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補陀落渡海ツアー 7 復活

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今年になってから、神奈川県にも、「補陀落渡海」の痕跡を探しに、数回行きました。
 
すると、鎌倉市内にも、「補陀落寺」があることを知りました。
とても小さな寺です。
 
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ここを訪れた時には、特に何も気づきませんでした。
しかし、あとから、友人の武田さんが、この寺の御朱印を見て、あることに気が付いて、写真を送ってくれました。
 
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左下の黄色の部分に、
 
「南向山 帰命印 補陀落寺」
 
こう書かれていますね。
 
つまり、こういうことです。
 
「天照派のグループが、京都から南の山に向かった。つまり、和歌山です。それから、命を落とさず、無事に、この世界に帰ってきた。その寺院が補陀落寺である」
 
こういう意味だと、私は解釈しました。
何もかも、全ての事実を書いているのです。
 
 
 
ここの寺は、小さすぎて、これ以上の情報は、仕入れることはできませんでしたが、その後に、ある地図を見て驚きました。
 
これです。
見てわかるように、鎌倉市内の「補陀落寺」から、歩いても行ける距離に、「光明寺」という大きな寺があります。
 
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ちょっと古代史を学んだら、わかるのですが、古代においては、
 
「天照派」 VS 「神武派」
 
だったのですが、さらに、詳しい内訳は、
 
「天照派(穏健派)」=「南朝」=「奈良」=「後醍醐天皇」
「神武派(武闘派)」=「北朝」==「京都」=「光明天皇」
 
こういう構造だったのです。
 
つまり、「補陀落寺」という「後醍醐天皇」の近くに、「光明寺」があるのです。
おそらく、この寺の名前から、「光明天皇」と、何らの関係があると思われます。
ただの偶然かもしれませんが、この場合、偶然とは、考えないことにします。
 
結論から先に言うと、
 
「仲が悪いはずの二人の天皇に関係ありそうな、二つの寺が、隣近所の距離に仲よく並んでいる」
 
ということです。
 
 
そこで、調べてみると、もともと、「南朝」と「北朝」というのは、日本において、権力者同士の争いであって、下っ端の武士や庶民などは、普段の日常では、あまり、敵対していなかったという記録も残ってるそうです。
普段は、庶民同志は、一緒に同じ銭湯や温泉に入ることもあったようです。
 
このあたりが、外国と違い、日本的ですね。
 
現代でも、選挙の時以外は、違う政党の支持者たちも、同じ会社の同僚であれば、一緒にランチを食べたりしますね。
そういうかんじだったのかもしれません。
 
私たちは、いつの間にか、物事を、
 
「白か? 黒か?」
 
という極論で考える癖が、できているようです。
 
実際の世の中は、たくさんの色が、千変万化に変化したり、状況によって、いくつかが混じったりするのです。
とても複雑で、単純に分けられるものではないのです。
 
 
このように、「鎌倉」においては、「天照派」と「神武派」は、仲よくやっていたのかもしれません。
 
理由はわかりませんが、もしかしたら、
 
「東日本まで来て、喧嘩したり、争うのは、もうやめようよ」
 
こういう話をして、和解したのかもしれません。
 
「鎌倉」という街を散歩していたら、綺麗な海岸線の景色が見えてきます。
たしかに、この景色を見ていたら、喧嘩なんか、やる気になりませんね。(笑)
 
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さて、「光明寺」にも行ってきました。
 
「光明寺」の名前にも、「日」と「月」が入っていますね。
 
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「日と月の光が輝く」
 
という意味ですね。
ここでも、また、「日食」が出てきましたね。
 
 
境内に入って、山門に掲げられている文字を見て、驚嘆しました。
 
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見てください!
この寺の山号は、「天照山」なのです!
あまりにも、意表を突く展開に、もう笑ってしまいました。
 
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境内には、「八角形」のお堂もありました。
 
このことから、「鎌倉」という土地も、「天照派」の拠点だったことが、わかりました。
 
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「天照派」は、昔から現在まで、常に隠れて行動するという特徴があります。
 
おそらく、長年の経験で、
 
「表舞台に立って、目立ってしまうと、権力志向の神武派の目に留まり、また、彼らとの不必要な対立や争いが、起こってしまう確率が高くなる」
 
こう判断しているのだと思います。
 
だから、「天照派」は、「岩戸開き」の神話のように、ひたすら隠れるのです。
 
しかし、隠れるといっても、力が弱いわけではありません。
もしかしたら、「神武派」よりも、世の中全体にとっては、影響力は、はるかに大きいのかもしれません。
 
 
「権力は持たないけど、権威はもつ。しかも、その権威は、なるべく、一般の人々には、わからないようにする」
 
おそらく、太古の時代から現代まで、ずーっと、こういう姿勢なのだと思います。
 
 
たとえば、コンビニよりも、はるかに数が多いと言われる、全国の神社、その中の大半には、杉の木がありますね。
これも、隠れて自己主張しているために、一般の人々は気づきませんが、「天照派」の力の強さを見せつけています。
 
「杉」
 
この文字を、分解してみてください。
 
「三」+「十」+「八」
 
こうなります。
 
ハイ!
 
イザナギとイザナミの子供たち、「38人」を象徴しているのです。
 
全国の神社の大半は、「天照派」のテリトリーなのです。
 
 
 

そういえば、「神奈川」という県名も、意味深ですね。

 

文字を分解すると、

 

「大(☆)」+「三(川)」+「神」+「示」

 

となります。

 

「宇宙からやってた三つの神が示した場所」

 

こういう解釈もできますね。

 

「三つの神」とは、

 

「植物」-「動物」-「人間」

 

この「三つ巴」かもしれません。

 

 

 

他にも、私たちの身の回りに、「38」や「83」の数字で、「天照派」の影響力を示しているものが、いくつかあります。

 

 

最近、気が付いたことです。

 

現在は、ちょっと変化しているかもしれませんが、私が子供の頃、学校に登校するのは、「午前8時30分」と決まっていました。

 

会社に入ってからも、タイムカードでの出社時刻は、「午前8時30分」に決まっていました。

 

ところで…

 

そもそも、日本中の学校や会社が、「8:30」からと決めた人は、誰だったんでしょうか?

それは、いつのことで、その時間の根拠は、何だったのでしょうか?

 

ほとんどの日本人が、一日を始める時刻、そんな最重要な時刻を、誰が決めたんでしょうか?

 

もしかしたら、現代にも、「天照派」の人々がいて、彼らが決めたんじゃないでしょうか?

 

 

他にも、いろいろな疑問はあります。

 

「朝鮮半島は、なぜ、38度で分けられたのか?」

 

これに、ちゃんと答えられる学者には、会ったことがありません。

 

 

さらに、2011年の東日本大震災でも、たくさんの地震が起きましたが、その震源地の大半が、「北緯38度」に集中していました。

これの理由も、未だにわかっていません。

 

 

 
 
さて、神奈川県では、横浜市内の近辺も、調査したのですが、面白いことがわかりました。
 
 
「杉山神社」という神社が、たくさんあるのです。
 
この神社は、「ご当地神社」とも言われていて、特に、横浜市内に集中して建っているそうです。

 

しかも、とても興味深いことに、神奈川県下に、「杉山神社」は、全部で、「38社」あるそうなのです!

面白いですね~!

 


下記の地図上の青いポイントが、「杉山神社」の鎮座地だそうです。

黄色のポイントで示しているのは、「杉山神社」という名ではないけど、かつて存在した、「杉山神社」を合祀した神社だそうです。

 

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「杉山神社」のいくつかにも、直接行ってみました。
全部は、数が多すぎるので、その中の二つを紹介しますね。
 
最初の一つ目は、横浜市鶴見区の「杉山神社」です。
 
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拝殿です。
 
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やはり、境内には、「三つ巴」がありました。
 
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二つ目は、横浜市保土ヶ谷区の「星川杉山神社」です。
 
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拝殿の前で、パチリ。
 
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この神社の神紋は、「三本杉」だそうです。
 
私には、「三つの葉っぱ」にも見えます。
アニメ、「君の名は。」の「三葉ちゃん」ですね。
正体は、「イザナミ」ですね。
 
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境内には、大きな杉の木がありました。
 
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横浜市では、鶴見区も見てまわりました。
 
 
「鶴見神社」です。
 
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ここも、鳥居に、「三つ巴」があります。
 
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この神社から、車で、ちょっと走った所に、「潮田神社」があります。
 
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艶やかな色の拝殿です。
 
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この神社の神紋に、大感動しました~!
 
これは、どう見ても、「三つ巴」、つまり、
 
「天照派の人々が、黒潮の波を越えて、この土地に辿りつた」
 
という意味ですね。
 
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神奈川県の秦野市の辺りにも、行って来ました。
 
秦野市平沢にある、通称「関東のいづもさん」、正式名称が、「出雲大社相模分祠」にも行きました。
 
 
鳥居がユニークな色になっています。
記念撮影しました。
 
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拝殿で参拝しました。
ここにも、立派な「しめ縄」がありました。
 
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境内には、「イザナギ」と「イザナミ」の幼年時代だと思われる石像もありました。
私は、これに一番感動しました。
 
この像を見て、やはり、「出雲系」も、「天照派」だったと確信しました。
 
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「出雲神社」の近くに、素敵なカフェがありました。
 
同行した友人たちと、ランチをしたのですが、とても美味しかったです。
ここにも、また行きたいですね。
 
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同じく秦野市内の「曾屋神社」にも、立ち寄りました。

 

珍しく、黒い鳥居です。

私は、基本的に、「漆黒の闇」の色である「黒」は、「宇宙」を表現していると思っています。

 

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拝殿の前です。

 

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御神体の「鏡」を置く台が、凄い迫力でした。

こんなの初めてみました。

龍神が、支えている鏡なんですね。

 

後ろに、「三つ巴」も見えますね。

 

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拝殿の裏側に、何も書かれていない祠がありました。

 

あとから、同行した友人が調べたら、ここには、「水波能売命(ミズハノメノミコト)」が祀られていました。

ここでも、「三葉ちゃん」が登場しましたね。

 

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「比々田神社」にも行きました。

ここの境内にも、大きな杉の木がありました。

 

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記念撮影です。

 

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やはり、「三つ巴」がありました。

 

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ここの境内にいた時に、久しぶりに、「UFO雲」が出てきました。

風が強い天気にも関わらず、雲が直線で切り取られるのが特徴です。

 

この雲が出ると、2時間以内に、UFOが出現することも多いのですが、この日は、UFOは見えませんでした。

でも、何か、宇宙的なエネルギーは感じました。

 

やはり、この神社は、宇宙とも繋がっているみたいですね。

 

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境内には、古墳もありました。

 

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ここから、少し離れた所に、同じ名前で、もう一つの「比々田神社」がありました。

 

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拝殿です。

 

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拝殿の裏には、三つの祠がありました。

 

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それぞれの名前です。

やはり、「熊野」と関わりがありますね。

 

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「秦野市」という名前から、明らかに、「秦氏」が深く関わった街だということは、すぐにわかりますね。

 

ご存知のように、秦氏は6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団で、そのルーツは秦の始皇帝だったとも言われています。

 

その中でも、「秦河勝」という人物が、「秦氏」の族長的人物だったと言われているのですが、この「秦河勝」が、「聖徳太子」の側近だったこと、そして、「聖徳太子」が、「補陀落渡海」の発案者であり、リーダーだったことから、

 
「聖徳太子」ー「秦河勝」-「秦氏」-「天照派」ー「補陀落渡海」
 
これらは、同じ線で繋がることがわかりますね。
皆、仲間だったということです。
 
だから、「秦野市」に、「天照派」や「補陀落渡海」の痕跡が残ってるのです。
こういうことは、裏の日本史がわからないと、全く意味不明だと思います。
 
 
何度も書いていますが、「天照派」の象徴的な神話が、「天の岩戸開き」です、
 
その話の中に、「三種の神器」の一つである、「八咫鏡」が登場するのです。
 
これは、古事記によると、八咫鏡は、天照大御神が、素戔嗚尊の乱暴な行為に怒って、天ノ岩戸隠れをした時、岩戸を開こうとして造られたのが、最初だとも言われています。
 
「アメウズメノミコト」が踊りを舞って、何事かと思った、「天照大御神」が、岩戸を開いて、
 
「貴方より優れた神が現れた」
 
と言われて、

「何か怪しい」
 
と更に岩戸を開いて、
 
「その神の御姿を見られよ」
 
と、「天照大御神」の姿を写した「八咫鏡」を見せて、更に岩戸を開いて表に出た所を、「天之手力男之神」が、力一杯、「天照大御神」の手を引っ張って、天ノ岩戸開きをした。
 
それで、地上に再び光が戻ってきた。
 
 
こういう記述が残っています。
 
 

この神話の重要な部分は、「隠れた」という表現です。

 

さらに、「天照大神」が、再び天岩屋から、「出てきた」ということです。

 

これは、「生き返った」という意味にもとれます。
つまり、死んで葬られたはずの「天照大神」が生き返った。

一度死んだ後、復活したということとです。

 

これは、まさに、「補陀落渡海」も表現しているのではないでしょうか?

 

「小舟による即身仏の儀式を装って、死んだふりをして、別の場所である新天地で、新しい人生をやりなおす」

 

このやり方は、まさに、「復活劇」です。



「秦氏」は、ユダヤ人原始キリスト教徒であり、さらに、「聖徳太子=キリスト」だと考えると、辻褄があいます。

 

「一度死んでから、再び生き返り、復活する」

 

これをやったのは、西洋では、「イエス・キリスト」ですね。

そして、東洋では、「天照大神」です。

 

「聖徳太子」と「秦河勝(秦氏)」、これらのグループが、「天照派」の「補陀落渡海」を、助けていたということです。

 

 

 

「天照派」の得意技は、

 

「死んだ後、復活する」

 

これなのです。

 

わかりやすい表現で、言い換えると、

 

「負けて勝つ」

 
ということです。
 

 

これができるのは、世界中でも、日本人だけです。

そして、その「日本」の中でも、これをやっていたのが、現代でも、「天照派」の子孫やグループだったのだと思います。

 

 

たとえば、アメリカなどの欧米諸国は、長い歴史の中で、行動を見てみると、

 

「いかに勝つか? 勝って、勝って、勝ちまくることができるか?」

 

こればかり考えているように思えます。

 

 

 

「第二次世界大戦」

 

この歴史的な出来事で、一番大切なことがあります。

 

 

それは、家族や友人などを、アメリカに殺された日本人たちが、仕返しをしなかったということです。

 

とても悔しくて、頭に血がのぼっていたとは、思いますが、

 

「あれは戦争だったから、仕方ないかもしれない…」

 

こういう冷静で、客観的な視点もあったのだと思います。

 

当時の日本全体が、そういう複雑な気持ちを抱えたまま、1945年に終戦記念日を迎えたのです。

 

軍事的な仕返しを、やらなかったということです。

復讐すれば、その憎しみの連鎖は、永遠に続くということを、心の奥底で、知っていたのだと思います。

 

 

では、何をしたのかというと、自動車や家電などを生産して、経済的な成長を目指したのです。

 

「日本人の優秀さを、世界中に見せつけてやるぞ!」

 

こう思って、「ゼロ戦」などの戦闘機を作れなくなった技術者たちが、夜寝るのを忘れるくらい、猛烈に働いたのです。

 

それが、日本の「高度経済成長」に繋がったのです。

 

1980年代後半には、世界第2位の経済大国になりました。

ある計算によると、瞬間的には、世界第1位になったこともあったそうです。

 

これが、どういう意味か、わかりますか?

 

「戦争で負けても、世界一豊かな国になることができる!」

 

こういう姿を、世界中に見せつけたということです。

世界史上、最高の国の姿を、日本は、世界中に見せつけたということです!

 

 

高度経済成長の時の自動車工場です。

 

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「負けて勝つ!」

 

こういう高等な戦略を、世界史上、初めて地球上で体現して見せた国が、日本なのです。

 

第二次世界大戦において、日本の戦いは、1945年に、一度負けて、1980年代に、世界経済で、トップになるところまでの大計画だったということです。

 

これによって、「戦争」の意味を無くすことに、地球の歴史上、初めて成功したのです。

 

これは、おそらく、神が日本人に与えた、使命のようなものだったのだと思います。

日本人にしか、できないことだったのです。

 

 

1945年8月15日正午に、ラジオ放送された、昭和天皇による終戦の玉音放送を聴く人たちです。

 

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大切なことなので、繰り返します。

 

 

それまでの数千年の地球の歴史の中では、

 

「戦争に勝った国が、豊かになれる。戦争に負けた国は、皆殺しにされるか、奴隷にされ、永遠に貧乏なままになる」

 

これが、常識だったのです。

 

それを、長い歴史の中で、日本が初めて、その流れを変えたのです。

 

 

要するに、

 

「戦争で勝つことには、意味がない」

 

これを教訓として、世界中の人に、教えたのです。

「戦争」を、無力化したのです。

 

日本が戦っていたのは、「アメリカ」の軍隊ではありません。

「戦争」という名前の超魔物と、戦っていたのです。

そして、その「戦争」に勝ったということです。

 

「アメリカに負けて、戦争に勝った」

 

これが、「日本」という国であり、「第二次世界大戦」の真相だったのです。

そして、その中核にいたのが、「天照派」の末裔たちだっただろうと、私は推測しています。

 

 

「どんなに、暗い暗黒の世界になっても、かならず、光の世界が復活する」

 

こういう世界観をもっている人々なのです。

それは、まさに、「日食」の後の、「ダイヤモンドリング」のような光だと思います。

 

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次回、「補陀落渡海ツアー」、感動のフィナーレです。

 

最後の舞台は、静岡県です。

お楽しみに!

 

 

 

 

PS 神奈川県での旅を終えて、ファミレスで、皆で、打ち上げしている場面です。

旅行中の感想を、お互いにシェアして、最高に楽しい時間でした。

 

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