Quantcast
Channel: 精神世界の鉄人のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1615

古代日本ピースツアー 2 天照派

$
0
0

「イザナギ」と「イザナミ」の二人が、まだ地上に住んでいた頃、神に呼ばれて、38人の子供たちを連れて、「霊仙山」に行ったそうです。

この山は、滋賀県犬上郡多賀町と米原市にまたがる山です。

 

 

その山頂では、38人が、全員で輪になり、「イザナギ」と「イザナミ」は、それぞれの子供たちに、順序よく1人ひとりに、天に向かって、大きな声で、違う発声をさせたそうです。

 

すると、天からは、一言ずつ違った霊言が、返ってきたそうです。

38人の子供たちの声、それに合わせた、それぞれに違う霊言、合計76の言霊が、この時に生まれたそうです。

 

 

本来は、この76の言霊があれば、人間は、争ったり、喧嘩したりしないのだそうです。

それが、いつの間にか、50音の音に削られて、それから、さらに、現在では、世界中の国で、26音のアルファベットが使われるように、なってしまったそうです。

 

音や文字が少なくなるほど、人間は、表現の幅が狭くなり、自分の意思や気持ちが、うまく伝わらなくなるのです。

そして、その伝えられない部分を補おうとして、暴力をふるったり、怒鳴ったりして、喧嘩になるのです。

 

「76の言霊」が、元々の神言葉だったということです。

「76」という数字は、「仏教」においても特別な数字で、一説によると、「七六(なむ)」という言葉でも、表現されるそうです。

 

「南無(なむ)」の意味には、これも含まれるそうです。

 

「南無阿弥陀仏」

「南無妙法蓮華経」

 

こういう言葉を、聞いたことがあると思います。

古代の言葉の意味は、こうやって、さりげなく、いろいろな所に隠されているのですね。

 

「南無」という文字も、これから先の旅行記の中で、重要なキーワードになるので、覚えておいてください。

 

 

38人の子供たちは、それそれ、男子が19人、女子が19人で、それぞれ、カップルになり、結婚して世帯をもったそうです。

19組のカップルができたそうなのです。

 

その中でも、最初の長男と長女のカップルは、別格の扱いになったそうです。

この夫婦は、「大丹生・皇(おにゅうけ・すめら)」という名前が付けられ、後に、この子孫が、「天皇家」の家系になったそうです。

 

長男の名前が、「別雷尊(わけいかずちのみこと)」という名前だったそうです。

 

とても元気な身体で、拳を振り上げて、生まれたそうです。

そして、宇宙の源のエネルギーである、「丹生」の波動で、身体が輝いていたそうです。

それが、まるで、雷でも落ちて、発光していたように、見えたのかもしれません。

現代風の表現では、「凄いオーラをまとった身体」だったのだと思います。

 

だから、「雷から別れて、この世に誕生した赤ちゃん」という意味で、この名前をつけたのかもしれません。

 

神社の鳥居のしめ縄に、よく、白い紙が、下げられていますね。

これは、「カミナリ」の意味だそうです。

 

この長男、「別雷尊(わけいかずちのみこと)」の意味も、含んでると思います。

旅行記では、「雷」も、重要なキーワードになるので、覚えておいてくださいね。

 

image

 

 

長女の名前は、「玉依姫(たまよりひめ)」と名付けられてそうです。

「玉のように美しい」という表現がありますが、ここからきていると思います。

この一族の中では、美しい女性の美称として、この表現を使っていたそうです。

 

「玉」という単語も、これから、重要なキーワードになります。

 

 

 

他の18組の夫婦は、「丹生家(にゅうけ)」となり、「天皇家」を補佐するグループになったそうです。

 

まとめると、「38人の子供」の中で、長男と長女の2人は、「天皇家」になり、残りの36人は、「補佐の役割」になったということです。

 

 

考えてみれば、日本の学校の義務教育において、一学級のクラスの人数は、だいたい40人前後が多いですね。

現在は、わかりませんが、私の学生時代は、そうでした。

 

この数字の根拠は、

 

「日本人の始祖である、イザナギとイザナミの神々でも、38人までしか、目が届かなかった」

 

ということなんじゃないかな?

 

 

これが、「日本人の原点」だと思います。

幅広い表現のできる、76の言霊を発し、決して争ったり喧嘩したりしないで、個性豊かで、平和な一族だったのです。

 

 

この最初の日本人の数を表現している、「三十八」という数字は、実は、とても特別な数字であり、日本の古代史の中で、様々な形で、暗号として隠されて、伝えられてきたようです。

 

 

たとえば、後世になって、人がたくさん集まる場所は、「都」と呼ばれるようになるのですが、この名前には、

 

「三(み)」+「八(や)」+「子(こ)」=「都(みやこ)」

 

という意味が隠されてたそうです。

 

「38人の子供が、最初に住んでいた土地」

 

というのが、「都」の隠された意味だったのです。

 

 

「京都」は、もちろんのこと、「東京都」、「宮城」、「三ノ宮」、「都城」、「宮古島」など、「みやこ」の文字が入る地名は、全部、この38人の子供に関係ある土地なのかもしれません。

 

そういえば、女性の「子宮」も、「子」と「みや」ですから、「38人の子供」という意味ですね。

 

 

 

この後、この38人の子供たちと子孫は、滋賀県の多賀大社の辺り、「栗栖」の里から、三重県いなべ市の「麻生田」に引っ越して、三代に渡り、ここに滞在したそうです。

 

「神様の大御心を、一日でも早く頂戴したい」

 

という願いを込めて、「意思呉(いしくれ)」という名前を、「麻生田」の近くの土地に、付けたそうです。

それが、現在の「石榑(いしくれ)」という土地名だそうです。

 

このようにして、「いなべ市大安町石榑」という土地が、日本初の「都」になったそうです。

 

 

 

38人の子供たちの痕跡は、日本中に、いくつか残っています。

たとえば、日本の大半の神社には、「杉」の木が生えていますね。

 

{0196D985-3EC1-4FEF-B5CA-046144347E73}

 

 

「杉」という文字を、分解してみてみました。

 

「三」+「十」+「八」

 

そうです!

 

「三十八」

 

だったのです。

 

さりげない暗号として、神社には、「三十八」の数字が、刻み込まれているのです。

 

「神社という場所は、38人の子供の土地だった所」

 

こう言っているのです。

 

 

他にも、福井県福井市には、「三十八社町」という町があります。

この町も、ある時期において、「38人の子供」が拠点にしていた所です。

つまり、太古の時代における、「日本の都」の一つだということです。

 

{F62E9B7E-75F0-424F-BFE8-3ACC33A6EF7B}

 

 

奈良県の吉野の近くにも、「三十八」の名前の摂社もあります。

「高天彦神社」という神社の境内にあります。

この小さな摂社の中に、「三十八」の文字があります。

 

{86280000-51F5-4D25-9F38-5B4C63F5E964}

 

 

滋賀県の「石山寺」の境内にも、「三十八社」の文字の書かれた鳥居があります。

 

{1DDAF5CF-8EDD-44AA-90C9-4CB7DC8C460A}

 

 

 

「38人の子供」の話の続きです。

この子孫が、日本の古代史において、とても重要な流れなのです。

 

38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。

その後の話は、とても複雑なので、全部は書けません。

いろいろな出来事があったようですが、ここでは、思いっきり単純化して書きますね。

 

 

この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「大丹生・皇」になり、「天皇家」になった話をしましたが、ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。

 

この頃から、「天皇」という称号が生まれたそうです。

 

念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で、意味も違うそうです。

「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。

 

しかし、私が、いろいろ調べたところでは、まったく関係ないわけでもなく、こういう名前が似ている人物やグループなどは、同じ魂の仲間だと思っています。

 

 

このグループは、ある期間、現在の三重県いなべ市のあたりを、拠点にしていたようです。

去年、いなべ市も、友人とドライブしました。

現在は、静かな風景が広がっていますが、ある時期は、ここにも、「邪馬台国」の首都があったそうです。

 

image

 

 

 

さて、「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。

 

その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。

 

きっかけは、大和地方に、「神武天皇」がやってきたのが、始まりだったようです。

この天皇のグループは、権力志向だったようです。

何度か書いているように、「神武天皇」は、シュメール文明の神様の中では、「アヌ王」の生まれ変わりだと、私は思っています。

 

 

ここでは、「38人の子供」の子孫を、仮に、「天照派」と呼ぶことにします。

このグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「自由」や「知恵」、それから、「愛」のグループだったと思います。

 

そして、後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、「アヌ王」で、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。

さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。

権力によって、人々を、平等に統治するという考え方ですね。

 

これらの推測は、私個人の感覚的なもので、科学的な根拠があるわけではありありません。

 

 

わかりやすくまとめます。

 

〇「天照派」=「イザナギ」と「イザナミ」

「自由」、「知恵」、「愛」のグループ

 

〇「神武派」=「神武天皇」

「平等」、「力」のグループ

 

私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。

 

国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。

 

 

この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、

 

〇「天照派」=「理想主義」

〇「神武派」=「現実主義」

 

こうなると思います。

 

現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。

 

具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。

 

これも、いろいろな見方ができるので、

 

「どの意見が正しいか?」

 

というのは、とても難しい問題なのです。

 

 

 

私が面白いと思ったのは、前述したように、「天照派」の人々は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないと思いますが、やはり、性格が似ているのです。

 

つまり、このグループは、

 

「絶対に戦わない」

 

という共通の姿勢があるのです。

 

 

古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。

 

ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。

要するに、「引きこもった」ということです。

 

本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。

 

たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。

 

「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」

 

こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。

 

おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。

生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。(笑)

 

 

それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。

怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。

 

 

この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。

 

現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。

そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。

 

私は、完全に、「天照派」ですね。

あなたは、どのタイプですか?(笑)

 

 

 

「天照派」の話を続けます。

 

ツインレイとして、丹後半島に生まれ、38名の子供を産んで育てた二人は、「初代」の「イザナギ&イザナミ」です。

それから、1500代も、この系統は、続いたそうです。

 

そして、最後である、1500代目の「イザナギ&イザナミ」の子供が、「天照派」の初代になる、「天照天皇(アマテルカミ尊)」という男性だったそうです。

 

繰り返しますが、「古事記」の話とは、別の話です。

 

 

 
それにしても、「神武派」の弾圧は、いろいろな理由から、徹底的に酷くやったようで、「天照派」のグループは、ある時期は、生きていくのに最低限必要な、土地や仕事も奪われて、「ホームレス」のような身分になってしまったそうです。
 
部落差別の問題も、このあたりの歴史も関係しているそうです。
 
 
去年の12月には、「酒見神社」にも行きました。
場所は、愛知県一宮市です。
 
{CD29B6E9-59ED-4300-84B8-480F7029DDC5}
 
 
「酒見神社」という名前は、もともとは、
 
「逆身神社」
 
という名前だったそうです。
 
この意味は、
 
「天皇が逆さの身分である流人となった」
 
この酷くて残酷な歴史を忘れないようにするまえに、建造されたそうです。
とても奥深い古代史が隠されている場所みたいです。
 
 
 

もう少し、「天皇家」の始祖である、「天照派」のグループの話を書きますね。

 

古事記の「天照大神」に代表されるように、生粋の日本人というのは、本来、争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。

 

とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。

 

何かに腹を立てて、怒っても、相手に仕返ししたり、怒鳴ったりせずに、静かに、その場を立ち去ったり、無言になったり、無視するという態度をとります。

本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で、抗議するのです。

 

{0F7FEC63-B4A3-41A4-BF5E-41012CA667B9}

 

 

何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を、殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。

 

現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。

社会に対して、無言の抗議をしているのです。

 

 

ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。

 

「どうして、学校に来なくなったんだろう?」

 

「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」

 

「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」

 

こう思っていると思います。

 

 

これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。

口に出して、反論したり、抗議したりしないのです。

 

「静かな怒り」

 

なのです。

 

 

これは、政府に対してもそうです。

 

あまりにも酷い政治をしても、生粋の日本人の多くは、大規模なデモなどの行動はしません。

 

ただ単に、

 

「投票に行かない」

 

という無言の抗議行動をします。

 

 

 

引きこもってしましまった人々が、世の中に出てくるようにするには、怒ってもダメだし、なだめたり、おだててもダメです。

 

「天照大神」を、天岩戸から出そうと思ったら、皆で、裸踊りをするくらいの宴会を、やらなくてはいけないのです。

 

つまり、

 

「ワクワクすること」

 

これが、世の中に、たくさん出てきた時に、引きこもっている人たちも、隙間から、外の世界を覗きこみ、岩戸から出たくなるのです。

 

「世の中は面白い! ワクワクすることで溢れている!」

 

私の旅行記は、一貫して、そう主張しているのです。

だから、天岩戸の中に、引きこもっているような人たちに、特に読んでいただきたいのです。

 

 

 

「神武派」に代表される、「武闘派」、それから、「天照派」に代表される、「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが、存在していたようです。

 

 

「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。

文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

 

このグループは、前述したように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派」を、弾圧していたようです。

 

 

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。

 
 
一つ目は、「賀毛神社」です。
 
{1C170079-DBC3-4A01-9494-8C3F39A9A06B}
 
 
ここは、現在、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。
 
「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」
 
ということです。
 
 
仮の宮という所がありました。
壁から下がっているのは、おそらく、「コンパス」と「定規」の意味だと思います。
 
{2A3FD941-1498-4CA9-84E9-09385056D27A}
 
 
拝殿です。
 
{7DFDCC95-AF44-4BF5-B321-7D3084907923}
 
 
 

二つ目は、ここです。

ここから、すぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。

 

{E6B97ED5-97C2-43F9-9162-8E99369CC24A}

 

 

ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

 

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

 

だそうです。

 

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の長男と長女の名前、「別雷尊」と「玉依姫」の名前がありますね。

 

{143BC1D3-B99E-4603-ADDE-800322B249D9}

 

 

拝殿で参拝しました。

 

{A47734A0-C585-4EBC-8180-CB428BAB652E}

 

 

余談です。

去年、奈良県の吉野に行った時に、「吉野神宮」に行ったら、「後醍醐天皇」が、祭神として祭られていました。

 

image

 

 

あとで、調べてみると、最終的には、

 

「奈良」=「天照派」=「南朝」

 

「京都」=「神武派」=「北朝」

 

こうなったそうです。

 

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

 

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということが、わかって、納得しました。

 

 

 

歴史に登場する、「聖徳太子」や「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。

 

「空海」は、うまく助けていたようです。

「天照派」の一部を、四国に逃がして、四国八十ハ箇所に、見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。

 

徳島県美馬市にある、「神明神社」です。

正式には、「磐境神明神社」 というそうです。

ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。

「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。

 

「忌部(いんべ)」という一族も、これから先の旅行記で、大切なキーワードになってくるので、おぼえておいてくださいね。

 

 

神殿が、独特な形をしています。

 

{EA41E4FE-F5B5-4DE3-9F34-805819F8BAB0}

 

 

一方で、「聖徳太子」は、死後に、「天照派」を助けていたことが、「神武派」に、バレてしまい、法隆寺を焼かれたり、子孫を殺されたりしたそうです。

 

 

「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。

たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

 

 

さて、ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。

 

 

こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。

 

もしも、日本の国土に、穏やかなグループである、「天照派」だけが、住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。

 

「神武派」は、まだ、弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が、日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり、虐殺されていたかもしれません。

 

日本にも、「神武派」のような武闘派は、必要だったのです。

 

 

「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。

 

「蛇の道は蛇」

 

「毒を以て毒を制す」

 

こういう諺もありますね。

 

「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。

 

 

だから、私の中では、

 

「神武派」=「ジャイアン」

「天照派」=「のび太」

 

こういう解釈になっています。(笑)

 

 

 

大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。

 

その教授が言っていました。

 

「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」

 

「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。

 

 

つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん、賢く強くなって、権力を握ったいったグループだったのだと思います。

 

一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら、皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。

 

どちらも偏っていたのです。

 

 

 

英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。

つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。

「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。

お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。

 

「競争」という行為自体は、中立なのです。

それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。

 

 

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

 

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみれば、わかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。

下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

 

そこで、ある時期に、

 

「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒に、お祭りでもやらないか?」

 

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。

 

 

そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

 
それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。
 
 
そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。
 
そうです。
 
それが、「葵祭」だったのです。
 
日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。
 
 
「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもあわるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。
 
つまり、
 
「向日葵」=「太陽」
 
ということです。
 
「葵祭」というのは、
 
「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」
 
こういう願いを込めた儀式だったそうです。
 
 
 
数年前に、京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「盛砂」とも言うそうです。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。
 
{7A11EF30-04AB-4BED-B8A9-BDA431EE25DE}


あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。
 
「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」
 
ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。
 
 
 
次回に続きます。
 
 
 
 

 

☆精神世界のランキングです。

1日1回、ポチッと、応援クリックお願いしますね。↓

 

 


人気ブログランキング

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

 
 
 

☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。 

http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas


☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。

http://www.tomaatlas.com/soul.htm

 
 

 

トーマ

 
 
toma_atlas@yahoo.co.jp
 

 

 


♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
 

 

 

☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。

http://www.tomaatlas.com/library00.htm

 


☆私のメインサントです。 ↓

http://www.tomaatlas.com/

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1615

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>