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補陀落渡海ツアー 8 久能山東照宮

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静岡県にも行ってきました。

 

静岡は、大好きな土地の一つです。

「静かな岡」という名前のとおり、どこに行っても、とても穏やかで、やさしいエネルギーを感じるのです。

 

 

ここでは、レンタカーを借りて、まわりました。

 

ご存知のように、私のモットーが、「行き当たり、バッチリ」なので、いつも、半分くらいは、事前に旅の計画を立てるのですが、残りの半分は、直接現地に着いてから、直観で決めます。

 

今回の静岡の旅も、気の向くままに、地図を見たり、車で走っている時に、ピン!ときた所で車を停車して、探索したりしました。

 

 

「補陀落渡海」に関係ありそうな名前を、気を付けて見ていると、このお寺も目に留まりました。

 

「海長寺」

 

という名前です。

 

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場所は、静岡市内で、清水港から歩いてすぐの場所です。

 

私は、これを見て、

 

「長い海の航海を経て、辿り着いた場所」

 

瞬時に、こう解釈しました。

 

 

門の前で、記念撮影しました。

 

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何度も書いているように、「天照派」は、大々的には、メッセージを伝えません。

暗号のように、わかる人だけに、わかるように、メッセージを伝えるのが、彼らのやり方なのです。

 

「龍水山」と書かれていますね。

「水」と「龍」ですね。

「滝」を意味していると思います。

 

ここでも、アニメ「君の名は。」の「滝君」の登場です。(笑)

 

「山」は、「領地」という意味もあるから、「滝君の縄張り」という意味ですね。

つまり、「イザナギ」の土地です。

 

 

すぐに、「三つ巴」の瓦が目に飛び込んできました。

 

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境内にある建物です。

 

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「圓」の文字が入っていますね。

 

「員」+「口(くに)」=「三重県の員弁」=「邪馬台国」=「天照派」

 

こういうことです。

 

「天照派」の拠点ですね。

 

左側の絵にも、注目しておいてください。

 

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本堂です。

 

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境内には、大きな「ソテツ(蘇鉄)」がありました。

 

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「ソテツ(蘇鉄)」という名前を調べると、

 

「枯れかかったときに、鉄クギを打ち込むと、よみがえる」

 

というのに由来しているそうです。

 

「鉄を受けると元気になる(蘇鉄)」という伝承から、今でも、茎に、クギを打ち込んだり、根もとに、、釘をばらまいているものも、多いそうです。

 

まさに、「補陀落渡海」の象徴ではないですか!

 

「小舟に乗り込み、四方八方から釘を打たれ、鉄の箱のよう閉じ込められ、出られないようにされ、海の彼方で、死ぬことにした。しかし、実際には、その後、黒潮に乗り大海を漂い、遠くの土地の浜辺で、仲間から救助され、新天地で生まれ変わったように蘇り、第二の人生を歩み始めた」

 

こういうことです。

 

 

「ソテツ(蘇鉄)」=「補陀落渡海」

 

こういう方程式が、今、できました。(笑)

 

 

「補陀落渡海」で、小舟が海に流されるシーンです。

場所は、熊野の那智にある、「補陀落山寺」の近くの海岸です。

 

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その場面を、模型や人形で表現したものです。

小舟の上に、一人の僧が乗っていますが、実際には、テントのような木箱に、釘を打たれ、閉じ込められていました。

 

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境内の奥のほうに、不思議な形をした石碑のようなものが、また目に留まりました。

 

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「なんだろう?」

 

こう思って、近づいてみました。

先ほどの看板にもありましたね。

下の方に、金色で描かれた絵のようなものを見てださい。

 

 

最初は、

 

「古代文字かな?」

 

と思ったのですが、だんだん、この絵の意味がわかってきました。

 

もうわかりましたね?

 

小舟に乗った、一人の僧の絵です。

袈裟を着ているようにも見えますね。

 

寒くて寂しい、太平洋の真ん中で、小舟の箱の中から、微かに息をしている姿かもしれません。

 

そうです。

これは、「補陀落渡海」の絵だったのです!

 

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「うわ~~!!」

 

同行していた友人と二人で、この石碑の前で、またまた叫んでしまいました!

 

 

絶叫した後の記念撮影です。

 

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この寺の近くには、その名もズバリ、「鉄舟寺」があります。

山号も、そのまま、「補陀落山寺」です。

 

「海長寺」からは、歩いてもいける距離にあります。

 

 

そこにも、立ち寄りました。

さっそく、門の前での記念撮影です。

この石碑も、明らかに、「小舟」のオブジェですね。

 

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ネットの説明だと、こう書かれています。

 

幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。剣と禅と書の達人としても知られる書、山岡鉄舟という人物も、この寺には、関わっているそうです。

 

「鉄舟寺」というのは、ここからきているとのことです。

 

 

しかし、私は違うと思います。

 

本当の名前の意味は、

 

「鉄の箱のような舟に、閉じ込められてきた僧が、辿り着いた場所」

 

だと推測します。

 

そして、おそらくは、一番最初に創建された時の名前は、「補陀落山寺」だったと思います。

 

 

入口の門です。

 

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これを見て、感動しました~!

 

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屋根の模様も、「黒潮」を表現しているデザインになっています。

 

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しかも、「徳川家」の家紋である、「三つ葉葵」まで、入っています。

ここでも、また、「三葉ちゃん」の登場ですね。(笑)

 

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「鬼瓦」もありました。

 

「鬼」=「大丹生(おおにゅう)」=「天皇家」

 

でしたね。

 

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この日、寺の門は閉じていましたが、横の坂道から、すんなりと境内に入れました。

 

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寺の奥には、神社もありました。

 

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やはり、「熊野系」の神社でした。

 

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神社の近くには、石像もありました。

 

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石像よりも、その下の文字に注目してください。

 

「合同船」

 

と書かれていますね。

 

おそらく、「補陀落渡海」で渡ってきた小舟たちが、ここに何かの理由で、集まったことがあったのだと思います。

 

ちゃんと花が生けられているのが、印象的でした。

 

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神社のは、高台になっているので、海が見えます。

ここから海を眺めると、なんともいえない気持ちが湧き上がってきました。

 

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お寺の中には、「ソテツ(蘇鉄)」もありました。

 

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そして、「原爆慰霊碑」がありました。

 

上部にある絵は、普通は、「折り鶴」だと解釈するのでしょうが、私には、別の解釈も思い浮かびました。

 

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この鳥は、「丸」の中に描かれているのが、特徴です。

私の脳内にある膨大なデータの中で、ヒットしたのが、これです。

 

 

これは、お隣の中国の霊獣、「三足烏(サンソクウ)」という名前です。

三本の足を持ったカラスで、アフリカなどにも、これと同じ壁画が見つかっているそうです。

周囲の「丸」は、「太陽」を表現していて、「カラス」は、「黒点」だという説もあるようです。

つまり、「太陽に住む鳥」だということです。

 

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これも、同じくお隣の韓国の霊獣、同じく「三足烏(サムジョゴ)」という名前だそうです。

また、高句麗では、昔から、「火烏」とも呼ばれているそうです。

ここまで似た絵だと、上記の中国の霊獣と同じだと考えてもいいと思います。

 

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わかりましたか?

 

つまり、この三羽の霊鳥は、同じ存在だということです。

 

そうです。

 

日本では、熊野を拠点にしたグループ、「八咫烏」です。

ここでも、赤い「丸」の中に入っていますね。

 

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詳しいことは、割愛させていただきますが、いろいろ調べると、これらの霊鳥は、他の存在、「金鵄」や「不死鳥(フェニックス)」とも同じ存在みたいです。

 

そして、大切なことは、日本神話において、「太陽(丸)」を象徴する神様は、一人しかいません。

 

「天照大神」

 

です。

 

 

これらを、因数分解のように、シンプルにまとめてみます。

 

原爆慰霊碑に描かれている、「折り鶴」の正体です。

 

「折り鶴」=「三足烏(サンソクウ)」=「三足烏(サムジョゴ)」=「火烏」=「八咫烏」=「金鵄」=「不死鳥(フェニックス)」=「天照大神」=「天照派」

 
こういう等式がでてきます。
 
つまり、あの「折り鶴」は、「八咫烏」であり、「天照派」でもあり、「復活」の象徴として描かれていたということです。
 
面白いですね~!
 
 
 
 
そして、いよいよ、最終目的地の話題です。
 
この寺から、ちょっと離れた所に、「久能山東照宮」があります。
そこが、今回の旅の終着駅でした。
 
 
ロープウエイで行ったほうが、楽だと聞いたので、ロープウエイの駐車場まで行きました。
 
ここのロープウエイは、凄い景色でした。
写真を撮るのを、うっかり忘れてしまいましたが、最高の眺めでした。
 
 
そして、ロープウエイを下りたら、すぐに、「小舟」が待っていました。(笑)
記念撮影です。
 
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山の頂上からの眺めも、最高でした。

この日は、風が強かったのですが、遠くに綺麗な海が見えました。

 

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「久能山東照宮」を、ネットでも調べてみました。

 

すると、こういう記述がありました。

 

〇「久能山東照宮」について 

 

久能山の歴史

 

遥か遠い昔、この山は観音菩薩の霊場とされ、観音信仰の聖地でした。

久能山の歴史、「久能寺縁起」によると、推古天皇の御代(7世紀頃)、秦氏の久能忠仁が、初めて山を開き一寺を建て、観音菩薩の像を安置し、「補陀落山久能寺」と称したことに始まります。

久能山の名称も、ここから起こりました。

 

なんと、ここは、元々の名前は、「補陀落山久能寺」だったというのです!

 
7世紀頃だから、「聖徳太子」の時代です。
しかも、創建者は、「秦氏」です。

 

見事に、繋がりましたね~!
 
驚きました。
なんでも調べてみるものですね。
 
 
他も、こういう説明も見つけました。
 
〇「久能山東照宮と日光東照宮の違い」
 
「日光東照宮」は」、徳川秀忠や家光が陰陽道などにのっとって、江戸の守り神として、神格化した徳川家康の遺体を、安置させるために作られたもの。
「久能山東照宮」は、徳川家康が静岡で亡くなり、遺言により作られたもの。
つまり、日光は、親孝行で作られたもの、久能山は、家康自身の希望場所である。
 
なるほど、わかりやすいですね。
 
 
 
入口の門の前で、記念撮影しました。
 
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この看板を見て、ビックリしました!
 
わざと、草書体で、くずして書いていますね。
 
パンフレットでは、
 
「東照大権現」
 
という説明ですが、違うと思います。
 
ハイ!
 
「天照大権現」
 
こう書かれているのだと思います。
 
もしかしたら、昔は、「草書体」というのは、このように、「暗号」のような役割をしていたのかもしれませんね。
 
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「徳川家康」の手形がありました。
 
意外と、小柄だったのですね。
身長、155センチ、体重、60キロだったのですね。
 
私は、「38歳」という年齢が、やたらと気になりました。(笑)
 
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拝殿で、参拝しました。
 
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こういう所には、密かに目立たない所に、本当にメッセージ性のある模様や絵などが、刻まれれてり、描かれていることが多いです。
 
 
まずは、拝殿のここにありました。
 
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この紋章です。
 
「三つ巴」と「菊花紋」が合わさった、特別なシンボルですね。
しかも、全体が、ゴールドの花模様になっていて、とてもオシャレですね。
 
やはり、「天照派」が、隠れた日本の中核なんですね。
 
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さらに驚いたのが、この彫刻です。
同行した友人と、驚嘆しました。
 
見てください!

 

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わかりましたか?

これを、わかりやすくした絵を、入手しました。

 

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一般向けの説明文には、こう書かれています。

 

「家康公からの伝言」

 

この絵は、「司馬温公の甕割り」の絵です。

 

古代中国の有名な政治家、司馬温公が、7歳の時のある日、友人と遊んでいましたが、友人が誤って、水を一杯張った水瓶に落ちてしまいます。

「このままでは、友人が溺れ死んでしまう」と思った温公さんは、機転を利かし、水瓶を割ることによって、友人を助けることができたというお話です。

 

家康公からの伝言は、「命を大切にせよ」です。

 

 

どうですか?

これを読んで違和感を感じませんか?

 

「江戸時代」という凄い時代を創り上げ、日本とう国家の基礎も創り上げた、超偉大な人物の眠る聖地、さらに、そこの一番大切な拝殿の真ん中に、こんな子供でもわかるような逸話の絵なんて、描かないと思いませんか?

 


もうわかりましたね。

 

そうです。

 

これは、「補陀落渡海」の絵です。

 

おそらく、熊野から静岡の浜辺に打ち上げられた小舟から、一人の僧を、二人の仲間が救出している場面だと思えば、しっくりくると思います。

 

中国風の服装や髪形は、カムフラージュです。

私は、この髪形は、「二本角」、つまり、「鬼=大丹生=天皇家」を表現していると思います。

 

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小舟の上で、鉄の箱のように釘打ちされた板を、仲間が、こじ開け、浸水していた海水と一緒に、ドバ~!という音とともに、補陀落渡海の僧が、箱から出てきている場面だと思います。

 

 

もう大感動でした。

 

同行した友人と一緒に、何度も、何度も、

 

「凄いね~! 凄いね~!」

 

と言い合って、この発見を喜び合いました。

 

 

「補陀落渡海」

 

やはり、これが、日本史における最重要な出来事だったのです。

 

 

 

拝殿の奥の階段を登っていくと、「神廟」があります。

 

辞書によると、「神廟とは、神の霊をまつった所」だと説明されています。

やはり、家康公は、神人だったのだと思います。

 

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あっ、そうそう、そういえば説明するのを、すっかり忘れていました。

 

「どうして、家康は、天照派の人々を助けていたのか?」

 

という素朴な疑問です。

 

 

この家紋に、全ての意味が隠されています。

 

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思い出してください、

旅行記の最初の頃に、書きましたね。

 

武闘派である「神武派」、それから、穏健派である「天照派」、この両者が、仲直りした記念に、最初にやった祭りが、京都の「葵祭」でしたね。

 

調べてみると、昔、その祭りを執り行い、両者の仲をとりもったグループがいたようです。

それが、いわゆる、「加茂族」です。

その子孫が、どうやら、「徳川家康」だったようなのです。

 

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ネットでの説明です。

 

徳川氏は京都・葵祭で有名な、加茂神社の氏子だから、加茂神社の神紋、葵を、家紋として用いました。
賀茂神社の裏の神山には、葵が沢山生えており、この草を神殿の飾りや神の降臨(葵祭)に使用し、それを加茂神社の神紋としました。
神社の神紋は「二葉葵」で、それを徳川氏は、神社のシンボル、「巴」と掛けて「葵巴」としました。
その「葵巴」こそが、一般にいう「三葉葵」である、徳川家の家紋となりました。

 

 

 

「久能東照宮」の境内には、「双葉葵」が置かれていました。

よく見ると、葉っぱが、「♡(ハート)」の形をしていますね。

 

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そして、これは、ダジャレで、オヤジギャグになりますが、

 

「家康」=「イエス」

 

こういう話もあります。

 

「家康」 → 「いえやす」 → 「いぇーやす」 → 「いえす」

 

「徳川家康」=「イエス・キリスト」

 

つまり、同じ魂グループだったということです。

おそらく、「聖徳太子」も、そうだと思います。

 

「イエス・キリスト」 → 「聖徳太子」 → 「徳川家康」

 
こうやって、同じ魂が、この三者の間を、繰り返し、転生していたのかもしれません。
 
だから、この三者とも、「神人」なのです。
 
 
 
 
ふーっ!
 
もっと、もっと書きたいことは、山ほどありますが、今回の旅行記では、これくらいにしておきましょう。
あまりにも情報量が多すぎても、頭の中が、パンパンになってしまうと思うので。(笑)
 
 
いかがでしたか?
 
「補陀落渡海」、面白いでしょう!
 
この史実の痕跡は、日本中にあります。
 
ぜひ、ご自分の土地にある、神社やお寺に、何かの痕跡を見つけたら、そこに行って、短い時間でいいから、手を合わせて、祈ってみてください。
何に祈るのかというと、「補陀落渡海」を実行した人々の愛と勇気に対してです。
 
そして、この旅行記の内容も、少しだけ思い出していただけると、嬉しいです。
 
 
 
PS 静岡の旅を終えた後、静岡市内のホテルのカフェで、友人たちとお茶しました。
 
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では、恒例の締めの言葉で、終わらせていただきます。
 
 
 
ひとは誰でも 幸せ探す
 
旅人のようなもの
 
希望の星に 巡り合うまで
 
歩き続けるだろう
 
きっといつかは 君も出会うさ 
 
青い小鳥に
 
 
by アニメ「銀阿鉄道999」
 
 
 

 

 

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 

 

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