太古の昔における、これらの超超超巨木の謎について、少しづつ考察していきますね。
これらの切り株について、素朴な疑問です。
どうやって育ったのか?
幹や枝があったならば、その根はどうなっていたのか?
花は咲いたのか?
種は、どのくらいの大きさで、どういう形だったのか?
切り株になる前、その樹木の部分は、どこに行ったのか?
そもそも、誰が、どうやって伐ったのか?
その目的は、何だったのか?
こういうことを、わかる範囲で、一緒に、少しづつ考えていきましょう。
まず、こういう「超超超巨木」は、昔から、「世界樹」と呼ばれていて、世界中に、その神話や伝説あります。
これは、北欧神話における、「ユグドラシル」という世界の中心にあったと言われている大木です。
英語では 、「World tree」、日本語では、「世界樹」や「宇宙樹」と訳されることが多いそうです。
これは、「ミラノ万博」の時のシンボル、「生命の樹」で、高さは、37メートルあるそうです。
これも、「世界樹」ですね。
これは、「大阪万博」の時に、「太陽の塔」の内部に造られた、「生命の樹」です。
これも、「世界樹」ですね。
このように、巨木の神話や伝説は、世界中にあるのです。
数年前にも、「ジャックと豆の木」をベースにした内容の映画、「ジャックと天空の巨人」という作品もありましたね。
中国の伝説にも、「扶桑樹」という巨木の話があります。
その巨木の生えている土地を、「扶桑国」と呼び、それは、なんと、我が国、「日本」のことだったみたいです。
「ウィキペディア」によると、中国においては、「扶桑樹」とは、はるか東海上に立つ、巨木だったそうです。
そして、そこから太陽が昇るとされていたようです。
古代、中国などの人々は、不老不死の仙人が棲むという、ユートピア、「仙境=蓬莱山」にあこがれ、さらに、太陽が毎朝、若々しく再生してくるという生命の樹、「扶桑樹」に、あやかろうとしたようです。
古代の中国人は、
「蓬莱山に棲む仙人のように長生きし、扶桑樹に昇る太陽のように若返りたい」
と強く願って、蓬莱山と扶桑樹への憧憬を、つのらせていたそうです。
そして、その場所は、「東海の島」だったと言われているのです。
「日本」ですね。
お隣の中国では、日本のことを、
「巨木の国」
という表現で、認識していたのです。
日本は、まさに、
「木の国」
だったのです。
中国の古代の地理書、「山海経」には、こう書かれているそうです。
東の彼方に扶桑の木があり、
その枝は100万尋(約180万㎞)
太陽が昇る谷を鬱蒼と覆っている
湯谷の上に扶木あり
太陽がひとつ至るやひとつ出てゆく
みな烏に背負われている
何やら意味深な表現ですね。
これの解釈は、いろいろあるようですが、これは省略します。
あと、興味深い記述として、
「この巨木は、9000年に一度、実をつけて、その実を食べると、9000年生きる」
ということが書かれているそうです。
まさに、神仙の樹だったのですね。
「これだけのウルトラ級の巨木だったら、地面の下の根っこは、もっと凄かったのではないか?」
という疑問が、すぐに、わいてきたのでですが、この説を唱えている科学者の動画に、興味深い仮説が述べられていました。
「太古の時代、世界中にあった、「世界樹」の根っこの痕跡が、「洞窟」なんじゃないか?」
というのです。
これは、植物の根のイラストです。
これは、外国にあるどこかの洞窟です。
なるほど…、ですね。
ところで、これらの巨木の形は、どいう形だったんでしょうか?
おそらく、いろいろな形の巨木があったのだと思います。
現在の地球上にある、巨木だと、どの形が多かったのでしょうか?
普通に、現在の杉のような形だったかもしれません。
でも、案外、外国にある変わった形の木だったものも、あったかもしれません。
こういう形の超超超巨木に、太古の昔、恐竜たちも、これらの木に登り、枝から枝へ、歩き回っていたのかもしれません。
地上では、大きな恐竜たちも、ウルトラサイズの大木に比べたら、小さなトカゲのように見えたのかもしれませんね。
あと、有名な「バベルの塔」などは、もしかしたら、建物を建築したのではなく、「世界樹」のような巨木が、ある時、ボキンと折れて、その「切り株」を、くりぬいたリ、削ったりして、「塔」にしたとも考えられますね。
「切り株」を加工した建物に、見えませんか?
いやー!
こうやって、いろいろ想像を膨らませると、とても楽しいですね。
さて、我が国では、どうだったのでしょうか?
私の古代史を学ぶ基本姿勢として、
「全くの荒唐無稽で、バカバカしく、事実ではなかったようなことは、歴史の記録として残りにくい。逆に、何かの記録が、神話や伝承として残っていれば、その中には、必ず事実の一部が含まれている」
これを信条にしています。
ということは…
日本にも、「超超超巨木」である、「世界樹」や「扶桑樹」の神話はあるはずなのです。
しばらく考えたら、思い浮かびました。
「高天原」
です。
これについては、具体的な絵などの描写が、ほとんどないので、イメージしにくいのですが、言葉に、そのまま表現されています。
「高い天の上にある原っぱ」
と書いてあるのです。
つまり、よく、描写されている、「アマテラス」や「スサノオ」などが住んでいたという場所は、
「雲の上」
というよりは、
「雲を突き抜けるほど高い、超超超巨木の上にあった、超超超巨大な葉っぱの上」
に住んでいたのではないでしょうか?
日本の神々は、「扶桑樹」と呼ばれていた巨木の上に、原っぱのようにデカイ、超超超巨大な葉っぱの上を、歩いたり、飛び回って、生活していたと考えられませんか?
だとしたら、それまで、なんとなく、抽象的で、ボヤッ…としたようなイメージだった神々の世界が、急に具体的で、身近に感じてきますね。
こういう世界は、「超超超巨大な葉っぱの上」だったのかもしれません。
そして、ある時期に、その原っぱの上で、生活してた神々の一部が、地上に降りてきたのだと思います。
それが、「天孫降臨」です。
見てください!
宮崎県の「高千穂」の地形です。
ここも間違いなく、「超超超巨木」である、「扶桑樹」があり、その上の「高天原」に、神々が住んでいたのだと思います。
もちろん、紀伊半島の「熊野」でも、日本中のたくさんの土地で、同じような出来事があったのだと思います。
「扶桑樹」は、太古の時代、日本中に、たくさんあり、その巨木の上の全てに、神々が住んでいたのだと思います。
これに気が付いたのは、先月だったのですが、
「うわーーー!!!」
と叫んで、大感動で、一人で、ブルブル震えてしまいました。
もちろん、学問的には、「仮説」の段階ですが、その時、私の脳内では、具体的なイメージが、湧き上がってきて、その場面が、リアルに感じられたのです。
「高天原」や「天孫降臨」の神話は、高次元や異次元の話ではなく、この世界で起こっていた、現実レベルでの出来事だった可能性が、出てきたということです!
これは、もう、今までの古代史が、ひっくり返りますね~!
ワクワクしてきますね~!
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