東京都内にも、「補陀落渡海」の痕跡は、たくさん残っています。
まず、都内の品川区にも、「補陀落山寺」があります。
東日本でも、この名前のお寺を中心に、各地で、いろいろな活動をしていたようです。
- JR品川駅から、一駅の大井町駅から、車で5分くらいの所にあるお寺です。
- 名前は、「海晏寺」ですが、仏教の寺院に付ける称号である山号は、そのものズバリ、「補陀落山」です。
- 門の前で、記念撮影しました。
- 八角堂がありました。
- 「八角形」は、「補陀落信仰」ですね。
- もう一度、「ウイキペディア」からです。
- 「補陀落(ふだらく、梵: Potalaka)は、観音菩薩の降臨する霊場であり、観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山である。その山の形状は、八角形であるという。インドの南端の海岸にあるとされた。補陀落山とも称す」
- こう書かれています。
- そうなのです。
- 和歌山県の「補陀落山寺」から、「小舟」でやってきた人々にとっては、ここが、観音菩薩の降り立つとされる、八角形の山だったのです。
- 屋根は、「鬼瓦」です。
- 「鬼」=「大丹生」=「天皇家」
- でしたね。
- このように、「絶対平和主義」の「天照派」の子孫たちが、西日本から、「小舟」で、東日本に移住してきて、つくりあげたのが、「江戸」という町なのです。
- だから、「江戸時代」が、260年くらい平和だったのです。
- 最近気が付いたのですが、江戸時代に、「お伊勢参り」というのが流行りましたね。
- 「一生に一度は伊勢詣」
- 昔は、こう言われたらしいですね。
- 他にも、「熊野詣」もありましたね。
- 「伊勢へ七度熊野へ三度」
- とも言われていたそうです。
- 実は、あれの本当の意味は、大いなる里帰りだったのです。
- 旅行記の最初の頃に書きましたね。
- 日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に、結婚式を挙げたのが、「伊雑宮」だったことを…
- そして、熊野から、「補陀落渡海」で、東日本へ亡命してきたことを…
- 江戸時代の人々は、DNAの中に、その記憶があり、その記憶が、騒いだのかもしれません。
- 「本当のお父さんとお母さんの故郷に帰りたい! 自分の魂のルーツに帰りたい!」
- この気持ちが、「お伊勢参り」や「熊野詣」だったのかもしれません。
- 伊勢から始まった、生粋の日本人である、「天照派」の人々が、熊野の那智から、小舟で関東に流れ着いて、「江戸時代」をつくりあげ、そして、その時代に、天下泰平になった頃、故郷の伊勢に、また帰りたくなった。
- こう想像したら、またまた、じわじわと、感動の波が湧き上がってきました。
- 「江戸時代」が、なぜ、あれほど長い期間、大きな戦争がなかったかというと、この町の人々の遺伝子が、絶対平和主義の「天照派」だったからだというのが、真相だと思います。
- 壮大なスケールの歴史物語が、ここで生まれていたのですね。
- 関東に、「小舟」で流れ着いた、「天照派」が拠点にしていたと思われる神社や寺は、山ほどあります。
- 数が多すぎるので、今回は、一か所だけ例をあげます。
- もう一度、前回紹介した、千葉県銚子市にある、「渡海神社」の「小舟」の石碑の写真です。
- 東京都品川区にある、「鹿嶋神社」です。
- ここの境内に、大きな石碑があります。
- ハイ!
- 「小舟」ですね。
- そして、その横には、「ミカン」の木が植えてありました。
- 「橘」かな?
- 実は、「補陀落信仰」の中には、
- 「理想郷である、補陀落山には、橘の木がある」
- という信仰があるのです。
- そうです。
- ここは、間違いなく、「補陀落信仰」の聖地なのです。
- 「天照派」のグループが、
- 「ここが、自分たちの探し求めていた、理想郷だ!」
- と言っているのです。
- 感動しました。
- そして、最初に大きな拠点にしたと思われる土地も、東京にあります。
- ここから、江戸時代が、始まったと思われる所です。
- 再度、おさらいしますね。
西日本から、小舟に乗って、少しづつ、長期間にわたって、東日本の地に移住してきたパイオニアたち、彼らのグループは、「イザナギ」と「イザナミ」を始祖とする子孫たちでした。
彼らは、最初の38人の子供たちの子孫でもあるのですが、長男の名前が、「別雷尊」。
これは、生まれた時に、身体が、「丹生」という宇宙エネルギーで、輝いていて、まるで、身体に雷が落ちた時のように、発光していたから、この名前だったそうです。
現代風の表現では、「凄いオーラの持ち主」というかんじですね。
「天照派」のグループは、関東地方において、いくつの地点から、上陸したようですが、ある時期に、東京のある場所で、一堂に会する機会があったと思われます。
なんと、その場所は、「浅草」だったようです!
有名な「雷門」です。
「昔は、このあたりに、よく雷がよく落ちたから、雷門というのかな?」
私は長年、そう思っていたのですが、違うのです。
もうわかりましたね。
38人の子供の長男だった、「別雷尊」の名前から、これは、名付けられたのだと思います。
「別雷尊のグループの拠点だった場所」
それが、「雷門」の場所なのだと思います。
「天照派」のグループの本部が、おそらく、ここにあったのだと思います。
「金龍山」というのは、奈良県の吉野にある、「金峯山」とも関係していると思います。
ここの参道を歩いていて、一番驚いたのが、これです。
最初の「雷門」の次の門です。
なっ、なんと!
デ~ンと大きく、「小舟町」と書かれているではないですか~!!!
人目もはばからず、
「うわーー!!」
と大声を上げてしました!
今までに、これの意味に気が付いた人が、どれくらいいたんだろう?
ジャ~~ン!!
見てください!
「小舟に乗って、関東にやって来た人々が住んでいた町」
こう言っているのです。
実は、日本国内において、隠している秘密などないのです。
歴史の秘密は、どうどうと、目の前に提示しているのです。
問題は、
「それの意味を、正しく解釈できるかどうか?」
だったのです。
この提灯の真下に、金色の紋章のようなものが、ありました。
これを見た時、またまた、大感動でした~!
ここが、「補陀落信仰」の最終地、「観音菩薩」のいる聖地だったのです。
浅草の近くに、「日本橋小舟町」という名前の街もあります。
ここは、現在は、東京都中央区の地名になっていて、昔は、日本橋区にあたる日本橋地域内だったそうです。
地名に、「日本」がついている所は、それほどたくさんはありません。
まさに、ここが、「日本」の発祥だったのです。
「邪馬台国」や「大和」や「倭」ではなく、「日本」という共同体が、形作られたのが、ここだったのかもしれません。
「小舟町」=「日本」
もしかしたら、こう言ってもいいくらい、「補陀落渡海」で東日本に向かった僧たち、つまり、「天照派」の人々であり、愛と平和の一族、そして、「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫である、本当の「天皇家」、彼らが、「日本」の礎を固めたのだと思います。
「古代において、日本という国は、小舟から始まった!」
この驚愕の史実は、これから、少しづつ広がっていくかもしれませんね。
先日、仲のいい友人たちに誘われて、「神田明神」にも、行って来ました。
名前が、「明神様」ですね。
つまり、「日と月の神様」と言っているのです。
繰り返しますが、「日」と「月」の二つで、表現する天体ショーが、「日食」です。
つまり、「天照派」のシンボルだということです。
入口には、「神田神社」と書かれています。
鳥居です。
「黒潮」だと思われる模様が、鳥居の下には描かれています。
昔は、この鳥居の近くまで、海だったのだと思います。
派手な色の門です。
門の前には、「小舟」を表現している石碑が、建っていました。
拝殿です。
拝殿の周囲には、「天照派」のシンボルが、たくさんありました。
しかも、「三つ巴」に、「菊花紋」が合わさった、特別のシンボルです。
思い出してください。
栃木県宇都宮市の「二荒山神社」にあったシンボルです。
「神田明神」も、間違いなく、「天照派」の大拠点だった場所なのです。
そして、境内には、このオブジェがあります。
これです。
これが見たくて、この神社に行ったのです!
さっそく、記念撮影しました。
比較的最近、つくられたものだと思いますが、よく見ると、「しめ縄」がかかっています。
よほど大事なものでないかぎり、これは、かけません。
「御神木」と同じ扱いなのです。
この人物が気になりますね。
説明書きには、「少彦名命=恵比須様」と書かれています。
ネットで調べると、
「少彦名命」=「恵比須様」=「一寸法師」
こうでてきます。
しかし、私は、さらに、この神様は、「聖徳太子=キリスト」でもあったと思っています。
同じ魂グループなのです。
子供の頃の「聖徳太子」に似ていませんか?
そうです。
このオブジェは、まさに、「聖徳太子」が計画した、「補陀落渡海」を表現しているのです。
近くにある、「神田川」からも、補陀落渡海の小舟が、ここに辿り着いていたのです。
境内には、興味深い摂社が、いくつかありました。
まずは、「魚河岸水神社」です。
御祭神に、注目してください。
「弥都波能売命」と書かれていますね。
漢字は、ただの当て字なので、気にしないでください。
「ミツハノメノミコト」とフリガナがふられています。
ハイ!
「三葉」ですね。
大ヒットアニメ、「君の名は。」の主人公、「三葉ちゃん」です。
つまり、「イザナミ」です。
元々は、「水神神社」という名前だったと思います。
賽銭箱に描かれているシンボルが、凄いです!
見てください!
「黒潮の波」で、「三つ巴」が表現されています。
そして、さらに凄いのは、隣の摂社です。
「小舟町八雲神社」という神社です。
拝殿です。
隣には、「小舟」の石碑もあります。
案内板です。
この神社の中には、御神体が置かれています。
それが、この「神輿」なのです。
この土地では、「天王祭(八雲神社大祭)」という祭りが、昔から、4年に一度、行われているそうです。
「天王」とは、「牛頭天王=素盞鳴尊」のことだそうです。
つまり、「イザナギ」であり、アニメの「君の名は。」のもう一人の主人公、「滝君」です。
モチロン、現代でも続いています。
この神輿は、明らかに、「補陀落渡海の小舟」ですね。
四隅に朱い鳥居があります。
「神田明神」に行ったのは、2回目でしたが、今回、「補陀落渡海」を学んでから、再度、訪問したら、見る景色が、全く違っていました。
昔、「リサ・ロイヤル」というチャネラーさんが、こう言っていました。
「人類の進化とは、身体が変化して、別の生命体になることではありません。私の進化の定義は、視点が一つ増えることです。視点が増えれば、同じ風景を見ても、同じ状況でも、全く違う異世界を、体験することができます。それが、人類の進化なのです」
私は、今年になってから、「補陀落渡海」という視点をもったことで、本当に、「東京」という街が、それまでの景色と違い、異次元空間の異世界に見えてきました。
「東京」という街は、最高に面白いワンダーランドだったのです。
次回に続きます。
☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。
http://airw.net/newage/rank.cgi?id=atlas
☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。
http://www.tomaatlas.com/soul.htm
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
☆日記(エッセイ)の過去の全バックナンバーです。
http://www.tomaatlas.com/library00.htm
☆私のメインサントです。 ↓
http://www.tomaatlas.com/