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沖縄ニライカナイツアー 6 末吉宮

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沖縄の旅行記の続きです。

 

初めて読む方のために、念のために断っておきますが、この旅行記は、テーマ別に書いているので、実際にまわった順番とは、前後します。

そのほうが、ストーリーが、わかりやすいと思うので、毎回、この書き方にしています。

 

 

ある日の午前中に、高校の頃からの親友を誘って、那覇市首里にある、「末吉宮」まで行きました。

 

この場所は、子供の頃から、名前だけは知っていましたが、今回、生まれて初めて行きました。

 

「こんな場所が、那覇市内にあったんだ~!」

 

こう思うくらい、面白い所でした。

 

 

 

正面の入口からだと、とても長い距離を歩くので、大変です。

そこで、裏道から入りました。

 

 

案内板です。

 

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よく見ると、「旧琉球八社ノ一」と書かれていますね。

 

「琉球八社」とは、昔、琉球王国から、特別な扱いを受けた、八つの神社のことで、那覇市にある、「安里八幡宮」だけが、「八幡神」が祀られていて、それ以外の七社は、「熊野権現」が、祀られているそうです。

 

前述のように、七社は、もちろん、「補陀落渡海」の「日秀上人」の影響ですが、実は、「八幡神」も、元を辿れば、「天照派」の流れなので、まとめると、沖縄の主要な神社は、全て、絶対平和主義の「天照派」の拠点だと言えます。

 

つまり、沖縄県というのは、完全に、「天照派」の根城なのです。

だから、とても平和な県民性なのです。

 

 

「イザナミ」が、祭られていますね。

 

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そして、主祭神の中で、二番目の神様にも、注目してください。

「速玉男尊」と書かれていますね。

 

この神様は、元々は、「速い球状のもの」という意味だったかもしれません。

つまり、UFOだったということです。

 

 

もう一度、掲載しますね。

 

日本に来ていた、初期の頃の「エンキ(イザナギ)」の姿です。

頭部は人間で、身体が蛇の神様ですね。

岐阜県の「位山」にある像です。

 

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側に、不思議な球体も置かれています。

これは、「エンキ(イザナギ)」が乗ってきたUFOかもしれません。

日本の神話には、よく、「玉」という文字が出てきますが、この意味も含んでると思います。

 

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太古の昔、こういう球体型のUFOが、日本中を飛び回っていたのではないでしょうか?

この未確認飛行物体のことを、当時の人々は、「速い玉」と呼んでいたかもしれません。

 

それが、熊野にある、「熊野速玉大社」の主祭神、「熊野速玉大神」になったのではないでしょうか?

 

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そして…

 

太古の昔、この「末吉宮」にも、このUFOが、頻繁にやってきて、離発着していたのかもしれません。

 

 

 

ちょっと歩くと、小さな鳥居がありました。

 

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なにやら、意味深な文字ですね。

 

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それにしても、沖縄の神様は、ユニークな名前が多いですね。

 

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記念撮影しました。

 

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この近くにも、また、石碑がありました。

 

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こちらにも、興味深い名前の神様の名前がありました。

ちなみに、「みるく神」とは、「ミロク菩薩」のことだと思います。

 

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階段を下りて、さらに歩いていきました。

 

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独特の石造り建築ですね。

 

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拝殿に着き、そこでも、記念撮影しました。

 

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やはり、「三つ巴」ですね。

 

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ここからの景色は、最高でした。

 

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「拝殿」というよりは、「神殿」と言ったほうがいいですね。

 

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この建築物について、少し考察してみましょう。

 

 

この石造りの建築を見ると、中南米の古代文明の神殿に似ていることがわかります。

「マヤ文明」などですね。

 

結論から先に言わせていただくと、私は、こういう石造りで、神殿のような場所は、古代において、宇宙人たちが乗っていたUFOの発着基地だったと思っています。

 

 

縄文時代について、書いてみます。

 

当時の縄文人、つまり、人間たちの生活は、狩猟採集だったと言われています。

これは、東北地方の想像画ですが、古代の沖縄も、こうだったと思います。

 

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こんなことを言ったら、縄文人たちには、失礼かもしれませんが、上記の絵のような生活をしていた人々が、とてもじゃないけど、彼らには、あの時代に、縄文土器や縄文土偶は、作れなかったと思います。

技術的に、不可能なのです。

 

 

例をあげますね。

 

青森県で発見された、有名な遮光器土偶は、現代の最先端のセラミック技術でも、かろうじで復元できるレベルの土偶だそうです。

この土偶は、摂氏9000度くらいの超高温で、40時間くらい熱しないと、ああいう焼け方はしないそうです。
さらに、粘土の中に、植物繊維を混入させたりと、とても高い技術で、制作されているそうです。


簡単に言うと、縄文時代には、すでに、現代の科学と同等か、それ以上の科学力をもった人たちが、存在していたということです。

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ここで、疑問なのは、

「これほどの科学力をもった人たちが、どこに住んでいたか?」

ということです。

彼らの住居跡が、見つかっていないのです。

よく、木で作られたテントのような住居が、復元されていますが、あれは縄文人、つまり、人間の住居です。

 

遮光土偶を制作できたほどの科学者たちが、あんな原始的な住居に、住むと思いますか?

優れた科学力をもった宇宙人たちの住居跡は、実は、どこにもないのです。

 

私は、

「古代の科学者たちは宇宙人、もしくは、未来人で、普段は、現在の宇宙ステーションのような場所で、地球の上空に滞空して生活していた」

と思っています。

そして、たまに地上に降りてきたのです。

 

つまり、「ラピュタ」に住んでいたということです。

 

その降りてくる場所が、「古墳」だったり、上記の「末吉宮」の拝殿だったと思います。

 

こんなかんじで、空から来たのだと思います。
 
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その後、船の底に穴が開き、搭乗員たちが、光のビームとともに、地上に舞い降りたのではないでしょうか?
 

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「縄文時代」というのを、考察する時には、「縄文人(人間)」と「宇宙人(未来人)」を、区別して考えなくてはいけないということです。

 

 

私は、古墳の用途として、


「超巨大な古墳は、最初は、宇宙船の離発着場として、宇宙人たちが建築した」

という仮説を支持しています。


もちろん、権力者たちが、「お墓」や「祭祀場」としても、使ったのですが、それは、宇宙人たちが、これを使わなくなった、ずーっと後に、跡地を利用したのだと思っています。

そう考えたほうが、自然なのです。

数名の人間の遺体を、埋葬するためだけに、あれだけの規模の墓を造るというのは、不自然なのです。
権力を誇示するためだけでは、あれほどの巨大建築物は、造らないと思います。


前方後円墳の写真を見てみながら、

 

「ここに、超巨大な母船が、着陸していたんじゃないかな?」

 

と考えると、そういうふうに、見えてくるんじゃないですか?

 

特に、この古墳は、わかりやすいです。


これは、群馬県高崎市にある古墳を、空撮したものです。
「保渡田古墳群」といいます。
雑草を取り除くと、このように、「古墳」の本来の姿が現れます。

真ん中が、司令官クラスのロケットやUFOの発着台で、四隅には、護衛用のUFOが発着していたと思うと、シックリくるのではないですか?

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どこからどう見ても、スペースシップの発着台ですよね?

 

縄文土器ですが、生活用品以外にも、芸術品や記念品としての役割を目的にして、制作された物も、あったようです。


たとえば、「宇宙人のロケット」を、模造してつくった物もあったようです。
「土器」ということを前提にして、撮影されている写真ばかり、いつも見ているから、そう見えるのです。
最初に、頭をまっさらにしてから、これらの写真を逆さにして、一度、「ロケット」として、眺めてみてください。
 

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どうですか?
だんだん、ロケットに見えてきませんか?

土器の下部の模様は、ロケット噴射の時に出る「火炎」です。
垂直に上空に飛び立っている姿を、イメージしてみてください。

人間の目というものは、面白くて、一度でも、「ロケット」だと認識すると、他の写真も、そう見えてくるのです。

最初から逆さまにした写真を掲載すると、ロケットに見えますね。

ドッカ~ン!!! 

ゴゴッ、ゴ~~~~!!!

と炎を吹き出しながら、まっすぐ垂直に、宇宙に旅立っていくのが、わかりますか?
 
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以前に、山梨県の博物館に展示してあった写真です。

「直接、博物館に行って、よかったなー」

と思ったのは、この写真を見られたことです。

土器が、発掘された瞬間の写真が、展示してありました。
これです。
 

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この写真の重要さが、わかりますか?
発掘された時点では、このように、二つとも、ロケットのように、尖がっている部分を上にして、埋められていたのですよー!

縄文人たちが、

「これは、こういう姿だったんですよー!」

と祈りをこめて、後世の人間に伝えたのだと思います。

生活用品としての用途、つまり、食料の保存用の土器だったら、穴の空いた部分を、上にしているはずです。

この写真を見て、

「やはり、これらの多くは、ロケットの姿を残した物だったんだな…」

と確信しました。


ちなみに、外国にも、太古の昔から、「宇宙空港」は、たくさんありました。

そもそも、「ピラミッド」という建造物も、「古墳」と同じように、「お墓」や「祭祀場」の役割ももっていたのですが、やはり、最初は、スペースシップの離発着場だったようです。

「テオティワカンの遺跡」のピラミッドが、一番わかりやすいですね。
 

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「どうして、台形なのか?」

という形の意味を、考えてくださいね。

そうです。
文字通り、UFOが着陸する「台」が、本来のピラミッドの役割なのです。

ここに、太古の時代、大量のUFOが、離発着をしていたのです。

宇宙空港だったのです。
 

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こちらは、「マヤ文明遺跡」のピラミッドです。
こちらも、台形ですね。

 

これらのピラミッドは、人間が昇り降りするには、大変みたいです。

角度も急だし、一段が高すぎるそうです。

 

「宇宙人が、昇り降りしていた」

 

と考えたほうが、サイズ的にも、妥当だそうです。

 

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これは、有名なマヤ文明の宇宙飛行士が描かれた、「パレンケの石棺」です。


ロケットの内部の搭乗員たちは、こうやって、ロケットを操縦して、宇宙に飛び立っていたと思います。
よく、横向きになって雑誌などに、掲載されていますが、本来は、下記のように、操縦士が、上を向いているのが、正しい位置だそうです。

まさに、宇宙へ飛び立とうとしている瞬間ですね。
 

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「ナスカの地上絵」の近くにある、「宇宙空港」の滑走路だったと思われる場所です。

ここでも、宇宙からのスペースシップが、離発着していたようです。
 

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超巨大な古墳があるところが、「宇宙空港」だったとしたら、地球と他の惑星間で、何を運んでいたんでしょうね?
鉱物、植物の種、動物など、いろいろなものを、交易させていたのかもしれません。
宇宙人や人間の「DNA」なども、運んでいたかもしれませんね。

宇宙考古学者、ゼカリア・シッチン博士によると、「アヌンナキ」の一族は、人間を使って、中近東をはじめ、世界中で、「金(ゴールド)」を、採掘させていたようです。


そして、それを、彼らの惑星まで、運んでいたそうです。


太古の昔には、日本にある、「古墳群」は、「宇宙空港」であり、ロケットの発射台のような場所で、宇宙人が、ここに降り立ったり、彼らの故郷の惑星に、帰郷したりしていたと想像したら、ワクワクしてきますね。

一説によると、特に、「前方後円墳」は、王様クラスの宇宙人が、到着する聖地で、レッドカーペットのようなものが敷かれて、王が降臨したとも言われています。

ちなみに、正式な形の「前方後円墳」があるのは、日本だけだと言われています。

やはり、太古の時代、「日本」は、超特別な場所だったようです。

 

 

 

そして…

 

「末吉宮」の話に戻りますね。

 

ここまで書いたら、もうわかりましたね。

 

そうです。

 

「末吉宮」の拝殿も、太古の昔は、上部の社などは、存在していなかったと思います。

石の階段だけが、存在していて、頂上は、平らな状態で、「台形」の神殿だったと思います。

 

そして、そこに、「アヌ王」や「エンキなどの「アヌンナキ」の宇宙人ファミリーが、UFOで降臨していたのだと思います。

 

 

 

もう一度、「マヤのピラミッド」です。

 

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そして、「末吉宮」の拝殿です。

 

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こうやって、いろいろ想像すると、楽しいですね。

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

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