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古代日本ピースツアー 7 日光

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都内にある、「王子神社」にも、立ち寄りました。

 

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文字通り、「王子たちの神社」ですね。

おそらく、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫である、99人の王子のグループが、関東で拠点をつくった場所だと思います。

 

拝殿です。

 

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「三つ巴」ですね。

 

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「土俵」の跡のようなものもありました。

 

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摂社に祀られている神様は、おそらく、本当の正体は、

 

「神の中の始祖であり、天地開闢の神、イザナギとイザナミ」

 

というのが、真実だと思います。

 

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埼玉県日高市の「高麗川神社」にも、行って来ました。

 

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拝殿です。

 

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境内には、大きな御神木がありました。

 

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その御神木の根元には、小さな祠が、置かれていました。

 

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「丹生宮」と書かれていますね。

この土地も、「天照派」の拠点だったみたいですね。

 

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近くには、「野々宮神社」もありました。

 

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屋根には、「三つ巴」がありました。

 

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「三つの石」が、御神体みたいですね。

 

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「土俵」もありました。

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さららに、その近くには、「熊野神社」もありました。

 

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中を覗くと、「三つの扉」のある祠がありました。

 

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屋根には、「三つ巴」もありました。

 

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境内には、こういう祠もありました。

名前も書かれていませんが、この半分、扉が開いている祠は、「天の岩戸開き」の意味だと思います。

 

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関東においては、「天照派」が、「黒潮ロード」に乗って、小舟で漂着した場所が、

 

「千葉県」&「茨城県」&「神奈川県」&「東京都」

 

主に、この4ヵ所だったようです。

 

それから、「埼玉県」を通って、北関方面の「群馬県」と「栃木県」に向かったのが、大きな流れだったようです。

 

 

京都の「丹後」から始まり、関西を経由して、和歌山県の「熊野」から、小舟で、「東日本」を目指した「天照派」のグループの主なルートを、シンプルに書くと、赤線のようなルートになります。

 

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さらに、特筆すべきことがあります。

 

 

私は、「補陀落渡海」を調べていて、

 

「九十九里浜のあたりから、日光まで歩いて移動した時は、大変な道のりだったに違いない」

 

と思っていたのですが、実際には、小舟で、流れに逆らいながらも、上流へと向かうことができたようです。

もしかしたら、追い風の時には、とても楽に行けたかもしれません。

 

 

現在の千葉県銚子市のあたりから、栃木県日光市まで、古代においては、「香取浦」という大きな湾と無数の川があり、なんと、太平洋から、「日光」のあたりまでは、「鬼怒川」を使って、舟で一気に行くことができたようです。

 

1000年前の想像図だそうです。

 

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なるほど…、ですね。

 

「補陀落渡海」の僧たちが、後に、「補陀落寺」や「雷神神社」や「熊野神社」などを建てた場所は、この川沿いが多いですね。

こうやって、地形で推測すると、かなり正確な歴史が、把握できますね。

 

そして、「補陀落渡海」のグループは、いったん、栃木県の辺りで落ち着き、定住したようです。

その中の一部は、さらに、北上して、現在の「東北地方」に向かったようですね。

 

 

 

 

先月、宇都宮市にも、「補陀落渡海」の痕跡を探しに行きました。

 

 

「雷電神社」という名前の神社は、群馬県に一番多いようですが、栃木県にも、いくつかあります。

 

気が付いたのですが、「宇都宮」という地名を分解すると、「宇」+「都」+「宮」なので、

 

「宇宙から来た、三十八の子供の中の三十八」

 

という意味になりますね。

 

「男の中の男」というニュアンスかな?

 

「宇宙から来た、正真正銘の三十八人の子供の子孫が住んでいる土地」

 

こういう意味かもしれませんね。

 

 

栃木県宇都宮市平出町にある、「平出雷電神社」にも行ってきました。

 

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拝殿で参拝しました。

 

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宇都宮市内には、他にも、「雷電神社」がありました。

場所は、細谷町です。

 

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小さな神社ですが、境内には、とても良い氣が充満していました。

 

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この文字を見ただけで、感動しました。

 

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宇都宮市内をまわっていたら、この神社の名前が、目に飛び込んできました。

 

「二荒山神社」

 

ビックリしました。

 

以前に、ネットで調べた時に、名前だけは知っていたのですが、まさか、その神社が、ここにあるとは思っていなかったのです。

 

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「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」と発音するそうです。

 

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もうわかりましたね。

 

「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」=「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」

 

こうなるのです。

 

この神社は、和歌山県の「補陀洛山寺」と、完全に繋がっているのです。

 

つまり、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の「補陀洛山寺」の僧侶たちは、小舟で、「黒潮ロード」を渡って来て、関東の地へ上陸した後、栃木県宇都宮市にある、「二荒山神社」にも、辿り着いたということです。

 
 
記念撮影です。
 
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拝殿で参拝しました。
 
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灯篭の中に、不思議なシンボルがありました。
 
なんと、神紋が、「菊の三つ巴」です!
私は、いろいろ調べた結果、この神紋が、日本の古代史において、最重要なシンボルだと思っています。
 
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この神紋は、「三つ巴」と「菊花紋」が、合わさっていますね。
 
「日本という国家の中枢や奥底には、天照派のグループがいますよ」
 
こういう意味だと思います。
 
凄いシンボルですね~~!!
 
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神馬にも、「三つ巴」がありました。
 
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それから、しばらくして、別の日に、栃木県日光市にも行きました。
 
ここにも、同じ名前の神社があります。
 
「二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)」
 
という神社です。
 
有名な「日光東照宮」の隣にある神社です。
 
 
ここにも、「三つ巴」がありました。
 
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記念撮影しました。
 
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ここも、和歌山県熊野のお寺と、密接に繋がっているのです。
 
だから、こうなります。
 

「熊野 補陀洛山寺」=「宇都宮 二荒山神社」=「日光 二荒山神社」

 

 

一説によると、「日光」という名前は、弘法大師空海が、この地を訪れた際に、「二荒」を、「にこう」と読み、「日光」の字を当て、この地の名前にしたとも言われています。

 

「補陀洛」→「二荒」→「日光」

 

こうなったそうです。

 

和歌山県の「補陀落山寺」、それから、栃木県の二つの「二荒山神社」が、見事に繋がりましたね。

 
 
やはり、「天照派」のグループが、終の棲家に選んだ土地が、ここだったのです。
ここで、メインのグループは、ここで、居住を始めたと思います。
「日光」の土地で、日本の歴史は、いったん落ち着いたのだと思います。
 
 
 
そして、大切なことは、「日光」という太陽の光は、古代において、いったん、ここで隠れるのですが、「日食」が、暗くなったあと、再び輝きだすように、そして、「天の岩戸開き」の天照大神が、籠ったあとに、再び顔を出すように、日本という国は、「不死鳥」というのが、シンボルマークでもあり、特性なのです。
 
「外国から、どんなに叩かれても、戦争で負けても、経済が悪くなっても、必ず復活する」
 
これが、「日本」という国の底力なのです。
 
そして、それを裏で支えているのが、裏の古代史に登場する、この旅行記の主役、「天照派」の人々なのです。
 
今年から、また、「丹の光」を放つ日本」が、再び浮上してくると思います。
楽しみですね。
 
 
 
拝殿で参拝しました。
 
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やはり、扉が三つありますね。
 
「植物」-「動物」-「人間」
 
この三つの神殿ですね。
 
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どうですか?
 
壮大なスケールの脱獄劇だったのですね~!
 
この旅行記のメインテーマである、「ピース」には、「平和」という意味がありますが、他にも、ジグソーパズルの「ピース」の意味も含んでいます。
 
今まで謎だった、日本の歴史の欠けていた穴に、パズルのピースが、パチン、パチンと音をたてながら、適切に、そして、綺麗にハマっていくのを、感じると思います。
 
 
 
「補陀落渡海」の痕跡は、関東地方の西側、神奈川県にも残っていました。
 
次回、「古代日本ピースツアー」、フィナーレです。
 
 
 
 
 

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トーマ

 
 
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