「西日本」から、小舟に乗って、少しづつ、長期間にわたって、「東日本」の地に移住してきたパイオニアたち、彼らのグループは、「イザナギ」と「イザナミ」を始祖とする子孫たちでした。
彼らは、最初の38人の子供たちの子孫でもあるのですが、長男の名前が、「別雷尊」。
これは、生まれた時に、身体が、「丹生」という宇宙エネルギーで、輝いていて、まるで、身体に雷が落ちた時のように、発光していたから、この名前だったそうです。
現代風の表現では、「凄いオーラの持ち主」というかんじですね。
それから、長女の名前が、「玉依姫」だったようです。
この名前は、「イザナミ」の別名でもあったようですが、この子孫の女性には、よくこの名前を付けたそうです。
「玉のように美しい」という表現は、今でも、たまに使いますね。
前回書いたように、このグループは、関東地方において、いくつの地点から、上陸したそうです。
そして、ある時期に、東京のある場所で、一堂に会する機会があったと思われます。
先週、その場所にも行ってきました。
なんと、その場所は、「浅草」です!
有名な「雷門」です。
「昔は、このあたりに、よく雷がよく落ちたから、雷門というのかな?」
私は長年、そう思っていたのですが、違うのです。
ハイ!
もうわかりましたね。
38人の子供の長男だった、「別雷尊」の名前から、これは、名付けられたのだと思います。
「別雷尊のグループの拠点だった場所」
これが、「雷門」の場所なのだと思います。
「天照派」のグループの本部が、おそらく、ここにあったのだと思います。
ここの参道を歩いていて、一番驚いたのが、これです。
最初の「雷門」の次の門です。
なっ、なんと!
デ~ンと大きく、「小舟町」と書かれているではないですか~!!!
人目もはばからず、
「うわーー!!」
と大声を上げてしました!
今までに、これの意味に気が付いた人が、どれくらいいたんだろう?
ジャ~~ン!!
実は、日本国内において、隠している秘密などないのです。
歴史の秘密は、どうどうと、目の前に提示しているのです。
問題は、
「それの意味を、正しく解釈できるかどうか?」
だったのです。
見てください!
「小舟に乗って、関東にやって来た人々が住んでいた町」
こう言っているのです。
この提灯の真下に、金色の紋章のようなものが、ありました。
これを見た時、またまた、大感動でした~!
三番目の本堂です。
ここが、「補陀落信仰」の最終地、「観音菩薩」のいる聖地だったのです。
「観音」というのは、もしかしたら、
「もともと、76あった完全な音を、全部観ること(感じ取ること)ができる存在」
という意味かもしれませんね。
つまり、完全な存在である、「神」ということです。
「小舟町」の門、それから、本堂の間に、小さな摂社のようなものがありました。
またまた、驚嘆しました。
なんと、「久米」と書かれているではありませんか!
この旅行記の最初の頃に書いたように、私の母方の先祖は、中国から琉球にやってきた、技術者集団、「久米三十六姓」という一族だったのですが、このグループも、中国における、「天照派」が、当時の琉球に、パイオニアとして、舟に乗って移住してきたと思われます。
ということは…
この「久米三十六姓」は、当時の江戸にも来ていたのだと思います。
目的は、日本の「天照派」をサポートするために、「黒潮ロード」に乗ってきたのかもしれません。
こう思ったら、またまた感動して、涙が出てきました。
今回の旅は、私の先祖からのサポートもあったのです。
祠には、「鳳凰」が刻まれています。
「久米三十六姓」も、絶対平和主義だったみたいです。
仏像です。
「平和地蔵尊」と書かれています。
裏から見たら、「前方後円墳」の形になっています。
日本における、「王」のシンボルですね。
東京都内を旅したついでに、2回目ですが、四谷にある「須賀神社」にも、立ち寄りました。
ここの階段は、有名ですね。
アニメ、「君の名は。」のラストのシーンで、舞台になった所です。
繰り返しますね。
「滝」=「イザナギ」
「三葉」=「イザナミ」
日本人の始祖が、モデルだと思います。
そして、私は、個人的に、このアニメの話は、パラレルワールドの世界で、実際に起こっている出来事だと思っています。
「滝君」も「三葉」も、別の世界に、現実にいるのだと思います。
あの作品を観て、魂の奥底から、何かが湧き上がってくるのを感じる人たちは、心の奥に、この二人の記憶があるのかもしれません。
実は、東京都内には、他にも、「別雷尊」を祭っている神社があります。
ここも、東京都内で、しかも、ど真ん中です。
新宿の歌舞伎町にある、「花園神社」です。
ここの拝殿にも、「雷電神社」というのが入っていたのです。
左側に、「雷電神社」と書かれている文字が見えますね。
「三つ巴」もあります。
なんと、「新宿」にも、「天照派」のグループの拠点があったのですね。
実は、「埼玉県」も、面白い土地です。
去年、「さきたま古墳群」に行った時の写真です。
古墳群の中心には、神社もありました。
「前玉(さきたま)神社」です。
「前玉」は、「埼玉」の地名の語源だと、伝えられているようです。
千葉県の「玉前神社」と同じ漢字で、順番を入れ替えているだけですね。
「埼玉」という県名の発祥の地は、ここだったそうです。
ご存知のように、日本の古くからの思想の中に、「一霊四魂(いちれいしこん)」という考え方があります。
これは、
「心は、天と繋がる一霊(直霊)と4つの魂から成り立つ」
という意味みたいです。
「一霊四魂」の一般的な解釈では、神や人には、
「荒魂(あらみたま)」=「勇」=活動
「和魂(にぎみたま)」=「親」=調和
「幸魂(さきみたま)」=「愛」=幸福
「奇魂(くしみたま)」=「智」=霊感
こういう四つの魂があり、それら四魂を、「直霊(なおひ)」という一つの霊が、コントロールしているというものです。
「前玉」という文字を、さらに古く遡ると、元々は、「幸御魂(さきみたま)」という言葉だったそうです。
上記の中の3番目、「幸魂(さきみたま)」ですね。
「幸御魂(さきみたま)」→「幸魂(さきみたま)」→「前玉(さきたま)」→「埼玉(さきたま)」→「埼玉(さいたま)」
こういう流れだというのです。
つまり、「埼玉」の元々の意味は、
「人に幸運をもたらす神の働き」
を意味する、「幸魂(さきたま)」から変化してつけられたというのです。
「魂を幸せにする土地」
これが、「埼玉」という土地みたいです。
そして、今回の旅で気が付いたのは、この「玉」には、「玉依姫」の意味も含まれているということです。
「埼玉」という土地も、「天照派」の拠点だったのです。
そういえば、「埼玉」という名前も、逆さに読むと、千葉県の九十九里浜の近くにある、「玉崎神社」の名前に似ていますね。
関東においては、「天照派」が、「黒潮ロード」に乗って、小舟で漂着した場所が、
「千葉県」&「茨城県」&「神奈川県」&「東京都」
主に、この4ヵ所だったようです。
それから、「埼玉県」を通って、「群馬県」と「栃木県」に向かったのが、大きな流れだったようです。
京都の「丹後」から始まり、関西を経由して、和歌山県の「熊野」から、小舟で、「東日本」を目指した「天照派」のグループの主なルートを、シンプルに書くと、赤線のようなルートになります。
「群馬県」も面白い土地です。
ここは、昔、「上野国(かみつけのくに)」とも呼ばれていたそうですね。
「鬼の手形」がありました。
「大丹生家」のシンボルですね。
入口近くには、一番大切な神様が、祭られていました。
この二体の石像です。
ハイ!
「イザナギ」と「イザナミ」ですね。
記念撮影しました。
拝殿の前で、記念撮影しました。
「三つ巴」がありますね。
それから、参拝しようと思って、鈴を鳴らしたら、拝殿の中に、たくさんの子供たちがいて、一斉に、私の方を見たので、驚きました。
一クラス分くらいの人数でした。
ちょうど、この日は、「節分の日」だったので、どこかの近くの学校のクラスが、課外授業で、来ていたのかもしれません。
これを見た時に、
「もしかして、この子供たち、38人いるんじゃないかな?」
と思いました。(笑)
子供たちです。
奥宮です。
祭られているのは、「イザナミ」ですね。
「大雷神」と書かれています。
「星(☆・大)からやってきた雷の神様」
こういう意味ですね。
境内には、「雷童子」という名前の石像もあります。
「別雷尊」ですね。
記念撮影しました。
この後、私は、「天照派」が、「東日本」において、最終的に落ち着いたと思われる土地に向かいました。
今回の長い旅の終焉地でもありました。
そこは、「栃木県」にありました。
次回、「古代日本パイオニアツアー」、感動のフィナーレです。
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