「天照派」の人々が、「西日本」から「東日本」に小舟で、渡ってきた話を書きましたが、千葉県の九十九里浜だけでなく、他にも、いくつかの上陸地点があったようです。
例えば、茨城県の「大洗磯崎神社」も、そうだったと思います。
ここには、去年行きました。
ここの拝殿も、黒っぽいですね。
- そして、この拝殿にも、「三つ巴」のシンボルマークがありました。
- 「天照派」の拠点だった証拠ですね。
- ここの階段を下りていくと、海岸があり、そこにも、九十九里浜の「浜鳥居」のような「鳥居」があります。
- おそらく、ここからも、小舟で上陸した僧侶がいたのだと思います。
- 太平洋沿いで、海辺に鳥居があり、
- 「神様が、ここから上陸した」
- こういう伝説が残っている所は、大半が、「黒潮ロード」に関係しているのかもしれません。
そして、この近くにも、上陸した人たちが、身体を洗ったと思われる池があります。
現在の「茨城県」の辺りは、昔は、「常陸国(ひたちのくに)」と呼ばれていたようですが、これを、別の読み方をすれば、「上陸国(じょうりく国)」とも読めますね。
「神様が上陸した国」
という意味だったかもしれませんね。
あとは、神川県に、「寒川神社」という神社があります。
ここにも、先週行ってきました。
境内の扉に、大感動しました。
こんなにデッカイ「三つ巴」が、バーンとあるのは、ここだけかもしれません。
凄いですね~!
拝殿です。
ここにも、ありました。
賽銭箱に刻まれていました。
ちなみに、私の個人的な意見ですが、「寒川神社」は、大阪などにある、「サムハラ神社」と音が似ているので、両者は、関係があると思っています。
そして、「サムハラ神社」は、一説によると、地底王国の「シャンバラ」とも、関係あるとも言われています。
「シャンバラ神社」が、元々の名前かもしれません。
「シャンバラ」は、チベットの「ポタラ宮殿」の地下に、メインの入口があるとも言われています。
「絶対平和主義」の人々の国みたいです。
「天照派」と同じグループですね。
大阪の「サムハラ神社」です。
「寒川神社」の近くに、「宮山神社」という小さな神社もあります。
- 「宮」=「三(み)+「八(や)」+「子(こ)」ですね。
- 「三十八人の子供の山(領地)」だったという意味になります。
- 祭られている神様に、「雷」の文字がつく神様がいますね。
- これは、「イザナギ」と「イザナミ」の長男である、「別雷尊」のことです。
- 小さな祠がありました。
- 「三つ巴」ですね。
- ここの神社の横には、球体のオブジェがあります。
- 「玉」は、「イザナギ」と「イザナミ」の長女だった、「玉依姫」のシンボルだと思います。
- 「和光」と刻まれています。
- そういえば、「聖徳太子」の有名な言葉に、
- 「和を以て貴しとなす」
- というのがありましたね。
- 神奈川県には、他にも面白い所があります。
- 場所は、神奈川県足柄下郡湯河原町です。
- 海沿いにあります。
- 綺麗な景色です。
- おそらく、この浜辺にも、和歌山県の「補陀落山寺」から来た小舟が、漂着したと思います。
- この浜辺には、「子之神社(ねのじんじゃ)」という神社があります。
- 名前が、全てを語っていますね。
- 「子之神社(ねのじんじゃ)」は、「このじんじゃ」とも読めますね。
- ハイ!
- 京都府の丹後地方にある、「イザナギ」と「イザナミ」が生まれた場所、「籠神社(このじんじゃ)」ですね。
- 「子之神社」=「籠神社」
- ということです。
- やはり、ここも、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たち、「天照派」が、辿り着いた場所だったのですね。
- 京都の「籠神社(このじんじゃ)」です。
- 拝殿で参拝しました。
- 屋根のあたりに、「三つ巴」がありました。
- ここの拝殿の中に、お祭りで担ぐ神輿が置かれていました。
- 驚きました!
- 朱い鳥居が、四方向を囲っていますね。
- 四方から朱い鳥居が囲っている場面、どこかで、見たことないですか?
- ハイ!
- 「補陀落山寺」の小舟ですね。
- やはり、間違いなく、ここにも、小舟は辿り着いていたのです。
- この神社の隣に、お寺がありました。
- 隣同士ということは、間違いなく、同じグループだということです。
- 仲が悪ければ、離れるはずです。
- 家族くらい近い仲じゃないと、長年、隣同士では、住めません。
- 名前を見て、驚嘆しました。
- 「醍醐院」と書かれているではないですか~!
- わかりましたね。
- 「天照派」のリーダーだった天皇、「後醍醐天皇」です。
- 「吉野神宮」の祭神ですね。
- ここは、「天照派」の拠点だったのです。
- 凄いですね。
- この神社と寺の最寄りの駅は、「真鶴」という名前なのですが、やはり、京都の「舞鶴」とも関係あると思います。
- 「真鶴」=「舞鶴」
- こうなると思います。
- 帰りに、この駅の前に貼られていたポスターを見て、またまた驚きました。
- 「えーっ!」
- と思いました。
- 地元で行われる、「貴船祭」というお祭りだそうです。
- この神輿にも、「三つ巴」が刻まれていますね。
- そして、よく見ると、「子之神社」の神輿と同じように、四方を鳥居が囲っているではないですか~!
- この小さな鳥居が、全てを表現しています。
- 間違いなく、この神輿は、「補陀落山寺」の小舟を、担いでいるのです。
- 祭りでは、「東」と「西」の二つの舟が出るそうです。
- やはり、「祭り」というイベントには、とても深い意味が、隠されているのですね。
- おそらく、「天照派」のグループが、「西日本」から「東日本」に渡ってきたことを、祝福する祭りなのだと思います。
- さらに驚くのは、東京の真ん中にも、「天照派」のグループの痕跡が、たくさん残っているのです。
- ここは、JR品川駅から、一駅の大井町駅から、車で5分くらいの所にあるお寺です。
- 名前は、「海晏寺」ですが、仏教の寺院に付ける称号である「山号」は、そのものズバリ、「補陀落山」です。
- ご本尊も、「観世音菩薩」だそうです。
- ここにも、先週行きました。
- なんと、入口の案内板が白紙です。
- 何も書かれていないのです。
- 歴史の裏側に隠れていた、「天照派」のグループらしいですね。
- 表札も、ほとんど見えない文字で、書かれています。
- 近づいたら、ようやく読めました。
- 八角堂がありました。
- これも、「補陀落信仰」ですね。
- もう一度、「ウイキペディア」からです。
- 「補陀落(ふだらく、梵: Potalaka)は、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である。その山の形状は、八角形であるという。インドの南端の海岸にあるとされた。補陀落山とも称す」
- こう書かれています。
- そうなのです。
- 和歌山県の「補陀落山寺」から、「小舟」でやってきた人々にとっては、ここが、観音菩薩の降り立つとされる、八角形の山だったのです。
- 屋根は、「鬼瓦」です。
- 「鬼」=「大丹生」=「天皇家」
- でしたね。
- ここに、黒い球体が、置かれていました。
- ハイ!
- 「玉」は、「「イザナギ」と「イザナミ」の長女だった、「玉依姫」のシンボルですね。
- 全部、繋がっていますね。
- こうやって、意味がわかると、神社仏閣巡りも、最高に楽しいですね。
- ここの天井にも、とても小さなシールですが、「三つ巴」が貼られていました。
- ちょっと見えにくいかな?
- このように、「絶対平和主義」の「天照派」の子孫たちが、西日本から、「小舟」で、「東日本」に移住してきて、つくりあげたのが、「江戸」という町なのです。
- だから、「江戸時代」が、260年くらい、平和だったのです。
- さらに、最近気が付いたのですが、江戸時代に、「お伊勢参り」というのが、流行りましたね。
- 「一生に一度は伊勢詣」
- 昔は、こう言われたらしいですね。
- 実は、あれの本当の意味は、大いなる里帰りだったのです。
- 旅行記の最初の頃に書きましたね。
- 日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に、結婚式を挙げたのが、「伊雑宮」だったことを…
- 江戸時代の人々は、DNAの中に、その記憶があり、その記憶が、騒いだのかもしれません。
- 「本当のお父さんとお母さんの故郷に帰りたい!」
- この気持ちが、「お伊勢参り」だったのかもしれません。
- 伊勢から始まった、生粋の日本人である、「天照派」の人々が、熊野の那智から、小舟で、関東に流れ着いて、「江戸時代」をつくりあげ、そして、その時代に、天下泰平になった頃、故郷の伊勢に、また帰りたくなった。
- こう想像したら、またまた、じわじわと、感動の波が、湧き上がってきました。
- 関東に、「小舟」で流れ着いた、「天照派」のグループが、最初に大きな拠点にしたと思われる土地が、東京にあります。
- ここから、江戸時代が、始まったと思われる所です。
- 次回は、この土地から、スタートして、関東を北上する旅の話題です。
- お楽しみに!
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