願いなのです。
 
これだけのために、地球に生まれてきた、純粋で素晴らしい人々なのです。
そのグループが、生粋の日本人であり、私たちの祖先なのです。
 
{6F22F314-083B-4763-9D66-E729C87A2E2F}
 
 
 
次回に続きます。
 
 
 
 
 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 

☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。

http://www.tomaatlas.com/library00.htm

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

補陀落渡海ツアー 3 黒潮ロード

$
0
0

絶対平和主義で、他人への攻撃ができないために、弾圧されたり、冷や飯を食わされていた、「天照派」の人々は、西日本で、閉塞状態になっていたようです。

 

陸地から、東日本を目指そうと思っても、要所には、関所のようなものがあり、見張り番がいたと思います。

 

そもそも、仮に、東日本に行っても、荒れた僻地だったので、行っても、そこでは、過酷な生活が待っていることは、明白だったと思います。

 

それでも、西日本に住んでいても、これから先、永遠に苦しい生活が続くのは、目に見えていました。

 

「よし! 凄い冒険になるかもしれないけど、東日本に移住して、新しい土地で、新しい時代を築いていこう!」

 

ある時、こう決意したのだと思います。

 

海から、東日本を目指そうと思っても、そんなに遠くまで行こうと思ったら、大きな船を造船しないといけなし、そんな技術もお金もなかったので、途方に暮れていたようです。

 

 

そんなとき、一人の救世主が現れます。

 

「聖徳太子」

 

この人物が、助けたのです。

聖徳太子の登場で、日本史の中で、最高にスリリングなドラマが、始まったのです。

 

救世主というのは、「天照派にとっての救世主」という意味です。

 

私は、「聖徳太子=キリスト説」を、主張していますが、まさに、日本においては、聖徳太子が出現する前と後では、西洋での「紀元前(B.C)」と「紀元後(A.D)」に分かれるくらいの時代の大変化だったのです。

 

聖徳太子というのは、この大プロジェクトを実行するために、日本に誕生したのだと思います。

 

 

 

彼らにとっては、「西日本」は、まるで、監獄にいるように、不自由な土地でした。

 

そこで、新天地の「東日本」への脱出を試みたのです。

いよいよ、ここから、「プリズンブレイク」の古代日本版が、始まったのです!

 

 

 

前回紹介した、「熊野権現神社」の神社の隣に、日本史における、最重要な寺があります。

 

「補陀落山寺」という小さなお寺です。

「世界遺産」でもある重要な場所です。

 

{122DC82C-5137-46A9-A4E4-5185A036D05E}

 

 

本堂の前で、記念撮影しました。

 

{D27E77A5-C777-440F-9F4C-1BCBD04C23D5}

 

 

「補陀洛山寺」は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで、知られているそうです。

私は、この渡海のことは、全く知りませんでした。

 

 

ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

「補陀落(ふだらく)」とはサンスクリット語の「ポータラカ(Potalaka)」の音訳で、南方の彼方にある、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である。

その山の形状は、八角形であるという。

インドの南端にあるとの説から、その土地は、スリランカだという説もあった。

 

観音信仰とともに、チベットや中国にも、「補陀落」は、想定されたようです。

チベットでは、ラサ北西に建つ、観音の化身、「ダライラマ」の宮殿を、「ポタラ(補陀落)宮」と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を、「補陀落」としたようです。

 

日本においては、南の海の果てに、「補陀落浄土」はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して、船出することを「補陀落渡海」と言ったそうです。

そして、この信仰を広げたのが、前述した、聖徳太子だったのです。


日本国内の補陀落の霊場としては、那智の他に、高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがあったそうです。

 

記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち、半数以上が、この熊野那智で行われています。

熊野は、補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったようです。

 

聖徳太子の時代から、江戸時時代まで、これは、行われていたそうです。

 

 

チベットの「ポタラ宮殿」とも関係してたのですね。

そういえば、チベットも絶対平和主義の人たちが多く、そのために、迫害されていますね。

日本の「天照派」と、同じルーツだと思います。

 

{B9E3A445-7387-41F9-AE39-A4288A60550D}

 

 

「ポタラ宮殿」の地下は、地底王国の「チャンバラ」があると言われていますね。

 

{2D91B4AC-D58F-46B4-A64F-C446E840BE3A}

 

 

「補陀落山寺」の本堂の中には、当時の様子を描いた絵もありました。

 

{DC1FCE66-19CA-4252-8774-756FC364D3EF}

 

 

 

ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

那智の浜からは、25人の観音の信者が、補陀落を目指して、船出したと伝えられています。

 

補陀洛山寺境内にある石碑に、それらの人々の名が、刻まれています。

 

平安前期の貞観十年(868)の慶龍上人から、江戸中期の亨保七年(1722)の宥照(ゆうしょう)上人まで25人。

平安時代に5人、鎌倉時代に1人、室町時代に12人(そのうち11人が戦国時代)、安土桃山時代に1人、江戸時代に6人。

補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に、行われたそうです。

 

渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で、読経などの修法を行い、続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りこんだとも伝わっています。

 

渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せて、小さな屋形船に、乗りこんだそうです。

 

 

説明は、さらに、このように続きます。

 

 

渡海僧が、船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように、扉には、外から釘が、打ちつけられたそうです。

 

渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに、沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われる。


渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかで、かすかな灯火を頼りに、ただひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願い、そして、船は沈み、入水往生を遂げたのでしょう。

 

船のしつらえや渡海の方法などは、時代により異なるのでしょうが、補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身、を南海にて観音に捧げる、捨身行だったのでした。

 

 

こう書かれています。

これが、一般的な認識です。

 

 

 

境内には、この石碑がありました。

 

{AB5E15BA-AB9D-49AD-A424-754F190F5CC3}

 

 

名前もありました。

記録に残っているだけの名前です。

実際には、もっと多くの人が、この渡海をやっていたと思います。

 

{5FF8AA0C-4E2C-4F03-BF8B-45D070C58E85}

 

 

 

渡海僧が乗りこんだ船を、復元したものが、境内にある建物のなかに、展示されています。

 

{6D733F64-9A14-4D7E-A181-CD70563CFA02}

 

 

奇妙な形をした小さな船です。

船の上には屋形が、作られています。

その屋形の前後左右を、4つの鳥居が囲んでいます。

 

{7DC7768F-AC0E-4F5A-917D-4BA160D753C9}

 

 

人が、一人だけ入ることができる、テントのような小屋がありました。

前述したように、ここに、僧侶が一人だけ入り、外からは、釘が打たれ、中から出られないようにしていたそうです。

 

{34819C59-FA10-4C17-9FF0-ABC5B016307B}

 

 

もちろん、現在のようなスクリューなどはなく、櫂も帆もなかったそうです。

だから、一度、海に出たら、クラゲのように、ただ漂うだけだったのです。

 

{40C6312B-3202-4C9B-9BB1-47683096350D}

 

 

 

ここからが、いよいよ本番です!

 

「補陀落渡海」は、このように、昔も現在も、狂信的でカルトっぽい儀式だったと、世間一般では思われています。

 

しかし、よく考えてください。

 

こういう、「即身成仏」の行為をやる意味は、何なのでしょうか?

ましては、何のために、わざわざ、海の彼方に行って、死ぬ必要があったのでしょうか?

 

ただ死ぬだけのために、これをやっていたとしたら、ただの馬鹿だと思います。

 

 

勘の良い方は、もうわかりましたね。

 

そうです。

 

「西日本」から「東日本」への脱出が、真の目的だったのです!

 

「空と海の彼方の極楽浄土へ行くために、舟に乗って、太平洋の彼方に行き、そのまま沈没して、海の藻屑となり、即身成仏する」

 

というのは、「神武派」たちのグループの目を、ごまかすための偽りの儀式だったのです!

 

 

本当のことは、隠されていました。

 

実際には、こうだったようです。

 

途中まで、付き添いの数隻の舟が、綱を引っ張り、途中の小島から、突き放したようです。

 

「よ~し! 行ってこ~い!」

 

こう叫んだかどうかは、わかりませんが、沖の向こうまで、その小舟を流したそうです。

 

 

すると、浜辺から4キロくらいの所に、当時から、「黒潮」が流れていたのです。

この「黒潮ロード」に乗れば、それは、大きな河のような流れで、「東日本」まで運んでくれたのです。

 

ちなみに、黒潮の最大流速は、最大で4ノット(約7.4km/h)にもなり、軽くジョギングしているくらいのスピードなので、1週間以内では、確実に、「東日本」にある、どこかの浜に漂着したと思います。

 

そして、当時から、忍者のような存在たちがいて、秘密裏に、いろいろな手配をして、「東日本」の浜に漂着したら、事前に、その場所に着いていた人々が、打たれていた釘を外し、中から、その僧侶を助けたのだと思います。

 

そして、その背後で、この秘密の脱出劇を、計画して動かしていたのが、「聖徳太子」のグループだったというわけです。

 

{5B112C91-11FD-4202-BEAA-44AA4FE52FB8}

 

 

面白いのは、東から西に流れる潮の流れもあり、一人だけ、当時の琉球に流れ着いたお坊さんもいたそうです。

「日秀上人」というお坊さんです。

 

そのお坊さんが、琉球に辿り着き、教えを広げる拠点にしていたのが、沖縄本島の金武町にある、「金武観音寺」だそうです。

 

先月、ここにも、友人たちと行ってきました。

本堂の前で、記念撮影しました。

 

{F8107F36-BB6D-4A69-A330-BDA1AB875508}

 

 

沖縄には、昔から、

 

「水平線の先、空と海の交わる先に、極楽浄土がある」

 

こういう世界観、「ニライカナイ」という信仰があります。

これは、どうやら、「補陀落渡海」とも関係あるようです。

 

そういえば、沖縄の人たちも、「平和主義」の人が多いですね。

「天照派」のDNAが多い民族かもしれませんね。

 

 

 

「西日本」 ⇒ 「東日本」

 

これを繋ぐメインストリートが、海だったというのは、驚きですね。

しかも、大きな船ではなく、「小舟」だったというのも、ビックリです。

 

image

 

 

私たちは、歴史においては、必ず、「民族大移動」という大人数でのイメージがありますが、それは、大陸の話です。

 

聖書には、そう書かれていますが、日本では、全く状況が違い、秘密裏に、一人づつ、長い年月をかけての移動だったようです。

 

その期間、聖徳太子の時代から、江戸時代にかけて、なんと、1000年間くらい続いていたそうです!

 

これだけの長い年月をかけて、少しづつ、「天照派」の僧侶、つまり、本当の天皇家の一族を、東日本に逃がし、そこで、おそらく、現地の女性と結婚して、子孫を、広げていくという活動を、していたのだと思います。

 

目的は、「平和」と「愛」の遺伝子を、未来の日本に残すためです。

 

 

西から東に移動したパイオニア達のルートは、研究している学者も、ほとんどいないと思います。

もしかしたら、ここまで、突っ込んで調査してまわったのは、私が初めてかもしれません。

 

まだ、名前も付いていないので、「シルクロード」のように、「黒潮ロード」と名付けようと思います。

 

image

 

 

 

この「補陀落渡海」の痕跡は、東日本に、たくさん残っています。

 

それは、房総半島にも、多く存在しています。

 

 

今年になってから、「西日本」から、「小舟」が辿り着いた場所に、行ってきました。

 

ここには、

 

「玉依姫という名前の神様が、陸に上がってきた場所」

 

という伝説が残っています。

 

 

思い出してください。

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供、その長女の名前が、「玉依姫」でしたね。

つまり、「天照派=大丹生家=天皇家」のグループが、ここから、上陸したという意味なのです。

 
 

 

場所は、千葉県の「九十九里浜」です。

 

これも、もうわかりましたね。

 

「九十九人の王子のグループが辿り着いた浜」

 

こういう意味だったのです!

 

 

さらに、この「九十九里」という漢字を分解すると、

 

「九」+「十」+「九」+「十」+「口(くに)」+「土」

 

となり、意味は、

 

「三十八の国土」

 

という意味になります。

 

 

 

着く場所が、どうして、港ではなく、ただのビーチだったのでしょうか?

 

砂浜だからいいのです。

 

砂浜だと、大きな船は、接岸できません。

沖に錨を下ろして、小舟で来ることになります。

砂浜という地形は、小舟じゃないと、上陸できないのです。

 

大きな船が接岸できる港だったら、すぐに、追っ手に見つかってしまいます。

このプロジェクトは、秘密裏の脱出劇だったことを、忘れないでくださいね。

 

 

昔、ここで、「天照派」の僧侶が、「小舟」から、仲間によって救助されて、上陸したと思ったら、大感動でした。

「浜鳥居」という名前だそうです。

 

{179C2100-AD07-493D-88AD-A13488494401}

 

 

思い出してください。

 

和歌山県の「補陀落山寺」の隣にあった神社にあった案内板です。

99番目の王子の拠点、「浜の宮王子社跡」です。
 
「浜の宮王子」⇒「浜の鳥居」
 
こう繋がるのです。

 

海水でビショビショに濡れながら、上陸したのだと思います。

 

 

「九十九里浜」に上陸した後、僧侶たちは、だいたい、このルートを歩いたようです。

 

「浜鳥居」→「神洗神社」→「神埼神社」→「玉前神社」

 

大まかな地図です。

 

{C188DFC8-F33F-4046-BB09-CC330723FEBF}

 

 

この鳥居から、車で、ちょっと走った所に、「神洗神社」があります。

そこに、「神洗池」という池があります。

真っ先に、ここで、ベトベトに張り付いた海水を洗い流したようです。

 

{1476B8AC-862E-4114-8C4F-9B6E4A37BF02}

 

 

それから、「玉崎神社」の辺りで、休憩したようです。

 

{C4E8308B-6A20-4CF9-8E85-403F32869A6F}

 

 

「玉崎神社」の「玉」は、「玉依姫のグループ」だという意味だと思います。

「三つ巴」のマークがありますね。

「天照派」の拠点だった所という証拠です。

 

{26B32490-0989-4845-9745-095D6BAA2DAD}

 

 

房総半島においては、「玉前神社」のあたりに、一旦、落ち着いたグループもいたようです。

 

{238EF5D7-3E76-452A-8BDA-4710870564BF}

 

 

拝殿です。

黒色は、珍しいと思います。

いろいろ考えたら、この色は、漆黒の闇、つまり、「宇宙」を表現していると思います。

 

{F2E92922-B870-487D-8731-65CAA88C974C}

 

 

そう思いながら、拝殿の屋根のあたりを見て、

 

「うわ~~!!」

 

と、大声で叫んでしまいました。

 

「宇宙の源」から、ツインレイである、「イザナギ」と「イザナミ」の魂が、最初は、「繭」のような形から、二つに分かれて、それから、二人の男女になる様子が描かれています。

 

{14B5EF9F-92A0-4F20-84B2-418B8308E280}

 

 

大感動でした~!

やはり、ここは、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たちの拠点だったのです。

 

 

「千葉神社」にも、立ち寄りました。

境内には、「千葉天神」という神様が、祭られていました。

 

そこで、気が付きました。

 

{A4EAA190-F163-4CAC-A65A-F2701B670760}

 

 

「千葉」という文字を見ていたら、「千葉」の「千」という文字の縦線を、横に並べ替えてみたのです。

 

すると…

 

「三葉天神」になるではないですか!

 

わかりましたか?

大ヒットしたアニメ、「君の名は。」の主人公の女の子、「三葉」です。

 

 

そして、和歌山県の那智の「補陀落山寺」の近くには、「那智の滝」がありますね。

もう一人の主人公の男の子、「滝君」ですね。

 

つまり、

 

「那智の滝」 ⇒ 「千葉」

 

これが、「黒潮ロード」の暗号だったのです。

 

「滝君が三葉に会いに行った」

 

こういう意味になるのです。

 

 

アニメ映画の「君の名は。」です。

これも、「イザナギ」と「イザナミ」の二人の話を、現代風に描き直したのだと思います。

 

{9326880D-F524-4023-8FC6-8F65123E30A5}

 

 

そういえば、このアニメの監督の名前は、「新海」でしたね。

 

「新天地を目指して、海を越えて行った人々」

 

この名前には、この意味も入っているかもしれませんね。

 

これは、全て偶然でしょうか?

 

いや、違います。

 

そもそも、

 

「偶然は神である」

 

というのが、この世界なのです。

 

 

そして、「千葉神社」の神紋です。

 

image

 

 

これの意味を、いろいろ考えてみたのですが、これは、「太陽」と「月」を表現している意味も、含んでいると思います。

 

古代史においては、歴史の期間が長いので、その間に、いろいろな出来事があり、意味も、一つではなく、重層的に、複数の意味が重なっていることも、多いのです。

 

そして、「太陽」と「月」の二つで行われる天体ショーが、「日食」なのです。

「日食」とは、光が闇に隠れて、再び、光出す現象ですね。

 

{DC29AE0D-5F21-426B-8518-363B8E0DFA64}

 

 

ハイ!

 

「天の岩戸開き」ですね。

 

「天照派の拠点だった所」

 

という意味です。

 

 

 

房総半島の南端、館山市には、「那古寺」というお寺があるのですが、ここの山号、つまり、別名が、「補陀落山」なのです。

明らかに、和歌山県の「補陀落山寺」と関係ありますね。

 

{3BBD1E23-259A-4E43-8045-3F6872E9C833}

 

 

館山市は、興味深いところが、いろいろあります。

他にも、「海南刀切神社」という神社にも、立ち寄りました。

 

{B1AEAF1E-E22D-473F-BBAE-A5D9D4E5E937}

 

 

ここの拝殿には、木彫りの彫刻があり、珍しく、「天の岩戸開き」が彫られていました。

「天照派」の土地ですね~!

 

{CD7EF1D4-194F-40F1-B079-37B4414C41CD}

 

 

 

このように、「房総半島」にも、「天照派」の痕跡は、たくさん残っています。

これらの痕跡を見るたびに、古代において、「補陀落渡海」という脱出劇が、いかに凄かったのかが、わかると思います。

 

 

 

さらに、「補陀落渡海」の痕跡は、関東地方に、たくさん残っています。

最終的には、和歌山県の熊野から渡海したグループは、栃木県の日光のあたりで、落ち着いたようです。

 

 

東日本においては、「天照派」が、「黒潮ロード」に乗って、小舟で漂着した場所が、

 

「千葉県」&「茨城県」&「神奈川県」&「東京都」&「静岡県」

 

主に、この5ヵ所だったようです。

 

それから、「埼玉県」を通って、北関方面の「群馬県」と「栃木県」に向かったのが、大きな流れだったようです。

 

 

京都の「丹後」から始まり、関西を経由して、和歌山県の「熊野」から、小舟で、「東日本」を目指した「天照派」のグループの主なルートを、シンプルに書くと、赤線のようなルートになります。

 

image

 

 

 

さらに、特筆すべきことがあります。

 

私は、「補陀落渡海」を調べていて、

 

「九十九里浜のあたりから、日光まで歩いて移動した時は、大変な道のりだったに違いない」

 

と思っていたのですが、実際には、小舟で、流れに逆らいながらも、上流へと向かうことができたようです。

もしかしたら、追い風の時には、とても楽に行けたかもしれません。

 

 

現在の千葉県銚子市のあたりから、栃木県日光市まで、古代においては、「香取浦」という大きな湾と無数の川があり、なんと、太平洋から、「日光」のあたりまでは、「鬼怒川」を使って、舟で一気に行くことができたようです。

 

「熊野」 ⇒ 「日光」

 

この間は、小舟で行けたということです。

 

1000年前の想像図だそうです。

 

{2F260198-FD33-46E3-88E6-6DA293D9AA3A}

 

 

「補陀落渡海」の僧たちが、後に、「補陀落寺」を建てた場所は、この川沿いが多いですね。

こうやって、地形で推測すると、かなり正確な歴史が把握できますね。

 

 

 

今年になってから、宇都宮市内をまわっていたら、この神社の名前が、目に飛び込んできました。

 

「二荒山神社」という名前の神社です。

 

{95232513-1E87-40AC-B44B-D4007B777BED}

 

 

「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」と発音するそうです。

 

{EDFF5CDB-D741-4B6C-B0B0-F3547A4BF575}

 

 

もうわかりましたね。

 

「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」=「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」

 

こうなるのです。

 

この神社は、和歌山県の「補陀洛山寺」と、完全に繋がっているのです。

 

つまり、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の「補陀洛山寺」の僧侶たちは、小舟で、「黒潮ロード」を渡って来て、関東の地へ上陸した後、栃木県宇都宮市にある、「二荒山神社」にも、辿り着いたということです。

 
 
この神社の拝殿の近くの灯篭の中に、不思議なシンボルがありました。
 
なんと、神紋が、「菊の三つ巴」です!
私は、いろいろ調べた結果、この神紋が、日本の古代史において、最重要なシンボルだと思っています。
 
{F9B70791-F4D8-4C78-99DA-76AD068B4E85}
 
 
この神紋は、「三つ巴」と「菊花紋」が、合わさっていますね。
 
「日本という国家の中枢や奥底には、天照派のグループがいますよ」
 
こういう意味だと思います。
凄いシンボルですね~~!!
 
このシンボルは、重要な鍵になるので、よくおぼえておいてくださいね。
 
 
 
それから、しばらくして、別の日に、栃木県日光市にも行きました。
 
ここにも、同じ名前の神社があります。
 
「二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)」
 
という神社です。
 
有名な「日光東照宮」の隣にある神社です。
ここにも、「三つ巴」がありました。
 
{2E4D4B81-6DBD-47AB-B7DD-495AFBFE3117}
 
 
 
ここも、和歌山県熊野のお寺と、密接に繋がっているのです。
 
だから、こうなります。
 

「熊野 補陀洛山寺」=「宇都宮 二荒山神社」=「日光 二荒山神社」

 

 

一説によると、「日光」という名前は、弘法大師空海が、この地を訪れた際に、「二荒」を、「にこう」と読み、「日光」の字を当て、この地の名前にしたとも言われています。

 

「補陀洛」→「二荒」→「日光」

 

こうなったそうです。

 

和歌山県の「補陀落山寺」、それから、栃木県の二つの「二荒山神社」が、見事に繋がりましたね。

 
 
やはり、「天照派」のグループが、終の棲家に選んだ土地が、ここだったのです。
ここで、メインのグループは、ここで居住を始めたと思います。
 
 
そして、大切なことは、「日光」という太陽の光は、古代において、いったん、ここで隠れるのですが、「日食」が、暗くなったあと、再び輝きだすように、そして、「天の岩戸開き」の天照大神が、籠ったあとに、再び顔を出すように、日本という国は、「不死鳥」というのが、シンボルマークでもあり、特性なのです。
 
「外国から、どんなに叩かれても、戦争で負けても、経済が悪くなっても、必ず復活する」
 
これが、「日本」という国の底力なのです。
 
そして、それを裏で支えているのが、裏の古代史に登場する、この旅行記の主役、「天照派」の人々なのです。
 
今年から、また、「丹の光」を放つ日本」が、再び浮上してくると思います。
楽しみですね。
 
 
 
どうですか?
壮大なスケールの脱獄劇だったのですね~!
 
今まで謎だった、日本の歴史の欠けていた穴に、パズルのピースが、パチン、パチンと音をたてながら、適切に、そして、綺麗にハマっていくのを、感じると思います。
 
 
 
次回からは、いよいよ、最近、関東地方で、「補陀落渡海」の痕跡を辿る旅をした話です。
お楽しみに!
 
 
 
 
 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 

補陀落渡海ツアー 4 渡海神社

$
0
0

先月から今月にかけては、主に、関東地方で、「補陀落渡海」の痕跡を辿りました。

 

その中でも、黒潮の流れから、千葉県の銚子市のあたりに、何かありそうだと思い、仲のいい友人を誘って、行ってきました。

JR東京駅から、高速バスを利用しました。

 

 

銚子駅に着きました。

そこから、レンタカーを借りて、銚子市内を、いろいろまわりました。

 

{0335C9DD-2250-4A17-AF0C-05EDCD928263}

 

 

最初に向かったのは、「海上宮」という神社でした。

 

{91D91F1C-CCCE-4BD7-BCC2-84935757EE05}

 

 

「宮」という文字の入った所は、「三八(みや)」で、イザナギとイザナミの38人の子供たちの子孫のグループ、つまり、「天照派」が、拠点にしていた場所です。

さらに、「上」は、「神(かみ)」の意味も含んでいます。

 

だから、ここは、

 

「38人の子供たちの子孫が、海の神を祀っている聖地」

 

という解釈もできます。

 

{4B68FD3D-1311-4EEF-A1BB-3DC86BDC51B8}

 

 

拝殿です。

 

{9733BE40-7B18-48CE-890C-D827AFA179E3}

 

 

境内には、何やら、意味深な文字が書かれた祠もありました。

 

{892ACD67-89F6-4F48-81EF-B3750A6AB1AD}

 

 

「阿夫利神社」と書かれています。

私は、「アフリカ」に関係ある神様を祀ってあるような気がしました。

太古の時代には、日本には、アフリカ、その中でも、「エジプト」からも、多くの人々が、海を渡って、日本に来ていました。

 

{0DBFA6B3-8445-4219-A6ED-C80D31C99551}

 

 

 

「都波岐神社」という神社もありました。

 

{A335DDD9-6864-469D-B795-93A45EA9B8A3}

 

 

「都波岐(つばき)」は、「椿(つばき)」の意味だと思います。

ちなみに、「椿」は、邪馬台国の「卑弥呼」のシンボルです。

ここにも、「卑弥呼」の拠点があったのかもしれません。

 

{F9DDD552-71DC-45E5-A3BD-EB902D5F3998}

 

 

境内は、いい氣が充満していました。

 

{96E9AB85-B928-4414-BFD1-D7AABDF41145}

 

 

 

海から歩けるくらいの場所に、「熊野神社」もありました。

 

{A7A1D445-8E72-497E-851F-4712EC70783D}

 

 

「どうして、千葉県の銚子市に、紀伊半島の熊野神社があるのか?」

 

ほとんどの人は、こんなことは、考えもしないでしょうが、「補陀落渡海」を知っていれば、その理由がわかりますね。

 

そうです。

ここにも、一人の僧が乗った小舟が、辿り着いていたのです。

 

{C655BE7B-AD92-4497-A185-21D81C3CA317}

 

 

 

前回書いたように、「補陀落渡海」は、主に、熊野の那智から、1年に1人だけ、小舟に乗って、黒潮に乗り、東日本に向かっていたのですが、その期間は、聖徳太子の時代から、江戸時代の中頃まで、約1000年続いています。

 

他の所からも、向かっていたので、年間で5人くらいは、小舟で渡っていたので、1000年間の間にはで、5000艘くらいの小舟が、関東地方の浜に、打ち上げらえれた計算になります。

けっこうな数ですね。

 

 

拝殿です。

 

{CFB2B3EF-C371-4851-A04A-EB3EBA00723D}

 

 

やはり、「三つ巴」の神紋がありました。

 

{FBD1A69A-8319-4F7C-B4C7-0F170EC07FFF}

 

 

 

そして、この拝殿の横に、ズラーッと並んだ祠がありました。

その数、17です。

 

{68204284-7FD5-4388-A2F5-59E624E4A5E3}

 

 

そして、その側に、階段があり、ちょっと上がった所に、もう一つだけ、祠がありました。

 

{C6232351-1CB7-4C62-8BB2-CEF49543E6BA}

 

 

ここにも、意味深な文字が書かれていました。

 

{20468B20-C59C-4EE7-B722-ED619EF1B2B0}

 

 

17の祠と、階段の上の1つの祠合わせて、18ですね。

 

{EC43B6AE-CFDE-4CFF-9BE4-6B7A2AFDF0FE}

 

 

それから、正面にある、1つの拝殿を合わせると…

 

17+1+1=19

 

こうなります。

 

 

そうです。

この祠は、19組の夫婦を表現しているのです。

つまり、イザナギとイザナミの38人の子供たちです。

拝殿は、その中でも、特別な夫婦、「別雷尊」と「玉依姫」だと思います。

 

{C4E3D13D-90F6-4C49-9777-40773B58D352}

 

 

大感動しました~!

 

熊野から太平洋を隔てた、こんな遠い地に、ちゃんと、38人の子供たちの子孫は、生き延びて、この新天地で、新しく生活を始めた証拠が、この神社なのです。

 

 

 

銚子市という土地は、古代史のおいて、とても重要な場所だったと思います。

もう一度、1000年くらい前のこの土地の地図です。

そして、右下の突き出た半島が、銚子市です。

 

わかりましたね。

太平洋から、利根川の河口を入口にして、追い風の時に、うまく帆を操り、河を上っていくと、「香取海」に出ます。

そこから、現在の栃木県日光市あたりまで、小舟で行けたのです。

 

{2F260198-FD33-46E3-88E6-6DA293D9AA3A}

 

 

 

銚子には、「犬岩」と呼ばれている不思議な岩もあります。

 

どうですか?

私には、エジプトの「スフィンクス」に見えます。

やはり、「エジプト」からのグループが、ここにも来てたのだと思います。

 

{6A511647-A5CF-45EC-BC7F-9930ECF66F0A}

 

 

記念撮影しました。

 

{29E98053-E362-4CB6-A331-C2250D7E61BD}

 

 

顔に相当する部分を、正面から撮影しました。

 

{0BFCCC6A-B19A-4CDD-9978-69453F3980A1}

 

 

私には、「恵比須様」と「大黒天様」の二人が、背中合わせに立っている姿に見えます。

 

{FB0B6431-D1DB-42ED-A28C-6F00E17C4866}

 

 

「もしも、銚子にある利根川の河口の入口が、超巨大な神殿などの入口にあたるのであれば、この犬岩は、狛犬だろう。だとしたら、もう一体の狛犬が、どこかにいるはずだぞ。どこだろう?」

 

こう思って、車を走らせたら、ここに辿り着きました。

「銚子ポートタワー」という場所です。

 

{58983596-C030-4EBF-B932-95BDF51C83BC}

 

 

この建物を見てたら、同行していた友人が、

 

「ああっ! これが、もう一体の狛犬じゃないですか~!」

 

こう叫んだのです。

 

ビックリしました。

たしかに、そうですね。

 

{35B3BE28-6CBA-4720-8DF5-9FFC8AE42061}

 

 

もしかしたら、ここにあった、もう一体の狛犬は、どこかの時代に、地震や津波で、壊されたのかもしれません。

そこで、人間が、人工的に造ったのが、この建物だったのかもしれません。

そう考えると、楽しいですね。

 

ちゃんと、耳が二つありますね。

もしかしたら、「二本の角」も表現しているのかもしれません。

 

「鬼=大丹生=天照派=天皇家」

 

こういう意味です。

 

{803D2000-5BA8-4BAF-9539-FD3D5CD20CCD}

 

 

 

私は、世代的に、「岩で造られた狛犬」と「人工的に造られた狛犬」の二つを見ていたら、

 

子供の頃、大好きだった、

 

「ゴジラ VS メカゴジラ」

 

これを想像して、笑ってしまいました。(笑)

40代の人までは、ギリギリわかるかな?

 

{262D8608-3037-401B-8440-8897B7432CB0}

 

 

 

「銚子ポートタワー」の展望デッキから、「利根川」の河口付近を撮影しました。

太古の昔、ここを、「補陀落渡海」の小舟が、渡っていたのだと思うと、なんともいえない感情が、湧いてきました。

 

{A3BBC863-5240-42CF-AD6B-DD2846601F75}

 

 

 

この建物の近くには、「河口神社」という神社もあります。

 

{DC7871E5-0E51-49F7-A382-9C13F8632B8E}

 

 

ここも、「三つ巴」です。

 

{5D857401-D378-4F38-A692-5DAA8748ECDC}

 

 

記念撮影しました。

 

{FABC13CF-1C50-4232-8741-C5D3A50F42BA}

 

 

境内からは、利根川が見えます。

この神社にも、「神池」という池がありました。

おそらく、ここにも、小舟が上陸したのだと思います。

 

{B1CC0E7C-923C-4BD4-86C0-8B283EE9F345}

 

 

 

ここから、車で数十分の所には、「猿田神社」もあります。

 

{1BAD49A9-259F-4E8D-857C-38152781A62A}

 

 

鳥居です。

 

{A135C94D-341B-446E-B664-BC56C6797145}

 

 

拝殿です。

 

{5C6E037E-928A-4DE9-B888-1A558F21F5B9}

 

 

ここの神文も、「三つ巴」や「日食」を表現したデザインに見えますね。

やはり、「天照派」ですね。

 

{5B9D3B52-6CD3-4E64-AACE-3AE19B1AEB7A}

 

 

ちなみに、世界中の神話や伝説の中で、一度、死んでから、そこから、復活するという話は、意外と少ないです。

有名なのは、西洋では、「イエス・キリスト」で、東洋では、「天照大神」です。

 

ちなみに、古代史の研究家の中には、

 

「猿田彦=キリスト=天照大神」

 

という説を主張する方もいます。

 

 

 

さて、ここからが本題です。

 

 

銚子の旅の途中に、見つけた神社です。

こんな名前の神社があったなんて、初めて知りました。

 

{71D16189-C0B8-4690-94C6-BF655C422B25}

 

 

その名も、ズバリ、「渡海神社」です!!

そのまんまじゃないですか~!!

 

{3078D4AD-8667-4FD6-A533-A7C87E00E84D}

 

 

三つの石が置いてありました。

 

{57D2CC4A-EF2D-498A-8B9B-A58F8A519987}

 

 

そして、これです。

 

{AFE19A2B-3D8D-414A-BF47-E716684226CC}

 

 

同行した友人と一緒に、

 

「うわ~~~!!!」

 

と、感動して、大声で叫びました!

 

 

わかりましたか?

 

これが、この神社の御神体なのです。

 

 

ハイ!

 

「補陀落渡海」の小舟ですね。

海を渡って来た小舟が、この神社には、御神体として、祀られているのです。

 

image

 

 

 

正面からです。

 

{3BFE248F-1F7E-4871-8BD6-F8D1B8A0A96A}

 

 

下にある黒っぽい岩は、「黒」の波」を、表現しているのかもしれません。

 

{2CD7B81C-ACA0-4E8C-9AEC-BB92E8362726}

 

 

後部からの撮影です。

補陀落渡海の小舟の後部とソックリです。

 

{53899054-3011-4ACE-AF76-FC5E6CB350A9}

 

 

補陀落渡海の小舟の後部とソックリですね。

 

{40C6312B-3202-4C9B-9BB1-47683096350D}

 

 

 

記念撮影しました。

 

{F1B1CEE0-3C7B-44D8-80F1-DD7AA6F4F3F1}

 

 

熊野の「補陀落山寺」にある船と、同じだということが、わかりますね。

 

{6D733F64-9A14-4D7E-A181-CD70563CFA02}

 

 

 

参道を歩いて、拝殿に向かいました。

 

{E9CF48F2-EB56-4597-93A8-90F08D1DEB0F}

 

 

拝殿での記念撮影です。

 

{48B9FE43-2256-48E1-8C08-317B38BAB8AD}

 

 

{21D35F85-8E73-4D95-82CF-99BDA16ABD62}

 

 

「三つ巴」のマークです。

 

{12F9A7BA-2B21-4DE7-8DB1-F16BA0C10238}

 

 

ここの狛犬は、大迫力の龍神です。

 

{E81B1C73-4AD6-4252-969E-1CDAE4D0AA8E}

 

 

「三つ巴」の神紋、それから、「珠」を持っていますね。

指が、4本だから、琉球の龍ですね。

まさに、「琉球(ドラゴンボール)」ですね。

ちなみに、3本が、日本の龍で、5本が、中国の龍だそうです。

 

この神社は、「琉球(沖縄)」とも関係が深そうですね。

 

{9A496E94-9C4F-4E1E-AAA6-159E7A4CE313}

 

 

「日」と「月」が合わさったシンボルもありました。

「日食」、つまり、「天照派」の拠点だというサインです。

 

{49464170-AB01-4AA8-9A4D-EA68796DD8CA}

 

 

 

神社やお寺の境内には、このような石碑が、よく建っていますね。

 

image

 

 

いろいろな文字が刻まれていますが、実は、あの文字には、それほど意味はなかったのです。

あの文字は、ダミーだったのです。

 

私の調べた限りでは、全部ではありませんが、関東においては、3割くらいは、「補陀落渡海の小舟」を表現しているように感じました。

確実な証拠はありませんが、直接現地を歩き回り、実際に見て触って感じた、私の勘です。

 

 

これを知ってから、神社仏閣巡りが、数倍も楽しくなりました。

 

ぜひ、お近くの神社や寺に行った時には、この石碑を探してみてください。

そして、太古の時代にあった、「補陀落渡海」のことを、ちょっとだけ思い出してください。

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 

☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。

http://www.tomaatlas.com/library00.htm

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 


補陀落渡海ツアー 5 神田明神

$
0
0

東京都内にも、「補陀落渡海」の痕跡は、たくさん残っています。

 

まず、都内の品川区にも、「補陀落山寺」があります。

東日本でも、この名前のお寺を中心に、各地で、いろいろな活動をしていたようです。

 

 

JR品川駅から、一駅の大井町駅から、車で5分くらいの所にあるお寺です。
名前は、「海晏寺」ですが、仏教の寺院に付ける称号である山号は、そのものズバリ、「補陀落山」です。
門の前で、記念撮影しました。
 
{2863BE21-BCC8-450F-AE42-D9F6A2A19C90}
 
 
八角堂がありました。
「八角形」は、「補陀落信仰」ですね。
 
{C1382C35-CB61-4978-A67A-A6586CDA607C}
 
 
もう一度、「ウイキペディア」からです。
 
「補陀落(ふだらく、梵: Potalaka)は、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である。その山の形状は、八角形であるという。インドの南端の海岸にあるとされた。補陀落山とも称す」
 
こう書かれています。
 
そうなのです。
和歌山県の「補陀落山寺」から、「小舟」でやってきた人々にとっては、ここが、観音菩薩の降り立つとされる、八角形の山だったのです。
 
 
屋根は、「鬼瓦」です。
 
「鬼」=「大丹生」=「天皇家」
 
でしたね。
 
{943C8174-AE84-4E21-AD6A-4AA49A43C981}
 
 
このように、「絶対平和主義」の「天照派」の子孫たちが、西日本から、「小舟」で、東日本に移住してきて、つくりあげたのが、「江戸」という町なのです。
だから、「江戸時代」が、260年くらい平和だったのです。
 
 
最近気が付いたのですが、江戸時代に、「お伊勢参り」というのが流行りましたね。
 
「一生に一度は伊勢詣」
 
昔は、こう言われたらしいですね。
 
他にも、「熊野詣」もありましたね。
 
「伊勢へ七度熊野へ三度」
 
とも言われていたそうです。
 
 
実は、あれの本当の意味は、大いなる里帰りだったのです。
 
旅行記の最初の頃に書きましたね。
日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に、結婚式を挙げたのが、「伊雑宮」だったことを…
そして、熊野から、「補陀落渡海」で、東日本へ亡命してきたことを…
 
江戸時代の人々は、DNAの中に、その記憶があり、その記憶が、騒いだのかもしれません。
 
「本当のお父さんとお母さんの故郷に帰りたい! 自分の魂のルーツに帰りたい!」
 
この気持ちが、「お伊勢参り」や「熊野詣」だったのかもしれません。
 
 
伊勢から始まった、生粋の日本人である、「天照派」の人々が、熊野の那智から、小舟で関東に流れ着いて、「江戸時代」をつくりあげ、そして、その時代に、天下泰平になった頃、故郷の伊勢に、また帰りたくなった。
 
こう想像したら、またまた、じわじわと、感動の波が湧き上がってきました。
 
{56742045-C42F-41D4-BAF5-00A2E7E3F478}
 
 
「江戸時代」が、なぜ、あれほど長い期間、大きな戦争がなかったかというと、この町の人々の遺伝子が、絶対平和主義の「天照派」だったからだというのが、真相だと思います。
 
壮大なスケールの歴史物語が、ここで生まれていたのですね。
 
 
 
 
関東に、「小舟」で流れ着いた、「天照派」が拠点にしていたと思われる神社や寺は、山ほどあります。
数が多すぎるので、今回は、一か所だけ例をあげます。
 
 
もう一度、前回紹介した、千葉県銚子市にある、「渡海神社」の「小舟」の石碑の写真です。
 
image
 
 
東京都品川区にある、「鹿嶋神社」です。
 
image
 
 
ここの境内に、大きな石碑があります。
 
ハイ!
 
「小舟」ですね。
 
image
 
 
そして、その横には、「ミカン」の木が植えてありました。
「橘」かな?
 
image
 
 
実は、「補陀落信仰」の中には、
 
「理想郷である、補陀落山には、橘の木がある」
 
という信仰があるのです。
 
そうです。
 
ここは、間違いなく、「補陀落信仰」の聖地なのです。
 
「天照派」のグループが、
 
「ここが、自分たちの探し求めていた、理想郷だ!」
 
と言っているのです。
 
感動しました。
 
 
 
 
そして、最初に大きな拠点にしたと思われる土地も、東京にあります。
ここから、江戸時代が、始まったと思われる所です。
 
 
再度、おさらいしますね。
 

西日本から、小舟に乗って、少しづつ、長期間にわたって、東日本の地に移住してきたパイオニアたち、彼らのグループは、「イザナギ」と「イザナミ」を始祖とする子孫たちでした。

 

彼らは、最初の38人の子供たちの子孫でもあるのですが、長男の名前が、「別雷尊」。

 

これは、生まれた時に、身体が、「丹生」という宇宙エネルギーで、輝いていて、まるで、身体に雷が落ちた時のように、発光していたから、この名前だったそうです。

現代風の表現では、「凄いオーラの持ち主」というかんじですね。

 

 

「天照派」のグループは、関東地方において、いくつの地点から、上陸したようですが、ある時期に、東京のある場所で、一堂に会する機会があったと思われます。

 

なんと、その場所は、「浅草」だったようです!

有名な「雷門」です。

 

{24FC506B-6577-4DAE-98B1-CBF02FCB9267}

 

 

「昔は、このあたりに、よく雷がよく落ちたから、雷門というのかな?」

 

私は長年、そう思っていたのですが、違うのです。

 

もうわかりましたね。

38人の子供の長男だった、「別雷尊」の名前から、これは、名付けられたのだと思います。

 

「別雷尊のグループの拠点だった場所」

 

それが、「雷門」の場所なのだと思います。

 

「天照派」のグループの本部が、おそらく、ここにあったのだと思います。

 

 

「金龍山」というのは、奈良県の吉野にある、「金峯山」とも関係していると思います。

 

{4B56A788-D0BE-417D-8E73-7AE43572C4CE}

 

 

ここの参道を歩いていて、一番驚いたのが、これです。

最初の「雷門」の次の門です。

 

なっ、なんと!

デ~ンと大きく、「小舟町」と書かれているではないですか~!!!

 

人目もはばからず、

 

「うわーー!!」

 

と大声を上げてしました!

 

今までに、これの意味に気が付いた人が、どれくらいいたんだろう?

 

ジャ~~ン!!

 

{5C044C57-5B7E-46A5-AFEF-3A7E9361672C}

 

 

見てください!

 

「小舟に乗って、関東にやって来た人々が住んでいた町」

 

こう言っているのです。

 

 

実は、日本国内において、隠している秘密などないのです。

歴史の秘密は、どうどうと、目の前に提示しているのです。

 

問題は、

 

「それの意味を、正しく解釈できるかどうか?」

 

だったのです。

 

この提灯の真下に、金色の紋章のようなものが、ありました。

これを見た時、またまた、大感動でした~!

 

{F27B17A5-6D56-4805-8C09-767D87D227A9}

 

 

ここが、「補陀落信仰」の最終地、「観音菩薩」のいる聖地だったのです。

 

{B2A13703-5F98-4243-AB04-33CA1848A5FF}

 

 

浅草の近くに、「日本橋小舟町」という名前の街もあります。

 

ここは、現在は、東京都中央区の地名になっていて、昔は、日本橋区にあたる日本橋地域内だったそうです。

地名に、「日本」がついている所は、それほどたくさんはありません。

 

まさに、ここが、「日本」の発祥だったのです。

「邪馬台国」や「大和」や「倭」ではなく、「日本」という共同体が、形作られたのが、ここだったのかもしれません。

 

「小舟町」=「日本」

 

もしかしたら、こう言ってもいいくらい、「補陀落渡海」で東日本に向かった僧たち、つまり、「天照派」の人々であり、愛と平和の一族、そして、「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫である、本当の「天皇家」、彼らが、「日本」の礎を固めたのだと思います。

 

「古代において、日本という国は、小舟から始まった!」

 

この驚愕の史実は、これから、少しづつ広がっていくかもしれませんね。

 

 

 

先日、仲のいい友人たちに誘われて、「神田明神」にも、行って来ました。

 

名前が、「明神様」ですね。

つまり、「日と月の神様」と言っているのです。

 

繰り返しますが、「日」と「月」の二つで、表現する天体ショーが、「日食」です。

つまり、「天照派」のシンボルだということです。

 

 

入口には、「神田神社」と書かれています。

 

{C61B0216-8285-4483-94AC-C8CD6CAD542E}

 

 

鳥居です。

 

{E65D73E6-7B42-413D-944A-05CEF5D20175}

 

 

「黒潮」だと思われる模様が、鳥居の下には描かれています。

昔は、この鳥居の近くまで、海だったのだと思います。

 

{D4202F9E-00DC-40F7-8776-BA13E63E42B6}

 

 

派手な色の門です。

 

{9036728B-3443-4245-B06B-D41AC0D92B43}

 

 

門の前には、「小舟」を表現している石碑が、建っていました。

 

{D1C10051-1034-481D-AF70-520FA033EB77}

 

 

 

拝殿です。

 

{EDDDCB11-AFC2-4DA0-B5F5-43B6E88E3FB0}

 

 

拝殿の周囲には、「天照派」のシンボルが、たくさんありました。

 

image

 

 

しかも、「三つ巴」に、「菊花紋」が合わさった、特別のシンボルです。

 

image

 

 

{5B4DA5BF-E12C-4ECF-994B-6387D59B92C7}

 

 

{B4C09440-5458-41CC-9D0C-1541D8CE8D2B}

 

 

思い出してください。

栃木県宇都宮市の「二荒山神社」にあったシンボルです。

 

{F9B70791-F4D8-4C78-99DA-76AD068B4E85}

 

 

「神田明神」も、間違いなく、「天照派」の大拠点だった場所なのです。

 

 

 

 

そして、境内には、このオブジェがあります。

 

これです。

これが見たくて、この神社に行ったのです!

 

{8130095A-F023-4A53-91BE-8BE77D976278}

 

さっそく、記念撮影しました。

 

{F8ACF2EE-A811-4BEB-8286-F7AA0B9E37A5}

 

 

比較的最近、つくられたものだと思いますが、よく見ると、「しめ縄」がかかっています。

よほど大事なものでないかぎり、これは、かけません。

「御神木」と同じ扱いなのです。

 

{8773820D-F43E-472C-B427-7910EF908A9C}

 

 

この人物が気になりますね。

 

{3080AD0E-1FD3-4D34-986D-8CE7FC5EDEB8}

 

 

説明書きには、「少彦名命=恵比須様」と書かれています。

 

{56FB11AC-6DA7-4CE4-8D5D-4909906FB75E}

 

 

ネットで調べると、

 

「少彦名命」=「恵比須様」=「一寸法師」

 

こうでてきます。

 

しかし、私は、さらに、この神様は、「聖徳太子=キリスト」でもあったと思っています。

同じ魂グループなのです。

 

子供の頃の「聖徳太子」に似ていませんか?

 

image

 

 

そうです。

このオブジェは、まさに、「聖徳太子」が計画した、「補陀落渡海」を表現しているのです。

近くにある、「神田川」からも、補陀落渡海の小舟が、ここに辿り着いていたのです。

 

 

 

境内には、興味深い摂社が、いくつかありました。

 

まずは、「魚河岸水神社」です。

 

image

 

 

御祭神に、注目してください。

 

image

 

 

「弥都波能売命」と書かれていますね。

漢字は、ただの当て字なので、気にしないでください。

「ミツハノメノミコト」とフリガナがふられています。

 

ハイ!

 

「三葉」ですね。

大ヒットアニメ、「君の名は。」の主人公、「三葉ちゃん」です。

つまり、「イザナミ」です。

 

{9326880D-F524-4023-8FC6-8F65123E30A5}

 

 

元々は、「水神神社」という名前だったと思います。

 

image

 

 

賽銭箱に描かれているシンボルが、凄いです!

 

見てください!

「黒潮の波」で、「三つ巴」が表現されています。

 

image

 

 

 

そして、さらに凄いのは、隣の摂社です。

「小舟町八雲神社」という神社です。

 

image

 

 

拝殿です。

 

{95288E03-A767-4D15-A895-795BD8F044FE}

 

 

image

 

 

{E8F82B42-4320-4DFE-A289-A60863A3BD78}

 

 

隣には、「小舟」の石碑もあります。

 

{91F1CCC4-2E2E-4EE2-8DAA-589000219E47}

 

 

案内板です。

 

image

 

 

この神社の中には、御神体が置かれています。

 

image

 

 

それが、この「神輿」なのです。

 

image

 

 

 

この土地では、「天王祭(八雲神社大祭)」という祭りが、昔から、4年に一度、行われているそうです。

 

「天王」とは、「牛頭天王=素盞鳴尊」のことだそうです。

つまり、「イザナギ」であり、アニメの「君の名は。」のもう一人の主人公、「滝君」です。

 

{3F3CC31C-E8E8-42BD-9EE4-D6E0200C108B}

 

 

モチロン、現代でも続いています。

 

{9946A7F8-605B-4D51-8A24-97678A6E33D3}

 

 

この神輿は、明らかに、「補陀落渡海の小舟」ですね。

四隅に朱い鳥居があります。

 

{86C27A1D-2670-4C27-9E86-FC95DAE595F4}

 

 

 

「神田明神」に行ったのは、2回目でしたが、今回、「補陀落渡海」を学んでから、再度、訪問したら、見る景色が、全く違っていました。

 

 

昔、「リサ・ロイヤル」というチャネラーさんが、こう言っていました。

 

「人類の進化とは、身体が変化して、別の生命体になることではありません。私の進化の定義は、視点が一つ増えることです。視点が増えれば、同じ風景を見ても、同じ状況でも、全く違う異世界を、体験することができます。それが、人類の進化なのです」

 

私は、今年になってから、「補陀落渡海」という視点をもったことで、本当に、「東京」という街が、それまでの景色と違い、異次元空間の異世界に見えてきました。

「東京」という街は、最高に面白いワンダーランドだったのです。

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 

☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。

http://www.tomaatlas.com/library00.htm

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 

補陀落渡海ツアー 6 榛名神社

$
0
0

「補陀落山寺」に関係している寺は、全国にありますが、関東地方も、「補陀落山寺」が、いくつかあります。

 

 

ネットで検索すると、埼玉県川口市にも、「補陀落山寺」の山号をもつ寺がありました。

 

{8CA79292-FEEE-40D8-8CC6-F0375DEFF7CD}

 

 

三重塔で、有名な寺だそうです。

 

{D63BD67B-7D98-4871-A76F-F4CB599661C3}

 

 

この塔の前には、「三つの石」が置かれていました。

 

{A9159B8D-3503-4C89-9D0A-4B7028C79156}

 

 

境内には、「延命地蔵尊」と書かれた石碑があります。

「延命」というのは、「補陀落渡海」のことを、意味しているのかもしれませんね。

 

{3DF927E1-79D7-4409-B9E5-53BD27C86210}

 

 

本堂です。

 

{F9BD31F2-CA43-4538-95CE-C46F9B5CD34C}

 

 

本堂の一番大切な所に、この木の破片が、掲げられていました。

 

{CB6D97FD-2911-43DA-B0CE-711048147FD5}

 

 

「もしかしたら、補陀落渡海の時の小舟の破片なんじゃないかな…?」

 

こう思ったら、またまた感動しました。

 

 

 

 

「雷電神社」の話題です。

 

東京都内には、浅草の「雷門」だけでなく、それ以外でも、「イザナギ」と「イザナミ」の長男である、「別雷尊」を祭っている神社が、いくつかあります。

 

その神社には、「雷電神社」という名前がついている所が多いです。

 

東京都内で、しかも、ど真ん中にも、それがあります。

新宿の歌舞伎町にある、「花園神社」です。

 

image

 

 

ここの拝殿にも、「雷電神社」というのが入っていたのです。

左側に、「雷電神社」と書かれている文字が見えますね。

 

image

 

 

「新宿」にも、「天照派」のグループの拠点があったのですね。

境内には、昔、「雷電神社」があった痕跡である、記念碑もあります。

 

image

 

 

 

「雷電神社」は、東京を始めとして、埼玉県や群馬県、栃木県など、主に北関東に、広く分布しています。

 

「群馬県」は、昔、「上野国(かみつけのくに)」とも呼ばれていたそうですね。

「神の国」だったのですね。
 
「群馬県」にも、「雷電神社」という名前の神社が、いくつもあります。
 
 
今年になってから、いくつかある「雷電神社」の中でも、総本山のような所に行ってきました。
 
{16367B2B-3C48-424D-8B3B-7432CCA2910A}
 

 

「鬼の手形」がありました。

「大丹生家」のシンボルですね。

 

{7ACF53FA-C8C0-41A6-BD98-A53695BDC198}

 

 

入口近くには、一番大切な神様が、祭られていました。

この二体の石像です。

「イザナギ」と「イザナミ」ですね。

 

{081CBEF4-721B-4E58-9FF5-FC7965A4B1FF}

 

 

拝殿です。

「三つ巴」がありますね。

 

{C28F8662-21AA-47FA-9BE5-9C54783CDFE3}

 

 

境内には、「雷童子」という名前の石像もあります。

「別雷尊」ですね。

 

{DC8345BB-4DC0-4971-A6E6-C36CA53633D2}

 

 

 

 

このように、熊野の那智にある、「補陀落山寺」から、補陀落渡海をしてきた僧たちは、関東地方において、主に、川を利用して、北関東の山奥まで行った痕跡が、たくさん残っているのです。

 

 

先月は、その痕跡を辿るために、再度、群馬県に向かいました。

この日は、私を含めて3人でまわったのですが、桜が満開で、とても綺麗でした。

 

{A59858E0-42D8-4006-9235-DED25A4E5781}

 

 

{8253D455-5C6A-4935-A6EC-66CA8ADE8B6F}

 

 

最初は、太田市のあたりを探索しました。

 

「補陀落渡海」に関係ありそうな神社や寺が、たくさんありました。

やはり、重要な拠点は、川沿いにありますね。

 

{11542B45-6DCB-4B5A-8637-85A9F9B26573}

 

 

「加茂神社」もありました。

 

{E5A80E04-6814-4049-9C25-16A13B6D8B72}

 

 

京都の「上賀茂神社」や「下鴨神社」とも関係あると思います。

「葵祭」をやった場所ですね。

 

{FE551D76-ABE3-4453-8FB8-F64B614A4065}

 

 

「八海山」や「岩戸」など、「天照派」に関係ありそうな意味深な文字が、刻まれています。

 

{F80B25F7-4003-487F-81A1-7F30A940F2A6}

 

 

 

太田市内には、「三柱神社(三社宮)」という神社もありました。

名前からして、何かありそうだと思い、私たち一行は、そこにも行きました。

 

{F2D9A375-B887-44C6-B127-0A1CA3913293}

 

 

鳥居の前で、記念撮影しました。

 

{9C6C48DB-8F56-4FA2-B007-8C4C1393C329}

 

 

境内にには、「丹生家」のシンボルである、「三つの祠」もありました。

 

{DC1A8FF7-AB74-4B14-9C60-9A41F23401B8}

 

 

そして、またまた、ありました!

「三つ巴」と「菊花紋」が合わさった、特別な神紋です。

 

{82ED8079-CB03-408E-904A-62D8C6686A3C}

 

 

もう一度、栃木県宇都宮市の「二荒山神社」の神紋です。

 

{5C5F0A80-9C3C-463C-9C55-AF0F7CDDBCBD}

 

 

沖縄県の開闢伝説に出てくる、「アマミキヨ(イザナミ)」の神紋です。

 

{444727AB-8EF7-4190-B7E7-6C8354880F4D}

 

 

やはり、繋がっていますね~!

 

「沖縄」 ⇔ 「群馬」 ⇔ 「栃木」

 

太古の時代、こういう交流があったのですね。

 

 

 

この神社の隣には、「徳性寺」というお寺もありました。

 

本堂の前で、記念撮影です。

 

{C01EBA45-CADE-4F84-A99C-8AB69C5092A2}

 

 

本堂の天井付近を見て、驚きました。

 

{6CD75F3A-6949-4F72-844B-A24FFCE51DF5}

 

 

これは、「鬼」を表現していると思います。

つまり、「大丹生」です。

ここも、「天照派」の拠点だったのですね。

 

 

 

旅の途中で立ち寄った、ラーメン屋さんです。

とっても美味しかったです。

 

{D4EF7923-9BE2-434D-8AD8-C19C8D51DA7E}

 

 

 

私たちは、伊勢崎市境伊与久の「雷電神社」にも行きました。

 

{6EAFB43B-B792-4B1C-939E-77E0E78631DF}

 

 

たくさんの鳥居が、ずらーっと並んで、参拝者を待っています。

ここを、くぐって、拝殿に向かいました。

 

{B364B82D-1763-4796-8C62-760FA758D959}

 

 

拝殿で参拝しました。

 

{5511A85F-E74D-4C49-BAA4-9D030B795092}

 

 

「三つ巴」です。

 

{7A3C3828-1D47-4FF8-A070-E6BC8433ED98}

 

 

 

境内には、たくさんの祠がありました。

 

{0013BB27-8E4F-46A8-823E-FDFBEF7D61E3}

 

 

{111E8017-19A4-4901-A7F4-033315145CAA}

 

 

{B23162E0-B5CB-466E-B507-5029226520E2}

 

 

破損しているものもあるし、数え方にもよりますが、だいたい、38個前後でした。。

おそらく、最初の頃は、キッチリ、38個あったのだと思います。

 

同行者のゆかさんが、

 

「ここは、日本で最初の共同墓地だったかもしれませんね…」

 

こう呟いたので、皆で笑いました。

 

たしかに、もしかしたら、ここが、最初の38世帯の共同墓地だったかもしれません。(笑)

 

 

 

この神社の隣には、「圓勝寺」というお寺もありました。

同行者のえみさんが、よく通っているお寺だそうです。

 

{ED57983D-513D-4FE2-812F-951DC9C8389B}

 

 

「圓」という文字に注目していください。

 

旅行記の最初の頃に書きましたが、「天照派」の拠点の一つが、三重県(伊勢国)の「いなべ市」だったと書きましたね。

 

ここは、元々は、「員弁」という地名だったのです。

 

そうです。

 

「員」+「口」ですね。

 

「員弁の人々がつくった国」

 

これが、この寺の名前だと思います。

 

「勝」という文字が入っているので、

 

「員弁の人々が、ここに国をつくった後に、勝った~と、叫んだ場所」

 

という意味かもしれません。(笑)

 

 

境内には、お地蔵さんなどの石像を、積み上げてつくった、ピラミッドがありました。

私は、初めてみましたが、群馬県では、けっこうある風景だとか。

 

image

 

 

 

私たちは、この後、「榛名神社」にも向かいました。

 

 

途中、榛名山の前で記念撮影しました。

 

{89A767E2-AF35-4E1D-A8BB-ED749324DE8E}

 

 

榛名山、それから、その両側の2つの山は、私には、ピラミッドのように見えました。

特に、エジプトの「ギザの三大ピラミッド」に似ているエネルギーを、感じました。

 

{736E935D-2C0C-4383-A224-9409B47D406E}

 

 

 

着きました。

 

「榛名神社」です。

漢字から、やはり、「秦氏」が関わっている神社だと思います。

 

{61EB2D64-4FEA-4456-8602-1E3B24B12B6E}

 

 

入口の山門を、くぐりました。

 

{0411875E-A408-4325-9E11-397EEA498209}

 

 

私は、ここを訪れるのは、2回目ですが、やはり、とても気持ちのいい場所でした。

いい氣が充満しています。

 

 

参道には、七福神の石像が建っています。

 

{4AA21333-387A-4FC0-9F2D-95348C4BC8E7}

 

 

せっかくなので、記念撮影しました。

 

{EF59D8E7-9B2B-43A3-8563-036FDBF4C8E0}

 

 

気持ちのいいハイキングコースです。

 

{5FB5BAA5-2DAF-4B1B-97F7-A02757FA954D}

 

 

{AE107F65-035F-4978-B089-DB59DA2F72E8}

 

 

階段での記念撮影です。

 

{5035FB80-E788-427F-8580-98B93B1B2E25}

 

 

{FD24A214-7852-4C70-B41A-67A8D2881D07}

 

 

三つの祠がありました。

 

{AD1465D2-E437-4CDE-B0C0-B04E6A3516FB}

 

 

 

ようやく、拝殿に着きました。

 

{348207E3-7E54-438C-B0CF-9B60EE387B61}

 

 

やはり、この神社にも、いろいろな所に、「三つ巴」がありました。

 

{AEFCFF58-77F7-4396-89CC-C0002CE55A06}

 

 

{1F10B4B6-4496-4E22-9842-C0B8307B9F62}

 

 

拝殿の横には、面白い木彫りの彫刻画もありました。

 

小舟に乗った二人です。

興味深いですね。

どんな意味なんだろう?

 

{A8D946C5-0D2C-4985-A761-8986A1C5444F}

 

 

 

拝殿の90度の所にあるのが、本当の本殿で、御神体があることが多いという話も、聞いたことがあります。

ここの拝殿の90度の所に、この摂社がありました。

 

{514EFBF1-0209-4927-8BCC-DD1E2607B828}

 

 

名前を見て、驚嘆しました。

 

「うわー!」

 

と声を出しました。

 

見てください!

 

「扶桑社」と書かれています。

 

{6B7DB98B-5A05-4368-82D6-889DAC2F9C12}

 

 

わかりましたか?

 

お隣の「中国」は、古代の時代には、我が国、「日本」のことを、「扶桑国」と呼んだそうです。

 

「扶桑」とは、「巨木」の意味です。

 

つまり、「日本」という国は、太古の時代、外国からは、

 

「巨木が、たくさん生い茂っている国」

 

と言われていたのです。

 

そうです。

「世界樹」です。

おそらく、「榛名神社」の近辺は、巨木だらけだったのだと思います。

 

image

 

 

ということは…

 

これです!

 

ハイ!

 

この拝殿の裏にある巨岩は、おそらく、「世界樹」だったのだと思います。

「巨木の化石」だということです。

 

{B21FAC63-327F-4FBF-82EB-7718DEA4537D}

 

 

いろいろなことを、学びなおしてから、再度、訪問すると、以前に来た時の「榛名神社」とは、また違った異空間が、広がっていました。

 

これだから、神社仏閣巡りは、やめられないんですよね~!

 

 

 

全部を見て回ったあと、境内から出ようとした瞬間、出入り口の山門の横が気になって、足が止まりました。

最初は、この祠が目に留まったのです。

 

{AB56907E-568D-45E9-89C1-055E67999498}

 

 

そして、この横にあるものを見て、またまた、

 

「うわ~~!!」

 

と声を上げてしまいました。

 

{1878F4E9-18C5-4C5A-B2C2-7A1C3ACC6771}

 

 

ハイ!

 

「補陀落渡海の小舟」ですね。

 

image

 

 

この石碑の横には、「毘沙門天」の像もありました。

 

{C82AFD34-B8E1-4F5F-B122-D28188D8B612}

 

 

ちなみに、

 

「毘沙門天」=「エンキ」=「イザナギ」

 

こうなります。

 

 

 

いや~!

最高に楽しい、群馬県の旅でした。

 

最後に、3人で、旅行の打ち上げをしている写真です。

楽しかったですね~!

また、やりましょう。

 

{EE658C1D-BE3B-4042-95E9-F83AA9609D4E}

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

 

☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 

補陀落渡海ツアー 7 復活

$
0
0

今年になってから、神奈川県にも、「補陀落渡海」の痕跡を探しに、数回行きました。
 
すると、鎌倉市内にも、「補陀落寺」があることを知りました。
とても小さな寺です。
 
image
 
 
ここを訪れた時には、特に何も気づきませんでした。
しかし、あとから、友人の武田さんが、この寺の御朱印を見て、あることに気が付いて、写真を送ってくれました。
 
{104AA62B-31A9-4BEE-8BD9-FC531408632F}
 
 
左下の黄色の部分に、
 
「南向山 帰命印 補陀落寺」
 
こう書かれていますね。
 
つまり、こういうことです。
 
「天照派のグループが、京都から南の山に向かった。つまり、和歌山です。それから、命を落とさず、無事に、この世界に帰ってきた。その寺院が補陀落寺である」
 
こういう意味だと、私は解釈しました。
何もかも、全ての事実を書いているのです。
 
 
 
ここの寺は、小さすぎて、これ以上の情報は、仕入れることはできませんでしたが、その後に、ある地図を見て驚きました。
 
これです。
見てわかるように、鎌倉市内の「補陀落寺」から、歩いても行ける距離に、「光明寺」という大きな寺があります。
 
image
 
 
ちょっと古代史を学んだら、わかるのですが、古代においては、
 
「天照派」 VS 「神武派」
 
だったのですが、さらに、詳しい内訳は、
 
「天照派(穏健派)」=「南朝」=「奈良」=「後醍醐天皇」
「神武派(武闘派)」=「北朝」==「京都」=「光明天皇」
 
こういう構造だったのです。
 
つまり、「補陀落寺」という「後醍醐天皇」の近くに、「光明寺」があるのです。
おそらく、この寺の名前から、「光明天皇」と、何らの関係があると思われます。
ただの偶然かもしれませんが、この場合、偶然とは、考えないことにします。
 
結論から先に言うと、
 
「仲が悪いはずの二人の天皇に関係ありそうな、二つの寺が、隣近所の距離に仲よく並んでいる」
 
ということです。
 
 
そこで、調べてみると、もともと、「南朝」と「北朝」というのは、日本において、権力者同士の争いであって、下っ端の武士や庶民などは、普段の日常では、あまり、敵対していなかったという記録も残ってるそうです。
普段は、庶民同志は、一緒に同じ銭湯や温泉に入ることもあったようです。
 
このあたりが、外国と違い、日本的ですね。
 
現代でも、選挙の時以外は、違う政党の支持者たちも、同じ会社の同僚であれば、一緒にランチを食べたりしますね。
そういうかんじだったのかもしれません。
 
私たちは、いつの間にか、物事を、
 
「白か? 黒か?」
 
という極論で考える癖が、できているようです。
 
実際の世の中は、たくさんの色が、千変万化に変化したり、状況によって、いくつかが混じったりするのです。
とても複雑で、単純に分けられるものではないのです。
 
 
このように、「鎌倉」においては、「天照派」と「神武派」は、仲よくやっていたのかもしれません。
 
理由はわかりませんが、もしかしたら、
 
「東日本まで来て、喧嘩したり、争うのは、もうやめようよ」
 
こういう話をして、和解したのかもしれません。
 
「鎌倉」という街を散歩していたら、綺麗な海岸線の景色が見えてきます。
たしかに、この景色を見ていたら、喧嘩なんか、やる気になりませんね。(笑)
 
image
 
 
 
さて、「光明寺」にも行ってきました。
 
「光明寺」の名前にも、「日」と「月」が入っていますね。
 
{92984F2F-F9BC-4603-8358-7190CE87CC5B}
 
 
「日と月の光が輝く」
 
という意味ですね。
ここでも、また、「日食」が出てきましたね。
 
 
境内に入って、山門に掲げられている文字を見て、驚嘆しました。
 
{71EF3571-8E43-4779-9411-3A36ADA51A6A}
 
 
見てください!
この寺の山号は、「天照山」なのです!
あまりにも、意表を突く展開に、もう笑ってしまいました。
 
{4E74941D-1179-4BE7-996F-45C5E62E86E6}
 
 
境内には、「八角形」のお堂もありました。
 
このことから、「鎌倉」という土地も、「天照派」の拠点だったことが、わかりました。
 
{E31746C6-B1CA-4E9E-8CB0-7B6434BADF88}
 
 
 
「天照派」は、昔から現在まで、常に隠れて行動するという特徴があります。
 
おそらく、長年の経験で、
 
「表舞台に立って、目立ってしまうと、権力志向の神武派の目に留まり、また、彼らとの不必要な対立や争いが、起こってしまう確率が高くなる」
 
こう判断しているのだと思います。
 
だから、「天照派」は、「岩戸開き」の神話のように、ひたすら隠れるのです。
 
しかし、隠れるといっても、力が弱いわけではありません。
もしかしたら、「神武派」よりも、世の中全体にとっては、影響力は、はるかに大きいのかもしれません。
 
 
「権力は持たないけど、権威はもつ。しかも、その権威は、なるべく、一般の人々には、わからないようにする」
 
おそらく、太古の時代から現代まで、ずーっと、こういう姿勢なのだと思います。
 
 
たとえば、コンビニよりも、はるかに数が多いと言われる、全国の神社、その中の大半には、杉の木がありますね。
これも、隠れて自己主張しているために、一般の人々は気づきませんが、「天照派」の力の強さを見せつけています。
 
「杉」
 
この文字を、分解してみてください。
 
「三」+「十」+「八」
 
こうなります。
 
ハイ!
 
イザナギとイザナミの子供たち、「38人」を象徴しているのです。
 
全国の神社の大半は、「天照派」のテリトリーなのです。
 
 
 

そういえば、「神奈川」という県名も、意味深ですね。

 

文字を分解すると、

 

「大(☆)」+「三(川)」+「神」+「示」

 

となります。

 

「宇宙からやってた三つの神が示した場所」

 

こういう解釈もできますね。

 

「三つの神」とは、

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この「三つ巴」かもしれません。

 

 

 

他にも、私たちの身の回りに、「38」や「83」の数字で、「天照派」の影響力を示しているものが、いくつかあります。

 

 

最近、気が付いたことです。

 

現在は、ちょっと変化しているかもしれませんが、私が子供の頃、学校に登校するのは、「午前8時30分」と決まっていました。

 

会社に入ってからも、タイムカードでの出社時刻は、「午前8時30分」に決まっていました。

 

ところで…

 

そもそも、日本中の学校や会社が、「8:30」からと決めた人は、誰だったんでしょうか?

それは、いつのことで、その時間の根拠は、何だったのでしょうか?

 

ほとんどの日本人が、一日を始める時刻、そんな最重要な時刻を、誰が決めたんでしょうか?

 

もしかしたら、現代にも、「天照派」の人々がいて、彼らが決めたんじゃないでしょうか?

 

 

他にも、いろいろな疑問はあります。

 

「朝鮮半島は、なぜ、38度で分けられたのか?」

 

これに、ちゃんと答えられる学者には、会ったことがありません。

 

 

さらに、2011年の東日本大震災でも、たくさんの地震が起きましたが、その震源地の大半が、「北緯38度」に集中していました。

これの理由も、未だにわかっていません。

 

 

 
 
さて、神奈川県では、横浜市内の近辺も、調査したのですが、面白いことがわかりました。
 
 
「杉山神社」という神社が、たくさんあるのです。
 
この神社は、「ご当地神社」とも言われていて、特に、横浜市内に集中して建っているそうです。

 

しかも、とても興味深いことに、神奈川県下に、「杉山神社」は、全部で、「38社」あるそうなのです!

面白いですね~!

 


下記の地図上の青いポイントが、「杉山神社」の鎮座地だそうです。

黄色のポイントで示しているのは、「杉山神社」という名ではないけど、かつて存在した、「杉山神社」を合祀した神社だそうです。

 

{764F3BD2-4AEA-438D-84C1-DEBD4EC355CC}

 
 
 
「杉山神社」のいくつかにも、直接行ってみました。
全部は、数が多すぎるので、その中の二つを紹介しますね。
 
最初の一つ目は、横浜市鶴見区の「杉山神社」です。
 
{CA412A1D-966B-497C-A993-C9A0263D2C9B}
 
 
拝殿です。
 
{73E87EA6-774A-4B1E-8B6D-7CDA93D7D425}
 
 
やはり、境内には、「三つ巴」がありました。
 
{7E440B75-57DD-480D-A67D-850CD32595E4}
 
 
 
二つ目は、横浜市保土ヶ谷区の「星川杉山神社」です。
 
{4D0D1B0F-1324-44BF-A973-983BB379D5E6}
 
 
拝殿の前で、パチリ。
 
{C2D32635-EEAF-483E-BDAF-A1A1A41D48D6}
 
 
この神社の神紋は、「三本杉」だそうです。
 
私には、「三つの葉っぱ」にも見えます。
アニメ、「君の名は。」の「三葉ちゃん」ですね。
正体は、「イザナミ」ですね。
 
{076B090E-132A-4B63-BDBD-FFACBB565A8C}
 
 
境内には、大きな杉の木がありました。
 
{8880AEB8-8F1E-4BC8-BE10-AA254E339FA6}
 
 
 
 
横浜市では、鶴見区も見てまわりました。
 
 
「鶴見神社」です。
 
{8CD9C159-A1D6-478A-BBC2-104B655277C0}
 
 
ここも、鳥居に、「三つ巴」があります。
 
{7D440904-90D7-4E4D-8F0D-F261856A66B6}
 
 
 
この神社から、車で、ちょっと走った所に、「潮田神社」があります。
 
{DE0CF041-5224-4C9C-8E43-8F31FEC7A997}
 
 
艶やかな色の拝殿です。
 
{2F838BBF-44CA-40FC-934C-B7752871DCBB}
 
 
この神社の神紋に、大感動しました~!
 
これは、どう見ても、「三つ巴」、つまり、
 
「天照派の人々が、黒潮の波を越えて、この土地に辿りつた」
 
という意味ですね。
 
{C8744ECF-0B9F-4CED-BE4C-D00CE18C2CFA}
 
 
 
神奈川県の秦野市の辺りにも、行って来ました。
 
秦野市平沢にある、通称「関東のいづもさん」、正式名称が、「出雲大社相模分祠」にも行きました。
 
 
鳥居がユニークな色になっています。
記念撮影しました。
 
{8492BD40-47E2-427B-97DE-099578E1C784}
 
 
拝殿で参拝しました。
ここにも、立派な「しめ縄」がありました。
 
{5E3E776F-0243-412E-9A4E-E28090DFA4B1}
 
 
境内には、「イザナギ」と「イザナミ」の幼年時代だと思われる石像もありました。
私は、これに一番感動しました。
 
この像を見て、やはり、「出雲系」も、「天照派」だったと確信しました。
 
{A57FAEDB-96AA-4A7E-93E6-7834B05E16BC}
 
 
 
「出雲神社」の近くに、素敵なカフェがありました。
 
同行した友人たちと、ランチをしたのですが、とても美味しかったです。
ここにも、また行きたいですね。
 
{4AF7D9A1-1788-4DCF-8C8B-AD9147CA2B97}
 
 
 

同じく秦野市内の「曾屋神社」にも、立ち寄りました。

 

珍しく、黒い鳥居です。

私は、基本的に、「漆黒の闇」の色である「黒」は、「宇宙」を表現していると思っています。

 

{C0CEE6F6-F404-4E1C-A582-6F930FBC3B91}

 

 

拝殿の前です。

 

{335CC295-7E88-4DCE-956F-4A2FBE8FF3F9}

 

 

御神体の「鏡」を置く台が、凄い迫力でした。

こんなの初めてみました。

龍神が、支えている鏡なんですね。

 

後ろに、「三つ巴」も見えますね。

 

{1B31ECBA-02BA-42CA-9B6D-B37DB256401D}

 

 

拝殿の裏側に、何も書かれていない祠がありました。

 

あとから、同行した友人が調べたら、ここには、「水波能売命(ミズハノメノミコト)」が祀られていました。

ここでも、「三葉ちゃん」が登場しましたね。

 

{903E6A88-CAF5-4C32-9DBD-FA209323425A}

 

 

 

 

「比々田神社」にも行きました。

ここの境内にも、大きな杉の木がありました。

 

{79CA7CE2-0AC5-4C32-8240-EA0A96A432F9}

 

 

記念撮影です。

 

{D0C8EAE5-056F-425A-B796-C46CF531BB59}

 

 

やはり、「三つ巴」がありました。

 

{4574D351-9A1F-4572-93AF-80C38305CCF2}

 

 

ここの境内にいた時に、久しぶりに、「UFO雲」が出てきました。

風が強い天気にも関わらず、雲が直線で切り取られるのが特徴です。

 

この雲が出ると、2時間以内に、UFOが出現することも多いのですが、この日は、UFOは見えませんでした。

でも、何か、宇宙的なエネルギーは感じました。

 

やはり、この神社は、宇宙とも繋がっているみたいですね。

 

{0F78566A-28C9-4FA4-92C0-3CEE3FD7FC36}

 

 

境内には、古墳もありました。

 

{3FC427A8-5C06-4510-94C6-81742E7C01CE}

 

 

ここから、少し離れた所に、同じ名前で、もう一つの「比々田神社」がありました。

 

{81ACE484-5A6C-4451-83D9-98DE9BF20D4A}

 

 

{C05AC1E3-28E9-40A8-B576-6863472EE5EA}

 

 

拝殿です。

 

{802040D7-3969-40C4-A28E-9542829FBFEE}

 

 

拝殿の裏には、三つの祠がありました。

 

{4F91CFBB-2366-4FC9-A56D-5BCE98E1E800}

 

 

それぞれの名前です。

やはり、「熊野」と関わりがありますね。

 

{0527E062-4F16-444D-AD15-7F9B347A0AD7}

 

 

 

 

「秦野市」という名前から、明らかに、「秦氏」が深く関わった街だということは、すぐにわかりますね。

 

ご存知のように、秦氏は6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団で、そのルーツは秦の始皇帝だったとも言われています。

 

その中でも、「秦河勝」という人物が、「秦氏」の族長的人物だったと言われているのですが、この「秦河勝」が、「聖徳太子」の側近だったこと、そして、「聖徳太子」が、「補陀落渡海」の発案者であり、リーダーだったことから、

 
「聖徳太子」ー「秦河勝」-「秦氏」-「天照派」ー「補陀落渡海」
 
これらは、同じ線で繋がることがわかりますね。
皆、仲間だったということです。
 
だから、「秦野市」に、「天照派」や「補陀落渡海」の痕跡が残ってるのです。
こういうことは、裏の日本史がわからないと、全く意味不明だと思います。
 
 
何度も書いていますが、「天照派」の象徴的な神話が、「天の岩戸開き」です、
 
その話の中に、「三種の神器」の一つである、「八咫鏡」が登場するのです。
 
これは、古事記によると、八咫鏡は、天照大御神が、素戔嗚尊の乱暴な行為に怒って、天ノ岩戸隠れをした時、岩戸を開こうとして造られたのが、最初だとも言われています。
 
「アメウズメノミコト」が踊りを舞って、何事かと思った、「天照大御神」が、岩戸を開いて、
 
「貴方より優れた神が現れた」
 
と言われて、

「何か怪しい」
 
と更に岩戸を開いて、
 
「その神の御姿を見られよ」
 
と、「天照大御神」の姿を写した「八咫鏡」を見せて、更に岩戸を開いて表に出た所を、「天之手力男之神」が、力一杯、「天照大御神」の手を引っ張って、天ノ岩戸開きをした。
 
それで、地上に再び光が戻ってきた。
 
 
こういう記述が残っています。
 
 

この神話の重要な部分は、「隠れた」という表現です。

 

さらに、「天照大神」が、再び天岩屋から、「出てきた」ということです。

 

これは、「生き返った」という意味にもとれます。
つまり、死んで葬られたはずの「天照大神」が生き返った。

一度死んだ後、復活したということとです。

 

これは、まさに、「補陀落渡海」も表現しているのではないでしょうか?

 

「小舟による即身仏の儀式を装って、死んだふりをして、別の場所である新天地で、新しい人生をやりなおす」

 

このやり方は、まさに、「復活劇」です。



「秦氏」は、ユダヤ人原始キリスト教徒であり、さらに、「聖徳太子=キリスト」だと考えると、辻褄があいます。

 

「一度死んでから、再び生き返り、復活する」

 

これをやったのは、西洋では、「イエス・キリスト」ですね。

そして、東洋では、「天照大神」です。

 

「聖徳太子」と「秦河勝(秦氏)」、これらのグループが、「天照派」の「補陀落渡海」を、助けていたということです。

 

 

 

「天照派」の得意技は、

 

「死んだ後、復活する」

 

これなのです。

 

わかりやすい表現で、言い換えると、

 

「負けて勝つ」

 
ということです。
 

 

これができるのは、世界中でも、日本人だけです。

そして、その「日本」の中でも、これをやっていたのが、現代でも、「天照派」の子孫やグループだったのだと思います。

 

 

たとえば、アメリカなどの欧米諸国は、長い歴史の中で、行動を見てみると、

 

「いかに勝つか? 勝って、勝って、勝ちまくることができるか?」

 

こればかり考えているように思えます。

 

 

 

「第二次世界大戦」

 

この歴史的な出来事で、一番大切なことがあります。

 

 

それは、家族や友人などを、アメリカに殺された日本人たちが、仕返しをしなかったということです。

 

とても悔しくて、頭に血がのぼっていたとは、思いますが、

 

「あれは戦争だったから、仕方ないかもしれない…」

 

こういう冷静で、客観的な視点もあったのだと思います。

 

当時の日本全体が、そういう複雑な気持ちを抱えたまま、1945年に終戦記念日を迎えたのです。

 

軍事的な仕返しを、やらなかったということです。

復讐すれば、その憎しみの連鎖は、永遠に続くということを、心の奥底で、知っていたのだと思います。

 

 

では、何をしたのかというと、自動車や家電などを生産して、経済的な成長を目指したのです。

 

「日本人の優秀さを、世界中に見せつけてやるぞ!」

 

こう思って、「ゼロ戦」などの戦闘機を作れなくなった技術者たちが、夜寝るのを忘れるくらい、猛烈に働いたのです。

 

それが、日本の「高度経済成長」に繋がったのです。

 

1980年代後半には、世界第2位の経済大国になりました。

ある計算によると、瞬間的には、世界第1位になったこともあったそうです。

 

これが、どういう意味か、わかりますか?

 

「戦争で負けても、世界一豊かな国になることができる!」

 

こういう姿を、世界中に見せつけたということです。

世界史上、最高の国の姿を、日本は、世界中に見せつけたということです!

 

 

高度経済成長の時の自動車工場です。

 

{B11F14A2-D740-4D35-9247-C7A37EAC61DA}

 

 

「負けて勝つ!」

 

こういう高等な戦略を、世界史上、初めて地球上で体現して見せた国が、日本なのです。

 

第二次世界大戦において、日本の戦いは、1945年に、一度負けて、1980年代に、世界経済で、トップになるところまでの大計画だったということです。

 

これによって、「戦争」の意味を無くすことに、地球の歴史上、初めて成功したのです。

 

これは、おそらく、神が日本人に与えた、使命のようなものだったのだと思います。

日本人にしか、できないことだったのです。

 

 

1945年8月15日正午に、ラジオ放送された、昭和天皇による終戦の玉音放送を聴く人たちです。

 

{7E89FE0F-D9B7-4E46-B45B-70D50937A7F9}

 

 

 

大切なことなので、繰り返します。

 

 

それまでの数千年の地球の歴史の中では、

 

「戦争に勝った国が、豊かになれる。戦争に負けた国は、皆殺しにされるか、奴隷にされ、永遠に貧乏なままになる」

 

これが、常識だったのです。

 

それを、長い歴史の中で、日本が初めて、その流れを変えたのです。

 

 

要するに、

 

「戦争で勝つことには、意味がない」

 

これを教訓として、世界中の人に、教えたのです。

「戦争」を、無力化したのです。

 

日本が戦っていたのは、「アメリカ」の軍隊ではありません。

「戦争」という名前の超魔物と、戦っていたのです。

そして、その「戦争」に勝ったということです。

 

「アメリカに負けて、戦争に勝った」

 

これが、「日本」という国であり、「第二次世界大戦」の真相だったのです。

そして、その中核にいたのが、「天照派」の末裔たちだっただろうと、私は推測しています。

 

 

「どんなに、暗い暗黒の世界になっても、かならず、光の世界が復活する」

 

こういう世界観をもっている人々なのです。

それは、まさに、「日食」の後の、「ダイヤモンドリング」のような光だと思います。

 

image

 

 

 

次回、「補陀落渡海ツアー」、感動のフィナーレです。

 

最後の舞台は、静岡県です。

お楽しみに!

 

 

 

 

PS 神奈川県での旅を終えて、ファミレスで、皆で、打ち上げしている場面です。

旅行中の感想を、お互いにシェアして、最高に楽しい時間でした。

 

{BF4F964B-1F93-41EA-9607-E2813197BC45}

 

 

 

 

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

 

☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 

 

補陀落渡海ツアー 8 久能山東照宮

$
0
0

静岡県にも行ってきました。

 

静岡は、大好きな土地の一つです。

「静かな岡」という名前のとおり、どこに行っても、とても穏やかで、やさしいエネルギーを感じるのです。

 

 

ここでは、レンタカーを借りて、まわりました。

 

ご存知のように、私のモットーが、「行き当たり、バッチリ」なので、いつも、半分くらいは、事前に旅の計画を立てるのですが、残りの半分は、直接現地に着いてから、直観で決めます。

 

今回の静岡の旅も、気の向くままに、地図を見たり、車で走っている時に、ピン!ときた所で車を停車して、探索したりしました。

 

 

「補陀落渡海」に関係ありそうな名前を、気を付けて見ていると、このお寺も目に留まりました。

 

「海長寺」

 

という名前です。

 

{6096611C-4E0E-45B1-B7CE-801B6A115AC5}

 

 

場所は、静岡市内で、清水港から歩いてすぐの場所です。

 

私は、これを見て、

 

「長い海の航海を経て、辿り着いた場所」

 

瞬時に、こう解釈しました。

 

 

門の前で、記念撮影しました。

 

{FFFBDFF9-D4C0-43C1-990A-9CFD5C2F6982}

 

 

何度も書いているように、「天照派」は、大々的には、メッセージを伝えません。

暗号のように、わかる人だけに、わかるように、メッセージを伝えるのが、彼らのやり方なのです。

 

「龍水山」と書かれていますね。

「水」と「龍」ですね。

「滝」を意味していると思います。

 

ここでも、アニメ「君の名は。」の「滝君」の登場です。(笑)

 

「山」は、「領地」という意味もあるから、「滝君の縄張り」という意味ですね。

つまり、「イザナギ」の土地です。

 

 

すぐに、「三つ巴」の瓦が目に飛び込んできました。

 

{FF58058E-A4E8-4DED-9169-AB942ECB303A}

 

 

境内にある建物です。

 

{359B81D4-2CB0-4B5E-8C6E-D607FDF4E3E5}

 

 

「圓」の文字が入っていますね。

 

「員」+「口(くに)」=「三重県の員弁」=「邪馬台国」=「天照派」

 

こういうことです。

 

「天照派」の拠点ですね。

 

左側の絵にも、注目しておいてください。

 

{43C54FD3-A293-44C5-803D-FDBE8C6EB7B9}

 

 

本堂です。

 

{12D89957-C390-40B0-9DE0-495FDD696DF6}

 

 

境内には、大きな「ソテツ(蘇鉄)」がありました。

 

{FAD0E990-A382-4617-BC73-C8E5E84DDFA0}

 

 

「ソテツ(蘇鉄)」という名前を調べると、

 

「枯れかかったときに、鉄クギを打ち込むと、よみがえる」

 

というのに由来しているそうです。

 

「鉄を受けると元気になる(蘇鉄)」という伝承から、今でも、茎に、クギを打ち込んだり、根もとに、、釘をばらまいているものも、多いそうです。

 

まさに、「補陀落渡海」の象徴ではないですか!

 

「小舟に乗り込み、四方八方から釘を打たれ、鉄の箱のよう閉じ込められ、出られないようにされ、海の彼方で、死ぬことにした。しかし、実際には、その後、黒潮に乗り大海を漂い、遠くの土地の浜辺で、仲間から救助され、新天地で生まれ変わったように蘇り、第二の人生を歩み始めた」

 

こういうことです。

 

 

「ソテツ(蘇鉄)」=「補陀落渡海」

 

こういう方程式が、今、できました。(笑)

 

 

「補陀落渡海」で、小舟が海に流されるシーンです。

場所は、熊野の那智にある、「補陀落山寺」の近くの海岸です。

 

{0D0B0E59-89CC-483D-98DF-53AD8712F596}

 

 

その場面を、模型や人形で表現したものです。

小舟の上に、一人の僧が乗っていますが、実際には、テントのような木箱に、釘を打たれ、閉じ込められていました。

 

{676828EA-4C00-47FA-9236-2EDCC2684FF2}

 

 

境内の奥のほうに、不思議な形をした石碑のようなものが、また目に留まりました。

 

{3CBB9137-933B-4243-AEF9-A85628241E1E}

 

 

「なんだろう?」

 

こう思って、近づいてみました。

先ほどの看板にもありましたね。

下の方に、金色で描かれた絵のようなものを見てださい。

 

 

最初は、

 

「古代文字かな?」

 

と思ったのですが、だんだん、この絵の意味がわかってきました。

 

もうわかりましたね?

 

小舟に乗った、一人の僧の絵です。

袈裟を着ているようにも見えますね。

 

寒くて寂しい、太平洋の真ん中で、小舟の箱の中から、微かに息をしている姿かもしれません。

 

そうです。

これは、「補陀落渡海」の絵だったのです!

 

{A0244056-879D-4A8B-A31C-9DF8270FEF37}

 

 

「うわ~~!!」

 

同行していた友人と二人で、この石碑の前で、またまた叫んでしまいました!

 

 

絶叫した後の記念撮影です。

 

{E7128427-A5BC-4932-9F43-F52A9D6D64CC}

 

 

 

この寺の近くには、その名もズバリ、「鉄舟寺」があります。

山号も、そのまま、「補陀落山寺」です。

 

「海長寺」からは、歩いてもいける距離にあります。

 

 

そこにも、立ち寄りました。

さっそく、門の前での記念撮影です。

この石碑も、明らかに、「小舟」のオブジェですね。

 

{7F8D7249-31AD-4D3F-87B0-62C2D7E42DB7}

 

 

ネットの説明だと、こう書かれています。

 

幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。剣と禅と書の達人としても知られる書、山岡鉄舟という人物も、この寺には、関わっているそうです。

 

「鉄舟寺」というのは、ここからきているとのことです。

 

 

しかし、私は違うと思います。

 

本当の名前の意味は、

 

「鉄の箱のような舟に、閉じ込められてきた僧が、辿り着いた場所」

 

だと推測します。

 

そして、おそらくは、一番最初に創建された時の名前は、「補陀落山寺」だったと思います。

 

 

入口の門です。

 

{0D9FCD2E-A3B5-4F5D-B647-A6D8BBF87C64}

 

 

これを見て、感動しました~!

 

{A9BC6E54-40AC-4DF6-8848-CBFE2BAE2D6D}

 

 

屋根の模様も、「黒潮」を表現しているデザインになっています。

 

{6B183C68-96AB-4FB1-9530-FF45A514ABFC}

 

 

しかも、「徳川家」の家紋である、「三つ葉葵」まで、入っています。

ここでも、また、「三葉ちゃん」の登場ですね。(笑)

 

{FF2E206F-74F2-4F97-9A90-5BFAD8FCE34D}

 

 

「鬼瓦」もありました。

 

「鬼」=「大丹生(おおにゅう)」=「天皇家」

 

でしたね。

 

{571A1CAD-D438-4C3A-BFC8-7A2C9E4AC41F}

 

 

 

この日、寺の門は閉じていましたが、横の坂道から、すんなりと境内に入れました。

 

{CB99E341-D77F-4EA7-A034-7E5B87F4DFCA}

 

 

寺の奥には、神社もありました。

 

image

 

 

やはり、「熊野系」の神社でした。

 

image

 

 

神社の近くには、石像もありました。

 

{C49C25DB-C2BE-4474-B5D2-DD132B995923}

 

 

石像よりも、その下の文字に注目してください。

 

「合同船」

 

と書かれていますね。

 

おそらく、「補陀落渡海」で渡ってきた小舟たちが、ここに何かの理由で、集まったことがあったのだと思います。

 

ちゃんと花が生けられているのが、印象的でした。

 

{71F84C38-A100-4985-BAF6-C8D186519330}

 

 

 

神社のは、高台になっているので、海が見えます。

ここから海を眺めると、なんともいえない気持ちが湧き上がってきました。

 

{C6824868-D5D1-4917-8E42-58F512DFD4DA}

 

 

お寺の中には、「ソテツ(蘇鉄)」もありました。

 

{DEC5F4F9-0075-47B2-A801-05F1EF2B13EB}

 

 

 

そして、「原爆慰霊碑」がありました。

 

上部にある絵は、普通は、「折り鶴」だと解釈するのでしょうが、私には、別の解釈も思い浮かびました。

 

{6C2E9893-761A-470A-B273-439C14C77746}

 

 

この鳥は、「丸」の中に描かれているのが、特徴です。

私の脳内にある膨大なデータの中で、ヒットしたのが、これです。

 

 

これは、お隣の中国の霊獣、「三足烏(サンソクウ)」という名前です。

三本の足を持ったカラスで、アフリカなどにも、これと同じ壁画が見つかっているそうです。

周囲の「丸」は、「太陽」を表現していて、「カラス」は、「黒点」だという説もあるようです。

つまり、「太陽に住む鳥」だということです。

 

{31A60AA0-2F77-456A-BC5B-BEF1A322E619}

 

 

これも、同じくお隣の韓国の霊獣、同じく「三足烏(サムジョゴ)」という名前だそうです。

また、高句麗では、昔から、「火烏」とも呼ばれているそうです。

ここまで似た絵だと、上記の中国の霊獣と同じだと考えてもいいと思います。

 

{A53FB00C-506E-43F9-97E5-4346E8E409E8}

 

 

わかりましたか?

 

つまり、この三羽の霊鳥は、同じ存在だということです。

 

そうです。

 

日本では、熊野を拠点にしたグループ、「八咫烏」です。

ここでも、赤い「丸」の中に入っていますね。

 

{926857FC-3910-4FAF-891B-7418E15E159A}

 

 

詳しいことは、割愛させていただきますが、いろいろ調べると、これらの霊鳥は、他の存在、「金鵄」や「不死鳥(フェニックス)」とも同じ存在みたいです。

 

そして、大切なことは、日本神話において、「太陽(丸)」を象徴する神様は、一人しかいません。

 

「天照大神」

 

です。

 

 

これらを、因数分解のように、シンプルにまとめてみます。

 

原爆慰霊碑に描かれている、「折り鶴」の正体です。

 

「折り鶴」=「三足烏(サンソクウ)」=「三足烏(サムジョゴ)」=「火烏」=「八咫烏」=「金鵄」=「不死鳥(フェニックス)」=「天照大神」=「天照派」

 
こういう等式がでてきます。
 
つまり、あの「折り鶴」は、「八咫烏」であり、「天照派」でもあり、「復活」の象徴として描かれていたということです。
 
面白いですね~!
 
 
 
 
そして、いよいよ、最終目的地の話題です。
 
この寺から、ちょっと離れた所に、「久能山東照宮」があります。
そこが、今回の旅の終着駅でした。
 
 
ロープウエイで行ったほうが、楽だと聞いたので、ロープウエイの駐車場まで行きました。
 
ここのロープウエイは、凄い景色でした。
写真を撮るのを、うっかり忘れてしまいましたが、最高の眺めでした。
 
 
そして、ロープウエイを下りたら、すぐに、「小舟」が待っていました。(笑)
記念撮影です。
 
{7E6A2BED-D977-446B-8EE8-3BFCA70C1720}

 

 

山の頂上からの眺めも、最高でした。

この日は、風が強かったのですが、遠くに綺麗な海が見えました。

 

{4423D382-44C4-4D27-BB59-1237A0CF16D5}

 

 

 

「久能山東照宮」を、ネットでも調べてみました。

 

すると、こういう記述がありました。

 

〇「久能山東照宮」について 

 

久能山の歴史

 

遥か遠い昔、この山は観音菩薩の霊場とされ、観音信仰の聖地でした。

久能山の歴史、「久能寺縁起」によると、推古天皇の御代(7世紀頃)、秦氏の久能忠仁が、初めて山を開き一寺を建て、観音菩薩の像を安置し、「補陀落山久能寺」と称したことに始まります。

久能山の名称も、ここから起こりました。

 

なんと、ここは、元々の名前は、「補陀落山久能寺」だったというのです!

 
7世紀頃だから、「聖徳太子」の時代です。
しかも、創建者は、「秦氏」です。

 

見事に、繋がりましたね~!
 
驚きました。
なんでも調べてみるものですね。
 
 
他も、こういう説明も見つけました。
 
〇「久能山東照宮と日光東照宮の違い」
 
「日光東照宮」は」、徳川秀忠や家光が陰陽道などにのっとって、江戸の守り神として、神格化した徳川家康の遺体を、安置させるために作られたもの。
「久能山東照宮」は、徳川家康が静岡で亡くなり、遺言により作られたもの。
つまり、日光は、親孝行で作られたもの、久能山は、家康自身の希望場所である。
 
なるほど、わかりやすいですね。
 
 
 
入口の門の前で、記念撮影しました。
 
{5DFFA115-91C9-4FA8-9E24-5190545436C8}
 
 
この看板を見て、ビックリしました!
 
わざと、草書体で、くずして書いていますね。
 
パンフレットでは、
 
「東照大権現」
 
という説明ですが、違うと思います。
 
ハイ!
 
「天照大権現」
 
こう書かれているのだと思います。
 
もしかしたら、昔は、「草書体」というのは、このように、「暗号」のような役割をしていたのかもしれませんね。
 
{5C70B28D-C788-41EA-9F33-08D2AAEA5E0D}
 
 
 
「徳川家康」の手形がありました。
 
意外と、小柄だったのですね。
身長、155センチ、体重、60キロだったのですね。
 
私は、「38歳」という年齢が、やたらと気になりました。(笑)
 
{54B0BC56-2937-4149-9F94-E35141BA1605}
 
 
 
拝殿で、参拝しました。
 
{90449BC3-2B30-4D71-ABE1-5D81FC3087AB}
 
 
こういう所には、密かに目立たない所に、本当にメッセージ性のある模様や絵などが、刻まれれてり、描かれていることが多いです。
 
 
まずは、拝殿のここにありました。
 
{CA72A19B-84DE-45B9-8CB3-FCAD78F29DF5}
 
 
この紋章です。
 
「三つ巴」と「菊花紋」が合わさった、特別なシンボルですね。
しかも、全体が、ゴールドの花模様になっていて、とてもオシャレですね。
 
やはり、「天照派」が、隠れた日本の中核なんですね。
 
{F5F99076-8B60-4072-BA88-FF9018A9E231}
 
 
さらに驚いたのが、この彫刻です。
同行した友人と、驚嘆しました。
 
見てください!

 

{B82AF13B-207D-451E-A401-B234AD99FB65}

 

 

わかりましたか?

これを、わかりやすくした絵を、入手しました。

 

{388D2BA5-E57D-4FDD-A497-72F4B4086512}

 

 

一般向けの説明文には、こう書かれています。

 

「家康公からの伝言」

 

この絵は、「司馬温公の甕割り」の絵です。

 

古代中国の有名な政治家、司馬温公が、7歳の時のある日、友人と遊んでいましたが、友人が誤って、水を一杯張った水瓶に落ちてしまいます。

「このままでは、友人が溺れ死んでしまう」と思った温公さんは、機転を利かし、水瓶を割ることによって、友人を助けることができたというお話です。

 

家康公からの伝言は、「命を大切にせよ」です。

 

 

どうですか?

これを読んで違和感を感じませんか?

 

「江戸時代」という凄い時代を創り上げ、日本とう国家の基礎も創り上げた、超偉大な人物の眠る聖地、さらに、そこの一番大切な拝殿の真ん中に、こんな子供でもわかるような逸話の絵なんて、描かないと思いませんか?

 


もうわかりましたね。

 

そうです。

 

これは、「補陀落渡海」の絵です。

 

おそらく、熊野から静岡の浜辺に打ち上げられた小舟から、一人の僧を、二人の仲間が救出している場面だと思えば、しっくりくると思います。

 

中国風の服装や髪形は、カムフラージュです。

私は、この髪形は、「二本角」、つまり、「鬼=大丹生=天皇家」を表現していると思います。

 

{3D7771E3-76CB-43E5-AB35-BA0078C6DB5D}

 

 

小舟の上で、鉄の箱のように釘打ちされた板を、仲間が、こじ開け、浸水していた海水と一緒に、ドバ~!という音とともに、補陀落渡海の僧が、箱から出てきている場面だと思います。

 

 

もう大感動でした。

 

同行した友人と一緒に、何度も、何度も、

 

「凄いね~! 凄いね~!」

 

と言い合って、この発見を喜び合いました。

 

 

「補陀落渡海」

 

やはり、これが、日本史における最重要な出来事だったのです。

 

 

 

拝殿の奥の階段を登っていくと、「神廟」があります。

 

辞書によると、「神廟とは、神の霊をまつった所」だと説明されています。

やはり、家康公は、神人だったのだと思います。

 

{319FD84D-E7BF-4556-A66A-8D794CA5CA3D}

 

 

あっ、そうそう、そういえば説明するのを、すっかり忘れていました。

 

「どうして、家康は、天照派の人々を助けていたのか?」

 

という素朴な疑問です。

 

 

この家紋に、全ての意味が隠されています。

 

{4E4F6E2A-CA2A-42FE-B6E1-79A757E9C110}

 

 

思い出してください、

旅行記の最初の頃に、書きましたね。

 

武闘派である「神武派」、それから、穏健派である「天照派」、この両者が、仲直りした記念に、最初にやった祭りが、京都の「葵祭」でしたね。

 

調べてみると、昔、その祭りを執り行い、両者の仲をとりもったグループがいたようです。

それが、いわゆる、「加茂族」です。

その子孫が、どうやら、「徳川家康」だったようなのです。

 

{7A11EF30-04AB-4BED-B8A9-BDA431EE25DE}

 

 

ネットでの説明です。

 

徳川氏は京都・葵祭で有名な、加茂神社の氏子だから、加茂神社の神紋、葵を、家紋として用いました。
賀茂神社の裏の神山には、葵が沢山生えており、この草を神殿の飾りや神の降臨(葵祭)に使用し、それを加茂神社の神紋としました。
神社の神紋は「二葉葵」で、それを徳川氏は、神社のシンボル、「巴」と掛けて「葵巴」としました。
その「葵巴」こそが、一般にいう「三葉葵」である、徳川家の家紋となりました。

 

 

 

「久能東照宮」の境内には、「双葉葵」が置かれていました。

よく見ると、葉っぱが、「♡(ハート)」の形をしていますね。

 

{EA950EFD-DEB6-4FAD-A98D-BB7611B6DD4B}

 

 

 

そして、これは、ダジャレで、オヤジギャグになりますが、

 

「家康」=「イエス」

 

こういう話もあります。

 

「家康」 → 「いえやす」 → 「いぇーやす」 → 「いえす」

 

「徳川家康」=「イエス・キリスト」

 

つまり、同じ魂グループだったということです。

おそらく、「聖徳太子」も、そうだと思います。

 

「イエス・キリスト」 → 「聖徳太子」 → 「徳川家康」

 
こうやって、同じ魂が、この三者の間を、繰り返し、転生していたのかもしれません。
 
だから、この三者とも、「神人」なのです。
 
 
 
 
ふーっ!
 
もっと、もっと書きたいことは、山ほどありますが、今回の旅行記では、これくらいにしておきましょう。
あまりにも情報量が多すぎても、頭の中が、パンパンになってしまうと思うので。(笑)
 
 
いかがでしたか?
 
「補陀落渡海」、面白いでしょう!
 
この史実の痕跡は、日本中にあります。
 
ぜひ、ご自分の土地にある、神社やお寺に、何かの痕跡を見つけたら、そこに行って、短い時間でいいから、手を合わせて、祈ってみてください。
何に祈るのかというと、「補陀落渡海」を実行した人々の愛と勇気に対してです。
 
そして、この旅行記の内容も、少しだけ思い出していただけると、嬉しいです。
 
 
 
PS 静岡の旅を終えた後、静岡市内のホテルのカフェで、友人たちとお茶しました。
 
image
 
 
 
 
では、恒例の締めの言葉で、終わらせていただきます。
 
 
 
ひとは誰でも 幸せ探す
 
旅人のようなもの
 
希望の星に 巡り合うまで
 
歩き続けるだろう
 
きっといつかは 君も出会うさ 
 
青い小鳥に
 
 
by アニメ「銀阿鉄道999」
 
 
 

 

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

 

☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 

 

補陀落渡海ツアー エピローグ

$
0
0

「補陀落渡海ツアー」、最後まで読んでいただき、嬉しいです。

 

たくさんの感想メールにも、感謝します。

多すぎて、全部には返信できませんので、いつものように、まとめてお礼を述べさせていただきます。

 

ありがとうございます!

 

 

 

人生の転機に差し掛かったとき、よくやりたくなるのが、「引っ越し」や「車の買い替え」ですね。

 

そして、その時、よく、こういうことに気が付きます。

 

「自分が引っ越しをすることになり、不動産巡りをするようになってから、街中に、たくさんの不動産屋さんがあることに、初めて気が付いた」

 

「自分が車を買ってから、運転するようになってから、他の車の値段や性能などが、気になるようになった」

 

これは、「視点」の違いです。

それまで、まったく意識してなかったことに、意識を向け、視点が広がったことによる、世界観の変化なのです。

 

 

 

私も、人生の中で、こういう劇的な世界観の変化を、何度も体験していますが、今年になってからの「補陀落渡海」を知ってからの変化は、人生の中で、最大の変化かもしれません。

 

とにかく、初めて訪れる神社も、それから、何度も参拝にしている馴染みの神社でも、今年になってから、行ってみると、見える景色が、まったく違うのです。

 

「ええ~? こんな所に、こんな凄い神社や寺があったの?」

 

こう思って、感動の連続です。

 

特に、東京都内の神社や寺は、先月と今月の間に、30ヵ所くらいまわりましたが、すべて新鮮でした。

 

 

 

今月になってから、東京都大田区内の神社と寺を、集中的にまわりました。

 

そして、いつもの散歩コースだったのに、その存在さえ、気が付かなかったような小さな神社や寺に、宝物が隠されていたことに、改めて気が付きました。

 

 

 

最初に紹介するのは、大田区西蒲田にあり、池上線の蓮沼駅の近くの「蓮花寺(れんげじ)」という名前の寺です。

 

私の家の近所なのですが、そこの場所に、寺らしき建物があることは、知っていたのですが、小さい寺だし、それまで、ほとんど目に入ってきませんでした。

 

 

ある日、ランチを食べた後、なんとなく、ふらふらと、そこに行きたくなり、行ってきました。

 

 

入口の山門です。

 

{8E48A965-366C-4087-AE12-A2ECB3E01FF4}

 

 

{E92DC53B-D636-4A0D-8C61-3B227757D023}

 

 

山号、つまり、元々の別名みたいなものだそうですが、「福田山」という名前だったようです。

 

{4822291A-C5FB-4D43-98F5-65F8E699B4D6}

 

 

ハイ!

 

もうわかりましたね。

 

「ふくだやま(福田山」 → 「ふだらくやま(補陀落山)」

 

長い年月の間に、名前の音がなまったのだと思います。

もともとは、この寺の名前は、「補陀落山」だったのだと推測します。

 

調べると、昔は、このあたりは、海だったり、名前のとおり、蓮の生い茂る沼だったようですね。

 

近くに、川が流れていたことがあったようです。

「補陀落渡海」の僧が、流れ着いたことがあったのだと思います。

 

 

門の前にある、この石碑は、「玉川八十八ヶ所霊場70番」と「東海三十三観音霊場10番」の意味らしいです。

 

{81A91930-F4D7-43FE-9163-F0C089EF97B6}

 

 

「三十八(38)」の数字が、さりげなく、刻まれていますね。

「東海」や「玉川」という文字も、意味深ですね。

 

{8BCA2703-8B65-4F8B-B384-380A0D614392}

 

 

ここも、明らかに、「天照派」の拠点だったのです。

 

 

「鬼瓦」もありました。

「鬼=大丹生=天皇家」でしたね。

さらに、「三つ巴」もありました。

 

{104A2E50-8C3E-4B7F-A5D2-41FCBAD2190A}

 

 

 

 

さらに、門の前には、「砂紋」が描かれていましたが、ようやく、これの意味がわかりました。

 
{8F5764A0-37E2-49EA-9453-5562ED557B2B}
 
 
「波」のような模様は、「黒潮」ですね。
手前の黒い石が、「熊野」で、向こう側の石と木が、「補陀落山」、つまり、理想郷を表現していると思います。
 
「小舟が、黒潮の上を漂って、東日本へ向かった」
 
という意味だと思います。
 
 
「三つの石」も、置かれていました。
 
{90E72690-EE2D-4A79-B713-8E4B8BB32385}
 

 

本堂です。

 

{27D1C18F-5B26-4775-B110-E35CA8636C8A}

 

 

 

この寺の隣には、なんと、「熊野神社」がありました。

 

{E886EBA2-E568-44C3-BCA4-E2FFB6E3E6BD}

 

 

「蓮花寺」と「熊野神社」が、仲よく並んでいる景色です。

 

こんな凄い景気が、いつもの散歩コースにあったとは…

まさに、「幸せの青い鳥」です。

 

{FCC693BF-89C4-48C1-A413-7505F7079DB8}

 

 

拝殿の前には、やはり、「小舟」をモチーフにした石碑が、建っていました。

 

{B4A90403-5351-45DA-A6C9-2D365EE08431}

 

 

この神社の拝殿で、発参拝しました。

 

{6F0FC7BE-9B18-4AE4-B9AE-DF91FD2569FA}

 

 

「熊野神社」ではなく、「熊聖神社」という名前にも読めますね。

「聖徳太子」の「聖」を入れているのだと思います。

 

{82460B0C-6498-4483-9334-3493AD50E070}

 

 

「三つ巴」です。

 

{E15C3579-A3C3-47D7-8C58-DB9BF0ED83A7}

 

 

 

拝殿の前で、最近、ちょっとだけ悩んでいたことを、神様に珍しく相談してみました。

 

いつもは、ポジティブシンキングで、基本的な姿勢としては、自力だけで、生きることを信条にしているので、「神頼み」というは、あまりやらないことにしています。

 

 

しかし、この日だけは、なんとなく弱気になって、心の中で相談してみたのです。

 

「神様、どうしたらいいのでしょうか?」

 

そしたら、意外な答えが、私の頭の中で、響きました。

 

「命懸け」

 

こういう言葉でした。

 

私が、大切なメッセージを受け取る時は、うだうだと長ったらしい言葉ではきません。

子供の頃から、大人からのお説教が、大嫌いだということを、神様は知っているようで、いつも、短い単語だけで、完結に、シンプルなメッセージを送ってきます。

 

もちろん、基本的に、「神様」には、名前などはありませんが、無理やり、その存在を、言葉で表現すると、「補陀落渡海を行った僧たち、それから、「イザナギとイザナミの38人の子供たち」のような気がしました。

 

つまり、「天照派」のグループです。

これは、なんとなくの感覚です。

 

 

「そういえば、彼らは、あの時代を、命懸けで生きたんだな… 彼らだけでなく、昔の人たちは、皆、もっと大変な時代を生きていたんだな…」

 

改めて、こう思ったのです。

 

彼らの時代よりも、はるかに、自由で安全で豊かな時代で、

 

「何をしていいのか、わからない… どう生きたらいいのか、わからない…」

 

現代人が、こう言っているのを、天国から、どういう気持ちで、聞いているんでしょうか?

こう考えると、また、なんともいえない気持ちが、湧き上がってきました。

 

 

 

それから、しばらくして、「命懸け」という単語から、昔の出来事を思い出しました。

 

何度も書いているので、ご存知の方も多いと思いますが、私が、30歳の時に、アメリカに留学に行くことに成功した話です。


夢を叶えたいと思った時、ときどき、不運が重なることがあります。
そういう場合、いくつかの解釈ができます。

一つは、

「そういう不運が、続くということは、それを、あきらめろというサインが、宇宙から、届いている」

二つ目は、

「そういう不運が、続いても、それを、あきらめないかどうかという試験が、宇宙から、届いている」

大きく分けて、この二つのパターンが、多いでしょう。

前者は、すぐに、あきらめる人が、よくやる解釈。
後者は、なかなか、あきらめない人が、よくやる解釈。

状況にもよりますが、私は、後者のあきらめない解釈をすることが多いです。
後者は、「試験」という単語も使いますが、他にも、「試練」と表現することもありますね。

私の友人は、これを、「お試し」と言っています。
「宇宙からのお試し」という意味です。

「これだけの不運が続いても、それでもまだ、それをやりたいのですか?」

と、宇宙から再度、その夢を試されているということです。


「夢を叶えたい!」

と思った時に、その夢の「条件」をチェックすることで、ある程度、その夢が自分にとって、どの程度のものか計ることができます。

つまり、「好条件」だったら、それは、自分にとって、それほど叶えたい夢ではないのです。

逆に、「悪条件」だったら、自分が、本当に叶えたい夢だと思います。


「好条件」というのは、「恋愛」や「結婚」に、例えると、わかりやすいと思います。

「あの人は、金持ちで、高学歴で、身長が高く、ハンサムだから好き!」
「あの人は、美人で、やさしく、誰からも好かれるような人だから好き!」

こういうのは、「好条件」の「好き」です。

「~だから好き」

というのは、どちらかというと、世間の価値基準に合わせた、つくられた「好き」なのです。

 


逆に、

「あの人は、貧乏で、学歴もたいしたことなく、不細工、それでも、なぜか好き!」
「あの人は、結婚していて子供もいるし、皆から嫌われているけど、自分は好き!」

こういうのは、「悪条件」の「好き」です。

「~にも関わらず好き」

というのは、本当に自分の心の奥底から、湧きあがってくるような、自然の「好き」だということが多いのです。
 

 


1996年に、私が、「アメリカ留学」という夢をもった時は、まさに、この後者の「悪条件」の中での決断でした。

「まず、お金がまったくない。それどころが、多額の借金を抱え込んでいる。さらに、アメリカには、誰も知り合いもしない。英語も、まったくしゃべれない…」

こういう悪条件に、悩まされていました。

「でも、それでも、筋トレをアメリカで学んでみたい! 本当のウエイトトレーニングを、本場のアメリカで勉強したい! そして、できれば、パワーリフティングの世界大会に出場してみたい!」

こういう夢を抱いて、毎日悩んでいました。

詳しいことは、過去のエッセイの「バシャール編」に書いてあるので省略しますが、結果的に、この夢は叶いました。

そして、1997年の5月に、アメリカに留学することができ、3年後の2000年には、世界大会で優勝することできました。

今でも、

「よく、あの時、あんなミラクルが起こったな…」

と、しみじみと、当時のことを思いだすことがありますが、最近、忘れていた出来事を思い出しました。
 

 


それは、1996年の秋だったのですが、人生に行き詰り、もうどうしようもなくなって、アメリカ留学に行こうと思ったのですが、前述のように、悪条件ばかりで、しかも、やる気をなくすような不運もバンバン起こりました。

くじけそうになった時に、やぶれかぶれで、フッと頭に浮かんだ言葉が、

「命懸け」

でした。

つまり、

「命をかえれば、人間には、不可能なことなどほとんどない」

という当たり前の結論になったのです。

実際に、当時、

「このままでは、自分らしく生きられないので、これから先の人生は、死んだも同然の人生になりそうだ…」

という危機を感じていました。

「今のこの時期に、アメリカ留学に行かなければ、自分の人生はダメになる…」

と思ったのです。

そこで、本気になって、いろいろな人に、アドバイスや意見を求めました。


すると、当時、東京の恵比寿にあるトレーニングジムに通ってたのですが、デビットというアメリカ人が、面白い話を聞かせてくれました。

私が、彼に、

「デビットさん、私は、どうしても、アメリカに行きたいんですよ。でも、お金がまったくありません。どうすればいいか教えてくれませんか?」

こう聞いたら、日本語がペラペラの彼は、ニコニコ笑いながら、

「そうですか。それは素晴らしいですねー。実は、私も同じように、どうしても、日本で武術の勉強がしたくて、ここに留学に来ました。実は私も、アメリカで、お金がまったくありませんでした」

こう言いました。

それから続けて、

「トーマさん、もしどうしてもというのでしたら、私が、いいアルバイトを紹介しますよ。私も、このアルバイトで大金を獲得して、日本に留学できました。ただし、これは命懸けのアルバイトです」

こう言ってきました。

私が、

「もう、命を懸ける覚悟は決まってますよ。そのバイト紹介してください!」

こうハッキリ言うと、彼は、急に真顔になって、

「トーマさん、これは、1日に1万ドルになるバイトです。日本円では、100万円くらいですね。誰にでもできる、簡単な仕事です。ロサンゼルスの空港から、ビバリーヒルズまで車に乗るだけの仕事です」

それから、さらに真剣な目で、

「ただし、依頼主は、アメリカのマフィアのボスです。つまり、ボディーガードの仕事です。その車で移動している間に、敵のグループが襲撃してきたら、盾になって、ボスを守るのが仕事です。もし、そこで逃げたりしたら、その場で、仲間から射殺されます」

こう言いました。

ちょっと、ビックリしましたが、私が真剣な顔で、

「オッケイですよ! やりましょう。ぜひ、そのアルバイト紹介してください!」

と言ったら、彼は大笑いして、

「あはは。日本人で、このアルバイトやると言った人、あなたが初めてですよ! 本気なんですねー! いいですね。その気持ちがあれば、人生成功しますよ」

こう言いました。

それから、

「大丈夫ですよ。防弾チョッキも、ちゃんと着けるし、襲撃される確率は、10分の1らしいです。10回のうち9回は、ただのドライブですよ。あはは」

こう笑いながら、言いました。

それから、アメリカで、そのアルバイトをやる時の連絡先などを、教えてもらいました。


結果的には、それから、不思議なミラクルが、次々に起こって、そのアルバイトを、やらなくてもいいことになったのですが、今考えたら、私は、当時、それくらい本気だったということです。

本当に自分の命を懸けて、夢を叶えようとしたのは、その時くらいだったかもしれません。
人間の人生には、1回くらい、「命懸け」で、やらなくてはいけないことが、あるのかもしれません。

もちろん、競馬や宝くじなどのギャンブルに、全財産を賭けるというようなバカな真似は、論外ですが、人生において、本当に大事な場面では、本気で命を懸けるような勝負も、大切だと思います。


思いだします。

当時、自分の部屋で、マフィアのボスが、襲撃されそうになって、自分が盾になって守るのを想像しながら、なるべく、弾が、当たらないようなイメージトレーニングをやっていたことを…(笑)



昔のエッセイにも書きましたが、ビジネスにおいては、「ホワイトマジック系」と「ブラックマジック系」の二つが、あるそうです。
詳しいことは、下記に、そのエッセイのリンクを貼ったので、ここでは省略します。

前者は、特に問題ないのですが、後者の場合は、昔は、小動物などの「生贄」を捧げることによって、宇宙から、パワーを、もらっていたそうです。

この生贄を捧げる儀式をやらないと、いまひとつ、パワー不足らしいです。
ただし、この生贄を、捧げることによって、いろいろな副作用も、生じるそうです。


それでも、このパワーを、欲しいと思う人は、

「自分を生贄にする」

という行為は、比較的副作用もなく、夢を叶えやすくするような気がします。
つまり、「命懸け」で、本気で、夢のために動くということですね。

命を懸けるくらい、本気になったら、ほとんどの夢は、叶うということです。
また、不思議なのは、そうやって腹を括ったら、逆に、命を懸けるような危険なことは、起こりにくくなるということです。

一見安全そうに見えても、本当の自分の人生を生きなくなるほうが、危険なのです。
逆に、危険に見えても、本当の自分の人生に、勇気をもって、一歩踏み出したほうが安全なのです。


もし、現在、人生に行き詰って、苦しんでいる方がいたら、

「自分は、本当の人生を生きているだろうか?」

と、自分に問いかけてみてください。

もし、そうじゃなかったら、過去に一度あきらめてしまった夢を、思いだしてみてください。

それから、その夢を、もう一度叶えてみたくなったら、ぜひ本気で再挑戦してみてください。

そして、その時は、ぜひ、

「命懸けで挑戦してやる!!」

という気持ちで、人生に向かっていってください。

その気持ちは、宇宙に届いて、素敵なミラクルが起こるかもしれません。

 

 


<参考>

 


○「バシャール編」

http://www.tomaatlas.com/bashar.htm


○「ホワイトマジックの時代」

http://www.tomaatlas.com/lib162.htm

 

 


PS 1997年の夏、不思議なミラクルが重なって、夢のアメリカ留学が実現しました。

ロサンゼルスのゴールドジムの前で。

$精神世界の鉄人のブログ


 

 

 

☆恒例の「ボツになった写真集」です。

ストーリーの関係上、掲載できなかった写真たちです。

特に深い意味はありません。

 

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

 

 

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

 

☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 

東京セミナー ~地球文明~

$
0
0

5月20日(日)の東京セミナー、あと3名様で、申込み締め切らせていただきます。

受講をご希望方は、お早めにお申し込みください。

 

 

 

いつも、旅行記を書くたびに、

 

「もっと詳しい話が知りたいです!」

 

こういう内容のメールが多いので、ブログでは書けないことなどを、直接お届けしようと思います。

 

このセミナーは、何度も開催していますが、やはり、文字だけよりも、会ってから話したほうが、たくさん伝えることができるようです。

 

宇宙考古学、それから、古代史に興味のある方、ぜひ参加してみてください。

歴史のロマンを、いろいろ語りあいましょう。

 



<東京セミナー ~地球文明~>

 


○日時:2018年5月20日(日)13時45分(受付開始) 14時00分~17時00分

○場所:東京都大田区の私のオフィスで、開催します。
詳しい住所などは、別途、メールにて連絡させていただきます。

○内容:神々や宇宙人たちが、地球文明をサポートしていた話を、古代から現代まで、たくさんの具体的な例をあげながら、広く深く語ります。

セミナーで、語りたいことを箇条書きしてみると…

○宇宙の始まり

○宇宙の知的生命体

○創られた惑星、地球

○人間と龍

○恐竜の秘密

○ウイルスと昆虫と植物の秘密

 

〇世界樹

○地球を訪れた宇宙人、ゲル、ぺル、エル

○アヌンナキの一族、エンリル、エンキ、イナンナ

 

〇古代日本における、イザナギとイザナミ

 

○超古代文明、ムー、レムリア、アトランティス

○縄文時代と弥生時代

 

〇天皇

 

〇エデンの園、アダムとイブ

 

〇秦の始皇帝、兵馬俑

○邪馬台国と卑弥呼


○ノアの方舟と大洪水

 

〇バベルの塔

○天空の城、ラピュタ

○秘密結社と悪魔教

 

〇聖徳太子と補陀落渡海

○戦争の始まり

○ヨーロッパの暗黒時代

○インディアンの虐殺

○闇の権力と奴隷制度

○アヘン戦争と幕末

○第二次世界大戦の真相

○ニューエイジ

○バシャール

○911と311

○日本の役割

○パラレルワールド

○未来の地球


○定員:10名 深い話がしたいので、少人数とさせていただきます。
定員に達し次第、申し込み締め切らせていただきます。


○受講料:2万円 
お振込み方法などは、別途メールで、ご連絡いたします。


〇その他:セミナー終了後に、懇親会も予定しています。

こちらも、ぜひご参加ください。

 

 


☆参加をご希望の方は、私、トーマまで、メールお願いします。

 

最近、メールが、返信できないことが増えています。

3日経っても、私から返信がない場合は、別のメルアドから、送信してみてください。

 


トーマ

toma_atlas@yahoo.co.jp

 

 

もしくは、フェイスブックからだと、確実に、連絡がとれます。

 

https://www.facebook.com/toma.atlas

 

 

 


PS 地球の隠されてきた本当の歴史を、知りたくないですか?

 

エジプトのピラミッドです。

 

image

 

 


☆参考までに、過去記事のいくつかを、再度掲載します。


○「宇宙の始まり」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11788790871.html


○「3タイプの宇宙人による地球文明の歴史」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11737047449.html


○「ラージ・エックス」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11901862620.html

 


○「龍」

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-11916718173.html
 

 

〇「狛犬の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241177514.html

 

 

〇「稲荷神の秘密」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12241267304.html

 


○「邪馬台国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12269921232.html

 

 

〇「神の国」

 

http://ameblo.jp/tomaatlas21/entry-12270038516.html

 


☆内容は、当日、少し変更になるかもしれませんが、大まかでは、これらの話を、たくさんの秘蔵写真をお見せしながら、わかりやすくお伝えします。

 



○以前に開催した、「地球文明のセミナー」の参加者からの感想メールです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


○Oさん(女性)

先日の、大阪セミナーありがとうございました!!
私が認識してる宇宙、地球、世の中、の角度がガラリと変わりました
見れる角度が格段に増えて、世界がめちゃ広がったし、また新しい自分で見れるようになりました!!!
ホント、世界一受けたい授業です!!
もーずっと聞いてたい笑!!!
やっぱり、地球っておもしろい
( ´ ▽ ` )ノ
又よろしくお願いします


○Tさん(女性)

先日は本当にありがとうございました!
そして、13才おめでとうございました^^
感慨深いですね~!

ほーんとすっごくすっごく、楽しかった~~~。
素敵なトークをありがとうございます!
そうそう!感想、送ろうと思ってゴメンなさい~><

感想は、トーマさんの泉のように湧き出る豊富なトークに、
もう夢中になってひたすら聞き入ってしまいました。楽しかったああ。

知らないことはもちろん、自分が置いてきぼりにしていたこと、
納得いく真実に出会えました。これが本当だよ、って

心が震えるのは、真実に限りなく近いお話だからなのだとおもいます。

それに、おかしいな?っていうことに徹底切り込んでいくトーマさんの好奇心は素晴らしい!
何から何まで楽しませていただいて、終電までわくわくして、帰るときには

「地球ってやっぱりいいないろいろあるけどいいとこだな」と思えるセミナーでした。

お茶会も楽しみです!今月下旬でしたら、都合がつきそうです。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


○Yさん(女性)

今日はセミナーありがとうございました
本当にトーマさんの話は興味がある話ばかりで、面白くて一緒にいると、時間があっという間に過ぎてしまいます
スピリチュアル系の話、宇宙人の話も、陰謀系の話も濃厚すぎて、そのうちのどれほどの話が私の頭に残ってるのやら(笑)
でもほんの一部でも心に残っていれば参加した価値ありですね

宇宙の始まりが『たっぷん』から始まったことや、神様の進化したのが人間だってことや、ゴキブリが実はロボット?っていう話や、化石が残ってる理由や、地球のヒストリーや、肉:穀物が1:7が良いって事など、目から鱗がたくさんはがれました

これからは話すときは映像を頭に浮かべることを意識します
帰って早速、まる(犬)に映像を浮かべて話しかけてみました『今日ね、トーマさんの家に行ってね面白い話をたくさん聞いてきたよ♪話を聞くために10人以上の人が集まったんだよ。人間をあやつっている人の話とか聞いたんだよ』って(笑)
ちゃんと聞き耳たてて聞いてくれていました


○Sさん(女性)

トーマさん、先日のセミナーでわたしはずーと不思議に思っていたことがいくつか、溶けました。

自分がなんのために、もの作りをするのか、有り余る物質の中で漠然と疑問があったのです。

それから、よく、「ドイツ人と日本人は時間を守る」と聞くので不思議だと思ってましたから、しっくりきたのです。他にも疑問はありますが、なかなか表面的なことしか、分からなくてそれだとしっくり来ないのですよね。

トーマさんの話だとスッキリしましたから、よかったです。

ありがとうございました。


○Tさん(女性)

トーマさん、先日は本当に本当に楽しい時間を、ありがとうございました!!!

今また改めて、トーマさんのブログを初めから読ませて頂いているのですが、何度読んでも面白くて、新しい気付きもたくさんあって、その中からもトーマさんの深い思いやりと愛をバシバシ感じております☆

今月の秘密結茶、時間が合いましたら、ぜひ参加させて下さい☆

よろしくお願い致します☆


○Iさん(女性)

今日は、ありがとうございました!!
すっごく楽しかったですー(。>∀<。)
トーマさんのお話を聞くと、視野が広がるので、いつも、助かっています!!
本当にありがとうございました!

魅力菩薩になれるよう、がんばりまーす
おやすみなさい!


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 

 

 

 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas

 

 

トーマ

 
 
toma_atlas@yahoo.co.jp

 


☆私のメインサントです。 

http://www.tomaatlas.com/

 

グレーゾーン

$
0
0

私は、あまりテレビは見ないのですが、最近、北朝鮮と韓国のトップ同士が、こうやって、手を繋いで歩いている光景は、20年くらいまでは、想像もできなかったです。

 

確実に、時代は変わってきていますね。

 

image

 

 

私は、ある程度、信頼できる情報元から、10年くらい前から、

 

「北朝鮮には、世界中の投資家が集まっていて、北朝鮮の将来に、様々な投資が行われる計画があるけど、日本の投資家だけが、なぜか、それを知らされずに、北朝鮮には、日本の投資家は、ほとんどいない」

 

という話は、聞いていまいた。

 

お金というのは正直で、もしも、朝鮮半島で、大きな戦争が起こる可能性が大きければ、世界中の投資家たちが、そこに投資したりはしないはずなので、

 

「北朝鮮が、危ないというのは、表向きの情報で、現実には、それとは、真逆の動きがあるんだろうな…」

 

とは、思っていました。

 

それでも、この映像を見た時には、さすがに、感動しました。

 

image

 

 

この写真を見ていたら、頭の中で、

 

「♬ おててつないで、野道をゆけば」

 

の唄が流れてきました。(笑)

 

image

 

 

 

 

数年前から何度か書いたのですが、この時期に必要な内容だと思うので、再掲載します。

 

世界情勢は、常に変化しているので、現在は、少し違う動きですが、それでも、大まかな話は、今でも当てはまると思います。


昔も今も、「光」と「影」は、どの社会にも存在しています。
この「光」と「影」を、具体的に、「善」と「悪」という言葉に、置き換えて考えてみます。
それぞれのハッキリした定義は難しいので、あくまでも便宜上分けただけです。

「白」と「黒」と表現してもいいですね。

「白=善」

「黒=悪」

ということにします。


人間は、大昔から、この「白」と「黒」の問題に、悩んでいたと思います。
これは、とっても難しいです。
なぜなら、人によって、それぞれ解釈が違うからです。

たとえば、とても好戦的な男性のことを、

「勇ましい!」

と感じて、憧れる人もいれば、

「野蛮だ!」

と感じて、軽蔑する人もいます。


さらに、喧嘩や戦争などは、自分や自分の国が、「黒」だと思っている人など、ほとんどいないのです。
人や国が、争っている場合、そのほとんどが、それぞれ自分たちこそ、「白」だと思っているのです。
喧嘩や戦争というのは、「白」と「黒」が、戦うのではなく、ほとんどが、「白」と「白」が、戦っているようなものです。

「正義」 VS 「もう一つの正義」

この対立なのです。


また、状況によっては、善良な人が、犯罪者に襲われて、抗戦するような「白」と「黒」の戦いもあるし、犯罪者同士で抗争する「黒」と「黒」の戦いもあるでしょう。

だから、大きくわけて、この世界での争いごとというのは、

「白」 VS 「白」
「白」 VS 「黒」
「黒」 VS 「黒」

という3タイプの争いに、分けられるのかもしれません。


いずれにしても、「白」と「黒」だけの二極だけでは、争いが過激になりやすいということを、人間は、長い歴史の間に、経験として学んだのだろうと思います。


注意して、細かく観察してみると、世界中のたくさんの国や政治、社会、組織の中には、この「白」と「黒」だけの戦いを、緩和するために、「灰色」、つまり、「グレーゾーン」を、意図的につくっていることに、気がつくことがあります。

「白」と「灰色」と「黒」

という三極で、バランスを保っているケースが、多いということです。


例をあげてみます。


「アメリカ」と「ロシア」

というふうには、この二大大国は、隣接していません。

もし、そういう地理的な状態だったら、すぐに、

「アメリカ」VS「ロシア」

という大戦争に、なってしまう可能性が、大きいからです。


アメリカ人が、単純に、

「悪の権化、ロシアを、やっつけろ!」

と思った時に、

「白」VS「黒」

の状態に、なりやすいのです。


そこで、緩和剤として、「灰色」である「グレーゾーン」を、二つ配置してあります。

「カナダ」と「アラスカ(アメリカ)」です。

「アメリカ」ー「カナダ」ー「アラスカ」ー「ロシア」

こうやって、「灰色」を入れることによって、それが、「クッション」の働きをして、大きな争いに、なりにくくしているのです。

仮に、アメリカ人が、自分たちが「白」で、「ロシア」を「黒」だと思っているとして、戦争が始まっても、

「白」VS「灰色」VS「灰色」VS「黒」

という状態に、なりやすくしているということです。

「単純」よりも、「複雑」のほうが、いいこともあるのです。
 

{878B4066-F150-4737-9A56-B900513D86E8}

 

 


例え話ですが、「アメリカ」と「ロシア」を、人間の「骨」と「骨」だとすると、骨同士では摩耗してしまします。
だから、「骨」と「骨」の間に、関節としての「軟骨」を置く必要があるのです。


この場合、「カナダ」と「アラスカ」という「グレーゾーン」は、「軟骨」の役目をするのです。

「アメリカ」と「ロシア」が、戦争しそうになっても、間の「カナダ」を、いちいち通らないといけないので、戦争がしにくくしているのです。

もしかしたら、「カナダ」だけでは、負荷がかかりすぎて、荷が重たいということで、さらに、「グレーゾン」である、「アラスカ」を、追加したのかもしれません。

「アラスカ」というアメリカの州であって、本国のアメリカから、離れているという中途半端な地域を、わざとつくり、さらに、地理的に複雑で、ややこしくして、戦争が起こりにくいように、歯止めをしているのだと思います。
 

 

これは、世界中にある、たくさんの国境付近にも見られます。
 

{1E741E59-DB48-429B-AF06-2EF9B01C8B75}

 

 

「ロシア」と「ヨーロッパ」の間にも、「ウクライナ」などが入っています。
さらに、北欧やスイスなどの小さな国を、たくさん入れることによって、わざと複雑な状況をつくっているように見えます。


ヨーロッパに、小さな国が多いのも、長い歴史から、

「外国との政治は、単純にしないほうがいい。複雑なほうが、争いが起こりにくい」

ということを、学んだからかもしれません。


「中国」という大国と「インド」という大国の間にも、「ネパール」などの小国が、いくつか入っています。

これも、

「中国」VS「インド」

という大きな戦争を、防ぐための緩和剤であり、クッションだと思います。


他にも、「中国」と「ロシア」の間には、「モンゴル」が、入っています。


この「モンゴル」も、先ほどの「カナダ」のような「グレーゾーン」であり、クッションの働きをするのだと思います。

推測ですが、「モンゴル」だけでは、負荷がかかりすぎて、荷が重たいということで、「グレーゾーン」である、「内モンゴル自治区」を、追加したのかもしれません。

「内モンゴル自治区」という中途半端な地域を、わざとつくることによって、複雑で、ややこしくして、戦争が起こりにくいように、歯止めをしているのだと思います。

これは、「チベット自治区」や「新疆ウイグル自治区」なども、同じだと思います。


たしかに、これらの地では、悲惨な紛争が絶えませんが、でも、これらのクッションが、なくなったら、

「ロシア」VS「中国」

「中国」VS「インド」

などの大国同士の大戦争が、勃発する可能性があるのです。



「中国」も大国ですが、やはり、「日本」も大国だと思います。

だから、この二国も、もし隣接していれば、

「中国」VS「日本」

という大戦争に、なりやすいと思います。
 

{0A3D0AEE-CFD2-4F97-9F80-D97A5EB040C5}

 

 

幸い、この二国の間には、日本海という荒波があって、地理的に、なかなか戦争しにくいのですが、それでも、危ういといことで、この間に、「韓国」と「北朝鮮」というクッションである、「グレーゾーン」を、つくったのだと思います。

おそらく、最初は、「韓国」だけでも、大丈夫だと思ったのでしょうが、だんだん、韓国だけでは、荷が重いということが、わかってきて、中途半端な「北朝鮮」という「グレーゾーン」を、追加することによって、複雑にしたのだと思います。

「日本」ー「韓国」ー「北朝鮮」ー「中国」

繰り返しますが、こうやって、「灰色」を入れて、「クッション」をつくり、

 

「日本」VS「中国」

 

このような二国間の大きな争いを、止めているのです。
 

 

このように、二極だけでは危ないので、三極にして、それでも不安な場合は、四極にして、安定を保つという高等テクニックは、世界中で行われています。

ただし、これは、なかなか、一般の人には理解できないようです。
ちょうど、将棋の名人同士が、対局しながら、高度な読みあいをしていても、将棋の素人たちには、理解できないようなかんじだと思います。



日本の政治でも、世界を支配している極悪人たちに、対抗するためといって、善良な人を政治家にしたりすると、

「白」VS「黒」

という戦いになりがちです。


具体的には、

「善良な日本の国民&善良な政治家」VS「極悪な世界の支配者」

という構図です。

私たち国民が、「善良な政治家」と力を合わせて、「極悪な世界の支配者」と戦わなくてはいけなくなるのです。

 

これは、とても怖いことだと思いませんか?

 


それで、いろいろ考えた結果、「グレーゾーン」になる「灰色」を、入れたんだと思います。

「白」VS「灰色」VS「黒」

という構図にしたのです。


具体的には、

「善良な日本の国民」VS「腹黒い日本の政治家」VS「極悪な世界の支配者」

という感じです。

こうやっておけば、私たちの直接の敵は、「腹黒い日本の政治家」になり、「極悪な世界の支配者」とは、直接対決することがなくなるのです。



何が言いたいか、わかりますか?

「日本の政治家は、ちょっと腹黒いほうがいい」

と言っているのです。

悪すぎても困りますが、「チョイ悪オヤジ」というのが、理想の政治家なのです。


日本の政治家が、善良な人ばかりだったら、「白」VS「黒」の構図になり、過激な事件が、起こりやすくなるということです。



日本人に、あまり、「極悪人」はいません。
政治家にも、本当に悪い人、つまり、「悪人」は、少ないのです。

しかし、ズルイことばかり考えている、「ズル人」は、たくさんいます。
でも、それでいいのです。


その「ズル人」である人たちが、政治家になり、「クッション」の役目をすることによって、世界を支配している本当の極悪人たちと、会ってくれているのです。

 

そのおかげで、私たち一般の国民は、そういう悪人たちと、顔を合わせなくて済む。

こういう構造になっているのです。


「善良な日本の国民&政治家」VS「極悪な世界の支配者」

という「白」VS「黒」は、怖いと思いませんか?


「善良な日本の国民」VS「腹黒い日本の政治家」VS「極悪な世界の支配者」

こういう、

「白」VS「灰色」VS「黒」

のほうが、気分的に楽ですよね?



日本の腹黒い政治家たちに、どんなに文句や悪口を言っても、殺されることはありませんが、もしも、彼らがいなくなったら、私たちは、世界を支配しているような極悪人たちに、直接、文句を言わないといけなくなります。
下手したら、暗殺されるかもしれません。

もしくは、日本人の全てが、納得するような素晴らしい人物が、政治家になったら、彼らと一致団結して、世界を支配している極悪人たちと、戦うような構図に、自然となってしまうのです。
恐ろしいことになるかもしれません。


1960年代に、実際に、そうなったのが、「インドネシア」です。

その当時の政府は、善人ばかりで、インドネシアの国民のために動いたために、アメリカの支配層を本気で怒らせたのです。
その結果が、1965年に起こった、100万~300万人といわれている、「インドネシア大虐殺」です。

この時に、インドネシアの政府が、日本の政府のように、弱腰だったら、この大事件は、起きなかったかもしれません。

こう考えると、緩和剤でもあり、クッションでもある、灰色の「グレーゾーン」の働きをしてくれている日本の政治家たち、特に、自民党などの与党に、感謝したくなってくるのではありませんか?
凄く厳しい仕事をしているのですよ、彼らは…



「善」と「悪」

そして、

「白」と「黒」

私たちは、「光」と「影」のコントラストでしか、認識できない世界に、生きているので、これは、しょうがないのかもしれません。


未来の世界になっても、ある程度は、「光」と「影」は、存在していると思います。
ただし、今よりは、その対比は、薄かったり、繊細だったりするのかもしれません。

いずれにしても、「光」だけでも、「影」だけでも、認識することが難しくなるために、この二つは、いつの時代にも、ある程度は、存在し続けると思います。
そして、「光」が強くなれば、「影」も強くなるし、「影」が強くなれば、「光」も強くなるという傾向は、もう少し続くだろうと思います。
 

 


いすれにしろ、「悪」の問題は根深いです。

人間の歴史において、何度も、

「悪を根絶しよう! 世の中が悪いのは、悪人がいるからだ。悪い人がいなくなって、良い人ばかりになれば、社会は、良い社会になる!」

こう思って、革命を起こしてきました。


しかし、それが、必要以上の虐殺、つまり、「粛清」などに繋がったケースが、山ほどあるのです。

革命が終わった後、しばらくしてから、人々は、

「悪を滅ぼせば、悪は無くなる…」

この思想こそが、「悪魔」の思想だったということに気が付いて、愕然としたのです。
 

 


では、どうすれば、いいのでしょうか?

昔から、

「毒を以て毒を制す」

という高等テクニックで、世の中を良くしたケースも、たくさんあります。


ご存知のように、このことわざは、

「悪に対して、別の悪で対抗する事、悪人に対抗するために、他の悪人を用いる事、悪事に対して、悪事で対応する事」

の意味ですね。

毒を用いて、他の毒を中和・解毒する事を例えたものです。

実際、

「毒薬変じて薬となる」

とも言うように、毒を薬として用いる事が、可能だったり、逆に、薬は量によって毒だったりもしますね。


他にも、

「蛇の道は蛇」

とも、言いますね。

問題を起こすものと同類のものを用いて、問題を解決するという意味です。


具体的な例をあげますね。

 


1990年に、それまで、とても治安の悪かった、「ニューヨーク」が、ある時期から、劇的に治安が良くなったことがあったそうです。

その理由は、当時、アメリカで一番大きなマフィアのグループのボスを、ニューヨーク市長にしたのだだそうです。


それで、チンピラクラスのギャングたちは、震えあがって、悪さができなくなったそうです。
悪さをしても、警察官は逮捕するだけですが、ボスの庭で悪さなんかしたら、殺されるからです。


これは、マフィアのボスにとっても良い話です。

「マフィアのボス」という肩書のまま死んでたら、子供や孫に迷惑がかかるかもしれませんが、「ニューヨーク市長」という肩書で死んだら、その子供や孫、そして、末代まで、そのファミリーは、人々から、一目置かれます。
 

{36077A9D-17DF-46A3-80F5-9F71F1124AFF}




2020年に開催される、「東京オリンピック」でも、組織の顔ぶれを見ると、日本で最大の暴力団のトップが、入っていますね。

これも、先ほどのニューヨークと同じ理由だと思います。
日本のヤクザたちも、親分が開催するイベントで、悪さなどできないのです。



このように、日本でも世界でも、人々は、

「清濁併せ呑む」

というかんじで、「悪」を滅ぼさずに、逆に、それを活用することが、最善の策だと考えてきました。
こういう大人の対応が、やはり理想なのです。

状況によっては、難しいこともあると思いますが、方向性としては、そのやり方が、一番いいのです。



「陰陽和合」という言葉がります。


これには、いろいろな意味があるそうですが、一つには、性質が違うものを合わせることによって、相互作用で、思いもよらないものが、生まれるという意味もあるようです。


「陰」と「陽」を合わせる。


例えば、風水的な考え方で、「山」は、良い気が集まるが、「谷」は、悪い気が集まるという考え方が、あるそうです。

理由は、谷は、どうしても、水が地下水などになって、溜まりやすくなり、流れが悪くなって、淀んで腐るために、そこの土地のエネルギーが、悪くなるからだそうです。


具体的には、東京の「渋谷」なども、本来、谷なので、悪い気が集まりやすいそうです。
しかし、そういう場所を、あえて、「若者の街」というイメージに、つくりかえて、若い女の子を、集めることによって、エネルギーを中和させているのだそうです。

「悪くてエネルギーのない場所」
「良くてエネルギーのある若者」

この二つを、合わせているのですね。

 


他にも、一年の中で、猛烈に暑くなったりする「過酷な時期」に、あえて、「お祭り」をやるのも、そうらしいです。

「これから、とても暑くなるぞ…」

と、人々が思って、やる気がなくなりそうな時期に、やる気の出るお祭りが、行われてきたようです。


「やる気のなくなる季節」
「やる気の出る行為」

この二つを、合わせているのです。


「悪人」というネガティブなエネルギーに、何らかのポジティブなエネルギーを合わせて、「陰陽和合」を行った事例が、過去の歴史にも、たくさんあります。


「憎悪」と「憎悪」というネガティブエネルギー同士を、ぶつけると、さらなる憎悪を、生むだけなのです。

「ネガティブな憎悪」
「ポジティブな感謝」

この二つの間逆のエネルギー同士を、ぶつけることによって、中和させようという試みが、何度もされているのです。


比較的最近の例をあげると、何年か前に、アメリカのオバマ元大統領に、「ノーベル平和賞」を与えてましたね。
これも、そうだと思います。

エネルギーの中和もあるのですが、オバマ元大統領が、シリアを空爆しようとした時に、世界中の人が、

「あれっ? ノーベル平和賞の受賞者が、空爆の命令をやっているぞ。これって、どういうこと?」

と、悪行に、気づきやすくする効果もあるのです。
 

 

中国の天安門広場に、「毛沢東」の大きな肖像画が掲げられていますが、あれも、「陰陽和合」の効果を狙ったものかもしれません。
 

{1D2F6B34-1101-4DC6-9870-2205F5F57DE9}



「悪人」を、罰したり、無視したり、隠したりするやり方もありますが、間逆の「祭り上げる」というやり方もあるのです。

「悪」
「祭り上げ(祀り上げ)」

この真逆の二つを合わせて、和合させるということです。

 

 

白と黒だけで描いた、単純な漫画のような絵よりも、様々な灰色を使って、複雑に描いた水墨画のほうが、綺麗ですね。

 

この世界には、「光」と「闇」の中間にあたる、「グレー」が必要なのです。

 

 


 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas

 

 

トーマ

 
 
toma_atlas@yahoo.co.jp

 


☆私のメインサントです。 

http://www.tomaatlas.com/

 

 


アセンションペンダントの体験談集

$
0
0

新しい読者の方も、たくさん増えたので、また紹介させていただきます。


「不思議なペンダント・アセンション」の話題です。

このペンダントの体験談が、たくさん届いているのですが、その中から、掲載許可をいただいたものを、シェアさせていただきます。



これは紹介して、もうすぐ11年になりますが、ずーっと静かなロングセラーを続けています。

このペンダントに惚れ込んで、

「このペンダントを、ぜひ、世界中に広げましょう!」

と言って、仲間たちとチームを組んで、いろいろと活動してきました。
たくさんの人に、感動してもらって、とっても嬉しいです。


全部、手作りなので、大量販売できないのですが、私は、できれば、世界中の人に、首から下げてもらいたいくらいです。

何も感じない人もいますが、エネルギーは、確実に魂レベルに流れています。
感じる人は、首から下げた瞬間に、感動して泣きだすくらいです。
これくらいの完成度のヒーリンググッズは、これだけです。

150825_161806.jpg
 

 


皆さんの感動を、シェアします。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

 

〇Kさんの体験談です。

 

 

アセンションペンダントを購入させて頂きました、Kと申します。

 

トーマさんのサイトを10年位前から、拝見させて頂いてて、すごく面白くて引き込まれて、当時はずっとパソコンに釘付けでした^ ^

で、すごく久しぶりに何かのきっかけでブログを発見したら…アセンションペンダントのことが書かれていて、すごーく欲しくなりました!!

で、注文させて頂いて届いて確かにパワーを感じていたのですが。

驚いたのは、次の日彼氏とデートで服の中に付けて行ったのですが、まず、

「その黒い紐何なん?」

と聞かれたので、ペンダントを出して説明をしました。普段はパワーストーンなど全く興味を示さないのに、すごく興味深々で、

「ちょっと貸して」

と言うので付けると、、

「これすごい!凝りがなくなっていく!」

「なんか、常に瞑想してるみたいな状態」

などと言って感激してくれました(๑˃̵ᴗ˂̵)

もともと感受性はすごく高いです^ ^

彼氏の誕生日が近かったので、そのままあげました♪それから、無理せず穏やかに過ごせてるみたいです。

私もなんだかすごくスッキリしました!

そして、もういいかな、、と思ってたんですが私も欲しくなってきたので、もう一つ注文したいと思います^ ^

ペンダントすごいですね!本当にありがとうございます

これからも、必要な人に届いたらいいですね。

 

 

〇Yさんの体験談



ペンダントの紹介をありがとうございます!

感想を伝えたいと思いました。
早速、付けてみた時には、ペンダントのあたりが圧が強くてちょっと苦しい感じでした。

夜は、つけてませんが、次の日は、前の日より気になりにくくなってました。

そして、その次の日、身に着けてお昼寝をしてしまったのです。
すると、夢を見たのです。
起きて、小学校の時にあった事のある、ほぼ似た出来事でシンクロしていたので、とても悲しい思い出での夢だっのでビックリしました。。
起きて、とても胸が痛かったです。

で、その気持ちをマインドマップのように書き出してみました。
すると、ずっと気になっていて、でも胸の奥にしまい込みたかった事だったのです。
その出来事は、小学校の事だったのですが、この2週間前にこの時の一番仲良かった友達が亡くなってお葬式があったのです。

なんか、心残りを気付かされる夢でした。

それから、他の心の奥にしまい込んでいた痛みも思いだしました。
今、必然だったのかなと思っています。

もうこれで、昇華したのかなと前向きに取ってます。

不思議な体験をありがとうございました。

つい、最近トーマさんのブログに出会い、面白くて見るようになりました。

これからも、益々の活躍を楽しみにしてます。

 


○Iさんの体験談

 


こんばんは!

ペンダントが届いて、一カ月がすぎました。

トーマさんのブログを17才から、偶然?見るようになって、ペンダントの紹介があったので、お金を貯め、買う事を決意しました!

トーマさんのお話は、凄く面白く引き込まれるので、50回以上は読んだと思います(笑)

さっそく、ペンダントの感想なんですが、着けてしばらくは、何も効果は、感じませんでした。
しかし、今月になって、突然あまり乗り気ではなかった用事が中止になったり、12月12日にバシャールの本が届いたり(バシャールの本は、その5日前に届くはずでした!)と、シンクロが多くなり、ベストな環境になってます!

また一昨日、寝ていると、なぜか夜中に目が覚めました。
その時、部屋は暗くて何も見えなかったのですが、何故か左手に黄緑色の豆を持っていると分かりました。
5~6粒の豆でした。
その時は、家族のイタズラ?とおもいながら、また寝ました。
翌朝、豆は消えていました!

まぁ、気のせいかと思いながら、バシャールの本を読み始めると、、本の中でこのような記述がありました。

夢の中で、他の惑星に行ったりしている人もいる。
バシャール達の食べ物は、主にエネルギーだが、物質的な食べ物は、黄緑色の豆。

そのページをみた途端、凄くおどろきました!!!!!
私が握っていた豆は、それだったのかー!!っと、叫んじゃいました(笑)

こんな、夢とリンクした不思議な体験は、初めてなので、凄く嬉しかったです。

あれは、夢にしてはリアルすぎて、豆の感触があったので、バシャールの惑星に探検しにいったのかなーと、勝手に思ってます笑!

また、これから不思議なことがたくさん起こりそうです!!!!
トーマさん、紹介してくださり、ありがとうございます。

ミトコンドリアクリーナーも愛用してますが、凄く良いです!
これからも、トーマさんのブログ応援しまーす!!!


○Sさんの体験談


トーマさん こんばんは

初めてメールします。
トーマさんのHPや、ブログは毎日チェックさせていただいてます。
いつも、共感・共鳴できるお話で、
読んでいてとても楽しいです。
いいお話をありがとうございます。

短期間でかなり「精神世界の鉄人」にのめりこみ(笑)、
実は本も購入し、
ペンダントも購入し、
次はミトコンドリアクリーナーか
といったところです。

今日は、アセンションペンダントのご報告をさせていただきたく
メールしました。
数え切れないほど多くの改善がみられましたので、
お知らせいたします。

落ち着いた時間にゆっくりケースを開けたところ、
頭がモアーっと熱くなりました。
視力が急に良くなったというか、
瞬間的に視界が開けたようです。

次に、首にゆっくりかけました。
心臓がカァーっと熱くなりました。
心臓のまわりの脂肪が溶けた感じです。
(イメージです)

熱を感じて、こんなに刺激的な体験するとは!
普通はイヤな熱なのに。。
気持ちいい熱ってあるんですね。

その夜、トイレでかなりのデトックスがなされました。
こんな○んちは、見たことないという
記録的なものです。
(すみません)

夜は、必ず朝3~5時に目覚めていたのに、
朝7時まで熟睡できました。

納品されて24時間で、
これだけの変化ってペンダント恐るべしです、まったく。

その後、時々身に付けたり、
一緒に寝たり、
仕事先に持っていったり、
一緒に行動するようにしました。

・風邪のひき始めで頭痛と咳があったのに、すぐ治った。
・6日間連続でハードなイベントだったのに、全然疲れなかった。
・熟睡できた。
・ニキビ続きの肌がきれいになった。
・いつも困っていた生理痛がまったくなかった。
・陶芸中、2時間が普通なのに4時間も集中できた。
・お腹がすかなかった。
・常に甘いものを食べたいのに、それほどでもなくなった。
・頭皮や肌の乾燥でいつもかゆさがあったのに、かゆみがなくなった。

非常にヒジョーーーーに驚くとともに、
自分を大切にしたくなりました。
生活しやすくなって、
ありがたいことこの上ないです。

ペンダントに頼るのもなんだかなーという思いもありますが、
これは次元上昇のための必須アイテムだ!と、
言い聞かせ(笑)、
ことあるごとに、
おともしています。
ありがたい気持ちをこめて、
きれに磨いて、
太陽に光をあてています。

トーマさんとのブログでの出会いに感謝するとともに、
有明さんやペンダントを作ってくださった方に
お礼を申し上げます。
ありがとうございます。

私だけ健康になっては申し訳ないので、
今は、主人や友人や職場の皆さんが体調が悪いと聞きつけると、
「ちょっと首にかけてみて」と
体験してもらっています。

貸しただけでも以下の改善がみられました。

・主人が首凝り肩こりの時に首にかけたら、
 朝かけて、昼には治った。

・風邪で声が小さい友人とお茶したとき、
 出会ってすぐ首にかけてあげたら、
 3時間で通常に戻り、喉も痛くなくなった。

・冷え性の友人に貸したら、ビリビリ体感後、
 すぐに手があったかくなった。

・40代男性に会話中1時間くらい貸しただけで、
 翌日毎朝やっている筋トレが軽かった。

・40代男性に会話中1時間くらい貸しただけで、
 その夜の飲み会で飲みすぎた。
 でも次の日はだるさもなく、フットワーク良かった。

・人生で一番ひどい生理痛と胃腸の痛みのダブルで弱っていた
 友人に貸したら、3時間で背筋がピンとして、なんとか仕事は乗り切れた。
 首にかけてその夜は熟睡し、朝はちょっと痛みが。。
 しかし、その日どうしても出席しないといけなかった結婚式では、
 まったく痛みがなかった。
 夏でも寒がりの彼女が、カイロなしで薄着の結婚式で
 体が熱い!と感じながら式の受付ができたとのこと。

・30分だけ貸した奥さんは、その後目がはれぼったくなった。
 普段しないのに、夜、子供に思い切り説教して頭がカァ~っとなった。
 いつも冷静で動じない奥さんなので、ある意味発散できたのかもしれません。

本当に不思議なペンダントですね。
不思議としかいいようがありませんが、
友人には大変好評です。
皆、宇宙の話には比較的受け入れてくれる人ばかりなので、
感受性がいいのでしょうね。

また、キネシオロジーももちろん興味ありありです。
オーリングも日々訓練していますし、
「パワーかフォースか」を読んでますますワークショップに
参加してみたくなりました。

私は福岡に住んでいますので、
東京は遠いですが、
機会を見つけて、
トーマさんのセミナーに行けたらなあと思っています。

それでは長くなりましてすみません。


○Rさんの体験談


すご~い事が、昨夜パパをヒーリングしてると、起こりました

私はレイキも、その他のヒーリングも、どこかに習いに行った事はないけど、半年前から身内限定で、病人に触れる事が続いていました。

私って幼い頃から時々氣で、ボールを作って遊んでいて、ある人に、3年前から、とても氣が出やすいと、言われていました。

氣というものが、私から、とても出てるのを、実感したのは、健康のために、習いに行った太極拳(気功)の先生から、言われての事だった。

3年前からはじまった、私の霊的学びの中で、自分が憑依体質で、周りの氣に、敏感なのは理解していたが、この半年ぐらい前から、周りの影響を受けにくくなったせいもあり、しんどそうにしている人を、みると、つい手が伸びて、背中などをさすっていた。

決まって身内の者だけと、限定していたけど、入院中の祖母をさする事が、きっかけで、私の手が異常に熱く、ホッカイロのようになっていくのを

「これは、なんじゃ???」

と不信に思いつつ、さすっていたが、要は、氣が大量に出ていると、うすうす、感じだしていた。

去年は、3人の重病患者(すべて身内)をさすることが、多くなった私は、自分が影響を受けているのを、なんとかしたいと思い、瞑想やチャクラの掃除に、いそしむが、バタバタしていると、なかなか時間がとれず、少しずつ蓄積しては、疲れ⇒瞑想・チャクラの掃除⇒蓄積⇒掃除を、繰り返していた。

ん~~もっと、効率的に宇宙エネルギーを、充電できないものか??
と考えて、今まで興味もなかった、パワーグッズなるものを、手にしてみようと、考えた 。

すると、いつものごとく、天然石についての情報が、色々なところから
運ばれてきたが、私に合うものはなく、結局その情報と石は、友達の妊婦さんに、届けられた。

ん~~何かあるはずなのに・・・

意識が働いていわゆる、「引き寄せの法則」が、動き出したんでしょうね。

精神世界の鉄人さんが、紹介しているではありませんか 、「アセンション」と言うペンダントを・・・

もともと、ペンダントやパワーグッズに、興味を示さない私が、衝動的に
「これや!!!」
と購入をしておりました。

このペンダントが届いたのが、12月はじめです。

待ちに待ったペンダントが届いた日は、末期ガンで入院している、叔父の見舞いに行く前でした。

叔父のお見舞いに行く時の私の体調は、12月の忙しさと二日酔いの
せいもあり、頭は痛く、肩こりはピークにきており、身体は重だるい状態だったので、

「これは、ペンダントの効果が、実感しやすいはずだ 」

と良いように考え、病院までの1時間かかる道のりで、自分の身体の変化を、観察してみた。

10分後・・・ん?んん? 身体が軽くなってきた
30分後・・・ん?んんん? 肩こりがなくなってきた

その後・・
   
ひゃぁ~ 頭の中に、ミントを入れられたみたいに、スッー っとしてきた 。
叔父の病院についた時は、すでに、私の状態が良くなっていた。

でも、なぜか疑いよりも

「そうやろなぁ~」

と納得している自分が、いるのに驚いた 。

このペンダントをつけて、叔父の病院に見舞いに行くたびに、身体をさすっても、私が疲れることはなくなり、叔父も私にさすってもらうのが、気持ちいいようで、楽しみにしてくれているのが、伝わってきた。

そんな時、病室にクリスマスツリーを飾りに行くと、叔父はぐっすり
眠っており、微動だに動かないので、試しに氣を送ってみた 。

叔父の身体はピクピク動き出し、電気治療を受けているようになった。

私はこれを見て、エリックパール氏の【リコネクション】で、エリックが体験した様子を、思い出した。

このペンダントを手にしてから、私の意図とペンダントが、共同作業に、取り組んでくれたようで、身内限定から近しい友人に、手をかざす事が増えた。

ペンダントで、私自身が中和されているからか、前にも増して手をかざすと、様々な変化を体験しだした。

冷えがきつい人に、手をかざすと、(腰と下腹部)手は熱いのに、手の平の真ん中だけ、風が通り抜けるように冷たい感じがあり、痛みのある人の場合、痛みの患部に右手をあて、左手を首の後ろのくぼみ(エネルギーが、入りやすいと言われる場所)にあてると、右腕をピリピリと電気が皮膚の表面を走るように、感じたりするようになった。

受けた側は、下腹部に手を当てた人は、いつまでも下半身が温く、温泉に入ってるみたい という人もいたり、痛みのあった人は
「とれた 」
という人もいた。

そして、冒頭に書いた旦那様のヒーリングで
「すっすごい 」
と実感することが起きた

1月4日、年末年始を、とってもとっても、忙しく動いていた私は、ペンダントのおかげで、本当に疲れることがなくなり、お正月最後に
、子ども達を楽しませるために、家族ででかけていたら、帰り道に旦那様が
「あかん・・・痛い 」
と言い出した。

歯茎にあきらかに、大きなふくらみがあり、膿がたまっているような
袋ができていた。

頭は痛く、首のリンパ節まで痛みと、腫れがひどくなり、虫歯のせいか、又は菌が身体に入ったようだった。

旦那様は私の体質やスピ系についても、理解のある人で、さすがの痛みに
「ヒーリングしてくれ!!!」
と言ってきた。

上に書いたように、最近体験している手順で、ヒーリングをして一時間後、痛みがまったくなくなり、あれだけ腫れていた歯茎が、風船がしぼんだようになって、身体が軽くなった と、めずらしく旦那が大喜びした。

私はヒーラーとして、この施術を職業にするつもりは今はない。

私は沢山の人達が、この天からの贈り物に触れて、心を癒す人・身体を癒す人・魂を癒す人が、どうしたらもっと増えるのか?
をいつも自分なりの答えを探している。

もちろん答えは一つではなく、とってもとっても、シンプルであるともう一人の私は知っている。

旦那様のヒーリングの時、こんなに効果があったのは旦那様が、協力してくれたからだと思う。

いつも私が瞑想するときに、金色に光るエネルギーを呼吸と共に、身体に取り入れ、足の裏から、自分のマイナスのエネルギーを、出すのを、ヒーリング後に行ってくれたから、効果が早かったのでは?
と思う。

私は、とても体験したがるタイプの人間で、今回は、自分を光を通すパイプ役の体験を望んでいた。

このペンダントは、未熟な私が色々なことを経験したがるもんだから、サポートするために、私のところに来てくれたんだと思っている。

最後に、エリックパール氏の著書より・・
すべての人が、人生の目的・・・・
すなわち、他者に供するための独自の贈り物や特別な才能を、もっている。
この独自の才能を、他者への奉仕に結びつけたとき、私達は、至福を感じ、スピリットの歓喜を体験するのだ。
それこそが、目標のなかの究極の目的である。

沢山の方々が、独自の贈り物に、気がつかれるのを、心より願っています。

又、手作りで、1点1点ペンダントを作られた発明家さんとトリプル向日葵さんと私にこのペンダントとの縁をつなげて下さった、精神世界の鉄人さんに、心から感謝いたします


○Iさんの体験談


はじめまして、トーマさん☆
いつもエッセイを楽しく読ませてもらってます。
ペンダントアセンションを購入しました
Iと申します。まだほとんど時間が
たってないのですが、感想を送ります^^

まず最初に来た時に大きいのと銀ではなく
金色だったのに驚きました。よくわかりませんが
プラーナの管みたいなものなのかなと思いました。
そのあと急に眠くなったり、悪夢をみたりして
つけたり、つけなかったり
時々やすませていました。
腰にしていた低温やけどの跡が
すぐなくなったり、健康への意識が高まって
とてもシンクロが増えました。

ペンダントのエネルギーが陽という感じがしました。
外出時につけると自分が人をひきつけるかの
ように会うべき人に会うので驚きます。
家で水漏れや機械の故障などが起きたのですが
なぜかベストなタイミングで工事がおこなわれて
お家が少しづつ綺麗になっていきます。

磨き粉で磨くと真っ黒になるので、驚きました。
ついでにいろいろな自分のアクセサリーも綺麗にしました。
あと水漏れのタイミングで磨き粉であらゆる
蛇口を綺麗にしてみたら、新品みたいになって
磨き粉にも家族全員でわくわくしました。
輝くものを輝かせるっていいですね~
他には珍しく家族と喧嘩をしてしまい
でもこれもまた解放かしらと思って
散歩にでてダイエット気分にひたったり
何だかこれもまたいいか!という
ような気持にさせられます。
ありがとうございます^^

というわけで、なんとなく思いたって
お手紙いたしました。いつもエッセイがとても面白い
ので、感謝というか、楽しみにしています。
不思議な話や21の法則やラズベガスのお話、演じると
いう話やバシャールのお話、体を鍛えてらっしゃるからか
一方向じゃないお話が深くて何とも面白いです。
では、長くなりましたが
今後ともご活躍を楽しみにしています^^


○Hさんの体験談


さっそくペンダントお送りくださいまして
誠にありがとうございました!
手短ですが、着けての感想を送らせていただきます。

さっそく着けさせていただきました。
ビリビリ感は感じられませんでしたが、体温がほわっと上がるのを感じて、
その後わーっと体になじむのを感じました。
面白いのは、ネガティブなことを考え続けることができないことです。
どうやら、ネガティブなことに囚われて考え続けるようなエネルギーが保持
できないようです。
ちょうど、とっても気になっていることがあったのですが、
つけたら即座に、それがもう遠い過去でどうでも良いように感じられました。
説明書に、ネガティブなエネルギーをポジティブに変換して放出、と書いてありましたが、
本当にそのようです!びっくりしました。感激。
また、パソコン作業を続けても疲れにいようです。

このペンダント、とても面白いです!
また変化や面白いことがありましたら、メールさせていただきます。
それから、メールはイニシャルでしたらHP等にお使いくださって構いません。

ありがとうございます。
愛と感謝をこめて


○Mさんの体験談


こんにちは。
日曜日にセミナーに参加したMです。
楽しいセミナーをありがとうございました。

先ほどですが、ペンダント「アセンション」を注文させて頂きました。

懇親会の席で、ミトコンドリアクリーナーと共に、試しに着けてみた時は、
お酒に酔わなかったりと不思議な現象が起こったりもしましたが、
次の日の月曜日も、実は2時間半しか寝なかったのに、もの凄くいい目覚めで、
全く眠くなく、会社でもまれに見る仕事のはかどりようでした。
また、一番驚いたのは、火曜日まで花粉症の症状が出ませんでした!
(水曜からは出てきました)
20年振りに心地よい春でした(笑)

非常に驚きましたので、さらに試してみたいと思い、注文させて頂きました。
上記の効果はミトコンドリアクリーナーの力もあると思いますが、とりあえずペンダントから
体験してみたいです。

ペンダント到着を心待ちにしております。
楽しみです。
どうぞ、よろしくお願い致します。


○Kさんの体験談


期待しまくって しまくって
なかなか届かなくて、3週間以上経って やっと届いたので
寝るときも 起きてる時も つけている。
私の場合は つけて 冷たいとか 温かい、とかは 全くない。

すごい!と思ったのは、
仕事上、繁忙期であり 通常の倍以上の量を こなさねばならず
それは 電話によるお客様対応と 書類の記入量が
倍以上になっている、ということである。

ゆえに休日出勤も含めて、
2連休が1カ月もない、というありよう。

ふだん、肩など こらない私なのに
熱をもったかのように 右肩が ひどく こった。

月祥天家では、私を含め 2人しかいないので
お風呂を 滅多に 入れず シャワーだけで 過ごしていた。

・追い炊きじゃないこと
・毎日は お湯を 洗濯に有効活用しきれないこと
・経済的理由

からである。

しかし あまりの肩の こりように
「湯に!! 湯に浸からないと イカン!」と確信し
夕方から ひたすら眠りこけている夫が
すぐ入ってくれないと 湯が冷めてしまって
最も もったいない状況になるのは 承知で

湯を入れて 浸かった。
生き返った。

しかし。

肩こりが ない状態を 0として
肩のこり具合が 10だったとしたら
湯に浸かったおかげで 治るかと思ったら
8 ぐらいにしか 治まらなかったのである。
この時、ペンダントは まだ届いていなかった。
うー、(・Θ・;) このままでは 繁忙期が終わる4月末まで
この ひどい肩こりは 治らない ということか、と思っていた。

それが。
ペンダントが届いたのは 仕事が終わって帰宅しての夜。
つけて 過ごして ふと気づいたら
無いのである。
肩のこりが。
度合1~1.5くらい。
ガーンマジですか。と私自身が 驚いてしまった。

更にもうひとつ。
身体の一部分が 湿疹でもう15年くらい 続いていて
複数の医者に行っても 血液検査をしても 治らず、
大神島で作られた塩を もってしても
一時的に 治まったが
結局は完全に かゆみが 治まることは なかった。
シャワーの時などは 思いっきり かいてしまうくらいだったのに
「かゆい」ということを すっかり 忘れている。

このペンダントをしたまま、水晶クラスターを持って瞑想してみたら
まばゆいばかりの光が 自分自身の各チャクラから視えたり
どこかとつながって(高次元とかでなくて)
誰か男の人が 一方的に しゃべっているのが ひたすら聞こえる。
話は全く わからないんだけど。
ただの世間話っぽい。

以前 どこかの空港と つながって(?)
ポンポンポンポーン
なんたらかんたら・・・と英語で 飛行に関する場内アナウンスが
聞こえてきたりと いうことがあった。

どうも私の場合は どこか別の場所に 意識だけ瞬間移動して
そこに居て 聞いているかのように 聞こえてくるようなのだ。
そんなのも 最近パッタリ なかったのだが
久しぶりに 何か聞こえた、という体験をした。


○Nさんの体験談


先月、ブログを読んでいて夜中に衝動買いしてしまいました。(^_^;)
独身貴族の時代ならあり得たことですが、私は現在無職の専業主婦で小遣いすらありません。
独身時代の貯金は確かにありますが、自分の服や美容院代も我慢して息子に回してしまうのに、こんな高価なものを買ってしまった~!!と気づいたのは決済ボタンを押した後でした。(笑)
寝る前だったので、思い出してドキドキしてなかなか眠れませんでした。

それが昨日の満月に届きました!!
ジャスト2週間ですが、満月に届くのはきっと何か意味があるんだと思います。
事前にブログで説明は読んでいたんですが、届いた時にすでにずっしりと存在感を感じ、3歳の息子の前で開けると触られまくると思い、寝てからの開封でした。
居ても立ってもいられずに早速首からかけてしまいましたが、本当は優しく拭いてあげてから・・・と読み後からふきふきさせてもらいました。

首からかけながらプチ瞑想をしましたが、胸からお腹にかけてずっしりと重いような何かで押さえられるような感じがしました。
新しい自分へ変化するのにやはり抵抗があるみたいです。
なので、焦らずに少しずつ慣らしていこうと思います。
あと普段猫背の私が、かけた瞬間スーッと背筋が伸びたのにびっくり。
そして、アセンションの効果なのかわかりませんが、昨日は寝る前に3回トイレに行き夜中にも1回、朝も普通に出て、それほど水分は摂ってないと思うのですが浄化なのでしょうか?
さらに先ほど滅多に夜に大の方(汚い話ですみません(^_^;))はでないのですが、お腹を壊しているわけでもないのに、まるで浣腸をしたかのように水のような便が腹痛もなく自然にでました。

発明家の方がホピ族の酋長とアトランティスの過去世を持つと書いていましたが、私もホピ族のカチナダンサーやアトランティスでの過去世があります。
どこかでご縁があったのか、繋がっているのか、どうしても欲しくなったのかもしれません。
これからどんな不思議体験があるのかとっても楽しみです♪
また何かあったら報告させていただきますね。
ありがとうございました~♪(*^_^*)


○Mさんの体験談


お久しぶりです。
お元気でしょうか。
僕は特に体調を崩すこともなく、元気です。

ペンダントを手に入れてから、いろいろありましたので、また報告させて下さい(笑)

まず、体調は、相変わらず良いです!
前にもお伝えしたように、ペンダントを着けている間は、お酒に弱いということは、現状も、ほぼありません。
一度だけ、気分が悪くなりかけたことがあったのですが、そのときはペンダントに対して、感謝の言葉を投げかけてみた所、一瞬で酔いが覚めました。

花粉症も、結局発症することはありませんでした。
去年までの自分がウソのようです。
また、花粉症だけではなく、他のアレルギーに対しても、効果があることが分かってきました。
実は、僕は猫が好きなのに、元々猫アレルギーでして、猫に1mの所まで近づいただけで花粉症よりも強烈なアレルギー状態になってしまう体質でした。
ホームセンターのペットコーナー等は結構危険でした(笑)
しかし、ペンダントを着けた所、猫に触れても症状が全く出なくなりました。
少し疑り深く、何回か試しているのですが、一度も症状は出ていません。
これは非常に嬉しいです!

また、体調のことだけではなく、身の回りも変化しているようで、何度か珍しいことも起こりました。

目立ったこととしては、知り合いのコネで、某有名人にプライベートで招待してもらい、スーパーカーを見せてもらえたりしました。

仕事も、状態が以前よりも良好になり、楽に心地よく出来ている気がします。
ペンダントを着けて以降、物事の角が落ちる(?)ような感触で、色々なことがスムーズに進んでいるように思います。

以上、ご報告です!
素晴らしいペンダントをどうもありがとうございました。

近々、今度はミトコンドリアクリーナーを試したいと思っています。

また連絡しますので、よろしくお願い致します。
それでは!


○Iさんの体験談


お世話になります。
無事ペンダント届きました。
1週間経過しましたので、感想送らせて頂きます。

まずパニック症候群の薬から離脱成功しました。
ペンダントが届く前夜から断薬を決行。 
ペンダント来たら止めれると勝手に妄想しておりました。 
断薬後2-3日は時々辛い感じあるも、4-5日目から結構爽快な気分に。 
プラシーボ効果!?とも疑ったりと。
とにかくメデタシメデタシです。
意外とあっさり止めれました(笑) 
何でこんな簡単に止めれるの??という感じです。
離脱症状は薬を飲んだ期間は続く可能性ありとどこかに買いておりましたので、無理せず冷静に経過観察をしていきますが、心の中ではもう必要ないと決めている自分がいます。
以前トーマさんのキネシオロジー個人セッションで7月末以降には薬止めれるという診断が出まして、「そんな簡単に薬って止めれないよな~」と心の中で思ってましたが、ペンダントのおかげか、7月上旬には止める事が出来ました。 
僕の中では奇跡に近いです。

二番目に、睡眠時間が減りました。
初日は付けて寝たのですが、何度も起きてしまい。
パワーがみなぎっている感じでした。 
二日目以降は枕元において寝る様にしました。
それから大分落ちついて寝れる様になりましたが、不思議な事に、目覚めが良く、又、眠りが深い現象が続いております。
今までは目覚めが良ければ、眠りが浅くて、見た夢をすぐに思い出せてたのですが。
今では眠りが深く、でも朝バチっと目が覚めるので、とっても不思議です。

最後に、最近小さなゲップがよく出る様になりました。 
何かの好転反応かなと。

未だ1週間ですので、まだまだこれからが楽しみです。
この様なご縁を下さいましたトーマさんに感謝しております。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


たくさんの体験談、ありがとうございました!



なんの変哲もない普通のペンダントに見えますが、凄まじいヒーリングパワーを放っています。
首から下げると、すぐに、宇宙のエネルギーが、全身をまわるのを感じると思います。
大切な方へのプレゼント用に、購入される方も、多いみたいですね。





☆購入希望の方は、下記のサイトから、友人の有明さん(トリプル向日葵さん)に、お願いします。

○「トリプル向日葵」

http://triplehimawari.ocnk.net/




 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas

 

 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp

 


☆私のメインサントです。 

http://www.tomaatlas.com/

 

 

龍神の秘密

$
0
0

先月、初めて、高尾山に行きました。

 

ずーっと行きたかったのですが、忙しくて、なかなかチャンスが無かったのですが、念願かなって、ようやく訪れることができました。

 

いいかんじのハイキングでした。

景色も最高でした。

 

{85B38CF2-FE8C-4577-98AC-7E977BD7C864}

 

 

以前に、「ブラタモリ」という番組でもやっていましたが、ここは、地質学的にも、とても貴重な土地らしいです。

登山道は、両側が、まったく色の違う植物群になっています。

 

{6EC94F3F-176C-408C-9E84-368FC72EBD86}

 

 

この道は、太古の時代に、日本列島の二つの地層が、ぶつかって隆起した地点になっているそうです。

 

おそらく、最近から流行っている、「ゼロ地場」というやつだと思うのですが、とても気持ちがいい空間です。

東京都内では、ここが一番気持ちがいいところかもしれません。

 

 

 

左右で森の明るさが違うところが、けっこうあります。

 

{42E45C86-9B6D-4786-A349-FE33A8D86D0E}

 

 

暗い森は、カシやヒイラギなど、常緑広葉樹が中心で、濃い緑と厚い葉が特徴みたいです。

明るい森は、イヌブナなど、落葉広葉樹林が中心で、葉の色も厚みも薄くなっているようです。

 

高尾山の登山道は、尾根筋であり、北側と太平洋側とで、気候に差があるようです。

常緑広葉樹と落葉広葉樹の分布の境目が、存在しているのだそうです。

 

さらに、地層が露出している場所があり、その地層を確認すると、砂や泥の存在を確認できるようです。

 

1億年前に、いろいろな造山活動があり、マントルなどが複雑に動いて、形成された山だそうです。

さらに、スギやヒノキの人工林もあり、高尾山には、多種多様な植物が生い茂っているようです。

 

 

 

ここは、天狗伝説でも有名ですが、実際に、私の知り合いで、この山で、天狗と遭遇した人が、何人もいます。
 
出てくる前には、必ずどこからか、
 
♪ ピーヒャラ、ドンドン ♪
 
という笛と太鼓の音が聞こえてくるそうです。
 
それから、身長の大きな天狗と小さな天狗が、ペアで登場するそうですが、これは、男性と女性の夫婦かもしれないと言っていました。
 
 
天狗の像です。
 
{DC621431-E91C-49DF-B6B3-13847D8756C6}
 
 
記念撮影しました。
 
{0B6C763F-9936-4102-AFF4-F55F3DE70755}
 
 
 
面白いものを手にしている天狗もいました。
 
{6D56C920-B8E3-4052-9447-64318E43F533}
 
 
同行した友人が、「スタンガンを持っている!」と言ったのを聞いて、大笑いでした。
 
{7A9975C3-B2CC-4585-8C8E-7ECFA113768D}
 
 
 
「八大龍王」という名前の神様もいました。
 
{37B5B425-D61F-441C-9D78-4E4A288230DA}
 
 
金色に輝いて、カッコイイですね~!
 
{7B59F9BF-4296-4273-9124-E05685C712F3}
 
 
この神様を、シンプルに表現すると、
 
「龍」+「人」=「八大龍王」
 
こうなりますね。
 
「龍」と「人」、この二つの生命体が合体している神様は、他にも、たくさんいますね。
 
 
 
この日は、高尾山の後に、井の頭公園にも行ったのですが、ここには、「宇賀神」の像もありました。
 
{61DCA0A0-3B57-4816-9CC0-811227DE8016}
 
 
{623F3857-CFC7-4415-BB66-765609F97F52}
 
 
この神様も、
 
「龍」+「人」=「宇賀神」
 
こうなります。
 
 
ということは、両者は、同じグループの神様だということが、推測されますね。
 
「八大龍王」=「宇賀神」
 
こうなるのです。
 

 

 

宇宙考古学や古代史の最近の流行として、

 

「共通項を探す」

 

という動きがあります。

 

数学でいえば、それまで、「違い」を探して、どんどん、「展開」していった流れから、現在は、「共通項」を探して、「因数分解」するような作業に、流れが変わっているのです。

 

時代や土地、それから、神話や伝説、また、人間と神々など、時空間や存在に関わらず、「似たような人生」、「似たような名前」、「似たようなシンボルマーク」、「似たような服装」など、どこかが似通っていたら、それらの複数の人物たちは、とりあず、「同じ魂のグループ」、もしくは、「生まれ変わり」だと見なすのです。

 

このやり方だと、面白いことがわかったり、意外な事実に気が付いたりして、最高に面白い作業になります。

 

 

 

たとえば、事実かどうかは、とりあず横に置いて、一般的な伝承によれば、「キリスト」は、「馬小屋」で生まれたと言われています。

 

image

 

 

同様に、「聖徳太子」も、「馬小屋」の近くで、生まれたと言われています。

 

image

 

 

このことから、

 

「キリストと聖徳太子は、同じ魂の生まれ変わり、もしくは、同じソウルグループのメンバーだった可能性がある」

 

こういう仮説が成り立つのです。

 

「キリスト」=「聖徳太子」

 

だということです。

 

 

他にも、こういうものもあります。

 

ロシア正教の宗教画には、「キリスト」が、不思議なハンドサインをして描かれているものがあります。

 

image

 

 

そして、京都の広隆寺にある、「弥勒菩薩半跏思惟像」も、同じようなハンドサインで、彫られています。

 

image

 

 

よく見ると、この二人の人物の指の形が、同じですね。

 

image

 

 

image

 

 

このことから、

 

「キリストと弥勒菩薩も、同じ魂の生まれ変わり、もしくは、同じソウルグループのメンバーだった可能性がある」

 

こういう仮説も、また成り立つのです。

 

「キリスト」=「弥勒菩薩」

 

だということです。

 

つまり、いつの時代でも、画家や彫刻家が、いろいろな作品を作るのですが、意識しているか無意識かに関わらず、天界の神々が、未来の人々に、いつの日か、神の世界のカラクリを、解き明かしてくれる日のために、暗号のように、様々な仕掛けをしていたということです。

 

 

 

以上のことを踏まえて、下記の写真たちを、繋げて考えてみると面白いです。

 

 

これは、先月に行った、千葉県銚子市の満願寺に置いてあった、手水舎です。

一枚岩だそうです。

 

image

 

 

同じように、これは、諏訪大社の手水舎です。

 

image

 

 

どうですか?

これらの二つの岩の穴の中には、一人の人間が、すっぽり入りそうではないですか?

 

 

続いて、この写真を見てください。

マヤ文明の遺跡から出土されたものだそうです。

 

image

 

 

ハイ!

 

わかりましたね。

 

「龍の形をしたUFO」です。

 

つまり、「UFO」の中には、「龍」の形をしたものも、あるということです。

 

太古の時代に、地球にやってきた宇宙人の中には、「龍」の形をしたUFOに乗ってやってきた存在も、いたのかもしれません。

 

私たちは、宇宙人の乗り物である、「UFO」と「龍神」を、別物と考えていますが、もしかしたら、源は同じ存在で、時代や土地によって、見せる人間たちの価値観に合わせて、姿形を変形させているのかもしれません。

 

 

これは、有名な彫刻で、鹿島神宮の祭神、タケミカヅチ神が、ナマズを抑えている場面だと言われています。

 
image
 
 
しかし、宇宙考古学的に解釈すれば、「ナマズ」は、実は、「UFO」で、この男性は、宇宙飛行士で、持っている「杖」のようなものは、操縦するための「コントロールレバー」だったとも、解釈するこができます。
こちらのほうが、面白いですね。
 
 
これは、東京都内の水天宮に行った時に撮影した、境内の手水舎です。
 
image
 
 
 
もうわかりましたね。
 
これらの話を統合すると、ある面白い仮説が導きだされます。
 
「神社や寺にある、手水舎というのは、太古の時代に、地球にやってきた、龍の形をしたUFOだった」
 
こういう大胆なストーリーが、浮かび上がってくるのです。
 
 

 

ご存知のように、世界中、どこに行っても、龍の神話、伝説、壁画などが存在しています。

特に、日本には、龍を祀った神社も多く、神話も山ほどあります。


不思議なのは、これほど、身近な存在でありながら、ほとんどの人が、

「空想上の動物だ」

と思っていることです。

たとえば、

「干支の中でも、龍だけが、空想の動物であり、架空の存在だ」

というのは、よく聞く話ですね。


しかし、世界中に、龍に関する話が、たくさん存在していること自体、簡単に、空想だけで終わらせてはいけないと思います。

「龍は、実在の動物だ」

と考えたほうが、自然なのです。
 

 


これは、チャネリング情報ですが、ある本によると、宇宙が誕生して、しばらくしてから、神様は、自分の姿を、ある程度、形作ろうと思い、試行錯誤したそうですが、いろいろとやってみた結果、二つの形が、好きになったようです。


全知全能の神が、好んだ姿は、

一つは、龍の形。

二つ目が、人間の形。

理由は、この二つの姿が、オシャレで機能的、そして、いろいろな体験を、楽しめそうな形だったからみたいです。


それで、しばらく、この二つの形のまま、宇宙空間を、旅していたそうです。

いろいろな神話で、龍の上に人間が乗って、一緒に飛んでいる場面がありますが、それを、イメージしてくださいね。

「まんが日本昔話」のオープニングのアニメーションが、一番わかりやすいかな?

{42DEA5EB-24FB-4833-A0A1-CEC229874390}


この時点では、どちらかというと、物質的な肉体ではなく、非物質な霊体だったみたいです。

存在している次元も、現在の私たちが、暮らしている3次元ではなくて、もっと自由度の大きい、5~8次元くらいだったようです。


これは、前述したように、南米のマヤ文明の壁画です。
龍の形の宇宙船に、人間型の宇宙飛行士が乗船して、操縦しているようにも見えます。

151017_223830.jpg


長いこと、いろいろな宇宙や惑星を旅したそうですが、しばらくして、この地球を、見つけたそうです。

それから、この惑星での体験を楽しもうと思って、物質化しようと思ったらしいのですが、その頃は、まだ地球ができたばかりだったので、少し環境を整える必要があったみたいです。




環境が、過酷だったために、最初は、人間の姿の神様ではなく、龍の姿の神様から、地球に降り立って、生態系のバランスなどを、調整したようです。

最初に地球に降り立ったのは、「龍神」のほうだったのです。

さらに、その時には、霊体の龍の姿ではなく、3次元の過酷な地球の環境に適応するために、振動数を落として物質化して、「恐竜」という姿になったそうです。




その恐竜も、大きく三つの姿に、分かれたそうです。

空を飛べるようになったものが、「天龍」で、地面を走れるようになったものが、「地龍」、海を泳げるようになったものが、「海龍」みたいです。


それから、環境が整った時点で、次に、いよいよ、「人間」が誕生したそうです。

中南米の古代遺跡の壁画などには、その時の様子が描かれている絵も、いつくか残っているようです。

これは、龍の口から、人間が誕生する様子を描いた絵です。
ちょっとわかりにくいかな?

151017_223944.jpg


これが本当だとしたら、人間はサルから進化したのではなく、龍から生まれたということになります。

高次元で霊的な龍神から、人間が創造された様子なのか、それとも、物質的な次元で、実際に恐竜の口から、人間が出てきたのかは、わからないようです。

解釈によっては、当時の神々(宇宙人たち)、つまり、「アヌンナキ」の一族が、人間を創る時に、恐竜の遺伝子を主に使ったことを、象徴的に描いたものかもしれません。


考えてみれば、

「人間がサルから進化した」

という進化論が一般的ですが、これなどは、150年くらい前に、ダーウィンが、言いだしただけで、もしそれが本当ならば、世界中に、それらしい神話や伝説があってもいいのに、どこにもありません。

しかし、

「人間と龍が戦った」

「人間と龍は仲良しだった」

というように、人間と龍との関わりを残した神話や伝説は、世界中に山ほどあります。

このことから、やはり、人間の誕生には、龍が関係していたと考えるのは、自然なような気がするのですが、どうでしょうか?


特に、日本の神話には、龍に関する話がたくさんあります。



有名な「因幡の白うさぎ」の物語などにも、「ワニ」が登場しますが、学者たちが、

「その時代に、日本の海には、ワニなどいなかったから、サメだったのだろう」

と解釈していますが、これも、そのまま、海の恐竜である「海龍」だったと解釈することもできます。

 

 

 

太古の昔、恐竜が死滅した時期に、地球上で、大洪水が起こっていますが、この時の大量の水は、月から滝のように、地球に落ちてきたと言われています。

旧約聖書にも、「ノアの大洪水」は、

「空から、大雨が降ってきた」

という表現ではなく、

「空から、大量の水が滝のように落ちてきた」

と、書かれているそうです。

 

{ED8FBA83-E7F5-4C1F-B63D-E637227849CC}

 


その時に、月からの水が、地球の草木をなぎ倒したために、生物がまったく住めない場所ができたようです。


それが、「砂漠」です。

現在のアフリカや中国などの砂漠は、その時の滝のような水で、根こそぎ、栄養分などを含んだ土が、弾き飛ばされたようです。


現在の地球上の湖の多くは、その時の水が、最初の頃は、溜まってできたのかもしれません。
その後に、自然な水分蒸発、そして、山からの雨水などで、水が入れ替わったと考えてもいいと思います。

 

 

アメリカの「グランドキャニオン」なども、その時の月から放出された、大量の水の洪水で出来上がった渓谷だろうと、思っています。

 

悠久の時をかけて、造られたのではなく、もしかしたら、一晩で出来上がった渓谷かもしれません。

 

{F6060677-7950-4098-8B97-BF8BFE8F1BFA}

 

 

 

素朴な疑問です。

 

「どうして、恐竜は、あそこまで大きかったのか?」

ということです。

現在の地球では、海では、「クジラ」で、陸では、「ゾウ」や「キリン」が最大です。

これ以上の大きさは、重力の関係で、身体を動かすこともできなければ、頭部まで、心臓からの血液を回せないとも、言われています。


そこで、いくつかの仮説ですが、一つは、

「恐竜の体重は、意外と軽かったのではないか?」

という説もあります。


恐竜は、爬虫類、鳥類、哺乳類など、いくつかの種類がいたという説が、有力みたいです。

その中の鳥類の一部には、身体の中に、特別な微生物が、存在していて、それが、食物を消化して、分解するときに、特別なガスを発生させ、そのガスを溜めこむ臓器をもっているものも、いるそうです。

そのガスの入った臓器が、ちょうど、ガスの入った風船のような働きをするために、飛行が容易になるのだそうです。


恐竜も、そういう臓器が、あったかもしれないということです。

ガスの風船を、お腹に持ったまま、走りまわっていたかんじですね。

現在では、足跡などから、ティラノサウスなどの走るスピードは、時速80キロ以上だったかもしれないという説もあります。

「身体は大きかったが、体重は軽かった」

この仮説を適用すれば、合点がいきますね。
 

 

ティラノサウルスの模型です。
たしかに、足が速そうですね。

151012_102637.jpg


二つ目は、

「当時の地球は、現在よりも小さかった」

という仮説です。

これも納得ですね。

現在よりも小さい惑星だっために、引力も弱かったという話です。
だから、生物も巨大になったし、俊敏に動けたということです。

 


では、いつ頃を境にして、現在の大きさの惑星になったのかというと、それが、やはり、「ノアの大洪水」の時からという説が有力です。

前述したように、「月」から大量の水が、地球に降り注いだそうです。

141026_125732.jpg

 


この後、その大量の水で、地球が膨張して、引力が強くなったために、ほとんどの恐竜が、その強くなった引力に、適用できなくなり、死滅したという説です。

 


NASAの信頼できるデータによると、月の内部は、ほとんど空洞みたいです。
そして、空洞の一部に、氷の塊が、残っているそうです。
その氷の塊は、地球側に偏って、存在しているそうです。

月が、地球に表側しか見せない動きをするのは、月の中の氷の塊が、ちょうど起き上がりこぶしの重しのような働きをしているからだそうです。

 

 


前述の仮説から、恐竜のことを、読み解く上で欠かせない、「地層」について、新しい解釈が、出てきているそうです。

それは、既存の考え方のように、

「地層というものは、何百万年~何億年という長い時間をかけて堆積するものだから、そこに埋まっている化石の位置を、知ることにより、生きていた時代がわかる」

というものではなく、

「地層の中には、短時間で固まったり、堆積したものもある」

という考え方です。


そもそも、「化石」という現象は、とても珍しいものなのです。

生物の死骸というのは、普通は、陸上で死んだら、微生物や風雨によって、分解や風化され、跡形もなくなるものなのです。

砂漠で死んだ動物などを、イメージしてみてください。
それが、形を残して死んでいるというのは、瞬間的に、泥水のようなもので、密閉されたからなのです。
だから、恐竜の絶滅時に、地球規模の洪水があったことが、推測されるのです。


これは、地層の化石の中から、大きな魚が、小さな魚を、飲み込もうと瞬間が、化石になったものがあることからも、わかりますね。

わかりにくいかもしれませんが、これです。
大きな魚が、下から、小さな魚を、飲み込もうとしている瞬間の化石です。




さらに、植物の葉っぱが残っている化石などが、存在していることからも、かなり短い時間に、コンクリートのような土砂によって、急激に固まったものも、存在しているということです。

急激に固まらない限り、このように、ハッキリとした葉っぱの形は残りません。

やはり、こういう出来事は、「大洪水」の時に起こったと思います。
地球は、その大洪水の時に、一度リセットされているのです。

 


他にも、ユニークな解釈があって、その時の大洪水の時には、逃げ足の遅い生物から、真っ先に、土砂に埋もれたというのです。

たしかに、大洪水で、水かさが増水したら、真っ先に動かない貝などが埋もれます。
それから、魚たちが飲み込まれ、それから、両生類、爬虫類、それから、鳥類や哺乳類という順番になりますね。
つまり、賢い動物ほど、逃げるのが、速くてうまいので、地層の上のほうで、土砂につかまり、化石になるということです。
だから、地層というのは、下から上になるほど、下等生物から高等生物というかんじで、化石が出てきやすくなるということです。

なるほど…、ですね。

151017_134710.jpg


最近では、人間と恐竜の足跡が、同じ時代に、存在していた化石なども、たくさん出てきたり、有名な「イカの線刻石」などには、人間と恐竜が、一緒に生活している姿なども、描かれています。

これも、大半は、偽物やインチキらしいのですが、偽物が、たくさんあるからといって、本物がないという証明にはなりません。

やはり、本物の石も、少数ながら存在しているようです。

火山の噴火の時など、人間と恐竜が、一緒に逃げていたかもしれないということです。

141025_172556.jpg


これなどは、今までの地質学の地層の解釈が、根本的におかしいことの証拠です。
なんと、地層を斜めに縦断している木の化石が、発見されたのです。
本当ならば、10層くらいの地層の間には、膨大な期間があるはずですが、この写真は、これらの地層が、おそらく、1日くらいで、できたものだという解釈ができるのです。

141025_172838.jpg


他にも、最先端の科学でも、アメリカの大学などで、人間の遺伝子を、徹底的に調べると、

「爬虫類的な水生動物の遺伝子が、一番多く、他にも、サル、ネズミ、コウモリなどのありとあらゆる動物の遺伝子情報が、人間には、含まれている」

という調査結果も、出てきているそうです。

「サルから進化した」

というのも、間違いではないそうです。


ここでいう、「爬虫類的な水生動物」という表現は、現在の動物に、当てはまるものが、見当たらいから、こういう表現をしてるそうですが、一説によると、強いて当てはめるならば、

「タツノオトシゴ」

みたいな動物らしいです。

「龍が、落とした動物」

ということですね。

やはり、龍が、遺伝子的にも関係しているようです。
面白いですね。(笑)




こうなってくると、もう、既存の学問の全てを、根本的に見直さなくてはいけない時期にきているということが、わかりますね。

「人間」と「龍」に関する世界中の神話や伝説などが、ぜんぶ本当の話だったかもしれないと思ったら、ワクワクしてきませんか?

学問の世界では、頭の堅い学者が多いみたいので、なかなか、表のメディアでは、ニュースとして報道されませんが、マンガやアニメ、映画、ゲームの業界では、現在、龍に関わる話がたくさん出てきていますね。
 

 


私の感じているところでは、龍たちは、地球の環境が、ある程度、整ったのを見届けて、表面上は、「大洪水による恐竜の絶滅」という姿で、3次元の世界からは、消えたのだと思います。

高次元といってもいいし、パラレルワールドと表現しても、いいかもしれません。
とにかく、役割を終えたから、地上から去ったのです。

 

しかし、現在でも、高次元の世界で、「龍神」として、地上にいる私たち人間を、サポートしていると思います。

霊感がある人たちには、それが見えるようですが、無い人たちにも、しばしば、雲を龍の形にした、「龍雲」として、自分たちの存在を、そっと教えたりしているみたいです。

 

image

 


2009年6月に、長野県の戸隠神社に行った後、JR長野駅の上空に、空を覆い尽くすほどの巨大な九頭龍の形の雲が、出てきました。
写真では、わかりにくいですが、細かい形まで、九頭龍そのままの姿でした。
凄いパワーを、感じました。

090625_122909.jpg

 

「龍雲」が、空に現れたら、人間と龍の大昔からの関わりについて、いろいろ想像してみると、楽しいと思います。
太古の大昔に、一緒に、宇宙空間を旅していた時のことも、思い出すかもしれませんよ。

 

 

 

宇宙創世の時代には、「龍神」と「人間」は、同じツインソウルであり、大の仲良しだったみたいです。

 

これは、友人のはるなさんが描いてくれたイラストです。

かわいくて、癒されますね。

 

image

 

 

 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas

 

 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp

 


☆私のメインサントです。 

http://www.tomaatlas.com/

 

 

天照シークレットツアー 1 新しいステージ

$
0
0

5月に入ってから、凄い気づきがありました。

 

具体的な日付としては、ゴールデンウイークの最終日にあたる、5月6日(日)なのですが、この日は、私の人生の中でも、一つの区切りが終わったような気がしたくらい、感動的な一日でした。

 

 

4年前の2014年の春から、本格的に宇宙考古学や古代史を学び、今年の1月からは、さらに、「補陀落渡海」について、集中的に調べていました。

なんでも、徹底的にやらないと気がすまない私は、根っからのオタク体質もあって、これについてとことん調べました。

 

そして、千葉県野田市の「愛宕神社」に秘密がありそうだと思い、仲のいい友人を誘って、二人で行ってきたのですが、その神社で、とんでもない発見があったのです。

詳しいことは、この旅行記の最後に書きますが、そこが、「補陀落渡海」のファイナルアンサーが、全部凝縮された場所でした。

 

そこで、私たち二人は、ちょうど、卒業式で、校長先生から卒業証書を授与してもらうように、神様から最後の回答をもらったようなかんじになりました。

全てではありませんが、「補陀落渡海」については、大まかで学び終わったのです。

一つのことを、学び終わることができるくらい、今年になってからの約5か月は、朝から晩まで、四六時中、こればかり調べていました。

 

それから、心地のいい疲労感とともに、二人で、近くのファミレスで食事したのですが、その時に、それまでとは、全く違う視点の凄い気づきが生まれたのです。

 

なんと、「補陀落渡海」の学びを終えた後は、もっと凄い学びが始まったのです。

 

そのファミレスからは、今度は、「新しいステージ」に、突入したのです。

ちょうど、高校生の学びが終わり、大学に入学して、大学生の学びが始まったような、そんな気がしました。

 

「新しいステージ」とは、それまでは、わからなかったので、いったん保留にしていた、「人類創世」についてでした。

 

この話は、あまりにも衝撃すぎて、どこまで、インターネット上に公開していいのか迷っています。

まあ、今年の7月くらいに発売予定の「地球を創った魔法使いたち」の第2巻には、全部書くつもりです。

副題は、そのものズバリ、「人類創世」になると思います。

楽しみにしていてください。

 

 

「人類創世」については、先日行ってきた京都の旅行記の中で、ちょっとだけ書くと思います。

 

今回の旅行記は、「補陀落渡海」についての完結編になると思います。

まわった所は、大阪、和歌山、奈良、東京、千葉です。

その中でも、特に奈良と千葉と東京での出来事を、まとめてみますね。

 

 

 

これは、先週末に、京都を旅した時に現れた雲たちです。

 

綺麗な形の彩雲や龍雲などが、空に現れて、感動しました。

同じような雲を見た方、全国にたくさんいたみたいですね。

 

この時期は、日本の空は、とてもいいエネルギーが充満していたみたいですね。

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

 

さて、いつものように、本格的な旅行記に入る前に、今までのおさらいを、やっておきましょう。

その方が、この旅行記を、より楽しめると思うので、ちょっとだけ、お付き合いくださいね。

 

 

 

宇宙には、生命を創る元のエネルギーのようなものがあり、それは、「丹(に)」と呼ばれているそうです。

太陽で創られ、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元になっているそうです。

 

そして、宇宙空間にあり、目に見ない、「障壁賀」という、宇宙の子宮のような所があり、ここに、「生(しょう)」と呼ばれる別のエネルギーのようなものが、充満しているそうなのですが、ここで、二つが合体するそうです。

 

そして、「丹生(にしょう)」というエネルギーが、生まれるそうです。

 

「丹(に)」+「生(しょう)」=「丹生(にしょう)」

 

「丹生」とは、「丹生遺伝子」の意味で、生命そのものを表現するのだそうです。

このエネルギーが生まれた後、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中では、「植物」、「動物」、「人間」の三つに、区分けされるそうです。

 

太古の大昔、最初に、「植物の丹生」が、地球に降り立ち、次に、「動物の丹生」が、最後に、「人間の丹生」が、降り立ったそうです。

三つとも、月を経由して、地球に来たそうです。

 

最初に、「植物の丹生」が降り立ったのが、現在の日本の京都府与謝郡峰山町にある、「藤社(ふじこそ)神社」だそうです。

それから、「動物の丹生」が降り立ったのが、同じく京都府与謝郡峰山町の「比沼麻奈為(ひぬまない)神社」だそうです。

 

太古の昔は、「与謝郡」と「与謝の海」を合わせた場所を、「与謝津(よさかい)」と言って、ここだけが、地球上で、唯一、生命を導き、育てることが、許されていた場所だったそうです。

 

そもそも、「丹波」のように、「丹」がつく土地は、「丹(に)の波動を出している土地」という意味なのだそうです。

 

 

肝心の「人間の丹生」が降り立った場所ですが、それが、現在の「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」なのだそうです。

720万年前の話だそうです。

 

最初の「人間の丹生」は、「零迦児(むかご)」として、風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。

それは、なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。

 

それから、その、「零迦児」は、巣と一緒に、海に落ちて、しばらく、与謝海を漂ったそうです。

何度も何度も、脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。

その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように、見守っていたそうです。

 

昔から、世界中に、「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」という話がありますが、これが由来だそうです。

 

 

「舞鶴」という地名も、元々は、「コウノトリが、舞い戻った」ということから、できた名前だそうです。

おそらく、この「零迦児の入った巣」を、海に漂っている途中で、危なくて見てられなくなり、口で咥えて、舞鶴の地へ運んだのだと思います。

 

 

最終的には、「零迦児の入った巣」は、舞鶴の「丹生川」の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら、育ったそうです。

 

 

丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。

「久久比神社」という名前です。

 

{A4DB0B98-59FE-4963-A029-385081306B21}

 

 

こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。

先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。

 

 

 

何度も書いていますが、中近東を拠点にした、シュメールの文明の神々、「アヌンナキ」のファミリーは、50万年前に、故郷である、「二ビル星」から、UFOでやってきたそうです。

 

しかし、その「アヌンナキ」の王である「アヌ王」、その子供になる、「エンキ」と「ニンフルサグ」の二人が、それよりも古い、720万年前に、なんと、宇宙の根源からダイレクトに、日本の丹後半島に、降臨していたということです。

 

念のために、再度書いておきます。

この神々の正体です。

 

エンキ」=「イザナギ」

「ニンフルサグ」=「イザナミ」

 
こうなるのです。

 

 

二人は、月を経由してやってきて、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た、「繭(まゆ)」のような姿の生物として、成長したようです。

それからも、何度か脱皮を繰り返して、人間として成長したそうです。

「瓢箪(ひょうたん)から駒」という表現の語源は、このあたりに由来しているそうです。

 

 

一説によると、天橋立から、ちょっと離れた冠島で、完全な人間の姿になったそうです。

 

「眞名井神社」です。

「三つ巴」の紋章は、「植物」と「動物」と「人間」の遺伝子も、表現しているのだと思います。

 

「三つ巴」のシンボルマークは、大切なキーワードになるので、よく覚えておいてくださいね。

 

{34270061-A25D-4889-A626-C1C1E5FC9D29}

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の二人ですが、最初の頃は、中近東にあった、「エデンの園」に住んでいた、もう一組の人祖である、「アダム」と「イブ」のように、周囲には、植物と動物以外には誰もいないという環境で、二人っきりの童児と童女として、寄り添いながら、生きていったそうです。

 

小鳥たちや小動物たちしか、遊び相手はいなかったのです。

 

ある日のこと、小鳥やリスが、交尾をしているのを見て、童女の方が、顔を赤らめたそうです。

 

それから、童女は、童児に、

 

「これからは、寝屋を別にしましょう」

 

と言ったそうです。

 

お互いに、異性を意識するようになったということです。

 

童児も、それに同意して、それが、きっかけで、二人は別々の場所で暮らすことになったそうです。

 

しかし、永遠の別れというわけでもなく、二人の約束は、

 

「ある程度の年齢になったら、また再会しよう!」

 

というものだったそうです。

 

現在の福井県小浜市にある、遠敷川の「鵜瀬」で、二人は、一旦、涙の別れをしたそうです。

 

童女のほうは、その後、現在の滋賀県の琵琶湖にある、「竹生島」で、初潮を迎えたそうです。

後世、成人した女性を守る、「弁天様」は、ここから発生しているそうです。

そういえば、多くの祠は、池の中にあったり、赤い鳥居や赤い祠、赤い橋などですね。

あれは、童女(イザナミ)が、琵琶湖に囲まれた竹生島で、赤い血を流したことが、始まりだそうです。

 

それから、童女は、滋賀県犬上郡多賀町のあたりで、しばらく暮らしたそうです。

 

「イザナミ」は、その後は、三重県の員弁、それから、三重県の麻生田でも、3年間ほど生活していたそうです。

 

それから、「イザナギ」と再会を約束していた場所、現在の伊勢市宮後町にある、「伊勢神宮」の外宮の別宮、「月夜見宮」に行ったそうです。

そこで、二人は、お互いに成長した姿で、久しぶりの再会をしたそうです。

そして、ここで、結婚式を挙げたそうです。

 

 

そこでは、「イザナミ」が、麻生田で織った、「白妙」を二人とも纏って、誓いの言葉を神に述べたそうです。

 

「絶対に争ったり、殺し合ったりせずに、助け合います」

 

というのが、その誓いの言葉だったそうです。

現在でも、天皇が結婚する時にやる、「大嘗神祇祭」という儀式では、これをやるそうです。

 

{A31A943A-346D-43B4-8FB4-FDB4B2341FBA}

 

 

この誓いの言葉の理由は、最初の人祖である、この二人が、「人間の元」の状態で、地球に来る前に、その宇宙の根源のような世界、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中が、とても調和がとれていて、争いごとの全くない、素晴らしい世界だったために、その理想の世界を、この現実世界でも再現しようと思ったようです。

 

考えてみたら、現在の日本の「平和憲法」は、この時に、すでに出来上がっていたのです。

 

「絶対に戦わない」

 

この姿勢は、戦後、GHQから押し付けらたものではなく、なんと、そもそも、この世界に、人類が最初に誕生した頃からの、神との約束だったのです。

 

「平和憲法」というのは、気が遠くなるほど、遠い遠い、超古代からの「尊い教え」だということです。

「日本」だけでなく、「地球」そのものを救うための教えだったのです。

 

 

 

それから、イザナミは、自分が子供の頃に住んでいた滋賀県犬上郡多賀町のあたりが、とても気に入っていたので、そこでの定住を決めたようです。

 

二人は老化もせず、若い身体のまま、数千年生きたそうです。

そして、その間に、子供を、たくさん産んだようなのです。

 

子供たちは、男女合わせて38人いたそうです。

男児が19人、女児が19人だったそうです。

 

38人の子供たちが、ある程度育ち、それから、さらに、その38人も、たくさんの子供を産み、大勢の子孫に恵まれたそうです。

 

それで、ある程度、落ち着いた頃を見計らって、二人は、元来た天に戻ることにしたそうです。

 

その場所は、滋賀県米原市にある、「醒ヶ井」という所にある、「武奈山」と「比婆山」を、二人のお墓に決めたそうです。

この二つの山は、距離にして、3キロくらい離れているそうです。

 

最初に、「イザナギ」が、「武奈山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、本質である霊体は、

 

プシュー!

 

と、天高く飛びあがり、そのまま、「金星」に向かって、天に飛んでいったそうです。

 

しばらくして、今度は、「イザナミ」が、「比婆山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。

 

それから、また、霊体が、

 

プシュー!

 

と、「イザナギ」の後を追うように、同じく、「金星」の方角に飛んで行ったそうです。

 

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」が生んだ、38人の子供たちは、それそれ、男子が19人、女子が19人で、それぞれ、カップルになり、結婚して世帯をもったそうです。

19組のカップルだったのです。

 

その中でも、最初の長男と長女のカップルは、別格の扱いになったそうです。

この夫婦は、「大丹生・皇(おにゅうけ・すめら)」という名前が付けられ、後に、この子孫が、「天皇家」の家系になったそうです。

 

長男の名前が、「別雷尊(わけいかずちのみこと)」という名前だったそうです。

 

とても元気な身体で、拳を振り上げて、生まれたそうです。

そして、宇宙の源のエネルギーである、「丹生」の波動で、身体が輝いていたそうです。

それが、まるで、雷でも落ちて、発光していたように、見えたのかもしれません。

現代風の表現では、「凄いオーラをまとった身体」だったのだと思います。

 

長女の名前は、「玉依姫(たまよりひめ)」と名付けられてそうです。

「玉のように美しい」という表現がありますが、ここからきていると思います。

この一族の中では、美しい女性の美称として、この表現を使っていたそうです。

 

この二人の夫婦が、「大丹生家(天皇家)」の始まりだそうです。

 

 

他の18組の夫婦は、「丹生家(にゅうけ)」となり、「天皇家」を補佐するグループになったそうです。

 

まとめると、「38人の子供」の中で、長男と長女の2人は、「天皇家」になり、残りの36人は、「補佐の役割」になったということです。

 

 

この最初の日本人の数を表現している、「三十八」という数字は、実は、とても特別な数字であり、日本の古代史の中で、様々な形で、暗号として隠されて、伝えられてきたようです。

 

 

たとえば、後世になって、人がたくさん集まる場所は、「都」と呼ばれるようになるのですが、この名前には、

 

「三(み)」+「八(や)」+「子(こ)」=「都(みやこ)」

 

という意味が隠されてたそうです。

 

「38人の子供が、最初に住んでいた土地」

 

というのが、「都」の隠された意味だったのです。

 

「京都」は、もちろんのこと、「東京都」、「宮城」、「三ノ宮」、「都城」、それから、沖縄県の「宮古島」など、「みやこ」の文字が入る地名は、全部、この38人の子供に、関係ある土地なのかもしれません。

 

 

 

この後、この38人の子供たちと子孫は、滋賀県の多賀大社の辺りから、三重県いなべ市に引っ越して、三代に渡り、ここに滞在したそうです。

 

「いなべ市大安町石榑」という土地が、日本初の「都」になったそうです。

 

 

38人の子供たちの痕跡は、日本中に、いくつか残っています。

 

福井県福井市には、「三十八社町」という町があります。

 

{F62E9B7E-75F0-424F-BFE8-3ACC33A6EF7B}

 

 

滋賀県の「石山寺」の境内にも、「三十八社」の文字の書かれた鳥居があります。

 

{1DDAF5CF-8EDD-44AA-90C9-4CB7DC8C460A}

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 

☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。

http://www.tomaatlas.com/library00.htm

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 

天照シークレットツアー 2 葵祭

$
0
0

前回の続きです。

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。

 

この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「天皇家」になったのですが、ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。

この頃から、「天皇」という称号が生まれたそうです。

 

念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で、意味も違うそうです。

「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。

 

しかし、私が、いろいろ調べたところでは、まったく関係ないわけでもなく、こういう名前が似ている人物やグループなどは、同じ魂の仲間だと思っています。

 

 

このグループは、ある期間、現在の三重県いなべ市のあたりを、拠点にしていたようです。

 

 

「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。

 

その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。

きっかけは、大和地方に、「神武天皇(アヌ王)」がやってきたのが、始まりだったようです。

この天皇のグループは、権力志向だったようです。

 

 

ここでは、「38人の子供」の子孫を、「天照(アマテル)派」と呼ぶことにします。

このグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「自由」や「知恵」、それから、「愛」のグループだったと思います。

 

そして、後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、シュメール文明においては、「アヌ王」で、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。

さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。

権力によって、人々を、平等に統治するという考え方ですね。

 

これらの推測は、私個人の感覚的なもので、科学的な根拠があるわけではありありません。

 

 

わかりやすくまとめます。

 

〇「天照派」=「イザナギ(エンキ)」と「イザナミ(ニンフルサグ)」

「自由」、「知恵」、「愛」のグループ

 

〇「神武派」=「神武天皇(アヌ王」と「ヤハウェ(エンリル)」

「平等」、「力」のグループ

 

私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。

 

国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。

 

 

この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、

 

〇「天照派」=「理想主義」

〇「神武派」=「現実主義」

 

こうなると思います。

 

現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。

具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。

これも、いろいろな見方ができるので、「どの意見が正しいか?」というのは、とても難しい問題なのです。

 

「天照派」の人々は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないと思いますが、やはり、性格が似ているのです。

つまり、このグループは、「絶対に戦わない」という共通の姿勢があるのです。

 

 

古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。

 

ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。

要するに、「引きこもった」ということです。

 

本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。

 

たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。

 

「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」

 

こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。

 

おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。

生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。(笑)

 

 

それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。

怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。

 

 

この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。

 

現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。

そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。

 

 

 

「天照派」の話を続けます。

 

ツインレイとして、丹後半島に生まれ、38名の子供を産んで育てた二人は、「初代」の「イザナギ&イザナミ」です。

それから、1500代も、この系統は続いたそうです。

 

そして、最後である、1500代目の「イザナギ&イザナミ」の子供が、「天照派」の初代になる、「天照天皇(アマテルカミ尊)」という男性だったそうです。

繰り返しますが、「古事記」の話とは、別の話です。

 

 

 
それにしても、「神武派」の弾圧は、いろいろな理由から、徹底的に酷くやったようで、「天照派」のグループは、ある時期は、生きていくのに最低限必要な、土地や仕事も奪われて、「ホームレス」のような身分になってしまったそうです。
部落差別の問題も、このあたりの歴史も関係しているそうです。
 
 
去年の12月には、「酒見神社」にも行きました。
場所は、愛知県一宮市です。
 
{CD29B6E9-59ED-4300-84B8-480F7029DDC5}
 
 
「酒見神社」という名前は、もともとは、
 
「逆身神社」
 
という名前だったそうです。
 
この意味は、
 
「天皇が逆さの身分である流人となった」
 
この酷くて残酷な歴史を忘れないようにするまえに、建造されたそうです。
とても奥深い古代史が隠されている場所みたいです。
 
 

 

古事記の「天照大神」に代表されるように、生粋の日本人というのは、本来、争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。

 

とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。

 

何かに腹を立てて、怒っても、相手に仕返ししたり、怒鳴ったりせずに、静かに、その場を立ち去ったり、無言になったり、無視するという態度をとります。

本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で抗議するのです。

 

{0F7FEC63-B4A3-41A4-BF5E-41012CA667B9}

 

 

何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を、殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。

 

現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。

社会に対して、無言の抗議をしているのです。

 

 

ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。

 

「どうして、学校に来なくなったんだろう?」

 

「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」

 

「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」

 

こう思っていると思います。

 

 

これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。

口に出して、反論したり、抗議したりしないのです。

 

「静かな怒り」

 

なのです。

 

 

引きこもってしましまった人々が、世の中に出てくるようにするには、怒ってもダメだし、なだめたり、おだててもダメです。

 

「天照大神」を、天岩戸から出そうと思ったら、皆で、裸踊りをするくらいの宴会を、やらなくてはいけないのです。

 

つまり、

 

「ワクワクすること」

 

これが、世の中に、たくさん出てきた時に、引きこもっている人たちも、隙間から、外の世界を覗きこみ、岩戸から出たくなるのです。

 

「世の中は面白い! ワクワクすることで溢れている!」

 

私の旅行記は、一貫して、そう主張しているのです。

だから、天岩戸の中に、引きこもっているような人たちに、特に読んでいただきたいのです。

 

 

 

「神武派」に代表される、「武闘派」、それから、「天照派」に代表される、「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが、存在していたようです。

 

 

「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。

文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

 

このグループは、前述したように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派」を弾圧していたようです。

 

 

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。

 
一つ目は、「賀毛神社」です。
 
{1C170079-DBC3-4A01-9494-8C3F39A9A06B}
 
 
ここは、現在、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。
 
「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」
 
ということです。
 
 

二つ目は、ここです。

ここから、すぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。

 

{E6B97ED5-97C2-43F9-9162-8E99369CC24A}

 

 

ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

 

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

 

だそうです。

 

 

 

調べてみると、最終的には、

 

「奈良」=「天照派」=「南朝」

 

「京都」=「神武派」=「北朝」

 

こうなったそうです。

 

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

 

一方の「神武派」の天皇は、「光明天皇」だったそうです。

 

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということが、わかって、納得しました。

 

 

 

歴史に登場する、「聖徳太子」や「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。

 

「空海」は、うまく助けていたようです。

「天照派」の一部を、四国に逃がして、四国八十ハ箇所に、見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。

 

徳島県美馬市にある、「神明神社」です。

正式には、「磐境神明神社」 というそうです。

ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。

「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。

 

 

神殿が、独特な形をしています。

 

{EA41E4FE-F5B5-4DE3-9F34-805819F8BAB0}

 

 

一方で、「聖徳太子」は、死後に、「天照派」を助けていたことが、「神武派」に、バレてしまい、法隆寺を焼かれたり、子孫を殺されたりしたそうです。

 

「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。

たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

 

 

さて、ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。

 

こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。

 

もしも、日本の国土に、穏やかなグループである、「天照派」だけが、住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。

 

「神武派」は、まだ、弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が、日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり、虐殺されていたかもしれません。

 

日本にも、「神武派」のような武闘派は、必要だったのです。

 

 

「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。

 

「蛇の道は蛇」

 

「毒を以て毒を制す」

 

こういう諺もありますね。

 

「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。

 

 

だから、私の中では、

 

「神武派」=「ジャイアン」

「天照派」=「のび太」

 

こういう解釈になっています。(笑)

 

 

大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。

 

その教授が言っていました。

 

「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」

 

「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。

 

 

つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん、賢く強くなって、権力を握ったいったグループだったのだと思います。

 

一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら、皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。

 

どちらも偏っていたのです。

 

 

 

英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。

つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。

「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。

お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。

 

「競争」という行為自体は、中立なのです。

それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。

 

 

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

 

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみれば、わかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。

下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

 

そこで、ある時期に、

 

「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒に、お祭りでもやらないか?」

 

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を提案したことがあったそうです。

 

 

そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。
 
そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。
 
それが、「葵祭」だったのです。
日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。
 
 
「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもわかるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。
 
つまり、
 
「向日葵」=「太陽」
 
ということです。
 
「葵祭」というのは、
 
「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」
 
こういう願いを込めた儀式だったそうです。
 
 
数年前に、京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。
 
{7A11EF30-04AB-4BED-B8A9-BDA431EE25DE}


あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。
 
「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」
 
ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。
 
 
 
後の世に、徳川家康という英雄が、「天照派」の子孫を助けるのですが、どうして、家康が、天照派の人々を助けていたのかというと、家紋に、全ての意味が隠されていたのです。
 
 
上加茂神社の神紋です。
「二葉葵」ですが、小さい葉っぱもあるので、実は、「三葉葵」ですね。
 
image
 
 
これは、ご存知、徳川家の家紋、「三葉葵」です。

 

{4E4F6E2A-CA2A-42FE-B6E1-79A757E9C110}

 

 

繰り返しますね。

 

武闘派である「神武派」、それから、穏健派である「天照派」、この両者が仲直りした記念に、最初にやった祭りが、京都の「葵祭」でした。

 

そして、調べてみると、昔、その祭りを執り行い、両者の仲をとりもったグループがいたようです。

それが、いわゆる、「加茂族」です。

その子孫が、どうやら、「徳川家康」だったようなのです。

 

ネットでの説明です。

 

徳川氏は京都・葵祭で有名な、加茂神社の氏子だから、加茂神社の神紋、葵を家紋として用いました。
賀茂神社の裏の神山には、葵が沢山生えており、この草を神殿の飾りや神の降臨(葵祭)に使用し、それを加茂神社の神紋としました。
神社の神紋は「二葉葵」で、それを徳川氏は、神社のシンボル、「巴」と掛けて「葵巴」としました。
その「葵巴」こそが、一般にいう「三葉葵」である、徳川家の家紋となりました。

 

 
 

「天照派」は、奈良県の吉野も、重要な拠点だったようです。

 

「イザナギ」が、童子の頃、吉野において、「青根ヶ峰」という山にも立ち寄ったそうです。

 

{F4F42130-647E-49BE-B5D9-6C97721609EF}

 

 

その時に、宇宙から、自分が誕生した時のことを、鮮明に思い出したのだそうです。

 

宇宙の源の世界では、「植物」と「動物」と「人間」が、完璧なバランスを保ちながら、美しく回転していたそうです。

 

それを思い出した、「イザナギ」は、その山の頂上にあった三つの石を、横に並べて、「宇宙の根源」の世界を、忘れないように、そして、後世の子孫たちも、この真理を伝えようとしたのだそうです。

 

「植物の石」-「動物の石」-「人間の石」

 

こんなかんじで、山頂に置いたそうです。

これが、後に、「三つの霊石」と呼ばれるようになったそうです。

 

それを、「丹生家十八家」が、守っていたのです。

 

「三つの霊石」を、何百万年にも渡って、守護されてきたそうです。

十八の家が、20年交代で見張っていたそうです。

 

今でも、「伊勢神宮」は、20年ごとに、「式年遷宮」をやりますが、これは、その時からの慣習を、引き継いでいるのだそうです。

 

「三つの霊石」を守るために、「丹生家」がつくった拠点が、「吉野」という村の始まりだったそうです。

 

このように、「丹生家」は、心のやさしい人々なのですが、魂の芯の部分はとても強く、絶対的に正しいと信じたことは、永遠にやり続けるという超頑固な気質も、もっているのです。

 

 

 

実は、「三つ霊石」は、現在も、ひっそりと隠されて置かれているのです。

 

吉野にある、「水分神社」の目の前、歩いてすぐの所に、名前も書かれていない、無名の神社があります。

この無名の神社の裏に、宝物が隠れていました。

 

{8AE70C65-0B63-412D-8570-6DB90E946BD5}

 

 

「人丸塚」と書かれていますが、本来は、

 

「人生塚」

 

だったそうです。

 

「人が生まれた塚」

 

という意味です。

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この根源を表現している、「三つの霊石」です。

 

{7353F508-29A1-4AB3-937D-BC66440166B3}

 

 

 

前述したように、「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。

 

おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも、肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。

 

そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で、閉塞状態になっていたと思います。

 

陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には、見張りがいたと思います。

当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。

 

「神武派」の天皇だった、「天武天皇」は、特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、

 

「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」

 

こういう法律をつくり、乞食の立場に、追いやったそうです。

それで、仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで、質素な生活を始めた人々も、多かったようです。

 

 

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫たちは、そうやって、虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けられながら、少しづつ、移動していったようです。

 

特に、奈良県の吉野から、和歌山県の熊野の奥地に逃げていたようです。

 

 

昔から、不思議だったのですが、そもそも、どうして、「熊野」というのでしょうか?

この土地に、たくさんの「熊」が生息している「野山」というわけでも、なさそうです。

 

調べると、元々は、「熊」という文字は、「畏」だったそうです。

 

「畏れ多い」 

 

という表現で使いますね。

 

つまり、「熊野」という土地は、「畏の」という意味で、

 

「畏れ多い神々の住む聖地」

 

という意味だそうです。

 

 

他にも、京都の丹後地方にある、「イザナギ」と「イザナミ」が降臨した聖地、「籠神社」の「籠る」という意味も含んでいると思います。

 

そして、「熊」は、昔から、「冬眠」するので、

 

「冬になったら、いったん引きこもって、それから、春になったら、また復活して出てくる」

 

そういう、「死と再生」の象徴の動物でもあったそうです。

 

「アマテラスオオミカミ」のシンボルが、「熊」だったということです。

 

 

 

熊野周辺には、「王子神社」というのが、たくさんあります。

 

これらは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。

それらは、総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。

 

一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。

しかし、実際、最盛期には、99ヵ所の「王子」と呼ばれる土地があったそうです。

 

 

私が、いろいろ調べた限りでは、どうやら、99番目の「浜の宮王子」という場所が、最重要だったようです。

 

「浜の宮王子社跡」です。
ここが、99番目で、おそらく、「天照派」のグループが、熊野においては、最後に辿り着いた場所だと思います。
 
{B23F8EF8-6EFC-4FC4-9A1B-F9CEBD890A77}
 
 
「天照派」のグループの神社は、「三つの扉」や「三つの窓」があることが多いです。
拝殿が、三つに分かれているのです。
 
{F2D10B8B-AD7E-4BFA-92A3-5E27916A5448}
 
 
これは、宇宙から地球に生命体がやってきたことを、表現しているそうです。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つのグループが、バランスよく、回っている状態が、地球が健康な状態だということです。
 
逆に言えば、「天照派」の人たちは、人間社会で偉くなったり、権力を握って威張ったりすることに、まったく興味がないのです。
 
「地球の自然が美しく、健全に保たれていれば、それでいい」
 
彼らは、本来、これだけを考えている、純粋で無欲な人々なのです。
 
しかし、権力志向の人々には、こういう人々がいるということが、そもそも、理解できないのです。
だから、必要以上に、弾圧したりしていたのです。
 
 
境内には、旗が、風でなびいていました。
「三つ巴」のシンボルマークを、もう一度、見てください。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つを、バランスよく回すのが、彼らの願いなのです。
 
これだけのために、地球に生まれてきた、純粋で素晴らしい人々なのです。
そのグループが、生粋の日本人であり、私たちの祖先なのです。
 
{6F22F314-083B-4763-9D66-E729C87A2E2F}
 
 
 
次回に続きます。
 
 
 
 
 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 

☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。

http://www.tomaatlas.com/library00.htm

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

天照シークレットツアー 3 黒潮ロード

$
0
0

絶対平和主義で、他人への攻撃ができないために、弾圧されたり、冷や飯を食わされていた、「天照派」の人々は、西日本で、閉塞状態になっていたようです。

 

陸地から、東日本を目指そうと思っても、要所には、関所のようなものがあり、見張り番がいたと思います。

 

そもそも、仮に、東日本に行っても、荒れた僻地だったので、行っても、そこでは、過酷な生活が待っていることは、明白だったと思います。

 

それでも、西日本に住んでいても、これから先、永遠に苦しい生活が続くのは、目に見えていました。

 

「よし! 凄い冒険になるかもしれないけど、東日本に移住して、新しい土地で、新しい時代を築いていこう!」

 

ある時、こう決意したのだと思います。

 

海から、東日本を目指そうと思っても、そんなに遠くまで行こうと思ったら、大きな船を造船しないといけなし、そんな技術もお金もなかったので、途方に暮れていたようです。

 

 

そんなとき、一人の救世主が現れます。

 

「聖徳太子」

 

この人物が、助けたのです。

聖徳太子の登場で、日本史の中で、最高にスリリングなドラマが、始まったのです。

 

救世主というのは、「天照派にとっての救世主」という意味です。

 

私は、「聖徳太子=キリスト説」を、主張していますが、まさに、日本においては、聖徳太子が出現する前と後では、西洋での「紀元前(B.C)」と「紀元後(A.D)」に分かれるくらいの時代の大変化だったのです。

 

聖徳太子というのは、この大プロジェクトを実行するために、日本に誕生したのだと思います。

 

{2762792B-9665-4B90-8FF8-1618551D8BD7}

 

 

彼らにとっては、「西日本」は、まるで、監獄にいるように、不自由な土地でした。

 

そこで、新天地の「東日本」への脱出を試みたのです。

いよいよ、ここから、「プリズンブレイク」の古代日本版が、始まったのです!

 

 

 

前回紹介した、「熊野権現神社」の神社の隣に、日本史における、最重要な寺があります。

 

「補陀落山寺」という小さなお寺です。

「世界遺産」でもある重要な場所です。

 

{122DC82C-5137-46A9-A4E4-5185A036D05E}

 

 

本堂の前で、記念撮影しました。

 

{D27E77A5-C777-440F-9F4C-1BCBD04C23D5}

 

 

「補陀洛山寺」は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで、知られているそうです。

私は、この渡海のことは、全く知りませんでした。

 

 

ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

「補陀落(ふだらく)」とはサンスクリット語の「ポータラカ(Potalaka)」の音訳で、南方の彼方にある、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である。

その山の形状は、八角形であるという。

インドの南端にあるとの説から、その土地は、スリランカだという説もあった。

 

観音信仰とともに、チベットや中国にも、「補陀落」は、想定されたようです。

チベットでは、ラサ北西に建つ、観音の化身、「ダライラマ」の宮殿を、「ポタラ(補陀落)宮」と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を、「補陀落」としたようです。

 

日本においては、南の海の果てに、「補陀落浄土」はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して、船出することを「補陀落渡海」と言ったそうです。

そして、この信仰を広げたのが、前述した、聖徳太子だったのです。


日本国内の補陀落の霊場としては、那智の他に、高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがあったそうです。

 

記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち、半数以上が、この熊野那智で行われています。

熊野は、補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったようです。

 

聖徳太子の時代から、江戸時時代まで、これは、行われていたそうです。

 

 

チベットの「ポタラ宮殿」とも関係してたのですね。

そういえば、チベットも絶対平和主義の人たちが多く、そのために、迫害されていますね。

日本の「天照派」と、同じルーツだと思います。

「ポタラ宮殿」の地下は、地底王国の「チャンバラ」があると言われていますね。

 

{B9E3A445-7387-41F9-AE39-A4288A60550D}

 

 

「補陀落山寺」の本堂の中には、当時の様子を描いた絵もありました。

 

{DC1FCE66-19CA-4252-8774-756FC364D3EF}

 

 

 

ネットで調べると、こういう説明が出てきます。

 

 

那智の浜からは、25人の観音の信者が、補陀落を目指して、船出したと伝えられています。

 

補陀洛山寺境内にある石碑に、それらの人々の名が、刻まれています。

 

平安前期の貞観十年(868)の慶龍上人から、江戸中期の亨保七年(1722)の宥照(ゆうしょう)上人まで25人。

平安時代に5人、鎌倉時代に1人、室町時代に12人(そのうち11人が戦国時代)、安土桃山時代に1人、江戸時代に6人。

補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に、行われたそうです。

 

渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で、読経などの修法を行い、続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りこんだとも伝わっています。

 

渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せて、小さな屋形船に、乗りこんだそうです。

 

 

説明は、さらに、このように続きます。

 

 

渡海僧が、船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように、扉には、外から釘が、打ちつけられたそうです。

 

渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに、沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われる。


渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかで、かすかな灯火を頼りに、ただひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願い、そして、船は沈み、入水往生を遂げたのでしょう。

 

船のしつらえや渡海の方法などは、時代により異なるのでしょうが、補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身、を南海にて観音に捧げる、捨身行だったのでした。

 

 

こう書かれています。

これが、一般的な認識です。

 

 

境内には、この石碑があり、名前も刻まれていました。

記録に残っているだけの名前です。

実際には、もっと多くの人が、この渡海をやっていたと思います。

 

{5FF8AA0C-4E2C-4F03-BF8B-45D070C58E85}

 

 

渡海僧が乗りこんだ船を、復元したものが、境内にある建物のなかに、展示されています。

 

{6D733F64-9A14-4D7E-A181-CD70563CFA02}

 

 

奇妙な形をした小さな船です。

船の上には屋形が、作られています。

その屋形の前後左右を、4つの鳥居が囲んでいます。

 

{7DC7768F-AC0E-4F5A-917D-4BA160D753C9}

 

 

人が、一人だけ入ることができる、テントのような小屋がありました。

前述したように、ここに、僧侶が一人だけ入り、外からは、釘が打たれ、中から出られないようにしていたそうです。

 

{34819C59-FA10-4C17-9FF0-ABC5B016307B}

 

 

もちろん、現在のようなスクリューなどはなく、櫂も帆もなかったそうです。

だから、一度、海に出たら、クラゲのように、ただ漂うだけだったのです。

 

{40C6312B-3202-4C9B-9BB1-47683096350D}

 

 

 

ここからが、いよいよ本番です!

 

「補陀落渡海」は、このように、昔も現在も、狂信的でカルトっぽい儀式だったと、世間一般では思われています。

 

しかし、よく考えてください。

 

こういう、「即身成仏」の行為をやる意味は、何なのでしょうか?

ましては、何のために、わざわざ、海の彼方に行って、死ぬ必要があったのでしょうか?

 

ただ死ぬだけのために、これをやっていたとしたら、ただの馬鹿だと思います。

 

 

勘の良い方は、もうわかりましたね。

 

そうです。

 

「西日本」から「東日本」への脱出が、真の目的だったのです!

 

「空と海の彼方の極楽浄土へ行くために、舟に乗って、太平洋の彼方に行き、そのまま沈没して、海の藻屑となり、即身成仏する」

 

というのは、「神武派」たちのグループの目を、ごまかすための偽りの儀式だったのです!

 

 

本当のことは、隠されていました。

 

実際には、こうだったようです。

 

途中まで、付き添いの数隻の舟が、綱を引っ張り、途中の小島から、突き放したようです。

 

「よ~し! 行ってこ~い!」

 

こう叫んだかどうかは、わかりませんが、沖の向こうまで、その小舟を流したそうです。

 

 

すると、浜辺から4キロくらいの所に、当時から、「黒潮」が流れていたのです。

この「黒潮ロード」に乗れば、それは、大きな河のような流れで、「東日本」まで運んでくれたのです。

 

ちなみに、黒潮の最大流速は、最大で4ノット(約7.4km/h)にもなり、軽くジョギングしているくらいのスピードなので、1週間以内では、確実に、「東日本」にある、どこかの浜に漂着したと思います。

 

そして、当時から、忍者のような存在たちがいて、秘密裏に、いろいろな手配をして、「東日本」の浜に漂着したら、事前に、その場所に着いていた人々が、打たれていた釘を外し、中から、その僧侶を助けたのだと思います。

 

そして、その背後で、この秘密の脱出劇を、計画して動かしていたのが、「聖徳太子」のグループだったというわけです。

 

{5B112C91-11FD-4202-BEAA-44AA4FE52FB8}

 

 

「黒潮」について、いろいろ調べると、面白いことがわかりました。

 

もともと、黒潮は、赤道のあたりから、フィリッピンのあたりの海の流れを、日本に連れてくるそうです。

ただし、いろいろな理由から、沖縄の南西諸島あたりまでは、プランクトンの量が少なく、栄養に乏しいそうです。

 

それが、東シナ海から、「屋久島」の近海を通って、太平洋に流れ込むときに、海流が、その近くにある、「琉球海溝」という深い穴に、落ち込むそうです。

 

image

 

 

その時の流れで、「急流」ができ、そこから、ジェット状になって、大きな海流の流れができるそうです。

 

image

 

それから、「屋久島」から出た海流は、なぜか、プランクトンの量も、大量に増え、栄養豊富な海流となって、日本列島の太平洋岸を、流れるのだそうです。

 

image

 

 

image

 

 

これは、私には、

 

「琉球海溝」=「龍穴」

 

「海流」=「海竜」

 

だと感じました。

 

 

つまり、大きな意味では、

 

「黒潮」=「龍神」

 

だということです。

 

日本を守護している「龍神」が、海流となって、日本列島を育んでいるのです。

 

 

左側の緑っぽい色の海が、南西諸島からの海流です。

そして、右側の黒っぽくて青い色の海流が、「黒潮」です。

 

image

 

 

「黒潮」が、日本列島の海にも陸にも、豊かな自然を与えているのです。

日本においては、この潮流は、神のような存在なのです。

 

image

 

 

image

 

 

image

 

 

 

どうですか?

とても面白い話だと思いませんか?

 

「西日本」 ⇒ 「東日本」

 

これを繋ぐメインストリートが、海だったというのは、驚きですね。

しかも、大きな船ではなく、「小舟」だったというのも、ビックリです。

 

image

 

 

私たちは、歴史においては、必ず、「民族大移動」という大人数でのイメージがありますが、それは、大陸の話です。

 

聖書には、そう書かれていますが、日本では、全く状況が違い、秘密裏に、一人づつ、長い年月をかけての移動だったようです。

 

その期間、聖徳太子の時代から、江戸時代にかけて、なんと、1000年間くらい続いていたそうです!

 

これだけの長い年月をかけて、少しづつ、「天照派」の僧侶、つまり、本当の天皇家の一族を、東日本に逃がし、そこで、おそらく、現地の女性と結婚して、子孫を、広げていくという活動を、していたのだと思います。

 

目的は、「平和」と「愛」の遺伝子を、未来の日本に残すためです。

 

 

西から東に移動したパイオニア達のルートは、研究している学者も、ほとんどいないと思います。

もしかしたら、ここまで、突っ込んで調査してまわったのは、私が初めてかもしれません。

 

まだ、名前も付いていないので、「シルクロード」のように、「黒潮ロード」と名付けようと思います。

 

image

 

 

 

余談です。

 

「アカウミガメ」という亀は、子亀の時に、親亀が生んだ卵から生まれると、真っ直ぐに海を目指します。

これは、本能的な行動みたいです。

 

image

 

 

image

 

 

それから、うまく黒潮までたどり着き、その潮流に乗ることができた亀だけが、生き残り、大人になることができるそうです。

「補陀落渡海」で、大海原に向かって流され、黒潮に乗った小舟は、まるで、黒潮を目指す子亀のように思えてきました。

 

image

 

 

 

「補陀落渡海」の痕跡は、東日本にたくさん残っています。

それは、房総半島にも多く存在しています。

 

 

「西日本」から、「小舟」が辿り着いた場所にも行ってきました。

 

ここには、

 

「玉依姫という名前の神様が、陸に上がってきた場所」

 

という伝説が残っています。

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供、その長女の名前が、「玉依姫」でしたね。

つまり、「天照派=大丹生家=天皇家」のグループが、ここから上陸したという意味なのです。

 
 

 

場所は、千葉県の「九十九里浜」です。

 

これも、もうわかりましたね。

 

「九十九人の王子のグループが辿り着いた浜」

 

こういう意味だったのです!

 

 

さらに、この「九十九里」という漢字を分解すると、

 

「九」+「十」+「九」+「十」+「口(くに)」+「土」

 

となり、意味は、

 

「三十八の国土」

 

という意味になります。

 

 

 

着く場所が、どうして、港ではなく、ただのビーチだったのでしょうか?

 

砂浜だからいいのです。

砂浜だと、大きな船は、接岸できません。

沖に錨を下ろして、小舟で来ることになります。

砂浜という地形は、小舟じゃないと、上陸できないのです。

 

大きな船が接岸できる港だったら、すぐに、追っ手に見つかってしまいます。

このプロジェクトは、秘密裏の脱出劇だったことを、忘れないでくださいね。

 

 

昔、ここで、「天照派」の僧侶が、「小舟」から、仲間によって救助されて上陸したと思ったら、大感動でした。

「浜鳥居」という名前だそうです。

 

{179C2100-AD07-493D-88AD-A13488494401}

 

 

思い出してください。

和歌山県の「補陀落山寺」の隣にあった神社にあった案内板のことを。

99番目の王子の拠点、「浜の宮王子社跡」です。
 
「浜の宮王子」⇒「浜の鳥居」
 
こう繋がるのです。

 

海水でビショビショに濡れながら、上陸したのだと思います。

 

 

「九十九里浜」に上陸した後、僧侶たちは、だいたい、このルートを歩いたようです。

 

「浜鳥居」→「神洗神社」→「神埼神社」→「玉前神社」

 

大まかな地図です。

 

{C188DFC8-F33F-4046-BB09-CC330723FEBF}

 

 

この鳥居から、車で、ちょっと走った所に、「神洗神社」があります。

そこに、「神洗池」という池があります。

真っ先に、ここで、ベトベトに張り付いた海水を洗い流したようです。

 

{1476B8AC-862E-4114-8C4F-9B6E4A37BF02}

 

 

それから、「玉崎神社」の辺りで、休憩したようです。

 

{C4E8308B-6A20-4CF9-8E85-403F32869A6F}

 

 

「玉崎神社」の「玉」は、「玉依姫のグループ」だという意味だと思います。

「三つ巴」のマークがありますね。

「天照派」の拠点だった所という証拠です。

 

{26B32490-0989-4845-9745-095D6BAA2DAD}

 

 

房総半島においては、「玉前神社」のあたりに、一旦、落ち着いたグループもいたようです。

 

{238EF5D7-3E76-452A-8BDA-4710870564BF}

 

 

拝殿です。

黒色は、珍しいと思います。

いろいろ考えたら、この色は、漆黒の闇、つまり、「宇宙」を表現していると思います。

 

{F2E92922-B870-487D-8731-65CAA88C974C}

 

 

そう思いながら、拝殿の屋根のあたりを見て、

 

「うわ~~!!」

 

と、大声で叫んでしまいました。

 

「宇宙の源」から、ツインレイである、「イザナギ」と「イザナミ」の魂が、最初は、「繭」のような形から、二つに分かれて、それから、二人の男女になる様子が描かれています。

 

{14B5EF9F-92A0-4F20-84B2-418B8308E280}

 

 

大感動でした~!

やはり、ここは、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たちの拠点だったのです。

 

 

 

「補陀落渡海」の痕跡は、関東地方には、他にも、たくさん残っています。

最終的には、和歌山県の熊野から渡海したグループは、栃木県の日光のあたりで、落ち着いたようです。

 

 

東日本においては、「天照派」が、「黒潮ロード」に乗って、小舟で漂着した場所が、

 

「千葉県」&「茨城県」&「神奈川県」&「東京都」&「静岡県」

 

主に、この5ヵ所だったようです。

 

それから、「埼玉県」を通って、北関方面の「群馬県」と「栃木県」に向かったのが、大きな流れだったようです。

 

 

京都の「丹後」から始まり、関西を経由して、和歌山県の「熊野」から、小舟で、「東日本」を目指した「天照派」のグループの主なルートを、シンプルに書くと、赤線のようなルートになります。

 

image

 

 

 

今年になってから、栃木県の宇都宮市内をまわっていたら、この神社の名前が、目に飛び込んできました。

「二荒山神社」という名前の神社です。

 

{95232513-1E87-40AC-B44B-D4007B777BED}

 

 

「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」と発音するそうです。

 

もうわかりましたね。

 

「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」=「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」

 

こうなるのです。

 

この神社は、和歌山県の「補陀洛山寺」と、完全に繋がっているのです。

 

つまり、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の「補陀洛山寺」の僧侶たちは、小舟で、「黒潮ロード」を渡って来て、関東の地へ上陸した後、栃木県宇都宮市にある、「二荒山神社」にも、辿り着いたということです。

 
 
この神社の拝殿の近くの灯篭の中に、不思議なシンボルがありました。
 
なんと、神紋が、「菊の三つ巴」です!
私は、いろいろ調べた結果、この神紋が、日本の古代史において、最重要なシンボルだと思っています。
 
{F9B70791-F4D8-4C78-99DA-76AD068B4E85}
 
 
この神紋は、「三つ巴」と「菊花紋」が、合わさっていますね。
 
「日本という国家の中枢や奥底には、天照派のグループがいますよ」
 
こういう意味だと思います。
凄いシンボルですね~~!!
 
このシンボルは、重要な鍵になるので、よくおぼえておいてくださいね。
 
 
 
それから、しばらくして、別の日に、栃木県日光市にも行きました。
 
ここにも、同じ名前の神社があります。
 
「二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)」
 
という神社です。
 
有名な「日光東照宮」の隣にある神社です。
ここにも、「三つ巴」がありました。
 
{2E4D4B81-6DBD-47AB-B7DD-495AFBFE3117}
 
 
 
ここも、和歌山県熊野のお寺と、密接に繋がっているのです。
 
だから、こうなります。
 

「熊野 補陀洛山寺」=「宇都宮 二荒山神社」=「日光 二荒山神社」

 

 

一説によると、「日光」という名前は、弘法大師空海が、この地を訪れた際に、「二荒」を、「にこう」と読み、「日光」の字を当て、この地の名前にしたとも言われています。

 

「補陀洛」→「二荒」→「日光」

 

こうなったそうです。

 

和歌山県の「補陀落山寺」、それから、栃木県の二つの「二荒山神社」が、見事に繋がりましたね。

 
 
やはり、「天照派」のグループが、終の棲家に選んだ土地が、ここだったのです。
ここで、メインのグループは、ここで居住を始めたと思います。
 
 
そして、大切なことは、「日光」という太陽の光は、古代において、いったん、ここで隠れるのですが、「日食」が、暗くなったあと、再び輝きだすように、そして、「天の岩戸開き」の天照大神が、籠ったあとに、再び顔を出すように、日本という国は、「不死鳥」というのが、シンボルマークでもあり、特性なのです。
 
「外国から、どんなに叩かれても、戦争で負けても、経済が悪くなっても、必ず復活する」
 
これが、「日本」という国の底力なのです。
 
そして、それを裏で支えているのが、裏の古代史に登場する、この旅行記の主役、「天照派」の人々なのです。
 
 
 
 
 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

トーマ

 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 

 

 

 

Viewing all 1615 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>