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古代日本ピースツアー 8 鎌倉

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「補陀落渡海」の痕跡は、関東地方の西側、「神奈川県」にも、いつくか残っていました。

 

 

「神奈川」という県名も、意味深です。

 

文字を分解すると、

 

「大(☆)」+「三(川)」+「神」+「示」

 

となります。

 

「宇宙からやってた三つの神が、示した場所」

 

こういう解釈もできますね。

 

「三つの神」とは、

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この「三つ巴」かもしれません。

 

 

 

 

神奈川県には、裏の古代史を語る上で、いくつか面白い所があります。
まず、一つ目の場所は、神奈川県足柄下郡湯河原町です。
 
海沿いにあります。
おそらく、この浜辺にも、和歌山県の「補陀落山寺」から来た小舟が、漂着したと思います。
 
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この浜辺には、「子之神社(ねのじんじゃ)」という神社があります。
名前が、全てを語っていますね。
「子之神社(ねのじんじゃ)」は、「このじんじゃ」とも読めますね。
 
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京都府の丹後地方にある、「イザナギ」と「イザナミ」が生まれた場所、「籠神社(このじんじゃ)」ですね。
 
「子之神社」=「籠神社」
 
ということです。
 
やはり、ここも、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たち、「天照派」が、辿り着いた場所だったのですね。
 
京都の「籠神社(このじんじゃ)」です。
 
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拝殿で参拝しました。
 
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屋根のあたりに、「三つ巴」がありました。
 
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ここの拝殿の中に、お祭りで担ぐ神輿が置かれていました。
 
驚きました!
朱い鳥居が、四方向を囲っていますね。
 
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四方から朱い鳥居が囲っている場面、どこかで、見たことないですか?
 
ハイ!
 
「補陀落山寺」の小舟ですね。
 
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やはり、間違いなく、ここにも、小舟は辿り着いていたのです。
 
 
 
この神社の隣に、お寺がありました。
 
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前回書いたように、隣同士ということは、間違いなく、同じグループだということです。
仲が悪ければ、離れるはずです。
家族くらい近い仲じゃないと、長年、隣同士では住めません。
 
名前を見て、驚嘆しました。
「醍醐院」と書かれているではないですか~!
 
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わかりましたね。
 
「天照派」のリーダーだった天皇、「後醍醐天皇」です。
「吉野神宮」の祭神ですね。
 
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ここも、「天照派」の拠点だったのです。
 
この神社と寺の最寄りの駅は、「真鶴」という名前なのですが、やはり、京都の「舞鶴」とも関係あると思います。
 
「真鶴」=「舞鶴」
 
こうなると思います。
 
 
帰りに、この駅の前に貼られていたポスターを見て、またまた驚きました。
 
「えーっ!」
 
と思いました。
 
地元で行われる、「貴船祭」というお祭りだそうです。
 
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この神輿にも、「三つ巴」が刻まれていますね。
そして、よく見ると、「子之神社」の神輿と同じように、四方を鳥居が囲っているではないですか~!
 
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小さな鳥居が、全てを表現しています。
間違いなく、この神輿は、「補陀落山寺」の小舟を、担いでいるのです。
 
やはり、「祭り」というイベントには、とても深い意味が、隠されているのですね。
おそらく、「天照派」のグループが、「西日本」から「東日本」に渡ってきたことを、祝福する祭りなのだと思います。
 
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それから、しばらくして、神奈川県の「鎌倉」にも行ってきました。
ここにも、秘密が隠されている予感がしたからです。
 
 
まずは、有名な「鶴岡八幡宮」にも、参拝に行きました。
 
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やはり、ここにも、あちらこちらに、「三つ巴」のシンボルがありました。
 
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そして、ここから、ちょっと歩いた場所にある、「鎌倉宮」にも行きました。
 
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御祭神は、「護良親王」だそうです。
この人物の正体は、調べてみると、「天照派」のグループのリーダーだった、「後醍醐天皇」の息子だそうです。
なるほど…
 
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拝殿で、参拝しました。
 
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この近くには、「杉本寺」もあります。
 
「杉」=「三」+「十」+「八」
 
でしたね。
 
「三十八の子孫の本部の寺」
 
という意味じゃないかな?
 
 
さらに、この寺は、「坂東三十三箇所」の一番目の寺だそうです。
 
これは、関東から房総半島にかけてある、33か所の「観音霊場」のことですが、
この寺が、1番最初のスタート地点で、房総半島の館山市にある、「補陀落山寺」の山号をもつ、「那古寺」が、最後の33番目です。
なんと、私は、無意識で、最初と最後の寺にだけ、導かれていたのです。
 
 
貫禄のある本堂で、記念撮影しました。
 
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境内には、摂社もありました。
 
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「熊野大権現」ですね~!
 
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「三つ巴」がありました。
 
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近くには、「熊野神社」もありました。
 
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やはり、「三つ巴」がありました。
 
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なんと、鎌倉市内にも、「補陀落寺」がありました。
とても小さな寺です。
 
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ここで、この看板を見た時には、特に何も気づきませんでした。
 
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しかし、あとから、友人の武田さんが、この寺の御朱印を見て、あることに気が付いて、写真を送ってくれました。
 
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左下の黄色の部分に、
 
「南向山 帰命印 補陀落寺」
 
こう書かれていますね。
 
つまり、こういうことです。
 
「天照派のグループが、京都から南の山に向かった。つまり、和歌山ですね。それから、命を落とさずに、無事に、この世界に帰ってきた。その寺院が、補陀落寺である」
 
こういう意味だと、私は解釈しました。
 
何もかも、全ての事実を書いているのです。
 
 
 
ここの寺は、小さすぎて、これ以上の情報は、仕入れることはできませんでしたが、その後に、ある地図を見て驚きました。
 
これです。
見てわかるように、「補陀落寺」のすぐ近くに、「光明寺」という大きな寺があります。
 
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ちょっと古代史を学んだら、わかるのですが、古代においては、
 
「天照派」 VS 「神武派」
 
だったのですが、さらに、詳しい内訳は、
 
「天照派(穏健派)」=「南朝」=「奈良」=「後醍醐天皇」
「神武派(武闘派)」=「北朝」==「京都」=「光明天皇」
 
こういう構造だったのです。
 
つまり、「補陀落寺」という「後醍醐天皇」の近くに、「光明寺」があるのです。
おそらく、この寺の名前から、「光明天皇」と、何らの関係があると思われます。
ただの偶然かもしれませんが、この場合、偶然とは、考えないことにします。
 
結論から、先に言うと、
 
「仲が悪いはずの二人の天皇に関係ありそうな、二つの寺が、隣近所の距離に、仲よく並んでいる」
 
ということです。
 
 
そこで、調べてみると、もともと、「南朝」と「北朝」というのは、日本において、権力者同士の争いであって、下っ端の武士や庶民などは、普段の日常では、あまり、敵対していなかったという記録も、残ってるそうです。
普段は、庶民同志は、一緒に、同じ銭湯や温泉に入ることも、あったようです。
 
このあたりが、外国と違い、日本的ですね。
 
現代でも、選挙の時以外は、違う政党支持者たちも、同じ会社の同僚であれば、一緒に、ランチを食べたりしますね。
そういうかんじだったのかもしれません。
 
私たちは、いつの間にか、物事を、
 
「白か? 黒か?」
 
という極論で考える癖が、できているようです。
 
実際の世の中は、たくさんの色が、千変万化に変化したり、状況によって、いくつかが混じったりするのです。
とても複雑で、単純に分けられるものではないのです。
 
 
このように、「鎌倉」においては、「天照派」と「神武派」は、仲よくやっていたのかもしれません。
 
理由はわかりませんが、もしかしたら、
 
「東日本まで来て、喧嘩したり、争うのは、もうやめようよ」
 
こういう話をして、和解したのかもしれません。
 
 
「鎌倉」という街を散歩していたら、綺麗な海岸線の景色が、見えてきます。
たしかに、この景色を見ていたら、喧嘩なんか、やる気になりませんね。(笑)
 
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ある説によると、日本においては、明治時代に、「北朝」と「南朝」は、融合したという話も、聞いたことがあります。
 
なんでも、「明治天皇」は、バリバリの「北朝のリーダー」だったそうですが、同時に、大の「南朝のファン」だったそうです。
面白い人物だったのですね。
 
 
そういえば、名前も、
 
「日」と「月」と「治」ですね。
 
「日と月の神様が治める時代の天皇」
 
という意味だったかもしれませんね。
 
「日月神示」の神様とも、何か関係があったかもしれませんね。
 
 
 
 
さて、「光明寺」にも行ってきました。
 
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「光明寺」の名前にも、「日」と「月」が入っていますね。
 
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「日と月の光が輝く」
 
という意味ですね。
 
ここでも、また、「日食」、つまり、「ダイヤモンドヘッド」が出てきましたね。
 
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境内に入って、山門に掲げられている文字を見て、驚嘆しました。
 
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見てください!
この寺の山号は、「天照山」なのです!
 
あまりにも、意表を突く展開に、もう笑ってしまいました。
 
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本堂です。
 
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境内には、「八角形」のお堂もありました。
 
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この寺の裏山には、「天照大神宮」という名前の神社もあります。
そして、「天照山」という山もあります。
 
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しかし、実際に近くまでいくと、小さな摂社でした。
 
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この摂社の近くには、道路沿いに、「鬼瓦」もありました。
 
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そして、一番奥には、奥宮のような場所があるのですが、そこが、「天照山」になります。

「三つ巴」の瓦ですね。

 

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ここには、いわゆる、「お墓」と呼ばれている場所なのですが、私には、あまり、「お墓」には見えませんでした。

 

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そして、

 

「この景色、どこかで見たな… どこだったかな…?」

 

しばらく考えていたら、わかりました。

 

熊野の「補陀落寺」の裏山に、ちょっと似ているのです。

 

これです。

 

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ということは…

 

「熊野」も「鎌倉」も、両方とも、同じグループが、拠点にしていたのだと思います。

 

 

 

鎌倉でも、面白いシンクロがありました。

 

友人の武田さんと、駅前のお店で、食事をしながら、「補陀落渡海」について、語り合っていた時のことです。

最初は、カフェで、お茶しました。

 

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それから、お腹がすいたので、夕食を食べに入ったお店に、これが、置かれていました。

私たちの席の前でした。

 

後ろの部分が、「鳥居」にも見えますね。(笑)

 

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二人で、

 

「うわー!」

 

と叫びました。

 

古代史を探る旅では、こういうシンクロが、バンバン起こります。

やはり、神界から導かれているのだと思います。

 

 

以前に、武田さんから教えていただいたのですが、沖縄平和記念公園には、戦没者の名前の刻まれた石碑がありますが、そこには、敵国の兵士、つまり、アメリカ軍の戦没者の名前も、同時に刻まれているそうです。

 

いろいろ調べてみたら、この動きは、実は、日本中にあるみたいです。

「靖国神社」の境内にも、亡くなったアメリカ軍の兵士の魂を、慰霊する場所があるそうです。

 

 

今回の旅行中も、いろいろなことを考えながら、旅したのですが、特に思ったのは、「天照派」の人々の愛の大きさです。

 

「敵も愛する」

 

こういう理想は、いきなりは、できないかもしれませんが、長い時間をかけたら、可能なのだと思いました。

私たちが、理想で描く、「平和な世界」というは、思ったよりも、早く実現するのかもしれませんね。

 

 

学生の頃、ある人間関係で、とても悩んでいた時に、当時の親友、Y君が、酒の席で言った言葉を思い出しました。

 

「大丈夫だよ。きっと、時間が解決するから! この世界にはね、全ての問題が解決する万能薬が、一つだけあるんだ。それはね、時間だよ。何十年か経ったら、今、喧嘩している皆で、笑い合える日がくるよ!」

 

 

 

 

「古代日本ピースツアー」は、今回で終わります。

 

「補陀落渡海」については、引き続き調査していますが、今月に入ってから、沖縄にも、「補陀落渡海」で流れ着いた僧がいたという話を知って、その調査で、沖縄に向かったのですが、ここにも、凄い秘密が隠れていました。

 

全ての謎を解く鍵は、「沖縄」にあったのです。

その話は、また、新しいシリーズで、改めて書こうと思っています。

 

 

 

 

 

いつものように、恒例の締めの言葉で、終わらせていただきますね。

 

 

「私には夢がある。いつの日か、ジョージアの赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちと、かつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟(対等の価値のある人間)として、同じテーブルにつく日が来るという夢が。私には夢がある。いつの日か、私の4人の幼い子供たちが、肌の色ではなく、人格そのものによって評価される国に住める日が来るという夢が」

 

by マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師

 

<アメリカ公民権運動、最大の指導者。1964年、ノーベル平和賞受賞>

 

☆1963年8月28日の「ワシントン大行進」で、リンカーン記念塔の前において、25万人の人びとに行った演説、「I Have a Dream」(アイ・ハブ・ア・ドリーム)より。

 

 

 

 

 

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トーマ

 
 
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