「補陀落山寺」に関係している寺は、全国にありますが、関東地方も、「補陀落山寺」が、いくつかあります。
ネットで検索すると、埼玉県川口市にも、「補陀落山寺」の山号をもつ寺がありました。
三重塔で、有名な寺だそうです。
この塔の前には、「三つの石」が置かれていました。
境内には、「延命地蔵尊」と書かれた石碑があります。
「延命」というのは、「補陀落渡海」のことを、意味しているのかもしれませんね。
本堂です。
本堂の一番大切な所に、この木の破片が、掲げられていました。
「もしかしたら、補陀落渡海の時の小舟の破片なんじゃないかな…?」
こう思ったら、またまた感動しました。
「雷電神社」の話題です。
東京都内には、浅草の「雷門」だけでなく、それ以外でも、「イザナギ」と「イザナミ」の長男である、「別雷尊」を祭っている神社が、いくつかあります。
その神社には、「雷電神社」という名前がついている所が多いです。
東京都内で、しかも、ど真ん中にも、それがあります。
新宿の歌舞伎町にある、「花園神社」です。
ここの拝殿にも、「雷電神社」というのが入っていたのです。
左側に、「雷電神社」と書かれている文字が見えますね。
「新宿」にも、「天照派」のグループの拠点があったのですね。
境内には、昔、「雷電神社」があった痕跡である、記念碑もあります。
「雷電神社」は、東京を始めとして、埼玉県や群馬県、栃木県など、主に北関東に、広く分布しています。
「群馬県」は、昔、「上野国(かみつけのくに)」とも呼ばれていたそうですね。
「神の国」だったのですね。「群馬県」にも、「雷電神社」という名前の神社が、いくつもあります。- 今年になってから、いくつかある「雷電神社」の中でも、総本山のような所に行ってきました。
「鬼の手形」がありました。
「大丹生家」のシンボルですね。
入口近くには、一番大切な神様が、祭られていました。
この二体の石像です。
「イザナギ」と「イザナミ」ですね。
拝殿です。
「三つ巴」がありますね。
境内には、「雷童子」という名前の石像もあります。
「別雷尊」ですね。
このように、熊野の那智にある、「補陀落山寺」から、補陀落渡海をしてきた僧たちは、関東地方において、主に、川を利用して、北関東の山奥まで行った痕跡が、たくさん残っているのです。
先月は、その痕跡を辿るために、再度、群馬県に向かいました。
この日は、私を含めて3人でまわったのですが、桜が満開で、とても綺麗でした。
最初は、太田市のあたりを探索しました。
「補陀落渡海」に関係ありそうな神社や寺が、たくさんありました。
やはり、重要な拠点は、川沿いにありますね。
「加茂神社」もありました。
京都の「上賀茂神社」や「下鴨神社」とも関係あると思います。
「葵祭」をやった場所ですね。
「八海山」や「岩戸」など、「天照派」に関係ありそうな意味深な文字が、刻まれています。
太田市内には、「三柱神社(三社宮)」という神社もありました。
名前からして、何かありそうだと思い、私たち一行は、そこにも行きました。
鳥居の前で、記念撮影しました。
境内にには、「丹生家」のシンボルである、「三つの祠」もありました。
そして、またまた、ありました!
「三つ巴」と「菊花紋」が合わさった、特別な神紋です。
もう一度、栃木県宇都宮市の「二荒山神社」の神紋です。
沖縄県の開闢伝説に出てくる、「アマミキヨ(イザナミ)」の神紋です。
やはり、繋がっていますね~!
「沖縄」 ⇔ 「群馬」 ⇔ 「栃木」
太古の時代、こういう交流があったのですね。
この神社の隣には、「徳性寺」というお寺もありました。
本堂の前で、記念撮影です。
本堂の天井付近を見て、驚きました。
これは、「鬼」を表現していると思います。
つまり、「大丹生」です。
ここも、「天照派」の拠点だったのですね。
旅の途中で立ち寄った、ラーメン屋さんです。
とっても美味しかったです。
私たちは、伊勢崎市境伊与久の「雷電神社」にも行きました。
たくさんの鳥居が、ずらーっと並んで、参拝者を待っています。
ここを、くぐって、拝殿に向かいました。
拝殿で参拝しました。
「三つ巴」です。
境内には、たくさんの祠がありました。
破損しているものもあるし、数え方にもよりますが、だいたい、38個前後でした。。
おそらく、最初の頃は、キッチリ、38個あったのだと思います。
同行者のゆかさんが、
「ここは、日本で最初の共同墓地だったかもしれませんね…」
こう呟いたので、皆で笑いました。
たしかに、もしかしたら、ここが、最初の38世帯の共同墓地だったかもしれません。(笑)
この神社の隣には、「圓勝寺」というお寺もありました。
同行者のえみさんが、よく通っているお寺だそうです。
「圓」という文字に注目していください。
旅行記の最初の頃に書きましたが、「天照派」の拠点の一つが、三重県(伊勢国)の「いなべ市」だったと書きましたね。
ここは、元々は、「員弁」という地名だったのです。
そうです。
「員」+「口」ですね。
「員弁の人々がつくった国」
これが、この寺の名前だと思います。
「勝」という文字が入っているので、
「員弁の人々が、ここに国をつくった後に、勝った~と、叫んだ場所」
という意味かもしれません。(笑)
境内には、お地蔵さんなどの石像を、積み上げてつくった、ピラミッドがありました。
私は、初めてみましたが、群馬県では、けっこうある風景だとか。
私たちは、この後、「榛名神社」にも向かいました。
途中、榛名山の前で記念撮影しました。
榛名山、それから、その両側の2つの山は、私には、ピラミッドのように見えました。
特に、エジプトの「ギザの三大ピラミッド」に似ているエネルギーを、感じました。
着きました。
「榛名神社」です。
漢字から、やはり、「秦氏」が関わっている神社だと思います。
入口の山門を、くぐりました。
私は、ここを訪れるのは、2回目ですが、やはり、とても気持ちのいい場所でした。
いい氣が充満しています。
参道には、七福神の石像が建っています。
せっかくなので、記念撮影しました。
気持ちのいいハイキングコースです。
階段での記念撮影です。
三つの祠がありました。
ようやく、拝殿に着きました。
やはり、この神社にも、いろいろな所に、「三つ巴」がありました。
拝殿の横には、面白い木彫りの彫刻画もありました。
小舟に乗った二人です。
興味深いですね。
どんな意味なんだろう?
拝殿の90度の所にあるのが、本当の本殿で、御神体があることが多いという話も、聞いたことがあります。
ここの拝殿の90度の所に、この摂社がありました。
名前を見て、驚嘆しました。
「うわー!」
と声を出しました。
見てください!
「扶桑社」と書かれています。
わかりましたか?
お隣の「中国」は、古代の時代には、我が国、「日本」のことを、「扶桑国」と呼んだそうです。
「扶桑」とは、「巨木」の意味です。
つまり、「日本」という国は、太古の時代、外国からは、
「巨木が、たくさん生い茂っている国」
と言われていたのです。
そうです。
「世界樹」です。
おそらく、「榛名神社」の近辺は、巨木だらけだったのだと思います。
ということは…
これです!
ハイ!
この拝殿の裏にある巨岩は、おそらく、「世界樹」だったのだと思います。
「巨木の化石」だということです。
いろいろなことを、学びなおしてから、再度、訪問すると、以前に来た時の「榛名神社」とは、また違った異空間が、広がっていました。
これだから、神社仏閣巡りは、やめられないんですよね~!
全部を見て回ったあと、境内から出ようとした瞬間、出入り口の山門の横が気になって、足が止まりました。
最初は、この祠が目に留まったのです。
そして、この横にあるものを見て、またまた、
「うわ~~!!」
と声を上げてしまいました。
ハイ!
「補陀落渡海の小舟」ですね。
この石碑の横には、「毘沙門天」の像もありました。
ちなみに、
「毘沙門天」=「エンキ」=「イザナギ」
こうなります。
いや~!
最高に楽しい、群馬県の旅でした。
最後に、3人で、旅行の打ち上げをしている写真です。
楽しかったですね~!
また、やりましょう。
次回に続きます。
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